イラスト/Yumimiさま
■ボスと一緒に 中編

三、

 時間の経過と共に、俺の考えた危惧は、だんだんに現実味を帯びてくる。
 馬鹿犬のせいで、相変わらずあかねには一指も触れられねえ。キスは愚か、スキンシップの一切が絶たれたような状態だった。
 とにかく、全然この犬は俺に懐こうとはしねえ。それどころか、俺があかねに近づくのを遠ざけようとしている素振りが、ありありなのだ。
 早朝の散歩から帰宅して寝そべっていても、俺があかねにちょっかいをかもうとしたところで、むっくりと頭を持ち上げてくる。奴はあかねが俺の世話をやくことにも、モロに不快感を指し示す。
(何でこんな野郎の世話なんかするんだよ?)
 …と、奴があかねに訴えかける瞳が攻撃的だ。

「あんなあ、俺はこの家の主なの!いわば、あかねよりも強い立場なんだぜ!」
 そう、嗜めてみるが、一向に埒が明かない。
 腹のたつことに、一夜明けると、この馬鹿犬、俺のことを思いっきり無視しし始める。
(何か言ってるな、このとうへんぼく。)
 犬に口があったら、こんなことを俺に言いかけているに違いねえ!
 逆に、あかねに対しては、物凄く従順、紳士的態度を取っているから、余計に腹がたった。
 このクソ犬、あかねの言う事なら、良く聞き分けるのだ。
 「おすわり」も「待て」も「伏せ」も「お手、おかわり」も、あかねの甲高い一声がかかろうものなら、ビシッ!バシッ!とやってのける。
 象徴的なのは、朝刊の受け取りだった。
 こいつ、結構、賢い犬らしく、そういう、雑用をあかねから申し付かると、嬉しそうに尻尾を振ってやって見せる。
「ボス!いつものように新聞を取ってきて頂戴。」
 とあかねに指示されると、「ラジャー!」とでも言うように「オンッ!」と一声啼いた。それから、一目散、天道家の門まで駆けて行き、新聞紙を咥えて戻って来た。
「へえ、結構、訓練されてるじゃねえか。」
 お世辞抜きで、俺は感心して見せた。
「じゃあ、今度は取ってきた新聞を乱馬に出してあげて。」
 あかねがそう命令しても、それだけは従わない。一瞬、俺を嫌そうに見上げて、考える素振りを見せたかと思うと、新聞をぷいっと俺の足元に投げ出すように置いた。そして、俺の顔も見ねえで、自分の場所へとそそくさと帰って行きやがる。
「こら!新聞を投げるんじゃなくて、ちゃんと渡せ!馬鹿犬!」
 そう、声をかけるのだが、知らんぷり。勝手に、自分で足元から拾い上げろと言わんばかりの態度だ。
「いつもは、手まで持ってきてくれるのにねえ…。やっぱ、乱馬には慣れてないからダメなのかしら。」
 と、あかねは飼い主の余裕を見せる。
「へっ!やっぱ、馬鹿犬は馬鹿犬だな。」
 俺は新聞を拾い上げながら、悪態を吐く。すると、俺の発した言葉がわかったのか、こっちを睨みつけてきやがる。たく、嫌な犬だぜ!
 一方で、あかねが頭をなでると、嬉しそうにアンアンと吠えながらシッポと愛想を振りまく。
 明らかに、俺の時とは態度が違う。あかねにほめられている時は、俺の方をちらっと横目で流し見て、「良いだろう?ざまあみろ!」と聴こえてきそうな素振りを見せるから、本当に小憎らしい。

 そればかりじゃねえ!

 こいつ、天道家の中で、唯一、俺だけに懐いてねえという「事実」に気付いたのだ。
 洗濯物を担ぎ上げて、あかねが庭先に出て行くと、馬鹿犬もそれに付き従って、庭先に下りた。その向こう側、天道家の母屋から、俺のおふくろが洗濯籠を持って出て来た。母屋の洗濯物などの主婦業はオフクロが担当している。
 母屋から洗いあがった洗濯物をあかねおオフクロがカゴ越し持って庭先に乾すのは、天気の良い日の毎朝の光景の一つになっていた。その脇で早雲父さんが体操しているのが目に入った。
 馬鹿犬が投げ出した新聞を拾い上げ、ちらっと片手に縁側から庭先に目を転じれば、あの馬鹿犬が早雲義父さんにも従順な態度を見せている。義父さん自体、人格者で風格もあるから、犬も一目置いてるのだろう。
 それから、俺のオフクロに対しても、従順だった。オフクロは穏やかで、和装の貴婦人だから、犬も敵に回すつもりはないらしい。
 俺が一番腹がたつのは、俺のスチャラカ親父にも、柔軟な態度を取っていたことだ。定職も持たず、相変わらずパンダのまま、うろついている親父に対して、逆らいもしねえし、一緒に日向ぼっこの相手になってやがる。パンダと犬っころが仲良く、庭先でじゃれあっている。
 パンダ親父の傍は、身体はでけえから良い風除けになり、居心地が良いのかも知れねえ。

