◇思い出 (あかね編)


「あー。かったりぃなあ…。折角の上天気だってのによぉーっ!」
 乱馬はちょっとむくれた顔をして、吐き出した息と共に呟いた。
「仕方ないじゃない…。留守番、頼まれたんだから…。」
 そう、朝からみんなで払っていて、広い天道家の中には乱馬とあかねの二人きりだった。
「空には雲ひとつねえってーのに、何が楽しゅうて留守番なんだよ…。」
 乱馬はぶうぶう言いながらパタンとあかねのベットに横になる。お蒲団日和なので全部瓦屋根の上に干していて、ベットの上には敷き毛布一つ被さっていなかった。
「そんなに退屈なら出かけてくれば?あたしなら、別に一人でいいから…。」
 あかねは手を動かしながらそれに答えた。彼女は部屋の整理に余念がなかった。一日家に居るのだから、たまには持ち物を整理しておこうと考えていたらしい。朝食とも昼食ともどっちつかずのブランチを乱馬と作って食べた後、部屋に引き篭もっていろいろ店広げをしていた。
「あのなあ…。一人で出たって面白くねえのっ!」
 乱馬は天上を睨みながら言葉を継ぐ。
「シャンプーとか右京とか…相手になってくれそうな女の子には不自由してないでしょ?」
 あかねは透かした顔つきでさらりと言った。
「ダメだよ…。二人とも連休中は掻き入れどきで忙しいって。」
「ふーん。彼女達の事ちゃんとチェックしてるんだ。」
 あかねは面白くないといった顔を一瞬、乱馬に向けた。
「してえねよ…。常識で考えたってわかるだろうよ…。二人とも飲食商売だし。うっちゃんなんかは昼間学校へ来てんだから。今頃、小夏と大忙しで切り盛りしてるだろ。シャンプーの所だって大方同じようなもんだろうさ…。」
「そっ!それは残念ね。」
「たくー。可愛くねえなあ…。その言い草…。」
 乱馬はなんだよと言った顔をあかねに差し向ける。
…だから、鈍い奴だなあ…。俺はおまえと出かけたいんだよ…
 そんな本音は心の奥底を漂っている。口が裂けても誘えないのが、この男の純情でへそ曲がりなところ。
「で、残りの半日…。おめえは部屋の片付け整理か…。」
 ふっと吐き出す呟き。
「ん…。長いこと整理してなかったし…。乱馬もやれば?部屋の整理。」
「いいよ…。俺は。大して荷物もねえし…。」
 
 結局、やるべきことが無い乱馬はあかねの部屋に居座っていた。彼女が片付けるさまを傍観していたのだ。
「おめえ…結構溜めこんでるな…。いろんな物。」
 乱馬は感心したようにボソッと言った。引き出しを広げると、出るわ出るわ。便箋やメモ帳、サインペンや文房具の小物の山。
「便箋とか封筒とか…。一体何組持ってんだ?…うへーっ。なんか文房具もごちゃごちゃいっぱい持ってんだなぁ…。」
 腕を枕に横になりながら乱馬はあかねを見やった。
「うっさいわねえ…。横からゴタゴタ言わないでよ…女の子なんてざっとこんなものよ。」
 あかねは手を動かしながらそう言った。
 確かに彼が言うとおり、いろんな物がごちょごちょ出てくる。でも、なんだか捨ててしまうのも忍びなくて、結局整理と言いながらあらかた再び引き出しへと戻ってゆく。

 乱馬はあかねの寝床でうんと大きく欠伸(あくび)をした。
 ふと目を横へやると、何やら仰々しい表装の本。うずたかく詰まれた本の山の一番上にあった。
 何の気なしに手にとってそれを眺め始める。

