■ ファイト一発 味噌汁日和 3 ■
第三話 猫飯店の客人

五、

 翌朝、乱馬は激しい倦怠感と共に寝床から這いずり起きた。
 結局、一晩中、便器と仲良しさんだったように思う。かすみさんが持ってきた胃腸薬も二人の料理の前には、効力が無かったようだ。

「あ〜あ…最悪だぜ…。」
 まだふらつくからだを持て余しながら、自室から這い出る。病み上がりのような気だるさ。
「汗かいたら治るかな…。」
 朝日の光が、いつもよりも眩しく思えた。
 トントントンと階段を下りていくと、昨日とは違う、まともな香りが漂ってくる。味噌汁の匂いだ。それにつられて、台所へと足を踏み入れていた。

「あら、乱馬君、おはよう。気分はどうかしら?」
 のれん越しに、にっこりと微笑みかけてくれる。
「え、ええ…。何とか持ち直しました。」
 つられてにっこりと微笑み返すが、まだ口元が引きつっている。
「まだ、何もお腹に入れない方が良いかしら…。」
「あ、いえ。大丈夫です。その味噌汁を一杯、俺にください。」
「そう?一寸待っててね。」
 かすみは温まっていた鍋にお玉を入れると、木椀に味噌汁を注ぎ入れてくれた。
「はい、召し上がれ。」
 台所のテーブルにトンと置かれた味噌汁。芳しいかつお節の香り。具は豆腐のシンプルな味噌汁。盛られた青ネギが愛おしく感じられた。
「う、旨え…。」
 五臓六腑に染み渡る、絶品だった。あかねと未来の料理で腐りかけていた胃袋が、一斉に奮起し躍動し始めたような感覚。じーんと涙が溢れてくる。
 かすみはまさに恵みをもたらす菩薩だった。
「やっぱ、味噌汁はかすみさんのに限るぜ…。」
 ほおおっと溜息を吐き出しながら、正直な感想を述べる。いや、それ以上に、つい、口が過ぎてしまう。
「あいつらには絶対、こんな絶品は作れねー。」
 深々と感慨に耽っていると、背後から殺気を感じた。それも、二つだ。

「あいつらには何ですってえ?」
「聞き捨てならない言葉よねえ…。」
 あかねと未来のダブルヘッドがそこへにょきっと現れた。
 ぎょっとしたが、昨日、やり込められた胃袋の恨みが懇々と突き上げてきた乱馬は、つい、愚痴っぽく言ってしまったのだ。
「だから、おめーらには、絶対に、こんな旨い味噌汁は作れねーだろうって言ってんだよ!」
 その言い方にカチンと来たあかねと未来。
「そんなことはないわよ!修行したら味噌汁くらい、まともに作れるわよ!」
「そーよ、そーよ。あからさまにそんな風に言うことは、無いじゃないの!」
 二人の口から、乱馬に向けて、雑言が漏れた。
「じゃ、やってみろよ!」
 そう言って、慌てて口を押さえた。
(しまった!火に油、注いじまった!)
 と思ったが、後の祭り。
「わかった、受けて立ってやろうじゃん!」
 あかねが闘志をむき出しにして宣言した。負けずに未来も言葉を放つ。
「そうね。そこまで愚弄されて、引き下がるわけにはいかないわ!頑張りましょう、あかねさん!」
 二人とも何故か鼻息が荒い。めらめらと闘志が燃え始めたようだ。
「そう思うんなら、やってみるんだな…。俺を納得させる、旨い味噌汁、作ってみろってんだ!」
 内心、とんでもないことを口にしてしまった。と、大いに反省しながらも、もう引き下がれない。あかね一人ならまだしも、小あかね・未来も居る。
「わかったわ!かすみお姉ちゃんに弟子入りして、美味しい味噌汁を飲ませてあげるわ!」
「目に物見せてあげるわ!」
 味音痴両横綱のそろい踏みだ。
「まあ、せいぜい頑張りな!無駄だと思うけどな。」

