◆天翔ける二人


 カタカタと鳴る窓硝子の音にふと目覚めた。
 漠と広がる漆黒の空間。頬に伝わる冷気。身震いして思わず掛蒲団を手繰ろうと身を動かすと、ふわっと暖かい吐息を胸に感じた。

 そうだ…。ここは家。昨日までの一人の詫びしい空間じゃねえ…。

 改めて傍に目を落とすと、愛しい寝顔が其処にあった。
 俺は愛しげにその寝顔を見詰めた。
 薄っすらと閉じられた瞼。その奥に留まる円らな瞳はどんな夢路を辿っているのだろうか。
 長い睫、通った鼻筋、軽く微笑む口元。俺の右腕を手枕に、安らかな眠りの淵にまどろむ。
 俺はふんわと小さく動く彼女の細い肩に空いた左手を添えた。感情の高まりに堪え切れす、柔らかく包むように彼女を胸に抱き寄せる。
 彼女は少しだけ身を捩り、俺の動きを牽制しようとしたが、構わず軽く抑えこむと、観念したかのように身体を密着させてきた。触れ合う素肌が心地良い。
 身体を俺にピタリとくっつけながら再び深い眠りに捉われたようだ。俺の動きに一瞬止まった寝息が、再び規則正しく聞こえ始める。


 互いの所在を確かめるように彼女と身体を重ねたのは、この深き夜の入口のこと。
 俺の腕に抱かれ、喘ぎ、歓び、果てた。
 夜のしじまに抱かれながら二人身を寄せ合って眠りに就いた。
 
 永い春に終止符を打って、おまえと本当の意味で結ばれてまだ日は浅い。家族たちは俺たちのことを「新婚さん」と言って憚らない。
 実の所、俺のために早起きしてつけるエプロン姿が堪らなく眩しい。向けられる笑顔の輝きにいつもドキドキ胸が高鳴る。
 だが、お互いの気持ちに素直になれるまで、出会って五年の月日が悠に巡っていた。
 親が決めた許婚という肩書きに素直になれずに随分と遠回りした。おまえも俺以上に天邪鬼で、意地っ張りで、その奥に潜む本当の想いを俺にぶつけるのに苦労したようだ。
 流れた月日が永くても、本質の部分は左程変わっていないような気がする。
 未だに意地っ張りで強情で、そのくせ本当は泣き虫。
 夕べ、帰って来た俺を出迎えた時も不機嫌だった。何日修業に家を離れれば気が済むのかというように。迸る情熱を俺に剥き出しでぶつけてくる激しさ。そのくせ本当は俺の不在が心細かったのだろう。抗議しながら迎える瞳には薄っすらと涙が浮かぶ。
 ご機嫌を取って微笑みかける。と、掌を返したように拗ねてみる。何だよという具合に今度は俺が引いてみる。と、すぐさま喧嘩腰。
 出会った頃から変わらぬ痴話喧嘩。吹っかけると必ず乗ってくる。単純な奴だ。
 だが、俺はそんなおまえが愛しくて堪らない。
 俺に吐き上げる悪態も、拗ねたような態度も、全てこの愛情で満たしてやりたい。そういう気持ちは、きっと独身の頃よりも強くなっていると思う。他愛のない言い争いも、喧嘩も、寂しげな涙も全て、この腕に吸い上げてやりたい。
 外へ長らく修業へ出るとそういう想いが覿面強くなる。
 俺はおまえのために強くなりたい。常に強い男で居たい。そう思っている。だから時たま修業へ出る。
 おまえは知っているだろうか。
 疲れて帰って来たときの心地良さ。おまえの居る我が家の温もり。帰って来ておまえをこの腕に抱く限りない歓びと至福な時間。
 身勝手だと言われても、俺は帰って来たという実感を味わうために引き止められても家を出る。多少無茶な修業もこなしたい。おまえとこの道場を守りたいから。多分、これからもその繰り返し。

 長らく家を空けていた俺を攻め立てるように激しく求めてきたおまえ。俺もまた空白の時間を埋めるために夢中でおまえを抱いた。

 あたしを離さないで…。

 おまえの心の叫びが、身体を通じて伝わってきた。

 決して離しはしない…。

 熱く激しい鬩ぎあいの中で、俺もまた、その情熱に応える。
 生まれたままの姿で歓びも、哀しみも、憐れみも、愛しさも、血も涙も全て融合される瞬間。
 一つになる歓びに萌え上がり、登りつめる快楽の天。
 その後に訪れる、安らかなまどろみ。








「乱馬…。」
 寝言でふと俺の名を呼んだ。
「何だ?」
 目を閉じだままのおまえに答えてみた。すると、
「馬鹿…。」 
 と続いて聞こえた悪態。
「たく…眠ってても口が悪い奴だな…。」
 ふっと口元を緩めた。それからまたじっと彼女を見詰める。
 彼女の瞳が静かに開いた。俺の気を感じたのだろうか。
 視線が合うとホッとしたようににっこりと微笑む。それから俺の腕へ手を伸ばし、胸にまた顔を埋めようと身を捩る。このまま眠りたいと云わんばかりに、目を閉じたまま小さな欠伸を一つ。
 逃がしてなるものかと、彼女の顔に軽く手を添えて上を向かせた。とろんと見詰め返してきた瞳はまだ眠りの淵を彷徨いたげだ。
 それを無視して唇を重ねる。彼女の身体がピクンと動いた。
 熱く漏れる甘い吐息。

 目覚めるのは俺の本能。
 また熱くなる身体。波打ち始める鼓動。

「今夜は眠らせない…。」
 そう耳元で囁くと、俺は力いっぱい彼女を抱き寄せた。
 しなやかにうねり、また萌えはじめる柔らかな身体。
 二人でまた天翔ける。果てることない天つ空へ。








一之瀬的戯言
この作品に関しては何も申しますまい。


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