◇颱風少年 エピローグ

 風がどこからともなく吹き渡って来る。

 台風一過の澄んだ青空が庭樹の上から落ちんばかりに突き抜けている。 

「はああっ!」
 積み上げたブロックへと眼を投じると、乱馬は一気に左の拳を投げおろした。

 ズゴオッ!

 破壊音が弾けて、ブロックが粉々に壊れて地面へと落ちた。

「熱心ね。」
 後ろからあかねが声をかけながら、タオルを差しだす。

「まーな…。」
 額に浮いた汗をぬぐいながら、乱馬はそれに答えた。
 無論、汗をぬぐう乱馬の頭には、ゆらゆらとおさげが揺れている。

「良かったね…髪の毛が戻って来て。」
 あかねは笑いながら声をかけた。
「たく…。ほんと、ひで―目に合ったぜ。」
 まだ、あの騒動のことが、目いっぱい尾を引いているようで、乱馬は長い溜め息を吐き出しながら、縁側へと腰を下ろした。
 
 あれから…髪の毛は無事に戻り、抜けることも無かった。



 翌日、学校へ行くと、方々から手が伸びてきて、髪の毛を引っ張られた。頭髪が自毛かどうか、好奇の目を持って、確認されまくったのである。
「こ…こらっ!そんなに力入れて、引っ張るなっ!」
 頭から転げ落ちないかと、それぞれ、適当に力を入れて引っ張ってくれるものだから、引っ張られる当人には迷惑だった。髪の毛が引っこ抜けないかと、内心、ドキドキだった。
 九能など、
「そんなカツラなど、僕が成敗してくれるわっ!」
 といきなり、木刀を頭に振りかざして来た。
「自毛だって言ってるだろーがっ!」
 乱馬が九能を蹴りあげたのは言うまでもない。



「たく…寄ってたかって、いいようにあしらいやがって…。」
 思い出す度、怒りがこみ上げてくるのだろう。不機嫌な顔を巡らせた。

「ま…好いじゃない…。髪の毛は無事に戻って来たんだし…。それに、あたしを取り戻そうと必死で闘ってくれたんだってね…ありがとう…乱馬。」
 真正面切って礼を言われると、それだけでくすぐったい。
 いや、あかねがかけてくれた咒法を思い出すと、それだけで心臓が高鳴った。

「ま…どって事無かったよ…。」
 とすっと交わして見せる。それから、ゆっくりと晴天を見上げながら言葉を継いだ。

「もし…。」
「もし?」
「あのまんま、俺の髪の毛が生えて来なかったら…おめーどうしてた?」
 さわさわと風が吹き抜ける。
「別に…どうもしてないでしょうよ…だって、髪の毛があろうがなかろうが、乱馬は乱馬でしょ?」
 とさらっと言った。
「本心で言ってるか?」
 あまりにあっさりと言って退けたので、猜疑心一杯の瞳であかねを見返す。
「そりゃあ、髪の毛がないより、あった方が良いわよ…。でも、髪の毛は世に連れ人に連れってね…。あたしだって年取れば、白髪も生えてくるでしょうし、ボリュームも無くなるわよ。
 あんたも、おじ様の血を受けてるなら、遅かれ早かれってね…。」
「うるせーよ。俺は親父似じゃねーよ!だからハゲねえっ!」
 少しムッとした顔をあかねへと手向けた。
「将来のことは神のみぞ知るってね…。そうそう…それより…。風に乗って便りが来たわ。」
 そう言いながら、あかねは書簡を乱馬へと差し向けた。住所が書かれていなかったところを見ると、本当に空から舞い降りて来たような感じの木箱だった。
 丸められて木箱に収められている。
「それ?誰から?」
「誰からって…ラージャ君とマーナさんよ、ほら。」
 そう言いながら、不器用な手であかねはワサワサと音をたてながら書簡を広げる。
 
 見慣れぬ字が書かれていた。

「よ、読めねえぞ…。何だ?これ。」
「梵字(ぼんじ)だそーよ。」
「梵字…どうやって読めっつーんだ?」
「ほら、下に日本語訳があるでしょう?」
 あかねに指摘されて、改めて書簡を広げて見る。

