◇ANGEL SMILE


「ねえ、ぼちぼちいいわよ。」
  あかねは手招きして乱馬を振り返った。
「やっと眠ったか。」
  乱馬は押入れの奥にしまいこんであった茶紙の袋を取り出した。
「そっとやってね。」
 あかねが声を掛けると、任せとけと云わんばかりに相槌を打った。
 茶紙をそっと破ると、中から赤い包装紙の箱が二つ現れた。
「たく…子供を喜ばすのも楽じゃねえな。」
 乱馬はそう言って溜息をひとつ吐き出した。
「いいじゃない。あの子たちサンタクロースが居るって信じてるんだから。そのくらいの夢も持たせてあげても。」
 乱馬とあかねには双子の男の子と女の子が居る。二人は共に4歳。世の中のことが少しずつわかりかけてくる年代だ。通っている幼稚園でサンタの絵本を先生に読んでもらって以来、サンタクロースがプレゼントを持ってやってくると信じていた。『龍馬も未来もいい子にして待ってたら、きっとサンタさんがプレゼントを置いてくれるわよ。』
 あかねがそんなことを言い出したので、クリスマスイブの日を指折り数えて待っていた。
 二人のはしゃぎようといったら…。
 今日はサンタさんに会うんだと言って、ずっと夜中じゅう起きておくといってさっきまで二人して騒いでいたのだが、その辺りは子供である。
 十時が限界だったようだ。
 それで、やっとサンタさんの出番となった。
「で、これを枕元に置いておけばいいんだな?」
 乱馬は取り出した包みを差し出した。
「そうよ。」
 あかねは明るく答える。
「たく…面倒臭えなあ…。」
「いいじゃない。只でさえ無機質になった現代社会だもの。そのくらいの夢をあげたって。」
 あかねはいたずらっぽく笑った。
「まあいいか。こういうのも。」
 悪巧み前の童心に還ったように、乱馬自身も少しわくわくしている。
「乱馬はサンタさんなんて信じてた時期があったの?」
「そんなもんあるわけねえじゃん。オフクロと一緒に幼少期を過ごしたんならちょっとは違ってたんだろうけど。ずっと一緒だったのがあのスチャラカ親父だぜ。そんな気の利いたことをする訳がねえだろ?」
 確かに、天上天下唯我尊の乱馬のそのまた上をゆくような父親の玄馬だ。あかねはそうねと言ったきり黙った。
「おまえは信じてたのか?サンタクロース。」
 乱馬は興味深げに訊いてきた。
「うん…。子供の頃はね。」
「ふうん…。何時頃まで信じられた?」
「六年生くらい…だったかしら。」
「え?そんなに長いこと信じてたのか?純情を通り越してアホみたいだな。」
 乱馬が呆れたように言ったのであかねは口を尖らせた。
「悪かったわねっ!」
「おまえらしいっちゃそれまでだけど…。」
 乱馬はくすっと笑った。
「サンタがお父さんだって気がついたときは、なんだか寂しかったわね。夢が一つ消えたっていうか。子供じゃあなくなったって感じたというか。できれば、ずっと信じていたかったけどね。なびきお姉ちゃんはずっと早くにサンタさんがお父さんだって気がついてたみたいだけど…。『あかねはいいわね。何事も疑いがなくって。』なんて言ってたっけなあ。」
「普通、気がつくよな。ホントにおまえは鈍いんだな。」
 乱馬はまだ悪態をついてくる。
「もう、私のことはいいから、手早くやっちゃいましょうよ。」
 あかねは突き放すように言った。

