◇宿木
第四話 対峙

七、

「ただいまー。」
 あかねが引き戸を開けると、玄関の三和土にいっぱい靴が並んでいるのが見えた。
 チャイナ靴、草履、そして、バレーシューズ。それから、乱馬が愛用しているのと似た靴に下駄。
 それを見比べて、思わず、あかねの顔が硬くなった。
「何だ?」
 あかねが玄関先で固まってしまったのを受けて、後ろから入って来た、乱馬が覗き込む。
「げ…。奴ら、押しかけてきたのかよ…。」
 思わず、乱馬の顔も引きつった。
 この靴の主たち。つまり、三人娘と沐絲と九能帯刀…彼らとみて、間違いあるまい。

 乱馬とあかねの帰宅を察した、かすみが、奥から出てきた。
「おかえりなさい。お友達がお見えですよ。お茶の間に通してあるからね。」
 のほほんと、かすみが二人に話しかけた。
「お友達…ねえ。」
「ちょっと、違う気もするが…。」
 ふうっと大きな溜息を吐き出して、あかねと乱馬は三和土を上がる。
 ここに居している以上、逃げ隠れもしない。
 彼らがどうして、ここに押しかけてきたのか、理由はわかっていた。恐らく、なびきがばらまいた、あの号外というふれこみのチラシが、大きく関与していることは明らかだ。
 二人とも、鞄を玄関先にちょこんと置くと、意を決して廊下を行く。そして、茶の間の襖を開けた。

 珊璞、右京、小太刀、それから沐絲に九能帯刀。
 ずらっと揃って、一斉に険しい瞳を返す。

「あの…み…みんな揃って、何か用かしら?」
 あかねが恐る恐る切り出すと、右京がダンとプリントをちゃぶ台に置いた。
 なびきの号外である。
「天道あかねに第二の許婚現る」。そんな、見出しが躍っていた。

「これはどういう意味か、説明してもらいたいんやけど…。」
 右京が鋭い瞳であかねを見据えた。

「説明って、文面どおりだぜ。特に、何も付け加えることもねーだろ?」
 ブスッとした表情で、あかねの代わりに乱馬が言った。

「ということは、天道あかねは、二股掛けということなのですか?」
 小太刀の瞳は険しかった。どうやら、二人目の許婚が出来たことが、悔しいと見受ける。
「くうう…。僕という者がありながら、許婚をポンポンと与えられるとは…。」
 九能などは涙ぐんでいる。
「乱馬はこの事態を許しているだか?おぬしが天道あかねと一緒になってくれなければ、オラが困るだ!」
 沐絲も心穏やかではない。
「新しい許婚できたなら、とっとと、乱馬の許婚の座から降りるよろし!」
 珊璞が言うと、
「せやな。新しい許婚って、結構いい男やというやんか。」
「本当ですの?」
 小太刀が右京へと問いかける。
「ああ。榎木和尊っていう、無差別格闘界の貴公子って有名な、ニューバトルの若手チャンピオンなんやろ?」
「知っていますわ。確かに、メガネ男子ではありますが、イケメンで通っていますわ。キー、天道あかねには勿体ない色男。ここは、乱馬様から手をお引きなさいませ。」

「ちょっと、待って…。何で、右京が、相手の名前まで知ってるのよ?」
 あかねが怒鳴った。
 なびきが配った号外には、相手の情報には一切触れられていなかったはずである。なのに、何故、右京が和尊のことを引き合いに出したのか、不思議に思ったのだった。
 いずれ遠からず、明るみに出るとしても、早すぎる。

「ちゃんと、版元から情報を貰ったんやで!」
 右京は得意げに言った。
「ええ、私たち、いかばかりかを出し合って、天道なびきから情報を買いましてよ。」
「せや、一人千円ずつ出し合ったわ。」
 一人千円で五千円。それで、なびきは、榎木和尊の情報を売ったらしい。いかにも、業突く張りの姉がやりそうなことである。

