イラスト/Yumimiさま
■ボスと一緒に 前編

一、

 長期遠征へ行って、疲れて家に帰って来ると、浦島太郎状態に置かれている事が多々ある。
 長い間家を留守にしていたツケが、一気に己に圧し掛かってくる「アレ」だ。日本国内に留まらず、世界各国、格闘三昧の旅をして帰国すると、季節感もなくなっていれば、流行歌や流行語もわからなくなっている事も良くある。
 今回もそうだった。
 年明け早々、家を飛び出して、約三ヶ月の海外遠征。もちろん、漏れなく、試合、大会付き。こっちだって、プロの格闘家。大会に出るからには、優勝を狙うのが筋ってもの。修行も兼ねて出かけられるから、それはそれで「良し」としよう。
 世間の流行や季節感覚ならまだしも、そいつが「家族」のことになると、ちょっと顔をしかめたくなることがある。
 今回の海外遠征から帰宅すると、俺は、本当に浦島太郎状態になっていたのだった。


 あ、最初に断っておくが、俺、早乙女乱馬は、現在、新婚数ヶ月。二十代半ばの新進気鋭の格闘家だ。
 愛妻は勿論、長きに渡って許婚を貫いた恋女房、あかね。
 え?新婦を置き去りにして、長期間海外遠征をするのは、どうしようもねえ薄情夫だって?
 そりゃあそうかもしれねえが、こっちだって、生活費を稼がなきゃならねえから、仕方がねえさ。あかねだってそれを承知で俺と所帯を持ったんだ。それに、ずっとあかねを置き去りにしてたわけじゃねえぞ。ちゃんと、ここぞという決め時には、あかねを傍に呼び寄せるさ。それくらいの甲斐性や気遣いは俺にだってある。
 今回遠征の後半はアジアの辺境へ行ってたから、さすがに、あかねを呼び寄せる勇気はなかった。あいつなら、どんな劣悪環境だって平気なのかもしれねえが、飲み水だって困るような辺境の地だ。辺境の地にあかねを連れて行くとなると、逆に俺の方が大変になる。日本に居る時とは違う変な気を遣わなけりゃならねえと、試合に集中でなくなるじゃねえか。
 っつうことで、今回の遠征の後半部一ヶ月はあかねには留守番してもらった。
 現在の俺たちの居住まいは、天道家の庭先に作られた「離れ」。リビングと寝室、それからユニットバスとトイレ付きのこじんまりとした建物だ。道場の脇に建てた二階建ての瓦葺屋根の小さいながらも、しっかりとしたスイートホームだ。
 天道家の母屋には、早雲義父さん、それから、俺の両親、それから、時々、仕事で走り回っている、義姉のなびきが思い出したように帰宅する。
 かすみさんは東風先生と所帯を持っているから、天道家に時々孫を連れて薮入りするくらいだ。俺たちにまだ、子供は居ねえ。つうか、落ち着いて作る暇がねえ、というのが本当のところ。
 それから、天道道場は、俺の活躍のおかげもあって、自慢じゃねえが「弟子」が増えている。カルチャークラブ感覚の主婦やOL、それからガキの通いも合わせると、百人は下らねえ。俺がここへ居候をし始めた高校生の頃の閑散とした佇(たたず)まいが、今となっては懐かしいくらい賑やかになっている。
 そんな道場の諸事情もあって、あかねが長期間、天道道場を空けるのは「ご法度(はと)」なんだ。格闘技の表舞台から遠のいたとはいえ、元々あかねは相当な格闘手腕の持ち主。気力も技も、若い連中には、まだまだ負けねえだろう。俺の若い弟子たちが真面目に精進できる環境を整えるのが、現在の彼女の仕事っつうわけだ。断っとくが、ただの、お飾り主婦ではない。
 俺が居ない間、あかねの肩にずっしりと、道場の仕事は圧し掛かっている。勿論、親父たちも最近は真面目に弟子の稽古をつけている。律儀な早雲義父さんはともかく、スチャラカな性格の、相変わらず、パンダになる体質を引き摺ったままの俺の親父ですら、精を出して後進たちの指導に当たっている。
 
