◇二人の京都


 まだまだ夏日が続く、浅い秋の京都…。

 乱馬とあかねは、二人きりで三条通りのアーケードを歩いていた。
 自由時間に、みんなで土産物を漁りに新京極辺りを練り歩いていたのだが、いつのまにか二人きりで取り残されてしまっていた。

「ねえ、何買ったの?」
 興味深そうに河原町三条の交差点で、信号を待ちながら、あかねが乱馬の紙袋を覗き込む。
「別に…たいしたもんじゃねえよ…。」
 乱馬は軽く、あかねを一掃したように言い放つ。
「ホント、おみやげって苦労するわよね…。」
 あかねは乱馬にお構いなしに続ける。
 二人で小遣いを半分ずつ出し合って、土産を買おうかと相談していたが、止めた。そんなことをしようものなら、「新婚旅行か?」などと口の悪い家族を喜ばせるようなものだったから。
「ねえ、これ、孫の手ね。誰に買ったの?」
 紙袋からのぞいている長い木の棒をあかねが指差した。
「ああ、それは、親父用だよ。パンダになったとき、背中が掻き辛いって、こぼしてたからなあ…。」
「パンダになったときのおじさまって手が太短いものね…。おばさまには?」
「オフクロか…なんだ、その、懐紙(かいし)だよ。ほら。お茶会なんかで使うことがあるだろ?」
 透明の袋から花模様の懐紙が透けて見えた。
「なかなか可愛い懐紙じゃない…。乱馬の趣味?」
「アホッ!!」
「そっかあ、これ買うのにわざわざ女の子に変身してたんだ。」
「うるせーっ!」
「案外、親思いなんだ、乱馬って。」
 あかねはふふふと笑いながら言った。
「おめえは早雲のおじさんに何買ったんだよ。」
 体よくあかねにからかわれたような気がして、間髪入れずに乱馬が問い掛けた。
「煙草入れよ。同じようなものを早乙女のおじさまと八宝斎のおじいちゃんにもね。」
 そう言って、あかねは同じくらいの大きさの包み紙を見せた。
「ふーん、ジジイにもわざわざ買ったのかよ。」
「あれでも一応、お父さんたちのお師匠さまだからね。乱馬は買ってないの?」
「買ってるよ。ほら。」
 乱馬はおもむろに紙袋を出した。舞妓さんたちが写っている綺麗な絵葉書だった。
「あのジジイにはこれくらいで充分だぜ。」
 そう言いながら、ふふんと笑って見せた。

 信号が変わって、交差点をはじき出されると、二人は横断歩道をゆっくりと渡った。
「なあ、まだ集合時間まで少しあるから、散歩でもしようか?」
 珍しく乱馬の方からあかねを誘った。
「そうね…川原で京都の風に吹かれてみたいな…。」
「はいはい、お嬢さん…ならば鴨川へ…」
「もう、茶化さないでよっ!」
 三条通りを東山に向かって歩き始めた。二人の傍を三条京阪に向かって緑色の市バスが何台も排気音をたてながら通り過ぎてゆく。
 映画館を左手に見て、木屋町の高瀬川を通り、三条大橋の袂から川原へ降りる。
 川原の涼やかな風が二人の傍を過ぎゆく。
 鴨川のせせらぎが心地よく耳に馴染む。
 遥か先には北山が折り重なって見える。
 京都の空気を胸一杯吸い込んで、二人は肩を並べてコンクリートで固められた石畳を川上に向かって歩く。
「なあ、ちょっと座らねえか?」
「そうね、歩き詰めで疲れちゃったね。」
 乱馬の提案を受け入れて、二人で川原にちょこんと腰を下ろした。
 正面には大文字の山膚。五山の送り火の中心の山だ。比叡山へ続く青垣が左手に沿って美しく見えた。
 西側の川原に座ったので、ちょうど日陰になって心地よい風が二人の傍を渡ってゆく。
 川向こうの喧騒もここでは気にならないほど二人の世界を満喫できる。乱馬とあかねは意識していなかったが、鴨川の川原はカップルたちの憩いの場でもあった。

