若夫婦の実情   後編


「どうしたんだよ…。仏頂面して…。」
 寝屋に入って乱馬はあかねに声を掛けた。
 明らかにいつもと態度が違う。口数が少ないあかねだった。
「別に…。なんでもないわよ…。」
 蒲団に横たわりながらあかねは答えた。そんな彼女を乱馬はぐっと覗き込む。あかねは思わず視線を外して明後日の方向を見た。
「何なんだよ…。その態度…。」
 乱馬はぷいっと横を向いたあかねに言葉を放った。何か拗ねている。乱馬はすぐに見て取れた。
 あかねは昔から機嫌がすぐに顔に出る。高校生の頃、ヤキモチを妬くと決まってそんな態度を顕にしていた。ここのところそんなことは滅多になかった。夫婦になってから、あかねも以前ほどヤキモチを妬かずに穏やかな毎日を過ごしていた筈だ。
「おい・・。何だよ…。言いたいことがあるんならはっきり言ったらどうだ?」
 乱馬はあかねを見下ろしながら声をかけた。
「別になんにもないんだったらっ!!」
 あかねはそう言うとタオルケットを乱暴に羽織った。
「そんな態度を取る奴がなんでもないって言って、はいそうですかと引き下がる俺だと思うのか?たく…。」 
 こうなったあかねは手をつけられない駄々っ子だ。やれやれというように乱馬は隣にごろんと横になった。その向こうでは双子たちが安眠を貪る。
「何拗ねてるんだよ…。」
 乱馬はそっと右手をあかねの方へ差し出した。いつもならそのまま乱馬の方へ抱き寄せられて頭を身体にくっつけるあかねが、この日は頑として拒否に出た。
「拗ねてないっ!!」
 差し出された腕からするりと抜けた。拒否されることなど最近はなかったので焦ったのは乱馬の方かもしれない。
「何なんだよ…一体。」
 身を捩って逃げたあかねを今度は力ずくで追いかけに走る。あかねはくるりと背を向けたままでこちらを見ようともしない。
「疲れてるから、あたしは寝るのっ!!」
 怒ったような口ぶり。
 乱馬は大きく溜息を吐いた。
「あのな…。何怒ってるのかしらねえけど…。疲れてるのは俺も一緒だぞ…。飯の種の為に体張ってるんだからな…。」
「……。」
 あかねは無言でソッポを向いたままだ。
「少しは俺のことも労わってくれてもいいんじゃねえか…。」
 乱馬はそう言いながら再びあかねを後ろから抱え込もうとした。
「いやだって言ってるでしょ…。」
 あかねはまだ頑なだ。逃げられれば追いたくなるのもまた男の本能。
「いい加減にしろよっ!」
 そう言うと乱馬は両腕であかねを捉えた。
「あのなあ…いい加減に…。」
 そう言いかけて乱馬は言葉を閉ざした。あかねの目に涙が光っているのが見えたから。
 昔からあかねの涙には弱かった。何もかも打ち砕かれたように狼狽してしまう。男漢気(おとこぎ)に満ち溢れた今もそれは変わらない。あかねの肩をつかんだまま、乱馬はその場に埋没してしまった。
 あかねに巣食う不安は何なのだろうか…。乱馬は彼なりに理由を探ろうとした。
「ごめん…。」
 思わず謝る。
「何よ…。謝んないでよ…。」
 あかねがそれに答えた。
「だって、おまえ、何かに不安を覚えてるんだろ?良くわかんねえけど…。それで俺に対して突っかかってくるんだろ?」
 一心同体というけれど、乱馬の言葉は当っている。
 あかねの心にある漠然とした不安。身体を合わせていないと乱馬が去ってしまうのではないかという心細さ。
「いいよ…。謝るのはあたしの方だから…。」
 あかねの心は最早明瞭を成していなかった。
「何だか、この前から乱馬が浮気してるんじゃないかって、あたしは不安で…。」
 思わず漏れた言葉。
 それを訊いた乱馬の表情が一瞬険しくなった。
 乱馬は大きく息を吐いた。そして言った。
「おまえの俺に対する認識ってその程度なのか?おい…。」
 怒っている。明らかに…。乱馬は掴んだ手に力を込めた。
「答えろよっ!!」
 語気が荒くなり始める。
 あかねの怯えたような目に流石に気がついたのか、手を放して言った。
「どんな目で俺を見てんだよ…。あかねの馬鹿っ!」
 今度は乱馬が拗ねる番だった。
「だから、ごめんって言ってるじゃないの…。だって、この前からずっと予定より帰ってくるの遅いし…。今日だって仲良さそうに若い子と話しながら歩いてたじゃない…。」
 あかねはあかねで訳がわからなくなっている。ついつい本音が零れ落ちた。
「馬鹿野郎っ!」
 乱馬はそれを聞くと途端怒鳴った。
 それから上半身を揺り起こし、あかねを腕の中へ押し込んだ。
「あのなあ、俺は出会ってからずっと、おまえだけなんだっ!情けねえこと言うんじゃねえよ。誰が若い子と仲よさそうにだて?おまえ以外の女なんか抱く気にもならねえんだから。」
 ぎゅっとあかねを頭越しに腕に抱えて諭すように語り掛ける。
「ホントにおまえは、昔っからそういうことをぐちぐち気に病んで…。馬鹿…。」

