◆WITH

 茶の間の団欒が重苦しいものに変わる瞬間。それが現実にある。
 例えばそれが衝撃的なことならば、尚更…。

 天道家の面々は各々自分のことを楽しみながら茶の間で夜を過ごすことが多い。
 早雲と玄馬は、将棋をしながら和んでいる。のどかとかすみは編物や繕い物をしながらテレビを横目で見ている。なびきは電卓を叩きながら、あかねは楽しみにしていたドラマの最終回を熱心に観ていた。乱馬は風呂場。
 そして部屋の真ん中にはテレビ。どこにでもあるような、何の変哲も無い夜の団欒。
 その激震はテレビ画面の中から広がった。
「え?」
 あかねが小さく叫んだ。
「どうしたの?」
 さっきまでのラブシーンはいつしか、別の画面に変わっていた。
 アナウンサーがブラウン管の中から何か叫んでいる。
「ニュースの画面に変わっちゃったよ…。」
 突然のことに驚きながらあかねがそう告げる。天道家の面々はそれぞれ自分の作業の手を止めて、テレビ画面に見入る。
 アナウンサーの怒鳴り声の後に飛び込んできたのは、摩天楼へ突っ込む飛行機の映像。
「ええ…。」「おおーっ!!」「な、なにっ!」「うっそォーっ!!」
 各人各様に口走る驚愕の言葉。あかねは発する言葉も無く息を呑む。
「何っ!これっ!!」
 飛行機が突き刺さった高層ビルから炎と黒煙が立ち上がる。
 悪い冗談を観ているのではないかという映像…。
「アメリカだって…。この映像…。」
 なびきが冷静に言った。
「あら、まあ…。大変っ!」
「穏やかじゃあないわね…。」
 おっとりのかすみものどかも流石に驚いたようで、のほほんとしながらも言葉が色めいていた。
「ほほーっ!映画みたいな映像じゃないか…。」
「こりゃあ凄いわいっ!何千人と死人(しびと)が出るんじゃないかね…。」
 早雲も玄馬も駒を動かす手が止まっていた。
 誰もが己の目を疑いながら、じっと画面に釘つける。さっきまで放映していたドラマのことなど、もう頭の中にはなかった。
 あかねはあまりの衝撃的な映像に、言葉も無くしてしまったように、呆然と食い入るように画面を眺めた。

「どうしたんだよ…。」
 乱馬がさっぱりとした顔を手向けて部屋へ入ってきた。肩には手ぬぐい。ほんのりと赤い肌。
「おお、乱馬か。ほれ、テレビを見てみいっ。物凄いニュースをやっとるぞ…。」
 促されて見る乱馬の表情が険しくなる。
 傍らのあかねをふっと見た。
 あかねはただ黙って画面を見つめるだけ。言葉を発しながら見入る他の家族と少し様子が違う。乱馬にはそう映った。
 
 ニュースが繰り返される。そのうちに衝撃画面は次々に送られてくる。目を覆いたくなるような現実。これは事件、事故ではない。テレビの喧騒がそう叫ぶ。海の向こうの話なのに、画面の迫力は否が応でも茶の間の人々を惹きつける。
 力なく最初に立ち上がったのはあかねだった。
「あたし・・今日はもう寝るわね…。」
 只そう言って立ち上がった。
「あら、もう見ないの?わっ!今度は倒壊しだしたわ…。」
 なびきが叫んだ。別に悪気などあにのだろうが、あかねは何かしら空虚に襲われた気がした。
「うん…。いい。眠いから…。おやすみなさい…。」
 そう言うと、ふらふらと二階へと上がっていった。



 何か悪い夢を見ているような、それは彼女にとってかなりの衝撃を与えていた。
 ベットの上にどっさりと倒れこむと、そのまま身を沈めた。
 電気も点ける気がしない。真っ暗闇の中に放り出される。
 さっき見た映像が鮮やかに脳裏に蘇る。怖いというより、恐ろしいというより、何故か悲しかった。虚しかった。
 あの中に居た何千という人たちの命はどうなってしまったのか。誰が何のためにあんな事態を引き起こしたのか。
 自然の脅威に晒されて、瓦礫と化す人間とは違う。明らかに人間の手で人間が作ったものの中で殺される人たち。
 何故…どうして…。こんな犠牲を払わなければならなかったのか。あの中にいた人たちの命運は。家族は。
 体中の血が凍りつく。

 コンッ!

 ガラス窓が鳴った。

 コン、コンッ!

