■ ファイト一発! 味噌汁日和 2 ■
第二話 小あかね

三、

 未来が見た二十年前の世界は、自分が思っていたのと少し様子が違っていた。

 天道家が賑やかなのは、過去と少しも変わりはなかったが、不思議なのはやはり、父が変身体質を持っていたということである。未来が良く知る父親の乱馬は、筋肉隆々で、強くて逞しい熟年武道家だった。比較的まだ若かりし頃、母と結婚したため、同級生たちの父親の中では、若い方である。まだ三十代の男盛りの父は、友人達からも「未来のお父さんって格好が良いわね。」と羨ましがられる対象だった。
 その父が、半分、女を引き摺っている。

「何だよ…。俺の顔に何かついてるのかよ…。」
 水浴びをしたために、また少女の形をしている父を思わず珍しげに、じっと注視してしまった。そんな未来を、不機嫌そうな表情で見つめ返す乱馬。
「べ、別に…。」
「珍しいのよ。みくちゃんは。あんたの変態体質が。」
 あかねがバスタオルを渡しながら言った。
「うるせー。好きで女やってる訳じゃねえんだよ…。俺は。」
 確かにそうだろう。
「こいつったらね、中国で修行中にね、呪泉郷で呪いの泉に落っこちて、それ以来、水とお湯で男と女が入れ替わる、変態体質になっちゃったのよー。」
 あかねは、台所から持ってきたやかんから、お湯を注ぎながら笑った。
「だから、その変態体質っていう言い方は辞めろっ…つってるだろ!」
 湯気の向こうから少年が覗く。
 少年の姿の父も、未来にとっては十分すぎるくらい珍しかった。
 アルバムの写真で見たことはある。目の前に居る若い父。壮年の父よりも、若干、身体も細く、肩もなだらかである。何よりも、若い父もおさげを編んでいるのが可笑しくて溜まらなかった。未来の父の乱馬も、おさげを編んでいた。父に理由を尋ねると、おさげは昔からの俺のシンボルだったから…と素っ気無い答えが返されてくる。
(お父さんって、高校生の頃からもずっと髪が長くて、それをおさげにしていたのねー。)
 女に変身する体質をあまり思い出したくないのだろうか。父は、若い容姿が写った古いアルバムを子供たちに見せたがらなかった。学校の宿題だとか何とか言ってかこつけて、見せてもらったことは数回あるが、そんな折は、いつも不機嫌そうにどこかへ行ってしまう。母に若い頃のことを尋ねても、「うーん、あんまり今とは変わらないわねえ…。」とはぐらかされる。
 両人とも、若い頃のことを子供たちに面と向かって話すのが、照れくさいらしい。
 両親を飛び越して、爺ちゃんたちに尋ねても、あまり真面目な答えは返って来ない。婆ちゃん(のどか)に尋ねても「二人とも素敵だったわー。」、の一点張り。裏で両親が固く口止めでもしているのかもしれない。

 しかし、父も母も、こんなに若い頃から一つ屋根の下に一緒に暮らしていたのだ。

 未来にとっては、そのことの方が、衝撃的だった。
 いつだったか。あれは小学校の生活科の課題をしていた時だったか、二人の馴れ初めをちらっと耳にしたことがあった。自分史みたいなのを作った折、両親がどうして結婚したのかを、取材したことがある。その時、高校生の頃、一緒に住んでいたことがあると言っていたのを微かに思い出したのである。その事を飛躍解釈して、龍馬が「父さんと母さんは、高校生の時に一緒に生活し始めました。」と参観日に発表したときは、父母席からどどっと動揺の声が上がったのを覚えている。当然、それがどういう波紋を広げたのか、幼すぎて、未来にはわからなかった。

