◇水鏡  三


八、

 一方、魔物の身体から逃れて、水に落ちたあかね。
 普段の彼女なら、泳げない身体を持て余して、そのまま溺れるのが関の山だった。が、この時は違っていた。
「光る玉を取って!」
 草太が叫んだのを、無意識のうちに実行に移そうとしたのだった。
「泳げないという事実」すら、己の思考から欠如していたと言おうか。兎に角あかねは必死だった。

 『光る玉、光る玉・・・。』
 念誦のように唱えながら手足をばたつかせて水の底を見詰めた。

 ポウッ。

 それは、遥か底の方で蒼白く輝いていた。
「あった…。」
 それを見つけたあかねは、大きく息を吸い込むと、そのまま目指して身体を沈めた。
 不思議と恐怖はなかった。暗き水の底に、それは玉燐と輝いていたのだ。
 『あかね…。あかね…。』
 それは、まるであかねを導くように暖かな光りだった。
 どのくらい潜ったのか。あかねは力尽きそうになった。
 『あかね…もう少しだ。あかね…。』
 光りから乱馬の声が漏れたような気がした。乱馬が自分を叱咤激励している。あかねは苦しい息の最後の力を振り絞って、玉を掴んだ。

 あかねがその玉を掴んだ途端、玉から光が弾け飛んだ。
 あかねは薄れゆく意識の下から、確かに乱馬が飛び出してくるのを見たような気がした。逞しい腕と胸。懐かしい温かさ。
「乱馬…、良かった…無事で。」 
 あかねは口から最後の息を吐き出して力尽きた。伸びてきた乱馬の腕が、しっかりと自分を抱き上げる気配を感じながら。  

 水面では魔物と狐が戦っていた。
「己、ちょこまかと…。」
 魔物は狐に向かって拳を繰り出す。それは紛れもない「火中天津甘栗拳」だった。鏡に写し出されたように魔物は乱馬のオハコを真似して見せた。
「ケーンっ!!」
 草太もその母も力尽きて淵の傍に倒れこんだ。
「けっ!てこずらせやがって。」
 魔物は乱馬の口調そのままに罵る。
 そして、手放した獲物を求めて水面の下を伺おうと覗き込んだ。
 
 水面がゆっくりと揺れた。

 あかねを胸にしっかりと抱えた乱馬が、静かに水面に上がってきた。

「けっ!死に損ないが…。」
 魔物は履き捨てるように、乱馬に向かって言い放った。
 「実体のないおまえがあがいたとて俺様に叶う筈もなかろうに…。おとなしくその娘を渡せ。」 
 魔物は薄ら笑いを浮かべながら言った。
 玉から弾け出した乱馬は実体ではなく、幽体だった。そう、実体はかの魔物に憑依されてしまったおかげで、弾き出された本当の己の心の部分がかすかに影として存在したいたに過ぎないのだ。その為、何処となく果かなげで、蒼白い光を身体から解き放っていた。また、水の上でも平気で立っていられた。
 実体でない彼は、水に濡れても変身はしない。蒼白い炎を身体に燃えあがらせながら、乱馬は真っ直ぐに己の姿をした魔物を睨みつけた。

「あかね…。ゆっくり休め…。ありがとうな…。後は俺に任せておけ。」
 そう言って乱馬はぐったりとうな垂れるあかねの柔らか唇に、自分の唇を重ねた。力を使い果たしたあかねに自分の身体の精気を口移しで送ったのだ。
 みるみる蒼白かったあかねの頬に赤みがさしてきた。
 あかねの口からは笑みが漏れ、健やかな息を吹き返した。

