◇秋桜   一


一、

 暑かった夏の日々は過去のものとなり始め、陽射しも随分柔らかくなってきた。ついこの前まで不快だった汗さえも、心地よいと思えるほどの季節が到来しようとしていた。

 …ちえっ!あかねの奴…思いきりひっぱたきやがって…。
 乱馬は地面を蹴りながらぶつぶつと文句をたれている。一人でロードワークをこなしながら、あかねのことを考えていた。
 この気の強い許婚は、何かあるとすぐに乱馬に突っかかってくる。さっきも思い切り頬を引っ叩かれた。左頬にはまだその強い感触が残っている。
「たくぅーっ!あー、ホントにかわいくネエっ!!」
 流れ出す汗を右手で拭いながら、そんな独り言が口から零れ落ちる。


 その日の朝、天道家では朝食後の団欒で、「座敷童子(ざしきわらし)」のことが話題に上った。朝食の支度をしていた折、五、六歳くらいの男の子を見たと、長姉のかすみが言い出したのだ。
「何かの見間違いじゃないの?かすみお姉ちゃん。」
 超現実主義の次姉のなびきが突き放すように言うと
「ううん、見間違いじゃないわ。確かにこっちを向いてニコッと笑ったもの…。」
 かすみはおっとりと反論した。
「大方、お師匠さまでも見間違えたんじゃよ、かすみくん。」
 乱馬の父はかすみに対して否定的だった。
「お爺ちゃんと見間違うことはないですわ。だって、かすりの着物と、おかっぱ頭がはっきりと見えたんですもの…。」
 急須におかわりのお湯を注ぎながら、珍しくかすみがムキになっていた。口調は穏やかだったが、普段大人しい彼女がここまで言うのだ。余程印象が残っていたのだろうと乱馬は黙って聴いていた。
「座敷童子(ざしきわらし)じゃないかなあ…その子。」
 乱馬の横から末娘のあかねが口を挟んだ。
「座敷童子ってあの、昔話に出てくる妖怪のか?」
 乱馬が訊き返すと
「うん、家が栄えると言われる子供の妖怪。ウチの中で、お母さんが見たことがあるって小さい頃話してくれたことがあるから…。」
 あかねがほつりと言った。
「ほお…母さんが?それは初耳だなあ…。」
 あかねの口から無くなった愛妻のことが出て、早雲が興味津々に聴いてきた。
「私もまだ小さかったから、うろ覚えなんだけど…。」
 あかねはそう前置きをして、話しはじめた。
「私が子供の頃、お父さんが留守のときに、座敷童子を助けたことがあるんだって。そしたら、その子がいろいろと不思議な魔法を使って、お母さんにいろんなことをしてくれたんだって。お母さん病気がちで大変だったけど、その子のおかげで安心してこの家の未来を任せられるって亡くなる前に話してくれたわ。あかねにはとても大切に守ってくれる人が現れるって、その子が教えてくれたからお母さんがいなくなってもあかねは大丈夫だって…良く覚えてないんだけど、そんなことを私に言ってくれてた。」
「大切に守ってくれる人ねえ…乱馬くんのこと言ってたのかしら。」
 なびきがにやついてあかねに言いまわす。
「母さんが亡くなる前には、早乙女くんの所と許婚の話は一応出来あがっていたけどなあ…でも、誰と娶わせるかまでは決めてなかったからなあ。母さんと乱馬くんは会ったことがないし、よしんば会っていたとしても乱馬くんとて幼かったはずだから、さて。」
 早雲が首を傾げた。
「お母さんは「守ってくれる人」のこと何か言ってたのかな?あかねくん。」
 玄馬が興味深げに訊き返すと、
「秋桜(こすもす)の君…。」
 あかねがボソリと言った。
「なんだ、それ?」
 乱馬が訊き返す。
「う…ん…。良く覚えていないんだけど、私、小さい頃助けてもらった男の人がいて、秋桜をその人にあげたことがあるのよ…。その思い出と座敷童子のことが重なってるのよねえ…。顔も名前も覚えてないけど。そんな人がいたのよねえ…。その人が帰った後に、あの人はいつか出会う大切な人だから、しっかり覚えておきなさいよって母さんが私に話してくれてたのよ。」
 あかねは感慨深げに話した。
 乱馬は横で聞き流しながら、少し複雑な思いだった。どうせ子供の頃の思い出話がゴッチャになっているのだろうが、許婚の身としては少なからずも愉快な話ではなかった。
「そう言えば、はじめのうち母さんは早乙女くんのところとの縁談には猛反対していたからなあ…まだ、娘たちの将来を決めるのは時期尚早だと…」
 早雲が言うと、
「まあ、普通の親ならそんな、早くから縁談を持ち出すことないもんね…。母さんだって反対して当然でしょっ!」
 なびきが頬杖をつきながら答える。 
「でも、母さんは、ふっつりと反対しなくなったんだぞ…それもいいかもしれないと…。最後には笑って、決めてらして下さいな…と言ったほどだからな。早乙女さんの息子さんなら、きっと、あの子を大事にしてくれるからっていうようなことを呟いてたっけ…。」
「ひょっとして、お母さん、座敷童子さんに未来でも見せてもらったのかしら…。乱馬くんに会ったとか…。」
 かすみがおっとりと言い出す。
「何、非現実的なこと話してるんだよ…俺は知らねえぞ…。あかねの母ちゃんなんて会ったこともないっ!」
 乱馬は皆の視線を反らして言った。
「座敷童子とお母さんかあ…。ここに居たら、真相を聞けたのになあ…。」
 一瞬あかねの横顔が曇り掛けた。大方亡くなった母のことを思い出してしまったのだろう。乱馬は暗くなるあかねの表情が切なくて、ついつい悪態が口を吐いて出た。
「へっ、座敷童子ってここにもいるじゃねえか…。ほら…。」
 いつもの調子であかねをからかいはじめる。
「ほうれほれ、俺のすぐ隣に。おかっぱみたいな短い髪形をした寸胴の幼児体型をした座敷童子がさあ…。」
 その後は、いつものパターン。
 乱馬の売り言葉に、見事にあかねが乗ってしまって、買い言葉の代わりに往復ビンタが強襲した訳だった。
 バチンッ!!バチンッ!!
 カッとなったあかねのパンチをお見舞いされてしまっのだ。
「乱馬のバカッ!」
 すっかりヘソを曲げてしまったあかねは、そう吐き捨てると、怒って団欒から抜け出してしまったという訳だ。