 とにかく、数ヶ月ぶりの我が家。それから、最愛の妻の元、帰宅する足取りも軽く…。

 が、そんな脳天気な帰宅夫の俺に、思わぬ邪魔者が立ちはだかろうとは…。

 勝手知ったる天道家離れの我が家。
 一応、マネージメントをして貰っている、あかねの姉貴、なびきが搭乗予定の飛行機を告げているだろうから、だいたい、俺が帰宅する時間はわかってるはず。今頃は、不器用なあかねが、精魂込めて、夕飯を作って俺の帰宅を待っている…。疑う余地無く、そう思っていた。
 実は、今回、予定よりも二日も帰国を早まったのだ。本来なら、二日遅く入国する予定だったのだ。なびきが手配した航空券は予定よりも二日早かったってわけ。
 あいつも、だんだん、俺のことわかってきたのかなあ…。気を利かせたに違いねえ。とはいえ、アジア直行ではなく、ヨーロッパ経由と、かなり大回りな帰国経路となった。まあ、空を飛んでいる間は、どこの国の上を飛ぼうがたいした問題ではないんだが。
 いつも、群がるような報道陣も今回は空振り。きっと、帰国予定が早まったことは、公には漏れていなかったのだろう。追い回される身は結構辛い物がある。ワイドショーだかゴシップ誌だか得体の知れねえ記者連中が、マイクを突きつけてくるもの無粋だが、今回は人っ子一人いねえ。どうやら、俺の到着時間帯に、別の便で世界的な大物タレントが大手を振って入国してきたらしく、全部、そっちへ持って行かれたようだ。
 これはこれでありがたい話だ。
 お連れ一人居ない俺は一般客に紛れ、ノーガードで通り抜けた。入国審査で俺のことを多少知っている役人が、俺の顔とパスポートを見比べたくらいだ。俺もトレードマークのおさげをほどいてだらんとたらし、グラサンをつけ、どこにでも居るようなビジネスマンスーツに身を包み、悠々と通り抜ける。格闘家のオーラも極力静めて歩いていたから、タクシーの乗り場まで誰一人、気がつかなかったろう。タクシーの運転手ですら、俺と見抜けなかったようで、ゆっくりと帰宅できた。

 門戸から少し離れた場所に車を止めさせ、所定の金を支払ってタクシーを降りる。
 それから、少し歩いて行って、天道家の「いかにも」と言わんばかりの、立派な木造の門扉をくぐり抜け、母屋の玄関を迂回して、離れの我が家へ。
 予定よりも早い帰宅だから、張り番の記者の気配もねえ。
 ここまでは、ありふれた平和な帰宅風景だった。
「おーい、帰ったぞっ!」
 で、離れの玄関の引き戸を開いたところで、騒動が勃発した。

 カプッ!

 その時、何かが、俺の手を思いっきり噛んだのだ。

「い、いってえええっ!な、何だあっ!?」

 さすがの俺も、そいつの発していた殺気を読めなかった…。っていうか、何で犬っころが俺ん家に居るんだ?
 俺の手の先には、茶色い犬っころが一匹。小型犬だ。だが、小型だが、こいつはクソ根性があるらしく、一向に放そうとしない。それどころか、ますます強く噛み付いてくる有り様だ。

「こらっ!放せっ!こいつうっ!」
 犬もさるもの、俺に噛み付いたまま、動かない。居た堪れなくなって、拳骨でそいつを薙ぎ払おうと、噛まれていない方の腕を振り上げた時だった。

「ダメよ!ボス!放しなさい!良い子だから。」

 聞き覚えのある声。あかねだった。玄関先の騒動を聞きつけて、台所から飛んで出て来たようだ。
「あ、あかね。な、何なんだ?この犬っころは!」
 ハーフーハーフー、噛まれた先を見ながら、じろりと、今は馴れた犬を見やる。犬っころは、まだ、俺を見て、納得していないのか、「ウー!ウー!」と敵愾心むき出しに牙を剥いている。