 乱馬はそう言い置くと、さっさと台所から立ち去った。

「ほーんと、あんたって、後先、何も考えないで発言するんだからー。」
 台所ののれんの影から、なびきがくすっと笑った。
「うっせー!味噌汁一品なら、被害は少ないだろうが!昨日みてーに、訳わかんねーもん、たくさん作られてみろっ!食あたりで今度こそおっ死んじまうじゃねーか!」
「まーたまた。考えて発言したように見せかけちゃってえ…。」
「俺は考えてんだよ!」
「そう?じゃあ、あの未来って娘の正体、わかった?」
 なびきが、意味深に、にっと笑った。
「んーなもん、わかるかよ!」
「そー。」
 なびきはふふふと余裕の微笑みを浮かべた。
「何だよ、おまえはわかったのかよ。」
「まーね。確定できたわけじゃないけど…。だいたいのことはね。」
 と婉曲に言葉を継いでみせる。
「じゃあ、言ってみろよ。」
 なびきの言に喰らいつく。確かに、未来の正体は謎めいている。
 あの身のこなし、そして武道の腕前はかなりのものだ。あかねと肩を並べる強さだ。しかも、無差別格闘流の型をきっちりとこなしているのが気にかかっていた。日本のどこかで存在している無差別格闘流の亜流一派の娘なのかとも思ったが、早乙女流と天道流の他に無差別格闘流が存在しているという話など、耳にした事も無かった。
「ふふふ、聞きたいなら、はい!」
 短兵急になびきの手が伸びてきた。
「何だよ、その手…。」
 返す言葉と共に、怪訝な顔を差し向ける。
「情報提供料。決まってるでしょ?」
「あん?情報提供料だあ?バカ言うな!出さねーぞ、んなもん!」
 思わず吐きつけていた。
「じゃあ、あたしも教えてやんない…っと。」
 なびきは手を引っ込めた。
「良いよ、別に。」
 乱馬も不機嫌に言い放つ。この守銭奴めと、内心穏やかではない。
「ま、聞きたくなったら提供料寄越しなさいね。そしたら、教えてあげるから…ねー。」
 なびきは口笛を吹きながら、その場を離れて行く。金儲けが出来ないとなると、すっと引く辺りも、鮮やかだった。

「たく…ふざけたタマだぜ、なびきの奴は…。」
 その後姿を見送りながら、ふううっと溜息が漏れた。
 なびきにあかねと同じ血が混じっているのが、不思議でたまらなかった。
「それにしても…。みくの正体…何を掴んだんだ?なびきの奴…。」
 本当に、未来の正体の片鱗を、なびきは掴んだというのだろうか。
 乱馬には全く想像できなかっただけに、解せなかった。
「確かに、得体の知れない奴ってのは、確かなんだが…。」

 のれんの向こう側。天道家の台所では、あかねとみくがかすみに付き従って、味噌汁修行を始めた。
「あかねちゃん、出汁はかつお節でとってね。ダメよ、先に味噌を入れちゃあ。」
 焦ったかすみの声が響いてくる。
「みくちゃんも、豆腐は掌で潰しちゃダメよ…。ちゃんと包丁使って。」
 味噌汁一つで、台所は大騒ぎだ。

「たく…まともな味噌汁が作れるのかねえ…。無理そうだな、ありゃ…。」
 乱馬は、ふううっと溜息を吐き出した。



六、

 さて、お昼時に差し掛かる頃のこと。

「乱馬、居るあるかー?私と、デートするよろしー!」
 早々に、招かざる客人の到来だ。
 玄関先から響き渡ると、勝手に上がってくる足音。珊璞だった。
 その声に、みるみるあかねの顔が曇る。次の瞬間、エプロン姿で台所から飛び出していた。
「ちょっとー、人の家に上がるなら、ちゃんと呼び鈴くらい鳴らしなさいよ!」
 とキッときつい顔を手向けた。
「乱馬と私の仲ある。呼び鈴鳴らすなんて、そんな他人行事する必要ないある。」
「あんたと乱馬がどんな関係だか知らないけど、ここはあたしの家なの!乱馬の家じゃないわ!」
「だったら、乱馬、猫飯店へ寄越すよろし。こんなボロ屋より、猫飯店の方がよっぽど住み心地良いね。」
「ボロ屋とは何よ、ボロ屋とは!」
「ボロ屋にボロ屋言って何が悪いあるか?」
 すっかりご両人、ヒートアップしている。

