今日は「節分」。
もともと節分は季節の区切という意味で、厳密には「春・夏・秋・冬」と四季の区切それぞれにあったらしい。そう、本来は年に四回「節分の日」があるわけだ。
その中で「立春前の節分」が一番重要視されたのは、一年の始まり、待ち焦がれる春の始まりの前の日だからに違いない。まあいえば、「大晦日」みたいな感覚だったのだろう。
節分といえば、「豆まき」。
こいつも、大晦日の大祓えと同じような役割があるらしい。新しい春を迎えるに当たって、邪気を追い出す「追儺(ついな)」が行われるようになった。何でも「鬼」という言葉は元来「陰」から訛った言葉だと言う説もあるくらいだ。「五穀」を投げつけて邪気を追い払っていたのが、いつのまにか豆へと推移したと、記憶の片隅にあるような、ないような。ひいては「記紀神話」に出てくる「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」たらいう五穀の親玉神に繋がるという説もあるなどと、国語教師が夢枕にがなっていたような気もするが、定かではない。
何でも最近流行の「陰陽師」が鬼を退治したのがはじめという話もある。
まあ、そんなことはどうでもいい。
本来は厄払いの意味合いが強い、この「節分」。
だが、俺にとっては「厄日」だった。
事の始まりは、うっちゃんだったらしい。
学校の帰り道、シャンプーにしこたま追いかけられてヘトヘトだった俺が、のれんがかかっていた彼女のお好み焼き屋に入ると、うっちゃんが何かセコセコと作っていた。
「何やってんだ?うっちゃん…。」
俺が問い掛けると、
「今日は節分会やさかい、特製お好み焼き作ってるんや!」
と忙しそうだった。
何だろうと覗いてみると、細いお好み焼きをぐるぐるとロール状にして海苔で器用に巻いているのが見えた。
「何だ?それ…。」
「ああ、これか。ちょっとな、節分用に海苔巻お好み作ってみてん。」
にっと笑って差し出す。
俺は何がなんだかわからずにうっちゃんを見上げると
「そっか…。これって関西の風習かもしれへんなあ…。さっき、かすみさんとそこの路上で会(お)うたときも知らんって言っとったな。」
「関西の風習?」
俺は興味深々に眼を輝かせた。
「そや。関西ではな、節分の晩は、太巻き寿司食べる習慣があるねん。恵方いうてな、その年の幸せが宿る方向へみんな一斉に向かって、それで、一本食べ終わるまで喋ったらあかんねん。福が逃げていくって言うんや…。」
「へえ…。初耳だな。そりゃ。」
俺は掌にあごを乗せてうっちゃんを見た。
「それを、うっとこのお店風にやってみようと思ったんやけど…。食べてみるか?」
うっちゃんはにっこりと笑って巻き上がったお好み焼き巻寿司風を差し出す。
なんだかちょっと変な感じもしたが、うっちゃんの作るものは不味いものはない。そう思って箸をつけようとしたら、邪魔が入った。
「乱馬っ!見つけたね…。豆まき一緒にするねっ!!」
ああっ!しつこいったらありゃしねえっ!
「なんやっ!シャンプー。乱ちゃんはこれからうちの作った特製巻き寿司風お好み焼き食べるんやでっ!!」
「何言うねっ!私が先に乱馬を見つけたね。抜け駆け良くないね。」
「でも、乱ちゃん、嫌がってるやんかっ!迷惑顧みんと、ほんまに嫌な娘やなあ…。」
「やるか?」
「受けてたつでえっ!!」
こうなると、乱闘モードは必至だ。
火花を散す彼女たちを尻目に、俺はそっと外へ出た。
(そっか…。今日は節分か…。)
暮れ行く空を眺めながらほっと息を吐き出す。
天道家(うち)へ帰ってみると、夕飯の匂いがした。
これはみそ汁だな。
さっき、うっちゃんのお好み焼きを食いっぱぐれたお腹がぐううっと音を立てた。
青春は腹が減る。
俺は鞄を置くと、誘われるままに台所を覗いてみた。
と、かすみさんとおふくろが忙しく立ち回っている。これはいつもの風景。だが、俺は二人の背後に目が行ってしまった。
(げっ!あかねが居るっ!!)
