◆月明かりの道


 一、

 生暖かい風が吹き荒び、肌を妖艶と舐めてゆく夜更け。遠くで波の音が響き渡る。

 臨海学校の最終夜の呼び物…それは「肝試し大会」。岬にある廃寺へ男女のペアで歩いて行く。何年前から続いているかはわからないが、真夏の蒸し暑い夜にはもってこいの「納涼イベント」だった。
「あたしはいいわ。昨日、穴に滑り落ちて足をくじいたから…今晩は遠慮しとく。」
 ペアを作るためのくじ引きを始める際、あかねはそう言って辞退しにかかった。昨晩、乱馬に助け出されてことなきを得たが、まだ、なんとなく足が腫れているのを自覚していた。勿論、足の怪我も立派な理由の一つだったが、元来こういった「怪談じみた度胸試し」は好きではなかった。
「あかねらしくないわねえ…。足の怪我くらい大丈夫でしょう?今日だってちゃんと日程をこなしていたじゃない。」
「そうよ。仮にしも武道家の端くれなら、ちゃんと参加しなくっちゃ…。」
 無責任な友人たちが叱咤する。
「あかねが抜けるとペアも半端なのがひとつできるしな…。」
「そーだ。そーだ。折角女の子と歩くチャンスを無駄にしたくないっ!」
「乱馬、許婚の責任をもって負ぶってでもあかねを参加させろよっ!!」
 男連中も声を上げてあかねに抗議した。
「な、なんで、俺がこんな色気のねえ女の面倒みてやんなくちゃあいけねえんだよ…。」
 乱馬はブツクサ口篭もる。
「そうや、同じ許婚のウチの立場はどうねるねんっ!参加させるんやったら、ちゃんとあかねも乱ちゃんもくじ引きひいて、公正を期さんかいっ!」
 右京も口を尖らせた。
「どっちにしても、辞退なんて許されないぜ…天道さん!」
 あかねの辞退は有耶無耶になり、結局、セオリー通りにくじを引かされて参加させられることになってしまった。
 …気乗りしないわねえ…
 あかねは困惑しながらしぶしぶくじを引く。

「十八番。」
 あかねの相手は五寸釘光だった。
「よ、宜しく、あかねさん。」
 五寸釘の顔が蒼白く光り輝いていたのは言うまでもない。彼はあかねに対して一角ならぬ好意を抱いていた。また、その分、許婚の乱馬には憎悪を抱いていた。勿論、あかねには「ただのクラスメイト」としか映っていなかったのだが。
…これは天がくれた、チャ、チャンスかもしれない…
 五寸釘は手を握り締めながら、燃える下心に打ち震えていた。
…面倒臭いなあ…
 あかねは対して感情を顕わにせず、ふっと倦怠含んだ溜息を吐いた。
 乱馬は十九番。ペアはあかねの親友のゆかだった。
「よろしくね、早乙女くん…。」
「お、おう…。」
 乱馬も気乗りがしない生返事をゆかに返しただけだった。五寸釘の横恋慕を感じていた彼は、当然、面白くあるわけがない…。 
…よりによってあんなやつが…。
 気にも留めない風を装っては見るものの、心中穏やかではなかった。
 
 順番が廻る間に、一つのバンガローに集結して、ロウソクの頼りない灯かりを眺めながら、階段話で場を盛り上げる。それぞれの語り手のありそうでなさそうな怪談話に興じるのだ。あかねは、ドキドキしながら、語り上手な友人達の話に耳を傾ける。乱馬はというと、我感ぜずという風に隅っこでしらけていた。
…たくう…くっだらねえ…
 幼少時から修行に明け暮れて、自然の営みの中にも無造作に放り込まれてきた彼には、どの話も現実味がなかったし、ましてや興味をそそられることもなかったのだった。
 そうこうしているうちに、順番はあかねのところまで廻ってきた。


二、

 順番が来ると、一対の燭台とロウソク、そして自分の名前の書かれた赤い札を手渡される。これを持って、二人で細道を歩いて行き、廃寺に予め用意された印札と名札を交換してくるのだ。
 浮かぬ顔のあかねと、天にも昇るような五寸釘の「ちぐはぐペア」がスタートした。
「あ、あかねさん…大丈夫?怖くないかい?怖かったら遠慮なく、ぼ、僕につかまっていいからね…。」
 五寸釘は嬉しさに満ちた言葉をあかねに投げ掛ける。
「大丈夫よ…全然平気。さっさと、お札置いて済ませちゃいましょう…。」
 あかねは無味乾燥の返事をして、さっさと歩き始めた。