「よくも、俺の大切なあかねに…。おめえだけは許さねえ…。」
 乱馬は静かに魔物と対峙した。内に激しい闘志を湧き立たせながら。


九、

「身体の殆どを憑依されているおまえに何ができる?俺はおまえの技を真似することなど造作がねえんだ。そう、おまえには俺を破れねえ。くくっ…この静かな水底であかねと眠りにつけばいい…。」
 魔物は笑いながら語り掛けた。
「言いたいことはそれだけか…。」
 乱馬は目を反らさずに自分の実体を見詰めた。
「ふふ…強がりだけは一人前だな…よかろう。あかねを抱いていたのじゃあおまえも本気が出せねえだろ…。暫らく待ってやるからあいつ等に預ければいい。」
 魔物は余裕を見せながら笑った。
 乱馬は魔物の申し入れを受けた。あかねを闘いに巻き込むのは嫌だったからだ。力尽きて気を失ったあかねを草太と母親に預けることにした。
「草太…だったな。悪(わり)いけど、あかねを頼む。」
 乱馬は抱きかかえたまま水辺に滑って行き、草太にあかねを託した。
 あかねの身体が少し動いた。そして、目を見開いた。
「乱馬…?」
「気が付いたか…あかね。」
「あたし…。」
 乱馬は立ちあがろうとするあかねを制した。
「だめだ。まだ、精気が完全に戻っちゃいねえから、そのままここで休んでろ。あいつとの落し前は俺が付けてやる。」
 あかねは淵の水面に乱馬がもう一人いるのを見つけて目を見張った。 
「乱馬…やっぱりさっきのは乱馬じゃなかったのね。よかった。」
 あかねは小さく呟くように乱馬に言った。
「ああ、あいつに実体を乗っ取られちまったけどな…。でも、大丈夫…。俺は負けねえ…。」
 あかねは傍に居る光る乱馬が本物だと一目でわかった。暖かい優しさが目の前の彼からは溢れ出している。
 あかねは黙って頷くと乱馬を見つめ返した。心が通い合った二人には、言葉など無用の長物だったかもしれない。信頼感が互いの胸に交差する。
 乱馬は身体中へ目に見えぬ力が涌きあがってゆくのを感じた。あかねの瞳の奥に己の力の源が宿っているような気がした。愛する者を守ること。それが今の自分に課せられた最大の使命。

「ふんっ!別れの挨拶はそのくらいにして、さっさと闘いの場につきやがれ。俺の飽くなき食欲が、早くあかねの清らかな精気を食らいたがってウズウズしてやがるんだ。」
 魔物は目をぎらぎらと輝かせながら、乱馬を呼んだ。
 乱馬はゆっくりとあかねから離れた。
 全身に涌きあがる闘志。それとは裏腹に心は穏やかだった。不思議と恐怖も畏敬もなかった。ただあるのは透明な闘志。
「さあ、はじめようぜ。」
 乱馬は身構えると戦線布告をした。

「こっちからくぜっ!」
 
 先に仕掛けたのは魔物。
 いきなり目も止まらぬ早さで乱馬の必殺技「火中天津甘栗拳」を打ってきた。
 拳の連打が乱馬を襲う。
 乱馬も同じく火中天津甘栗拳を駆使して、その攻撃をかわす。
 魔物は乱馬の正面を捉えると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 パシュッ!!

 魔物の拳が乱馬の脇腹に入った。
 
 ドーンッ!!

 乱馬は後ろに弾き飛ばされて淵面に尻餅を付いた。
 
「くくっ!どうだ。俺様の火中天津甘栗拳は…。」
 魔物は得意げに言った。
「それはどうかな…。所詮てめえの技は俺の物真似。俺の技の焼きなおしにしかすぎねえ…。」 
 乱馬は起きあがりながらそう吐き捨てた。
「ふふ…強がりか。ならば見ろっ!こんな技も出きるんだぜっ!」
 魔物は大きく後ろにふんぞり返った。そして両手を前に突き出して次の技を繰り出した。
「猛虎高飛車っ!」
 大きな気砲が乱馬を襲い、目の前で弾けた。
 
