◇宿木
第五話 瞳に潜むモノ

九、

 その後、乱馬は、道場に残って、身体を動かし続けていた。
 自問自答しながら、身体を動かす。そのそばで、玄馬が口をへの字に結んで、息子の動きを見守っていた。
「あの刹那、何があったのだ?乱馬よ。」
 玄馬は乱馬へと問い質した。
「何もねーよ!」
 バシュッと蹴りを止めて、乱馬は言い切った。
「父の目はごまかせぬぞ。何故、急に禁じられていた気技を打った?打たねばならぬ、それなりの理由があったのじゃろう?」
「だから、禁じ手を忘れて、打っちまっただけだ!」
 と吐き捨てる。

 もちろん、父の問い質して来る言葉は、的を射ている。
 あの刹那、何が起こったのか…乱馬自身が知りたいくらいだった。

(あんとき、手も足も、動かなかった。それに…。あいつの瞳の中に、何か居た…。)
 和尊と視線が合った刹那、身体が硬直したように動かなかった。いや、身体だけではない。意識が飛びかけたのだ。何か得体の知れないモノが、和尊の瞳の中で蠢いていた。

 が、玄馬には話す気は無かった。
 曖昧なことは話したくない。そう、思ったからだ。

「乱馬よ。お主が和尊君に勝てぬと、我ら家族は宿無しになりかねぬぞよ!」
 しつこく、息子に食い下がろうとした、玄馬であった。
 現時点では宿無しに等しい早乙女一家だった。のどかが住んでいた家は、一昨年、珊璞、右京、小太刀の三人娘に破壊されて以来、住める状態ではない。
 のどか共々、天道家に居候させてもらったままだった。
「それがどーしたってんだっ!」
「お前だって、天道家を出て行きたくはなかろー?」
 しつこく食い下がる玄馬に、
「うるせー!」
 と一言発し、気弾を打ち付けた。
「こら!貴様、父に向かってなにをする!」
 わき腹をしこたま打ち付け、床に転がった玄馬がはっしと乱馬を睨み返す。
「元はといえば、てめーが、勝手に天道家と縁談を組んだ事が発端になってんだろーが!俺は、承知してねーんだからな!それだけは、覚えておきやがれー!」
 最後は、道場の脇に置いてあったバケツを手にすると、思いっきり、玄馬の頭から、水を浴びせかけた。
 カランカラン…と空になったバケツと共に、ジャイアントパンダの巨体が、床板に一緒に転がった。
「けっ、ざまーみやがれっ!」
 そう吐きつけると、ずかずかと足音を響かせながら、道場を後にした。

「いつものあんたらしくなかったわね。」
 勝手口から台所へと上がると、珍しくなびきがアプローチをかけてきた。
 なびきが、わざわざ声をかけてくるときには、何かある。…経験的にそう直感した乱馬だった。返答もせず、ムスッと口を結んだまま、やり過ごそうとした。

