花供養



 淡い春の陽射しが木漏れ日となって降り注いでくる昼下がり。カーディガンだけを羽織って家を出てきた。手には新聞紙に包んだ花。桔梗の濃い青と菜の花の黄が映える花束。
 暑さ寒さも彼岸まで。その言葉どおり、最近はめっきり春めいてきて、心なしか吹き抜ける風も柔らかい。
 ピピピと鳥が羽をばたつかせて飛び立つ気配にあかねはふと足を止めた。そして、遥か空を眺めた。浅い青の色に雲はのどかに風に揺られて浮かんでいる。
 目の前には通いなれた山門。石段が遥か上まで続く天道家の菩提寺だ。いつの頃からそこに建っているのか。武道の家らしく、禅の宗派らしい。先祖代々の墓がここにいくつか建ち並んでいる。
 もうすぐ彼岸だというのに人影は無い。きっと彼岸に入ってから、墓参の人々が押し寄せるのだろう。あかねはそんな賑わう墓地があまり好きではなかった。家族連れや爺様婆様が我先にと山門を駆け上がる風情。特に嫌悪を感じているわけでもなかったが、人々がやって来る日を避けていつもここへ参るのである。
 勿論、家族たちと彼岸の中日にやってくることもあったが、ここ二、三年は、こうやって先に来るようになった。

(今回も先に供えられているのかな・・・。)
 
 あかねはそんなことを考えながら階段を上がる。そして通い慣れた墓所へと向かう。
 母が静かに眠る場所。
 天道家の墓所は何の変哲も無いごく普通の墓石と墓碑が立つ。先祖代々という表文字に建立された日が彫ってある。その脇に建つ墓標にはここに眠る人々の名が入っている。
 古い墓を合祀した墓標。五十年、百年と年月が流れると、亡くなった人は祖霊としてその家を守ってくれるという。そんな話を子供の頃亡くなった祖母にきいたことがある。だからこうやって欠かさずに、守ってくれる祖霊に感謝しに彼岸には墓へ詣でるのだと、歯が抜けた口をほころばせて笑っていた祖母の顔が浮かんでくる。その祖母もここへ眠っている。そして、その祖母が亡くなってそう遠くないうちに、母も土へ返った。
 ここへ来ると、いつも目に付く墓所がある。
 天道家の墓所からそう遠くない位置にある普通の墓だが、あかねが詣でると、いつでも花が瑞々しく供えられてあるのだ。そこへ眠るのは余程忘れ難い人なのだろうか。
 愛妻家である父でさえ、月命日くらいしか来ないのに。
 あかねはいつもその墓を繁々と眺めて、母のところへ詣でるのである。

(あれ・・・今日はないのかな。)

 あかねは目的の墓を見て、怪訝に思った。
 いつもは真新しい瑞々しい花が供えられているその場所は、今日は心なし寂しげに見えた。
 この墓に供えられるのは明らかに売っている仏花とは違う様相の花である。いつも二種類くらいのこじんまりとした季節の花が添えられているのである。
 故人が花の好きな人だったのか。それとも詣でる人が花を愛でる人なのか。
 あかねはいつも足を止めてその墓の花に見入った。
 だが今日は瑞々しい花がない。元気のない枯れかけた花がぽつんと入れられただけだった。
 あかねは何故か悲しくなった。
 忘れ去られたのか。それとも、何かの理由でいつも詣でる人が来れないで居るのか。

