雨の七夕



「年に一度だけだなんてさー、可哀相過ぎるわよね・・・。」
 
 唐突にあかねが言った。

「あん?」

 何の話かわからないような顔つきで乱馬はフェンス下の許婚の顔を覗きこむ。
 川べりの民家の軒先に笹の葉が色とりどりの折り紙や短冊をつけて揺らめく。

「だから、今日は七夕じゃない・・・。」
 あかねはふっと言葉を吐き出した。
「七夕ねえ・・・。」

 どうやら彼女は織姫と彦星の話をしていたらしい。
 七月七日。年に一度だけの逢瀬を楽しむ天界の恋人達の日。
 そこへ雨がパラパラときた。

「うへっ!やべーっ!!」
「やだっ!振って来ちゃった!」
 傘を持っていない二人は、途端に雨の中を走り出す。
 乱馬は男から女へと変化する。
 七夕の話しどころではない。
 家に帰り着く頃には、乱馬は女にすっかり容姿を変えていた。あかねも制服が水に濡れて滴っている。まだ、梅雨は明けていないことを思い知らされる瞬間だ。

「チクショーっ!朝は晴れてたから油断したぜ・・・。」
 タオルで頭をしばきながら、女になった乱馬はブツクサ物を言う。
 不都合な身体になってかなり長くなるが、ジタイハ少しも好転に向かず、まだ「女」を半分引きずっている乱馬であった。
 全身濡れたので、あかあねと順番こでシャワーをした。
 湯上りでさっぱりと男に戻る。
 風呂場から茶の間へ涼みに来ると、先にあがったあかねがウチワを携えて縁側に座っていた。

「お・・・。今年も七夕飾りかあ・・・。」
 軒先で雨に打たれる笹の葉。
「かすみお姉ちゃんがね、また貰ってきたみたいね・・・笹。」
 もう、子供は居ないのだから七夕飾りなんて・・・。そう思うのだが、何故か何処からともなく笹の葉を調達してくる姉にあかねは毎年、敬意を表していた。
 去年ほど大掛かりではないが、ちょこんと折り紙の飾りがつけられている。それに混じってマジックで書かれたお願い事・・・。
『早く完全な男に戻れますように・・・。』
 乱馬は例の如く例のように書き連ねた。彼の最大の願いだろう。
『不器用が少しでもましになりますように・・・。』
 その隣であかねの短冊も揺れる。

 雨足は夜になっても収まらなかった。
 今年は七夕縁日が先送りになるという。雨天決行ではなかった。
 早雲も玄馬も町内の縁日の取りやめについての寄り合いとかで出かけてしまった。
 なびきは何やら商売で忙しいらしく、とっとと自室へ引っ込んだ。
 かすみとのどかは夕食の後片付け。
 茶の間にぽつんとあかねと乱馬が残されて、ぼんやりとテレビを観ていた。

「今年は夜空が拝めそうにないわねえ・・・。」
 あかねはポツンと言った。残念そうな響きがした。
「何らしくねえこと言ってんだよ・・・。」
 溜息交じりで呟いたあかねに乱馬は思わず言葉を返していた。
「だって・・・。」
 そう言って言葉を止めた。
「あんなあ・・・。七夕っつうても、昔話の世界だろ?星が一晩でくっつくなんて非科学的な事ねーんだしよ・・・。そんなにおめえが気にすることでもねえだろ?」
 胡座をかきながら乱馬が言った。
「そうねえ・・・。あんたって浪漫の欠片ひとつ持ってないものねえ・・・。」
「何だよ、それ?」
「昔話かもしれないけど・・・。でもさ、一年に一回の特別な日に雨が降ったのよ?運動会や遠足とは違って、延期はないんだもの・・・。」
「あんなあ・・・。」
 乱馬は座り直してあかねの傍へと寄った。
「雨降ったからって、天上世界はかわらねえんだぜ・・・。星の世界に雨が降るなんて聞いたことねえしよ・・・。俺達が見えねえだけのことじゃねえのか?」
 そうなのだ。
 星の瞬く世界は、垂れ込めた雨雲よりも遥かに上にある。地上で雨が降ろうが晴れようが、そんな些細な事に左右される筈もない。
 あかねは乱馬の方を顧みた。
「そうかな?じゃあ、逢瀬は・・・。」
「見えねーだけで、織姫も彦星もちゃんと逢瀬を楽しんでいるだろうよ・・・。地上から見上げられねえ分、二人っきりでいいかもしれねえじゃんか・・・。だから、おめえが心配するようなことじゃあねーだろ?違うか?」
 あかねの表情が少し明るくなった。
「そうよね・・・。そうだわよね・・・。雲の上の世界では、雨なんか無縁よね。」

