◇恋敵はかすみさん  2

三、
 
 冷たい夜風が渡って行く川原。
 乱馬は良牙のテントを探していた。
(確か、夕刻、親父と釣竿を垂れていたときに、見かけたはずだが…。)
 良牙を探し出して、聞きたいことがあったからだ。かすみの胸にあった痣。ずっと以前に自分にもあったのと同じ形の鯉の痣。ずっと前に、良牙に付けられた痣だったと記憶が甦ってきたからだ。
(良牙に会って、訊けば、何かわかるかもしれねえ…。)
 武道家の勘が乱馬にそう示唆していたのである。 
「ちぇっ!居なくていいときは現れるクセに、こちらが用のある肝心なときには見当らねえもんだなあ…。」 
 夜風を身で受けとめながら、乱馬は川縁を目を皿のようにして探した。まだ、春には遠い二月の真夜中。渡る風は身を切るように冷たい。
 方向音痴の良牙のことだ。また、何処か彷徨い始めているのかもしれない。
 諦めて家に引き返そうと思ったとき、橋の欄干の下に見慣れたテントを見つけた。良く目を凝らすと、その傍に焚き火がちろちろと火を放っている。その横で、黄色いバンダナを巻いた男が暖を取っているのが見えた。
「いたいた…。」
 乱馬はほっと息を継ぐと、良牙に向って駆け出していった。



 一方、乱馬を叩き出したあかね。
 彼女は、自室で机に向いながらしきりに溜息を吐いていた。
 一番上の姉、かすみの豹変。普段の優しい姉とは違った異質な気配。何か魔物にでも魅入られてしまったのではないかと思えるほどの妖艶さを漂わせていた。
 実際、すぐ上の姉、なびきも絶対におかしいと言い切った。
「良くわからないけど、お姉ちゃん、絶対何か変よ。あんた、気をつけないと、乱馬くんをそのままさらって持ってかれちゃうかもしれないわよ。乱馬くんって案外優柔不断なところがあるし…。お姉ちゃんの色香に惑わされてクラクラっていうことだってあり得るんだから。」
 他人事ながらも、なびきはそう言ってあかねに釘を刺した。
「そんなこと有り得ないわよ。あの乱馬が。」
と反論をしてみた。
「とにかく、乱馬くんを盗られたくないのなら、それ相応の対策は練っていた方が得策じゃないの?かすみお姉ちゃん、あの様子だと、どんな手段に出るかわかったもんじゃないわよ。」
 なびきは、念を押して出て行った。
 確かに、なびきの言う事にも一理あった。乱馬も健康な男子。女の人に誘惑されて「据え膳食わぬは男の恥」と云わんばかりに、「間違い」が起こるかもしれない。
 乱馬は天道家の許婚であるのだから、別にあかね自身が許婚にならなくても良い訳だ。かすみやなびきも候補に上がって然りである。乱馬とかすみが望めば、その組み合わせもまた、「是(ぜ)」なのである。

(ううん。絶対有り得ないわよ!乱馬がかすみお姉ちゃんと許婚になるなんて!)

 あかねは鏡に映った自分の顔を見ながら否定に走る。
 きちんと乱馬の意思を確かめた訳ではないが、彼が自分を愛してくれていることは、察しがつき始めていた。だが、彼の口から優しい言葉をかけられたことは無い。はっきりと「結婚の約束事」をしたわけでもない。つかず離れずの関係が続いていた。
(乱馬は私のこと、どう思っているんだろう…。)
 それは、ずっと頭の中に引っかかっている自問自答であった。
 可愛くねえ、色気がねえ、不器用、寸胴、凶暴女…彼の口からはこういった悪態しか吐いて出てこない。本当に乱馬の心が自分の上にあるのかどうか…あかねには自信がなかった
 気になるかすみの豹変と、煮え切らない乱馬の対応と…。一抹の不安があかねを過(よ)ぎり、ますます憔悴へと掻き立てる。
 あかねは、全ての考えを打ち消すかのように、バタンとベッドへと身を投げ出していた。