 はあっと漏れる溜息。あかねはその墓の傍を通り抜けると、母の眠る場所へと足を進めた。
 母の墓所。ここにも枯れかけた花が入っている。
 先月の命日に父が詣でたままなのだろう。
 父も月命日には花を抱えてここまで上がってくるのだ。仏壇への花と供え物は欠かしたことがない。蝋燭と線香をあげてその日の出来事を逐一、母の遺影に語り掛けるのが日課になっているのだ。母が亡くなってとうに十数年経っていたが、父は今でも母をこよなく愛している。
 あかねはというと、ときどきこうして思い出したように母の元へと通う。
 心に何かわだかまりがあるときに、こうやって尋ねるのが最近の常になっているような気がした。勝気なあかねは、決して人に弱みは見せない。だが、心根は強気な上辺と違い、ひ弱な部分がある。
「あのね・・・お母さん。また彼と喧嘩しちゃった・・・。」
 あかねは堰を切ったように墓石に向かって喋り始める。
 辺りに誰もいないことを確かめると言葉が自然に流れてゆく。
 木立は静かに少女を見下ろしてかさかさと葉を揺らめかせる。木漏れ日がその上から微かに落ちてくる。
「だって・・・。乱馬ったら酷いのよ。いつもいつもあたしを置いて出かけちゃうんだもん。それも一度出たら十日も帰って来ないことが多いのよ。何やってるのかしら・・・。」
 まるで墓石に母の面影を見るように甘えた声で話し出す。勿論、墓石は黙ったままあかねの言葉を静かに聞き入る。
「そりゃまあ、あたしは料理が下手で、てんで彼の口に合わないことも知ってるわ。だけど、あたしだって努力してるのに・・・。お父さんたちは夫の帰りを待つのは妻の勤めだなんてとぼけたことを言うし。頭にきちゃうと思わない?」
 好き放題に心を言葉にする。
「あーあ・・・。女の子に生まれたくなかったなあ・・・。女って損よね、お母さん。」
 母は笑いながらそんな戯言を聞いているのだろうか。
 そんな想いをふと感じた。
 花を生け直し、軽く掃除をする。夏ではないから草はない。そして、蝋燭と線香を灯す。もわっと煙が棚引いて、ささくれ立っていた心が少し和んだように思う。
 ここは癒しの場所なのかもしれない。
 あかねは手を合わせながらそんなことを思った。

 帰りがけ、あかねはさっきの墓に花が生けられてあるのを見つけた。
「あれ?」
 さっきまで枯れかけていた花は紅梅ともう一つ、黄色みがかった梅と同じような花の枝が供えてあった。
 黄色の梅。そんな不思議な花だった。
 あかねが思わず足を止めて見入っていると傍で声がした。

「その花は蝋梅(ろうばい)ですよ、お嬢さん。」
 振り返ると、一人の老婆がにっこりと立っている。
「ロウバイ・・・ですか?」
 あかねは思わずそう問い返していた。
「ええ・・・。そうです。蝋燭の蝋の梅と書いて「ロウバイ」と読むんです。」
 老婆は細い目を皺のように寄せながら顔中で笑みを浮かべていた。
「蝋梅・・・。蝋の花。」
 確かに良く見れば、花びらが蝋でできているようにも見える。
「蝋細工に似ているということでそんな名前がついたのでしょうかね・・・。」
 老婆はそう言うとあかねに枝を差しかけた。
「触って御覧なさいな。」
 あかねはその花を手にとってみた。ポロンと花がほころび落ちた。
「本当は素心蝋梅(そしんろうばい)という花なんですよ。でも、冬の花だから、もうそろそろ終わりだわね。もう春ですもの・・・。」
 そう言いながら寂しげに笑った。
「冬の花なんですか?」
 あかねは問い返した。
「そうなの。花の少ない冬に咲く花だから、喜ばれた花なのよ・・・。でも、春の到来と共にこうやって散ってゆくの。不思議ね・・・。」
 老婆はそう言うと一つ溜息を吐いた。
 人々が待ち侘びる春になると散る花。そんな儚い花もあるのかとあかねは繁々と手にした枝を見詰めた。
「昔は、花と言えば桜ではなく梅だったのにね・・・。」
 老婆は供えられた紅梅をちらりと見やった。
「梅にもね白梅と紅梅と二つあってね、万葉の昔には白梅が、平安になってからは紅梅が愛でられたというのよ・・・。」
 老婆は花が余程好きなのであろうか。そういえば、国語の教師が和歌の講義の時に「万葉集には桜よりも梅を詠んだ歌が多く、奈良時代は花といえば梅のことをさしたのだ。」と言っていたのを思い出した。
「墓にはあまり相応しくない花かもしれないけれどね・・・。」
 そう言うと老婆はやおらその花をあかねが見ていた墓へと生けかけた。

(このお婆さん、このお墓を守っている人なのかしら・・・。)