「もー、お姉ちゃんったら…。」
 あかねが憤慨するのも無理はない。
 号外だけでも、怒り心頭なのに、詳しい情報まで洩れているのだ。

「とにかく、あかねに第二の許婚が現れた以上、ウチらは今後は一切、乱ちゃんに対して、遠慮せーへんで!」
 右京が宣戦布告した。
「そうね。あかねはさっさと、乱馬の許婚から降りるよろし!」
「二股掛けは、許しませんことよ!」

「おめーら、一度でも遠慮したことなんて、あったっけ…。」
 思わず乱馬の口から、苦言が漏れた。
 ここのところ、毎日のように三人娘に追いかけまわされて、「遠慮」という言葉からはほど遠い現実に直面していたからだ。

「いや、それは困るだ。乱馬!ここは、新しい許婚など粉砕して、天道あかねと駆け落ちするだ!」
「たとえ、許婚が何人に増えようとも、この九能帯刀のあかね君への愛は不滅だあ!」

 ただでさえ、かみ合わない、ライバルたちである。
 一気に、不穏な空気が茶の間へと流れ始める。
 と、傍で黙って聞いていた早雲が、唐突に立ち上がって、怒鳴った。
「君たち、実力行使に出るなら、外でやりなさい!家の中で暴れるのは、いかんよ!」
 その言葉を合図に、後ろに侍っていた、玄馬もといジャイアントパンダが、乱馬とあかねの襟ぐりを掴むと、ささっと茶の間続きの縁側から外へと、放り出した。

「きゃ!」
「わたっ!何しやがる、親父ー!」
 あかねと乱馬が怒声を張り上げる。と、それを合図に、一斉に二人目がけて襲い掛かってくる男女五名。
 右京と珊璞と小太刀と沐絲は乱馬に。そして、九能帯刀はあかねに。それぞれ、襲い掛かった。
「天道あかね―!」
「いやああー!来ないでーっ!」
 どさくさに紛れて、あかねに抱きつこうとした九能が、まず、戦線離脱を余儀なくされた。そう、あかねの、蹴りが九能に対して炸裂したのであった。
「天道あかね―!ボクは諦めないぞ―。」
 空高く舞い上がりながら、九能が飛び去っていった。
「もー、一体、全体、何なのよー!」

 対して、乱馬は、いつもと変わらない光景。そう、追いすがってくる少女たちに対して、やはり、逃げの一手で鬼ごっこが始まっていた。但し、沐絲に対してだけは、男なので容赦する気は無かったらしい。四つの塊の中から、ただ唯一、弾け飛んだのは、沐絲であった。
 いつもの如く、暗器を乱馬目がけて打ち込んだが、即座に返り討ちにあって、天道家の庭の池に放り出され、アヒルになって、ガーガー言っていた。
「くそー!何だって、俺ばっかり、こーなんだよー!」
 乱馬はそう言葉を投げると、ひょいっと塀を越えて、天道家から遁走して行ってしまった。
「乱ちゃん。今日は逃がさへんで!」
「きっちり、落とし前をつけていただきますわ!」
「乱馬、物にしてみせるある!」
 口々に、好き勝手な言葉をはき付けながら、少女たちもまた、塀を乗り越えて、行ってしまった。

「あらあら、みなさん、お帰りになったのね?」
 茶菓子を持って来たかすみが、のほほんとしたセリフを投げつける。
 ある意味、何があっても動じない、かすみが一番、堂に行っているのかもしれない。

