◇桜狩   四


6、 玄馬と早雲の場合

 食が進み始めた頃、乱馬の隣に座っていた玄馬が
「うっ。」
 という、咽喉を詰まらせたような声を発して白目を剥いた。
「どうした?親父。がっついて食うから咽喉でも詰まらせたんじゃねえのか?」
 乱馬はそう言って、酒が並々と入ったコップを手渡してやった。
 玄馬はコップの中身を飲み干すと、やれやれといったようにこう言った。
「あー、生き返ったぞ。死ぬかと思ったわいっ。」
「あん?」
 玄馬の言葉の意味が解せずに乱馬が声を出すと、今度は玄馬のそのまた隣に座していた早雲が
「うっ!」
 っと言って白目を剥いた。
「天道くんっ!しっかりせい。ほれ気付けじゃあ。」
 玄馬は乱馬が自分にしたように、酒の入ったコップを差し出して早雲を介抱する。
 早雲も一気にそれを飲み干すと、
「はあっ、彼岸が一瞬見えたようだね…早乙女くん。」
 と息を吐き出した。
「はあ?」
 乱馬は二人の様子に首を傾げていると、玄馬がこそっと耳打ちしてきた。
「どうやら、普通の重箱にもあかねくんの作った料理が紛れ込んでおるようじゃぞ、乱馬。気をつけろよ。」
 そう言われてみて、お重を観察してみると、確かに、所々変な色合いや形をしたウインナーや玉子焼き、野菜の煮しめ、揚げ物などが混じっている。

…これじゃあ、まるで、ロシアンルーレットみたいなもんだな…
 乱馬は思わず苦笑した。
 あかねの携わった料理はやはり、切る、炒める、揚げる、味付けする、煮込む、焼く、どの課程を取っても不味くなるらしい…。知らずに 口にほおり込もうものなら、いつしか彼岸の彼方に意識が飛んでしまうのだ。

 それにしても、玄馬も早雲も、水の代わりに酒を一気飲みした。普段から晩酌などで鍛えているとは言え、一気飲みは身体に毒だ。いや、この場合、身体というより頭に毒と言い換えた方が妥当かもしれないが。
 当然、酒気が頭に回り始める…。

「う…いっ。酔っ払ったかね、早乙女くん。」
「酔っ払らぱらっちゃたかもねえ…天道くん。ヒック。」

 二人とも真っ赤な顔をしていた。
 そして、いきなり、早雲は玄馬に水を被せる。
「ぱーっふぉっ!」
 玄馬はパンダに変身する。
 周囲はいきなり出現したジャイアントパンダにざわつき始める。
 当然だろう…。天道家やそれを取り囲む人々は玄馬の変身に慣れ親しんでいても、一般市民は違う。
「おおっ。こっちにパンダがいるぞ。本物だ!」
「どこだパンダは?おい、カメラカメラ。」
 すぐに人垣が出来始めた。

「早乙女くんだけモテちゃいやだー。なんならワシは…。」
 ひゅードロドロ…でんどろでんどろ…
 早雲はカ巨大化した顔面を漂わす…

「……。」
 乱馬は父親たちの奇行に、ただひたすら他人を決め込むことにした。

 調子にのった二人は、パンダや妖怪に変化したままで、芸をおっぱじめた。
 皿回し、玉乗り、コップ投げ、お手玉、傘回し、腹芸(モチロン玄馬パンダの)、火の輪くぐり、…雑技の数々。
 見るからに、ヘタクソな芸の数々だったが、演じているのが、パンダと妖怪オヤジとなると、これがオオウケで、やんややんやとそこら中で歓声が上がる。

「これを放っておく手はないわね…。」
 乱馬の後ろでなびきが言った。

 数分後、なびきが酔っ払った早雲と玄馬を連れ立って、花見客の真ん中でステージを組み上げて、大道芸を披露し始めていた。
 モチロン、何某かの見学賃を稼ぐ為に。
「さあさ、みなさん〜お花見名物、パンダと妖怪の芸の数々。見て行かないと後悔するするわよー。お代はこちら、お一人様500円ポッキリ。」

