◆穏やかな視線


 寒の戻りがあった春の休日。私は乱馬と二人で出掛けた。
 「花冷え」。 桜の花の頃に戻る、寒さをこう言うらしいが、それにふさわしいように北風が吹き抜ける寒い一日。
 今日は珍しく乱馬の方から誘ってきた。
「たまには二人でっていうのもいいんじゃねえか…。」
 はにかみながら誘ってきた。断る理由もなかったので二つ返事。断るどころか本当は嬉しかった。
「雪でも降りそうな気配ね。なんだか今日は冷えるもの…。」
 ついついいつものように、からかい口調が唇を揺らす。
「ちぇっ!相変わらず可愛くねえなあ。おまえは…。」
 乱馬は舌打ちしながら笑った。
 なびきお姉ちゃんもお父さんたちも所要で出かけていて、送り出してくれたかすみお姉ちゃんが「ゆっくり楽しんでらっしゃいな…。」と少しお小遣いを握らせてくれた。

 外は思ったより寒かった。
「もう春だというのに、今年は気候が変ね。」
 吐く息も心なしか白い。雪は流石に舞い降りてこなかったけれど、空はねずみ色。
「雨、大丈夫かな?」
 乱馬は雨が気になるらしい。
「どうして?」
 って尋ねたら
「折角の…に雨なんて降って欲しくねえに決まってんじゃんか…。」
 小声でよく聴き取れなかった。けれど、「デート」って言葉を口で形どってたね。そんな風に思ってくれているだけでいいよ。私は返事の代わりに微笑みを返した。
「で、何処へ連れて行ってくれるの?」
と訊いたら、
「いいじゃん。何処でも…。ちょっと遠出しようぜ。」
 乱馬はぶっきらぼうに前へと歩き出す。ポケットに手を突っ込んだまま。あまりくっついていると、必ずお邪魔が入るもんね。

 練馬から電車を乗り継いで、乗り継いで…。やって来たのは港町ヨコハマ。
 別に何処でもいいの。二人なら…。
「横浜って何処と無くお洒落な街だね。」
 百貨店の脇からウォーターボートに乗ってみた。
 潮風がちょっと冷たかったけど心地いい。なんていい気分。乱馬はよほど水が嫌なのだろう。船べりへは出ようとせずにずっと真ん中で座っていた。
 山下公園で降りて、空気を吸い込む。大きな船の桟橋が近くに見える。
「お昼は中華街だな…やっぱ。」
 今日はチャイナ服じゃない乱馬。おばさまが見立てたタートルネックの茶色のセーター。お下げ髪をなびかせてきょろきょろ辺りを珍しそうに見回す。中華街は観光客で溢れていて、露店で点心を買ってぱくつく。
「ねえ、どうして横浜へ来たの?」
 と訊くと
「なんとなく…。来たかっただけだよ。」
 素っ気ない返事。でもわかるの。ちょっと照れてるんでしょ?
 いつも見慣れたチャイナテーストの乱馬だけど、今日はちょっと違って見えた。
 楽しいの。二人で歩く街並みは。それがたとえ何処であろうと。
 中華街を抜けて、伊勢佐木町まで歩いた。馬車道の石畳、繁華街を抜けてランドマークタワーまで。結構な距離だけど、二人でいれば、遠いって感じないから不思議なものね。
「高いな…なんでこんなもの作るんだろ。人間は。」
 ランドマークタワーを見上げて乱馬は呟いた。

 すっかり辺りの日は落ちて、ぼちぼち一日の終わり。
 珍しく今日は喧嘩もしなかった。ううん。あまり言葉は交わさなかったね。黙って一緒に歩いてたね。照れ臭くて、手も繋げない。そんな私たち。肩を並べて黙々と歩いてた。
 みなとみらいの大きな観覧車。一番星が瞬く頃、夕闇に栄えて美しくイルミネーションが輝き始める。渡る潮風に揺られながら、ふっと溜息を吐く。
 その時私は感じたの。乱馬の視線。すっと真っ直ぐに私に向って伸びてくる穏やかな眼差し。目を上げるとぶつかった。


 
 ねえ、そんな目で見詰めないでよ…。心がどうにかなっちゃうじゃない。

 乱馬の暖かい穏やかな視線は、私の全てを持ってゆく。その澄んだ瞳の海へ溺れそうになるのが怖くて、私はそっと目を反らす。これ以上あなたの穏やかな瞳を見詰めていたら私は…。
 遠くで汽笛が鳴った。
「帰るか…。」
 乱馬がそれに反応するかのようにそっと呟いて私の肩に手を置いた。
 楽しい時間はすぐに過ぎてゆく。同じ屋根の下に居ながらも、こんな時間は殆ど持てない。普段は顔を合わせても家族の手前、なんとなく気恥ずかしいもの。
 優しい時間を愛しむように、触れた彼の手は私の肩へ置かれたまま歩き出す。それ以上のリアクションも、愛の言葉もない不器用な恋愛。けれど、乱馬の触れた手から溶け出した想いは私を柔らかく包む。
 口が悪くて喧嘩っ早くて、態度がでかくて、強引で、ナルシストで優柔不断。どうしようもないほど最低な奴だった筈のに、いつしか私の心は根こそぎ彼に持っていかれた。他の誰も入る余地がないくらい、今はあなたへの想いが溢れている。
 愛を語り合うのに言葉は要らない。
 やっとこの頃それが少しずつわかりかけてきた。
 何気ない優しさ、立居振舞の中に存在する甘い想い。
 ねえ乱馬。私にもあなたの心、少し分けてね。他に望むものがあるなら、ずっと傍に居て欲しい。大好きだから。立ち戻れないほど愛してしまったから。

 乱馬は私の心が読めたのか、置いた手で私の肩を引き寄せた。穏やかな視線が上から注がれる。立ち止まってそっと見詰め合う。
 煌めく街のイルミネーションは、二人の世界を照らし出す。乱馬の瞳の中に永遠に輝く絆が見えたような気がした。
 
 また誘ってね…乱馬。
 私は肩に置かれた彼の手に、そっと自分の左手を重ねた。








一之瀬的戯言
結城さきやさんから剥ぎ取ったイラストに作ってみたかった小説♪
これ以上はないってくらい、自分の乱馬君への想いが溢れている文章です(汗
これってやっぱり精神的浮気なのかも?(断っておきますが、旦那とは子供らが呆れるくらい仲良しです)
舞台は横浜みなとみらい…。
実はわが一家、生駒(奈良県)に来る前は横浜市民でした。…その前は王寺町民(奈良県)どしたが…。


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