■神有月■


 十月。神無月。一応そう呼ばれている。
 これには諸説有るらしいが、神様が居ない月と言われている。何でも神様たちが次の年に結婚させるカップルのことで話し合うために諸国を留守にするんだとか。まあ、御伽噺上のことだが。
 だけど、これは出雲の国以外でのこと。
 そう、出雲の国は神々がそこら中から集ってくる。だから、かの国では旧暦の十月を「神有月」と呼ぶそうだ。





第一話、御神事は危険がいっぱい

一、


 そろそろ木枯らしが吹き始める十一月中頃。
 朝夕の冷え込みは厳しいものになり始めた。山の紅葉は美しく萌え上がり、冬の到来を身近に感じさせる。

「俺は嫌だっつーのっ!」
 ついテンションが上がる。

「あたしだってお断りよーっ!!」
 負けじと張り合う目の前の少女。

「頼むっ!頼むよ。ね、お願い。」
 この道場の主、目の前の少女の父、早雲おじさんがこっちを媚びるように見詰めてくる。

「だから、何で乱馬となのよっ!説明して欲しいわ。」
 けんもほろろに言い渡すのは、その末娘のあかね。白い道着が目にまぶしい。さっきまで表で瓦割をしていたのだろう。積みあがった瓦礫が、道場の戸口から覗いている。
「だって、あかねの許婚は乱馬君じゃないか。…。ここの道場はゆくゆくはおまえたちが守っていかなきゃならないんだからっ!」
 揉み手をしながら娘を見やる父親。何か同じ男として見苦しい。
「許婚ったって、あたしは承服してないわっ!」
 あかねの語気はすこぶる荒い。いや語気だけじゃねえ、鼻息も荒いときたもんだ。
「承服してないって今更言っても、ねえ、早乙女君。」
 おじさんが促した視線の先にはでっかいパンダが首を縦に振っている。俺の親父だ。わけあってパンダの形に変身できる。
「あのなっ!承服してねーのは俺だって同じなんだぜっ!たくう、親父同士が勝手に押し付けた許婚の約束だろ?」
 横から俺も口を挟む。好き勝手言われたまんまじゃ面白くねえもん。
「あんたみたいな変態なんか、こっちから願い下げだわよっ!」
「るせー、凶暴女っ!」
 あかねと目がぶつかったところで、はっしとにらみ合いになる。これはいつもの風景。何も珍しいことなんかじゃない。
 こうやって何か事あるごとに言い争いになるのだ。二人とももう十七歳にもなろうというのにである。ガキの喧嘩みてえだって?まあ、いいんじゃんか。
 これでも俺たち、ギリギリのところでは分かり合ってんだ。ま、この悪言悪態は俺の彼女への一種の愛情表現。屈折していると言うことなかれ。複雑なお年頃なんだよ。
 でも、いつものこととは言え、こう強く突っ込まれると、俺だって悪態の一つや二つは飛ばしちまうというもの。たとえそれが「不本意な言葉」でもな。

「そんなこと言わずに、ねっ、ねっ。」
 おじさんの目がうるうるしながら俺たちを捕らえる。
「いやっ!ぜえーったい、いやっ!」
 あかねが言い切った。
 たく…。そこまで強く言うかよう。可愛くねえぞ。ちょっとしつこくねえか?
 一瞬そう思ったのをぐっと堪える。

「もう断れないんだよ…。おまえたちが一番相応しいって、占いにも出てしまったんだから。」
 早雲おじさんはは弱りきった顔で言った。頼まれたら嫌とは言えない性格してるもんなあ、おじさんは。その辺、娘のあかねも同じようなとこあんだけど。
 
「そんな占い、信じなきゃいいのよ。第一、乱馬となら、組みたい相手はたっくさんいるでしょう?例えば、シャンプーとか右京とか…。九能小太刀だって。」
 あかねは投げ捨てるように言ってきた。

 うー。やっぱ、こいつ、俺が昼間あいつらに追い掛け回されてたこと根に持ってやがんな。
 

「とにかく、乱馬と奉納試合だなんて、絶対に嫌だからね。あたし。」


 事の発端は、つい先ごろ。ご神託が下ったと、この辺りの氏神様を祀る神社から、神主さんが天道家に尋ねてきたことにある。
 この辺りは東京の真ん中にある下町ともいうべき場所だったが、結構古くから人が住んで居たようで、どこにでもあるような神社が街の外れにひっそりと佇んでいた。戦時中とは違って、すっかり神社は廃れてしまった感があるというが、それでも、御神事やお祭りというものは、そうそうなくなるものではない。
 ここの氏神様も一応の「秋祭り」が毎年行われている。少し後ろにずれて遅い秋祭りだが、今年の収穫の感謝と共に来年への豊穣を祈るのである。祭りといえば神輿を担いだり、祈りを奉納したりと、いろいろな御神事があるが、この神社のメインの神事は、若い男女による武道の奉納らしいのだ。
 何故、武道を奉納するのか。神社の縁起は詳(つまび)らかではないが、「男女」で奉納することの意味の中には「夫婦和合」への意味も若干含まれているように思われる。豊穣の祈りには、穀物の豊作を喜び合ったり願ったりすることにあるのは言うまでもないが、と同時に、男女の結びつきによる子孫の繁栄もまた暗に願われているといっても良いだろう。
 相撲だって元々は神への奉納が発端だったというくらいだし。