「なびきもよくやるぜ…。」
 乱馬は遠目で父親たちを眺めながらほーっと溜息を吐いた。
 暫らくはここへ帰ってこないだろう。
 早雲も玄馬もなびきに導かれるままに、酒を食らい、芸を楽しんでいる様子だった。
 お調子者の玄馬はともかく、普段は落ちついた雰囲気を持つ早雲すら、お酒が入ると気持ちが大きくなるのか、我を見失うのか、なびきにいいように使われている。
「酒って怖いなあ…。」
 乱馬は改めてそう思うのであった。


7、 のどかの場合

 玄馬と早雲がなびきにこき使われている間に、お花見のほうは順調に進んでいた。
 どこからともなく、立ち去っていた八宝斎が戻り、コロン婆さんと楽しそうに杯を交わしている。
のどかとかすみがとりなしながら、シャンプー、右京、小太刀、九能、乱馬、あかね、ムースたちは、小競り合うこともなく、ひっ迫しながらもなんとか和気あいあいを装う、一行であった。
 夕陽はとっぷりと暮れなずみ、もはや夕闇が当たりに広がり始める。
 周りの様相も、すっかり、食べ騒ぎモードから、お酒が入った宴会モードに変化していった。
 会社帰りのサラリーマンやOLたちが公園の盛り場を占め始めていた。
 遠巻きに見る、玄馬と早雲の芸もだんだん練達してきたようだった。

 乱馬もまだ言葉は交わすところもまであかねと仲直りした訳ではない。
 九能は九能で、相変わらず、強引とも言える勢いであかねに迫っている。が、のどかとかすみが防波堤になっていて、乱馬もあかねも大事に至ることはなく、表面上は穏やかに宴会はすすんでゆく。

 と、八宝斎の爺さんが
「たまにはサービスせいっ!」
 と言って、いきなり水を乱馬にぶっ掛けた。
「ちめてーっ!!何しやがんでーっ!!」
 案の定、乱馬は女にみるみる変身してゆく。
「おおーっ、らんまちゃん。ひさしぶりじゃのうっ!」
 八宝斎はらんまに抱きついた。
「やめろーっ!じじぃーっ!!」
 らんまの怒号が響く。
「おお、これはおさげの女ぁーっ。会いたかったぞーっ!」
 八宝斎だけではなく、九能にまで抱きつかれた。
 この、超利己中心的思考の九能という男は、未だに乱馬とらんまの区別がつかないようであった。そう、同一人物であるということに気付いていないのだ。
 おまけに、この九能の妹の小太刀までが同じくそうだから、話はますますややこしくなる。
 女になったり男に戻ったり…。
 男は男でもて、女は女でもてる…乱馬の悲劇はその当たりに起因しているのかもしれない。

 どのくらい、見たところ平穏に宴会が進んでいたのか…。

 乱馬が女に変身させられたところで、少し様相が変化した。
 そう、のどかがいきなり刀を乱馬に振り下ろしてきたのだった。

「乱馬ーっ!あなた、またそんな女みたいな格好で…。」

ビュン。

 らんまのおさげのたもとが少し刀の切先ではらりと切れた。

「え……?」
 らんまは、母親の突然の豹変に度肝を抜かれた。
 もちろん、一同、みんな、何がのどかに起こったのか、目を見張る。
「あなたは、男でしょう!!何故、女みたいな体つきをしているの!!」
 のどかはらんまに向けてそう怒鳴り散らす。
「……??」
 乱馬が変身しても、普段ののどかは、なにも小言は言わない。乱馬がそんな体質になってしまったことをとやかく申し立てるような心が狭い母親ではないはずだ…。

 のどかは刀を握りしめて、らんまの方ににじり寄ってくる。
 張り付いていた九能も八宝斎もどこかへ吹っ飛ばされていた。
「乱馬っ!なんであなたはそうなってしまったの?」
「そうなってしまったって…オフクロだって知ってるだろ?呪泉郷でこうなっちまったもんはしょうがねえじゃねえか…。」
 らんまとて刀の錆にはなりたくない。後ろにじりじり下がり始める。
「逃げないで、ちゃんとここに直ってオトナシク切られなさいっ!」
「って、何言ってんだよ、オフクロっ!」
 のどかは真剣だった。このまま本気で切りつけてくるつもりだ。
 武道家の直感だ。乱馬は肌でそのことを感じ取っていた。

…冗談じゃねえっ!!