「ねえ、あと何買ったの?」
 あかねは落ちつくと、また興味深々に訊いてきた。
「たいしたもん、買ってねえぞ。」
「ねえ。これは?本か何か?」
「んっと、これは地図だよ。良牙のだ。」
「良牙くんに地図のお土産?京都の?」
「ああ、京都に来ても迷わねえようになっ。」
 あかねは傍で笑い転げた。方向音痴の良牙のことを思い浮かべたからだ。
「あたしは良牙くんにペナント買っちゃった。」
「ペナント?」
「だって、前に良牙くんの家に遊びに行った時、部屋中に飾ってあったから、ペナント集めるの趣味のような気がして…。」
「歴史的方向音痴だからなあ…良牙の野郎は…。まあ、そんなコレクションもやってるかもしれねえなあ…。今時、流行(はや)んねえけど。」
 乱馬も一緒に笑い転げた。
「お姉ちゃんたちには?何か買った?」
 あかねが訊いた。
「あかねは何買ったんだ?」
「私は、あぶらとり紙よ。」
「あぶらとり紙?何だそりゃ。」
「ん、京都のみやげ物として女の子にはけっこう重宝されるのよ。お化粧直しのときなんかに、鼻の辺りに浮き出してくるてかりを取るための薄い紙なのよ。おねえちゃんたちやおばさまに買ったの。」
「ふうん。女っていうのは厄介なんだな。おめえ、自分のも買ったのか?」
「うん。たくさん買ってきた。」
「そんなもん、使っても効果ねえんじゃねえか?」
 そう言って乱馬は頬を突ついてきた。
「うるさいわねえ…。いいの。ほっといて…そうだ、乱馬にもあげようか?女の子に変身した時にでも使うといいんじゃない?」
「アホ…使うかよ…んなもん。」
 乱馬は口を尖らせた。
「ねえ、この包み何?」
 今度は拳大くらいの包みを指差して訊いた。
「ああ、それか…まあいいじゃん。」
 乱馬は歯切れ悪く返答した。
「誰かへのお土産?」
「え…まあ、な。」
 乱馬が口篭もった。
「何よ…あたしに言えないの?」
「いや、別にそんなんじゃねえけど…ちょっと・・な。」
 何かあかねに聴かれたくないわけがありそうだった。あかねは気になりはしたものの、あまりに乱馬が言いたがらないのを見て取って、まあいいかとそれ以上追求するのは辞めた。
 微かだが風にのって『俺とおまえの大切な人への土産物さ…。』というような言葉が聞えたような気がした。
「だから、その、清水焼きの…別にタイそうなもんじゃあねえよ…。まあ、いいからいいから。それよか、これ…。」
 乱馬はそう言って、小さな包みを出してきた。
「匂ってみな。」
 促がされて包みに鼻を近づけると、芳しい香りがした。
「お香?」
「ああ。匂い袋っていうのかな。さっき寺町通りを歩いていて、いい香りがしたからこれにした。」
「へえー、渋いもの買うのね。これ買う時もやっぱり女の子に変身してたんでしょ。違う?」
「うっせえなあ…。」
 どうやら図星のようだった。
「随分たくさんあるのね…匂い袋。」
「ああ、かすみさんだけじゃなくて、女連中はみんなこれでまとめたからなあ…あかりちゃんとか、シャンプーとか…。ムースとか婆さんとか小夏なんかにはキーホルダーを買ったよ。困った時のキーホルダーってな。」
 シャンプーの名前が出てきて、あかねはちょっとむっとした表情になった。
「乱馬って義理堅いのね…。」
 などと突き放して言ってみる。
「あんだよ…ひょっとして、焼きもち、か?」
 あかねの表情が変わったのを見て、乱馬が面白がった。あかねの機嫌はすぐ顔に出る。
「な、なんであたしがあんたに焼きもちなんか…。」
 あかねは慌てて否定する。
 乱馬は買った土産物一つの行き場所にも妬くあかねの焼きもちが、ちょっとかわいく思えた。だから、よけいにからかってみたくなる。
「そうそう、本物の焼きもちも買ったぜ。ほれ、この包み。」
 乱馬は嬉しそうに小箱を差し出した。
「何よ、それ…!」
 あかねはますますムキになる。
「上賀茂の名物だってよ。」
「乱馬のバカっ!」
 あかねはプイッと横を向いてしまった。京都に来てまで痴話喧嘩。いつものパターンだ。
「おめえだって、P助に土産買ってるじゃあねえか。」
 乱馬も負けじと絡んできた。
「なんでそこでPちゃんの名前が出てくるのよ…バッカみたい。」
 Pちゃんと良牙が一心同体だという事実にまだ気付いていないあかねが突き放すように言った。
「あんただって、ペットに焼きもち焼いてるじゃない…」
「うるせえ…シャンプーにだって付合い上買っただけじゃんか。おめえだって良牙やP助に付合いで買ってるんだからとやかく言われる筋合いはねえっ…。」
「ふーん、だったら小太刀や九能先輩にも買ってるの?」
 あかねが意地悪そうに訊いた。
「買うかよ…あんな奴らに買おうものなら、『乱馬さまぁー♪』とか『おさげの女ぁー』とか言って付きまとわれてややこしいぜ。俺だってちゃんと後先考えて買ってらあ。」
「だったら、シャンプーはいいの?」
 あかねのしつこさには閉口した。
「いい加減にしろよな…たくっ。ほらっ、これ。」
 乱馬はあかねの方を見ないで鴨川の流れを見詰めながら、左手で小さな匂い袋の包みをあかねに突き出した。」
「何よ…これ。」
 差し出された包みを持ってあかねは訊き返した。
「たくさん買ったからって店員さんがくれたんだ。やっぱ、女に変身してるとおっちゃんはいろいろオマケしてくれるんだな。俺には必要ねえからおまえにやるよ。…いい加減機嫌直せ、ばかっ。」
 乱馬は膝に右肘を付くと掌の上に自分の顎をのせた。そしてチラッとあかねの方を見やった。
 あかねは黙って手を伸ばし、差し出された包みに触れようとした。乱馬は包みを取ろうと触れたあかねの手を包みごと下から握り返す。
 川の水面に水鳥が二羽飛んできて緩やかな小さな中州に止まった。
 何も言葉を発せずに二人は中州を静かに見詰めていた。銀色に輝く水面は穏やかな時をゆっくりと重ねてゆく。
「焼きもちも度が過ぎるとかわいくねえぜ。」
 辺りを見回すと、均等に間隔を開けて川面を見詰めながら肩を寄せているカップル達。
 水鳥たちは何事もなかったように飛び去った。
「さてと。ぼちぼち行こうか…。集合時間に遅れちまう…。」
 乱馬はそっと手を離すと、やおら立ちあがって伸びをした。
 黙ったまま乱馬を見上げるあかね…。その右手には乱馬から貰った匂い袋がほのかに薫っていた。