顔から血の気が引いてゆくのがわかった。
何故なら、俺の許婚のあかねは、名うての味音痴。とてもじゃないが彼女が作り出した物は食べられない。
「あら、乱馬。おかえりなさい。もうすぐご飯だからね…。運ぶの手伝ってくれるかしら。」
おふくろが俺の気配を察してにっこりと笑った。
(あかねちゃん、頑張ってるんだから、男らしくして、逃げたらダメよ。)
瞳の奥にそんな光が宿っている。
後ずさりしたら、でっかいパンダの腹にぶつかった。変身した俺の親父だ。
『よお、乱馬!』
暢気に看板を上げた。
「今日は節分だからね。さて、みんな揃ったところで、茶の間でご飯にしよう。」
その後ろからこの家の主、早雲おじさんがにこにこと笑った。
何だかよくわからねえが、俺は親父とおじさんに挟まれるように、茶の間へと連行された。
逃げる事叶わず、渋々と茶の間の定位置へ座る。
かすみさんとおふくろがニコニコ笑いながら持ってきたご馳走。
「あら、今日は太巻き寿司なの?」
なびきが雑誌を閉じながらちらりと見た。
『この太巻き切れていないようじゃが…。』
親父が看板を上げた。
「これでいいんですって、ね、かすみちゃん。」
おふくろが笑いかけると
「ええ…。右京さんに聞いたんですけれど、関西地方では節分会の日には、家族揃って太巻き寿司を一本丸かじりする風習があるんですって。何だか面白そうだったから今年はうちでもやってみようかしらなんて。どうかしら?」
とニコニコと答えた。
「ほお、それは面白そうだな。」
早雲おじさんも身を乗り出した。
「で、どうやって食べるんだい?何か作法でもあるのかな?」
おじさんの問いかけにかすみさんがのほほんと説明してくれた。
「恵方を向いて、食べている間中は喋っちゃいけないんですって。福が逃げてしまわないように、みんな黙って食べるんだそうよ。」
「恵方ね…。」
おふくろがにこりと笑った。
そこへ、あたふたと遅れて入ってくる足音。
「お待たせっ!!ごめんなさいっ!結局、あたしには一本しか巻けなかったわ。」
見ると更にドンと盛られた特大の太巻き。
(誰が食べるんだろう…。)
一瞬、みんなの上に沈黙が過ぎった。
「お姉ちゃんやおばさまは流石よね…。あっというまに何本も巻き簾でクルクル作っちゃうんですもの。はい、食べてね。」
俺の目の前に差し出しやがった。
「おい…。」
俺はじと目でそれを見詰めた。不器用なだけならまだしも、何だか異様なものが巻き込まれてねえか…?かすみさんやおふくろが作ったものとは全然違うぞ…。
「はい?」
あかねはにっこりと微笑みかけてきやがった。
「おー、乱馬くん、いいね。あかね特製で。」
おじさんが笑った。
「なら、おじさん食えよ…。」
俺がぼそっと言ったら、
「ダメよ…。あかねが折角乱馬くんにって作ったんだから。責任持って食べなさいよね。」
となびきがにんまりと笑った。
(後で死に水は取ってあげるから。)
語尾にそう聞こえた。
『任せたぞっ!乱馬っ!!』
無責任な家族たちは、こぞってこの得体の知れない巻き寿司を俺に押し付ける魂胆だ。
「ば、馬鹿言うんでねえっ!」
思わず怒鳴ろうとしたら、後ろでおふくろが笑っていた。
「乱馬は食べるわよね。男らしく。だって、あかねちゃんの許婚ですものね…。」
手には日本刀の柄を握り締めている。もし「否」とでも言おうものなら、これで切り付けられるかもしれねえ…。
「分かったよっ!食えばいいんだろっ!食えばっ!!」
俺は半ば投槍になっていた。
その言葉を聞いて、あかねが一瞬むっとしたように見えたが、珍しくうんともすんとも喧嘩を振ってこなかった。
「で、今年の恵方はどちらかね?」
おじさんが気を取り直してかすみを見た。
「右京さんの話だと「北北西」だそうよ…。」
「北北西ねえ…。じゃ、あっちね。」
なびきがテレビのある方の角を指差した。大方そちらの方角であっているだろう。丁度、なびきが座っている方向になるか。
「じゃあ、あっちへ全員、右向け右っ!!」
おじさんが号令をかけると天道家の人々はみなこぞってそっちへ顔を向けた。
手には太巻き寿司。
冷静に考えてみるとなんとも異様な光景だ。だが、誰も、それを面白がらない。そのときは皆、真剣な面持ちだった。
「で、食べ終わるまで、一言も喋っちゃいけないのよね。」
なびきが確かめるようにかすみを振り返った。いつもは淡々としたこの天道家の次女も、今日はあまり文句を言わない。きっと、おふくろが俺の後ろでニコニコしながらも日本刀を間近に置いているせいかもしれない。
「ええ…。最後の一口まで平らげるまでは喋っちゃダメなんですって。」
かすみは相変らずマイペースに答えた。
「みんな、用意はいいかね?食べ終わるまで喋っちゃいけないよ。乱馬くんっ!大丈夫かね?」
ちらりとおじさんは俺を見返した。
大丈夫な訳ねえだろうが…。こりゃあ、地獄だ!