 赤い閃光がして、乱馬は再び水面に倒れた。
 
「乱馬っ!!」

 劣勢な乱馬に思わずあかねが叫んだ。

「へっ!そんな技。俺にはちっとも利いてねえぜ。魔物さんよお…。」
 乱馬は起きあがりながら答えた。
「負け惜しみか…見苦しいな。」
 魔物は高らかに嘲る。
「負け惜しみなんかじゃあねえ…今度はこっちから…いくぜえっ!」
 振りかぶりざまに今度は乱馬が火中天津甘栗拳を仕掛けた。
「どうでいっ!これが本物の切れ味でいっ!」
 乱馬の早業は先程の魔物の比ではなかった。
「これでどうだっ!」
 乱馬がパンチを爆発させたとき、異変が起こった。
「な、何?」
 魔物に打ち込んだ筈の拳が幽体の自分の方へ跳ね返ったのだ。
 ドンっ!
 乱馬も魔物も同時に弾け飛んだ。
「うっ…。」
 乱馬は全身に痛みが走るのを感じた。

「ふふふ…。この身体は元々おまえのもの…。拳を食らったとて、憑りついただけの俺様はビクともしねえ…。どうだ…これではおまえも勝ち目がなかろう。何しろ、俺を攻撃して粉砕すれば、おまえ自身も無事では済むまい。私と共に滅び去るだけなのだからな…はははは…。」
「く、くそう…。」
 絶対絶命だ。攻撃しても自分に跳ね返るとは。思いも寄らぬことだった。
 乱馬はちらっと岸辺を見た。
 あかねが心配そうに見詰めている。
「……。しっかりしろ。早乙女乱馬。俺はここで負ける訳にはいかねえんだ。あかねのためにも…。」
 乱馬は心で囁いた。そう思うと勇気が涌いてくる。
「ふん。お遊びは終わりだ。一気に決着をつけたやろう。ふふふ…。おまえにはこの技で沈んで貰おう…。」
 魔物は妖しげな闘気を身体中に漲らせはじめた。


十、

 ごごごごご…。

 淵の水面が大きな音を立てながら震え始めた。水だった淵がにわかに沸き始め、湯となってぐらぐらと煮え立ち始めた。水面からは湯気が立ち上る。大気は熱気を帯び、妖気と熱気が篭ってゆくのがわかる。
「どうだ…。わかるか?この大気の熱き震え。くくく。」
 魔物は楽しそうに己の力をたぎらせはじめた。
「淵の水温調整など、俺様には簡単にできるということだ。この熱気を全ておまえにぶつけてやる…。」
 魔物は妖艶な闘気を高めてゆく。そして、乱馬の周りをグルグルと巡りはじめた。
「まさか…飛竜昇天破を打つつもりか…。」
 乱馬は呟いた。
 彼の足元に描き出される螺旋のステップ。それはまさに乱馬の必殺の大技そのものの流れだった。
「そうだ。飛竜昇天破…。おまえの必殺技だ。おまえにふさわしい最後の技。ありがたく受けて散れっ、乱馬っ!!」
 魔物は冷気の拳を一気に上へと振り上げた。

 飛竜が魔物から飛び出した。激しい竜巻が一面に舞上がり、吸い上げられた淵の湯水と共に上昇してゆく。
「うわっ!」
 避ける暇もなく、乱馬はその竜巻の渦の中へと吸い上げられてゆく。実体ではなく幽体の乱馬は足元を踏ん張ることすらままにならなかった。
 遥か下にはあかねが見上げているのが見えた。
 乱馬は下に居るあかねに一瞬何か言いたげな表情を手向けると、心で叫んだ。
「あかね…。俺は、この命尽きても、おまえを守るって決めたんだ。だから…。」
 乱馬は上昇しながらも、己の闘気を高めていった。全身全霊の気を握り締めた右手の拳に篭めた。乱馬の身体から蒼白い炎が浮かび上がる。
「行けっ!俺の闘気。俺の身体を魔物ごと吹っ飛ばせーっ!!」
 そう叫びうながら乱馬は一気に握った拳を魔物目掛けて振り下ろした。

「バ、バカな…己の肉体が滅びてもいいというのか…。」
 
 魔物は降りてくる乱馬の打った激しい気砲に、驚愕の声を上げた。
 
「肉体なんか滅びても構わねえ…。俺は。俺の大事な者を守りたいんだっ!」
 
 ゴーーーっ!