「何だ何だ?どーしたってんだ?」
 騒ぎを聞きつけて、乱馬が茶の間から飛び出して来た。目の前に広がるのは、珊璞とあかねの修羅場その一。
「乱馬!居たか。デート行くねー!」
 乱馬の顔を見かけるや否や、珊璞がどっと飛び出して、抱きつこうとした。
 いつもなら、ここで遮るあかねを振り切って、真正面から乱馬の首に両手をかけて抱きつけるのであるが、この日に限って勝手が違った。あかねの他に珊璞の行く手を阻む者がもう一人居たせいで、未遂に終わった。
 珊璞の動きを見事に牽制してみせたのは、乱馬の娘、未来であった。
 未来が前に立ちはだかってくれたおかげで、珊璞は乱馬に抱きつくどころか、体のバランスを崩し、尻餅までついてしまった。

「この小娘!何するね!」
 お尻から床面に突き飛ばされてしまった珊璞の怒号が、辺りに響き渡る。仰向きに尻餅をつかされるなど、珊璞にとっては、陵辱的な格好だ。
「それはこっちの台詞よ!見境なしのチャイナ娘!」
 あかねを凌駕する程の物凄い剣幕で、珊璞目掛けて食って掛かる未来。
「何あるか?おまえ!ははーん、もしかして、おまえ、乱馬の新しいコレあるか?」
 どこで覚えたのか、珊璞は小指を立てて見せる。
「そんなんじゃないわっ!そんな変な見方をしないで欲しいわねっ!」
 未来が顔を真っ赤にしながら反論する。
「だったら何ね?何故、そんなに私と乱馬の逢引、邪魔するね!」
「あんたが横恋慕してくるからよ!だいたい、乱馬さんはあかねさんの許婚でしょう?人の許婚に手を出すなんて不潔よ!」
「何言うね!乱馬は私の愛人(アイレン)ある。あかねこそ泥棒猫あるよ!」
 未来の言い方にカチンと来たのか、珊璞がムキになって言い返す。あかね対珊璞ではなく、未来対珊璞、そんな変な相関図が出来上がっていた。が、この未来という少女。あかね同等、いやそれ以上に勝気さがあったものだから、話はますますややこしくなる。
「いずれにしても、おまえ、邪魔ね!私の邪魔する者は万死にあたいするね!覚悟するよろしっ!」
 途端、珊璞の気の流れが変わった。獲物を狩る獣のように、瞳の輝きが尖鋭に変化する。
 
「こ、こらっ!やめろーっ!二人とも!」
 焦ったの乱馬だった。
 このままでは流血必至になってしまう。あかねは珊璞の逆鱗に触れるまでは、言いくるめない。また、どちらかというと、珊璞よりも乱馬へ向けて攻撃的な言動を仕掛けることが多い。勿論、言動だけではなく、時には実力行使に出てくることもある。
「そーよ、みくちゃん。何もあなたが矢面に立つ必要なんてないわ!」
 また、乱馬だけではなく、あかねも二人の間に割って入った。
「第一、乱馬が珊璞とデートしようがどうしようが、あたしはかまわないのよ!」
 とまで言い放つ。

