◆四月バカ

 今日は四月一日。
 どんよりと澱んだ春特有の天気。霞か靄(もや)かがかかっていて、お天道様(てんとうさま)がいらっしゃるのにすっきりしない空。
 そんな春先の気候にも似て、私の妹とその許婚は、今日も朝からバタバタと喧嘩していた。
 相変わらず、仲がいいんだか悪いんだか…。
 寄ると触ると、これ見よがしに言い争いを始める。どっちもどっちで、いい加減にしたらなんてひと言割って入ってやろうかと思うくらい。でも、バカらしいのでいつも遠巻きにして見ているだけの私。一銭の得にもならないことには首を突っ込みたくないし、何より、端から黙って見ている方が楽しめるから。
 さて、今日の喧嘩の原因は何だろう。
 私なりに観察していると、どうやら、また、乱馬くんが優柔不断なところをあかねに見せ付けて、ヤキモチを妬かせてしまったことに起因しているみたいだった。
 乱馬くんはああ見えても、結構、女の子にもてる。
 あかね以外にも、中国娘のシャンプーやもう一人の許婚右京、そして九能ちゃんの妹と、それはそれは個性の塊のような娘たちに何かというと追い掛け回され、振り回されている。
 乱馬くんはきっと女の子のあしらい方に慣れていないのね。というより、わかってないのね。餓鬼すぎて。
 嫌な物はイヤ、駄目なものはダメ、とはっきり思ったことを口に表せばいいのに。それを優柔不断だって言うのよね。
 まあ、優柔不断は彼だけじゃないわね。
 妹のあかねもそう。しかも、素直な女の子じゃないときている。もっと乱馬くんに甘えてみたらいいのに、それができないで「ヤキモチ」を散々妬くんだから。
 この二人、本質的には似たもの同士。
 
 今朝の朝食だって、いつもよりギスギスしていたわ。
 箸を持ったまま睨みあっちゃって。
 お父さんたちは二人の間に入ってオロオロしていたみたいだけど。ほっときゃいいのよ。どうせ犬も食わないんだから。
 乱馬くんはご飯を食べ終わると、ぷいっと表へ行ってしまった。もう、ホントに餓鬼ね。
 あかねと買い物に出る約束をしていた私は、
「出掛けようか…。」
と誘った。
 あかねはまだブリブリしていたけど、
「そうね…!行こうっ、お姉ちゃんっ!」
って、鼻息が荒かったわ。



「いってらっしゃいな。」
 かすみお姉ちゃんの笑顔に見送られて、私とあかねは春香る街へと繰り出す。
 あかねはまだ怒っていて、何処となく、歩き方が乱暴だった。
「いい加減、機嫌直したらどう?」
と、横で囁くと、
「別に、私は乱馬のことなんてなんとも思ってないわよっ!」
って、なげ返された。嘘ばっかり。本当は気にしてるくせに。出掛けに感じた乱馬くんの視線も、本当は謝りたいって言ってたみたいなんだけどな。
 端から見ていて、心の中が透けるくらい、単純で明瞭な二人。でも、案外自分達のことは見えないのね。お互い、愛されていることに自信がないのかもしれない。

 春物のバーゲンセール、ファンシーショップのショウウィンドウ。街はすっかり陽気で溢れていた。
 乱馬くんが居候するようになってからは、あんまり前ほど二人で出掛けることもなくなったな…。
 映画を観て、食事して、お買い物して…。春の休日を楽しむ。
 途中、何人かの男の子のグループにナンパされて…。
 でも、大丈夫。どんなナンパだって、私に言わせたら、ただのでくの坊。いつもならお金で糸目つけるんだけど、今日はそんな気分にもなれなかったから、適当にあしらう。
「お姉ちゃん、上手いんだ…。断り方。」
 あかねが目を丸くしたほど。
「ふん。あんたと年季の入り方が違うのよ。」
 とすかして見せた。
 不器用で、一つ一つの動作が危なっかしい妹。ナンパ一人上手にあしらえなくて、力ずくでいこうとする。それでいて、私が見ても、いじましいほどかわいいもの。きっと乱馬くんはあんたのこと愛して止まないに違いないわ。もっと自信を持って愛されたらいいのよ。
 まあ、私は、お金に縁などありそうにない、乱馬くんみたいな男の子には興味ないけどね。

 夕方近くなって、あかねは歩いていた歩道を見て小さく叫んだ。
 彼女の視線の先には、ふらふらと車道を飛び出しそうになっていた小さなよちよち歩きの男の子。
「あぶないっ!」
 そう思った途端、すぐさま妹の身体は動いていた。流石に、普段、道場で鍛えている運動神経の持ち主。後ろから駆けてくる自動車を寸でのところでやり過ごし、道端へと男の子を抱えて戻る。
 我が妹ながら、凄いわね。
 その子の母親に何度も礼を言われて、あかねはにっこり微笑んでいた。
 私なら礼金の一つでもって思うのだけど、あかねは何も要求しないで、その場を立ち去った。
 でも…。
 私はすぐに妹の異常に気がついた。
「どうしたの?どっか痛めたの?」
 歩き方がぎこちないし、口数が減っていたのだ。
「うん…。ちょっと足をくじいたみたい…。靴が禍したかな…。」
 顔が少し歪んでいた。
 道場と違って、今日はヒールのある靴をはいてきたものね。普段履きのスニーカーじゃなかったから、着地に失敗したのかもしれない。
「東風先生のところに寄っていこうか…。」
 私はあかねの鞄を持つと先に立って歩き始めた。力がないから負ぶさるわけにもいかなかったから。

 東風先生の見立ては軽い捻挫。
「あんまり無理しないようにね…。」
 湿布薬を貼りながらニコニコ笑う東風先生。
「歩ける?送っていこうか?」
 東風先生は優しくあかねに言った。
 
