悪阻


 この季節になると思い出すことがある。
 そう、それは悪阻(つわり)。



 悪阻。「つわり」または「おそ」と読む。
 妊娠初期ごろに現れる悪感だ。
 これが来て初めて「妊娠」を知る妊婦もいるという。妊娠の兆候は人それぞれ。
 あかねの場合はどうだったのか。

 彼女の場合は、極めて鈍感だった。結婚して一年も過ぎようとしていた頃、夏風邪をひいて久しく床に伏せった。
 気候が不順な頃合。梅雨の末期のじめじめした気候から一転して夏空になる頃は、健康体でさえ辛いことがある。始めはそんな風に思っていた俺たち。
 日本は何時の頃からか温暖化が激しくなり、真夏の太陽はアスファルトの照り返し宜しく、容赦なく善良市民へと降り注ぐ。絶対、ガキの頃よりも夏は暑くなっている。勿論、ガキの頃は外で飛び回るのに夢中で、夏の暑さなど微塵も感じる閑がなかったのかもしれない。それを感覚から引いても、やっぱり夏の暑さは年毎に加速していると思わざるを得ない。
 土が多い山地などは、それでも、まだ陽が落ちてさえしまえば「涼」はやってくる。だがしかし、都会は違う。籠った熱気はアスファルトの多い都会からは逃げないのだ。
 不穏日な熱気が上昇し、上空の冷たい空気に触れて起こる雷雲を呼んできても、お湿り程度の夕立であれば、返って熱気は地面を覆う。夕立が通り過ぎた後のアスファルトに立ち昇る水蒸気が、余計に熱気を呼んでしまうこともあるくらいだ。土の上に不用意に張られたアスファルト。本来持つ自然の涼作用が活性化しないのは、この人工物の成すべき悪行。
 俺が修業に明け暮れている間に、あかねはその熱気にやられてしまったらしい。
 「早乙女家もとい天道道場の住人たち」も、大方、そんな風にしかあかねを見られなかったようだ。
 「夏風邪」。そんな簡単な言葉で片付けるお目出度い連中。
 続く微熱も夏の暑さに当ったのだろうと気軽に考えていた。
 考えてみれば、万年健康体のあかねみたいな鉄の女が「夏風邪」でくたばるなど可笑しな話なのである。だが、結婚生活もようよう一年近くなり、その不慣れな家事作業に没頭してきたあかね。人並み以上に「不器用」な彼女。専業主婦になっても、その仕事に慣れるのには相当な体力と精神力を知らず知らずのうちに消費して、それが夏の暑さの到来と共に、一気に噴出した。父親たちも姉たちもそう考えていたらしい。経験者であるオフクロまでもがそう思い込んでいたのだから仕方があるまい。
 俺だって、最低一年は「新婚気分」を味わいたいと身勝手を思っていたから、特に、その行為に及ぶときはまだ妊娠させないように気を遣っていたつもりだ。
 只でさえ専業主婦業をこなすのにヒーヒー言っていたあかねを前にすると、早く子供が欲しいのは山々であったが、己の我がままを通すのも気が引けていたのも事実だ。もう少し新婦が主婦業に慣れてから。大方の新婚夫はそう思うに違いない。
 コウノトリのご機嫌を伺うのもまだ躊躇された新婚の俺たちだった。
 そんな風だったから、まさか、子供を孕(はら)んでいようとは思えなかった。

 彼女の異変に最初に気がついたのは、あかねより少し早く嫁に出ていった長姉のかすみさんだった。

「あかねちゃん、最近変ね・・・。もしかして赤ちゃんがお腹に入ったんじゃないのかしらん。」

 俺の留守宅にたまたま上がりこんでいたかすみさんが、ヘたっていたあかねを見てふつっとそう言ったらしい。かすみさんは先頃、子供を生んだところだ。流石に経験して日が浅いかすみさんは違う。
 かすみさんの献言に従って「さも有りなん」とオフクロが、訝るあかねを医者へ連れていったらしい。医者の見立ては「妊娠第九週」そう、三ヶ月に入ったところだという。
 勿論、他流試合をこなすべく、修業に入りながら家を離れて集中していた俺が、優勝賞金と共に凱旋した時は、上を下への大騒ぎになっていたことは言うまでもない。
 夏風邪が長引いて調子が悪いと聞かされていた俺に、一転して「お目出度」の嵐。
 特に、道場を継いだ愛娘の懐妊を待っていた義父さんや内孫の懐妊待っていた俺の両親。この三人の盛り上がり方は、当事者の俺から見ても異常であった。
 俺の両親には元より、義父さんにとってもかすみさんと東風先生の所に続いて「二人目の孫」となる訳だ。只でさえドンちゃん騒ぎが好きなこの愛すべき家族たち。
 俺さえも困惑したのだから、実際に腹に子供を孕んだあかねはどれだけ大変だったのだろうか。
 かすみさんのところは女の子だったし、親父たちも「男の子!」と希望は熱い訳だ。俺は性別なんてどっちでも良かったが、周りに騒がれてあかねなりに大変だったろうと思う。