「えっと…何だって?あれから二人、蒼龍国の手順に従い、婚姻を結んだ…ってことは…。」
「収まるところに収まったみたいね。」
 その書簡からはらりと写真が零れ落ちる。
「で…これがその婚姻の記念写真ってか?」
 乱馬は写真をまざまざと眺めながら、あかねへと問いかける。
「みたいね…。」
「ラージャ…あいつ…。」
「あんたとの勝負に負けたから、暫くは坊主頭なんだってさ…。」
 あかねが笑いながら言った。
「俺との勝負に負けたから、坊主頭…ってか。何か、複雑だな…。」
「でも、いい気味だって思ってるんじゃ?」
「まあ、思ってねえっちゃあ嘘になるが…。ちょっと気の毒な気もするな。」
「マーナさんからの手紙だと、どうやら、ラージャ君は剃髪が嫌であんたとの勝負に臨んでたらしいわ。」
「え?どう言う意味だ?」
「通常、蒼龍国では、婚姻の儀に当たって、王子は妃に鬼ごっこで捕まえられた後、三年間剃髪して坊主頭のまんま過ごさなきゃならないんですって。それが嫌なら、鬼ごっこで妃から逃げ切って、しかるべき相手を選んで決闘する…。みたいなことになるようよ。
 で、決闘相手を倒して、剃髪を許して貰う…みたいな…。」
「なるほどね…。で、今回、俺たちはその巻き添えを食らったってことか…。」
 複雑な顔をしながら、乱馬は写真をあかねへと返した。
「ねえ…男の子ってそんなに髪の毛を剃るのは嫌なものなの?」

「まーな…。できれば剃りたくねえって誰でも思うもんじゃねえのか?それに、髪の毛にこだわるのは何も男だけじゃねーだろ?現におまえだって…。」
 と言いかけて乱馬は言葉を置いた。
「あたしが…何?」
 ううんと咳払いした後、乱馬は続ける。
「おめーも、俺と出逢った頃、伸ばしてたじゃねーか…。」
「あ…そうだったわね…。」
 あかねは思わず自分の頭に手を当てた。
「ま、あの碧なす長い髪は、俺と良牙の決闘が原因で切っちまったけどよ…。」
「そんなこともあったわねー…。」
「ってっか、忘れたのか?」
 驚きながら乱馬があかねを見返した。
「そりゃ、あの時はショックで塞ぎこんだけど…。ま、いずれ遠からず、切るつもりではいたから…。」
「で…あれから伸ばしてねーけど…。何でだ?」
「だって…短いのが好みだって誰かさんが言ったじゃない。」
 ポソッとあかねが言った。
「あんときゃ、俺は…その…罪悪感の手前…そんなこと口走って…。」
「あー、ひどいんだ…乱馬。口から出まかせだったの?」
「あほっ!そんなわけねーだろ!」

 さわさわと二人の間を風が吹き抜けて行った。

「今でも短い方が…好みだぜ…。ま、おめーが伸ばしたいんなら伸ばしても良いけど…。」
「そうよね…。あんたもおさげのまま…が一番よね。間違っても剃髪なんか…。」
「する訳ねーだろがっ!もう、こりごりだぜ…。意図的に髪の毛を引っこ抜かれるのはっ!」
「でも、案外、可愛かったわよ。坊主頭の乱馬も。」
「おめー、からかう気か?」
「ほら…これ。」
 ヒラヒラと差しだされたのは、数枚の写真。全てに、ハゲ頭乱馬が写っている。