「ほんとに、しょうがないお友達たちですね。」
 いつからそこに居たのか、渦中の人、榎木和尊が、腕組みしながら声をかけてきた。
「もっとも、あたしは、お友達だなんて…一切思ったこともありませんけど。」
 その言葉を受けて、あかねがボソッと言葉を落とした。
 クラスメイトの右京はともかくも、珊璞も小太刀も「お友達」と言うには、ちょっと違うような気がしたからだ。乱馬を巡ってのライバル…でもあったが、あかねから見れば「迷惑な知人」という範疇から出ることは無かった。
「あんたも、いい加減にお帰りなさいよ、沐絲。」
 池に落っこちた沐絲に向かっても、厳しい言葉を投げかける。
 グワーグワーと、沐絲はアヒル語で何かを語りかけたが、あかねは、転がっていた暗器を乱雑にまとめると、
「いーから、今日のところは帰ってちょうだい!とにかく、あたしたちのことは、放っておいて!お願いだから。」
 そう言って、その場から離れる。
 グワー!
 それでも、言い足りないのか、沐絲はくちばしを張り上げようとしたが、あかねの後ろ姿に何か思うことがあったのか、身体に暗器と衣服を巻きつけると、しずしずと立ち去った。

「無粋な連中ですね…。」
 沐絲が居なくなると、和尊があかねへと声をかけた。
「ええ…。もう慣れっこになりましたけど。」
 あかねは、撒き散らされた葉っぱや小石を拾い上げながら、答えた。
「彼は、いつもああやって、追いすがる女の子たちから、逃げているだけですか?」
「ええ。逃げの一手しか能がないみたいです。」
 少しむっとした表情で、あかねは答えた。
「もっと、方法はないんですかね?」
「女の子には手荒な真似はしたくないんでしょーよ。」
「お優しいんですね。」
「というより、優柔不断なんです!」
「確かに…優柔不断すぎますね。」
 メガネの下にある和尊の瞳が、怪しく光った。一瞬、殺気にも似た、激しい気焔が上がったようにも思えた。
 あえて、和尊の方を見ていなかったあかねが、その気配に一瞬、ハッとなって、振り返ったくらいだ。
 そのあかねに気が付いたのか、和尊は瞬時に気焔を消していた。まるで、何事もなかったかのように、にこにこと微笑んでいる。
 一瞬、確かに和尊から殺気を感じた…と思ったあかねだったが、気のせいかとすぐに流してしまった。

「それにしても、なびきお姉ちゃんが帰って来たら、とっちめてやらなきゃ!」
 と、わざと大きな声で、姉を糾弾する。
「ああ、その号外。僕も読みましたが、なびきさんも、なかなかやり手ですね。」
「和尊さんも、読まれたんですか?」
「ええ…。」
「ほんと、いつもこーなんですよ。なびきお姉ちゃんは。金目になることには、目が無いというか…。」
「なかなか、楽しいお姉さんですね。」
「楽しいで済めばいいんですけど…。」

 苦笑いしながら、あかねは再び、縁側から家の中へと入った。もちろん、泥だらけになった、制服をパンパンと叩き、それから、靴下も脱いだ。 
 その後ろ姿を見送りながら、和尊は独りごちる。

「あの、早乙女乱馬とかいうあかねさんの許婚…。あかねさんのことをどう思っているのでしょうね…。僕には、まだ、掴みきれていませんよ。愛しているのか…それとも、何とも思っていないのか…。」
 乱馬が乗り越えて行った塀を見上げると、ヤドリギの塊が悠然と見えた。
「ええ…。もちろん、このまま見過ごしたりはしませんよ。せっかく、懐深く潜り込めたんだ。事と次第によっては、僕があかねさんを頂いてもいいですよね…。」
 一体、彼は誰に話しかけているのか。辺りに人影はない。
「大丈夫…。無茶はしませんから。あなたは黙って、見て居ればいいんです。」

 和尊は、そう小さく吐きだすと、ゆっくりと、道場の方へ向かって歩き始めた。



八、

 乱馬が天道家に戻って来たころには、すっかり日が暮れていた。
 十一月も末になると、日没が早い。そろそろ、本格的な冬の到来を思わせる、つるべ落としの夕日だった。
 散々、駆けずり回ってきたのだろう。帰宅した乱馬の衣服は、いつもよりも、泥だらけであった。ところどころほつけているとこりを見ると、相当激しく、追い回され、時たま右京のコテや、小太刀の小道具などに襲われたのだろう。
 ひと風呂浴びて出てきたころには、すっかり夕飯の準備が整っていた。
 かすみが作った物の紛れて、黒い塊がいくつか。どうやら、あかねが手伝ったらしい。
 いかにもと言わんばかりの、意味不明なモノが皿の上に乗っかっていた。