 が、何故、父は母の家に居るのだろう。当然の疑問であった。

「ねえ、あかねさん。あの乱馬さんとパンダの早乙女さんは、どうして天道道場(ここ)に一緒に住むことになったの?」
 と単刀直入に聞いてみた。
「早乙女のおじさまはうちのお父さんの古いお友達なの。一緒に修行した仲だったみたいで…。で、ちょっと、いろいろ訳があってね。家に居候をすることになっちゃったのよ。あ、あと、彼のお母さんも一緒に居るんだけど…。秋のお茶会だのなんだのって、お弟子さんたちと長期不在しているから、この連休中は家には居ないんだけど…。」
 のどかは、未来の時代でも、留守がちだった。お花やお茶の教授でもある彼女は、良く、上方へと弟子たちを伴って出かけてしまうからだ。
「ちょっといろいろ訳があって…かあ。歯に引っ掛けた言い方しなくても良いんじゃないの?」
 横からひょいっとなびきが顔を出した。
「お姉ちゃん、何よ。」
 あかねが見上げるのを諸共しないで、なびきは言い放つ。
「うふふ、みくちゃん。あかねと乱馬君はねー、許婚同士なのよー。」
 と付け加えた。
「い、いいなずけ!」
 脳天を一発、ガツンとぶん殴られた気がした。それだけ、刺激的な言葉だった。
「言い換えれば、フィアンセ、婚約者同士なのよ〜。」
「えーっ?本当なんですかあ?」
 キラキラとした顔を未来が手向けた。まさか、この時点で、もう、許婚の約を交わすところまで関係を進めていたのかと、時めいたのだ。
「ちょっと、お姉ちゃん!いい加減なこと言わないで!」
 あかねが顔を真っ赤にして、声を荒げた。
「あらー、本当のことじゃないの。隠すことないでしょう?」
「あたしと乱馬はそんな仲じゃありません!」
「何を今更…。お父さんたちが決めたこととはいえ、乱馬君はあんたの許婚であることには変わりないでしょうが。」
 なびきがあからさまにからかいにかかる。
「言っとくけど、形だけの許婚なんですからね。第一、あたしはあんな、変態、お断りよ!みくちゃんも、変な目であたしたちを見ないでねっ!」
 あかねはそう言い置くと、照れてしまったのか、どこかへ行ってしまった。その背中を見送りながら、なびきがみくに耳打ちする。
「ああ言って否定に走ってるけど…あの二人、かなりお互いを意識しているから、観察していたら面白いわよ。」
「は…はあ。そ、そうなんですかあ…。」
 まだ衝撃の許婚宣言が抜けきらぬ頭で、未来はなびきに頷いていた。
(すっごーい。高校生で許婚同士…。お父さんもお母さんも、やるわねえ…。)
 と心で吐き出しながら。

 だが、未来が思ったほど、父と母、二人の現実は甘い関係ではなかった。

「お邪魔するねー!」
 玄関先で声がした。
「はあい。」
 かすみさんの声がして暫く、茶の間へとずかずか上がりこんできた少女が居た。髪の毛が長く、チャイナ服を着ている。手には岡持を持っていた。
「乱馬に猫飯店特製の新メニュー持って来たね。食べるある。」
 少女はニコニコと笑いながら入って来た。
「よお、珊璞。」
 乱馬が目を転じた。と、あかねの顔がみるみる曇る。
「乱馬ぁ〜。久しぶりね。元気してたね。」
 いきなりであった。珊璞が乱馬に抱きついたのである。未来は目を白黒させて二人を見詰めていた。
「わたっ!珊璞!やめろ。こらっ!くっつくなっ!」
 シロドモドロしながら乱馬は身体をばたつかせる。だが、珊璞は顔を摺り寄せながら甘い声を出す。
「このところ、猫飯店に来ない。私寂しかったあるよ。たまには顔みせて欲しいね。愛人(アイレン)。」

「アイレン?」
 未来が聞き返す。
「中国語で愛しい旦那さまっていう意味らしいわよ。」
 お茶を持って来たかすみがにこやかにそれに答えた。
「何で、お父さ…乱馬さんがあの子のアイレンなの?」
 合点が行かないという顔であかねを見返した。
「知らない!将来結婚でもする気なんじゃない!」
 あかねが、あからさまに不機嫌そうに答えた。
 いちゃいちゃベタベタしていた二人を怪訝な目で見ていた未来の耳に、今度はまた別な声が響いた。