「つれないわねえ…。何、四角くなってるのよ。」
「別に四角にも、三角にもなってねーぞ!」
 不愛想に吐きだした。
「和尊さんについて、ちょいと調べて来てあげたんだけど…。聴かない?」
 なびきが耳にささやいてきた。
 ハッとしてなびきを見やる。が、すぐに、彼女を振り切って、洗面所の方へ行こうとすると、
「今回はロハで教えてあげるわよ。」
 と囁かれた。
「それに、ちゃんと聞いておかないと、後悔することになるかもよ。」
 商売上手ななびきである。駆け引きが上手いのだ。乱馬の心をかき乱すような言葉を、次々と投げつけてくる。
「ほんとに金をせびりとるつもりはねーんだろーな?」
 低い声でそれに対した。
「ええ。」
「タダで教えてくれるなんて、何か腹に一物持ってんじゃねーのか?」
「疑り深いわねー。あの和尊って人より、あんたの方が、御し易いと思ったから、無償で提供してあげるのよ。わかる?」
「あん?」
 どういう意味だと、なびきを振り返ると、
「ウチが天道至心流の道場に戻るのも、どーかと思ってね。」
 と意味深な言葉を投げてきた。
「天道流と天道至心流の違いって何なんだよ。俺は一切聞かされてねーぞ。」
 天道家の道場に、何か曰くでもあるようだが、それを知らない乱馬はなびきへと説明を求めた。
「天道至心流は、江戸の昔から天道家に伝わる由緒正しき武道よ。一方、天道流はお父さん、つまり、天道早雲が始祖なの。平たく言えば、天道至心流に戻るってことは、先祖返りすることになるのよね。」
「先祖返りねえ…。おじさんは、元あった流派を飛びだして、新たな流派として独立した…ってことか?」
「そーゆーこと。こっからは想像だけど、過去に色々あったんでしょーね。だから、八宝斎のおじいちゃんに入門して、新たに「天道流」を立ち上げたんじゃないかしら。多分、玉緒おば様は、あかねの代で、また、「天道至心流」に戻したいっていう思惑があるんじゃないかしらね。」
「だから、あいつ(和尊)を連れて来たとでも言いたいのか?」
「ええ…。あんたは、玉緒おば様にとっては、邪魔なのよ、きっと。」
「確かに、俺は、早乙女流という、どこの馬の骨ともわかんねー流派だしな。」
 と、乱馬は不機嫌に言葉を投げた。
「でも、無差別格闘流としては、天道流と早乙女流派、すぐ上の始祖が八宝斎のおじいちゃんだから、兄弟流派みたいなもんじゃないの?だから、天道至心流よりは、天道流に近いでしょ?」
「まあ、そのあたりは否定しねーが…。」

 そう。天道早雲と早乙女玄馬は、共に、若いころから八宝斎の元で修行を積んでいる。故に、基本となる型は、驚くほど似ているのだ。それは乱馬も、この天道家に来て、あかねと初めて道場でやり合った時から、承知していることだった。
 女に変身したまま、あかねと組んでみて、驚くほど、踏み込み方や間合いの取り方、それから拳の出し方が、早乙女流に似ていていると思った。ただ、違うのは、在野の早乙女流に対して、天道流はどこか優雅さがあった。その優雅さは、恐らく、至心流が根底に流れているところから、来ていたのだろう。今回、和尊と組んでみて、良くわかった。
 良くも悪くも、至心流には古武道独特の気品が備わっていると思った。その一門から抜けていても、早雲の体に染みついた至心流の型の記憶は、あかねの中にも、脈々と伝わっているようだった。

「至心流に戻るということは、あの鼻につく本家の玉緒おばさまとも、上手く付き合っていかないといけないってことだし…。面倒臭いのよねえ…。それに、私、あんまり好きになれないのよ、あのおば様だけは。」
「同類嫌悪ってやつか?」
 即、言い返した乱馬だった。
「お父さんの従兄のお嫁さんだからね…私と、玉緒おば様とは、血は繋がっていないけど?」
「いや、繋がってなくても、同類の匂いがプンプンするせ。おめーら。」
 率直な乱馬の感想だった。別にあの、玉緒おば様が、なびきのような守銭奴とは思わなかったが、有無を言わさず周りをぐいぐいと引っ張って行く有様は、なびきと似ていると思ったのである。
「なんか、頭に来る言い方ね…。まあ、いいわ。とにかく、和尊さんがこの家に入ったら、遺産相続に波風が立ちそうじゃない。お父さんだって、「至心流」に戻るのは不本意だろーし。だから、あんたに、味方してあげよーと思ったのよ。」
「どーぜ、俺の方が、あいつより、御し易いって思ってんだろ?てめーは。」
 ムスッとした表情をなびきへ手向ける。
「だって、ねちこいおば様より、何も考えていない早乙女のおじ様や、お人好しの早乙女のおば様の方が扱いやすいのは明白だもの…。」
「早乙女家をバカにしとんのか?おまーは…。」
 思わず、苦言が流れ出た。
「別に、そーは言ってないわよ。」
「言っとるとしか思えねーぞ、おい!」
「まあ、その話はいいとして…、あかねの許婚は、和尊さんより、あんたの方がいいって思ってあげてるんだから、人の好意は受けるべきよ。」
「好意ねえ…悪意の塊のおめーに、あまり言って欲しくねー言葉だけどな…。ま、いいや。タダなんだったら、聴かせてもらおうか。」
 そう言って、乱馬は、台所の椅子へと、どっかと座りこんだ。