「で、その釣竿は、恋心を釣り上げる代物なんだな?」
 乱馬は念を押すように良牙に問い質した。
「ああ。確かそんな効用だったと思う。」
「そうか…。そんな物騒な釣竿だったのか。前にそれで俺を釣り上げたんだって言ってたな?」
「おぞましかったぜ…。あん時のおまえの俺への惚れっぷり…思い出しただけで背筋が寒くならあ。」
 良牙は憤然と言ってのけた。余程、酷い目にあったのだろう。
「そうか…。かすみさんの胸の痣からして、俺が物置で釣り上げちまったって訳か。…なあ、戻す方法は…ねえのか?」
「もう一度、鯉をその釣竿で釣り上げれば、元に戻るさ。あ、でも、急いだ方がいいかもな。鯉は成長するぜ。」
「だろうな…。」
 かすみは時間を経るごとに、妖艶さを増している。それは乱馬も体感済みだった。
「ま、かすみさんが元に戻らなくても、俺には関係ねえ話だけどな。いっそのこと、かすみさんと許婚になったらどうだ?乱馬…。あかねさんは俺が幸せにしてやってもいいぜ。」
 良牙はにやっと笑った。
「ば、馬鹿っ!他人事だと思って好き放題言うなよな!か、かすみさんには東風先生が居るんだから!それにそんなことしたら、あいつが…。」
 乱馬は、はっとして言葉を止めた。
「あいつが?」
良牙は面白そうに乱馬の語尾を突付いてきた。
「うるせえっ!とにかく、何とかしなくちゃならねえんだ!俺は…このままかすみさんに惚れ続けられる訳にはいかねえ!」
 乱馬は焦りながらそう答えた。
「あいつの為にも…か。」
 良牙はくくっと笑った。彼は彼なりに、あかねへの想いに少しずつ踏ん切りをつけつつあった。雲竜あかりがいたからだ。未練が全く無いわけではなかったが…。
「前に、おまえの胸から恋心を釣り上げて酷い目にあったんだ。俺は釣竿には金輪際、関わりたくねえからな!せいぜい、自分で頑張りな!」
 良牙は突き放したように言い放つと、さっさとテントの中へと消えてしまった。
「言われなくても、元に戻して見せらあ…。俺自身の平和の為にも…。」
 乱馬はそう呟くと、消えかけた焚き火を足でもみ消す。そして、天道家へと引き返した。
(とにかく、もう一度、あの痣を釣り上げればいいんだな!絶対、今晩中になんとかするぜ!)
 解決の手がかりが掴めただけでも良牙を探して良かったと思った乱馬であった。



 天道家に帰ると、夜はすっかり更けこんでいて、家の明かりも全て消え果ていた。あかねの部屋も、なびきの部屋も、かすみの部屋も、明かりは無い。
 乱馬はそっと庭越しに、物置へと回り込むと、件(くだん)の釣竿を探し出した。
「あった、これだ。」
 暗闇の中、持ち出した釣竿。先っちょには吸盤がついていた。
「この吸盤でかすみさんの痣を吸い上げれば、元に戻るんだな!」
 躊躇している暇はなかった。寝静まっている今しか、好機はないだろう。乱馬はぎゅっと釣竿を握り締めると、二階へと屋根伝いで上がって行った。

 瓦の上は、月明かりが栄え、結構、明るかった。しんしんと冷えてくる、冬の夜の寒さが、身を貫いていったが、震えている暇は無かった。
 とにかく、かすみの部屋へ。その一念だった。
 乱馬は足音を忍ばせると、そっと外から、かすみの部屋へと近づいていった。
 窓に手をかけると、意外にも、すっと開いた。具合のいいことに、施錠されていなかったのだ。
(しめしめ。ラッキーだぜ。)
 しっかりしたかすみが窓を開けておくなどという失敗をやらかすわけが無い…その時の彼は、そこまで頭が回らなかった。そう、乱馬が忍んでくることを、かすみが予想して、開けていたことに気付かなかったのだ。