「ちぇっ!」
 乱馬は前を行く二人を見送りながら、舌打ちをする。
 その音が聞こえたのか、ペアを組むゆかが話し掛けた。
「早乙女くん…やっぱり、あかねのことが気になるんでしょ?」
 そう言いながらくくっと笑う。
「べ、別にぃ…。」
 乱馬はできるだけ平静を装って答える。
「無理しちゃってえ…あかねは足の怪我でそう早く歩けないみたいだから、急げばすぐにでも追いつけるわよ…。五寸釘くんじゃあ、痛めた足を支えるのは絶対無理だから、乱馬くんが近くにいてあげた方がいいんじゃあない?鈍い二人に追いついたんなら、誰も何も言わないわよ…。」
 ゆかは愉しそうに乱馬をけしかけた。
「へん…。」
 乱馬は生返事をしながら、前を歩み始めたあかねたちを見送った。心中はイライラしていたのだが…。。

 案の定、あかねはくじいた右足を引きずり始めていた。
 舗装された道とは違い、石ころがごろごろする凸凹道。おまけに普段は殆ど人が通らないのか、道端から覆い被さるように夏草が伸びてくる。
 ペアが乱馬でなく五寸釘なので、余計に弱みは見せられないと、歯を食い縛りながら、痛みを堪える。五寸釘のか弱い力では、まずもってあかねを支えるのは無理だろう。 
…やっぱり、辞退しとけばよかったかな…
 今更ながらに、思いを巡らす自分が情けなかった。
 傍にいるのが乱馬だったら…文句をたれながらでもしっかり支えてくれるだろうに。痛みの向こうで、あかねはふとそんなとりとめもないことを考える。

 その後方では、乱馬がゆかと道を急いでいた。
 口と行動が、全く裏腹の彼は、ゆかの提案を受け入れていた。口をヘの字に結んだまま、黙々と前へ向かって足を動かし続ける。ゆかは、そんな乱馬の不器用さが可笑しくて、一緒に足を動かしなが自然に顔が弛んでくる。
…もう、素直じゃないんだから…
 そうなるとムショウにお節介が焼いてみたくなるのもあかねの親友らしいところだった。


三、

 廃寺の境内は思った以上に荒廃を欲しいままにしていた。
 月夜の闇に浮き上がる、廃寺の荒んだ骨格。艶めかしい夜風に吹かれてざわめき立つ気配。フクロウの鳴き声と遠い海鳴りが、深々と耳にこだまする。
 不気味さに身を竦めるあかねとは違って、五寸釘はますます活力を高める。元来、このように不気味なものに好奇を抱く彼にとって、廃寺の荒涼も澱んだ空気も水を得た魚のように心地が良かったのだ。おまけに、傍らには夢にまで見たあかねが居る。右足をくじいて良く歩けないようだ…。
…やっぱり、このチャンスに乗じない手はないな…あかねさん…。
 彼の横恋慕は、ピークに達しはじめる。
 彼の非力を持ってして、あかねのバカ力に太刀打ち出きる筈もなかろうが、燃える下心は止めることができなかった。
「あかねさん…。」
 五寸釘は、ムードたっぷりにあかねに迫ろうと試みる。
 「あ、あった、あった。あそこに…。」
 手を指し掛けようと伸ばした瞬間、あかねはお札を見つけたらしく、足が痛いことも忘れて、駆け出した。
「あかねさん…」
 一回目のアタックは見事な空振りに終わった。
…まあ、いいか。夜道は長い…。
 五寸釘は苦笑いを浮かべながら、あかねの方へと再び足を向けた。
 
 札は墓の入口の六地蔵の屋根の下にあった。破れ提灯が上から灯されていて、情緒がたっぷり演出されていた。
「この札を取るといいのね。」
 あかねはホッとした表情を浮かべながら、持って来た札と印の札を取り替えた。
「ねえ、あかねさん…この台は何かわかる?」
 五寸釘がいきなり話し掛けてきた。
「台?この石のベンチみたいなの?」
「そう…これはね、土葬する人を祈った場所なんだよ…。」
「ちょ、ちょっと、そんなこと今言わなくても…。」
 五寸釘の不気味さに思わず後ずさり始めるあかね…。
「いいじゃない…他に誰もいないし。僕達だけだから、ゆっくりムードを楽しもうよ…。」
 五寸釘は執拗にあかねに迫ろうとしたいた。
「いいわ。私、遠慮しとく…。」
 五寸釘の毒気にあてられながら、あかねは後ずさりを始めた。
 と、痛めた足がツンときて、思わずよろめいた。