 実はこの話には後日譚がある。
 乱馬があかねを誤魔化したお土産のこと。
 あかねと乱馬が修学旅行から帰宅して間がない天道家。
 あかねの父・早雲、乱馬の父・玄馬、二人の師匠・八宝斎、あかねの姉・かすみとなびき、そして乱馬の母のどか…
 それぞれに分配されたお土産。
「ねえ、あかね。母さんにまでお土産買ってきたんだ。」
 感心したようになびきが言った。
「え?私…お母さんに買ってきた覚えがないけど…。」
とあかねが怪訝な顔をした。
「だって、ほら、あの仏壇。清水焼きの湯のみがちょこんと置いてあるじゃない。」
 なびきが母親を祭った仏壇を目で追う。
 笑い掛ける母の遺影のその前に、置かれた小さな湯のみ茶碗。
「それなら、乱馬くんが置いてったのよ。お土産だって言って。」
 かすみが笑いかける。
『俺とおまえの大切な人への土産物さ…』
 あかねは乱馬との会話の中で聞えたような台詞を思い出した。
「乱馬ったら…。」
 胸が熱くなるのを堪えながら
…ごめんね…お母さん。娘の私からは何もなくって…。でも、私、いい人とめぐり逢えたと思ってる。だからいつまでも見守ってて…
 そう言って遺影の母に手を合わせた。
「あかね、乱馬くんが呼んでたわよ。身体が鈍ってるから手合わせしに道場へ来いってさ。」
 なびきの呼びかけに、
「はあいっ。」
と元気良く返事してあかねは母の元から去った。
 彼女が立ち去った後には湯のみと横にチョコンと並べられた匂い袋、そして亡き母の笑顔。