 乱馬が静かになったので、あかねはちゃっちゃと作業を進めていた。が、さっきまであんなにあれこれ御託(ごたく)を並べていた彼が静まったので、寝たのかと思い横を眺めた。
「あ…。それってっ!!」
 あかねが声を荒げて手を伸ばしてきた。
「おっと…。」
 乱馬はひょいっとあかねの攻撃から身をかわし、本をじっと見据えている。」
「やんっ!それ…小学校の卒業アルバムでしょ?返してよっ!!」
 あかねは真っ赤になりながら乱馬に差し迫る。
「いいじゃんか…減るもんじゃなし…。」
 乱馬はにやにや笑いながらあかねの動きをかわしていった。
「見ないでっ!返してっ!」
 あかねは怒号を上げている。
 当たり前だ。自分の過去の姿を彼に見られているのだ。なんだか裸体でも見られたように、物凄く恥ずかしい。
「おひょっ!おめえ、今と全然変わってねえなあ…。髪の毛も短いし…。スカートじゃなくてGパンなんかはいてよお…。おっ!こっちの奴はひろしか?これはゆかか…。」
 何人か今のクラスメイトもいる小学校の卒業アルバム。それが乱馬には面白いらしい。
「もおっ!いいでしょ?」
 あかねは顔中を紅潮させてわめき散らしていた。気恥ずかしさで頭がパニックになりそうだった。

 ポンと音を立ててアルバムを閉じると乱馬はあかねにそれを手渡した。
 あかねはさっと受け取ると、胸にアルバムを押し付けた。「これ以上見せないわよ!」彼女の素振りがそんなことを乱馬に訴えかけている。
 乱馬はくくくっと笑ってあかねを見た。
「たく…。おめえって、五年前とちっとも思考が変わってねえんだな…。」
 目は悪戯っぽくあかねを捕らえている。
「ひょっとして、あれ読んだの?」
 あかねはドキッとした表情で乱馬を恐る恐る見上げた。
「ん…。」
 乱馬は嬉しそうに首を縦に振って微笑んだ。
 あかねは更に赤みを差して固まる。
「私の夢は強い女流格闘家になって道場を継ぐ…か。」
 乱馬は面白可笑しく言ってのける。
 そう、アルバムの後ろに、それぞれの将来について自筆で書き綴ったページがあった。乱馬はどうやらそれを読んだらしい。
「で、自分より強い人と結婚していい奥さんになるって?」
 乱馬はにたっと笑ってあかねを覗く。
 あかねは黙ったまま俯いてしまった。気恥ずかしさで思考が止まってしまったらしい。
「あかね…あかねちゃん?」
 乱馬は固まった彼女にふいっと声をかける。
「ばかっ!」
 あかねのビンタが乱馬を見舞う。
「いってーっ!殴ることないじゃねえか…。」
 乱馬は避け損なってあかねの張り手をまともに食らってしまった。
「言っとくけど、あんたのこと書いた訳じゃないんだからねっ!」
 あかねは抗議口調でそう言うとソッポを向いた。
「わかってるって…。まだおめえは俺の存在なんて知らなかったろうし…。ましてや勝手に親が決めた許婚のことなんかも…。」
 あかねは押し黙っていた。
「あれは、大方、東風先生のこと書いてたんだろ?」
 乱馬は何気にそう言った。あかねの初恋は接骨院の東風先生。乱馬はそれを知っている。
 あかねの肩はピクッと動いて、そのまま何かに耐えるように震えていた。図星だったからだ。まさか相手を名指しで書くわけにもいかず、自分なりにぼかして書いた。なんだか乱馬に見透かされて、おまけにバカにされたようで、自分で訳がわからなくなっていた。

 涙が零れそうになるのをじっと堪えて、ぎゅっと唇を噛んだ瞬間…。
 グラっときた。

 ガラス戸がカタカタ鳴り始め、次第に大きさを増す。棚も振動し始め、壁がミシッと軋んだ音を発した。電燈の傘もゆらゆら揺れている。

…地震だ!

 そう思って身体に力を入れた瞬間、あかねはすっぽりと大きな物で目の前を覆われた。

…え?