 あかねは黙ってその後姿を見た。灰色の上品な着物を着たその老婆は、花を生け終わるとちょこんと手を一つ合わせた。
「あなたもお墓参りなの?」
 老婆は人懐っこく話し掛けてきた。
「え、ええ・・・。」
「どなたかしら?お婆様か誰か?」
「母です・・・。」
 あかねはぽつんと答えた。
「まあ、お母様。そう・・・。」
「子供の頃に亡くなったのであまり母との思い出は数ないあたしですけど・・・。折に触れてこうやって母に会いにくるんです。」
 あかねはあっさりと答えた。
「それは故人もお喜びでしょう。こうやって直接詣でるのは、何よりも供養になりますからね・・・。」
「失礼ですが、お婆さんは?」
「あ、あたしですか?主人の墓ですの・・・。」
 老婆はふっと口をつぐんだ。
「主人と言っても、たかだか一週間ばかりしか一緒に居れなかった人ですけどね。」
「え?」
 あかねはきょとんと老婆を見た。
 それから墓へと目を落とした。墓碑銘がある。俗名と戒名が刻まれた石には昭和二十年という文字が見え隠れした。太平洋戦争の終結した年だ。
「今から半世紀以上前、あった、戦争のために、添い遂げることができなかった人の墓です。それも、結局はお骨すら返って来なかった人の・・・。」
 風がさわさわと吹き抜けて木立がざざざと鳴った。
「出兵か何かなさってたんですか?」
 あかねは小首を傾げながら老婆を見た。
「ええ・・・。赤紙が一枚、それであの人は行ってしまった・・・。私とこの人は許婚同士だったんです。それも親が決めた。あの当時はそれもごく普通にあることでしてね、今の人たちには理解できないかもしれませんがね・・・。」
 あかねは黙って老婆の話に耳を傾けた。己にも許婚がいる。それも、親や姉たちがかってに押しつけた許婚が。
「当時は私も若かったから、背伸びして、親に反発して・・・。結婚なんてと向こう見ずを張っていたところもあったのよ・・・。そんなお転婆で跳ね返り小娘の私でもあの人は笑って見詰めていてくれた。私のことを大切に想っていてくれた・・・。でも、反発していても私は本当はあの人を心から愛していたのね。あの人に赤紙が来て、慌ただしく祝言を挙げて・・・それから戦地へと赴いて行ってしまったの。私の心にもう少し素直な部分があったなら、きっともう少し長く一緒に居られたでしょうね・・・。もし心残りがあるとしたらそれだけ・・・。本当に愛していたのなら、もっと早く、形にすれば良かったって・・・。そうすれば、二人の時間をもう少しだけでも長く持てたかもしれない・・なんて。」
 老婆の「素直」と言う言葉に思わずびくんと心が動いた。「素直さの欠片もない、かわいげのない女」それがまさに己と同じ、そう思ったのだ。
 強がって突っ張って、頑強な心の壁を自分で作っておいて、その中へと閉じこもる。
 そして「好き」と言う言葉はいつも置いてけぼり。
 本当は甘えてみたい。何処にでも居る仲の良いカップルのように腕を組んで闊歩もしてみたい。
 でも、つまらない自尊心やわだかまりがそれをきっぱりと拒否してしまう。
 結果いつも口喧嘩。そしてお決まりのような彼の口癖の「かわいくねえっ!」が連呼される。
 
「でも・・・。」
 老婆は考え込んでしまったあかねを見て微笑みながら言葉を続けた。
「心残りはあったけれど、この人と夫婦になれたことには後悔はしてません。確かに、もっと早く素直になっておけば良かったと思うことはあっても、その後の自分の人生に悔いはないの。運良くこの人の忘れ形見を残すことができたから・・・。」
「忘れ形見?」
「ええ・・・。たった一週間の交わりだったけれど、息子を一人授かりました。女はね、いいですよ。母となり愛した人の子供を産み育てることができるんだから・・・。きっとあなたのお母様も、夭逝なさったでしょうけれど、ご自分の人生は後悔していないと思います。たとえ、早くに身罷っても、愛する人との間に分身を残していかれたんですものね・・・。志半ばで人生を閉じてしまわざるをえなかったけれど、あなたの中に確かにお母様の血は受け継がれ、また次へと繋がっていくんですもの。」
 老婆はそう言いながら花を生けた。
 己の中に流れる母の血は、己が愛した人によって再び次の世代へと受け継がれてゆく。いつか自分も彼の子を身ごもることができるのだろうか。
 そう考えた時、はっと顔が熱くなるのを感じた。
「ここに生まれてきてよかった、そして、この人に出会えてよかった・・・。苦労もたくさんしたけれど、私は不幸ではなく、幸せだった・・・。あなたもそう思える人に出会えたらいいわね。いえ、もう出会っているのかもしれないわね。あなたも大好きな人の子どもが産めるといいわね。」
「もう出会っている」、あかね自身もそう思いたかった。この恋が最後。そう願いたかった。
「さてと・・・。生け終わったわ。」
 老婆はそう言うとにこっと笑顔をあかねに差し向けた。
「お嬢さん、この花をあなたのお母様に。残った花で悪いんだけれど、このまま捨て置くのも勿体無いような気がして・・・。」
 あかねの手に蝋梅を持たせかけた。
「でも・・・。」
「遠慮はしないでいいのよ。これも何かの縁だから・・・。」
 そう言いながらあかねに差し出した一振りの小枝。
 老婆の手は冷たかった。きっと風に吹かれているうちに手先が冷えてしまったのだろう。
「これで私の仕事はお終い・・・。行かなくちゃ・・・。」
 老婆はあかねに笑顔を差し向けるとふっと空を見上げた。
「え?」
 あかねが不思議そうにそう言い掛けたとき、一陣の風がごおっと音を経てて吹き抜けていった。思わず風の勢いに煽られ、流されそうになって、あかねは地にしっかりと足を踏ん張った。
 