「ぶるる、ご神託って、そんなにいい加減なものじゃないんだよ。第一、シャンプーも右京君も、ここの氏子じゃないんだから。」
 早雲おじさんが否定に走る。
「氏子じゃないっていうのは乱馬だって同じじゃないの。他所から来たってことには変わりがないんだから。」

 あかねの言うことは確かに理にかなってるぞ。俺もここの氏子じゃねえ。
 
「本当にあんたたちって往生際悪いんだからっ!」
 そこへひょいっと、次女のなびきが顔を出した。
「乱馬君はいずれここの道場を継ぐことになってるから、氏子も同然なの。ね、お父さん。」
 なびきが笑う。
「それに、神託は絶対的なものだから、反古(ほご)にするとバチが当たるかもしんないわよ。」

 おい、なびきよ。おめえみたいな超現実主義者が言うような言葉じゃねえだろ?神罰とか神託とか。

「そうだ。そんなことで禍(わざわい)でも起こったら。」
 早雲おじさんがおろおろし始める。
「そんなわけないじゃない。こんなに科学の発達した世の中で。」
 あかねが呆れたと言わんばかりに返事を返した。
「ちっちっち、甘いわねえ、あかね。世の中、科学だけで割り切れるものと思ったら大間違いよ。あんた、乱馬君や早乙女のおじさまの体質現象のこと忘れたわけじゃないでしょ?目の前に展開される非科学的な現実。」
 となびき。

 何だかえらく今日は食い下がるなあ。この守銭奴め。

「そりゃあそうだけど…。」
 ちらっとさした冷たい目。

 はん、どうせまだ俺は半分女を引き摺ってますよーだ。水かぶると女になるし、湯を浴びれは元通り。親父だって水と湯でパンダと人間、往来している。

「それとも何?乱馬君と取っ組み合うと負けちゃうから嫌なのかしら?あかねもすっかり怖気づいちゃったかしらねえ。」
「なっ!」

 おっと、なびき姉ちゃん。それは「禁句」じゃねーのか?
 思ったとおり、ぼぼぼっとあかねの闘志に火がついたみてえだ。気の流れがふっと変わりやがった。

「そんなことはないわよっ!何であたしが乱馬に怖気づかなきゃならないのよっ!」

 ほらほら違う方向に語気が向かい始めてるぞ。ズボボボボ……って、背景が怖いぞ。

「じゃあ、引き受けなさいな。丁度いい機会じゃない。あんたと乱馬君とどっちが強いか勝負してみたら。」
「いいわ、やってやろうじゃないっ!乱馬っ!勝負よっ!ご神前で。」

 お、おい。ちょっと待ていっ!俺の意思はどうなるんだよ。俺は承服してねえぞ。第一、あかねと本気でやりあえるかってんだっ!力の差が歴然としすぎだぜ。いくらなんでも。

 だが、一度言い切ったことは必ずやり遂せないと前に進めないタイプ。それがあかねだった。

「たく…。俺が勝つって決まってるようなもんじゃねえか。」
 軽く口に出る。するとそれが余計な言葉だったようで、どんどんあかねを追い込んじまったから、たまらない。

「何ですってえ?言っときますけどね、あたし、ぜーったい、あんたみたいな男には負けないんだから!」
「へいへい…。せいぜい技を磨いて来いよ。ま、それによったら本気で相手してやらあ。」
 思いっきり憎たらしげに口を継いでやった。
「その言葉、そっくりそのまま、あんたに返すわっ!女男っ!」
 何だあ?その女男てーのはっ!