 あかねが躊躇する間もなく、生温かいそれは自分を守ってくれるように、上からすっぽりと身体を包み込む。後ろでいろんな物が弾ける音がした。整理のために開いていた棚から、物が零れ落ちているのだろう。
 揺れが収まったとき、自分が乱馬の腕に抱きしめられていることに改めて気がついた。それを知るとあかねは胸に小さなどよめきを感じた。そう、彼は揺れの間中、落下物から彼女を守っていてくれたのだ。
 再び静寂が訪れ、落ち着きを取り戻したとき、彼はゆっくりと二の腕をあかねから外した。

「あー。びっくりした…。震度四か五ぐらいあったろうぜ…。今の揺れ。」
 乱馬はおどけて見せた。守りたい一心だったとはいえ、あかねを自分の腕に収めてしまったことに彼なりに照れを感じていたのだろう。
「大丈夫だったか?」
「う…うん。」
 あかねはまだドキドキしていた。アルバムを抱え込んだまま、じっと固まっていた。
 周りを見渡すと、折角片したものが、再び床に散乱している。幸い壊れたりしているものは無かったようだが…。
「乱馬こそ・・大丈夫?」
 と言って乱馬を見ると、肩を抑えていた。
「何か当ったの?」
「あ…いや、別にたいしたことじゃないんだけど…。その、豚の貯金箱が当ったみたい…。」
 豚は割れずにカーペットの上に転がっていた。開いた棚から落ちてきて乱馬を直撃したようだ。そんなに大きい物ではなかったが、陶器製の結構頑丈な豚の貯金箱。
「けっ。やな豚だぜ…。P助みてえによ…。俺って豚とは相性悪いのかもなあ…。」
 乱馬の言い様が可笑しかったので、二人は顔を突き合わせて笑った。

「あーあ…。片付け、また振り出しに戻っちゃったなあ…。」
「コツコツやるしかねえって…。手伝ってやるよ。他にすることもねえし…。」
「ねえ…もう、人のもの勝手に見たりしない?」
 あかねはじっと乱馬を傾いで覗き込んだ。
「はいはい・・。仰せのままに…。」
 乱馬は床に座り込んで、片付け始めた。
 あかねはその横顔を見ながらなんだか心が暖かくなってゆくのを感じずにはいられなかった。
 抱え込んだアルバムの「将来の希望」の一つは潰(つい)えかけた。東風先生への想いは諦めるに至った。
 でも…。
 根こそぎ潰えた訳ではない。
…あの時と思い抱いた相手は違うが、私には乱馬が居る。いつも傍らに居て、守ってくれる人が…。
 あかねは乱馬の横顔を垣間見ながら、くすっと微笑んだ。
「何だ?」
 乱馬がそれを咎めて振り返る。
「ううん…。なんでもない。」
 あかねは柔らかな微笑を彼に返した。
「変な奴…。」
 そう呟くと、乱馬は散らばった鉛筆やペンを筆立てに戻し始めた。
「ねえ…。」
「あん?」
「明日、天気ならどっか行かない?」
 乱馬は手を止めてあかねを見入った。そして、ふいっと横を向いて答えた。
「い、いいぜ…。別に…。」
 あかねの誘いに思い切り照れている。そして小声で付け足した。
「…天気悪くても…どっか行こうぜ…。」
 あかねはそれを聞いてまた、くすっと笑った。
「じゃあ決まり。」
 あかねは微笑んだ。

 明日は晴れても雨が降っても、二人で出かけよう。
 別にどこへだっていいの。一緒なら…。

 あかねは胸に抱えたアルバムを、そっと本棚に戻した。




完?…いえまだもう少し続きます…未来へGO!




一之瀬的戯言

2001年5月の呪泉洞表紙Novel「Sunny side up」からの連想の続き…
イメージは黄金週間の連休中…

あかね編があるならばもちろん乱馬編も(笑…但し結婚後ネタなんですが…


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