 乱馬の放った気泡は魔物の身体を貫いた。己の肉体の器と共に。

「ら、乱馬ぁーっ!!」

 切り裂くようなあかねの悲鳴が、轟く轟音と共に広がった。
 と同時に、二つの影が激しくぶつかり合った。
「ちくしょーっ!俺ともあろう者がこんな陳腐な野郎にやられるなんて…。」
「へっ!ざまあみろ…。これが本物の飛竜昇天破だ…。」
 魔物と乱馬の声がした。
 眩いばかりの閃光が発せられた。そして悲鳴とも断末魔の叫びとも云えぬ耳を劈(つんざ)くような怪音が辺りに響きわたった。

 あかねも草太もその母も、あまりの激しい出来事に我を完全に見失っていた。
 
 光が弾けた後に、ガラスが割れるような音が走った。
 パリンっ!!
 光の中心から、一つの鏡が弾け飛んで落ちてくるのが見えた。
「あ、あれは…。」
 鏡は抜け落、。外の側だけがひらひらと舞い落ちてくる。その傍を人の身体くらいの橙色の光も共に舞い降りてくる。
 草太とその母、瞬時に鏡の舞い降りてくる方へ向かって動いた。

 まるでスローモーションを見ているかのように、草太は鏡を、その母は橙色の光を身体で受けとめた。そして、それを抱え込むとあかねの方へ差し出した。

 橙色の光は次第に光沢を失い、そこから乱馬が現れた。
「ら、乱馬っ!」
 あかねは思わず、駆けよって乱馬の身体に縋りついた。
「いてててて…。ててっ!」
 あかねに抱きつかれた乱馬は声を出した。
「無事だったのね…乱馬っ!」
 あかねはもみくちゃになるくらい、乱馬の首っ丈に飛びついた。
「ば、ばかっ!いてえじゃねえかっ!離れろっ!」
 乱馬は焦りながら答える。
「何よ…折角人が心配してやってるのに…乱馬の、乱馬のバカ…。」
 あかねは構わず乱馬にすがっていた。
「へっ!俺が簡単にくたばるとでも思ってたのか?ばーかっ!」
 乱馬は照れ臭そうにあかねを押しのけると身体を払った。
 
「さすがですね…。」
 草太の母は笑いながら、二人を見詰めた。
「ありがとう…。おめえたちのお蔭でなんとか無事に生還できたぜ。でも、あの魔物って…。」
 乱馬が頭を掻きながら言うと、草太がそっと手に持った鏡を差し出した。
 真ん丸いお盆のような古びた銅鏡。鏡面は無残にも砕け落ち、外側の縁だけが残っている。三角縁神獣鏡のような古代の鏡を思い起こす代物だった。
 