「いいえ、こういうことははっきりしておいた方が良いの!あかねさんは黙ってて!」
 未来は一歩も引くつもりは無いらしい。父と母のためにここは一肌脱ぐ気で居たのだ。

「だから、みくちゃんが身体を張る必要なんて、ないんだってば!ほら、乱馬。あんたからも言いなさいよ!元はというと、あんたが悪いんでしょう?」
 矛先を乱馬へと手向けた。
「何で俺が悪いんだよぉ!?」
 口を尖らせて乱馬がきびすを返した。
「そもそも、あんたがはっきりとしないからじゃないの!」
「だから、何をだ?はっきりさせるって、何だよっ?」
 この二人、珊璞と未来のことなどそっちのけで、自分たちの言い争いをおっぱじめてしまった。
「あんた、自分が悪くないなんて思ってるんじゃないでしょうね!」
「だから、俺のどこが悪いってんだよ!」
 互いに腕をたくしあげて、睨み合う。お互いの鼻息も荒い。

「全て、このチャイナ娘が悪いのよ!あかねさんの許婚を誘惑するようなことは辞めなさいよね!」
 乱馬とあかねの傍で、未来が珊璞を睨みつける。
「何言うね!人を諸悪の根源みたいな言い方しないで欲しいある!いつ、私が乱馬、誘惑したか?」
「あら、今、まさに、してるじゃないのよ!」

 乱馬にあかね、未来に珊璞。四つ巴の言い争いが、天道家の庭先を響き渡る。
 痴話喧嘩を楽しんでいる空気のある乱馬とあかねはともかく、未来と珊璞は互いに激しく牽制しあう。いずれも、己の見解に対し、一歩も譲る気持ちなど無いらしいから、ますます雲行きは怪しくなる。

「もう、怒(おこ)た!白黒はっきりさせてやるね!」
 怒りが頂点に達した珊璞が、先に動いた。
 いや、正確には「動こうとした」。
 その時だ。

「だから、やめろーっ!」

 珊璞と未来の間合いの前に、乱馬は体ごと大の字になって割り込んだ。
 ぐっと飛び込んで、両者の目と鼻の先に、大きく開いた掌を宛がう。
 乱馬に飛び出されては、二人とも、喧嘩の矛先を収めるしか、術が無かった。割り込んできた乱馬の剣幕はともかくも、これ以上何かをやるなら、自分は黙って無いぞと、暗に彼の放つ気が物語っている。男の激しい気迫に、闘争心を根こそぎ萎えさせられた珊璞と未来は、すごすごと互いの牙を元の鞘に収めた。

「たく…。物騒な騒動を起こすんじゃねー!珊璞も、頼む。今日のところは穏便に、帰ってくれ。」
 ふっと口元から、溜息ともとれる吐息を吐き出すと、
「わかったある。今日のところはおとなしく帰ってやるね。」
 一言、悔しそうに吐きつけると、くるりと身を翻して、珊璞はその場を離れた。
「乱馬、また今度デートするある。次は絶対に連れ出すあるから、待ってるよろし!」
 目も合わさずにそう言い捨てると、珊璞はその場を辞して帰って行った。

「ふう…。帰ったか。」
 その後姿が見えなくなると、乱馬は安堵の溜息を吐き出した。
 いずれにせよ、争いごとの渦中に居るのは己でもある。ひとまずは、流血騒ぎ、破壊騒ぎにならずに、珊璞が帰ってくれたことに、安堵したのである。
「たく…。物騒にも程があるぜ。」
 と溜息を吐き出す。良かったと安堵している乱馬とは裏腹に、ゴゴゴと背後を殺気立たせて、未来が乱馬を睨みつけていた。
「乱馬さんが悪いのよ!サイテーッ!」
 と勢い良く、吐きつける。
「誰が最低だ?誰が!」
 未来の言い方にカチンときた乱馬が、未来を見返す。
「許婚が居るのに、不潔よーっ!本当にサイテーッ!」
 そう、キイイッと叫んだかと思うと、そのまま、往復ビンタを一髪乱馬の頬へと食らわせて。

 ばちばっち―ん!