 トクトクと心臓が波打つ。二人の鼓動を同調させて響く。
 乱馬の腕の力が弱まって、優しくなった。
 結婚して子供に恵まれて尚燃え続ける恋の脈動。
 身を寄せて目を閉じたとき、傍らで子供が泣き始めた。
 一人泣き始めるともう一人…。それが大抵のパターンであった。

「お腹すいたかな…。」
 あかねはひょいっと二人同時に抱え上げた。
「母さんも大変だな…。」
 折角のいいところを邪魔されて乱馬は少しだけ苦笑いを浮かべた。
 あかねもこのところ慣れてきて、一人で二人を抱え上げると、左右で器用にお乳を飲ませられるようになっていた。乱馬は目を細めながらそれに魅入る。
…俺には真似できねえからな…
 例え昔のように女に変身する体質を引きずっていたとしても、おそらく同じことはできまい。根本的に女性と違う己を感じていた。
…それにしても…。
 乱馬にしてみれば残念な展開だったろう。
「なあ、でもおめえ、何でまた勝手に誤解を広げたんだ?」
 乱馬は胡座をかきながらあかねを見上げた。
「だって…。乱馬と昼間歩いてた子さあ…、その、乱馬と別れた後、・・ンを買ってたんだもの…。」
 あかねが俯いてごそごそと答えた。
「はあ?何だよ。それ…。」
 乱馬は突拍子のない声を張り上げた。あんまりだろ、という思いが通過した。
「あのなあ…。たかだかスキンを買ってたくらいで、おめえなあ…。」
 そう言ってから乱馬は沈黙した。
「何?乱馬…。」
 あかねは急に黙った乱馬を見下ろして声をかける。
「あいや、そのさあ…。それって女が買うもんか?」
「はあ?」
「だから…。その…。」
 と言ったきり黙りこむ。
「どっちかな…。」
 あかねも考え込んだ。
「使うの男だけど…。うーん…。女が買うとなにかしら期待しているような…。」
「だからって男が持ってたら、下心見え見えじゃない?」
「なあ、これから先、俺たちだって家族計画立てるのに使うこともあるだろうけどよ…。」
「あたしは嫌よ…。」
「何で?」
「だって…その、恥ずかしいじゃない…。」
「俺だってなんか…やだぜ…。」
「どうして?」
「なんて言うかその…。やっぱり買えないよな…。他のカップル、こういうのってどうなんだろうな?どっちが買うんだろ…。」
「どうなのかしら…。」

 生真面目な顔つきで二人は悩みこむ。
 この辺りはまだ純情な恋愛関係のまま…。
 今更ながら、顔を赤らめて下を向く。

 おっぱいの時間が終わるとあかねは消毒綿で乳首をふき取り、赤ん坊を一人一人抱っこして「げっぷ」を言わせた。赤ん坊の胃袋は真っ直ぐなので、授乳の後は必ず「げっぷ」を言わせなければ横には寝かせられない。お尻をとんとんと叩くと面白いように、赤ん坊はげっぷと声を上げる。
 ついでだからと、あかねは紙オムツを取り出してきて、交換してやる。
 だから、ごそごそと部屋を出たり入ったり…。寝る間際まで母は忙しい。

