◆七夕に願いを


 太陽が燦燦と照りつける午後。
 お昼間頃に学校から帰ってきたら、かすみお姉ちゃんが笹の葉を門のところへと据え付けていた。
 期末考査の期間中で今日は半ドンだったのだ。結果はともかく、ようやく終わった考査に気力も抜けて、ちょっとホッとしていた私だった。
「あら、なびきちゃんお帰りなさい。」
 お姉ちゃんは笹を持ち上げながら私を迎える。
「なあにその笹。早乙女のおじさまの食事にでもするの?」
 私はきょとんとしながらお姉ちゃんに尋ねてみた。
「ううん。おじさまのお食事用の笹なら別にあるわよ。これはね、七夕用の笹よ。立派な笹を貰ってきたから、短冊でも飾ってみようかと思って。」

…ああ、今日は七夕か…

 私はお姉ちゃんの言葉に今日が七夕であったことに初めて気がついた。
 子供の頃はよくお姉ちゃんやあかねたちと一緒に笹飾りを結(ゆ)わえ付けて喜んでいたけど、近年は飾ることもなかったから。
 母さんが生きていたならば、今でもかすみお姉ちゃんと楽しそうに飾っていたかもしれないけど。母さんは子供達の感性を育むために、こういう「行事」は折に触れてちゃんとやってくれるような人だったと思う。
「ねえ、折角だから、みんなに願い事を短冊を書いてもらって結わえてみようと思ってるの。どうかしら?」
 かすみお姉ちゃんは穏やかに言う。
 考えることがいかにもかすみお姉ちゃんらしい。そう思って私はフッと息を吐いた。
「いいんじゃない?ちゃんとウチの連中が真面目に書いてくれるけどうかは怪しいものだけど…。」
 私はお姉ちゃんに答えた。
「じゃあ、なびきちゃんもちゃんと自分の願い事、これに書いてちょうだいね。」
 おねえちゃんはニコニコしながら、西瓜や茄子や葡萄や胡瓜といった野菜や果物の飾りや、ヒラヒラした折り紙の飾りを熱心に紙縒(こよ)りで笹に結わえ付けていく。
 そう言えば、なんで西瓜や胡瓜の飾りが存在するのだろう。七夕とどんな関係があるというのだろうか。
 思えば不思議なことだったが、考えてみても一銭の得にもならないからすぐ思考を止めた。そして私は短冊をお姉ちゃんから受けとって、家の中へと入って行った。


 お昼ご飯を食べた後は、そのまま短冊のことは捨て置いて、試験中に溜まっていた「通販」の雑務をこなしていた私だった。

…世の中はやはり「お金」よねえ…。

 試験中控えていた儲け分を挽回すべく、全国展開している「らんまくん(女)」の写真やハンカチなどのグッズを袋詰めにしていた。
 夕刻近くなって、お姉ちゃんに渡された短冊のことを思い出し、面倒だったけれど、マジックで適当に自分の願い事を書き入れて、吊るしておくことにした。かすみお姉ちゃんの機嫌を損ねることはあまり得策とも思えないので大人しく言う事に従った私だった。
 実際のところ、機嫌を損ねるとお姉ちゃんがどのような態度に出るかは一切が不明なのだけれど…。この家の住人達も、かすみお姉ちゃんにだけは無下に逆らわないみたいなので、私もそうしたまでのこと。
 きっと今頃は、かすみお姉ちゃんの機嫌を損ねないように、あの笹にはウチの住人達の煩悩溢れた願い事がイッパイ吊るされているに違いない。
 それを見るのも、また一興かと思い、私はつっかけを引っかけて外へ出た。


 外に出ると、乱馬くんと妹のあかねが笹飾りを見上げていた。
「何やってるのかな?」
 私は二人に声をかける。
「うん…皆の願い事を読んでたのよ。」
 二人の手にはそれぞれ短冊が握られていた。やっぱり、この二人もかすみお姉ちゃんに言われたことには逆らえないとみた。
「いろいろ吊ってあるんだけどよ、読んでると結構面白いぜ。」
 乱馬くんもあかねも私と同じようなことを考えて外に出てきたのだろう。それにしても、この二人、普段から喧嘩ばかり繰り広げて反発しているクセに、こうやって必ずペアになっているんだから。
「どれどれ…」
 私は笹飾りを見上げてみた。
 彼等が言うとおり、そこには様々な煩悩が書き込まれている。