「わーっ!てめー、なんてもの持ってやがるっ!」
 真っ赤になって乱馬が怒鳴った。
「なびきの奴だな…。」
「ふふふ…。何か、この写真、お姉ちゃん、あちこちでばらまいてたわよ。」
「ばらまくっつーか、売ってやがんな…。あの、業突く張り…。」
「嘘よ…。ま、データーは所持してると思うけど…。結構きれいに撮れてるからって、私にくれたわ。」
「後生大事に持つつもりじゃねーだろーな…。」
「嫌?」
「あ…あったりまえだ!その写真で俺より有利に立とうだなんて…。」
「思って無いわよ。」
「じゃ、後生だからそんな写真は処分してくれっ!」
「んー、どうしよっかなー。」
「おめー…なびきに似て来たか?俺からたかる気か?」
「そんな気はないわよ…。じゃ、あんたにあげるから、処分するなら自分でやってね。」
 と言ってあかねは笑いながら、写真を乱馬へと託した。
「ああ…。そうさせてもらうぜ…。」
 乱馬は乱暴にあかねから写真を引き剥がすように受け取ると、目の前で粉々に破り始める。
 乱馬にしてみれば、忌まわしきハゲ頭の記憶など、とっととかなぐり捨てたいに違いない。

「あんたも、体裁は気にするのねー。」
 笑いながらあかねはその手つきを見詰める。
「体裁気にしちゃ、悪いかっ!」
「いいよ別に…。その方が乱馬らしいから…。さてと…。修行の邪魔しちゃ悪いから、あたしは去るわ。」
「おめーも修行しろよ…。ここんところサボってるだろ?」
 乱馬はあかねをたしなめた。
「まーね…。」
「たく…相手してやっから、着替えて来い。」
 と命令口調になった。
「じゃ、すぐに着替えてくるわ。」
「ああ、そーしろっ!」
 あかねは縁側から立ち上がった。


「あのとうへんぼくはすぐ人より優位に立ちたがるんだから…でも…この写真を見せたら、何て言うのかな…。」
 あかねは部屋に入ると、懐からもう一枚、乱馬に見せなかった写真を広げてみた。
 なびきがこっそりと隠し撮りした「キス」の写真だ。
 乱馬の髪の毛を元に戻す咒法をかけた時、もとい、キスをした時の決定的瞬間を捕えたものだ。
 驚いて目を見開いたままの乱馬と、はにかみながら目を閉じてキスするあかねと…。
 
『ま、乱馬君をからかうのも今回はやめておくわ…。きれいに撮れてるから、あんたにあげるわ。勿論、お代は要らないから…。』
 といって、なびきが笑いながらあかねに寄こした写真だった。

「確かに…よく撮れてるけど…。」
 姉のデバガメにはほとほと感心せずにはいられない。
 景気良くあかねに写真をくれたところを見ると、純粋な二人に中(あ)てられたに違いない。
「…記念写真か…。」
 そう言葉を継ぐと、あかねはアルバムへと目を落す。それから、おもむろにラージャとマーナの結婚記念のツーショットの写真と一緒に、そっとその写真を貼り付ける。
 柔らかな唇の感触…。固く固まる乱馬。こみあげてきた甘酸っぱい想い。
「これも、大切な思い出よね…。二人の…。」
 
 フッと溜め息と共に笑みがこぼれた。

「こらー、着替えるのに、何分かかってんだ?とっとと着替えて降りて来いーっ!」

 窓の外で乱馬が怒鳴った。

「もー、せっかちなんだから。」
 そう吐き出すと、あかねはパタンとアルバムを閉じた。





 完






色鉛筆黒…一発絵にてお茶を濁す…(滝汗
誰か、最後のキス写真描いてくれません?





一之瀬的戯言
 
 お疲れ様でした。
 これにて、「颱風少年」おしまいであります。
 原作チックにドタバタモードで書き下ろしたつもりでありますが…。
 もっと濃厚に話を引っ張ろうとしたのですが、途中で挫折しました。あかねちゃんが乱馬の記憶を失って悶々とする話は、そのうち「まほろば」でたっぷり描写する予定でありますので、暫しお待ちください…。




 私の住む、生駒には「聖天さん」と親しまれる「宝山寺」という真言宗のお寺があります。役行者や弘法大使にゆかりのある古刹です。そこのご本尊が不動明王です。夫婦和合の象徴であり、そこから商売繁盛の仏さんでもある聖天さん(歓喜天)の方が有名になっていますが。
 不動明王って怖い顔をしていますが、おさげがあって、私からしてみればちょっと、親しみがあります…。そう、真っ赤な怖い顔していらっしゃるけど、おさげなの…不動明王は!
 不動明王などの仏像の鎖骨って究極の美だと思うのは私くらいだろうけど…。


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