「おめー、懲りずに、また、作ったのかよ…。」
 じと目であかねへ問いかける。
「ええ。作ったわよ。」
「で?これは何だ?」
「コロッケ。」
「どこの世界に、真っ黒なコロッケがあるってんだ?」
「ちょっと、火力が強かっただけよ。」
「ちょっと…であれだけ、見事に焦げるのか。」
「衣はともかく、中身はばっちりよ。」
「いや…。とても、ばっちりには見えねーんだけど…。」
「食べるの?食べないの?」
「食べない!」
 即答するや否や、あかねの腕が乱馬目がけて容赦なく振り下ろされる。
 ぐえっとなって、畳に屈する乱馬に向かって、なおも吠え続けるあかね。
「食べなさい!」
「やだ!」
「腕によりかけて作ったのに。」
「よりかけて作ってても、食いたかねーもんは食わねえー!」
 そんな言葉をやり取りしていると、さっと、あかねの作った物に箸が伸びた。
 えっと思ってみると、和尊があかねの作った黒焦げコロッケを箸で撮って、瞬時に割って、中身を口に入れているのが見えた。
 乱馬にしてみれば、信じがたき、大胆な行動である。
 いや、知らないということは、いかに恐ろしいかということを目の当たりにしたような気がした。
 黙って、あかね腕に敷かれて見ていると、意外にも、和尊は平然とあかねの作った得体の知れないコロッケをもしゃもしゃと食べている。
 天道家の他の家族も、ゴクンと唾を飲み込んで、和尊の方をガン見していた。

「衣が焦げたのが残念だけど、味は、普通にいけますよ。」
 一つ、食べ終わったところで、そんな感想が、和尊の口から漏れた。

「ウソ…。そんな、筈はねーだろ。」
 乱馬が見上げながら言うと、
「だったら、君も食してみればいい。」
 涼やかに、和尊は言い切った。己の真横で、あかねがキラキラ瞳を輝かせて、和尊を見つめているのが見えた。どうやら、手料理をまともに食べてくれたことが、彼女には神がかり的に嬉しいらしい。
 そんな、あかねを見ていると、乱馬の闘争心がメラメラと燃え上がった。
 畳から起き上がると、箸にワシッと掴みかかり、我もと言わんばかりに、勢いよくあかねのコロッケを皿に取る。そして、衣を破って、中身だけ恐る恐る口に運ぶ。
 一斉に、注がれる、天道家の面々の瞳。
「ほんとだ…。食える。」
 乱馬の口からも、信じられない一言がこぼれ落ちた。
「ほらみなさい!」
 あかねが得意げに腕を組んで笑った。
「食えるけど、決して美味い訳じゃねーぞ。第一、ジャガイモがゴロゴロしてるし…。滑らかじゃねー。」
 ぼそぼそっとダメ出しも忘れない。そう言った乱馬の顔面を、再び、あかねの肘が襲う。
「食べられるんだったら、いーじゃない!」
「だから、これしきで慢心してたら、上達はねーっつーってんだよ!」
「わかってるわよ!」
 だんだんにボルテージが上がる二人に
「食事時くらい静かになさいね。」
 そこはかとない、平らな笑みを浮かべて、かすみが二人を諫めにかかる。
「はい。」
「わかりました。」
 怒気をおさめて、乱馬もあかねも、再び、箸を動かし始める。