「ああ、この子?ボスって言う名前なの。」
 あかねがコロコロ笑いながら言った。それから、おいでと言わんばかりに手を差し出すと、犬っころは俺を牽制しながらも、一目散、あかねの腕の中。
「ボスだあ?」
 要領不明な俺は、きょとんと犬っころとあかねを見比べた。
「俺は名前を訊いたんじゃねえ!何で、ここにこいつが居るんだよってのを訊きてえんだっ!」
 ネクタイを取りながら、ちょっときつめに語気を荒げてあかねを振り返る。まさか、俺に黙って犬を飼いはじめたんじゃあ。という危惧が過ぎったからだ。
「お弟子さんの犬を預かってあげてるの。」
 とあかねは穏やかに言った。
「弟子の犬だあ?何だそれ?」
 これまた、理不尽だと言わんばかりに、俺はきびすを返した。
「この春、お父さんの急な転勤で、関西へ行く、みのる君がね、あっちで落ち着いて、犬が飼える環境の家がみつかるまで預かって欲しいって、頼まれたの。」
「みのるって、あの、小学生のガキか。」
 名前に聞き覚えがある。確か、父親が転勤族で陰に篭りやすい性質をちょっとでも開放的にと、格闘を始めたガキだ。ちょっと小生意気な小学四年生だったっけか。

「他に頼めるところもなかったらしくって、我が家で預かってあげてるのよ。ねえ、ボス。」
 あかねは犬っころに頬擦りしながら、にっこりと微笑む。

 くぉら!微笑む相手が違うんじゃねえのかあ?夫を差し置いて、犬に頬擦りだあ?

 あ、勿論、口には出しちゃいねえが、ムッと来たね。何だ、ヤキモチって奴だ。

「そんなこと、きいてねえぞ!」
 と、今度は凄んでみる。
 すると、犬っころが、俺の声に反応して、あかねの腕の中に居るにもかかわらず、ウーと低い声で唸りやがった。

「そりゃそうよ。言ってないもの。ずっと、大会で忙しくって、あんたさあ、携帯電話ひとつ、かけて寄越さなかったじゃないの。こっちからかけるのは試合に集中できないからご法度なんでしょう?」
 
 う…。それを言われたら辛い。

「仕方ねえだろ!携帯が使える環境に居なかったんだしよう!連絡、取りたくても、取れなかったんだぜ!」
 とつぶやく。今回の遠征地は僻地(へきち)過ぎて、携帯電話など、無用の長物と化していたのだ。第一、携帯用のアンテナなんてどこ見渡しても立ってねえような場所へ遠征してたんだ。
「だったら、文句言わないでよね。この子、結構、良い番犬なんだから。」
「番犬ねえ…。」
「そうよ。さっきも乱馬も侵入者と思って、あたしを守ってくれたじゃない?」
 ちょっと嬉しそうにあかねが笑った。
「けっ!何が侵入者だよ!俺はここの主人(あるじ)だってのによ!」
 ちろっと犬っころを見る。こいつ、よっぽど、俺が嫌いなのか、さっきから、警戒心を緩めようともしねえ。まだ、時々、低い声で俺を牽制しがてら、唸っている。
「まだ、警戒してるわね。…。まあ、無理も無いわ。時々、あたしの下着を目当てに、八宝斎のお爺ちゃんが忍んでくるから…。」
「おいっ!まさか、俺を、あの助平ジジイと同列に思ってんじゃねえだろうなあ?この犬っころ!」
「案外そうかもよ。お爺ちゃんに対する、警戒心は相当のものよ。毎回、撃退してくれるから、乱馬が留守でも安心だったのよ。ねえ。」

 あかねと犬っころ。すっかり仲良しさんのようで、俺の入る隙がねえ。
 な、何なんだ?この疎外感は。
 以前にも、こんな疎外感を味わったことがあるような、無いような…。
 そうだ!良牙…もとい、P助が天道家に居た頃だ。あん時と同じような感覚が俺を襲う。

「お風呂を先にします?それともご飯?」
 一応、亭主を気遣うつもりらしく、あかねが問いかけてきた。
「風呂!」
 俺は開口一番、そう告げると、ずかずかと風呂場へと足を運んだ。