 だが、こいつ、この馬鹿犬、俺にだけは決して気を許そうとはしねえのだ。

「あら、乱馬君はボスに随分、嫌われてるようねえ。」
 俺に何か用事があったのか、なびきが笑いながら、母屋から俺たちの離れに向かって歩いてきやがる。
 なびきは今の俺の専属マネージャー。格闘技以外の一切のマネージメントをなびきに任せている。彼女は、腐れ縁の九能帯刀をたきつけて、「芸能総合プロダクション」を立ち上げたのだ。彼女は若手でありながら、その手腕は、このきな臭い業界を渡っていくのに、十二分に発揮されている。
 ボスはなびきにも逆らわねえ。それどことか、なびきがくると、排除どころか、シッポをふって嬉しそうにしやがる。なびきもらしくなく、ボスにドッグ菓子なんかを与えて喜んでやがる。
「たく、かわいくねえ小生意気な犬っころだよ!」
 俺はじろっとボスを見ながら、縁側にやってきたなびきの問い掛けに答える。
「あんた、昨夜(ゆうべ)あの犬にお湯をぶっかけたんですって?」
 くすくすと笑ってやがる。
「誰に聞いたんだ?あかねの奴か?」
「まーね。…うふふ、あの犬が呪泉郷から来た男だなんて思うなんて、乱馬君らしいけどね。」
「う、うるせー!」
「ま、あかねもかなりの鈍ちんだからねえ。まさか、Pちゃんみたいっだったら困るって、あんたが危惧したとまでは思ってないだろうけど。」
「お、おい!まさか、てめえ、P助の正体を。」
 と言いかけて言葉を呑んだ。
「あら、Pちゃんが良牙君の変身だって知らないで過ごしていたのは、鈍ーい、あかねだけよ。当ったり前じゃない。かすみお姉ちゃんもお父さんも知ってるわよ。うふふ。」
 ときた。
 やっぱ、天道家の皆は、Pちゃんの正体に気付いてたってわけか。気付いてねえのは、飼い主だった、超鈍チンのあかねくらいか。
 …、ま、P助の野郎は野郎なりに、あかりさんと上手い具合にくっついて、豚相撲部屋を切り盛りしてるわけだが…。今や良牙は、豚相撲部屋の立派な親方だ。時々、豚になって豚相撲部屋の豚を鍛えてるって噂もある。そういう意味じゃ、あいつに豚相撲の親方は天職だな…。
「ホント、犬ってのは、従順ピラミッドがはっきりしてるからねえ…。あんたの場合、あの犬に、「どうでも良い奴」「最下層」、もしくは「あかねの愛情を巡るライバル」と目されてるわねえ。」
 クククとなびきは俺を見て笑いやがった。
「うわっ!な、何しやがんでいっ!この馬鹿犬っ!」
 縁側から庭に出している俺の足元へきて、馬鹿犬、小水をぶっかけやがった。
「電信柱並みなのかしらん?それともマーキングでもしているつもりなのかしら?」
 ケラケラとなびきが笑う。
「じ、冗談じゃねえぞ!馬鹿犬!」
「あんたもね…。さっさと水洗いしないと、匂いが染み付くわよ。」
 な、何てこった!この馬鹿犬。もしかして、わかっててやったんじゃねえのか?
「上等じゃねえか!この馬鹿犬!俺とやりあおうってえのか!」
 ぶっ切れた俺は、ボスに向かって、攻撃態勢を取った。