「邪魔するでぇーっ!」

 威勢の良い関西弁だ。
「はあい…。」
 かすみの返事宜しく、今度は半天のような変な格好をした髪の長い少女が、これまた勝手知ったるという具合に入って来た。
「お好み焼きの新メニューお届けや。今日は乱ちゃんに特別大サービスやで!食べたってや!!」
 関東訛りが入った独特な関西言葉が茶の間へ響く。あかねはこれまた、一層不機嫌な顔になった。
「あらあら、右京ちゃん、いらっしゃい。」
 かすみがおっとりと迎え入れる。
「何や、珊璞!うちの乱ちゃんに何へばりついてんねん!」
 茶の間へ入るなり、今度は右京が声を荒げた。
「何しようと、右京には関係ないね。乱馬は私の婿殿。」
「何勝手言ってるねん!乱ちゃんはうちの許婚や!」

 二人が乱馬の両脇に立って、もめ始める。

「こらっ!皆何勝手なこと言ってやがる!」
 真ん中でもみくちゃにされながら、乱馬が叫び声を上げた。
「ちょっと!てめえらっ!あかねっ!何とか言ってくれよ。」
「ふんっ!勝手にやってなさいな。もてもて乱馬君。」
 これもいつもの調子だ。

「ごめんくさださいまし!」
 また玄関先で女性の声がした。
「はあい…今日はお客様が多いわ。」
 再びかすみが返事をすると、またまた別な少女が現れた。
「乱馬様にわたくし謹製のクッキーなどお持ち致しました。」
「あらあら、小太刀さん。」
 かすみが招き入れると、これまた、何よという視線をあかねが手向ける。

「まあー!あなた方、私の乱馬様に何をなさいますやら!」

 ややこしい時に、ややこしい少女たちの立て続けの来訪である。

「おまえ、何しに来たね!」
 珊璞が小太刀に向かって言葉を荒げると同時に、三人の小競り合いが始まった。
「最初にラーメン運んで来たのは私ね。順番は守るね!」
「何言うてんねん!乱ちゃんはうちの焼くお好み焼きが一番の好物なんや!」
「ほーっほっほほ!笑止!ラーメンやお好み焼きなど下賎な食べ物は乱馬様には向きませぬ。さあ、九能家で豪華な私のフルコースを!」

「何勝手なことばっかり言ってんだよ!」

 万事この調子である。
 あかねはまたかと言う顔をした。
「お母…あわわ、あかねさん。あの三人は?」
「ああ、あれね。乱馬のガールフレンドよ。皆、乱馬にベタぼれしてるの。あーんな優柔不断男のどこが好いのかしらねっ!」
 吐き捨てるように言った。
「でも、あかねさんが乱馬さんの許婚なんでしょ?」
「許婚ったって、親が勝手に言ってるだけよ!あたしはあんな奴、どうでもいいわよ。」
 あかねの顔が曇ったのを見て、何かが未来の心を突き上げてきて、弾け飛んだ。

『お父さんあんまりよ…。これじゃあお母さんが可哀想じゃない!』

 未来の世界で、母のあかねともめていたことなど、未来はとうに忘れていた。娘心に、父親の不甲斐なさが許せなかったのかもしれない。十五歳の少女の潔癖観は、目の前で繰り広げられる父の行状を放っておけなかったのである。

 誰の作ったものを乱馬が食べるかを巡って、迷惑な小競り合いがお茶の間で、それもあかねの目の前で繰り広げれらている。

「あらあら、乱馬君、今日のお夕飯はいらないのかしら。」
 かすみがのほほんと言った。
「夕飯は猫飯店ね。」
「いいや、お好み焼きや!」
「あたくしのディナーですわっ!」
 それぞれ睨み合いながら自己主張を続けた。一触即発。不穏な空気が茶の間を漂い始める。
「おい、あかね…。何とか言ってくれよ。」
 乱馬は困惑顔をあかねに差し向ける。この状況を止められるのは彼女しか居まい。そう判断したのだろうか。
「あたし、知らないわ!勝手にやってなさい!」
 あかねはこれまたいつものように冷たく言い放つ。

 と、その時だった。

 バチン!