「ボス!乱馬は侵入者じゃないから、むやみやたらと噛み付いちゃダメよ。あ、こら、ボス!ダメだったらあっ!」
 そう言った先から、あかねの腕から降りたボスは俺のズボンを目掛けて、また、がぶり!
 ったく、てめえ、どういうつもりなんだ?俺はここの主だぜ!
「いってええ!この野郎!」
 さすがの俺も、ここでプッツン。
「良いだろう。てめえがその気なら!来いっ!」
 勢いよく薙ぎ払って、畳に犬っころを蹴り出した。

「うー!わんわんわん!」
 犬っころは、すっころんでも、すぐに起き上がる。そして、腰を落として、果敢に俺を吠え立てる。
「弱い犬ほど、良く吠えるっつうけどな!」
 俺は犬っころを睨みつけながら、見下ろした。

「ちょっと!乱馬っ!やめなさいったら。この子、一応、他所様の預かり物なんだから。」
 あかねが慌てて仲裁に入る。
「大人げないわよっ!乱馬っ!」
 そう言いながら、吠え立てているボスをひょいっと、抱き上げた。

 あかねが飛び出したところで、俺の不戦敗が決まった。

「ちぇっ!」
 渋々、俺は、風呂場へと足を運んだ。



二、

「たく!何なんだよ!あの犬っころは!」

 溜飲下がらぬ俺は、ブツクサと言いながら、旅の疲れを洗い流そうと風呂場へ。
 母屋とは別に、離れにも風呂場はある。 
『母屋に風呂があるじゃないの。わざわざそんなところにお金かけなくっても…。』
 と、なびき辺りは笑ったが、こいつだけは譲れなかった。
 だって、普通に考えて見ろよ。母屋へわざわざ回るのは、何かと面倒臭いもの。
 それに、その、何だ。風呂場は俺たち格闘家にとっては、リラックスできる数少ない場所。でもって、風呂場っつうたら、夫婦にとっても大切な場所でもあるわけで。
 え?あかねと一緒に風呂へ入ってるのかって?
 んな、野暮な事ことは言わずもがなだ。その何だ。俺たちは夫婦なんだぜ。誰に気遣うことなく、じゃれあいつつ、背中を流し流されたり…っつうのは、夫婦生活の基本、いや、醍醐味の一つじゃねえか…。そういうスキンシップを覗かれたり、別の視線があると、その何だ、落ち着かねえだろ?ましてや、天道家は数多の人が住み着いてるんだ。不定期居候を含めると、何人住人が居る事やら。
 母屋の風呂ほど立派ではないが、ゆっくりと身体を伸ばすのには充分な大きさの湯船だ。

 脱衣所でゆっくりと上着を脱ぐ。鍛えぬいた身体が、黒いランニングの下から現れる。こういっちゃ何だが、俺の筋肉には無駄がない。つきすぎでもなく、貧弱でもなく。格闘家にとって、理想の身体つきだと自負している。
 トランクス一丁になったところで、背後にただならぬ殺気を感じた。
「なっ?」
 その黒い塊は、俺目掛けて再び突進してきた。
 犬っころだ。
「わああっ!くおらっ!何しやがる!」
 狭い脱衣所だ。暴れるわけにはいかねえ。奴は無防備になった俺目掛けて、ここぞとばかりに踏み込んできた。
「な、何なんだ?こんの野郎!」
 俺の怒声を聞きつけたあかねが、再び、大慌てで現われる。
「ボスッ!ボスったらあっ!」

「上等じゃねえか。このボケ犬っ!おめえ、もしかして…。」
 俺は白い牙を剥いて襲い来るボスの首根っこをガッシと押さえ込んだ。
 へん!俺は当代切っての格闘家、早乙女乱馬だ。舐めてもらっちゃ、困るぜ。

「乱馬?」
 あかねがきょとんと、俺を見上げながら言葉を詰まらせる。
「こいつ!ただの犬っころじゃねえかもしれねえ。あかねへの懐き方や俺への敵愾心が普通じゃねえぞ!てめえ、もしかして、呪泉郷で溺れた人間なんじゃねえのか?」
 俺にしては当然の考察だったわけだ。
 若い頃、俺は呪泉郷の女溺泉で溺れ、半分、女化していた。一緒に溺れた俺の親父なんざ、未だに水をかぶるとパンダに変化する。…まあ、親父(あいつ)の場合は、好きでまだ、パンダになる体質を返上してねえだけだが…。