 その、精神的圧迫があかねを追い込んだのが「悪阻」だった。
 あかねは男勝りなところがあり、鈍感だと思えるかもしれないが、実は、その逆の本質を持っている。そう、案外「繊細」な神経の持ち主なのだ。あっけらかんと見えて、その実、心労を一人抱え込むタイプ。周りの狂喜ぶりを他所に、かなり精神的にも来てしまったようであった。
 俺が大きな大会試合から凱旋して間もなく、崩れてしまったのだ。
 それまでは俺の顔を見るまではという自制心が働いていたのが、俺の顔を見て安心したのだろうか。
 みるみる食が細くなり、頬がこけた。それだけではない、朝に昼に夕べに、何かしら当ると触ると胃が氾濫を起こしたかのような嘔吐(おうと)の嵐。健康体そのものだった彼女がやつれてゆくのである。
 傍目に見ていて気が気ではなかった。あかねには丈夫な子供を産んで欲しかったし、勿論、自身も健康であって欲しい。その願いは、父親になる俺も強かった。
 あまりに悪阻が激しいので、見かねて産院へと付き添う。
 サラリーマンの夫とは違って「自由業」の形体に近かった俺だから、その辺りは他の父親予備隊に比べては恵まれていたと思う。
「あらあら、お父さんもご一緒ですか?」
 と看護婦さんも目を細める。最近には珍しく「自家用車」もない我が家であったから、せいぜい、寄り添って行くのが関の山ではあった。だが、せめて試合がないときは、勤めてあかねの傍に居てやりたいと思っていたから、特に気にもならず、恥かしくもないと俺自身も高(たか)を括(くく)っていた。

 かかりつけの女医によれば
『妊婦の悪阻は旦那の優しさに比例しているのだ。』という。
 本当かどうか眉唾ものではあったが、あかねと俺の顔を見比べながら尤もらしく言って退けた。
「お父さんが優しいから、お母さんは悪阻がきついのね。」
 と笑いながら言われた。
「うちの産院を選んだもの、他の男性には奥さんを触らせたくなかったからでしょう。」と中年半ば女医と看護婦はケラケラ笑ってくれたものだ。半分以上は事実なので、俺は言い返せず、この長(た)けた医療コンビには黙って頷くしかなかった。
「そんな風にお父さんが過保護だから、お母さんが悪阻で苦しむのよ。」
 などと目いっぱい突付かれた。
 あかねは辛そうではあったが、幸せそうな顔をしていたのが印象的だった。
 悪阻は気ままにしていれば、自然良くなるものだとはいうが、あまりにも嘔吐が激しい場合は「点滴」などの処置をしてもらうことがある。あかねも夏の暑さにやられたのか、殆ど固形物が咽喉を通らない状態なので、数日に一回、点滴に通っている。人によっては、悪阻の酷さで入院まですることがあるという。あかねは流石にそこまで悪化はしていなかったが、それでも辛そうであった。
「あまり過保護が過ぎると、お父さんも悪阻になっちゃんわよ。」
 と女医さんはコロコロ笑った。
(まさかそんなことはあるまいに。)
 俺は愛想笑で冗談をかわした。

 あかねを観察すると、実にいろんな場面で嘔吐と戦っているようだ。
 朝起きたら「歯ブラシ」。これを咥(くわ)えるのも嫌らしい。
「歯磨きが鬱陶(うっとう)しくなるなんて・・・。」
 と起き抜けから大変らしい。
 ご飯が炊ける匂いでもうっとなっている。油物を揚げるときや魚の焼く匂いでも来る。
 大袈裟だと思えるのが、テレビを見ていてカレーやラーメンの映像を目にしただけでも手洗い所に駆け込んでゆく。
 彼女が口にするものは「柑橘類」。
 夏場のこの時期だから「蜜柑」はハウス物しかなかったが、豊富な種類を誇る柑橘類。夏蜜柑やレモンが欠かせないらしい。勿論、今までこんなに偏食する奴ではなかった。魚は骨まできれいに食べるタイプだったのにである。
 「悪阻」恐るべし。

 いや、本当に恐ろしかったのは、それからだった。
 あかねと俺は昔から喧嘩ばっかりの本音的な付き合いをしてきた。これは、なかなか出来るようで出来ないものらしいのだ。
 あかねの考えることは頭の中が透けるほどに良くわかる。それくらい彼女を愛し慈しんできた。
 だからなのかもしれないが・・・。
 そう、俺にも「悪阻」が来てしまったのである。
 まさか、と誰しもが思うだろう。だが、そのまさかなのである。
 多分、いつも端であかねが憔悴しきっているのを見ていたせいもあるのだろうが。一緒にテレビを見ていて気持ち悪くなった。同じコマーシャルを見ていて、うっと餌付いたのである。
「ちょっと、乱馬どうしたのよ?」
 あかねが俺の異変を見て驚いたらしい。
「あ、いや・・・。何か変なもんでも食っちまったかな。」
 俺はあかねと同時に洗面所へ駆け込んでいた。
 それからだ。
 あかねほど酷くはないにせよ、食べ物の匂いや雰囲気に敏感になったのである。