「お茶でもどーぞ。」
 と、気配を消していたかすみが、温かい緑茶を湯のみへと注いでくれた。
 時々、思うのだが、かすみは、己の気配を消すのが上手い。居るか居ないか、己の存在をあまりアピールしないのだ。自然体で背景に溶け込んでいることが多い。これは主婦のなせる業なのか、それとも、武道一族の血が成せる業なのかは、乱馬には度し難かったが、唐突に気配を現して、驚くことも、少なからずあった。
 どうやら、この、天道家の長姉も、話に加わるようだ。なびきの湯のみだけではなく、自分の湯のみにも、茶を注いでいるのが、いい証拠だ。
「お茶菓子もどーぞ。」
 トンと、せんべいが入った菓子鉢をテーブルの中央へと置いた。
「あ…ありがとうございます。」
 なびきとあかねには横柄な態度でも、かすみにだけは、丁寧な言葉遣いになる、乱馬であった。
 この天道家の穏やかな主婦、かすみにだけは、荒い言葉遣いはなりを潜めた。敬語じみた物言いになる。彼女に食べさせてもらっている意識が、心のどこかで強く働いてしまうのかもしれない。

 天道家の長女と次女、そして、三女の婿候補の乱馬と。少し異色の取り合わせである。

「まず、和尊さんだけど…。子供の頃に天道至心流に入門した訳じゃなくて、わりと最近、入門したんだってさ。」
 と、まず、興味を引くような話題から、入って来たなびき。
「彼が天道至心流に入門したのは、大学生になってからだそーよ。今、三回生だから、長くて、天道至心流に籍を置いて、二年半くらいってことね。」
「あれはどう見ても、ガキの頃から格闘技に入れ込んでるぜ。ってことは、別流派から流れてきたってことか。」
「そういうことになるわよね。」
 平然と、なびきは言って退ける。
「おい。ってことは、天道至心流に属する前の流派のことも…。」
「私を誰だと思っているの?当然、調べがついているわよ。」
 ふふんと、なびきは鼻を鳴らして見せた。
「マジかよ…。」
 しばし呆気にとられた乱馬であった。
 味方にすれば百人力だが、敵に回すと、恐ろしい…そんな形容がぴったりくる、天道家次女、なびきだ。
(こりゃ、タダじゃなかったら、相当、しぼり取られてたろーな…。)
 ふとそんな余計な考えが脳裏を横切って行く。
「彼の流派は、ズバリ、榎木流。」
「榎木流?」
「ええ…彼の生家も、天道至心流とそう変わらない、古武道の家元らしいわよ。」
「じゃあ、何で、わざわざ天道至心流へ鞍替えしたんだ?」
 当然の疑問である。
「まあ、理由はいくつか考えられるでしょーよ。本家本元はだいたい、本家の長子、または、一番力を有した者が継ぐでしょう?」
「ああ…。まあ、だいたい、長子相続か、一番強い奴が継ぐのが、ふつーだな。」
 うんと頷いた乱馬だ。
「ってことは、あいつは、長子じゃねーのか?」
「多分、長子よ。それも曰くつきの。」
「曰く付き?」
「例えば、婚外子とか、かしらん?」
 かすみの口から、意外性のある言葉がこぼれ落ちた。
「婚外子だあ?何だ?そいつは…。」
 いまいち、ピンと来なかった乱馬が問い質すと、
「例えば、あかねちゃんと結婚した乱馬君が浮気して、珊璞ちゃんを身ごもらせちゃった…みたいな…ことですよ。」
 かすみが、絶妙な合の手を入れた。
「あの…。かすみさん、俺、絶対、そんなことしませんけど…。」
 思わず、苦言が乱馬から零れ落ちた。
(もしかして、そーゆー目で、俺のこと、見てるのか?かすみさんは…。)
 と、突っ込みたくなるような、衝撃が走った。