 からからと窓を開けると、そこからそっとかすみの部屋へと侵入を果たした。
 かすみの部屋は整然と整理され、卒が無かった。部屋にはポプリのいい香りが立ち込め、入り慣れたあかねの部屋とはまた違う趣があった。
(かすみさんは…っと…。)
 じっと目を凝らすと、かすみのベットが目に入った。やすらかそうな寝顔を讃えて眠っている。
(気づかれないようにそっとだ、そっと…)
 足を忍ばせながら、乱馬は釣竿を構えてにじり寄る。
(い、行くぜっ!)
 そう思って、釣竿を握り締めた瞬間だった。蒲団から急に伸びてきたしなやかな手が、乱馬の身体をそのまま捉えた。
(え?)
 驚く間もなく、乱馬はかすみに身体を絡めとられ、ぐいっとベットへと引っ張り込まれたのである。
「待ってたわよ。乱馬くん。」
 耳元でかすみが囁いた。
「今晩辺り、忍んでくるんじゃないかと思ってたわ。案外、積極的なのね乱馬くん、嬉しいわ。」
 かすみはそう言うと乱馬を自分の胸へと押しつけた。
「ちょ、ちょっとかすみさん!」
 慌てたのは乱馬である。まさか、手が伸びてきて、抱きとめられるなどとは想像だにできなかった。抵抗する間もなく、柔らかいかすみの身体に絡みつかれ、乱馬は体がぎしぎしと固まってゆくのを感じた。
「いいのよ。甘えてくれて。」
「お、俺はそんなんじゃなくて…。か、かすみさん。」
 乱馬は口が渇いてゆくのを感じていた。惑わされた訳ではなかったが、こういう状況には場慣れしていない。どうやって逃げの体制に入るのかさえわからないでいたのだった。
「もう…。悪い子ね。」
 かすみは熱い目で乱馬を見詰めると、更に力を込めて乱馬を抱き寄せる。
 かすみのしなやかな手が乱馬の背中にゆっくりと回ったときであった。

 ドアが乱暴に開け放たれて、ぱっと電気がついた。
「乱馬ぁっ!」
 罵声と共にあかねが姿を現した。背中に怒りの炎を上げている。
 乱馬とかすみのことが気になって眠れずに、起きていたのである。かすみの部屋の只ならぬ気配に気がついてドア越しに様子を窺っていたようだった。
「あらあら、あかねちゃん。駄目よ、勝手に人の部屋へ入ってきて、逢瀬の邪魔するなんて。これから大人の時間が始まるんだから…。ね、乱馬くん。」
 かすみが不敵な微笑みを浮かべてあかねを振り返った。
「ちょ、ちょっと…あかね。ご、誤解するなよ!」
 乱馬はあたふたと言葉を継ごうとするが、ろれつが回らずにしどろもどろだ。睨み付けて来るあかねの目は怒り心頭に燃えていて、その視線の厳しさがびりびりと乱馬に伝わってくるのである。
「何が誤解よ!あ、あんたが、そんな男だとは思いたくなかったわよ!よりによって夜這いをかけるなんて!」
 あかねは肩を震わせていた。
「だから!ご…誤解だって!あかねっ!」
「違うわよ…乱馬くんは私に会いにこうして、夜中に忍んで来てくれたのよ!」
 かすみが横から口を挟む。
「かすみさん、事を荒立てるような言いようは止してくれよ…。」
 乱馬は口をパクパクさせながら言い訳をする。
 もう、こうなれば、メチャクチャであった。浮気現場を妻に抑えられた間抜け男。そういうシチュエーションにしか見えなかった。 
 そう、その先はお約束の「乱闘」しかない。
「乱馬のばかーっ!」
 あかねは叫ぶと、乱馬が手にしていた釣竿を奪い取りにかかった。
「あ、釣竿!か、返せっ、それがねえと!」
 乱馬はかすみの腕から飛び出して、闇雲にあかねに向って突進していった。そして、あかねが手にしかけた釣竿を掴んだ。
 その弾みだった。釣竿の吸盤はあかねの胸に、ぴったとくっついてしまったのだ。
「何よ!」
「返せっつってんだよ!」
「馬鹿っ!」
「うるせえーっ!それ返せっ!」
「嫌よ!」
 あかねと乱馬の激しいやりとりが始まり、乱馬は釣竿をあかねから剥ぎ取ろうと必死で手を振り上げた。
 当然である。釣竿がないと、かすみの痣を吸い取れない。それがなければ、かすみを元に戻せない。
 乱馬は必死だった。わっしと釣竿の柄を掴み取ると、無我夢中、思い切り引き上げて引き寄せる。あかねの胸に吸盤がぴったりと張り付いていることも知らずに。