(まあ、進歩はし始めてるみてーだが…。)
 残ったコロッケに手を伸ばして、無言で食べ続ける乱馬だった。
 その様子を見て、和尊が言葉を発して来た。

「夕食後、軽く、道場で一緒に流さないかい?」
 和尊が乱馬を誘ったのである。
「それは、試合をするってことか?」
 乱馬が不愛想に投げ返した。
「いや…。君とやり合うなら、もっとしっかりした場所じゃないと、道場がもたないだろう?」
「だったら、何のためにやるんだ?」
「せっかく、この家に居させて貰っているんだ。君の実力も見てみたいし。君だって、僕の技量を図りたいだろ?」
「あ…ああ。まーな。」
「だから、軽く、組み合うくらいでいいんだけれど…。」

 と、早雲が二人の間に割って入った。
「いや、組みあって互いに修練してくれるのはいいよ。若者同士が実力を確かめたいって気持ちもよっくわかるよ。でもね。ここは公共の試合会場じゃないんだから。我が家の道場がボロボロになるような取っ組みあいは避けて欲しいんだけど…。」
 道場主としての、本音であった。
 普段の基礎程度の修行ならともかく、乱馬も和尊もその本当の力ははっきり言って、未知数だ。乱馬には「飛竜昇天破」という大技があるし、恐らく、和尊もそこそこの気技を持っているはずだ。それが、本気でぶつかれば、天道道場など、屋根ごと吹っ飛びかねない。
 ただでさえ、早乙女親子が居候して住み着いて以来、変な連中がとっかえひっかえ現れては、道場や母屋を元気よく破壊して行ってくれている。不可抗力とはいえ、大工に頼めば、また、幾ばくかの金銭が吹っ飛ぶのだ。
「これから、冬に向かうから、壁や屋根に大穴を開けられても困るのだが…あはははは。」

「その点なら、心配ありませんよ。お父さん。」
 和尊が早雲へと言った。「お父さん」という言葉尻に、一瞬乱馬の顔が険しくなったが、突っ込まずに黙り込む。
「気技は封印しますから。ねえ、乱馬君。」
「ああ…。気技を無しの取っ組み合いだけだったら、そんなに道場もいたまないだろーしな。」
 一応、頷いて見せる。
 乱馬とて格闘家の一人だ。目の前の学生っチャンピオンの腕前が、いかほどの物なのか、確かめてみたい気持ちはある。
「あたしも、見てみたいわ。」
 あかねも瞳を輝かせている。気技を封印していれば、怪我をすることはあるまい。そんな、甘い考えがあかねの頭にも浮かんでいた。
「天道君、ワシも見たいなあ。」
 早乙女玄馬も、横から突っ込んで来た。この乱馬の父親もまた、強い者に興味を示す、格闘バカであった。
「でもねえ…。万が一、穴が開いたら…。」
 強い者に惹かれながらも、道場が傷むことを恐れる、天道家主の早雲。
「大丈夫ですよ。そのくらい力のセーブができない腕前でもないでしょう?乱馬君も。」
 見事に乱馬を煽って見せる、和尊。
「ああ。ま、軽く流す程度なら、是非、お手合わせを願い出たいぜ。おじさん。」
 と、乱馬も頷いた。いずれ公式戦で、やり合うことになる相手なら、早めにその腕前を知っておくのも必要かとも思った。もちろん、軽い組手の中で、手の内全てを読み解くのは無理だろうが、少なくともどの程度の使い手なのかは、わかるだろう。

「わかったよ。その代わり、絶対、気技は無しだからね。使ったら、即、負けにするからね。いいね?」
 和尊や乱馬、あかねや玄馬にごり押しされる形で、仕方なく、早雲は首を縦に振った。

 夕飯を済ませて、暫く休憩を取って後、家事をしているかすみ以外の天道家の面々は、一堂に道場へと集まった。
 乱馬も普段着のチャイナ服ではなく、道着を着こんでいた。もちろん、和尊も道着に袖を通していた。
 道着を着ると、互いに、少し体格が大きく見えるから、不思議だった。
 和尊の方が少し、乱馬より上背があった。が、体格的に見れば、乱馬より少し痩身にも見えた。が、恐らく、道着の下には、見事な筋肉があるに違いない。
 年が三つほど違うせいか、乱馬の方が、少し青く見えるのは、仕方のないことだろう。
 が、決して、発する闘気は、和尊に引けを取らない。