「ま、婚外子も、当てはまるけれど、もっと違うことよ。」
 となびきが言った。
「じゃあ、どんな理由かしら?」
「身体的なことね。」
「身体的なこと?」
「ええ…身体的要因。和尊さんってどうやら、目に問題があるらしいわよ。」
「目だって?」
 ハッとして乱馬は問い質していた。
「ええ…。角膜移植をしたらしいわ。小学生の頃にね。」
 これまた、かなり深くプライベートに踏み込んだ内容に容赦なく触れていくなびき。
「左目か?」
 即座に投げ返した乱馬。
「いえ、手術したのは、右目だそうだけど。」
 これまた、意外な答えが返されて来た。
「右目?左目じゃねーのか?」

 さっきの対戦で、見た瞳の異変。それは、向かって右側…つまり、対峙した和尊の左目から感じたものだった。右目ではなかった。

「もしかして、あんた、和尊さんの瞳に何か映っているのを見たのかしら?」
 ウフッと笑みを浮かべて、なびきが尋ねかけてきた。
「あ…いや…。」
 咄嗟に言葉に詰まった乱馬に、なびきは続けた。
「どーやら、見ちゃったよーね。あんたも。」
 となびきは意味深な笑みを浮かべながら、乱馬の顔を覗き込んだ。



十、
 
 ちゃぷん…。

 湯を軽く手で掻きまわしながら、ゆっくりと湯船に腰を沈める。
 冷え切った身体に、ぬくもりが一気に戻って行くようだ。
「ふう…。」
 思わずため息が漏れた。
 今夜は冷える。
 五右衛門風呂ではないにしろ、古いタイプの風呂場だった。タイル張りの湯船で、大きい。巨漢の玄馬と二人で入っても狭くないほど、ゆったりしたサイズだった。
 もう、とっくに十時は回っているだろう。
 一番最後に、湯を貰った。大家族が一通り入り終えた湯だ。誰彼に気を遣うことなく、ゆっくりと入れる。
「榎木流心眼術かぁ…。」
 ぬるめの湯に浸りながら、なびきが言ったことを思い出す。
 あの後、なびきが乱馬に語ったことは、衝撃的だった。




「どーやら、見ちゃったよーね…あんたも。」
 そう言ったなびき。
 なびきの話によれば、榎木和尊の家の流派、榎木流には、「心眼術」という、怪しい技が伝わっているというのだ。
「榎木流の直系男子にはね、生まれた時から「魔物」が巣食うんですって。」
「魔物だあ?」
「ええ…。祖霊なのか、それとも、精霊なのか、悪霊なのか、よくわからないけれど、榎木流の使い手は、その魔物を瞳の中に飼いならして、戦うそうよ。」
「そんな、非現実なことってあるのかしら…。」
 乱馬の代わりに真横で首を傾げる、かすみ。
「彼といい線までやり合った相手は、必ずと言って良いほど、その、魔物の影を、瞳の中に見ているそうよ。ねえ、乱馬君。」
 なびきは、したり顔で乱馬を見据えて来た。
 どう、返答を返そうと迷った乱馬だったが、嘘をついたところで、仕方が無いので、そのまま、頷いた。
「ああ…奴の左目には、何か棲んでいたぜ。」
 と小さく吐きだした。
「それで、気技を使っちゃったって訳ね?」
「そーだよ。」
 険しい顔をしながら、頷いてみせた。
「まだ、咄嗟に対応できただけ、やっぱり、やり手だわ。乱馬君って。」
「バカにする気か?」
 乱馬が睨みつけると、
「並みの格闘家なら、そこで、倒されてるわよ。」
 と、なびきが言った。
「丁度、私の大学の知人の知人が、この前の大会で、和尊さんと対戦したらしくって、直接聞いて来たんだけれど、彼にやぶにらみされただけで、身体が硬直して動かなくなったそーよ。」