「痛いっ!」

 あかねは思わず声を張り上げて胸を抑えた。勢い良く後ろに倒れこんだ。そして、放心したように空を見詰める。
「大丈夫か?あかね?」
 乱馬は急に戦意を無くして沈んだあかねを、気遣って声を掛けて振り向いた。
「あ…。」
 乱馬は見た。
 あかねの胸先で釣竿の先が、ゆらゆらと揺れているもの。その糸の先端にはピンク色に美しく光り輝いている丸い形のもの。
「あかね!やべ…。それは…。まさか…。」
 尻餅をついて倒れたパジャマ姿のあかねの胸元には、釣竿の先にあるものと同じ形をした痣がくっきりと浮き上がっている。
(しまった…。勢い余って、あかねの恋心も釣っちまった…。)
 彼がそう悟ったときだった。

 バキッ!

 続いて、大きな音が弾け跳んだ。
「げっ!」
 乱馬は音がしたほうを振り返って呆然となった。
 悪いことは往々にして重なるもので、握っていた釣竿が、見事、真っ二つに折れてしまっているではないか。
 折れた竿は一瞬光を放つと、ふっと消えてなくなってしまった。
(う、うそっ!ど、どうしよう…。)
 乱馬の顔から音も無く、さあっと血の気が引いていった。