 フンっとお互い顔を突き出すと、思いっきり反目しあった。それからあかねはずかずかと足音をたてながら道場から出て行った。
 ある晴れた秋の日の出来事だった。



二、

 さて、ご神託をば受けて、その年の奉納試合を神前でする役目を仰せつかってしまった俺たち。
 己の意思とは裏腹に、何だか意にそぐわない展開へと物語りは進み出す。
 はあ…。何だかなあ。
 このままじゃ、あかねに勝っても後味が悪そうだ。だからと言って、男の面子にかけても負けられねえ。こんなとこで負けたら一生あかねに頭上がんなくなるぜ。たく…。
 俺の心配事を他所に、あかねはやたらと元気だ。
 でやー、たーっと気合よろしく、瓦や古木を割り倒していく。 ホント、こいつのパートナーが務まる男は、世界広しとは言え、そういねえだろう。下手すると命がけで付き合わなきゃならねえからな。と思い切り溜息が漏れる。
 いや、本当に、こいつの相手できる男は俺しかいねえっ!機嫌に左右されて、顔色伺って。…なんて馬鹿は俺はやらねえが(時々やるが)…。かといって「お姫様扱い」されても、こいつは絶対に喜ばねえだろうし。
 今日も、九能先輩があかねにちょっかい出して、思いっきり蹴飛ばされていた。

 閑話休題…。
 俺とあかねは渋々承諾した手前、その氏神さまへと、神事の打ち合わせをしに足を運ぶことになった。
 この御神事、どうやら毎年行われるのではないらしい。五年に一回だと神主様は俺たちを目の前に話し出した。

「今年がご奉納の年に当たりましてな、なかなかこのご時世、武道を奉納してくださる格闘家のカップルはおりませんで、ホンにぴったりなお二人でワシも安心しておりますじゃ。」
 神主さんは目を細めて俺とあかねを見比べる。
 が、俺たちは反目しあっている許婚ということも事実で、互いによそよそしくそこへ座り込んでいた。ただ、にこにこしていたのは、立会人の俺たちの父親たち。
 久しぶりの神前試合があるというので、秋祭りも今年は念入りに準備しているのだろうか。本殿にはいろいろな御神具がそれらしく置いてあった。

「この神社は、縁結びの神としてもご信仰が厚くござりましてな。五年に一度の神前試合の御奉納の年には、こうやってご縁を結ぼうと奉納された絵馬を大穴牟遅(オオアナムヂ)の神さまに差し上げますのじゃ。」

「大穴牟遅?」
 聴きなれない神様の名前に俺はついきびすを返していた。

「大国主の命の別神名だよ。」
 一見、神名とは無関係そうな早雲のおじさんが答えた。
「大国主っつーたら、あの因幡の白兎で有名な神様かな?」
 聞き覚えのある名前だと思っていたら、親父が口を挟んできた。
「因幡の白兎って、あの海辺でワニにやられて泣いていたウサギに優しくしたっていうあの神さんか?」
 俺も口を挟んだ。
「そうだよ。記紀神話では結構重鎮な神様だよ。出雲大社に鎮座されている有名なね。ここの氏神様の御祭神でもあるわけだ。縁結びの神としても由緒がある神様だからね。」

 縁結びねえ…。
 となると何となく一悶着ありそうな気がした。
 あかねだけならまだしも、俺の回りには血気盛んな格闘少女が取り巻いているからだ。それも、俺と縁を結びたがってる危ない連中ばっかり…。

 神妙に当日の打ち合わせをしようと身を乗り出したところに異変が起きた。


「乱馬様ーっ!」

 ほら、どこからか聞きつけて早速やってきやがった。このはた迷惑少女。
 九能小太刀だ。トレードマークのレオタード。もうそろそろ木枯らしも吹こうという季節なのに、この女は薄いレオタード一枚で、リボンをひらつかせながら俺の前に現れやがった。おまけに黒薔薇の花吹雪付き。どこにどうやって仕込んでるんだ?その花びら。

「ああ、乱馬様っ!天道あかねとご神前結婚なさるとは本当ですの?」
「ちょっと待ていっ!神前試合ならするが、神前結婚なんてしねえぞっ!」
 俺は開口一番、小太刀に投げつけた。何だか語意がどっかで爆転してねえか。
「今からでも遅くはありません。いざ、わたくしと神前結婚をっ!」
 だあー、待ていっ!袖引っ張るなっ!
 思いっきり嫌な顔を上げて小太刀を見据えると、違う方向からでっかいコテが飛んできた。ひゅっと鋭い音がして床板に突き刺さる。
 おい、ここは本殿だぜ。バチ当たるぞ!
「待ちいやっ!その神前結婚、ウチが出るでっ!」
 耳馴染んだ関西弁。ウっちゃんだ。
「まあ、盗人猛々しい。右京っ!乱馬様はわたくしのフィアンセですのよ。」
「何がわたくしのフィアンセや。乱ちゃんはウチの許婚なんやで。おっちゃんと約束を交わしたな。」
 じろっと右京が親父を見た。