 誰かが叩いている。
 
 あかねはふっと起き上がって窓へ手をかけた。

「よっ!」
 
 覗いているのは乱馬だった。

「なあに?」

 力なく彼を問いただす言葉に、乱馬はにこりともせずに声をかけた。
「ちょっと出てこねえか…?」
「でも…。」
 迷ったが、乱馬が何か言いたげにこちらを見つめたので、あかねはこくんと頷いた。
「ほら、手寄越せ…。落ちたら大変だしな…。」 
 乱馬はふっと頬を緩めるとあかねに手を差し出した。逞しい腕。少し大きいがっしりとした手。
 あかねの腕をひょいっと掴むと、トンと瓦に招き入れた。
「靴下脱げよ…。履いてると滑るぜ…。」
 そう言って乱馬はあかねを下ろした。
「ん…。」
 言われるままにソックスを脱いだ。瓦の上はひんやりして足の裏が冷たい。
「ほら…。ここだと空が良く見えるだろ?」
 乱馬は腰を下ろすとあかねを見上げた。座れよと目線が言っている。
 あかねは腰を下ろそうとした。
「きゃっ!」
 と、足が滑った。
「おっと…。」 
 下から支える逞しい腕。
「たく…。ドン臭えなあ…。」
 乱馬は白い歯を見せて笑う。それには何も答えなかった。いつものあかねならバカにされると剣幕よろしく突きかかって来るのに、だ…。
「さっきの、気にしてんだろ?」
 乱馬はぼそっと声をかけた。
「おめえが考えたって仕方がねえ…なんてことは言わないけど…。何か心に突き刺さって詰まったまんまだと、眠れねえだろうから…。」
 そう言うと乱馬は後ろ手を組んで瓦の上に横たわった。彼なりに気を遣ってくれているらしい。
「都会だと、殆ど、星、見えねえな…。」
 そう言ってほっと吐き出す溜息。
 言われるがままに見上げると、確かに。町の明かりが賑やか過ぎて、殆ど光がない星たちが、弱々しく輝く。
「降るような星なんてここじゃあ贅沢なんだろうけど…。こうやって夜に包まれるのも嫌いじゃねえんだ。俺は…。」
「なんで?」
「夜の闇ってただ暗くて怖いもんだって思ってきたけど、闇があるからこそ光が輝く。闇と光は相反するもんんだけど、光が輝くためには必要なのかもしれねえ…。って、最近思うようになってきたんだ。」
 あかねは黙って乱馬の声に耳を傾ける。
「闇があれば必ず、光はあるんだ…。ほら、目だって闇に馴染んできたろう?」
 そう言ってちらりとあかねの方を見た。
「夜空にも、ほら…。見えにくいかもしれねえけど…。見たことのある星が輝いてるさ。北斗七星やカシオペア座。誰でも知ってる星座だが、ほら、見える。」
 決して明るい星ではないけれど、北斗七星やカシオペア座は目を凝らせば東京の空でも見えてくる。
「夜空を眺めていると、己なんてちっぽけな存在だって思えてくる。悩みを抱えて足掻いてる自分自身がなんて小さいんだなんて…な。でも、足掻きたい時は足掻けばいいさ。ジタバタジタバタって。でもよ…。一人で抱えこんじまうのはどうかと思うぜ…。」
 乱馬は淡々と続けた。彼がこんなに饒舌になるのは珍しい。
「おまえは、危なっかしいからな…。ともすれば傍に居る人たちのこと忘れっちまって、一人で突っ走る、そんな帰来があるから…。ま…。あんなんもの見せ付けられて尋常で居られる人間なんていねえんだろうが…。」
 そう、尋常には居られなかった。テレビの画面をあれ以上見るのが忍びなかった。直視できなかった。突きつけられた現実から目を背けたかった。
 命を掛けて賭した自爆テロリズム。払った犠牲の大きさ。これは戦争。そう思うと心が戦慄(わなな)いた。
 黙って逃げてきたのに、彼はそれを見抜いていた。
「ひょっとして、あたしのこと…気にしてくれてたの?」
 次の瞬間、あかねは小声で囁くように聞いていた。

「バーカッ!俺はおめえの何だよ…。」

 そっぽを向きながら吐き出す乱馬。はにかんでいるのか怒っているのか。ぶっきらぼうな言い様だった。

「許婚…。」

 俯きながらあかねは答えた。

「だったら当然だろ…バカ…。」
 そう吐き出すと伸びてきた彼の右手。そっと瓦の上に置いていた左手に触れる。大きな手。ごつごつした手。でも優しい。

「忘れんな…。闇の中に光があるってこと…。おまえを照らす光があるってこと…。それだけだよ…。それだけ言っておきたかったんだ…。」
 独り言のように空に向かって囁く言葉。でも、きゅっと握った手の感触。

 確かに人間は愚かな生き物かもしれない。殺戮と征服を繰り返す。正義、大義名分のために尽くす愚行。それにより消えた命の炎は幾許あるというのだろう。
 争いが起こる毎に、闘いが起こる毎に、払う犠牲は大きい。
 何度過ちを、生命を翻弄する愚かな行いを繰り返せば世界は平和になるのだろうか…。否、人間が全て幸せになる日はくるのだろうか…。 
 芽生えた疑問の中に喘ぐ己。またその己とて小さい存在。
 それでも、見守って傍に居ようとしてくれる人が在る。闇の中に光を照らそうとしてくれる暖かい人が傍に居る…。

「ありがとう、乱馬。ちょっとだけど楽になった。」

 あかねはふっと微笑んでひとりごちた。

「わかりゃいいんだよ…。」

「あ…。」
「ん?」
「星が流れた…。」
「願い事したか?」
「ん…。」
「そっか…で、何て願ったんだ?」
「世界が平和になりますようにって…。これ以上悲しい出来事が起きませんようにって…。」
「星に願いを…か…。あかねらしいな…。」
「叶って欲しい…。」
「ああ、そうだな…。無差別な殺戮で悲しむ人がいなくなるように…。」

…どんなときでも守ってやる…考えるのは悪い事じゃねえけど、気に病むな…。微笑を忘れたら人間はおしまいだぜ…。人間は愚かだけれど、愛は不滅だ。そこから芽生える平和がある。きっと。誰だって平和を願ってるさ。だから…。

 そんな言葉を食みながら、乱馬はあかねを引き寄せると、そっと目を閉じた。

 世界中が震撼した、或る秋の日のことだった。




2001年9月12日

 
 

一之瀬的戯言
 閑話戯言にぽっと挙げていたような記憶が…。何か、書きたかった…という衝動だけで書いた突発な作品。で、パソコンの奥に眠っていたのを掘り起こしました。
 


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