 何、いちいち感心してやがるんだ・・・

 乱馬はふっと溜息を吐いた。

「乱馬、ありがとうっ!!」

 次にこう来た。なんとも輝かしい笑顔を向けるのか。
 乱馬はその笑顔の眩しさに、少しだけ我を忘れた。
「おうよ・・・。」
 よく回らない舌でそう返事して、また横になって窓の外を見上げた。
 
 軒下の笹飾りがゆらゆら揺れた。






「ねえ、今年も雨降っちゃったわね。」
 あかねは隣に寝そべる夫に言った。
「仕方ねえさ・・・。この時期、まだ、梅雨真っ只中なんだから・・・。」
 やれやれというような表情で乱馬は妻を覗き込む。
「天の二人・・・。会ってどんな時を過ごすのかしら・・・。一年に一回だなんて・・・。」
 お伽話の世界とわかっていても、あかねは他愛なく訊いてくる。大人になって子供を成した今でもそれは同じ。
「さあね・・・。一年に一回だから、きっと、募る話があるんだろうよ・・・。いや、案外、話になんてならねえかもしれねえな・・・。俺だったらきっと・・・。」
「きっと?」
「何も言わないで、ずっと抱いてるかもな・・・。」
 
 さわさわと雨と一緒に風が流れてきて、軒先の風鈴をかすめた。

「寂しいよね・・・。一年に一回なんて・・・。」
 あかねがぽつんと言った。
「それでも、一年に一回、会えるんだったら、牽牛も織女もそれで満足してるかもしれねえぞ・・・。隔てる時なんて、二人には辛いことかも知れねえが、その分育める愛もあるだろう?」
「そうね・・・。」
 あかねは寂しげに笑った。自分なら耐えられない時の長さ。それでも確実に会えるというなら・・・。

 雨音がまた激しくなった。ざあざあと耳にこだまする。
「この雨は、二人が流す涙雨じゃなくて、多分、溢れる想いの水なんだろうよ・・・。時が隔てようと、どんな苦渋があろうと、愛し合ってるものにはなんでもねえさ。天の二人はきっと、互いの一年分の想いを一晩の中に燃え尽くさせるだろうから・・・。」
「互いの一年分の想いかあ・・・。それを秘めて逢瀬に臨むのね・・・。」
 あかねがそっと雨空を見上げた。

「一つだけ言っとくけど、あくまでそれは昔話の空の上でのことだからな・・・。自分に当てはめんなよ。」
 あかねの寂しさがたまらなくなった乱馬は腰を上げると、自分の方へと抱き寄せた。
「乱馬、大人になったわね・・・。」
 抱き寄せられた腕の中であかねはふっと言葉を継いだ。
「何だよ・・・それ・・・。」
くすっと笑って、乱馬はあかねを両腕で包んだ。
「俺はいつも此処に居るから・・・。」
 それから耳元で囁くと、柔らかく微笑んだ。

 軒の笹飾りがゆらゆら揺れる。

 深く長い夜の契り。
 天の二人も地の二人も、相手への想いは変わらない。
 永久不滅の不変の情話、七夕伝説。








七夕小説未来編
新婚の二人をイメージして創作したもの。

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