 あれから半時間ばかり…

 なんとなくムシャクシャする気持ちを抱え込んだまま、乱馬はいつものランニングコースの地面を蹴っていた。
…たくぅー。人の気も知らねえで…俺は、おめえの暗い顔なんて見たくなかったから、一寸からかっただけじゃねえかっ!!…

 黙々と走りながら、乱馬はずっと誘えなかったあかねのことを考えていた。
 こんな上々の秋晴れの日は、正直言って、あかねを戸外に誘い出して何処かへ出掛けてみたいと思っていたのだった。別に行き先はどこでも良かった。女に変身していたって構わない。腕を組まなくてもいいから、あかねと肩を並べて青空の下を歩きたかった。
 珍しく、自分の方から誘いを掛けるつもりで、ずっとそれを言い出すタイミングを計っていた乱馬だった。なのに、あかねときたら…言い出す島も与えてくれなかった。
 関係がこじれた後では、気持ちもすっかり萎えてしまって、今日もすれ違ったまんまの休日を過ごすことになるだろう。

…あー面白くねえ…

 天道道場に続く塀が接する四つ角を曲った途端だった。
「えっ!?」
 乱馬の視界のすぐ先に突然、歳の頃なら五、六歳の小さなおかっぱ頭の男の子が現れた。
「やべッ!ぶつかる…。」
 そう思って、咄嗟に横跳びして正面衝突を避けようと踏み出した瞬間、乱馬は強い力で右手を引っ張られた。
「おまえ、早乙女乱馬だな?」
 男の子は乱馬を見ながら薄ら笑いを浮かべて言った。
 何か異様な寒々しさを感じ取った乱馬は掴まれた右手を振りほどこうとしたが、男の子の力は見掛けより強大で、ピクリとも動かせなかった。
「何者だ?おめえ…。」
 掴まれたまま、乱馬が問い掛けると
「乱馬よ。おまえの時を少しだけオイラに分けておくれ。悪いようにはしない。」
 男の子は耳元で囁いた。
「おまえに会いたいという人が居てな…ちゃんとオイラが責任を持つから、一瞬だけ分けておくれ。あの人への恩返しをしなければならないのでな…。」
 男の子の声を聴きながらも、乱馬は必死であがいたが、身体は鉛のように固く金縛りにあっていて、微塵だに動かすことも叶わなかった。
「それ、時の扉よ、我等を召せっ!」
 足元の地面が唸りを上げながら波打った。身体が一瞬、宙に浮いた感じがした。地面には大きな穴が開いた。そして、乱馬は男の子に手を掴まれたまま、一緒にその中へ引き摺り込まれてゆく。