 何を思ったか、乱馬の頬を未来が思いっきり、ひっぱ叩いたのである。
「何するね!」「何や?」「何事?」
 三人娘は一斉に、未来の方を見やった。
「乱馬さんは、この家であたしが作ったお夕食を召し上がります!皆さんは帰って下さい!」
 キッパリと言い放った。
「な…?」
 乱馬も打たれた頬を撫でながら、未来を見詰め返した。
「何言出だすね!」
「そうや、あんたにそんな権限あらへんやろ?」
「まあ、ずうずうしい!」
「そもそも、あんた誰やねん?」
「見かけない顔あるね!」
「いきなり、お夕食を作るだなんて、何てことですの?」
 ぼそぼそと三人娘が言い出そうとしたのを、未来は言葉で止めた。
「いいえ!乱馬さんの夕飯を作るのは、弟子のあたしの義務です!さあ、皆さんは、お引取りください!」
「お、おい…。」
 乱馬が目を丸くしながら未来を見返す。
「乱馬さん!あなたはここでお夕食です!それでいいですね?」
 ぐいっと念を押しながら睨みつける。
「お…おう。」
 乱馬はただ、固まって未来を見詰め返した。
「男ならはっきりなさい!それでいいですねっ!!乱馬さんっ!」
 更に声を荒げて未来は乱馬を激しく睨んだ。
「あ…ああ。」
 思わず首を縦に振った。何故か、この少女には逆らうなと、乱馬の本能が警鐘を鳴らしたのである。
「乱馬さんがそう言っているんです!さあ、皆さん、お引き取り下さい!!」
 未来はさっさと、三人娘を離散しにかかった。
 三人は度肝を抜かれたまま、彼女の言いなりになって、それぞれ持って来たものを手に渋々と茶の間から退散を余儀なくされた。

「ひょおー、あの子なかなかやるじゃん。」
 一部始終を廊下から見ていたなびきが咽喉を鳴らした。
「そうね。あの三人娘を有無も言わせず黙らせちゃう剣幕、それから、乱馬くんをぐいっと引っ張って是と言わせるなんてね。あかねちゃんの上手をいくわね。」
「何はともあれ、茶の間が戦場にならなくて、やれやれね、かすみお姉ちゃん。」
 この二人のあかねの姉は、マイペースな会話を繰り広げながら、未来を見た。
「何も壊れなかったわ。三人とも珍しく大人しく帰ってくれて、良かったわ。」
 とにこっとかすみは笑った。
「ま、皆、納得いっていないでしょうけどね。」


「あかねさん、ご飯作りましょう。腕によりをかけてね。」
 未来は傍らで成り行きを眺め、呆けていたあかねに声を掛けた。
「え、あ…。そうね。そろそろ夕飯の仕込みをしないといけない時間だものね。」
 そう言って台所の方へと連れ立って行ってしまった。


四、

 納得がいかないのは三人娘の他にも居た。そう、乱馬であった。

「くっそー!何で言い返せなかったんだ?あんな小娘如きに…。おまけに平手打ちまで喰らわされて!」
 ぶつぶつと縁側で、暮れなずむ秋の夕陽を眺めていた。
 一瞬、完全に、気を飲まれていた。
 確かにあの時の未来からは、あかねと同じ類の気が発せられていた。あかねに逆らえないように、彼女にも逆らえなかったのだ。
(こんなことは初めてだぜ…。)
 そう、言い換えれば、あかねと同じ気を、未来は持ち合わせていた。
 なびきやかすみも同じ血が流れているから時々、あかねと同じ気の波動を感じることがあるが、未来のそれは彼女たちの気よりもずっとあかねに近かった。
(あかねと同質で、いや、あまり変わらないというか何と言うか…。)
 あかねが二人に増殖したような、不思議な感覚。
(たく…俺が反応できなかったばかりか、あいつめ!思いっきり引っ叩きやがった!)
 未来に張られた左頬はまだジンジンと痛む。かなりの馬鹿力だった。
 あかねの攻撃からも、逃れられない己。いや、あかねだからこそ、いつも避けない。
 ビンタはあかねから放たれた物だと思っていた。だから避けなかった。なのにである。飛ばしてきたのはあの少女。
 セミロングの髪は、髪が長かったあかねと、ショートの今のあかねと丁度中間くらいの髪。後ろに一つにポニーテイルにしている。
「あいつ…。そもそも何者なんだ?弟子にしてくれって来たけど…。で、何故、俺ともあろう者が、あいつのビンタが避けられなかったんだ…。」
 いくら考えても乱馬には結論が出なかった。勿論、己とあかねの子供だということまでには、考えが及ぼう筈もない。

