砂くじらさま
■年賀状バトル■

「年賀状、どうするの?」
 傍でかすみが尋ねてきた。

「んー、どうしよう。」
 あかねは迷いながら話す。
 暮れの押し迫った頃になると、決まって「年賀状」で悩む。年賀状そのものは、十一月の初めに発売されるから、その頃から準備にかかれば、難なくこなせるものだが、「まだ日があるからいいや。」と思うと、なかなか取り掛かれず、気がつくと「元旦配達締切日」ということは多々ある。
 そうなると、もう、修羅場だ。
 別に、一年の挨拶だからと、笑って済ませればよいが、遅れて届く年賀状は、何となく間抜けな気がしてならない。が、とうにクリスマスは過ぎ去り、新年まで、あと一週間を切った。既に、新年へのカウントダウンは始まっている。
 子供の頃は、サインペン片手に、干支の絵を描いて投函したものだが、お世辞にも「イラストのセンス」は良いとは言えないので、今は絵も描きたくない。かといって、毛筆が上手いわけでもなく。今はやりの写真年賀状も、何となく好きになれない。

「はああ…。絵心が無いものにとっては、年賀状って拷問みたいだわ…。特に、今回は特別だものねえ…。」

 まだ、紐解かれていないままの、まっさらな年賀状の束を見詰めながら、ふううっと溜息を吐いた。

 と、横から、なびきが声をかけてきた。

「あのさあ…。年賀状のネタに詰まってるんなら、良いものがあるんだけど…。」
 にたりと笑うところを見たら、あかね相手に体よく商売をする気のようだ。
「うーん…。ネタをまずは訊いてから、買うかどうか決めたいわ。」
 この守銭奴姉にはいつも煮え湯を飲まされている。それに、クリスマスだの何だのと年末行事をこなすのに、正月を目前に金欠だ。自然、慎重になる。
「見たら買いたくなると思うわよ。乱馬君も乗ってきたんだから。」
「はあ?乱馬も?」
 意外そうな顔を手向けた。乱馬が年賀状を真面目に書く気になっているのが、不思議に思えたからだ。
「そりゃあ、独身最後の年賀状だもの、それなり「気合」入ってるんじゃないの?」
 と姉は、傍で笑った。
「独身最後ねえ…。まあ、そうには違いないんだけど。」
 照れ笑いしながら、あかねが答えた。
 そうだ。やっとこ来春、彼とあかねは「永い春」に終止符を打つ。来年からは連盟で年賀状。「天道あかね」として書く、最後の年賀状になるのだ。
「ほらほら、どうする?年賀状の図案、買うの買わないの?」
「年賀状の図案?」
 あかねが目をくりんとさせたところで、乱馬が入ってきた。

「おっ!おめえ、やっぱり、あかねにも商売を吹っ掛けてやがったか。」
 と話しかけてきた。
「乱馬、お姉ちゃんの図案買ったの?」
 あかねが目をくるりんとさせて尋ねた。
「ああ、結構、いい感じだったからな。使わせてもらうことにした。おめえのも、先に見せてもらったけどよ、結構いい感じだったぜ。」
「どう?これでも、乗る気にならない?」
 両方から詰め寄られると、さすがのあかねも見ないわけにはいかなくなった。
「わかったわよ…。で?いくらで見せてくれるの?」
「一枚…千円ね。」
 抜け目が無い姉の言葉に、渋々財布を出してきた。
「毎度ぉ〜。」
 そう言いながら、なびきはすっと「図案」を差し出す。

「あ?これ…。」

 目を通すと、切り絵の図案だった。

「なかなかでしょう?青野砂漠さんに描いてもらったの。」
 となびきが笑った。

「青野砂漠さんって、なびきお姉ちゃんのお友だちの?」
 とあかねが目を輝かせた。
 最近、ちょくちょく美術雑誌や絵本なんかの分野で、この独特のタッチの切り絵を見かけることが増えた「新進気鋭の切り絵作家」だ。どう繋がったのかは知らないが、なびきと懇意なのである。
「この前、久々に町で行き会ってさ、図案を描いてもらったのよ。あかねのと乱馬君のと二枚ね。」
 このしたたかな姉はどうやら、商売の嗅覚を働かせたのか、友人の売れっ子作家まで巻き込んだ様子だ。
 恐らくは、来春結婚する格闘家たちのために、祝いだとか何とかそそのかして、くだんの作家に似顔絵のカットを描いてもらったのだろう。