「メガネ、預かっておいてくれますか。」
 和尊は、メガネを外した。一応、本気でいくからには、メガネは要らないと思ったのだろう。
「わかりました。お預かりします。」
 あかねはそう言って、和尊からメガネを受け取った。
「あんた、がさつだから、私が持っておいてあげよーか?」
 なびきが隣りから声をかけてきた。
「がさつは余計よ。」
 プクッと膨れたあかねに、
「メガネ一つ持ってるだけでも、集中できないんじゃないの?じっくり、あの二人の実力確かめたいんなら、私が持っとく方が理に適ってると思うけど。」
 と言ってきたなびき。
「わかったわよ。ちゃんと預かっててよ。」
「もちろん。」
 そう言って、なびきはあかねからメガネを受け取る。
 
 そうこうしているうちに、乱馬と和尊の段取りが出来たようだ。
 早雲が二人の間に立って、手をすっと上げた。
「気技は禁じ手だからね。」
 まだ、気にしているらしく、しつこく二人に念を押す。
「もちろんですよ。」
「おじさん、わかってるって。」
 両者ともに、既に駆け引きは始まっていて、互いに視線を外そうとしない。

 いや、身構えた乱馬は、見据えた和尊の瞳に、少し、ハッとした。
 左右で、瞳の色が微かに違って見えたからだ。
 メガネ越しではわからなかった、和尊の瞳の違い。
 俗に言う、「ヘテロクロミア」。右目より左目の方が少し、赤茶けて見えたのである。
 もちろん、そんなことに気を取られている場合ではない。

「両者、気技抜き、一本勝負、始めっ!」
 早雲の右手がにわかに振り下ろされた。

「でやあっ!」
 まず、最初に動いたのは乱馬であった。
 和尊の懐目がけて、右手を大きく振り向ける。
「たああっ!」
 その右手が、和尊の目の前で唸った。が、一瞬早く、和尊は後ろに下がっていた。そして、床を蹴って、今度は乱馬へと襲い掛かる。
「でやっ!」
「たあーっ!」
「とぉっ!」
「えいやーっ!」
 互いの肉体が、至近距離で躍動する。

「すごい…。」
 あかねは思わず、両手を握りしめて、見つめていた。
 姉にメガネを預けて正解だったろう。
 乱馬と和尊の、僅差のない打ち合いに、グイッと心を引き付けられた。どちらも、無差別格闘の武道家としては、一流の部類に入る。
 揺るがない足腰。そして、崩れない体形。

 だが、打ちあっている当人たちは、余裕など無かった。
(思ったよりも、身体の切れがいい奴だな。スピードもそこそこあるし、破壊力もある。)
 相手に負けずと打ち込みながら、冷静に分析はしていた。が、気を抜くと、その拳や膝に打ち抜かれる。そんな危惧があった。
(まあ、優劣があるとしたら、身体的なハンディー…くらいか…。)
 身長が低い分、手や足が短くなる。その分、乱馬には幾分か不利に働く。が、相手はどうやら、目が悪いらしい。メガネをかけているのが、その証拠となろう。形はぼんやりとでも、捉えられているだろうが、細やかになると、どうだろうか。
(身体的に弱いところを突くのは、あんまり気が進まねーが…。試してみる価値はあるだろーな。こいつが、どのくらい、俺のスピードについて来られるか。目じゃなくて、気でこちらを探れるかも一緒にな。)