四、

 次の日は朝から大騒ぎだった。
 あかねもかすみも競うように早くから起き出して、乱馬への忠節を尽くそうとする。
「そんな不味いもの、乱馬くんの口に合うわけないわよ!」
「料理は味じゃないわ、愛情よ!」
 天道家の台所は完全に戦場と化していた。
 乱馬にとっては至極迷惑な話であった。いくら育ち盛りとはいえ、弁当は二つも要らない。おまけに一つはあかねの作った弁当だ…。できれば関わりたくない。
 朝っぱらからかすみとあかねの過剰サービスの牙が剥く。たまったものではない。
 目覚めからして、散々だった。
 我先にと蒲団に忍び寄り、乱馬を起こしにかかったのだ。二人とも熱っぽい目で乱馬を覗き込む。
 寝ぼけ眼の男性に、女性二人が、蒲団の上から迫ってくるのである。
「早く起きて、あなた…。」
「朝ですよ…。」
 凡そ普段のかすみでもあかねでもない、別人格の二人がそこにいる。
 ゆっくりと惰眠を貪る心境にもなれない。
 乱馬が起き上がると、我先に、着替えを持って侍っている。
「今日は赤い色のチャイナ服がいいわ。ね、乱馬くん。」
「いいえ、青よっ!赤だと目だち過ぎるわ。ネ、乱馬。」
「赤がいいの。学生は慎ましやかな方がいいんですっ!!」
 言い争いが目の前で始まってしまった。
「いい加減にしてくれよ…。」
 この塩梅である。すっかり目が覚めた乱馬はほうほうのていで逃げ出して、結局、折衷案と言わんばかりに、どちらも提示しなかった、緑の服に着替えた。
「ほら、今度はお洗濯するから。昨日の下着、私に頂戴っ!」
「いいえ、乱馬の下着は私が洗うの…。」
 渇かない口で、またぞろ言い争いを始める二人。
「あかねは学校があるでしょ?今までだって、私が洗っていたのよ。」
「あら、今日からは私が手で洗うのよ…。お姉ちゃんは他の人の分を洗ってればいいの。」
 乱馬の下着を巡って争いが始まる始末。
「いい…。自分でする。」
 乱馬は痺れを切らして、下着を掴むと脱衣所ヘ駆けて行った。そして、無造作に洗濯機へと放りこんだ。
「たく…朝っぱらからなんなんだよ…。」
 乱馬の困惑はこれだけではなかった。
 朝ご飯の食卓へつけばついたで、これ以上はないと云わんばかりの過剰奉仕。かすみもあかねもお互いに一歩も譲らない。
 溜まらずに乱馬は、朝ご飯もそぞろに、いつもより三十分も早く家を出る体たらくであった。勿論、弁当も持たずに一気に門を駆け出した。
「いいわねえ…。両手に花で。」
 同じように早く出たなびきが、くすくす笑いながら話し掛けてくる。
「何がいいもんかっ!あかねだけでも持て余してるのに…朝っぱらからかすみさんと、二人がかりでベタベタ付きまとわれて、俺は迷惑してんだっ!!」
 乱馬はなびきを睨みながら、憤怒と言い放った。
「しっかし、かすみお姉ちゃんもなかなかやるわね。普段、おっとりしているように見えてるけど…なかなかどうして、芯があって、あかねより手ごわいかもね。この際だから乱馬くん、姉さん女房なんてどうかしら?」
 なびきの口調は明らかに他人事であった。
「馬鹿抜かせ。何が姉さん女房だっ!」
 乱馬の鼻息は荒い。
「かすみお姉ちゃんなら料理の腕も逸品だし、家庭的じゃない。いい奥さんになることはわかりきってるし、甘えさせてくれるわよ…。三つや四つ年上だっていじゃない。最近流行ってるし…お嫁さんに、どう?」
「阿呆も休み休み言えっ!かすみさんなんて眼中にねえっつうのっ!」
 乱馬はひょいっと塀に乗ってしまった。
「そっか…。お姉ちゃんは眼中にないか…。やっぱり、あかねがいいんだ。なるほどね。それならそうで、このままあかねを物にしちゃえばいいじゃない。今のあかねだと、乱馬くんに尽くしてくれそうよ。」
 なびきは楽しそうに乱馬をいたぶる。
「からかうのもいい加減にしろよ。俺は修行中の身の上なんだっ!女は要らねえっ!」
 ヘソを曲げた乱馬は、たったとフェンスの上を走って行ってしまった。

 しかしながら、乱馬の受難はそれだけで終わる筈がなく…。
 そう、あかねと同じクラスなのだ。平穏無事でいられる訳がない。
 あかねより早くに登校した乱馬だった。が、あかねが少し遅れて登校してくると教室は騒然とした。
「乱馬ぁ…ひどいよ。私より早く出ちゃうなんて。」
 そう言ってあかねは乱馬に抱きつく。教室の空気が一変した。
 あかねは乱馬に必要以上にベタベタ身体をなすりつけて来る。
「ば、馬鹿っ!離れろっ!くっつくなっ!!」
 乱馬は気が気でない。同級生達の好奇の目が二人に注がれる。
「朝から熱いな…乱馬。」
「いつからあかねと急展開したの?早乙女くん。」
「もう、一緒に寝起きしてんのか?おまえら。」
 同級生達は一斉に二人に言葉を挟み込む。
 あかねはにこにこと乱馬に絡む。普段なら考えられないくらい、表情は穏やかで物腰も柔らかい。そうよとでも言いたげだった。
「な…。んなわきゃ、ねえだろっ!!」
 乱馬は一人、気概を吐いていた。あかねの抱擁から逃れようと懸命だった。
「何や?あかね…なんか悪いものでも食べたんか?」 
 もう一人の許婚の右京がムスッとした表情であかねに言い寄った。凡そ、普段の、いや、昨日までのあかねとはかけ離れた乱馬への愛情表現。右京は納得がいかないというような顔を差し向ける。
「乱ちゃんが嫌がってるやんかっ!やめときっ。」
「嫌よ…。乱馬は私の旦那さまだもの…。私、乱馬と今日にでも結婚するのっ!」
 あかねは一向に離れようとしない。その言葉に乱馬が固まった。
 また、教室がざわめいた。