二、

…一体何がどうなったのだろう…

 大きな衝撃も無く、ふと気が付くと乱馬は見慣れた土壁の前に立っていた。
「心配するな。一日経てば、ちゃんと元の世界へ帰してやる。こちらの世界では丸一日でも、おまえのいた世界では一瞬。だから、何も案じることはない…。」
 
 男の子は気を取り戻した乱馬にそう告げると、掴んでいた手を離し、ふと見えなくなっていた。
「何、訳のわかんねえことを…あ、こらっ。」
 消えてしまった男の子に乱馬は話し掛けたが、もう、どこを見回しても気配一つ感じることが出来なかった。
「ちぇっ!一体何がどうなったんだ?」
 辺りを見回すと、さっき居た四つ角だった。天道家の塀が続き、柔らかな秋の陽射しが上から照らしつける。ツクツク法師が電柱の上でし切りに鳴きかけていた。
 見慣れた風景…でも、どこかいつもと違う違和感を乱馬は感じ取っていた。
 何気なく、乱馬は天道道場の看板がかかる門に向かって歩き始めた。歩みをはじめて、乱馬は違和感の正体がすぐさま顕著になった
 そう、天道家の前の道路が舗装ではなく、土だったのだ。
…いつの間に、ここ、土になっちまったんだ?…
 乱馬は疑問を抱いて辺りをキョロキョロ見渡した。自分の立っている土壁は確かに天道家のものだった。が、周りの風景が少しづつ違う事に気がついた。天道家の周辺の家並が、見慣れたものと様子が少し違って見えたのだ。
…もしかしてパラレルワールドにでも迷い込んだか?…
そんな非現実的な考えが頭に浮かんだ。
 その時だった。
 戸惑う乱馬の耳元に今度は女の子の悲鳴が聞こえてきた。
「キャーッ!!」
 悲鳴は天道家の門の方から響き渡る。
 乱馬は次の瞬間、一目散に門の方へ向かって駆け出していた。悲鳴は開け放たれた門の奥から絶え間なく聞えてきた。
 夢中で門をくぐり抜けると、道場の横に植えられている柿の木の前で小学生くらいの小さな女の子が二人、柿の木を見上げて取り乱していた。彼女たちの視線の先には四、五歳くらいのもっと小さな女の子が枝先に宙ぶらりんになってしがみ付いているのが見える。
 その子は今にも下へ落ちそうなくらい不安定で、泣きながら枝にすがっていた。その下で、おろおろと二人の女の子は悲鳴を上げていたのだった。
「あぶねえっ!」
 乱馬はそう叫ぶと、自然に身体が動いた。
 木の上の女の子が力尽きて枝先から手を離すのと、下の女の子達が更に大きな悲鳴を上げるのと、乱馬が猛ダッシュをして飛び込んできたのは、殆ど同時だった。右足で思いきり地面を蹴り、しなやかな身体をうねらせて、間一髪のところで乱馬は女の子を受けとめた。
 そして、ふわりと地面に降り立った。鍛えぬかれた乱馬の身体は、何事もなかったように、女の子を受けとめることができたのだった。
 乱馬に抱きとめられた女の子は、安心したのか、それとも見知らぬ乱馬に驚いたのか、地面に下ろされると、堰を切ったようにその場で泣き出した。
「ふうっ!」
 乱馬は女の子の鳴き声に安堵の吐息をついた。
 女の子は乱馬のズボンの裾にすがって泣きじゃくっていた。どうやってその子に対処して良いかわからずに乱馬は焦った。慰めるべきなのか、そのままそっとしておくべきなのか…。