「何ブツクサ言ってるの?」
 なびきが面白おかしそうに乱馬に声をかけた。
「別にぃ。」
 ぶくっと頬を膨らませながら、乱馬はなびきを見返した。
 心の中を見透かされているようなバツの悪さが駆け巡る。このあかねのすぐ上の姉は、金の亡者であると共に、人の心理状況を的確に掴んでくる。そして、容赦なく揺さぶりをかけてくることがあるのだ。出来る限り、彼女の前では、己の弱みや動揺は見せてはならない。いつものように、今回も関わるなと本能が警告を発する。
「ねえ、あの子のこと、気になってんじゃないの?」
 ほらきたぞと乱馬は身構える。
「別にっ!」
 ちらっと上目遣いでなびきを見上げながら答える。
「何だかねえ…。今、台所は大変なんだから。」
 なびきは笑って見せた。
「そりゃあそうだろうぜ…。あかねが台所に立ってるんだったらな…。」
 不器用極まりないあかねが台所に立っているのだ。大騒ぎも当然という顔を乱馬は示した。
「まあ、ちょっと覗いて御覧なさいな。面白いものが見られるわよ。」
 なびきがふふふと笑う。そう言われては、気にならない筈がない。
「ちぇっ!何がそんなに面白いんだよ…。」
 と言いながら、先にたって先導するなびきに続いた。

 廊下に出ると、奇声が聞こえてきた。
「てーっ!やーっ!とおーっ!」
「それっ!ほいっと!!」

「な、何だあ?」
 
 乱馬は聞耳を傍だてた。
「良く見て御覧なさいな。ほら…。」

 のれんをこっそりと掻き分けて、台所の中を見た。
「うへっ!」
 そう言ったきり黙りこむ。
 台所の中は、戦場だった。
 あかねはいつものように、力任せに野菜を包丁で刻んでいる。その横では、未来が同じように、なにやら力任せにこねくり回しているのである。未来はあかねと同等、いや、それ以上に不器用に見えた。
「ね、凄いでしょ。」
 なびきが乱馬を見た。
「た、確かに…。すげえな。」
 そうとしか言葉が継げなかった。
「まるで、あかねが二人になったみてえだ…。」
 ボソッと吐き出す。
 エプロン姿のあかねと未来は、互いに、奇声を発しながら、料理と格闘をしている。そう、食材や調理器具とあからさまに決闘しているような意気込み方だった。しかも、漂ってくる匂いは物凄い。
(ひょっとして、あれを全部、俺が食わせられるんじゃあねえだろうな…。)
 そう考えが及んだとき、乱馬は後ずさり始める。
「おれ…やっぱ…遠慮してえや…。」
 そう言って退散を決め込みに掛かった。
 と、
「あら、乱馬。もう少しでお夕食だからね。」
 かすみが背後で笑っていた。いつの間に後ろを取ったのか、にこやかに乱馬を見つめている。時々、この天道家の長女が空恐ろしく感じることがある。やはり、あかねと同じ血を受けているのか、かすみの微笑みは時に薄ら寒さを覚えさせられるのだ。特に、ご飯を残したときや、干しあがった洗濯物を過って汚してしまった時などに。
「あかねちゃんとみくちゃんが腕によりをかけてくれているのよ。乱馬君。ダメよ、せっかくのご好意を無駄にしちゃあ…。」
 不気味なほど清廉な笑顔を乱馬へと手向けるかすみ。最悪だった。
(畜生…。に、逃げられねえーっ!)
 観念せざるを得ない。