 襖をそっと開けて中へ入る。中央に並んで敷かれた蒲団の中に、あどけない寝顔が二つ。
「よく眠ってるな、二人とも。」
 乱馬は寝顔を見つめながら微笑んだ。
「あら?」
 あかねが目を落とすと、枕元に、並んで二つの絵が置いてあった。
 手にとって見ると、二人がそれぞれに描いたサンタさんへのお礼状らしかった。たどたどしい字でそれぞれ「さんたさん、ありがとう」と平仮名らしき文字で書かれていた。
「うへっ!二人ともへたくそだなあ…。」
「当たり前でしょっ!まだ四歳なんだから。ちゃんと習ってもいないし、見よう見まねね。そういえばこの間からしつこく『サンタってどう書くの?』って私に訊いてたわ。」
「これ、龍馬の字なんかひっくり返ってるぜ。」
「ホントだ。」
 二人は覗き込みながら笑った。
「これどうする?」
「そうね…貰っておきましょうよ。サンタさん。」
「だな…せっかく一所懸命描いてくれたんだしな。」
 プレゼントの箱をそっと枕元に置くと、代わりに絵を貰い受けた。
「二人で相談してやったんだな。可愛いところあるじゃねえか。」
 乱馬は顔中に笑顔をこぼした。普段は厳しい乱馬も人の親。我が子は可愛いらしい。
「私の子だもの…。可愛いわよ。」
 澄まし顔であかねが答えると、
「おめえだけの子じゃねえだろ?俺とおまえの子だぜ。」
 乱馬は反論を試みる。わざと「俺」を前面に出して答えた。そしてくすっと笑った。
「明日の朝、きっと喜ぶわよ。二人とも。」
 あかねは慈しむような笑顔で我が子を見つめた。
「龍馬は新しい道着でん未来はままごとセットかあ…。」
 乱馬はふっと呟いた。
「龍馬はお父さんみたいに強くなりたいんですって。真似してお下げも編んでいるし。」
 あかねが言うと
「じゃあ、未来はお母さんみたいにならないようにままごとセットってわけか…。」
 と笑い出した。
「なによそれ…。」
「だって、おまえ、不器用だからなあ…。まあ、やっと料理は人並みに食えるようになったけど、相変わらず包丁さばきも手際も悪いからなあ…。」
「悪かったわね…。」
 あかねは低く唸った。
「今からままごとで練習しとけば、おまえの血を引いててもなんとかなるだろ…。」
「乱馬っ!」
「あ、こら、大声出すな…。」
 あかねははっとして言葉を飲み込んだ。
「なあ…。あかねの印象に残ってるサンタクロースからのプレゼントって何だ?」
 乱馬がそっと訊いて来た。
 あかねはちょっと考え込むと
「そうね…ふたつあるわ。」
 と答えた。
「一つはね、ずっと昔。お母さんが亡くなって初めてのクリスマス。お父さんサンタさんが私にお母さんの写真が入ったロケットのネックレスをくれたの。私、お母さんと別れたてだったからもう、嬉しかったなあ。今から考えれば、お父さんも苦労してたのね。」
「ふうん…お義父さんがねえ…。」
「もう一つは、これね。」
 あかねはそう言って耳元に揺れるイヤリングを指差した。
った。
「正確には、これに付随した想い出…って言ったほうがよかったかな?」
 あかねはいたずらぽく笑う。
 …あのとき、初めて唇があかねにふれたんだ。…
 乱馬は顔から火が出るくらい紅潮してしまった。
「あの時、みんなが部屋に乱入して来なかったら、乱馬、どうしてたの?」
 あかねは構わずに訊いて来る。

 そうだ。
 あの長い接吻の後、お互いを慈しむように見詰め合っていたら急にドアが開いたのだ。そして間髪を入れずに天道家の面々が手にクラッカーを持って病室に飛び込んで来たのだ。
 乱馬は大慌てであかねから離れて窓際に行った。ひょっとしてあの場面を皆に見られたのではないかとドキドキした。が、どうやら誰も感ずかなかったらしく、
「乱馬くんも来てたのね。」
 となびきに言われただけであった。決定的瞬間を見られでもしていたら、それだけではすまなかったろう。後ろにはシャンプーや小太刀、右京、九能、良牙も並んでいたのだから。
 その後は、上を下へのドンちゃん騒ぎ。無礼講。

