■神有月■
第二話  身供物


一、

 年取った神主さまも親父たちも、そして、俺すらも、止める手立てなく。

「なら力ずくやっ!」
「手加減はいたしませんわっ!」
「勝った者が乱馬と神前試合するねっ!」
「望むところよっ!!」

 あっちゃーっ!
 止める間もなく、いきなりのバトルになっちまったのだ。
 親父もおじさんも、神主様も、目を白黒して、彼女たちの戦いぶりを見詰めているだけだった。
 止めようにも止められない。それくらい鬼気とした戦いっぷり。
 女は怖いぜ…。いやマジで。


 暫し、唖然。









「これは…。何ということだ!」

 バトルの後は悲惨な状態。
 本殿に用意されていた祭りの神具や奉納絵馬は散乱している。罰当たりなご神体壊しどまではいかずとも、そこここ、きしみが来ている。
 あの四人が四つ巴の戦いを繰り広げたのだ。
 まあ、狭い本殿では思い切り動けなかったから、すぐに境内の方へと抜け出てはいたが、神主さまは放心状態。怒る気力も削げ落ちてしまったといわんばかり。
 ズタボロの御神具やら作り物やらどうすんだよ…。

 場の一同の非難の目は、なぜか俺に集中し始める。

「乱馬君っ!どうするんだい?この状況…。」
 早雲おじさんがひゅーどろどろと巨顔化して俺に迫ってくる。
「そんなこと言われても…。」
 俺はすっかり小さくなって片隅へ追い遣られる。
「これじゃあ、お祭りだってちゃんとできるかどうか…。乱馬くぅんっ!」
「は、はいっ!」
 ちんまりと正座するしかなかった。
 表ではまだ争いが続いているようで、少女たちの奇声が飛び交っている。
「この罰当り者があっ!」
 親父が人間に戻って食って掛かる。
「うるせー、俺には…。」
 俺には罪がねえと言おうとしたときだった。

「ふっ、ふふふふふ。」

 神主様が切れてしまったのか、不気味な笑いをおっぱじめた。
「神主様?もうし…。」
 その鬼気とした雰囲気に、おやじがそっと覗き込む。

「今年はここが五穀豊穣の祝い事の中心になるはずじゃったに…。ここで出雲へ行かれる神々に神前試合やらご馳走饗宴に楽しんでいただく筈じゃったに…いひひひひ。」

 尋常じゃねえ。
 そう思ったとき、神主様はがっくしとうな垂れた。まあ、この周りの様子じゃあ、そういうふうに気落ちするのも当然ってもんだ。
 それから神主様はそのまま床へと臥せってしまわれた。
 う゛ーん、う゛ーんと布団の中。御神事、御神事とうわ言まで。
 たはは、こりゃあ弱ったぞ。
 臥せった神主様を取り囲みながら、俺や親父たちは顔を見合わせる。巫女さんや社務所の人たちも心配げに覗き込む。

「困りました。」

 ほとほと困り抜いて、神主様の息子さんが俺たちを見比べる。
「ほんに、どのようにお詫び申し上げてよいやら…。」
 早雲のおじさんが神妙に座り込む。俺もあかねも無口だ。
 結局四つ巴の争いは、決着が付かず、それぞれ少女たちは家に帰って行く。あいつら、いつも暴れるだけ暴れて、あとは知らん顔だものな…。
 残ったのは俺とあかねと親父たちそしてなびきの五人。

「御神事の用意はあの様ですし…。祭事は明日。今から八方手を尽くしても間に合いませぬ。」
 溜息がどこからともなく漏れる。俺は黙ったまま俯く。
「まあ、方法はないではないが…。」
 奥から一人の婆さまが蜀を持って表れた。巫女装束。真っ白な髪が後ろにくくられていて、ちょっと異様な雰囲気をかもし出していた。
「ばばさま…。」
 そういって若い神主の息子は婆さんを見返した。
「方法と言いますと?この際、何でもご協力いたします。」
 早雲が低い声で言った。まあ、当然のことだろう。
「開かずの洞穴へ一晩、入っていただきますじゃ。」
「開かずの洞穴?」

 こういう古い寺社仏閣には、必ずといっていいほど、不思議な空間が開けているという。修行のために作られた場所だったり、妖怪や物の怪の類を封じた場所だったり、その形態は様々であるが、都会の真ん中とは思えないような場所がこの神社にも存在するようだ。
 開かずの洞穴。聴くからに妖しそうな場所じゃねえか。