「もう!あんたたち!いい加減になさいよっ!」
 母屋から洗濯物を抱えてきたあかねが、俺たちの一触即発状況を見て、声を荒げた。
「もう、乱馬ったら…。そこ、ボスのおトイレなんだから…。そんなところに陣取ってたら、ボスが嫌がるわよ。」
「おい!先にそれを言え!」
 俺は慌てた。足元が見慣れぬ、何か砂っぽい場所だと思っていたら、その、ボスのトイレだったのかあ?だから、ボスはこれ見よがしに、俺の足元へ小水を垂れ流していきやがったっつうわけかよ。
「そりゃあ、あんたが悪いわねえ、ここがボスのトイレなら。こういう結果もありじゃないの?」
 げらげらとなびきが俺を見ながら笑っている。
「ワンワンワン!」
 ボスはボスであかねを見つけると、一目散だ。しかも、これみよがしにシッポを振って愛想を振りまいてやがる。
「全く、みっともねえ!あそこまで媚びを売れるもんだな。馬鹿犬め!」
 その状況を見ながら、俺の口から吐いて出た。
「あら、あんただって、ボスが居なきゃ、あかねに媚びた態度取ってるんじゃないのぉ?」
 と、なびきが口を挟んできた。
「ば、馬鹿言うな!」
「同類嫌悪ってね…。案外、あの犬とあんたって、根本的な性質、性格が似てるのかもよー。あかねが誰よりも好きだってのは、譲れないみたいだし、お互いに、あかねに取り付く虫を排除したいと強く思うところなんか…。」
「あのなあ!俺を犬と同列で扱うな!」
 そう反論してみたものの、案外、的を射ている見解かもしれねえ。あの馬鹿犬の動向は確かに俺とそっくりだ。あかねに近づく「虫」は徹底的に排除したい気持ち。今の俺にとって、「虫」はまさにあの犬、で、あの犬にとっては、今一番のお気に入りのあかねの夫の俺がまさに「虫」そのもの。
 で、渦中のあかねは、相変わらずの鈍さで、俺たち二匹のオスの葛藤など、どこ吹く風だ。もっとも、あかねは俺の愛妻って時点で、俺とボスの勝敗は、目に見えてわかってるんだがな。

「まあ、あんたの留守中は、ボスが良くあかねを守ってたのも、曲げられない事実だからねえ。」
 なびきがポツンと言った。
「あかねを守っただあ?」
 どういう意味だと言わんばかりに俺が問い返す。
「そうよ。あんたが長期に渡って家を空けるってんで、結構、あかねにちょっかいを出してきた奴が居たのよねえ…。」
 ちらっとなびきは俺の方をうかがった。
「あん?」
「ほら、あんたとあかねの結婚を快く思ってない連中って、まだ周りにたくさん居るでしょうが。そんな連中が、八宝斎のおじいさんをたきつけて、一計略、企んでんのよ。」
「八宝斎のジジイをたきつけるだあ?一計略を企んでるだあ?」
 ますます、意味不明だ。企んでいるということは現在進行形か。
「まあ、恋戦争から潔く身を引いた、シャンプーとか右京、九能ちゃんや良牙君はいざ知らず、黒薔薇の小太刀とか五寸釘君とか秘密組織「天道あかね激ラブ協会」の連中とかさあ…。」
「天道あかね激ラブ協会?何だそれ…。」
「あら、あんたが風林館高校へ転校してくる前から活動してたのよ。一種の天道あかねファンクラブね。」
「知らねーぞ、そんな組織!」
「ま、あんたは強いから、そんな連中のヤッカミなんか目に入らなかったのかしれないけど…。その連中がまだ、あかねを巡って水面下でいろいろとねえ…。」
 なびきはにんまりと笑うと、黙り込んだ。おや、おもむろに俺に右手を差し出してきやがった。どうやら、タダじゃ教えられないというパフォーマンスのようだ。
「こら…。なびき、てめえ…。まだ、こうやって俺から情報料をせしめようってえのか?」
 ジロリと俺はなびきを睨んだ。
「あったりまえでしょう?良質の情報には、それなりの報酬ってのは、常識じゃん。」
「そりゃあ、てめえの常識だろうが。」
「あら、別に良いのよ…。教えて欲しくないなら。その代わり、この先、どうなっても知らないから…。」
 と、これ見よがしににんまりと笑う。
 ぐ…。この業突張りめ!上手い事、心理を突いて来やがる。
 あかねの事に絡んでいなければ、俺だって「シカト」するが、あかねを巡る不穏な動きだとなると、聞きださねえ訳にもいくまい。
「しょうもねえ話だったら、金、返せよ!」
 渋々、懐に手を入れて、札を出す。
「子供の小遣いじゃないんだから、大枚出しなさいよ。しこたま儲けて帰って来たんでしょう?」
 千円札じゃ不満げなのがアリアリだ。しかも、こいつ、俺のマネージャーもやっているから、こっちの家計状況も手に取るように知っているから性質(たち)が悪い。
「必要経費であかねにばれないようにしておいてあげるから…。」
 などと悪魔の囁きまで口にしやがる。
 こういうところは、以前と全然変わりがねえ。というか、変わりようがねえんだろうな。
 俺は、渋々、福沢諭吉さんを一枚差し出した。