「俺のはこいつだ。」
 乱馬がすいっと嬉しそうに脇から差し出してきた。
 和装のそれらしい乱馬。なかなか「粋(いき)」な感じで描いてある。和装なので、正月のイメージがある。
「こいつを、切り絵してみることに決めたんだ。」
 と乱馬は屈託無く笑う。
「切り絵にするの?」
「ああ、せっかく「下絵」として貰ったんだ。ちゃんと作品にしてやんなきゃ、かわいそうじゃねえか。」
 そう返って来た言葉に、あかねがきょとんと彼を覗き返す。このまま、パソコンにでも取り込んで、印刷して使うのかと思ったのに、律儀にもちゃんと切り絵に仕上げてからパソコンで取り込んで使うという。
「ま、不器用なあかねには無理だろうがな。」
 不用意な彼の一言が、あかねの心に火をつけた。
「何ですってえ?」
 メラメラと燃える、闘争心。
「いいわよ、あたしも、これを切り絵に仕上げてみせるわ!」
 鼻息荒く、言い放つ。
「じゃあ、競争だ!どっちが、先に綺麗に仕上げるか。」
 いたずらっ子のようになって、乱馬の瞳が輝いた。
「良いわよ!受けて立とうじゃん!」

「ちょっと、あんたたち…。」
 なびきが何かを言いかけたが、止めた。ここで止めたとて、言う事を聞き入れるようなそんな柔な二人ではないことは、この姉も良く知っている。
「好きにすれば…。でもさ、一言忠告しとくけど…。原画は物凄く価値があるし、二度と描いてもらえないから、切り絵にするなら、原画をコピーしておきなさいよ。それも一枚じゃなくって、何枚か用意しときなさいよ。失敗しても大丈夫なように。」
 と念を押して、あかねの財布から、何某(なにがし)の原画代を巻き上げて、あっちへ行ってしまった。


 さて、年賀状作成バトルが開始されてしまったのである。

 なびきの忠告どおり、二人揃って、近くのコンビニへ。
 そこのコピー機を前に、何枚か原画をコピーする。
「俺の倍は取っとけよ。おめえ、ドン臭えから。高校生の頃、美術の授業で、切り絵やったとき、おめえ、相当苦労してたもんなあ…。」
 くすくすっと乱馬がたきつける。
「うるさいわねえ!そんなカビの生えそうな昔の話なんてしないでよ!わかってるわよ!」
 あかねは、黙れと言わんばかりに乱馬を睨み返す。
 彼女の不器用さは半端ではない。高校を卒業して何年も経っているが、持って生まれた性分は変わる術もなく。料理の腕も食べられるようになっただけ、マシかもしれないが、裁縫、おさんどん、人の倍以上時間がかかる上、仕上がりの見てくれも決して良いわけではない。
 それに、確かに、高校生の頃、美術で切り絵をやったとき、あかねは苦労していたのだ。

「さてと…。道具も一応揃えとかなきゃな。」
 連れだって、数件向こうの文房具屋へ。黒い紙とカッターとカッティングマットを買った。
「何でそんなに紙とカッターの替え刃を買い込むのよ。」
 あかねがジロリと乱馬を見返す。
「自分が一番わかってんじゃねえのかあ?」
 ケラケラと乱馬がまた笑った。
 完全に馬鹿にされている。そう思ったあかねは、めらめらと闘争心が心の奥から湧き上がってくるのを感じ取っていた。

 茶の間のコタツの上に新聞紙を広げ、ドンと材料を置いた。

「な、何が始まるのかね?」
 縁側で将棋をさしていた、早雲と玄馬パンダが、物珍しそうに二人を覗きこんだ。
「仲よく、年賀状を作るんだって。」
 なびきがにんまりと笑った。
「年賀状をねえ…。」
 ほおおっと二人、顔を見合わせる。
「あ、あかね、今夜の食事を作るのは期待できそうにないから、お父さんたち、適当に作って食べるか、店屋物(てんやもの)取った方が良いわよ。」
 にたりとなびきが言った。
「あん?」
「だって、あの様子じゃ、終わるまで絶対、腰上げないわよ。あかねってば、相当頑固なんだから。」
 さすがに、天道家の次女は目敏い。
「あ、かすみお姉ちゃんのところも、年末で忙しそうだから、邪魔しちゃダメよ。」
 と念を押す。
 かすみは既に東風先生と結婚していて、天道家を出ていた。従って、現在、天道家の台所を預かっているのは「あかね」であった。彼女は必死で努力して、それなり、料理の腕を上げていた。時間は相変わらずかかるものの、人が食せる料理を作る腕だけは、何とか身に付けていたのである。
 だが、この分では、夕食は無理だろう。
「仕方がないなあ…。蕎麦か丼か店屋物でも取るか。」
「そうだねえ…。夕食抜きってわけにもいかないし…。」
 早雲と玄馬は互いに顔を見合わせて、やれやれと溜息を吐き出した。