 それを聞いて、ピクンと辛が動いた。まさに、乱馬も、それを体感したからだ。
 あの時…和尊と瞳が合った時、手と足が固まったかのように動きが止まった。

「それで、そのまま、手も足も出せないで負けちゃったって。」
「あらまあ…。それってズルじゃないのかしら?」
 かすみが、ポロッと吐き出した。
「あ…いや、かすみさん。ニューバトルという徒手格闘技は、道具を使わない限り、反則にはならないんっすよ。催眠術だって、道具を使わない限り、オッケーなんですから。」
「どーしてなのかしら?」
「催眠術でも妖術でも、それをふり払えないのは、選手の未熟さから来る物だという考え方が、無差別格闘技の根底には流れているんです。じゃねーと、八宝斎のじじいみたいなのは、存在自体が反則になっちまうでしょう?それに、気技だって、下手すると、眉唾物として使えなくなっちまうし。」
 乱馬がかすみへと解説を加えた。
「じゃあ、無差別格闘って何でもありな競技なのね?」
「まあ、道具は使っちゃいけねーっていう、基本ルールは存在しますがね。何でもありだからこそ、逆に、人気が出てきてるんです。だから、和尊がどんな術を使おうが、道具を使っているわけじゃなかったら、ルール違反にはならないんです。それに、魔物を瞳の中に飼っているって証明も、できねーでしょ?」
「そーゆーこと。かすみお姉ちゃん。だから、術に完全に飲まれないで、その前に気技を打って対抗した乱馬君は、ある意味、優秀で強いってことになるのよ。まあ、お父さんが気技を封印しろって約束していたからさっきの勝負は、乱馬君の「負け」にはなっちゃったけどね。」
「負け…強調すんな!気分悪ぃー!」




 そうだ。あの時は負けた…が。お互い、気技を使える状態だったら、どうなっていたか。

(相手が魔物を使ってるっていう時点で、展開はわかんねーな。ただ、一筋縄じゃ、いかねーことだけは、確かだ。でも、俺には気技がある。)
 湯へ浸りながら、色々考えを巡らせていく。
 湯に浸かるという行為は、思慮を深めるということに於いて、かなり有効な手段だと思えた。
 トイレにて座っているときもそうだが、裸で湯に浸るという行為には、頭を解きほぐす効果が抜群なのだと思えた。

(それに…かすみさん…変なこと言ってたな…。)

 なびきによる、和尊の情報レクチャーの後、ふと、かすみが言った言葉へと、想いを巡らせる。




「そう言えば、和尊さんって、ちょっと不思議なところがあるのよね。」
 ポツンとお茶をすすりながら、投げた言葉だった。
「不思議なところって?」
 乱馬より先に、なびきが興味を示して反応した。
「今、学会と学祭のシーズンだからって、今週は講義授業があまり無いらしくって、和尊さん、ずっと家に居て、家事を手伝ってくださってるんだけれど…。」
「マメねえ…。」
「ええ、ただで居候させてもらうのも、悪いからって。」
「どこぞの父子とは違うわねえ。」
「うるせーよ!俺は毎日、ガッコへ通ってんだ!言いたいことがあんなら、親父に直接言ってくれ!」
 思わず、苦言が漏れる。
「で?和尊さんの不思議なところって?」
「雑巾がけとか、お庭掃除とか、力仕事を手伝ってくださってるんだけど…。その…お道具をしまっているところとか、場所とか、私がわざわざ指示しなくても、すっと、納屋から取り出して来たりとか、その場所を掃除始めちゃうというか…。」
「はあ?」
 なびきが、へっとなってかすみを見返す。
「その…。まるで、この家に、一度、来たことがあるというか…何と言うか…。頭の中に、ウチの見取り図一式が入っちゃってるみたいなのよ。少し、不気味に思えるほどね。」
 主婦ならではの、観点から、和尊を分析して見せるかすみだった。
「でも、多分、初対面よ。ウチに来たことなんて無いと思うけど。」
「でもねえ…。気持ち悪いくらい、何でも、すっと取って来ちゃうし…。我が家のこと、わかっているみたいで。これも、瞳の中に巣食わせている魔物のせいなのかしら…。」
「さあ…。」
 かすみと一緒に、なびきも首をかしげた。