 それは見事な張り音を、辺りに響かせる。
 避ける暇なく、まともに右頬へと、未来の平手打ちを喰らってしまった。

「なっ!何しやがるーっ!」
 そう叫びながら、未来の顔を見上げてぎょっとした。
(な、泣いてる?)
 あろうことか、未来の目尻から涙がじわっと、滲み出しているではないか。
 それは、乱馬を狼狽させるに、十分すぎるほど効果てき面。
 未来にしてみれば、己の父親の不甲斐なさと、母に対する哀れみのような感情が、どっとあふれ出た結果、浮かんだ涙なのであるが、乱馬には訳がわからない。十代中ごろの思春期真っ只中の少女の心情など、乱馬に理解できる訳もなく。
「お、おい!おめえ…。」
 明らか、動揺し始める。
 己に対して、何故、目の前の少女が、それも昨日会ったばかりの少女が、涙を流しているのか。全く解せなかったのだ。
「み、みくちゃん?」
 勿論、焦ったのは乱馬だけではない。あかねも、どう声をかけてよいのやら、皆目検討もつかず、おろおろし始める。
 未来は未来で、流れ出した涙を止める手だてがなく、こちらはこちらで気が動転してしまっていた。

「もう、知らない!」
 ぷいっと言い捨てると、その場からだっと駆け出してしまった。

「い、一体、何だってんだ?」
 未来の走り去る姿を見送りながら、乱馬は呆然と吐き出した。
「さあ…。」
 あかねも乱馬と共に、呆然と立ち尽くす。
「でも、…あんたのせいであることだけは、確かよね…。」
「だから、何で俺のせいなんだ?」
「知らないわよ!こっちが聞きたいわよ、そんなこと!」
「と、とにかく、おめーがあの子の世話してんだろ?」
「まあ…そうだけど…。」
「だったら、ちゃんとフォローしとけよ。」
「って、何であたしなのよ!」
「俺がフォローするってったって、どうすりゃよいか、わかんねーだろが!だから、おまえがやれ!良いな、わかったな!」
 ぼそぼそっと歯切れ悪く吐き出すと、くるりとあかねから背を向け、母屋の方へと入ってしまった。

「フォローしろったって、どうすれば良いのよ…。」
 乱馬の後姿を見送りながら、あかねが大きく溜息を吐き出した。
 と、
「あーらあら、いろいろ大変そうねえ…。あかねちゃん。」
 居間の一部始終を見ていたのだろうか、縁側の上からかすみが声をかけてきた。
「あ、かすみお姉ちゃん。」
 困惑しきった顔を、姉に手向けるあかね。
「気分転換に、みくちゃんと二人、お買い物に行って来てちょうだいなー。」
 と買い物メモと、エコバックをあかねに差し出した。姉が考え出した精一杯の気遣いだったのだろう。
「そーね…。こういうときは、気分転換に買い物へ町に出るのが一番よね…。」
 あかねはコクンと一つ頷くと、かすみの手から、買い物袋を預かった。そして、未来を探しに、部屋を出た。

「乱馬君、また、派手にやられたわねえ…。」
 くすくすっとなびきが母屋から道場へ向けて出てきた乱馬をとっ捕まえて、そんな感想を漏らした。
「うるせー!」
 もやもやした気分の時は、道場へこもるのが一番。そういう理由から道場へと足を手向けていた乱馬に、なびきが笑いながらにじり寄る。
「あんたが、あかね以外の女の子にやりこめられるなんてねえ…。」
 くすくすと笑っている。
「別に、俺は、やりこめられてなんかいねーぞ!」
 ムッとした表情を、なびきへと手向ける。
「泣かれたくせに。」
 追い討ちをかけるように、なびきは乱馬の神経を逆撫でる。
「知らねーよ!あいつが勝手に…って…おまえ、もしかして、見てたのか?」
「一部始終見させてもらったわ。」
 くすっと笑いながら、なびきが言い放った。
「本当、不思議な子よねえ…みくちゃんって。初対面だってのに、あかねとはあんなに打ち解けちゃって。それに、あんたもあの子にいいようにあしらわれているし。」
「……。」
 乱馬は黙り込んでしまった。
「ま、ちゃんと、気にかけておいてあげなさいよ。禍を呼び込まないとも限らないから…。」
 なびきはすっとその場を立った。
「とにかく、責任は果たしなさいよ。乱馬君。」
 意味深に言い置くと、なびきは乱馬から去って行った。