「な、何だとおっ!」

 だが、しかし、なびきの口からはじき出されたのは、とてつもなく馬鹿げた、でも聞き捨てならねえ情報だった。



四、

「とにかく、今夜が正念場だからねえ。」
 なびきは大口を開けたままポカンとしている俺に向かってにんまりと微笑んだ。
「てめえ…、まさかとは思うが、知ってて俺の帰国日程を操作したんじゃあるめえな…。」
 こいつならやりかねねえ…。俺の帰国予定を大胆にも変更させて、相手に対処する。そう、直感したのだ。
「ふふふ、そこら辺はご想像にお任せするわ。」
 なびきの口から語りだされた言葉は、到底、常識じゃ考えられない事だったのだ。
 もっとも、俺の周りに、世間の常識が通用する相手が殆ど居ねえのも、これまた、紛れも無き事実ではあるが。

 だいたい、変だと思ったんだ。今回の帰国予定の大幅変更。

 公に俺の帰国は「明日」ということになっている。それを、なびきが裏から手を回して、二日も早く、繰り上げさせたのだ。アジアの辺境から日本へ帰国するのに時間が読めねえのもわかるが、ヨーロッパ回りで反対側を一周してきたような形で帰国してきた。それも、目立たないようにわざわざ工夫してだ。
 俺くらいの実力派、人気度になると、なかなか、こっそり帰国っつう訳にはいかないのが昨今の事情だ。いつも、うんざりするほどの報道陣やら訳のわかんねー連中が群がってくる。
 疲れているときや報道陣に囲まれたくない時は、なびきにこっそりと耳打ちして幾らか包めば、かなりの確率でこっそりと帰宅できたが、それでも、数人の記者にばれて何だかんだ記事にされる事の方が圧倒的に多い。自然、記者が集って来ちまうのだ。
 どこで、どう、情報をリークしているのか…。いや、案外、マネージャーのなびきが、俺の情報を、優良な顧客へ売り飛ばしてるのかもしれねえが…。あいつなら、大枚を目にすれば、やりかねねーからな。 
 今回は相当特殊な帰国パターンだった。
 何処か外国の人気映画スターの来日に合わせる形で帰国することになったのだ。つまり、映画のキャンペーンで出張ってきた海外有名タレントの影に隠れてすり抜けたのだ。おかげでノーガード。そういう形でさりげなく帰国させてくれた手腕はさすがだと思ったんだが、その裏にこういうふざけた事実が潜んでいようとは…。