 そんなあかねの気配を感じたのか、のどかがひょっこりと顔を出した。

「まだ寝てないわよね…。お二人さん。ちょっとだけお邪魔するわね。」

 そう断りを入れて、にこにこと顔を覗かせる。赤ん坊たちに愛想を浮かべると、のどかは布団に起き上がって座った息子と、オムツの始末をしてきたあかねを目の前に切り出した。

「まだ早いかと思ったんだけど…。これね…。二人に…。」
 といって茶けた紙袋をすっと手前に差し出した。
 それを受け取って、乱馬は紙袋を破った。
「お、おふくろ…これって…。」
 中に入ってたのはいうにも及ばす…さっき二人が口にした代物。
「今日ね、お弟子さんのところに生まれた赤ちゃんのお祝いに行って来たんだけれども、先方さんね、年子さんなの…。それはもう、お母さん気の毒なくらい大変そうで。それでね、うちは只でさえあかねちゃん、二人も一度にでしょ?勿論、孫は何人でも抱きたいんだけど…。双子に年子なんて、二人とも大変でしょうし。だからね、帰りがけに玄馬さんに頼まれていた毛はえ薬を買いに薬局へ立ち寄ったついでに目に入ったから買ってきたの。」
 なんとも涼しげに言い放つ。
 乱馬もあかねも二の句が継げない。只々、呆然とのどかの顔を見返すばかり。
「母体保護っていうこともあるからね…。わかってると思うけれど、乱馬、ちゃんと労わってあげなさいよ…。夫の勤めだわよ…。あかねちゃん、最近何か思い悩んでいる様子だったから…。ね?」
 と嬉しそうに言い置くと、のどかはさっさと部屋を後にした。
 
 後に残ったのは、ラメの小箱を挟んで、真っ赤に顔を火照らせて黙って固まり続ける、純粋な若夫婦。
 傍では双子たちが、それぞれ ふわあっと伸びをして、幸せそうに眠りに就く。
 でも、きっと今夜は……。
 


作者の言い訳
ご覧のとおりの作品です…。
「明るい家族計画乱×あ版」…違っ!
すいません。爽快なはずの「乱馬×あかね」が…何だか訳わからない風に…。

最近、某企画を履行するのに育児日記なんかを読み返して思い出したことからプロットを拾い枝葉に作文してしまいました。
ちょっと真剣な二人に、のどかさんのお茶らけを描きたかっただけです。他意はないです。
ほんの出来心です…あううっ!

「母体保護」の話は本当です。
子供を生むときに、「母親教室」なるものを受講して、母親としてのいろんな事どもを学ぶことがあります。(多くは産院単位、或いは市町村単位で開講されます。だいたい3〜4回の講座ですね…。)
やっぱり、お産が続くのは母体そのものにも精神的にもきついと思います。同じ学年内にも一人って…ことも理論的には有り得る話ですから。
世間では3つくらい離すのが理想とか言われてますね。(でも、これも良く考えないと受験がかち合って家計が苦しいことも…有り得ます。なんか主婦的観念。)うちは五学年離れてるんで楽な方だったかも…

最近、六十歳の初産とか、クローン出産の話とか…話題に上ってるんで、ちょっとこんな創作を…。
クローン乱馬の話はいずれ描きたいプロットのひとつです。乱馬VS乱馬のストーリーの類型として…いつかは…。いつになるかは例によって不明ですが…過去に作った己のSFのオリジナルストーリ(高校生の頃)から焼き直して、乱馬×あかねで真剣に描いてみたいなあ。→これの一部が「DARK ANGEL」になっとりますけど…。

なんか中途半端ですね…。
最近もう一本、内面えぐるような真剣な作品を描いたんですが…それと比べ物にならぬくらいお粗末です。
ごめんなさい×∞…。



(c)2003 Ichinose Keiko