 結果、最悪な展開が乱馬の行く手に待っていた。

 茶の間に並べられた料理。かすみが作ったいつものおかずの間に、なにやら黒こげになったものや、物凄い匂いを発する、得体の知れない料理が並んでいる。
 乱馬はあかねと未来の間に、ちょこんと神妙に正座している。
 逃げたいと思ったが、かすみに念まで押されていた。結局最後まで逃げられなかった。
『あんたのために作るって二人とも張り切ったんだから…。逃げたら、後でどうなっても知らないわよ…。』
 台所を覗いた時、なびきにも言われた。
(ぐ…。これじゃあ、逃げた後で、二人に小突き回される方が、まだマシだぜ…。)
 そう思いながら、目の前にドンと置かれた皿を見る。凝視に耐えられないその皿の上には、訳のわからぬ惣菜がテンコ盛り。
 早雲も、玄馬もじっとその皿と乱馬を見比べた。
「乱馬くん。良かったなあ…。あかねとみくくんが、腕によりをかけてくれて。あっはっは。」
「この幸せ者めえっ!」
 早雲と玄馬が二人して乱馬に檄(げき)を飛ばした。
「おじさんと親父も、一緒に食おうぜ。こんなに沢山、一人じゃあ食えねえからよ。」
 そう語りかける乱馬の声が、心なしか震えている。
「あ、いや、これは乱馬くんに作ってもらったものだから…。」
「ワシらはこっちの分だけで十分じゃよ、あは、あはははは…。」
 必死で辞退しようとする父親たち。
「そーんなこと、言わずによ。遠慮すんなよー、一杯あるしよー。」
「お父さんたちやおじさまも食べてくださってもいいわよ。沢山作ったから。」
 あかねが、にこっと笑った。
「ほうら。あかねもああ言うんだ。ここは皆で食べるのが妥当だぜ…。」
「あは…あははは。」
「乱馬君、余計なことを!」
 食卓が急に沈んだように静かになった。
 目の前は地獄絵図のような料理が繰り広げられている。少なくとも乱馬にはそう見えた。
 乱馬はゴクンと唾を飲み込んだ。空いている腹が、何故か萎えてしまったように思える。旺盛な食欲も、この料理の前では無力化してしまた。ダイエットするには、あかねの料理を食うに限る。そんな言葉が脳裏を駆け巡ってゆく。