 意を決すると、すぐさま行動に移す。

「火中天津甘栗拳!」
 得意のスピード技に転じた。気技は禁じられていたが、この技は使える。「視力が弱い」和尊が、どの程度この拳についてこられるか。もしくは、出し抜けるか。
 乱馬の拳がうなり始めた。グングン、スピードを上げて行く。
 その有様を見て、和尊はニッと笑った。
「これしきのスピード、ついていけない僕じゃないよ!」
「へっ!結構やるな。なら、このスピードはどうだ?」
 乱馬が更にスピードをあげて、甘栗拳をしかけようとした時だった。
 咄嗟のことであったが、目の前の和尊の瞳に、一瞬、己の視線がかち合ったのだ。少し、赤みがかかった彼の左目。その、眼力に捉えられたと思った、その瞬間、その瞳が怪しく光った。
 と、それに呼応するかのように、ふわっと、己の意識が何かに乱された。
 手と足の動きが一瞬、止まって、固まりかけたのだ。
 己の身体の異変に、思わず、反射神経的に、動いていた。恐らく、本能が勝手に動かしたのだ。
「くっ!」
 気が付くと、身構えて、気弾を発していた。そう、無意識に気技が身体を貫いて、表に出たのである。
「いけねー!」
 慌てて、セーブしにかかる。気技は禁じられていたからだ。ここで、気を出せば、負けになる。
 乱馬は、出かけた気を相殺すべく、丹田に力をこめた。

 バッシュッ!

 と、右掌から、気抜けた音が弾けた。
 不発とはいえ、気が弾け出していた。
 咄嗟に、これまた、本能が反応したのだろう。和尊は思いっきり後ろへと飛んでいた。床をドンと蹴り、上に飛ぶ。その股下を抜けて、軽い気砲が開け放たれた引き戸から外へと飛んで行った。

 ほんの、一瞬の出来事であった。

「乱馬くーん!気技はあれほどダメだって言ったじゃないかぁー。」
 ゆらゆらと巨顔化した早雲が、目の前で揺れていた。
「あは…あはは、すいません。咄嗟に打っちまった…。」
 頭を掻きながら、詫びを入れた乱馬。
「引き戸を開けていたからよいもののー。下手したら、壁を打ちぬいていたよ。気技を使っちゃったからね。君の負けでいいよねー。乱馬くぅーん!」
「はい、いいっす!」
 思わず、直立不動して、負けをすぐさま、認めた乱馬であった。

「あーあ、何やってるのよー、もー。ごめんなさいね、和尊さん。」
 あかねが思わず、和尊へと声をかけていた。
「君が謝るべきことではないよ、あかねちゃん。」
 なびきからメガネを受けとりながら、和尊はあかねへと言葉を継いだ。
「あ、そーね。乱馬の失態ですから、確かに、あたしが謝ることじゃない…ですよね。」
 慌てて、あかねは弁明に走った。

 そう、これでは、あかねが乱馬と一心同体であることを自ずと明言しているようなものである。
 和尊は一瞬、苦笑いを浮かべた。が、すぐに、乱馬へと向き直り、言葉をかけた。
「今日のところは、僕の勝ち…でいいですね?乱馬君。」
「ああ…。禁じ手の気技を使っちまったからな。」
 グッと拳を握りしめて、吐きだした乱馬。負けを認めることが悔しそうな乱馬を見ながら、和尊は言い切った。
「でも、あの場合、返しとしては、あれが正解だと思いますよ。無意識に身体が判断して動けるなんて…君の中に眠っている潜在能力は…なかなか侮れませんね。」
「ああ…。てめーのその瞳の中に…得体の知れねーモノが巣食ってるみてーだったからな…。」
 と、小さな声で返した。もちろん、あかねたちには聞こえない小声で言った。
「それにも気づきましたか…。やっぱり君は凄いですね…。また、やりましょう。今度は思いっきり力と技を発揮できる出来る場所で…。」

 ポンと乱馬の肩を一つ叩いて、和尊は道場を引き上げて行った。

(あいつ…。やっぱり、何かを左の瞳の中に宿してやがるのか…。)

 得体の知れない戦慄が、乱馬へと走って行った、秋の夜更けであった。

つづく


一之瀬的戯言
 また、一話分、しっかり話数が増えそーな気配です。
 多分、十話で完結できるかと思います…。これからクライマックスを書くのでまだわかりませんが…。


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