「乱馬が男らしく育ちますように…これはのどかさんか。」
「オフクロの奴、何書いてやがんだか。」
 乱馬くんが恥ずかしそうに言った。
「息子のことが心配でたまらないのよ。いいじゃない、気にして貰えてさ。」
 あかねがからかい気味に乱馬を突付いた。
「家内安全、みんなが幸せに暮らせますように…かすみ。お姉ちゃんらしいわね。」
「かすみさんには、物欲という言葉がちっとも似合わねえからなあ…。」
 乱馬くんは腕を組む。
「無差別格闘流が永遠に栄えますように…早乙女玄馬…ふーん案外おじさんも慎ましい願い事してるんじゃない。」
 私が言うと、
「よく見ろよ、下の方…」
 と乱馬くん。
「できれば、このまま末永く居候生活を優雅に楽しみたい…」
 短冊の下には小さい字でそう書き加えられていた。
「ったくう…親父の野郎、ロクなこと考えてねえだろ?」
 乱馬くんは苦笑していた。
「ええっと、お父さんは、家族が幸せにいられますように…それから別にこんなのもあるわ。乱馬くんとあかねが立派に道場の跡目をついでくれますように・・かあ。お父さんの一番の心配ごとだもんね…あんたたちは。」
 心なしか二人とも顔が赤くなっていた。
「こんなこと願われたって…迷惑だよ…な、あかね。」
 乱馬くんは小声で言った。
「そうよ。こっちの都合っていうものもあるんだから…ね、乱馬。」
 あかねも小さく頷く。
 この許婚たちは端から見ていても、実はちゃんとお互いを信頼し合う関係を構築していることが分るのだが、当人達だけはそれを素直に 表現しようとしない。奥手なのか、そういう性格同志だからか。
 相手にするのもバカらしいから、わざと聞えない素振りをして、私は先を続けた。
「ええっと、いっぱいのギャルのおねえちゃんたちとお知り合いになりたい…八宝斎。相変わらずきったない字だわね。」
「お姉ちゃん、凄い。読めるんだ、おじいちゃんの字。」
 あかねは感心した。
「俺たちは読めなかったのに…なんでだ?」
 乱馬くんまで感心している。
「あんたたちとは頭脳鍛錬の度合いが違うわよ…。」
 実のところ、私も読めない字の方が多かったのだが、わかる字とおじいちゃんの性格や嗜好を合わせてあてずっぽうで読んだのだった。おじいちゃんの願い事としてはこの辺りが妥当だろう。
 
「ええっと、こっちは…天道あかねとおさげの女とダブル交際したい…名前がないけどこんなの書くのは九能ちゃんね。でも、なんでこんなところに九能ちゃんの短冊が…。」
 苦笑しながら私が言うと、
「かすみお姉ちゃん、そこら中の人に短冊を書いて貰ったみたいよ。ほら。」
 あかねが指差す方を見たら、確かにウチの住人以外の短冊も見つかった。

「乱馬と結婚したい…珊璞…シャンプーのね。こっちは…珊璞を嫁に…沐絲…ムースね。簡潔な願いだこと。」
「何よ、この願いっ!」
 あかねはシャンプーの短冊を見て少し不機嫌になった。
「言っとくけど、シャンプーの願いは俺には関係ないぞ!」
「あたしにも関係ないわよ!」
 私は二人のやり取りに無関心を装いながら
「乱ちゃんと一緒にお好み焼き屋を経営したい…久遠寺右京…」
「乱馬さまと清く正しい交際をしたい…九能小太刀。」
 次々と羅列している短冊を読み上げる。
 後ろではあかねと乱馬くんが痴話喧嘩をおっ始めたようだった。
「いいわね。モテモテで。」
「だから俺には一切関係ねえっ!」
「顔が緩んでるんじゃない?」
「何だよ、焼きもちか?可愛くねえなあ!」
 後ろの喧騒を聞き流しながら私は人様の願い事を読み進める。
「右京さまとずっと一緒にいたい…小夏…可愛らしい願いだこと」
「誰でもいいから嫁にこないかにゃあ〜魔猫鈴…しつこいわね。」
「ナイスな校則プリーズ…九能校長…相変わらずだこと。」
「方向音痴と豚を治せますように…響良牙…帰って来たのね、良牙くん。」
「良牙さまの願いがかないますように…雲竜あかり…けな気だわねえ。」
「早乙女乱馬、あかねさんから手を引け!…五寸釘光…不気味な人型の短冊だこと。」
「早雲さまと結婚したい…二ノ宮ひなこ…まだお父さんのこと諦めてないのか。」
「右京さまとヨリを戻したい…紅つばさ…って交際してたかしら、この二人。」
「名前を変えたい…パンスト太郎…いつやって来たのよ。」
「孫娘が幸せになるように…コロン…泣かせるわね。」
「カジノで世界制覇ができますように…博打王キング…無理ね永遠に。」
「かすみさん、ああ、かすみさんたらかすみさん…ナニよコレ…ああ、東風先生のね…お姉ちゃんに手渡されて舞上がってたのネ」
 