一之瀬的戯言
 京都という街は不思議な魅力に溢れています。
 大学が数多くあるこの街は学生達の活気にもあふれている若さがある一方で、日本の伝統文化を培ってきた歴史も無視できません。
 繁華街から少し外れると、思わないところに古き街並みが出現します。
 学生時代は良くキャンパスがあった烏丸今出川から京都御所を抜けて、寺町、三条と通りぬけて三条京阪まで歩きました。使っていた59系統の市バスはいつも満員で、乗りそびれてました。楽器を肩に背負って、時には鴨川の川原もボチボチと良く歩きました。
 三条界隈の鴨川の河川敷には規則正しく、カップル達が距離を保って肩を寄せ合っています。今回の小説にもそれを少し織り交ぜました。河川敷に二人で腰を下ろし鴨川の流れを静かに見詰めるのは、京都の女の子の夢の一つかもしれません。(私も時々BFと座って川の流れを眺めたものです。)
 私が学生の頃は京阪電車も三条が終点で、川の上に張り出した三条駅はとても風情がありました。今は地下に潜ってしまい、電車の軌道だったところは川端通りが延長されています。
 京津線(けいしんせん)も地下鉄と合流し、路面電車は嵐電の一部だけになったようですね。
 高校時代までは市電も軌道を走っていたのですが…赤い三桁系統の京都市バスは市電の外周線の名残です。

 京都を訪れる皆さん、時間的に余裕があれば、是非、街をたくさん歩いてみてください。歴史がそこここで話し掛けてきます。
 御所、鴨川の河川敷、哲学の道、北山通り周辺、東山周辺、嵐山、太秦(うずまさ)、北大路、西大路、黒谷、岡崎、白河通り…ちょっと奥へ行って鞍馬、高尾、大原、比叡山…
 どのポイントを取っても、それぞれの風情があります。

 京都といえば祇園さんや大文字などの五山の送り火(大文字焼きとは絶対地元の方は言いません!)も大好きな私。
 祇園祭は7月17日の山鉾巡行をメインに、五山の送り火は8月16日午後8時から…となっています。
 京土産の代表格はあん入りの生八橋(なまやつはし)ですが、焼きもち(上賀茂の名物)や茶団子(宇治の名物)も捨てがたく思います。
 しば漬け、すぐき、千枚漬けなどの京漬物もよろしいかも。
 匂い袋はかわいいものがいっぱいあります。寺町三条辺りはお香屋さんからの芳しい薫りが漂ってきて大好きです。
 あぶらとり紙は手頃な女の子へのお土産になると思います。四条京阪を八坂さんの方へ少し上がったアーケードにある化粧品やさんのものが、つとに有名だと思います。よーじ屋だったっけ。
 それと、八坂さんの手前にある「京都クラフトセンター」はオススメの土産物(?)屋さんです。店内にはいろいろな在京の方の作った作品が並べられていて、見ているだけで楽しいです。時間のある方は是非入ってみて下さいね。
 私が敬愛する高石ともやさんの唄に「街」というのがあります。、地名こそありませんが、京都への優しい想いが満ち溢れています。
 「この街が好きさ 君がいるから…」という歌詞。らんまには直接関係ないのですが、この歌詞があの二人の関係にピッタリくるように思います。 この唄を口ずさみながら、また京都を闊歩したいなあ。

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