「もう、あかねは、ホントにバカなんだから…。」
乱馬の横で、泣きじゃくる女の子より少しだけ背の高い女の子がポツンと言った。
「え?あ、あかねっ!?」
 思わぬ名前を耳にした乱馬は驚いて泣きじゃくる女の子の方を改めて見詰め返した。
「なびきちゃん、そんなこと言っちゃあ、いけないわ。」
 その反対側でおっとりとした女の子が釘を刺した。
「だって、かすみおねえちゃん、あかねったら降りることも考えないで上に登っちゃうんですもの…バカよね。」
 なびきと呼ばれた女の子が言い返す。
「いいのよ、あかねちゃんも無事だったんだから…。」
 乱馬は三人の女の子達の顔を見比べながら唖然とした。
 あかね、なびき、かすみ…そう呼ばれたこの女の子達は、自分が居候している天道家の娘と同じ名前を名乗っている。その上、この女の子達は、確かに自分が知っている三姉妹の面影とどことなく重なるのであった。
 乱馬は悪い夢を見ているのではないかと自分の目を疑った。
「だって、風船が飛んでいっちゃうんだもの…。」
 あかねはまだ泣きじゃくっていた。
「風船?」
 乱馬が柿の木を見上げると、さっきこの子がぶら下がっていた先に赤い風船が揺らめいていた。
「取って来てやろうか?」
 乱馬はまだすがって泣いているあかねに声を掛けた。肩にそっと手を置いてから、
「ほら、待ってな…。」
 あかねを自分から引き離すと、勢いをつけて地面蹴る。乱馬にとってこのくらいの木の上を登るのは朝飯前のことだった。腕の力と脚力で瞬く間に風船を捕まえて、軽々とあかねの前に降りてきた。
「ほら。」
 そう言って、ひざまづいて、目線を同じにしてから、乱馬はあかねに風船を差し出した。
「ありがと…。」
 あかねは泣きじゃくった目に微笑を浮かべると満足そうに風船を受け取った。

「あらあら、皆、どうしたの?」
 背後で落ちついた声がした。
 振り返ると、中肉中背の穏やかな笑顔をした女性がにこにこしながら家から出てきた。
「おかあさんっ!」
 あかねは乱馬の横をすり抜けて、女性の方へ駆け寄った。
「あかねったらね、木の上から落っこちかけたのよ。そこをこのお兄ちゃんに助けてもらったの。」
 なびきと呼ばれた女の子がぽんぽんと答える。
「あかねね、飛ばした風船、このお兄ちゃんに取ってもらったの…。」
 あかねは屈託無く母親に報告する。
「まあ、それは何てお礼をいったら良いのでしょう。ありがとうございます。」
 そこへ、道場の方から早雲も現れた。乱馬が知っている天道家の家長の早雲よりは心なしか若く精悍に見えた。
「おお、あかね、お兄ちゃんに助けてもらって、おまけに風船を取ってもらって良かったなあ…いやあね、さっきから一部始終を見せてもらったよ。君、なかなか鍛え込んでいそうだね。どうかね、ワシと一本手合わせしてくれないかね?」

 断わる理由もないので乱馬は早雲の申し出を受けることにした。
 誘われるままに道場の板の上で、早雲と手合わせをする。
 いつも取り組む早雲よりも若く、その分動きも滑らかで、蹴りにも拳にも張りがあった。しかし、鍛え上げ方は乱馬の方が遥かに上をゆくので、軽くそれらをいなしながら、組み手をする。
 道場の床板がバンッと勢い良く音をたてる。拳は空を切り、足は勢い良く回転し続ける。早雲の打ち込んでくる気迫の拳を、余裕を持って乱馬はかわしてゆく。早雲の背後に回り、乱馬は床を蹴って上空へ上がった。
「おじさん、行くぜっ!」
 そう声を掛けて、乱馬は天井を蹴って降下する。早雲は必死で乱馬の攻撃を避けた。
 乱馬ははじめからその動きを予想していて、宙でひらりと回転すると着地ざまに体を捻り、足を振り上げて止まった。
 先に息が上がった早雲は、乱馬が蹴りを打ち込んできたところで、静止した。

