夢見る頃を過ぎても


「ねえ、乱馬。」
「ん?」
「この道の風景も随分変わったわね。」
 あかねは横の俺を見ながらふっと話し掛けてきた。
「変わったって?」
「だって、この道、ずっと高校時代の頃から通ってるでしょ?建物の風景も変わったって思わない?」
 俺は少し考えてみた。
 確かに…。家並みがあの頃と変わったかな。車の通航量も増えたかもしれないな。

「やあ、散歩かい?」
 小乃接骨院の前で、東風先生とぱったり会った。
「あ、先生。お久しぶりです。」
 二人で頭を垂れる。
「あかねちゃんももうすぐ生まれるんだね…。」
「先生のところは?」
「もう、おいたのし通しで困ったものだよ。あはは…。」
 東風先生は俺達より少し前に結婚した。勿論相手はかすみさん。すぐに子供が生まれたので、今二歳くらいかな。あかねには甥っ子になる。
「かすみ姉さんは?」
 俺が訊くと
「ご飯作ってるよ。呼ぼうか?」
「いいです。別に手を止めることもないですし…。」
とあかね。
 左程天道家から離れていないので、かすみさんは時々俺達の様子を見に来るし、いつだって会えるからと辞退した。
「生まれるとゆっくりしてられないだろうから、今のうちに乱馬くんにうんと甘えておいた方がいいよ。あかねちゃん。」
 東風先生はあかねの耳元でそんなことを言った。
「もう…。先生ったら…。」
 あかねは顔を紅に染めながら照れる。

 あかねが東風先生を好きだったのは、もうずっと前のこと。
 俺が出会った頃のあかね。髪が長かったんだよな。いつも東風先生を寂しそうに見詰めていたっけ…。

 そんなことを思い出しながらあかねの横顔を眺める。
 彼女もあの頃と比べると、ぐんと大人になった。まだ、喧嘩を吹っかけてくる気の短さは変わらないけれど…。
 
「そっか…。それでか…。」
 歩きながらあかねがいきなり声を上げた。
「あん?」
 突然何を言い出したかと思って、俺はあかねを覗き込む。
「だって…。ほら。あの頃はこうやって肩を並べてあるくのが少なかったでしょ?乱馬、いつもこの上に乗ってた…。」
 あかねはフェンスを見上げて笑った。
 確かに…。
 あの頃は俺はいつもフェンスの上。あかねはその下。そうやって歩いていることが多かったっけ。
 何時の頃からか俺もこの上にはのぼらなくなっていた。
「そうだな…。」
 俺はそう吐き出すと、ひょいっとフェンスの上に乗った。
「乱馬?」
 突然俺がフェンスにのぼったのであかねが不思議そうに見上げた。
「この上…。こうやっていつも見下ろしてた…。」
 俺は笑いながら話し掛ける。
「こうやっていつも…。」
 あの頃の風景が甦る。喧嘩しながら歩いたこと、笑いながら歩いたこと、遅刻しそうになって駆けていたこと…。
「笑うと可愛いよ…。」
 そっと呟いてみた。
「え…?」
 突然の言葉にあかねは目を見開いて俺を見上げる。
「ばーか…。昔の台詞だよ…。」
 俺は笑ながらフェンスの上でしゃがみこんだ。髪を切ったあかねに突き落とされたのは確かこのあたりだっけな。
「あんときは、よくもここから川へ突き落としてくれたよな・・。あかねちゃん。」
 笑いながら言う。
 フェンスの上と下で喋っている俺たちを不思議そうに、犬の散歩をしているオバサンが見ながら通り過ぎた。
「だって…。隙だらけだったから…。」
 あかねは悪戯っぽく笑う。
 俺はすっくと立ち上がって、夕暮れ雲のはたてを眺めた。
「あの頃と、ちーっとも変わってねえな…。」
「え?」
「だから…。あの頃と。」
 俺はそれだけ言うとトンとあかねの元へ降りた。
「おまえの笑顔は輝いてる…さ。」
 あかねはぷっと吹き出した。
「なんだよ…人が折角褒めてやってるのに…。」
「褒めてるの?それって?」
「バーカ…。褒めてるにきまってるだろ?」
 夕暮れの風が川から吹き上げてきた。あかねの髪を揺らめかせる。
「寒くねえか?」
「大丈夫よ…。乱馬がいるから…。」
 あかねは最上の笑顔を俺に手向けた。
 俺はあかねの肩にそっと手を置いて引き寄せた。
 あの時から俺はおまえに首っ丈。そうさ。川へ転落したのと同時に「恋に落ちた」んだから。
 そして、回り道したけれど、その恋は叶って…。あかねは俺の傍に居てこうやって微笑みかける。


 夢見る頃を過ぎても、あかねの笑顔は輝いてる。
 もうすぐ生まれる命を大切に育みながら。
 また、いつか、このお腹の子供たちも、この道を通るのだろう。あかねや俺の手に引かれながら。そしていつか自分で前を向いて歩き出すのだろう。俺とあかねが歩いたこの道を。

 俺はあかねをそっと抱き寄せると、額にそっと口を当てた。
 また風が鳴った。
 顔を染めてあかねが見上げる。
 俺はそれに笑顔を返すと、またゆっくりと歩き始めた。今度は肩に手を置いて。

 …そうさ、俺はいつまでも傍に居て、おまえを守るから。だから、ずっと微笑んでくれよな…。

 夕暮れ雲の合間から一番星が光る。








 一之瀬的戯言
 乱馬といえば川沿いのフェンスの上を駆ける少年、というイメージがあります。
 彼が夕焼けの中であかねを見初めたのもフェンス越し。
 フェンスの上をあかねと並走するシーンも良く見受けました。
 そこから落っこちて何度も女に変身を余儀なくされましたが、それはそれで。
 初期短編の一つです。


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