「乱馬くんまで悪阻なのぉ?」
 
 半同居人のなびきが、大笑いしながら俺を指差す。
「うるせーっ!俺んはただの夏ばてだっ!」
 言い返してみるが格好がつかない。確かに夏の暑さにやられている節もあったが、俺自身はそんなに柔(やわ)じゃねえ。
「ひょっとして乱馬くん、呪泉郷で溺れて女化していた名残でもあるのぉ?」
 無責任な囃し方だ。
 どういうカラクリがあったのかわからねえが、確かにそれは悪阻だったように思う。
 あかねではないが、酸っぱいものが妙に口恋しくなった。あかねが美味しそうにしゃぶっていた柑橘類を、俺も構わず一緒に貪る。食だって細くなった。
 比較的平気で食えるようになっていたあかねの手料理も咽喉を通らない。彼女の腕はまだまだだったことも、或いは手伝っていたのかもしれない。昔ほど極端ではないにせよ、塩辛過ぎたり、甘ったるかったり。そんな手料理のオンパレードだったからだ。悪阻で元々悪い味覚までやられっちまったのだろうか。

「家に妊婦さんが二人も居るみたいね・・・。」
 オフクロまでもが声を立てて笑い転げる。
「仲良きことは美しき哉、わっはっは!」
 癪に障ったが、親父までそんなことを言ってからかう。
 俺が一緒にゲロゲロやりだしてから間もなく、あかねの悪阻はウソのように消えていった。俺と並んでへたっているのがバカらしくなったのか、それとも、赤ん坊に吸収されていったのか。
 勿論、俺のそんな症状も一過性のもので、秋の虫の声が鳴き始める頃にはぱったりと、あかねと共にに治まっていった。



「あれはやっぱり悪阻だったの?」
 赤ん坊に母乳をやりながらあかねが俺を顧みた。
「さあな・・・。単なる夏ばてだろ。」
「だって、今年も暑いけど全然平気じゃないの。」
 あかねの目が細くなった。
「うるせえな・・・。」
 勢い良くおっぱいにしゃぶりつく息子を少し恨めしそうに眺めながら俺は言った。最近あかねのチチはこいつに盗られっぱなしなので大人気ないがちょっと機嫌が悪いのだ。それは俺んだから早く返せと目が訴えているかもしれない。
「男が悪阻になるなんて・・・。あんまり聞かないな。でも、全くない訳じゃないらしいよ。」
 あかねは俺のそんな複雑な男心は知らねえだろう。
「あん?」
「だって、仲がいい似たもの夫婦の間には、時々起こる現象なんだって。あたしと乱馬って似たもの同士だもの。」
 あかねはやたらに機嫌が良い。
「そっかあ?似てるかあ?」
 俺はあかねの傍に座りなおして瞳を覗き込む。瞳の奥には俺の姿が映っている。
「それじゃ不服?」
 あかねは悪戯っぽい瞳を手向けた。少女の頃と変わらない輝き。
「不服じゃねえよ・・・。」
 赤ん坊に気を遣いながらそっと抱き寄せる。
 母乳の甘い匂いがした。


 恐るべし悪阻。
 でも、悪いことばかりではないことを俺は知っていた。
 あの、苦しい「悪阻の日々」が明けると、信じ難いかもしれないが、あかねの味覚が治ったのだ。
 そう、あの、どうしようもない味覚音痴は形を潜めた。
 以後、今日に至るまで、あかねの手料理に泣かされることはなくなった。
 悪阻で味覚が変わると良く言うらしいが、あかねもひょっとしてその類だったのかもしれない。俺にとっては嬉しい誤算。
 だが、一つだけ心配事がある。
 次に子どもを孕んだらそうなるかということ。また二人揃って悪阻になって・・・。あかねの味覚が元に戻ったら・・・。時々、殺人的な料理を食わされるのだろうか?
 俺はあかねを見てふとそんなことに思いを巡らせた。

「どうしたの?じろじろと人のこと見てさあ・・・。」
「べ、別に何でもねえよ。」
 と言い訳る。
「変なの・・・。」
 俺はあかねにそっと唇を寄せた。
(ま、いいや。もし、万が一、不幸にももう一人子供が出来てあかねの味覚が元に戻っても・・・。また、三人目を作ればいいか。)
 にやっと含み笑い。
「乱馬?」
 あかねの声。
(いや、待て、で、四人目でまた元に戻ったら・・・。今度は五人目?)
 俺の想像の中でどんどんと子供が増殖してゆく。
「子供は奇数だな!」
「え?」

 こんなことを思える俺は三国一の果報者なのだろう。
 俺はにこっと笑って、不思議そうに見上げるあかねの唇へ自分の唇を軽く合わせた。

 通り過ぎる涼風と共に、風鈴の音が鳴った。
 まだまだ季節は夏。
 真っ盛り。








seaさまの「sea Side」の開設時に出させていただいた個人的突発作品です。
二時間足らずで一気にたたき出した作品ですが、気に入っている一編です。。
題名は「おそ」と読んで下さい。「つわり」とも読みますが…。


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