 さて、年賀状作りに入りだした乱馬とあかね。
 互いに、高校時代にやった作業過程を思い出しながら、思い思いに作業を進める。
 乱馬とあかね。そこそこ器用と名うての不器用の切り絵対決。乱馬の方に分(ぶ)があるのは、誰が見ても明らかだろう。
 コピーした切り絵を台紙に貼り付けるだけでも、あかねは、遅れを取っていた。
「たく…。台紙に貼るだけなのに、どんくらい時間食ってるんだよ。日が暮れちまうぜ。」
 横から余裕の乱馬があかねを覗き込む。
「うるさい!ちょっと、黙っててよ、気が散るわ。ほら!また歪んだじゃないのっ!」
 出会った頃同様、乱馬はあかねに横からちょっかいをかけるのが好きなようだ。

「たく、乱馬君ったら、年末休暇の丁度良い暇つぶし、遊び相手とでも思ってるのね…。」
「はなっから、勝負など、する気はないみたいだね…。」
「この年末のクソ忙しいのに…。ったく、馬鹿息子が。」
 なびきと早雲、玄馬は、時折、二人の作業現場を障子越しに覗き込んだ。

「丁寧にやれよ。馬鹿力入れると、カッターマット通り越して、机まで切っちまうぜ。」
「わかってるわよ!そっとやるわよ!」
「危なっかしいなあ…。」
 くすっと笑った乱馬に気を取られたのか、あかねの指先にナイフが当たった。
「痛っ!」
 少しだけ、指先が切れる。
「ほら、気をつけないと、血だらけになるぜ。」
 いつの間に用意したのか、すいっとバンソウコウを手渡しながら、乱馬はケラケラと笑い転げる。
「ちょっと、黙っててよ!あんたのせいよ!」
「自分の不器用を人のせいにすんなよ。」
 ムキになるあかねを交わしながら、乱馬はとにかく楽しそうだ。
「ほらほら、そこ切ったら、福笑い状態になっちまうぞ。あああ、やっちまった。」
「あああ、もう!」
 切ってはいけない線を切り取ってしまったあかね。また「ふりだし」に戻って、台紙に下絵を貼り付けるところからやり直しだ。


「たく…。乱馬め、鼻の下、伸ばし寄って…。」
「アツアツで見てらんないわねえ…。」
「仲よき事は美しき哉。」

 早雲と玄馬となびきが評するように、勝負とは言いながら、乱馬は楽しんでいるようだ。それに対して、不器用なあかねが一人空回りしている。あかねの不器用振りを傍で見守りながら、嬉しがっているのが、ありありとわかるのである。

 昼過ぎに始めて、結局、切り絵が仕上がったのは、日付が変わる頃だった。
 ボンボンボンと茶の間の柱時計が長く鳴り響いた。
 時々覗き込んで、二人を観察していた、なびき、早雲、玄馬は、飽きてしまったようで、辺りから消えていた。それぞれ、自室に引き上げ、眠ってしまったかのようだ。辺りから、人の気配は全く感じられなかった。
 
「で、できた!」

「ふうう…。やっと終わったか。たく。待ちくたびれちまったぜ。」
 乱馬がごそっとコタツから這い上がってきた。あかねが黙々と作業する中、いつの間にか転寝(うたたね)していたようだ。テレビのスイッチも入れられることなく、辺りはシンと静まり返っている。