(何の責任だよ…。たく。)
 心で吐き出しながら、むすっと口を結んだ。

 確かに、気になることが多すぎる。
 佐々木みくとは一体何者なのか。

 ブンブンと頭を横に思い切り振った。
(ダメだ!俺には関係ねーっ!つーか、責任も義務もねーっ!)
 そう吐き出すと、身体を動かすために、道場へと足を手向けて行った。


七、

「あーもう!頭に来るある!」
 バアンと持っていたハンドバッグを不機嫌に円卓へと投げつける。

「どーした?婿殿とはデートできなんだか?不機嫌そうじゃのう…。」
 奥から可崘が声をかけた。
「怒りに任せて八つ当たりするなど、穏やかでないのう…。女傑族の娘は、どんな時も、もっと毅然とした態度でおらねばならぬぞよ。」
 と、彼女の背後から、老婆の声がした。可崘の知り合いのようで、奥のテーブルで食事をしていたようだ。
「曾婆ちゃん、誰ある?その人。」
 己を咎められたと思った珊璞は、きびっとその影に視線を移しながら、可崘へと問いかけた。
「ああ、珊璞は会うのがはじめてじゃったかのう…。紹介しよう。儂の古い友人の白蓮(ぱいれん)ちゃんじゃ。」
「この娘っ子が可崘ちゃんの自慢の孫娘、珊璞ちゃんかいのう…。ほんに、自慢するだけあって、かなりの美人じゃあ。ほっほっほ。」
 可崘婆さんと背丈、年恰好もさほど変わらない老女が顔を上げ、珊璞を見据えた。
「曾ばあちゃんの古いお友達…ということは、この婆ちゃんも女傑族の出自あるか?」
「ああ、そうじゃ。女傑族の中では伝説の仙女でもあるのだぞ。」
 可崘婆さんが紹介する。
「仙女?」
「仙術を取得した御老婦のことじゃ。」
 ずずずっと茶を飲みながら、可崘婆さんが言った。
「そんな凄い婆さんが一族に居たとは…。知らなかったあるが…。」
 珊璞が小首を傾げる。
「そらそうじゃろうよ。白蓮ちゃんは、女傑族の村に居ることは殆どないからのう。常は呪泉郷の奥の奥、険しい山の連綿と折り重なる居所に居るか、もしくは修行の旅に出ているからのう…。」
「そんな偉い仙女様が、どうして猫飯店に居るあるか?」
 珊璞が尋ねると、白蓮自らが言った。
「修行の旅の途中、ふらっと立ち寄った日本に、可崘ちゃんが居ると聞き及んでのう…。懐かしくなって旧交を温めに立ち寄ってみたんじゃ。」
「…ということじゃ。わざわざ会いに立ち寄ってくれたんじゃぞ。」
 可崘婆さんが嬉しげに白蓮を見た。
「お手軽同窓会あるか…。」
 ふっと珊璞が溜息を吐く。