(確かに…。かすみさんが言ってることに、思い当たる節もあるんだよな…。)
 湯を手で掻きながら、思惟に浸る乱馬だった。
(あいつ…。最初に来た時、俺が女に変身することも、知ってやがったし…。それだけじゃねー。確かに、かすみさんが言うように、この家を知っていたかのように、脱衣所に迷わず入って来てやがった…。そして、不意に、俺の後ろを取ったんだ。)
 何から何までもが、気に食わない和尊だった。
(かすみさんが言うように、左目に見た、魔物のせいなのかもしんねーけど…。でも、かすみさんも、やっぱ、ちょっと変わった感覚を持って居るよな…。)
 少し苦笑いを浮かべながら、やり取りを思い出す。


「それからね、和尊さんがあかねちゃんを見ている瞳は…乱馬君とはちょっと様子が違うのよ。」
 かすみは、また、別の見当違いな感想も持ちだして来た。
「乱馬君と違うって?どういうこと?」
 かすみの言に興味を持ったなびきが、瞳を輝かせながら問い返す。
「ほら、乱馬君があかねちゃんを見つめている瞳って、熱っぽいじゃない?でも、和尊さんがあかねちゃんを見ている瞳って、熱っぽくなくて、ただ平坦で柔らかいの。」
 ブハッと、思わず、飲みかけたお茶を吹き出しそうになった、乱馬であった。慌てて、ゴクンと飲み干して、声を裏返す。
「ちょっと、待ってください!その、俺の瞳が熱っぽいって、どーゆー意味ですか?」
「もしかして、スケベ熱じゃないの?あかねのこと、好きだったら、当然、性的対象者としても、見るわけだろーだから。」
 なびきが笑いながら、口を挟む。
「じゃかーしー!んな、目であかねを見たことなんてねーぞ!」
「嘘っ!年ごろの若人が、そういう目を持たないことの方が、信じられないんだけど…。」
 なびきが言い放つ。
「とにかく、そんな目であかねを見てねーぞ!俺はっ!」
 顔を真っ赤にして、怒鳴ってしまった乱馬だった。
「乱馬君があかねちゃんを見ている瞳って、あかねちゃんが好きで好きで溜まらないっ…というのかしら…、見ていて、凄く情熱的なの。けど、和尊さんのはそれとはちょっと違う種類の光が籠っているの。例えば…そーね。お父さんの目に近いっていうか…。」
「はあ?何?それ…。お姉ちゃん。」
「ごめんなさい。上手く言えないんだけれど、乱馬君は大好きだよって目であかねちゃんを見ているけれど、和尊さんは兄というか、親として見ているような…そんな感じなのよ。」
「もー、訳わかんないよ、お姉ちゃん。」

 なびき同様、乱馬にもかすみの言は、訳がわからなかった。
 恐らく、かすみには、乱馬と和尊では、あかねの見方が根本的に違うとでも、言いたかったのだろう。そう理解した。

「乱馬君があかねちゃんを見ている瞳って、一縷の曇りがないの。とても澄みきっているのよ…。でも、和尊さんのは違うの。澄んでないとは言わないんだけれど、恋する瞳とは異質なのよ。ひいき目で見ている訳ではないのだけれど…だから、私は、乱馬君にあかねちゃんを託したいって思ってるの…。」
 かすみは、そう、言い切った。