「その洞穴は神々の住む他界へと直結していて、何か罪を犯したものが居ると、決まってその穴に一晩鎮座して、許しを請うた。そのような場所でございます。」
 婆さんが皺を寄せてにやあっと笑った。思わず背筋がぞくっとする。
「忌み篭りの場所ね。」
 なびきがふっと言葉を継いだ。
「まあ、そのようなところでございますじゃ。」
「わかったわ、元はといえばあたしがまいた種ですもの。そこへ一晩座っていればいいんですね。」
「あかねっ!」
 早雲おじさんが思わす声を漏らした。
「お父さん、心配しないで。あたしなら大丈夫。」
 あかねは気丈にもにっこりと微笑んだ。
「なら、俺が…。」
 そう言い掛けて婆さんに制された。
「これはこの女子の務めじゃ。それに、そこは男は入ること敵わぬ場所なものでな。」
 婆さんは言葉を切るように言った。
「乱馬、これはあたしが犯した罪だから、あんたには関係ないわ。」
 また、この女は強がりを。だけど、一度言い出したら引かないのがこいつだ。多分、周りが何と言って咎めても、自分の道を猛進するつもりだろう。となると、黙って見守るしかないのかもしれねえ。
 
 結局あかねは、自らそのバツを受けることを承諾しちまった。

 おじさんはいつものように、おろおろとしていた。
「まあ、それで事がすんで、こっちも身銭を切らないでいいなら。」
 なびきは淡々としたものだった。
 おめえ、冷たすぎねえか。金出さないですんだらそれでいいって了見かよう。

「じゃあ、明日まで、あかねさんはこちらへ…。」
 婆さまに先導されて開かずの洞穴へ。

 洞穴というよりは、祠穴(ほこらあな)と言った方がしっくりくるような場所かもしれねえ。神社は小高い山の上に鎮座していたが、その本殿の丁度裏側に沿った崖あたりにばっくりと岩穴が開いていた。一応それらしく注連縄が張られ、結界を作っている。
 都会の喧騒がどこからともなく響いてくる神社だったが、日暮れて見るその岩穴は不気味だった。
(大丈夫か?)
 そう投げた俺の視線を気丈さで薙ぎ倒して彼女は進む。たく、本当は恐怖心でいっぱいなんじゃねえのか。おまえ、怪談とかこういう雰囲気の場所得意じゃねえだろう。

 婆さんはジャラジャラと持っていた鍵を手繰り寄せて、その一つをおもむろに取り出す。そして大きな錠前に差し込んだ。
 ガッキと硬い音がして錠前が外れた。思わせぶりな木の格子戸。その向こう側からむっと湿った空気の匂いがした。
「あんまり気持ちのいい処じゃねえな。」
 ふっと漏れる言葉。
「殿方はこの注連縄から向こう側へは入れぬ。そういうしきたりになっておるから。」
 そう言って制された。
 巫女衣装に身を包んだあかねが神妙に身構える。
「まあ、夏場ではないから、この先に不快な虫は居ないと思うがのう…。っほっほっほ。」
 こらこら、婆さん。そりゃあ禁句だろ?確かに蒸し暑さはもうない季節だし、夏場みてえに気持ちの悪い虫は居ないかも知れねえが、でも、不気味だっつーことには変わりねえ。おまけに真っ暗ときてるからな。
「この奥まったところに祭壇がありますから、そこで一晩、己の犯したことへの贖罪をなさるがええ。蜀明かりは灯しておきますじゃ。それから、何かあったらこの糸を引くが宜しい。そうしたら小鈴が鳴ってこちらまで聞こえましょうから。っほっほっほ。」
 だから、婆さん、その不気味な笑いやめろっつーの。怖いぜ。

「おい…。こっから向こう側には行けねえようだが、俺もここに居てやっから安心しな。」
 
 ぼそぼそっと耳元で囁いてやった。
 まあ、四人娘が絡んだ案件だから、俺に全く関係ねーって言い切れねえし、やっぱ心配だもんな。
 普段ならあいつも「要らぬお節介よっ!」って一蹴するだろうが、さすがに何となく鬼気としたものを感じたのだろうか。コクンと力なく揺れる頭。

「明朝、新しい太陽が昇ったらここの扉を開きますけえ…。」

 何だか牢獄につながれる美少女のように、あかねは静かに洞穴の奥へと消えて行った。

 で、俺は一晩、注連縄ギリギリのところに陣取って、あかねを待つことにした。まあ、誰に言われるまでもなく、そうしようと決めていたからな。
「おじさんやなびきは帰れよ。後は俺が見届けるから。」
 と言った。
「乱馬君、頼んだよ。」
 まあおじさんも、俺がすぐ側にいたら安心だと思ったのだろう。
「これ以上神罰喰らったら立つ瀬ないからね…。わかってると思うけど、洞穴に入って…なーんて考えちゃ駄目よ、乱馬君。」
「あほっ!そんな罰当りするかよっ!」
「あーら、あんただって健全な男の子だからねえ…。あかねを目の前にして我慢してられるの?」
 何だよその目。俺はそんな野獣みてえなことはしねえぞ!あかねが隣に寝ていたってそんなことしねえぞっ!…多分。……寝顔が可愛すぎたら自信ねーけど…。