「しかし、何をそんなに取り乱しておった?女傑族の娘たるもの、常に冷静に物事を采配せねばならぬというに…。」
 可崘が珊璞に声をかけた。
「婿殿とデートへ行けなかったから怒っておるのか?」
「もちろん、それも有るある!」
 珊璞は思い切り口を尖らせた。
「そうか、あかねに邪魔されたか?」
 可崘が覗き込むように珊璞を見た。
「あかねなんかよりもっと腹の立つ小娘に、邪魔されたね!あー、思い出しただけでムシャクシャするある!」
 きいいっと癇癪を起こしたように、歯軋りする孫娘の言動に、可崘の目が光った。
「これこれ言っておる矢先に、そう目くじらをたてるな…して、腹の立つ小娘とは?はて、天道家の娘の中で、あかね以外はそれぞれ婿殿のことなど、これっぽっちも気にかけておらぬと思うたが…。かすみ殿は温厚、なびき殿も一銭の得にならぬことには口を挟まぬじゃろう?」
「何だか知らないけど、昨日から変な小娘が天道道場へ泊まりにきているね。その小娘に邪魔されてしまったね!」

「ほう…。珊璞には婿殿が決まっておられるのか。なかなかの腕前があると聞き及んだ珊璞ちゃんを倒す殿御が居るとはのう…。面妖、面妖じゃ!ほっほっほ。」
 白蓮が興味深げに問い質した。
「ああ、日本へ来たばかりの頃に、いとも簡単に珊璞を倒した青年がおってのう…。が、その殿御には、自称許婚の娘が何人もおってのう…。ちょっと手こずっておるのよ。」
 と可崘が説明した。
「強き男は競争率が高いでなあ…。なお、よろしいではないか。そやつを引き寄せて嫁にしてもらえば。わっはっは。」
「ねえ、白蓮婆ちゃん。乱馬を靡かせる良き仙術はないあるか?」
 珊璞が大きな目を瞬かせながら、白蓮に言い寄った。仙女という言葉に反応したのだ。もしかして、何か良い方法があるのではないかと、少し期待めいた表情を手向けた。
「う〜ん…。そういう術には長けてはおらぬからのう…。というか、専門外じゃ。」
 あっさりと、白蓮は却下する。
「ほーっほっほ…。白蓮ちゃんはどちらかというと化け物退治が専門じゃからのう…。」
 可崘が笑いながら言った。
「なーんだ、恋愛成就が専門じゃないね。」
 ちょっとがっかりとした表情を珊璞は手向けた。と、窓の方を見つめて、彼女の表情が険しくなった。 
 窓の外の往来に、あかねと未来の姿を見つけたのだ。
「どうした?珊璞。」
 孫娘の表情の変化に、可崘もつられて、窓を見やった。
「あの小娘ね。ことごとく私と乱馬の邪魔をする奴は。」
 憎々しげに言い放つ。
「ああ、顔を見るだけでも腹が立つね!憎々しいね!」
 珊璞はそう言い放つと、くるりと背を向けて、厨房の奥へと入ってしまった。腹の虫が据えかねて、癇癪を起こし、また、白蓮婆さんに嘲笑されるのが嫌だったのだろう。

 珊璞の退場を横目に、じっと窓の外を注視していた白蓮婆さんの瞳が鋭く光った。
「ほほーう。これは面妖な。」
 白蓮は、にっと小さく笑いながら、可崘婆さんを手招きした。
「どーした?白蓮ちゃん。」
 可崘婆さんは、白蓮に促されて、近くへ寄る。
「どうやら、あの髪の毛が長い方の娘っ子、この御世の者ならざらぬ娘のようじゃぞよ。」
「あん?どういうことじゃ?あの娘、どこをどうとっても普通の人間じゃぞ。」
 いきなり、何を言い出すのだとばかりに、可崘が首を傾げる。
「いや…。人間は人間じゃ。じゃが、この時代にあるまじき者…とでも言うべきかのう。」
「この時代にあるまじき者?それはどういう意味じゃ?」
「ほれ、よう見てみられよ。あの娘、少しばかり、影が薄かろう?」
 白蓮婆さんが、意図的に、未来の影を指し示した。
「影がどうのこうのと言われても、ワシにはわからぬが…。」
「ならば、これではどうじゃ?」
 白蓮婆さんは、懐から虫眼鏡のようなものを取り出して、可崘婆さんの目元へと差出、覗いて見るように促した。
「おおお、これは…。」
 その眼鏡越しに、可崘婆さんは、未来とあかねの影を見比べて、息を呑んだ。
「この眼鏡は透視眼鏡と言ってな、この世ならざる者を見るのに用いる呪具なのじゃ。そら、髪が短い少女や他の人影に比べて、あの娘、俄然、影が薄かろう?あの影の薄さは、この時代に生きている人間ではないことを如実に物語っておるのじゃよ。」
「では、あの娘はこの時代に生きている人間ではないと?はて…。どうやって、迷い込んだのじゃ?」