 なびきによると、「天道あかね激ラブ協会」の連中が、いよいよ最終手段に出ようと勝負をかけているというのだ。
「俺の海外遠征中に、あかねの唇を奪う」っつうのが、その究極の目的らしい。
 つまり、俺の留守中に俺ん家に忍び込んで、あかねの唇を奪えれば勝ち、っつうことで勝負が仕掛けられているのだそうだ。あかねを独り占めした俺に一泡吹かせようってえ魂胆らしい。決定的瞬間をデジカメにでも押さえ込んで、ゴシップ誌にでも売るつもりなんだろう。
 首謀者は「九能小太刀」。あの毒女、全く、逆恨み激しく…。あかねが好きだった連中を炊き付けて、そういうふざけた勝負を考えついて実行に移したらしい。まあ、なびきのビジネス相棒はその小太刀の兄、九能先輩だから、そっちの筋から、このふざけた計画の情報が漏れて聴こえてきたんだと思う。
 なびきの情報網は相変わらず「完ぺき」を誇っている。
 で、頭に来るのが、その企画に乗った連中が数多(あまた)居るという事実だ。殆どが、五寸釘のような非力な連中だろうが、その先鋒に「八宝斎のジジイ」が居るってえから性質が悪い。
 どこまで信じられるか眉唾物ではあるが、あのジジイなら、あかねの唇を奪いにのこのこ出かけてきても不思議じゃねえ。
 しかも、おあつらえ向きに、俺はまだ、海外遠征中ってことになっている。
「あんたが帰って来たことは、一応、お爺ちゃん以外の天道家の人間にしか知られてないのよ。」
 なびきはそんなことをぬかしやがった。
 どうやら、親父やオフクロ、早雲義父さんも、不運な動きがあることは、承知の上らしい。
「ジジイは俺が早めに帰って来た事は知らねえのか?」
「ええ。お爺ちゃん、ここ数日、天道家には姿を見せてないわ。どうやら山に篭って本格的に忍び込みの修行でもやってんじゃないかしら。」
「たく、助平根性もそこまで来たら、見上げたもんだぜ!」
「天道あかね激ラブ協会にとっては、今宵は、最後のチャンスの夜だものねえ…。」
「たく…。ふざけやがって。」
 俺はギリリッと奥歯を噛みしめた。
「で?今までは事無きを得ていたんだな?」
「まあね…。ボスががんばってくれていたしね。」
「ほおお…。あの馬鹿犬がか?」
「ええ。夜な夜な、あかねの唇を狙って侵入者が現れてたみたいだけど、大方はあの犬が追っ払ってたみたいよ。あんたも、経験済みでしょうけど、結構、あの犬、しつこくて、強いわよ。」
「大抵の連中は、あの馬鹿犬の噛み付き攻撃であかねの寝室にもぐりこむのを諦めてたのか。」
「まあね…。大方の侵入者にはあかね自身、全く気がついてないんじゃないかしらねえ…。」
「あいつ、相当鈍いしなあ…。」
「もっとも、犬を突破できたとしても、あかねは強いからねえ…。お爺ちゃんも、あのボスには、相当てこずってたみたいよ。浸入しても、ボスに絡まれて、あかねが跳ね起きて蹴り飛ばされたことだって、一度や二度じゃないようだし…。」
 くすっとなびきが笑った。どうやら、修羅場が何度かあったようだ。
「もっとも、若い頃からエロジジイには悩まされっぱなしだからな。あかねも手加減は一切しえねだろうがさ。」
 はははと俺は笑った。
「もっとも、勝負の期限は今夜が最後だから、お爺ちゃんも他の男連中も、相当気合入れて来るわよ。それが証拠に、昨夜は誰一人、全く現われなかったでしょう?」
 確かに、言わずもがなだ。
 昨日は侵入者の影が一つも無かった。誰かが忍んで来ようものなら、俺だって黙っちゃいねえさ。
「昨夜誰も来なかったのは、最終日の今夜に全てを賭けるって意気込みでもあるわけだ。」
 俺はわかった口ぶりで、答えた。
「そういうことね…。今夜は大挙として無粋な連中が押しかけて来るでしょうねえ…。公には明日、あんたは帰って来ることになってるもの。」
「で?あかねはこの事を知ってるのか?」
「まさか…。あの子にはそんな馬鹿げた計略があるなんてこと、一切、何も伝えてないわ。」
「ってことは、やっぱ、それを承知の上でおめえ…俺をわざわざ早めに帰国させたっつうわけだな?」
「そういうこと。妻の上に降りかかってくる火の粉は、夫の手で薙ぎ払うのが筋ってもんでしょう?わざわざ、早めに帰国させてあげたんだから…。」
 にっとなびきが笑った。
 こいつ、もしかして、俺とあかねの上にふっかかる火の粉を楽しんでねえか?ふと、そんな不安が頭を過(よ)ぎった。
「まあ、ずっと新婦をほったらかして海外雄飛してたんだから、ここぞというところはビシッと決めなさいな。あかねのためにもね。」
「あのなあ…。その海外遠征を計画しておっぽり出したのは、てめえの会社じゃなかったっけえ?」
 俺はなびきをぐっと睨み返した。
「あんたの本業は格闘家でしょ?つべこべ言わないの!とにかく、今夜が峠だからね。しっかりやんなさいよ!」

 散々、言い散らかしてなびきは母屋へと引き上げて行った。

 天道あかね激ラブ協会か何だか知らねーけど…。第一、天道あかねは戸籍上から消え去っている。今は「早乙女あかね」だぜ!
 とにかく、新婚家庭を脅かす奴は俺が容赦しねえ。

 俺がぐっと拳を握り締めたところで、また、馬鹿犬が俺の足元に小水を引っ掛けやがった。

「くおらっ!この馬鹿犬っ!いい加減にしやがれーっ!!」
 
 はああ…。タダでさえテンションが上がるようなことが起きているってえのに…。



つづく


 あっさり、さらりと流して書きとおすつもりだったのに…。
予定よりも大幅に長編化しとるがな…(汗
 ま、ええか。
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