 次々に読む、他人(ひとさま)の願い事。書き込まれた字からも、その人物の性格が垣間見えるから可笑しいものだと思う。

…溢れる他人の煩悩は読んでいてそそられるものがあるものね。
 それにしても…
 まだ後ろの二人は口喧嘩している。
…ホントに仲がいいんだから。

 私はやれやれといったように溜息をひとつ吐いた。
 それから、 
「で、あんたたちの短冊は?」
 喧嘩の水を注すように私は言葉を突き出した。
「あ…」
 お互いの口調を止めて二人は急に黙り込む。
「どれどれ…」
 私は二人から短冊を取り上げた。
「呪泉郷へ行って完全な男を取り戻したい…早乙女乱馬…なるほどね。別にそのままでも充分面白おかしく一生が過ごせると思うけど。」
 私が言うと、
「他人事(ひとごと)だと思って面白がるなよ!こんな情けねえ体質とはさっさとおさらばしたいんだよ!!」
 と突っかかってくる乱馬くん。
…ほらほらすぐにムキになるんだから。まだまだ青いわね。
「体質がそうでなくても、充分情けない性格してると思うけどね!」
 あかねは笑い転げながら口を挟む。
「あんだと?」
 また、喧嘩を始めそうになる。私は割って入って今度はあかねの短冊を読み上げた。
「ええっとあかねのはっと。お母さんのような素敵な女性になれますように…。あかねらしいわね。お母さんみたいに良妻賢母になりたいのね。」
 私は微笑みながら妹を見詰めた。勝気な性分のこの妹も、ホントは可愛らしい女の子なのだ。だから、口の悪い乱馬くんもこの妹のことを心根ではとても大切にしている。
「へんっ!あかねの不器用さだったらそれこそ永久に無理な願い事じゃあねえのかよっっ!!作る飯は不味いしよ!」
 そして、乱馬くんはここぞとばかりにさっきの反撃に出た。
「うっさいわねっ!私が何を願おうと関係ないでしょう!あんたにとやかく言われる筋合いなんてないんだから!!」
 
…あーあ、もう、勝手になさい。
 お互い気がついてないみたいだけど、あんたたちの願い事って結局は一つに集約されてるんじゃあないの?書き込まれていないだけで、それぞれの短冊の語尾にちゃんと付くんでしょ?「愛する人のために」って…
  
 そして、
「ほらほら、ぼちぼち仕度なさいよ…あんたたちも七夕の縁日に出掛けるんでしょ?」
 私は二人にそう声を掛けると、さっさと家に引っ込んだ。
 七夕の縁日…ひょっとしたら面白い儲け話でも転がっているかもしれない。だから私も出掛けるつもり。
 
ところで私が書いた願い事知りたい?
だったら寸志を心付けるの忘れないでね。そうしたら、そっと教えてあげる。








一之瀬的戯言
 暑い真夏の最中、熱風吹きまくる倉庫の片隅で暗くチラシを折る単純作業をしていた時にふと思いついた七夕ネタの作品です。
 一緒に作業をしていた仲間から少し離れた奥で一人鬱々とカーボン紙と戯れていたのですが、閃いたら書かずにいられませんでした。

 天道なびき人称書きの小説に仕立ててみました。
 時間がなかったので、プロットも 下書もなしにイキナリ、キーボードに飛びついて入力したので、あまりいい出来栄えではありませんが…。
 ありきたりの作品ではありますが、「天道家の七夕」ということでお楽しみ下さい。

 なお、創作時期は前後していますが、「線香花火」はこの作品の後の時間に続く短編です。……こちらは乱馬の視点から描いた「乱×あ」作品です。
 「乱馬×あかね」嗜好にに向かって爆走するような短編です…続けてどうぞ…


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