…にしても、俺のあかねを見る目って…そんな風に映ってるのかよ…かすみさんには…。
 戸惑いが隠せなかった。

 ある意味、かすみの言は、的を射て抜いていた。
 時に、己の感情が抑えられなくなるのではないかと思うくらい、熱がこもった瞳で、あかねを見ていることがあるからだ。激情に流されそうになる自分を、必死で押さえていることが、時を重ねるにつれ、増え始めているように思えた。
 それは、まだ、己が、女に変身する中途半端な身体を引きずっているからに他ならない。感情を押しつぶして、耐えていることもある。彼女を想うと、自ずと下半身が変化し始めることもあるくらいだ。
 一方、好きな故に、手を出してはダメだという、ブレーキがかかるのも、事実であった。

「駄目だ!余計なこと、考えちゃ!」
 ブンブンブンと頭を横に振る。 
 ブクブクと首の根元まで、湯に沈みながら、思わず、真っ赤になった乱馬であった。
『あかねは手放せない。手放したくはない。誰にも渡さない!』
 その一言に尽きた。
 が、あかねの前に出ると、天邪鬼に徹してしまう。それが、乱馬という、男でもあった。

 それが顕著に表れたのは、翌夕。

 夕食の団欒時に、和尊が、あかねを、誘ったことにあった。
「ねえ、あかねちゃん。この週末、良かったら、ウチの学校の学祭に来ない?」
 どこにでもある、ありきたりの、誘いの定番文句。
「学祭…学園祭ですか?」
 茶碗を片手に、あかねが瞳を和尊へと転じた。
 それを傍で聞いていた乱馬は、表情こそ買えなかったが、ピクンと耳が立った。
「ああ。僕の大学では、伝統的に、体育会の格闘系や武道系のサークルが合同で、格闘喫茶をやることになっているんだ。」
「格闘喫茶?」
「ああ。体育館の脇に、格闘リングを作って、その脇にテーブルを並べて、お茶を飲みながら、格闘試合を見てもらうんだ。柔道や空手やら剣道やら。結構、気合が入っちゃって、面白いんだよ。」
「へええ…。面白そうですね。」
「君が来れば、うちのサークルのみんなにも刺激になると思うんだけど…。」
「って、あたしに試合させる気とか?」
「いや、そこまではしないよ。怪我させちゃったら申し訳ないし。まあ、型くらいなら見せてくれても、一向にかまわないけれど。…どう、乱馬君も来るかい?」
 チラッと乱馬を見据えて来た瞳。今はメガネも駆けているし、闘気も籠っていないから、魔物の姿はもちろん見当たらない。
「俺は遠慮しとくぜ。…おめー、行きたきゃ、勝手に行けよ。」
 と、また、天邪鬼な口が、あかねを突き放した。
 その言い方が琴線に触れたのだろう。
「じゃ、行くわ!」
 これまた、深い考え無しに、あかねの口から洩れ出た、言葉。
「ホント?じゃあ、連れて行ってあげるよ!」
 嬉しそうに微笑んだ、和尊。
 
 それを見ながら、ムッとした乱馬。

 その有様をまともに見て、父親たちばかりではなく、かすみとなびきの姉妹も、やれやれと、視線を飛ばし合う。
 こうして、再び、不穏な空気が、乱馬とあかねの上を、漂い始めてしまったのであった。



つづく


一之瀬的戯言
 やっと、バトルシーンを書き終えて、ラストが見えてきました。
 現在、肝心かなめとなる、クライマックスの表現法で、めちゃくちゃ苦戦しております。
 頭に浮かんでいる情景を、どう、文章で表現するのか…。どーやれば、そのイメージどおり、言葉に乗せられるのか…。ボキャ貧というより、この手法でいいのかどーか…みたいなことで、迷う迷う。(←もともと、今書いているか所は、絵で表現したかった作品からの転化なので。)
 透明感のある表現って…なかなか難しいですな…。


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