「ひょっとして、これが、魔物の正体?」
 乱馬が覗きこむと、母親がこくりと頷いた。
「この淵深くに沈められた怨念の鏡です。もう、何百年前のことかは定かではないのですが…。報われぬ恋に生きた恋人たちが残した鏡です。もともとこの鏡の持ち主はこのあたりの聖域を治める「巫女」でした。」
「巫女?」
「そう、巫女です。山の神に一生を捧げたこの辺りを治める一族の「斎宮(いつきのみや)」だったそうです。当然、男と密通することは忌まなければなたない身の上。報われぬ恋路の果てにこの淵深くに二人で身を沈めたのです。その魂は一緒に沈んだこの鏡に怨念となって篭り、こうして恋人たちをここへ導いては沈めて居た訳です。」
「でも、何故、そんなことをあなたがたが…。」 
 あかねが不思議そうに顔を向けると、母親が言った。
「私達はこの山に昔から棲む妖弧の一族。まがまがしいこの鏡の怨念をずっと歯がゆい思いで長い間眺めてきました。あなたに草太を助けていただいた後で様子を伺っていたら、この妖魔が狙ったことに気が付いて。」
「それで助けてくれたって訳か。」
 乱馬が言うと母親も草太もコクリと頷いた。
「報われぬ思いを持った恋人たちの残した鏡か…。哀れね。」
 あかねが寂しげな顔を向けて鏡に触れると、鏡はもろもろと砂のように崩れて落ちた。
「無に帰るのです。鏡は、その怨念とともに。…これでいいのです。この淵も役目を終えて、普通の水溜りに戻るでしょう。」
 母親は立ちあがると草太を促がした。
「もうじき夜が明けます。私達も山へ帰ります。あかねさん。この鏡の砂屑をあなたの手でこの淵に巻いてやってくださいな。それで、もう二度と魔物は甦らないでしょう。」
 そう言い終えると乱馬に顔を向けた
「乱馬さん。あなたの勇気があかねさんを救ったのです。あかねさんをあまり悲しませないように…。あかねさんの流した涙が魔物を呼んだようなものなのですからね。」 
 乱馬はきょとんとあかねを見詰めた。
「何かおめえを悲しませるようなことしたっけ…俺…。」
「バカっ!鈍感っ!」
 あかねはちょっとふくれて見せた。乱馬の一言に傷ついて自己嫌悪の涙を流したことをふと思い出したからだ。
「バカとはなんだよ…かわいくねえな…。」
 乱馬は口を尖らせる。
 またはじまり掛けた口喧嘩。


十一、

 気が付くと、草太もその母親も二人の前から消えていた。
 ざわざわと淵の周りの木々がさざめき始めた。
「草太くん?あれ?」
 気配が消えたことに気付いたあかねは回りを見渡した。 
「呆れちまって帰ったのかもな…。」
 乱馬はほっと溜息を吐いた。
「俺たちも帰ろうぜ…皆が起き出す前に帰らねえと、変に勘ぐられるぜ。」
「そうね…。冷えたきたし…。」
「と、その前に、その鏡の砕け屑、淵に返せって言ってたぜ。草太の母ちゃん。」
 あかねは乱馬に促がされて崩れ落ちた鏡の屑を両手でそっと掬った。
「哀れな恋人たちか…。ちょっと気の毒な気もするわね。」
 そう言って、元通りに透き通った水面にそっと粉を振り掛けた。
 
 さらさらとそれは、水の中へと溶け出してゆく。

「あ…。」
 
 その時だった。
 深き淵の水面から、蛍のようなほのかな蒼い光と赤い光が、ふわふわと無数に空へ向かって舞上がった。
 なんとも言い難い光景だった。
 ほのかな果かなげな光が白み始めた空へと舞上がって行く。
「ねえ、これって…。」
「きっと、この淵に沈められた恋人たちの魂だよ…。さっきまで俺はこの淵に沈んでいたからわかるんだ。耳を澄ましてみな…。」
 乱馬の言うように耳を澄ますと、互いに名前を呼び合いながら空へと駆けて行く恋人達のささやきのような小さな音が玉の一つ一つから浮きあがる。
「ねえ、みんな何処へ行くの?」
 あかねが訊くと
「きっと新しい人生をやりなおすために天へと帰ってゆくのさ…。」
「天へ帰った恋人達はまた、出会うのかなあ…。」
 あかねが見上げながら訊呟くのを訊いて乱馬は静かに答えた。
「輪廻転生して、また、再び回り逢うさ、きっと。」
「そうね…そうあって欲しいね。」
 光はただ、静かに登り出す。そこへ一陣の風が渡り、紅葉が舞い落ちてきた。それはもう、言葉には尽くせない、幽玄の美しさだった。まるで、天へと帰る恋人達へのはなむけのように、紅葉は美しく舞い降りてくる。
「ねえ…乱馬。この魂たちはまた、出会って、愛し合うと思う?」
 あかねが小さく訊くと
「ああ…。きっとまた、愛し合うさ。…俺たちみたいに…。」
「乱馬も生まれ変わったらまたあたしのこと愛してくれる?」
「心配すんな…何度でも愛してやるよ…。」
 乱馬は柔らかく囁いた。
「ほんと…?」
 あかねは乱馬の言葉に悪戯っぽい笑顔を向けた。
「…!」
 乱馬はあかねを見詰めたまま黙った。つい、本音が零れたからだ。
 火が出るのではないかと思うくらい、顔は赤面していた。暫らく何も言い出せずにそのまま固まっていた。
 …積極的だった魔物とは正反対にシャイな乱馬。あたしは、そんな乱馬が大好きなんだ。
「乱馬の顔…紅葉(もみじ)みたい…。」
 あかねはくすっと笑って、駆け出した。
「ま、待てよ…。走ると転ぶぜっ!」
「大丈夫よっ!」
 あかねは顔中に笑みを称えて振り返る。
「い、今の、なしだからな…。」
 乱馬は追い掛けながら叫んだ。
「やだよ…。取り消さないよ、もう聞いちゃったもんっ!」
 