「あかねっ!」
 耳元で声がした。
 さっきまで鳴っていた風は止んでいた。
「あ・・・。」
 あかねは思わず彼を見上げた。
「たく・・・。一人でさっさと出かけやがって・・・。そしたら案の定このあんばいだ。」
 そう言いながら延ばしてくる手。
「何よ・・・。」
 振りほどこうとしたら遮られた。
「馬鹿・・・。そんな身体でここまで辿るから、またぶり返したんだろ?風邪。」
 乱馬は怒ったようにブスッと言い放つ。
「ほらこんなに手が熱い。熱また上がったろう。」
 乱馬はじろっとあかねを見た。
「修業は?」
 あかねはたっと振り返って乱馬を見た。
「止めた。気になって修業どころじゃねえだろうし・・・俺はまだそんなに精神的に強くねえしな・・・。」
 最後のほうはもごもごと言って聞き取れなかった。
「何が気になるって言うのよ・・・。」
 あかねは思わず声を荒げる。
「鈍感っ!」
 そう言い放つと乱馬はくるりと背を向けた。
「ほら、負ぶされ。」
「何で・・・。」
「あのなあ・・・、おまえ俺がここへ来なかったらどうしてたつもりなんだよ。いい加減にしろよ。そんな身体でここへ来るから、辛抱溜まらずに座り込んでへたり込むんだ。」
「へたり込んでなんか居ないわよ・・・。」
「じゃあ、何してたんだ?」
「お婆さんと話し込んでた。」
「はあ?」
 乱馬はきょとんとあかねを見た。
「婆さんなんて何処にもいねえぞ・・・。」
「うそ・・・。さっきまでそこの梅の花のある墓で・・・。」
 あかねは絶句した。さっき話していた老婆が居ない。そればかりではなく、その墓に蝋梅も紅梅も陰形がなかった。
「おめえ、大丈夫か?熱に浮かされて幽霊か幻でも見ちまったか?」
 乱馬はにっと笑ってあかねを見た。
 あかねは黙ってうつむいてしまった。
 熱に浮かされて幻でも見ていたのだろうか。
「あれ・・・?その花・・蝋梅か・・・。」
 乱馬はあかねが握り締める一振りの見事な枝を見つけてそう言葉を継いだ。乱馬に言われて、手に蝋梅の枝を持っていることに改めて気がついた。
(この枝・・・。やっぱり夢じゃなかったの?)
 あかねは辺りをキョロキョロと見回してみた。が、老婆の姿は影も形もない。そればかりか、蝋梅と紅梅が生けられている筈の墓には、さっきの枯れかけた仏花が風に揺られていた。
 乱馬はあかねの手からその蝋梅を取った。
「いい匂いだよな・・・。この花。蝋梅・・・。冬の最中に懸命に咲くんだからな。強い花だよ。」
 乱馬はそう言うとふっと表情を緩めた。
「乱馬・・・。この花の名前知ってるの?」
 あかねは覗き込んだ。
「ああ・・・。ずっと昔、ガキだった頃住んでた処の近所にこの花が咲き乱れてたんだ。ほら、俺が猫になるといつもあやしてくれた婆さんがさ・・・。その名前を教えてくれた。「素心蝋梅」ってさ・・・。ガキだったけど花の名前は覚えてる。どうしたんだ?どっかからか失敬してきたのか?」
「失礼なこと言わないでよね・・・。だから貰ったのよ。お婆さんに・・・。」
「ふうん・・・。ま、いいや。・・・折角だから、母さんに供えてあげればいいよ。」
 乱馬はポツンとあかねに言った。「母さん」という言葉を継ぐときに、照れが入ったのだろうか。少しだけトーンが低かったような気がした。だが、あかねはその言葉だけで充分だった。
 乱馬に手伝ってもらって、母の墓前に花を供えた。
 そして二人佇み、並んで手を合わせる。
 墓石の向こう側で母が笑っている・・・そんな気がした。目を閉じて母を思ったとき、一粒の涙が零れて落ちた。
 一粒零れ落ちた涙は心の雫。母への愛惜とそして傍に居る少年の深い愛情への感謝。