二、

 人気がなくなった夜の空間は、何となく心細げだった。
 すぐ神社の下には大きな幹線道路が走っている。だから、時々思い出したように車の喧騒が聞こえてはくるが、かえってそれが周りの静けさとあいまって、不思議な空間を作り出していた。空はネオンのせいで殆ど星も見えねえ。見えても明るい等星までだろう。落ちてくる星なんてことは決してなかった。
 でも、覆い被さるように生えている木々。鎮守の森というだけあって、都会の真ん中にあっても、暗い。がさがさと常緑樹が風に枝葉を揺らせている。

「あかねの奴、大丈夫だろうな…。」

 俺は膝を組みながらその場へと佇む。
 こういう野宿は親父との修行で慣れてるから何ともねえ。ただ、十一月ともなると、夜は冷えてくる。寝袋持って来たほうがよかったかと思ったが、我慢した。あかねの奴も、一人この洞穴の中で耐えてるんだ。俺だって。

 深々と下りてくる都会の神社の夜の闇。
 いつしかおれはこくりこくりとまどろみ始めていた。
 

 俺とそいつが会ったのは、多分、その洞穴の前だ。
 夜中何となく身の回りが騒々しくなり、まどろんでいた俺の目が開いたのだ。

「困った、困ったぞっ!!困った。」

 そいつは俺のすぐ側でそんなことを言いながらグルグルと巡っていた。

「おい…。」

 俺は思わず声を掛けた。
 そいつは俺の声に気が付かないのか、無視を決め込む。

「こらっ!そこのちびっちゃいのっ!!」
 俺は凄んで睨み付けた。

「わわわ…。」
 そいつは腰を抜かしたように俺を見上げて後ろ向けに転んだ。
「あんさん、ワシのこと見えはるんだっか?」
 何だ?こいつ、関西方面の口調だな。にしても…。
 俺はじろっとそいつを見た。
 そいつは、小さい。子犬、いやもぐらくらいの大きさしかないんじゃねえか。掌サイズの小人だった。しかも、錦糸でできた薄紫色の直衣(のうし)のような着物にちょび髭。そう、ちっちゃな大黒さんの人形が動いている、そんな感じだった。
 え?普通そんな奴が目の前に現れたら驚くのが当たり前だろうって?まあそうかもしれねえが、とにかく、俺の回りは科学を無視した奴等が多いんでな。大方、小人溺泉にでも溺れた類の人間が立っているくらいしか思えなかったのだ。

「へえ…。わてが見えるんだっか。おまけに驚きなさらんか。まだこの世の中にそんな御仁がいまんねんなあ…。。」
 その男は俺のほうをまざまざ見詰め返してきた。
「おまえ誰だ?こんな真夜中にこんなところで何やってるんだ?」
 俺のほうも思いっきり疑問を投げかけてやった。
「いや…。ここの神社はん、この国の今年の豊穣祭の御調(みつぎ)神社と伺って来ましたんやけどな…。どこ探してもそんなもんがおへんのや。あんさん知りまへんか?」
「豊穣祭?御調神社?」
「あんさん、ここの関係者の方でっしゃろ?……御調物(みつぎもの)や願い事の入った絵馬とか知りまへんか?」
 何だか良く事情が飲み込めなかったが、神具や絵馬なら昼間、四人娘のバトルで殆どが粉々になって砕けたから、俺はそのくずが山となっている神社の裏の札などの廃棄所へ案内した。
「多分、この瓦礫の中にあると思うけど…。」