俺は内心そう吐き出した。
太巻きを持つ手は痺れたように震えている。あかねの太巻きが手の中でぬめっと俺を睨みつけていやがる。見るからに不味そうでおどろおどろしかったからだ。
「じゃあ、食べるよ…。せえのっ!!」
おじさんの掛け声と共に、天道家の人々は、一斉に手に持っていた太巻き寿司にかぶりつく。
これも考えてみれば滑稽な風景だ。
俺も、ままよと、思いっきり、あかねの作った太巻きに喰らいついた。やけくそだった。
(うぐ…っ!!)
脳天を勝ち割りそうな妙な味に、俺は吐き出しそうになった。
(な、なんで、太巻きにわさびなんか入れてやがるっ!!)
つーんと突き抜けるわさびの辛味。
それだけではない。噛めば噛むほど何か得体の知れないものの味が口の中にじんわりと、いや、ねっとりと広がってゆくのだ。
俺は何時の間にか涙目になっていた。
このまま吐き出したくなる気持ちを抑えて、それでも我慢して、頬張り続けた。
天道家の人々は、皆一様に俺の方を覗き込んだ。
それぞれ無言で己の太巻きにかぶりつきながらも、俺に向かって無言の叱咤激励を視線で飛ばし続けている。
(声を出しちゃだめよっ!!)
かすみさんまでもが憐れみの目を差し向けてくる。
(だったら、最初からあかねに巻き寿司なんか作らさねえでくれよっ!)
そう言いたかった。
『耐えるんだっ!!息子よッ!!』
脳天気な親父が看板を出してこちらを覗いていた。
(いい気なもんだぜ…。)
俺は睨み返す。
はっとして横を見れば、うるうる目のあかね。
大丈夫かなあ…。
というなんとも言えない円らな光。
(そんな可愛い目、こっちへ向けるなっ!!)
思わずそう言いたくなる。勿論口には出さない。人前では絶対出さない。
俺は目を瞑って、一気に喰らう手段に出た。
とかく不味い嫌いな給食なんかを無理強いされた時は、鼻を摘んで、息を止めて一気にかっ込んだものだ。そうやって牛乳で流し込む。誰でもそんな経験を持っているのではないだろうか。
俺は渋茶の入った湯のみを片手に、ぐぐぐっと押し込み始めた。
息を殺していても、あかねの作った異様な長物は、なんとも形容し難い歯ざわりで俺の五感を刺激する。
(俺が何をしたっていうんだよ…。俺は悪くねえぞっ!絶対に悪くねえっ!!)