 と、そこへ八宝斎がぴょんぴょん跳ねながら、あかねと未来の前へ現れた。
 窓の外の声は聞こえなかったが、いつものように、若い娘に目が無い助平爺さんのことだ。あかねと未来をからかっているようだった。怒ったあかねが八宝斎目掛けて、鉄拳を奮っている。その様子をつぶさに見ていた白蓮が、可崘婆さんに問い質した。
「あれは…。もしや、ハッピーかえ?」
 ハッピーとは八宝斎の古いあだ名だ。女傑族の村を荒らしまわっていた八宝斎のことを、白蓮婆さんも覚えていたのだろう。
「ああ、確かに、あれは八宝斎じゃが…。」
「ふーん…。ということは、南蛮ミラーが絡んでおるのやもしれぬな。」
「南蛮ミラーじゃと?」
 可崘婆さんは瞳を細めた。
 南蛮ミラーの元の持ち主は可崘婆さんだった。彼女の家に古くから伝わる女傑族の秘宝を、八宝斎がくすねて持って行ってしまったのだ。
「時をかけるのに一番手っ取り早いのは、南蛮ミラーを使うこと。確か、ハッピーの奴が、可崘ちゃんのところの南蛮ミラーを持ち出して行ったのろう?その後、どうなった?取り返したのか?」
「うむ。確かに、ハッピーが奪って行って、そのままじゃったな…。一度、過去へ遡ったこともあったが……ま、まさか…その南蛮ミラーを使って違う時代からやってきたとでも?」
 何かピンときたことがあったのだろう。可崘婆さんが声を飲んだ。
「ああ、恐らく、その「まさか」の公算が高いのではないかのう…。あの娘、未来で南蛮ミラーを使ってこちらへ迷い込んで来たに違いない。」
「ううむ…。そう言われてもなあ…。俄かには信じられぬ。」
「疑り深いのう…。どら、更に詳しく正体を探ってみようかのう…。。」
 白蓮婆さんは手にしていた「透視眼鏡」のフレーム辺りを、ごそごそといじり始めた。留め金のネジのようなものを、右手の親指と人差し指で摘んでぐるぐると回した。そして、やおら透視眼鏡を目元へと宛がった。
「ふふふ、ワシの予想通りじゃ。」
 そう言いながら、にんまりと微笑む。
「予想通りとな?」
「ああ、あの娘ら二人、お互い、濃き血で繋がっておるわ。ありゃあ、血縁者じゃな。」
「な、なんと!」
 可崘が驚きの声をあげた。
「ふふふ、相手がこの世界ならざる者であれば、これはワシの専門の仙術の範疇に入るぞよ。もしかすると、珊璞ちゃんの期待に沿えるやもしれぬ。いや、沿うてやろうかのう…。」
 にんまりと、白蓮婆さんが笑った。

「何あるか?二人、何を言っているあるか?」
 部屋の隅で、こそこそと話し込んでいる老女二人に、奥から出てきた珊璞が怪訝な表情を手向けた。
「喜べ、珊璞。どうやら、白蓮婆さんはおまえのために、一肌脱いでくれるようじゃぞよ。ライバルあかねを一掃して、今度こそ、婿殿を手中にできるぞ。」
 婆さんたちを見比べながら、怪訝な顔を差し向ける珊璞に、可崘は満面の笑みを返しながら言った。




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