 地獄の時は来た。

「さあ、みんなでいただこう。」
 早雲の合図に天道家の人々は箸を動かし始めた。
「乱馬、沢山食べてね。」
「あたしとあかねさんが、腕によりをかけて作ったんだからね…。」
 両脇の少女たちは、ニコニコ顔だ。
「こっちはあたしが、で、あっちがみくちゃんが作ったのよ。」
 あかねが嬉しそうに説明してくれる。
「ああ…。」とか「おう…。」とか頷きながら、乱馬は箸を持ったまま固まっていた。この先を一歩踏み出すには相当な勇気と勢いが要る。多分、根性もだ。
 二人にじっと見詰められながら、乱馬は恐る恐る箸を料理に持ってゆく。
 まずは、あかねの料理からだ。
 彼女の不器用さは天下一品。おまけに味覚音痴も相当なものだ。彼女の作ったものは「不味い」。その事実だけは曲げられないだろう。
 得体の知れぬ欠片を、一つ取ると、えいままよと云わんばかりに、口へと放り込んだ。
 ツーンと不味さが輪になって乱馬の脳天をぶち抜いてゆく。
「うぐ…。」
 そう言ったまま固まる乱馬。意識が一瞬、彼岸へと飛びかけた。
「どお?」
 あかねが乱馬を顧みた。
「おめえ…。味見したか?」
「ううん、してない。不味い?」
「頼むから、味見してくれ…。食える代物じゃねえぞ!」
「何ですってえ?」
「おっと…。今度はみくのを食ってみる。」
 乱馬は返す箸で、未来の料理を摘み上げた。と、沢庵の尻尾よろしく、ずらずらっと材料が連なっていた。
「あらあら、ちゃんと包丁が入ってなかったかなあ…。」
 未来はそう呟いた。
(いくら何でも、あかねほどの不味いものは、みくは作らねーだろうよな。)
 それが乱馬の考えであった。幾分、あかねのよりも、色合いは良い。まだ、食材の元の色が薄っすらと残っていて、人参や大根やキュウリといった野菜が判別できるだけまともそうだった。
 だが、見事期待は裏切られる。未来にあかねの血が入っていることなど、想像だにできなかった。
 乱馬は未来の料理を一口入れた。
「うぐ…。」
 また言葉に詰まる。天道家の人々は、一斉に箸を止めて乱馬を見やる。
 乱馬が白目を剥いた。
「ちょっと、乱馬くん?」
 なびきが手をかざして見た。
「あ…。意識を失ってる。しょうがないわねえ…。そうら!」
 パンと手を目の前で叩くと、乱馬の正気が戻った。
「乱馬?」
 あかねが見返すと、乱馬は二人を見比べながら言った。
「頼む!料理を作るときは、味見してくれ!てめえらのその舌でよ!食えたもんじゃねえぞ!これは。」
「何がよ。意気地がないんだから。」
「料理に意気地の有無は関係ねえだろうがっ!」
「どらどら…。みくちゃん、食べっこしてみましょうか?」
 あかねと未来の二人は、交互に箸を持って、己たちの作った代物を口に入れた。

「うっ!」「くっ!」
 二人とも詰まった。意識が一瞬、彼岸へと飛ばされたようだった。



「う〜。畜生…。なんで俺が…。」
 数時間後、自室にうつ伏せになって転がる乱馬が居た。
 渋々あの不味いあかねと未来の創作物を胃袋へ押し込んだのである。あかねのものだけならまだしも、未来のとあわせてチャンポンである。それが、どのくらい大変なことだったかは想像にかたくないだろう。
 何故そんな無茶をしたかというと、両人、不味い料理を前に、何とも情けない顔を傾けて半べそをかいていたからだ。うっすらと涙を浮かべて、憂いている顔に胸が詰まったのだ。
「わかったよ!とりあえず、胃袋へ入る分、俺が食ってやる!」
 ヤケクソだった。火事場のバカ力に匹敵する。
 その後は息もつかさず、片っ端から、料理へと箸を進めた。喉につめ、水をがばがばと飲みながら、とにかく食った。平らげるまではいかなかったが、それでも皿に盛られた半分は食ったと思う。
 が、そこで力尽きた。
 ツーンと広がる、異様な味に、乱馬の体が耐えられなかったのだ。
 耳元に遠ざかる家族の怒声。その中でとうとう気を失ってしまったのである。
 

「本当にあかねが、二人居るみたいだぜ…。ぐぞーっ!小あかねめっ!」
 目の前を小さな白い鳩が数羽、クルクルと飛び回っている。星まで一緒にグルグル駆け巡っている。そんな気がした。
 頭には冷やされたタオルが乗せられている。
 誰が運んでくれたのか、奥の自室へとそのまま寝かされたようだ。辺りは静けさに包まれている。
「う〜、ぢぐじょ〜。ダメだ…。」
 目の前を飛ぶ鳩は、一向に消え去る気配は無い。
「何で俺がこんな目に合わされなきゃならねーんだ!畜生ーっ!」
 
 乱馬はそう吐き出すと、再び、意識を失ってしまった。




 前作はここで打ち切りとなっておりました。
 で、ここまでの間、基本的な設定もいくつか作り変えています。未来とあかねたちの年令設定や未来の家族構成など。再開に際して、テーマが変わったのでプロットの修正が必要になったためです。
 前のままでもプロットは繋がりますが、設定が全く変わっておりますので、再読してやってくださいませ。
 さて、この先は止まって数年でした…。続けてお楽しみください。


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