「ちょっと、乱馬っ!何馬鹿なことやってるのよ!」
 俺の後ろであかねが怒鳴ってる。大方、俺がやろうとしていることに気付いたのだろう。
「こいつの化けの皮、剥がしてやるんでいっ!」
 まだ、ワンワンと果敢に吠え立てる犬っころの首根っこをつかんで、俺はそのまま風呂場へ入った。
 それから、湯水を満面と湛えた湯船目掛けて、ザブン!
 ブクブクと泡が立ち上り、犬っころは水浸し。

「あれえ?」
 犬っころは犬っころのままだ。人間に戻りやしねえ。ずぶ濡れの毛皮を着込んだまま、俺にガンを飛ばしてきやがる。
 俺は掴んでいた手をつい緩めちまった。と、犬っころはすかさず、俺の肘にガブリ!
「い、痛ってえええーっ!」
 風呂の中で流血騒動だ。
「ああん、もうっ!いい加減になさいっ!あんたたちっ!」
 遂にあかねの堪忍袋の尾がプッツン!
「ボスッ!乱馬っ!やめなさいっ!」
 とうとう、山の神の逆鱗に触れちまった。
 俺はともかく、あかねに怒られたのが響いたのか、ボスの奴、仕方なく、俺にかみついていた口元を離した。俺も、一時休戦だ。これ以上、暴れたら、あかねの奴、どうヘソを曲げるか、わかったもんじゃねえ。
「全く、いいこと、これ以上喧嘩するんだったら、二人とも、晩御飯、あげないからっ!」
 だあ、だから、俺と犬っころを同列に扱うなってんだ!
「こいつ、呪泉郷で溺れた人間だと思ったんだけどなあ…。」
 俺は流血している手を洗い流しながら、ポツンと言った。
「あのねえ…。大昔のあんたじゃあるまいし。そう、そこら中に、呪泉郷で溺れた人間が居るわけないじゃないの。」
 はああっと溜息を吐きながら俺を見詰める。
「そーか?この辺りには結構、居たじゃねえか。」
「シャンプーやムースくらいじゃないの。あの二人だって、とっくの昔に中国へ帰ってるんだし。もう…。」
「いや、現に、おめえ飼ってたじゃん。」
「はあ?」
「あ…。いや、こっちの話だ。」
 つい、ボロッと「良牙」のことを言いかけた。あいつ、あかねのペットのPちゃんに成りすまして、半居候生活を送っていたしな。
「飼ってたのはPちゃんよ。ははーん、乱馬、もしかして、ボスにヤキモチ妬いてるの?」
 とにんまり笑った。
「べ、別にヤキモチなんか。」
「もう、ガキっぽいんだから。そう言えば、Pちゃんにだって、相当、当り散らしてたわよねえ…乱馬ったら。」
 そう言いながらクスッと笑った。
「ちぇっ!たく、おめえのせいで台無しだ。」
 俺はズブ部濡れのまま、あかねの腕の中からガンを飛ばしてくる円らな瞳に向かって、言葉を吐き出し、そのまま風呂場へ。

 うう、腕がズキズキしやがる。
 そう深く噛み付いていなかったのか、それとも俺の筋肉の分厚さが勝ったのか、幸い出血は直ぐ止まった。傷口を軽く洗い流す。が、歯型がくっきりとついてやがる。
 畜生!腹がたつ!
 本当だたら、この場は一人じゃなく、あかねに背中を流して貰っている筈なんだが…。あ、助平と言う事無かれ。これでも、俺たちは夫婦なんだから。久々の家で夫婦団らん水入らず。ってのは、ささやかな願望なのだ。
 でも、犬っころが居たんじゃあ、落ち着いて二人、風呂にも入れないときたもんだ。この場にあかねを呼んだら、漏れなく、あいつも吠えながらここへなだれ込んでくるに違いない。また、お構い無しに俺に噛み付きやがるだろう。
 夫婦水入らずどころか、水入りまくりじゃねえか、それじゃあ。
 いや、待てよ…。もしかして、このままだと、今夜のベッドインもままならねえんじゃあ…。