 らんまはひらりと身を翻すと、さっと逃げ始める。
 何がナンだか訳がわからなかったが、ここは逃げの一手しかなさそうだ。

「待ちなさーいっ!」
 のどかは逃すまじと追い掛けた。
 しかし、着物を着ているのどかがらんまの身軽さに叶うはずがない。それどころか、すぐに地面につまずいて転んだ。

「おばさまっ!」
 あかねが矢もたまらず飛び出してきた。
「ばかっ!あぶねえっ!!」
 らんまはのどかの様子が尋常ではないのにあかねが不用意に近づいてきたのを見て、焦った。

 あかねが切られる…!!

 そう思うと、夢中だった。受身を取りながらも、身体はあかねに向かって真っ直ぐ飛び、彼女を抱え込むと、足の瞬発力で地面を蹴り上げ、高く飛び上がる。
 のどかはらんまの予想どおり、起き上がると同時に刀を翻してきたが、鍛え込んでいる息子の足腰の跳ね伸びる瞬間を捕らえることはできなかった。
 空を切る刀の音が耳に届いた時、らんまは既に空高くあかねを抱えて飛び上がっていた。
 男乱馬のときならいざ知らず、非力な女らんまが、あかねを抱き上げて飛び上がるのは容易ではない。それができたのも、火事場の馬鹿力が咄嗟に出たのだろう。

 ばさっ!
 
 刀が虚空を切り裂くと同時に、のどかはそのまま前につんのめった。

 一同は何がのどかの身に起こったのか理解に苦しみながらも、ただ、のどかを見詰めるだけだった。
 数分が流れたが、のどかは地面に突っ伏したままだった。
 今しがたまで漂っていた殺気は消えていた。それを確かめると、らんまはあかねを手放し、そーっとのどかに歩み寄った。
 勿論、また切りつけられては洒落にならないので、用心は怠りなく、へっぴり腰になりながらそっと近づいて行った。

 らんまは息を殺しながら母に近づくと、顔を覗き込んだ。
 
 なんとのどかから、微かに寝息が漏れる…。

「な…なんだ?」
 らんまは母からそっと刀を取り外すし、安全を確保すると、まじまじと母を見詰めた。
「はーっ。」
 らんまから思わず溜息が漏れた。

「どうしたの?らんまくん。」
 かすみが近寄ってくると、らんまは指をさしながら苦笑して言った。
「寝込んじまってるよ…。オフクロ…。」
「え?」
「お酒に酔っ払ってたみたいだぜ。酒臭えから…。」

 何のことはない。のどかは酒量が過ぎて、酔っ払ってらんまに絡んでいただけのようだった。
「だれだ?オフクロに酒なんか飲ませた奴は…。」
 らんまが言うと、
「おかしいわね…オバさまお酒じゃなくってジュースを二、三本のんでらっしゃっただけなのに…。」
 とかすみが首を傾げる。
「ジュースっていうのは、これあるか?」
 シャンプーが空き缶が三本転がっているのを指差した。
「ん?」
 らんまが良く見ると、それはジュースではなく、チュウハイの空き缶だった。
「これだけ飲めば普段飲まねえオフクロなら一発で酔っ払うよなあ…。ったく、人騒がせな…。」

 全く、冗談じゃない…らんまは心からそう思った。
 もしかしたら、のどかは、お酒を飲むと大トラに変身するのかもしれない。今までお酒を嗜んでいるところなど、見たことがなかったから、多分、酒には弱いのだろう。
 酒をしこたま呑んだところに女に変身したらんまを目の当りにして切れてしまったのだろう。酔っ払いの行動は予測がつかない。

「まあ、無事じゃったから良かった良かった。」
 八宝斎が手を叩く。
「よくねえーっ!」
 次の瞬間、らんまは八宝斎を高くフッ飛ばした。
 当たり前だ。八宝斎が水をぶっ掛けて元凶を作ったようなものだ。万死に値する。

 のどかは、何事もなかったように、気持ち良さそうに眠っていた。
 酔っ払いとはこういうものなのだ。



つづく



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