 ふと乱馬が気配を感じると、九能が木刀を持って後ろに立っていた。背中に激しい闘気の炎をめらめらと燃やしている。
「早乙女…。貴様っ!あかねくんをたぶらかしよって…。」
 目に涙まで浮かべている。木刀を持つ手はわなわなと震えていた。
「や、やめろっ!九能先輩っ!あぶねーっ!!」
 乱馬が九能が振りかぶったのをあかねの背中越しに見て、驚いて制しようとした時だった。乱馬よりあかねの方が、一足先に反応していた。
「何よっ!あんたっ!邪魔立てしないでよっ!!」
 どかーんっ!
 と気炎を吐くような音がして、あかねの蹴りが炸裂した。そして九能は哀れ、教室の窓から天へと弾き出されていった。
「てんどうあかねーっ!それはないぞー…。」
 九能は声を張り上げながら、窓の外へと消えていった。
 乱馬はごくりと生唾を飲み込んだ。あかねの暴力的な態度に少し空寒いものを感じたからだ。普段から粗暴なあかねだが、ここまで九能に冷淡になっていたろうか…。
「ねえ、邪魔者は消えたわ、あなた…。」
 一転してあかねは嬉しそうに頬を摺り寄せてくる。
「や、やめろっ!あかね。くおら…。」
 乱馬は必死だった。あかねの白い腕が乱馬に執拗に絡みつく。
「乱馬…。いい加減に観念したらどうだ?おまえだってあかねのこと好きなんだろ?」
 親友の大介が三白眼で言い放つ。
「んだんだ。これだけ想われてるんだ。幸せ者だぜ…。」
 ひろしも同調する。
 確かに、これが釣竿で釣り上げたあかねの成す技でなければ、乱馬は同調したかもしれない。あかねへの気持ちはとっくに固まっているのだから。しかし、これはあくまで、二次的な釣竿使用の結果のあかねの態度である。
 彼にはそれが気に食わなかった。
 あかねの確かな意志が今の行動の中にあると思えなかったからだ。これは釣竿で生まれた「鯉」がなせる業で、決して、心から彼女が望んでいることではない。そんな彼女に手を出せるほど、爛(ただ)れた自分でもなかった。
 だから素直にあかねの肩を抱くことができなかった。いや、抱くわけにはいかなかった。

 と、そこへまた闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れる。
「あなたっ!私の目を忍んで。あかねといちゃつくなんてっ!!」
 一際高いその声の持ち主は。そう。かすみだった。
「お姉ちゃんっ!何しに来たのよっ!」
 あかねはきっと姉を見返した。
「何って、夫の学校へ来ちゃ行けないなんて決まりはないわ。夫婦は何時も共にあるものよ。だから来たの。」
 かすみはふふっと笑って見せた。
「いいえ。乱馬は私の夫になる人よ。お姉ちゃんは黙ってて!」
 姉妹はじっと睨みあった。

「乱馬、おまえ、年上のかすみさんにまで手を出したのか?」
「おい…。それって重婚だぞ。」
「この色男っ!!」
 教室はますますざわつき始めた。
「乱ちゃん…。これはいったいどういうことや?事の次第によっちゃあ手加減せんで…。」
 右京は背中のコテに手を掛けた。
「早乙女乱馬、許すまじ…。何故、貴様ばかりがもてるのだ?」
 さっきあかねが飛ばした九能まで、また現れた。
 危うい雲行きになってきた。
「こ、これには訳が…。や、やめろっ!俺は無実だあーっ!!」

 激しい怒号が飛び交う中、乱馬は右京と九能によって袋叩きにあってしまった…。
 いや、ドサクサに紛れて、あかねとの許婚であることを好まぬ連中も加担に回っていただろう。

 まだまだ彼の受難は延々と続くのであった。


つづく




一之瀬的戯言
 乱馬の悲劇はまだまだ続く…あかねの恋心を釣り上げてしまったということは…
 喜劇を通り越して、悲劇かも…。


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