「いやあ、君、予想以上に動きがいいねえ…。修行中の身の上かい?久しぶりに手応えのある相手と組めて楽しかったよ。」
 流れる汗を拭いながら早雲が乱馬を誉めた。
 傍らでは、興味深そうにあかねがちょこんと正座して、二人の組み手を見物していた。
「お兄ちゃん、強い…。」
 あかねは父を軽く流した乱馬に目を丸くしてはしゃいでいた。
「私はこれから旧友と二、三日、修行の約束があるからこれで失礼するが、あかねが世話になったのと今の組み手の分、今日の一宿一飯の宿を提供するよ。ゆっくりして行きたまえ。」
 早雲は愉快そうに乱馬にそう言った。
「旧友って?」
 あかねが訊くと
「早乙女くんという、お父さんのお友達だよ。」
 早雲は乱馬の父の名を口にした。
 
 どうやら、乱馬は、あの小僧に自分のいた時代より遡(さかのぼ)って「過去の世界」に連れてこられたらしい…やっと、そのことが分りかけてきていた。 
 目の前にいるのは、幼いあかねとその姉たち、そして、父親の早雲とあかねの母だろう。もちろん、乱馬のことは一切知らない天道家の人々。話したところで信用されないだろうし、あの小僧の口ぶりでは一日だけ滞在したらまた帰れるという。ここは、通りすがりの修行者というコンセプトを貫くのが懸命だろうと乱馬は考え始めていた。
「ところで、君の名前は?」
 早雲に訊かれて、「早乙女乱馬」という本名を使うのも躊躇われて
「さ、さお…佐々木乱太です。」 
と、咄嗟にウソの名前を名乗っていた。
「乱太くんか。とにかく、今日はゆっくりして言ってくれたまえ。母さん、母さん後はよろしく頼んだよ。」
 カラカラと笑いながら早雲は道場を後にした。
 
 後に残った乱馬は勝手知ったる天道家とは言え、今は客人となった身の上。なんだかおかしな気持ちはしたが、深く考えることもなく、早雲の申し出をありがたく受け入れて、今晩のところはここに厄介になろうと決意した。
「ねえ、お兄ちゃん、強いんだ…。あかねにも武道教えてくれる?」
 興味津々な笑顔で幼いあかねが乱馬を見詰めて来る。
「おめえも、武道やってるのか?」
 乱馬はあかねに問い掛けると
「うん、あかねもお父さんみたいに強くなりたいから、少しだけ練習させてもらってるの。あかねも強くなれるかなあ?」
 子供のあかねの笑顔は屈託無く輝いていた。
「充分俺より強くなれるぜ…おまえは。」
 乱馬は今朝あかねに引っ叩かれた頬をなぞりながら苦笑した。
 なびきやかすみはともかく、助けてもらったことと風船を取ってもらったことに、あかねはすっかり警戒心を解いて、乱馬に打ち解けていた。

「あかねは、余程、乱太さんのことが気に入ったらしいわね…初対面の人に気安く近寄るなんて、珍しいことなのよ…。」
 汗拭きタオルを差し出しながら、あかねの母は乱馬に微笑みかけた。光るようなその笑顔には母親の優しさだけではなく、乱馬の良く知る「十七歳のあかね」の笑顔の面影があった。
 そして、何よりも、人懐っこく乱馬に素直に打ち解けて言葉を掛けてくる幼いあかねが可愛いと心から思えてくるのだった。
 …十七歳のおまえがこれくらい素直に俺に甘えてくれたらなあ…
 乱馬は少し複雑な思いを描きながら、過去の天道家の一宿一飯を賜ることになった。



つづく




一之瀬的戯言
 1999年の夏に思いついて文章化を図っていた作品です。
 幼いあかねと乱馬のやりとりにあかねの母を重ねて一度描いてみたかったのです。
 優しい気持ちになれるような作品に仕上げたつもりなんですが…。いかがなものでしょうか?

 「秋桜」は「コスモス」と読みます。

 例によって二人の時間は原作より一つ進めて十七歳で書き進めてあります。御了承ください。


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