「あっ…!」
 小さい悲鳴を上げたときは時既に遅く、スローモーションのように後方の地蔵堂へ向かって倒れ掛ける…。対峙する五寸釘はあかねを支える術を持ち合わせていない。受身を取っても、くじいた足ではどこまで耐えられるか。
…だめだっ!!
 そう、観念して、ぎゅっと目を閉じた時、体がふわりと宙に浮いた。
…え?
 暖かい感触に目を見開くと、逞しい腕が支えているのが見えた。
「たく…くぉらっ!五寸釘っ!変なムード出してんじゃあねえっ!!あかねがびびってるじゃあねえかっ!!」
 腕の主はあかねを支えながら辛辣に怒鳴りつける。
「さ、早乙女くん…。」
 乱馬の登場に焦った五寸釘は、トンビに油揚げをさらわれたようにポカンと見上げた。
「乱馬…なんでここに?」
 抱きかかえられたあかねはきょとんと後ろの影にささやき掛けた。
「おめえらがちんたら歩いてるから、追いついちまっただけでい…。」
 乱馬はプイッと横を向いて答える…。さすがに心配で急いで追いかけてきたとは言えない乱馬だった。後ろで真相を知るゆかが笑い転げていた。


四、

「おめえ、利き足、相当調子悪りいんだろ?受身がちっとも取れてねえもんなあ…。」
 乱馬はぼそっと言った。
「乱馬…。」
 あかねはそれ以上は何も言わなかった。おまえのことは何でもわかってる…そんな囁きが聞こえてきそうだったから。もしかして、心配して急ぎ足で追いかけてきたのかもしれない。そんな不器用な優しさが、ちょっとだけ嬉しく思えた。
「乱馬くんに負ぶって行ってもらいなさいよ・・あかね…。」
 ゆかが意味深に目配せした。
「でも…。」
「早乙女くん…今のペアはこの僕だから…あかねさんの面倒はこの僕が…。」 
 五寸釘が横から入って来て、ムリヤリあかねを負ぶさろうとしたが、情けがないことに、無駄な徒労であった。
「あんたが頑張っても無理よ。」 
 ゆかは呆れ顔で五寸釘に釘を刺した。
「うううう…重い…。」
 それでも五寸釘は歯を食いしばってがんばってみたが、あかねを負ぶさることはおろか、持ち上げることも出来なかったのだった。
「ばーか…。あかねは見た目よりずっと重いんだぜ…。」
 乱馬がポソリと言った。
「それ、どういう意味よ…。」
 五寸釘の背中であかねがギロリと目を剥いた。
「だから、俺くらいしか持ち上げられねえってことだ!」
 そう言って五寸釘の後ろに回り込み、軽々とあかねを抱きかかえた。
「ううう…く、悔しい…。」
 五寸釘はあかねを乱馬に取られて地団太を踏んで悔しがった。
「下ろしてよ…あんたなんかに抱かれたくないわっ!!」
 あかねもさっきの乱馬の一言に傷ついて、手足をばたつかせた。
「いいから、暴れるな…。おとなしく俺に任せとけって。」
 乱馬は無表情に言い切ると、あかねを抱き上げる両手に力を入れて踏ん張った。力の差は歴然たるもの。身動きがとれないくらい、締めつけられて、あかねは仕方なくあばれるのを止めた。
 
「何やってんだ?おまえら…。」 
 後ろで大介の声がした。乱馬たちがおたおたしているうちに、もう一つ後のペアが来てしまったらしい…。
「こんなところでラブシーン?」
 大介のペアのさゆりも笑い掛けてくる。
 事情を知らない者からは、乱馬とあかねの恰好は、何かしらいい雰囲気を作っているようにしか見えないのである。
「あかねの足が調子悪いみたいだから、乱馬くんが心配して抱っこしてるの。」
 ゆかが愉しそうに笑いながら答えた。
「あーあ。いいよなあ…。世話が焼ける相手が居て…。」
 大介はしらけた口調でそう言うと、
「べ、別に、そんなんじゃねえや…。」
 乱馬は真っ赤になりながら、それに抗戦する。
「たく、おまえが無理ばっかりするからだぜ…第一、昨日、ドジをこいて怪我なんかするから…。」
「うるさいわねっ!あたしだって好きで怪我した訳じゃあないのよ…。」
 その先はいつもの口喧嘩。
「たく、おまえは後先何も考えないから…。」
「何よ…乱馬だって同じじゃない!」
 