「早乙女くぅ〜ん!」
『わしゃ知らないよ〜ん』
 早雲おじさんが睨みつけると、パンダ面した親父がすっとぼけた看板を高らかに差し出した。

「右京、あなたのはお父上同士のお戯れなお約束。勿論、天道あかねとて同じこと。当人同士の約束ごとじゃありませんわっ。わたくしと乱馬様はちゃんと約定を交わしましたの。愛し合っておりますもの。ほーほっほっほ。」
 ちょっと待て、どこの誰がおめえと愛し合ってるだってえ?約定だあ?知らねえぞ!
「アホぬかすなっ!この変態レオタード娘っ!」
「何ですって、お好み焼きブス女っ!」
 ははは…。こいつら目の前の俺を無視して突っ走り始めてやがる。で、この二人が揃ったということは……。 

 キキーっと自転車のブレーキ音がして、降立った娘が一人。

 ははは、やっぱり…来やがった。

「待つよろしっ!乱馬は私の婿殿。勝手なこと言わないね!」
 シャンプーが血相変えて現われやがった。

「乱ちゃん、ウチは認めへんで。あかねちゃんとの神前試合。」
「それはわたくしも同じこと。」
「そうある!聞くところによると、その試合を終えた若者はほぼ百パーセント結ばれる運命にあるいうではないか。そんなこと許せるわけないね。」
「そやでっ!夫婦で奉納する神前試合やなんて。」
「そうですわ、いくら御神事とはいえ、試合後、夫婦装束を奉納するのでございましょう?」

「ちょっと待て、何だ?そりゃ。」
 俺の方が口をあんぐりと開けちまった。

「あら、乱馬君知らないんだ。」
 後ろからなびきがひょいっと顔を出した。
「氏神様の奉納試合は武道に長けた若者が納めるって昔から決まってるのよ。五年に一度のこの奉納試合、昔から男神と女神に扮した二人が繰り広げて、五穀の豊穣と子孫の繁栄を願うの。試合の後はめでたく三々九度を納めるのよ。」
「ああん?」
「だから、仮とは言え、祝言の真似事するのよ。ね、神主様。」
 と明るく話しやがる。神主もこくんと頷いた。
「聴いてねーぞっ!んなこと。」
「そりゃそうよ、お父さんたち言ってないもの。そんなこと言ったら、あんたもあかねも素直に承服しないでしょうが。」
 くくくとなびきが笑う。
「あ、あったりめーだっ!」
 ひょっとして俺たちははめられたのか?
 気になってあかねの顔をチラッと見た。彼女は複雑な表情を浮かべているものの、きりっとこちらを見据えてくる。

 と、そこへ、
「乱馬様っ!」「乱ちゃんっ!」「乱馬っ!」
 ずいっと迫ってくる三人娘。

「いざ、わたくしと神前結婚を。」「いんや、ウチと神前試合や。」「私とするねっ!!」

 案の定の引っ張り合い。
 待てっ!一斉に襲い掛かるな。身がもたねえっつーのっ!!

「ちょっと、あんたたちっ!何するのよっ!」
 そこへ殺気を背負い込んだあかね。今まで黙って見ていて遂に堪忍袋の緒が切れたか?
 今までにない豪気を背負ってるぞ。ボウボウって背景燃え上がってねえか?

「天道あかねっ!乱馬様との神前試合、放棄なさいませっ!」
「そや、その方が身のためやでっ!」
「乱馬と試合するのはこの私ね。」

「あのねっ!これは私の家とこの神社が交わした約束の御神事なのっ!あんたたちこそ何勝手言ってるのよ。」

 びっしと言い切る。

 お、おい…。おめえ、本気でそんなこと言ってるのか?
 俺は狐につままれた目をあかねに投げ返した。
 いや、何と言うか、本妻の権威にかけてもって奴か、もしかして。
 こいつ、どことなく勝気な部分がある。相手が訳の分からないことで因縁でもつけようものなら、自分の考えを貫き通すそんな強さを持っているのだ。
 案外今回は、そちらが発動したか。
 いつもなら、俺をけなす方向へと向きやがるのに。

 悲劇(見ようによっちゃあ喜劇)はそこから始まった。
 あかねが強く出たことにより、争いごとへと発展しちまったのだ。それも四つ巴の。
 毎度の事とは言え、その中心に俺もあかねも放り出されていた。己の意志とは裏腹に。



つづく




☆☆☆☆☆
神無月
 出雲へ国中に居ます神々が行ってしまうので、神様の居ない月、という意味で「神無月」と言われているというのが一般に通用している俗説です。が、実は、無という字には「何々の」という意味を持たせているという説もあります。
 つまり「神無月」は「神の月」という意味ともとれるのだそうです。例えば、旧暦六月の水無月の例を取り上げてみると、梅雨のこの季節、水が無いとは言い難いです。これも本来は「水の月」という意味でつけられたという説もあります。
 んなことはどうでもええ、だから何やねん!と言われてしまえばそれまでであります。雑学ということで…。


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