 そんな、俺の危惧は現実のものとなった。

 新婚以来、俺とあかねはダブルベッドで寝ている。フカフカは身体に良くないというから、ちょっと固めの身体の重みにあわせて沈む、高級品だぜ。
 おっと、んなこたあ、どうでもいい。
 
「だああっ!何でベッドにまでこいつがくっついて来るんだよっ!」
 寝床へ入りながら、文句たらたら。
「だって、八宝斎のお爺ちゃんときたら、夜討ち朝駆けでなだれこんでくるでしょう?ボスが気を遣って、あたしと一緒に寝て、守ってくれてたのよ。」
 だと。
 馬鹿犬はへっへと舌を出しながら、あかねのすぐ傍へ身を沈める。
 俺があかねの肩に手をかけようものなら、また、がぶりとやりそうな勢いで俺を睨みつけやがる。
「こらこら、夜は大人しく眠りましょうね、ボス。乱馬も疲れてるんだから。ね…。」
 と一応、あかねはボスへ声をかけた。
 ルームライトを消して真っ暗にしても、俺があかねの方へと手を伸ばしかけると、気配を察するのか「ウーッ!」と低い唸り声が聴こえてくるのだ。こいつ、暗にあかねに近づくなと言わんばかりに牽制してきやがる。
 やがて、あかねの奴が、すやすやと心地良い寝息をたて始めた。俺を差し置いて、眠っちまった。

 待ていっ!
 じゃあ何か?こいつがこうやって家に居る間は、俺…。あかねに手出しできねえっつーことになるじゃねえか! 俺の純情は、夜のお楽しみは、一体全体どうなるんでいっ!
 タダでさえ、海外遠征で、何だ…。その、何は…溜まりに溜まりまくってんだぞ!
 冗談じゃねえぞ!

 強行突破しようにも、犬っころの激しい抵抗が予想される。こいつ、あかねに手を出した途端、俺に襲い掛かってくるだろう。
 そんな状況じゃあ、夫婦生活を楽しむ…なんてどころじゃねーじゃん!
 横には可愛らしいあかねがいるっつうのに、手も伸ばせねえ。
 これじゃあ、蛇の生殺しだあっ!
 可哀想な、俺は、愛するあかねのすぐ傍らに居ながら、火照った身体を抱え、悶々としたまま眠りの床へ就いた。




「どうしたの?すっきりしない顔しちゃって。」
 翌朝、あかねが声をかけてくる。
「久々の我が家で、緊張でもして眠れなかったの?」
 だなんて笑ってやがる。その横で、ボスがモシャモシャとボスとこれ見よがしにマジックで書かれた器に首を突っ込んでご飯を食べてやがる。

 あのなあ…。誰のせいで、こんな気の晴れない顔してるのか、わかってんのかあ?てめえは!

 そう、言いたい文句をぐっと飲み込んだ。
 はあ…。朝っぱらから、そんな可愛らしい笑顔を俺に振りまくなよ!
 昨日、ぐぐぐっと我慢していた「男」がもっこりといきり立って来るのがわかるくらいだ。後ろから抱きしめて、チュッ、何て朝を迎えたかった。

「ウウウウウ…。」
 そんな、俺に反応したのか、また、犬っころが低い声を出す。

 ああ、畜生!俺の楽しい家庭生活を返しやがれ!このボケ犬っ!

 俺はどっかりと、食卓の椅子の背もたれ深く、腰をかけ、たたんで置いてある新聞紙をおもむろに取り上げて顔を隠す。
 それから、あかねや犬に悟られねえように、ゆっくりと深い溜息を吐き出した。



つづく
 

思わず、長編展開になってしまいました。
しかも、完結に何ヶ月かかってしまったんだ?私(汗
私の描く未来編の乱馬は…やっぱり相当助平だと思います。すいません。
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