「ほら、出来た!見てみて。」
 あかねが得意げに、自分の切り出した絵を見せた。
「ほう…。なかなか、きれいに仕上がったじゃねえか。」
「でしょ?でしょう?」
 勝負の事など、もうどうでもよくなっていたあかねは、完成品を見入り、自己満足に浸っている。
「よく見ると、失敗の痕も見え隠れしてっけどな。」
 乱馬がにやりと笑う。
「失敗じゃないわよ!ちょっと、アレンジしただけよ。」
 とあかね。注意して原画と見比べると、見慣れぬ線が、あったりする。
「ま、勝負は俺の勝ちだけどな。」
「えええ?何で?」
 あかねが口を尖らせる。
「当たり前だろ?おめえがチンタラやってる間に、俺だったら、三枚、いや、四、五枚は軽く作れたぜ。」
 にやにやと乱馬が笑う。
「時間がかかれば良いってもんじゃないわよ。」
「でも、決して丁寧じゃねえだろ?オリジナル線もあるみてえだし…。」
 ちらりと乱馬が原画を見た。
「ま、特別に、勝負は引き分けってことにしてやるよ。それより、腹減ったなあ…。」
 クンと乱馬が背伸びする。
 二人とも、飲まず食わずでここへ座していた。とっくに、腹減りの臨界点は通り過ぎていた。
「きゃあ、もう、こんな時間?」
 あかねもさすがに、深夜ということに気付いて焦る。
「お父さんたち、夕飯どうしたのかな…。」
「おめえさあ…。店屋物配達に来たのも気付かなかったわけ?」
 乱馬が目をくりんとさせる。
「全然…。」
「たく…。猪突猛進ってのは、おめえみたいな奴を言うんだろうなあ…。っと、多分、台所に俺たちのも置いてあんじゃねえのか?
 片付けは後回しにして、とっとと腹満たそうぜ。俺、腹へって死にそう…。今なら昔のおめえの料理だって食べられそうな気がするぜ。」
 二人揃って遅い夕食の始まりだった。



 さて、翌朝、遅く起き出して来た二人に、なびきが話しかける。

「あんたたちさあ…。年賀状何枚作るの?切り絵って一枚しかないけど…。この先どうするの?」

「あああっ!そういえば、切り絵って…一枚だよね…。やだ、こんなの皆にできるわけないじゃん。」
 焦るあかねに乱馬は脇から突っついた。
「アホ!これをスキャナーで取り込んでパソコンで印刷すりゃいいだろが…。」
「あ、そっか…。」
 からかわれた事に気付き、あかねが笑う。
「さてと…。印刷するかな…。」

「あ、それから…どうでも良いことかもしんないけど…。あんたたちさあ、これ。」
 なびきがくすくす笑いながら、再び年賀状を指差す。
「青野砂漠さんのカタカナサインが入ってるわよ。」

 その言葉に凍りつく乱馬とあかね。

 切り絵の原画に入っていたものだから、二人ともそのまま切り抜いていた。

「げええっ!やべえっ!人のサインが入っちまってるってかあ?」
「やだあっ!もうやり直す気力も時間もないわよ!あたし…。」
 二人揃って、固まってしまう。

「たく…。大ボケカップルよねえ…。何やってんだか!
 ま、良いんじゃない?新進気鋭の切り絵作家と己のコラボレーション作品だと思ってそのまま出せば?そのうち、どっかりとプレミアが付いて、貰った人に喜ばれるんじゃないの?」
 なびきはにたりと笑いながら、どっかへ行ってしまった。

 結局、独身最後の年賀状は、そのままパソコンで取り込まれて出された。
 ただでさえ、正月配達締め切りには遅れてしまったのだ。これ以上遅れると三が日配達も危うい。また、年の瀬は何かと気忙しく、年賀状だけに時間を割くわけにもいくまい。

 二人それぞれのオオボケラスト年賀状。
 なびきが言ったとおり、大物格闘家カップルと新進気鋭の切り絵作家のコラボレーション年賀状に、プレミアが付いたということは、言うまでも無い。





1月13日
 
 いただいた画像に、「アオノサバク」と記名があったので、「青野砂漠さん」として使わせていただきました。まんまやんか!という突っ込みなしでお願いいたします。
 で、砂くじらさん、三枚切り絵をなさったそうですが、三枚目(乱あに非ず)はプライベイトでしっかり年賀状としていただきました。こちらもご紹介したいほど美しい作品であります。
作品の乱馬とあかねは結婚を控えた二十代前半という設定であります。
A☆KIRAさまに書いた「ベスと一緒に」とは違う二人でありますので(汗

 しかし…。主婦にとって「年賀状作り」はまさにバトルであります。
パソコンがぶっ壊れてしまい、印刷できずに結局、年明けから来た傍から年賀状書いていたという友人が、近くに居ました。それはそれで悲惨なような…。
 一之瀬家、今年は受験生が殆ど年賀状を書かなかったのでその分、大量に余ってしまいました。
一枚五円を支払って葉書か切手に変えていただく予定であります。
(c)Copyright 2000-2006 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。