「何もなかったろうよ…。あ、言っとくけどな、あの時の俺はおまえとどうにかなろうなんて下心は微塵もなかったんだぜっ!」
 乱馬は思わず声を上げた。
「しっ!二人が起きちゃうわ。」
 あかねが慌てて乱馬の口を塞いだ。未来が寝返りを打ったが、目覚めることなくまた寝息を立て始めた。
 二人が起きなかったのを胸を撫で下ろして、乱馬は続けた。
「あの時は、目の前のおまえに夢中でキスしたことは確かだけど…それ以上は望まなかったんだからな…。」
 乱馬は動揺しながらも、あかねに答えていた。
「わかってるわよ…。だって、あれから結婚するまで乱馬ったら何度、キスしてくれた?」
 あかねが言うと、乱馬は指折り数え始めた。
「ええっと、あんときと、あんとき…それからあれと…。」
「もう…数えないでよ。デリカシーがないんだから…。ほら、ホントに数えられるくらいしかキスしてくれなかったじゃないの。」
「手が出せなかったんだ。あれ以上は…。おまえを壊すのが嫌だったから。それにまだ修行中の身だったし…。おまえだって、それ以上望まなかったからこそ、俺のこと信頼してついてきてくれたんだろ?そのくらい俺のおまえへの想いは純粋だったんだからな…。」
「あの頃はプラトニックラブだったからね。私も乱馬も。」
「今だって充分、プラトニックラブだと思うけどな…。」
 乱馬はくすっと笑った。
 あかねは少し意地悪を言ってみたくなった。
「でもね、私のファーストキッスってあの時じゃなかったのよ。」
「へ?」
 乱馬は固まった。
「おまえ、俺と交わしたのが初めてだって言ってたじゃねえか。嘘だったのか?」
 乱馬は旋毛を曲げかけていた。あかねの言葉にショックを受けたのだ。
「もう…そんなにムキにならないでよ。私のファーストキッスの相手は乱馬なんだから。でも、あの晩じゃなかったのよ。覚えてないの?」
 乱馬は首を傾げた。身に覚えがなかったからだ。
「乱馬、猫化してたからなあ…。」
 あかねが笑いながら言った。
「あ…。そっか…。」
 思い当たる節がある。出会って間がない頃、学校で暴れてて、膝にのっかってあかねにキスしたことがあったっけ。
「証拠写真もまだ持ってるわよ。」
 そう言ってあかねがいたずらっぽく笑った。
 証拠写真…そういえば、五寸釘が撮った写真があったっけ…
「乱馬が猫化して覚えていないのも結構あるんだよ…。」
 あかねはくすっと笑う。
 猫化するとわけがわからなくなるからと言い訳したかったが止めた。猫化していても、あかねが好きだから夢中になってしまう訳で…。結果的には同じことだと思ったからだ。
「でも、乱馬のファーストキッスの相手は私じゃあなかったわよね。」
 あかねはまだいたぶってくる。
「おまえだよ。」
 乱馬はムスっとして答えた。
「あれ?三千院帝じゃなかったっけ?格闘スケート勝負のときにリンクで…。」
 あかねは笑いながら答えた。
 思い出した。スケートが上手く滑れなかったらんまに三千院が唐突に唇を重ねてきたのだった。恥辱の唇だった。
「あ、あれは、女に変身してたときだから、数のうちにゃあ入らねえぞっ!」
 乱馬は子供のように食って掛かった。明らかに狼狽していた。あかねはまだ許してやらないと言わんばかりに言葉を続けた。
「乱馬って油断してるから隙が生じるのよ。シャンプーにだってキスさせちゃったし…。あれからシャンプーに追いまわされちゃってさ…。だらしないんだから。」
「おめえ…まだ根に持ってるのか?シャンプーを負かしたときのこと…。」
 乱馬は呆れていた。
「うん…許してやんないもん…。許婚の私を差し置いてさ…。」
「やきもちやき…。」
 ぼそっと乱馬が言い放った。
「何よ…悪い?」
「可愛くねえなあ…その言い方。」
「ふんだ…。」
「でも…」
 乱馬は真っ直ぐにあかねを見た。
「俺にとったら、あのイブの晩が自分で望んだ初めてのキスだからな。」
 そう囁いて、乱馬はあかねを自分の傍にぐいっと抱き寄せた。
「…おまえがなんと言おうとあれが俺のファーストキスなんだからな…。覚えとけ…!」
 吐き捨てるように言うと、腕を伸ばして引き寄せた。
「だから…イブに喧嘩売るのはご法度だぜ…。」
 乱馬はなかば強引に抱き寄せたあかねに自分の唇を重ねた。

 喧嘩も恋も想い出も…熱い唇の前では白紙になる。
 あの長い不器用なキスから十年。二人を取り巻く世界は変わったが、想いだけは変わらない。
「じゃあ、イブだから、普段より優しくしてくれる?」
 唇を離したあかねがいたずらっぽく笑顔で夫を見上げる。
「ばーか。俺はいつだって優しいよ。おまえには…。」
「嘘ばっかり…。」
「嘘じゃねえ!」
 そう言って乱馬はまた唇にそっとふれた。
 
 父と母の愛のささやきが聞こえたのか、傍らで、二人の愛の結晶たちが、同時に寝返りを打った。
 あどけない龍馬と未来の笑顔は二人の宝物。
 あかねの耳元で、エンジェルドロップの耳飾がゆらゆらと幸せそうに揺れた。天使が微笑むように。
 
 ここから先は二人の時間。
 明日はクリスマス。








一之瀬的戯言
「ANGEL DROP」番外編
 実は本編よりこっちが描きたかったらしい。
 クリスマスにほのぼのとした気分になっていただければ幸いです。

 イブの夜は親にとっては楽しいもの。子供が小さい頃は、あの手この手でプレゼントを考えていたものです。
 これを書いた当時まだサンタの存在を信じていた小学低学年の娘。その時のリクエストが「らんまグッズ」だったので、探し回りました。アニメ放映が終って数年経っていたので、まんだらけ梅田店まで買いに走りました。そこで見つけて買ったのはらんまのCDと書店販促用タペストリーです。
 手紙の描写は実話から叩きました。まだ低学年だった息子と幼稚園児だった娘が書いてくれた「イブに来てくれたサンタさんへのお礼の手紙」は今でも私たち夫婦の宝物。
 子供たちに夢がなくなって久しいと言われていますが、こういう親の企みごとは楽しいものです。
 子供が成長してしまい、今の私には古き良き思い出の一つになってしまいましたが。


 I wish your Merry Christmas!!


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