 そうだ…。

 私は妙案を思いついた。
「ちょっと先生…。」
 手招きして東風先生に考えを耳打ちした。
「うん。いいね。」
 東風先生は笑いながら私に同調した。
 私はさっと携帯電話を持つと親指で入力し始めた。
「あ、かすみお姉ちゃん?あのね…。あかねがね。ちょっとドジっちゃって…。足に大怪我して東風先生のとことに担ぎこまれたのよ。うん。そうそう。かなり重症よ…。」
 嘘も方便語り始める。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃんっ!!」
 後ろで聞いていたあかねが焦って怒鳴るくらいの大嘘を、私は受話器に向ってがなり立てる。
「そうね…やっぱり、乱馬くんがいいわ。そりゃあ、こういうときだもん。許婚としての勤め果たしてもらわなきゃ…。あかねも心細いだろうし…。」
 私はにんまりと話し掛ける。
「お姉ちゃんっ!!」
 真っ赤になって怒鳴るあかねを無視して、さっさと段取りをつける。
 私が携帯の電源を切ると、あかねは案の定、真っ赤になって睨み付ける。
「なんて嘘つくのよっ!!」
 あかねは勝気にも、自分で歩いて帰ろうと、椅子を立ち上がった途端、
「たまにはいいんじゃない?今日は嘘ついてもいい日だから。」
 そう言いながら、東風先生が、右手であかねの腰を軽く触った。ぽきっと骨が鳴る音がした。
「え?」
 軽い声と共に、立ちかけていたあかねが床にへたり込んだ。
「大丈夫、ちょっとの間、動かないだけだから。二十分くらい辛抱してね。」
 そう言って東風先生は軽々とあかねを抱き上げた。そして、さっと病室のベットの上にあかねを寝かしつける。
「先生っ!!」
 あかねはもごもご叫んでいたが、私は
「上手く、仲直りしなさいよ。」
 とウインクしてさっさと病室を出た。

 首尾は上々。
 今頃、血相を変えて、天道家を飛び出して駆けている乱馬くんがいる筈よ。
 あかねの一大事って聴いたら、止めたっていの一番に駆けつける、それが、乱馬くんだから。
 数分して、ドタバタと入ってきた乱馬くん。私や東風先生の顔を見ると、息もつかずに畳み掛けた。
「あ、あかねは?け、怪我したって…。」
 全速力で駆けてきたのだろう。はあはあ言いながら肩で息をしている。
「あそこの病室だよ…。」
 東風先生も案外人が悪いわね。したり顔で言ってのける。
「乱馬くん、優しい声かけてあげるんだよ…。」
 さも、深刻そうに乱馬くんの肩をぽんと叩く。私は笑いたい衝動を抑えるのがやっとだった。
 乱馬くんは返事の代わりに、こくっと頷いて、病室の扉を開けて入っていった。

「上手くいったなか?」
 東風先生は楽しげに笑った。
「そうね…。多分…。」

 野暮だと思ったけど、反対側の病室の壁の穴から、東風先生と、二人の様子をちょっとだけ、垣間見させてもらったわ。
 乱馬くんはすっかり私と東風先生の仕組んだ嘘に騙されたみたいで、あかねを見出すと、じっと彼女を見詰めていた。
 あかねは動かない身体をベットに縛り付けたまま、苦しそうに乱馬くんを見上げていた。
「あかねのバカ…。ホントにドジなんだから…。」
 乱馬くんはそんなことをあかねに吐きかけた。
「ち、違うわよ…お姉ちゃんと東風先生の陰謀よ…。何考えてるのかしら…。」
 あかねがそう叫んだ。
「え…?」
 乱馬くんはきょとんとあかねを見返す。
「だから、ほら…。軽い捻挫しただけなのよっ!」
「ホントか?」
「ホントよ…。」
「じゃあ、俺は…、二人に担がれただけ…なんだな?」
 こくんとあかねが首(こうべ)を垂れた。
 それを見ると、乱馬くんはホッとしたように笑った。
 緊張の糸がふつっと切れたのだろうか。次の瞬間、あかねの身体をすっぽりと彼の二の腕が包み込んでいた。あかねの顔を己の胸にしっかりと抱きしめているのが見えた。
「良かった…。」
 安堵した小さな囁きが壁を通して聞こえたような気がする。

「もう、いいだろ?ここから先は、あの二人の世界だから…。」
 一緒に覗いていた東風先生がそう言いたげに私の背中をポンと叩いた。
 もう少し覗いていたい気もしたけれど、私も壁から目を離して、後に続いた。
 やがて柔らかな静寂がこの不器用な許婚たちの間にゆっくりと降りてゆくだろう。

 私は先に接骨院を辞し、一人、家路に就いた。
 流石にあの二人の毒気に当てられるつもりはなかったから。
 きっと、少し素直になって、二人連れ立ってこの道を帰ってくるだろう。
 一文の得にもならなかったけど…。ま、いいわ。たまには私だって、損得勘定抜きで可愛い妹のことを思いやるんだから。
 何しろ、今日は、一年で一度、大手を振って嘘をついても構わない日。だから…。

 私は小石をコンと靴で蹴った。小石は閉じかけたタンポポの花の脇で止まった。
 ふっと見上げた空には、ぼんやりと影を落として浮かぶ朧月。



 完




一之瀬的戯言
 四月バカ…エイプリルフールの短編。
 なびき視点の文章を描くのが好きです。彼女は醒めた部分があると同時に、洞察力が鋭いキャラクターなので、すいすい文章が組み立てられるからです。
 視点で描かなくても、私の作品の中では、なびき姉さんの活躍が他の方よりも多いかもしれません。

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