訳のわかんねえことを心に念じながら、必死に口を動かす。
それでも、武道家の意地にかけた、俺は吐き出しもせず、一言も発せずに食べ遂せた。と思う。
そう…。情けねえが俺は食い終わるや否や俺は…気を失ってしまったのだった。
気がつくと、煤けた天井が見えた。蛍光灯が白々と照らしつけてくるのが眩しくて、思わず、視線を反らせた。瞼の奥に蛍光灯の丸い輪っかが残照のように残る。
額には濡れたタオルがあてがわれていた。せんべい布団の上に寝かされていた。
(う…。)
思わず漏れる吐息。
頭がくらくらした。それ以上に胸がムカムカして気持ち悪かった。
最悪の気分を我慢して、ほっと顔を上げると、彼女の心配げな視線にぶつかった。
「あかね…。」
太巻きを喰らってからはじめて口を開いたような気がする。新鮮な空気が口を伝って流れ込んできた。
「ごめんね…。」
ぽつんと一言、白い息と一緒に吐き出された。
「たく…。進歩のねえ奴だなあ…。」
思わず相槌を打つと、敵からはじんわりと涙。
あわわ…。
焦った俺。
「泣くほどのこっちゃねえだろ…。これから修業すりゃあいいことなんだし。」
あかねは俯いてしまった。ちぇっ!薮蛇だ。
俺は狼狽しはじめる。あかねの涙には一番弱いからだ。
ひょいっとあかねの手を引っ張ってみた。ひんやりと冷たい。きっと心配してずっとこの部屋に付いていてくれたんだろうな。
「たく…。こんな寒い部屋に暖房も付けずに座ってたら風邪引くぜ。ばーか。」
自分の具合の悪さは棚に上げて問い掛けてみた。俺もまだ、吐き気がする。一気に食べたものが胃の中で叛乱しているようだ。
「だって…。」
「だってもへったくれもねえぞ。」
「乱馬、あたしのせいで…。」
「おうさ。おめえの不味い太巻きのせいだもんな。」
俺はにんやりと笑った。
普段ならこのあたりでビンタでも飛ばしてくる彼女だが、今日は神妙だった。きっと、俺が倒れたのが相当こたえているのだろう。
「罪滅ぼしに…。」
そう言うと俺は手にした彼女の腕をもっと近くへと引っ張ってやった。
急にぐいっとやられたものだから、バランスを崩して、蒲団の上に侵入する彼女。
膝を投げ出したところで、ぐっと尻へ手を出した。
「乱馬っ?」
ちょっと焦った声が可愛い。
「おめえのお陰で、気分は最悪なんだからよ…。膝枕。借りるぜ。」
にっと見上げて、彼女の太腿へ頭を乗っけた。役得ってところかな。
あかねの膝の上は暖かい。何より、いい匂いがする。タイツの上へ頭をちゃっかり固定する。トクン、トクンと波打つのは俺の心臓か、それとも彼女なのか。
大胆だと思ったが、今夜くらいはいいと、回らない頭で思った。
あかねの太巻きのせいでこんな状態になったんだからな。少しはいいじゃねえか。
「おめえの足、太巻きみたいだな…。」
憎まれ口を叩いてみる。
「悪いっ?」
って唾が飛んできたから
「悪いって言ってねえ…。いいあんばいだ…。」
そう言ってから目を閉じる。
本当に気持ちがいいんだ。昔から知っているような暖かさ。
(猫のときの俺ってこの膝の上で背中を丸めてるってみんな言うけど…。さもありなんだな…。こんなに気持ち良いんじゃ…。)
あかねの柔らかい感触に酔いしれる。
「鬼は外ーっ!!」
突然バラバラという音に目覚めた。
見上げると、なびきがにっと笑って升を持っている。
「あーあ…。降りて来ないと思ったら…。役得ね。」
だと。
「うるせー。」
横になったまま返事すると、天道家みんなの顔が見えた。
「わたっ!」
慌てて跳ね起きる。
あかねは黙ったまま固まっていた。俺も固まった。
あーあ。いつだってこの家はそうなんだ。必ずいいところで邪魔が入って…。
いきなりだもんな。
おまけにみんなで豆をぶつけてきやがった。
よーし、そっちがその気なら。
「かすみさん、貰ったっ!」
俺は升を横から掠め取ると、さっき俺にぶつけた親父に向かって思いっきり投げつけてやった。
「こやつっ!親に向かってっ!!」
親父が叫んだがお構いなし。
「鬼は外っだっ!!」
「クソ息子っ!こっちも鬼は外じゃっ!!」
激しい応酬。豆まきデスマッチの始まりだ。
いつものパターン。
でも、それはそれでいいと思う。
これが俺たちの幸せなのかもしれない。お節介な家族が居て、大騒ぎで。
傍におまえが居て、時々優しくしてくれれば…。
「鬼は外っ!」「福は内っ!!」
叫びながら豆まきが始まった。
固まっていたあかねも笑顔に。
そう、輝くようなその笑顔。
「ほらっ!福は内っ!!」
俺は笑いながら彼女に投げつけた。
「やったわねっ!!」
「へっ!太巻きの仕返しでいっ!!」
延々と続く、節分の鬼やらい。
|