 朝靄の中を乱馬とあかねが駆けてゆく。
 朝の新鮮な冷気は清々しい。
 もうじき、輝くような朝日が山端からのぞくだろう。希望に満ちた光を放ちながら。
 後にする鏡ヶ淵は美しき紅葉を写しながら、二人の背中を見送った。もうそこには霊気はなく、ただ、静かに水面が揺れていた。







イメージイラスト



一之瀬的戯言

 「水鏡」は蒼吉美佐さまのリクエストから生まれた小説。
 お題は「紅葉狩り」。

 2000年夏、琵琶湖の北にある余呉湖へ家族で行った時に作り始めたプロットから作文しました。
 余呉湖には有名な「天女の羽衣伝説」があります。周囲6キロほどの美しい湖に魅せられた私。
 それから2ヶ月ばかり…旅行当時は某同人原稿描きに始終していてすぐには組みあがらなかっプロットで作文しました。
 いろいろ考えた揚句に前々から一度描いてみたかった「乱馬があかねに迫る」設定を組み合わせてみました。
 本人はプロット組んでいた時から気に入っていた作品。
 一番書きたかったのは最後の部分の乱馬の失言。

 一度改作して「らんま一期一会」の付属ページ内にアップしていた「改訂版」を、「呪泉洞」独立時に原典版に戻しました。
 当時、「らんま一期一会」ではあまり過激な表現は避けて掲載するのを常としていたからです。
 特に、魔物があかねに獲りつく辺りは、改訂版より妖艶だったので、それなり気を遣っていたという訳です。

 十年たった今、読み返せば、別にどうってことはない…。というか、一度、掘り起こして、ごっそりと、一から書きなおしたい作品の一つです。

 まだ、この頃の私は文章も拙いです。掘り下げも今読み返すと、「なんじゃこりゃ?」と赤面するくらいに。
 文章は成長する…それを地でいっているような気がします。





 補足
斎宮(いつきのみや・さいぐう)について
 古代、新しく天皇が立たれると、未婚の内親王または皇女から選ばれた「巫女」。
 天皇に代わって神に仕えるために卜占(ぼくせん)で選ばれたそうです。
 勿論、記紀神話の「倭姫」など、以前にも斎宮は存在します。が、制度として確立されたのは天武天皇の大伯(おおく)皇女が始めです。
 大伯皇女以降、後醍醐天皇の祥子(しょうし)内親王にて廃止されるまで、660年間ほど続けられた制度です。
 斎宮はその役割から、男性と隔離した生活を余儀なくされました。幼くは3歳という年齢で斎宮に選ばれたそうです。
 中には男性と密通して廃された斎宮も記録に残っているそうです。
 斎宮の遺跡は三重県の多気郡明野町に残っています。
 己が興味を持っているだけに、ちょこちょこ私の創作物に「斎宮」は登場していますので、頭の隅にでもおいておいてください。

 尚、斎宮をテーマにしたのがパラレル作「蒐」です。


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