「な…。」

 そう言うなり奴は絶句。

「こりゃまた…。御調物や願い事の絵馬がけちょんけっちょんに…。」
 白んで見えた。
「ま、何だ、ちょっとした事故があってよう…。」
「事故…。あんさんだっか?こんな酷いことしはりましたの。」
「ち、違わあっ!(ま、責任の一端はあるにはあるけど…。)」
「ほな、何でこないなことに…。」
 小人はへたっと座り込んだ。
「てめえ、で、何なんだ?その御調物とか絵馬に関係あるのかよ。」
 と、小人はいきなりいきり立った。
「えっへん、ワシは出雲のお使いでおま。」
「出雲のお使い?何だそりゃ…。」
「あんさん、出雲の神様知りへんのか?この神社の関係者やおまへんのか?ここをねぐらにしてるただの浮浪者だっか?」
 失礼な奴だな。俺は浮浪者とは違うぜ。そう思ったがぐっと飲み込んだ。
「まあ、関係者とはちょっと違うけどな。明日の朝までここで見張ってねえといけねーんだ。ちと訳有で。」
「そうだっか。はあ…。今年の御調神社はここやって聞き及んで来ましたのに…。そしたら、こないなことに…。はあ、困った。」
 小人は思いっきり困ったという顔を手向けた。
「何で困るんだよ…。」
 俺は奴を前にどっかと座りなおした。
「御調神社から御調物と縁結びの願い事の絵馬を預かって帰るのがわての役目でおます。で、今年はこの神社が御調神社の番に当たってるって聞き及びましたから、どのくらい集ったか様子見て来ましたんや。そしたら、あんさん、この状態。」
 はああ、っと溜息が一際大きく漏れた。
「その御調物を持って帰らねーとどうなんだ?」
 その先へと疑問は及ぶ。
「そら、あんた、宴会が荒れまんがな。宴会がっ!」
「宴会?」
 どういう了見かますます分からなくなった。
「あんたはん、知りまへんのか?この月はこの国中の神様たちは皆「出雲国」へと集って大宴会を開きますのやおまへんか。そやし、俗には「神無月(かんなづき)」言われてまっしゃろがっ!」
「神無月ねえ…。今、十一月だから霜月だと思うんだがな。」
 俺は小首を傾げた。
「アホかいなっ!この神事ごとは旧暦、太陰暦で動いておますんやっ!今十一月っちゅーんは新暦、太陽暦でおまっしゃろっ!知りまへんのかっ!」
 パコっとそいつに頭からどつかれた。
「てっ!痛ってーなっ!」
「ほんまに、アホに花咲きまっせ。その頭。」
 大人気ないと思ったがぱっつんと切れそうになった。
「で、宴会が荒れたらどうなるんでいっ!」
 拳をぎゅっと握りこめてそいつへとまた問い返した。
「そやし、来年の縁結びができまへんがなっ!あんさんっ!この国中から結婚でける人間がなくなるっちゅーことは豊穣も得られまへん。それどころか、出雲の神様たちのお怒りに触れまっせ。ああ、怖い。」
 何のこっちゃ。
「出雲の神様たちは祟り神に変化すると、たいそう怖い方々ばかりでっからなあ…。わて、知りまへんで…。」
「なるほどな…。で、具体的にはどうすれば…。」
「そうですな、身供物(みくもつ)の女子を捧げればよろしいですがな。」
「あん?身供物だあ?」

 その時だった。暗闇がゴトンと蠢いたような気がした。
 俺は武道家だから、気配がある程度読める。
「な、何だこの気配っ!」
 地面から何かが這い出てくる。そんな異様な気を感じたのだ。

「ほお…。もしかして、この有様に、すでに、身供物の女子を捧げてくださっとりましたか。」
 小人はにっと笑った。
「身供物の女子?」
 俺は思いっきりはっとした。この気配、まっ直ぐにあかねの居る方向へと向かっている。
「やべっ!!」
 そう思って俺は咄嗟に開かずの洞穴の方へ駆け出した。

 ビリビリビリッ!!

 わああーっ!

 激しい電極が身体の中を突き抜けたような気がした。そう、注連縄に触れた途端、俺の身体がショートしたのだ。
「ちっち、あんさん。男でっしゃろ?そやったらあそこから向こうの結界へは通れませんで。あれは男避けの注連縄法ですからな。」
 その小人はすまし顔で言った。
「そんな悠長なこと言ってられっか。」

 そう食い下がった時だ。
「きゃあーっ!!」
 あかねの悲鳴が聞こえた。
「あかねーっ!!」
 はっとして洞穴の方をふり返ると、確かに何か大きな魔物があかねをひっさらって逃げていく気配だ。
「チクショーっ!!」
 俺は果敢にも注連縄を越えていこうとしたが無駄だった。

「どうされた?」
「もうしっ!」
 異変に気が付いた神社の人々が一斉に出てきた。だが、あかねの気配は消えていた。闇の向こう側に。



つづく




☆☆☆☆☆
少名彦(すくなひこ)
 あやしげな関西弁を操るキャラクターとして立ててみました。
 「少名彦」。出雲神話に出てくる神様です。「小さ子」という異形神譚の典型の一つに掲げられます。一寸法師などは少名彦の変形型だとも言われております。
 「スクナヒコナ」という別の呼び方もあります。神話に造詣が深い人は、こちらの方が馴染みがあるかもしれません。

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