 果てしなく続いてゆく痴話喧嘩の応酬に、痺れを切らしたのか、それとも二人の世界に気を利かせたのか、ゆかが合図すると、さゆりも大介も嫌がる五寸釘を引き摺りながらその場を静かに退散しにかかった。大介たちのペアが最後だったので、後には誰もやって来なかった。
 
 気が付くと、二人きりで墓地に取り残されていた。


五、

 生暖かい風が、吹き荒んでゆく。
 提灯の残り火が頼りなく二人を照らし出した。
 お化けなどいないことはわかっていたが、それでも、夜の墓地は不気味だ。昔、生活していた人だった塊がたくさん埋けられているからだろう。
「なあ、あんまり気持ちのいい情景じゃあねえよな…。」
 二人きりで取り残されたことに気付いた乱馬は、ぼそぼそと歯切れが悪そうにあかねに話し掛けた。
「うん…。できれば、早く立ち去りたい…。」
 あかねも彼に同調する。
 後ろでザザザザザッと草が擦れ合う音がした。墓地の傍に聳える大きな木も枝葉を揺らせている。場所が場所だけに薄気味悪い。絶えられなくなったあかねは
「イヤだ…。」
そう言って、乱馬の胸に顔を寄せた。
「風の渡る音だよ…おまえ案外臆病なんだな…。」
「うるさいわねえ…。」
 そう言いながらもあかねは顔を上げようとしなかった。強がっていても所詮は女の子。恐怖が支配し始めると止まらないのだ。
「バカ力のおまえでも、怖いものがあるのか?」
 意地悪く問い掛けてくる。あかねは何も答えなかった。
「俺と一緒なら怖くねえだろ…バカっ…!」
 小さく囁いて乱馬はそっと抱き上げる腕に力をこめた。
 そう言われて、彼の腕から伝わる鼓動に何故か安心しきって頼っている自分に気付いたあかねだった。
 あかねが胸に顔を埋めたままじっと動かないのを見て、乱馬はふっと柔らかい息を吐いて軽く微笑んだ。
「まあ、いいや。おまえ、歩けねえだろうし、このまま抱いていくけど、異論ねえ、なっ?」
 と言葉を投げた。
「ないわ…。」
 あかねはそう言って黙った。
「おうっし!んじゃ、帰ろうか。」
 乱馬はそう言って微笑むと、あかねを抱いたまま、歩き出した。
 ホントはおんぶでも良かったのだが、二人とも敢えてそのままの姿勢を保った。

 墓地を抜けると海岸に沿った一本道。
「家に帰ったら、ちゃんと東風先生のことろへ行けよ…。」
「わかってるよ…。」
「ちゃんと治しとかねえと、クセになるからな…。」
「ん…。」
 そう言ってあかねは暗い夜道を眺めた。
「夜道ってロウソクなくてもちゃんと歩けるのね…。」
「お月様が明るいからな…。」
「ねえ、重くない?大丈夫?」
「重くねえよ…五寸釘とは鍛え方がちがわあ…。」
 乱馬はヘンッと鼻息を荒らげて、あかねに答えた。
 二人の頭上にはお月様が煌煌と道を示すように照らし出していた。
 さっきまで感じていた不気味さは今は無く、湿っぽい浜風も心地よく感じた。

 足を急がせながらも、不器用な二人は同じことを考えていたに違いない。
…この月明かりの夜道が長く続きますように…もう少しだけ、こうしていたいから…

 月がそんな二人の影を追いながらひっそりと空で笑った。








 一之瀬的戯言
 「浜木綿」の後を受けてこそこそキーボードを叩いていた作品。
 
 「俺と一緒じゃあ怖くねえだろ…。」という台詞を乱馬に言わせたくて書いたような作品です。
 五寸釘君。彼って使いようによっては面白いストーリーが組めるような。胃薬飲みながら頑張る男?
 TVシリーズでは原作と登場のタイミングが違いました。TVシリーズの登場編の「強敵?五寸釘くん登場」のストーリーも好きです♪あかねちゃんのお弁当にオタオタしつつもクッキングの本を手渡す乱馬くんがお気に入りです。
 あと「五寸釘光、一夏の恋」も好きです…乱馬くんの本音がチラホラきこえてきますから。
 五寸釘くん、不気味ですが、面白いキャラクターですね。話を作るときに動かしやすいキャラクターです。さすがに才能溢れる原作者、けも先生。隅々まで瑞々しく動くキャラクターを生み出される手腕はさすがです。


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