◆嘘つき


「何よっ!乱馬なんて大っ嫌いっ!!」
 何度この言葉を吐き出しただろう。
 喧嘩するたびに、ヤキモチを妬くたびに粋がってきた。

 わかってるのよ。そのくらい。
 私の訳のわからない「駄々」や「ヤキモチ」だってことくらい…。
 でもね…。止める手だてがないの。不器用だから。
 バレンタインの今日だって。

 お腹が大きくなった私の代わりに、去年来ずっと私が担当していた、近所の奥様やOLさんたちの武道教室の講師を乱馬やお父さんたちにやってもらってる。
 天道道場も時代のニーズに合わせて、近所のカルチャースクールに出張稽古をするようになってどのくらい経つだろう。武道は若い世代を中心に、ボディーガードや健康に役立つと、静かなブームを呼んでいるのだ。早乙女流も天道流も無差別格闘流は実戦に叶った武道流派。だから、うちみたいなマイナーな流派の道場でも結構引く手あまたで出稽古を頼まれ始めた。
 それはいい…。
 けど、乱馬は相変わらず、何処へ出て行っても「モテル」のだ。
 悔しいけれど、彼の身のこなしはますます精悍になり、否が応でも女性たちの目を引くらしい。
 今日だって、出先で紙袋何個か分のチョコレートをどっさりと持って帰ってきた。
 なんだか面白くない私は、妬いてしまって、ついつい喧嘩を吹っかけてしまった訳だ。
 
「乱馬のばか!」「乱馬なんて大っ嫌い!!」
 この二つの言葉は、喧嘩するたびに口にする「決まり文句」。
 激嵩してくるとついつい叫んでしまう乱馬への悪態。
 
「乱馬なんて大嫌いっ!!」
 今日も叫んでしまった私。
 彼の目は刺すように私を見詰めた。眼光厳しく、私をじっと睨み付ける。
「嘘つきっ!」
 そして、下腹から響くような低く一声唸った。
 堪らず目を反らしにかかった私に、乱馬は容赦なく攻めかかる。
 力ずくで腕に抱きとめられた。「いい加減にしろっ。」と頭上で声がする。
 乱馬の広い胸に突然押し込められて、私は必死で抗(あらが)った。しかし、私が足掻(あが)くほどに私を捕らえる腕に力が込められる。それでも私は抵抗を試みるのだが一向に埒があかない。
 私より一回りも二回りも逞しくなった腕は、私の抵抗など頑(かたくな)として受け付けない。そうなると、悔しいが諦めざるをえない。
「乱馬のばかっ!」
 彼の腕の中で精一杯の悪態をまたこぼす私。
「たく…おまえは、しょうのねえ奴だなあ…。」
 彼は笑いながら腕の力を少し緩めた。
 まだ言い足りない悪態を吐こうと覗き込んだら、今度は正面から口を塞がれた。熱い唇で。

 ずるい!
 キスなんてルール違反よ…。

 憎まれ口を叩く気力を根こそぎ削(そ)ぎ取られた私はすっかり降参してしまった。

「ほら…俺が嫌いだなんてやっぱり大嘘じゃないか…。」
 口を離すと、腕の中ですっかり大人しくなった私を見て、嬉しそうに呟いた。
 
 昔と違うこと。
 それは乱馬が強くなったこと。
 力や腕っ節だけではない。精神的にも強くなった。私なんかよりずっと達観していて、喧嘩を吹っかけても相手にならない。大人になった彼。

「好きだからヤキモチ妬くんだろ?」
 勝ち誇ったように言う。
 私は顔を上げるのもなんだか悔しくて気恥ずかしくて、乱馬の胸板に顔をくっつけたままじっとしていた。
 「いいじゃねえか…。チョコの山だって、それだけ俺に魅力があるって証なんだから。おまえは幸せ者なんだぜ。こんなに魅力的な俺にこのくらい恋(こ)われてるんだから…。だから、ヤキモチなんか妬くなよな。」
 何よ。しょっちゃって。相変わらず、ナルシストなんだから…。
 その時、お腹の子供たちがピクンと動いた。駄目な母親をお腹の中から蹴り上げたのかもしれなかった。
「あ…。」
 私が思わず声を上げると
「どうした?」
 と覗き込んできた。
「今ね、子供たちが動いたわ…。」
 少し前へ出張ってきたお腹を見詰めて私は呟いた。
「ほら、母さんがヤキモチ妬きだと、胎教にも悪いんだから。ほどほどにしなきゃな…。」
 乱馬はそう言って、また私を抱き寄せた。
 今度は慈しむように、柔らかく包み込むように抱きしめる。父親の温かい抱擁に満足したのかお腹の子供たちも、嬉しそうに伸び上がるように動く。

 今日の喧嘩も私の完敗。
 乱馬の優しさには叶わない。
「大好きよ…。乱馬。」
 今度は嘘じゃない。
 腕の中でそっと呟いたら、返事の代わりに唇が重なった。








バレンタイン小説…あかねのヤキモチ編

胎動はだいたい妊娠5ヶ月目に感じます。
体験した者でないと、あの感動はわからないかもしれませんが…初めての胎動はくすぐったいような幸せを感じる瞬間ですからね。
このプロットではあかねちゃんは只今7ヶ月といったところかな?


(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。