 手を合わせ終わったとき人の気配がした。
「お父さん早く・・・。」
「ほらひいおばあちゃんのお墓。」
 子供の元気な声が二つ。手を引かれながら四十そこそこの中年の男性が息を切らして墓へ入って来た。
 手には蝋梅と紅梅の花が揺らめく。あかねははっと振り返った。
 その親子はあかねがさっき居た墓へと花を手向けている。
「ひいおばあちゃん、喜ぶかな?」
「喜ぶよ、だって、蝋梅も紅梅も好きな人だったから・・・。」
 父親は笑いながら子供らに語っているのが聞こえた。
「きっとひいお爺ちゃんも喜んでるさ。お父さんもおじいちゃんも会ったことは無い昔に亡くなった人だけど・・・。ひいおばあちゃんと一緒になれてきっと喜んでるよ。」
「そうだね・・・。ひいおばあちゃん寂しくないよね。」
「ああ・・・。寂しがらせないためにも時々こうやってお参りに来ようね。」

 そんな会話が風に乗って聞こえてきた。
(そうか・・・。あの人たちのひいおばあさんだったんだ。あたしがさっき会ったのは。きっと・・・。)
 確信にも似た思いがあかねの上を通り過ぎた。
 きっと花を供えるためにあの人はあそこへと立っていたのだろう。そしてあかねと遭遇した。非現実的な話ではあるが、あかねはきっとその墓に眠る老婦人にめぐり合ったのだろう。そう思った方が自然だった。

「帰ろう・・・。このままじゃ、風邪こじらせるだけだぞ・・・。」 
 乱馬はぼんやり親子連れを見ていたあかねに声をかけた。そして、半ば強引に背中へと彼女を誘導する。
 あかねは大人しく彼の言うとおりに従った。何故だか分からないが、無性に彼に甘えたくなったのだ。
 乱馬の背中に負ぶさりながらあかねはじっとそのぬくもりを楽しんでいた。
 

「なあ、蝋梅の花言葉知ってるか?」
 帰り道、石段をゆっくりと降りながら乱馬は背中のあかねに囁きかけた。
「ううん、知らない・・・。乱馬、知ってるの?」
「思い出・・・。って言うんだそうだ・・・。」
「思い出・・・。」
 あの老婆は一体誰だったのか。今となってはもう知る術もない。ただの通りすがりだったのか。それとも・・・。だが、あかねはたとえ彼女が幻でも、それはそれで良いと思った。
 思い出の花枝。
 あかねの手には小さな枝が握られていた。
 さっき生けた花から少しだけ失敬してきた小枝だ。乱馬の広い背中の中でその花をそっと握りしめる。老婆の思い出、母の思い出・・・。
「ねえ、乱馬・・・。」
「ん?」
「あたしたちの時も思い出に変わってゆくのかな・・・。」
「バーカ・・・。らしくねえこと言うんじゃねえよ・・・。まだこれからだよ・・・。俺たちは。年寄りみたいなことを言うんじゃねえのっ!」
「そうね・・・。まだこれから・・・。これから恋も愛も成長するんだから・・・。」
 あかねはそれだけを言うと、そっと乱馬の背中に顔をくっつけて彼の匂いを嗅いだ。
 乱馬からの答えは無かった。
 返事の代わりに彼のおさげ髪がゆらゆらとあかねの目の前で揺れた。彼の背中越しにトクトクと心音が響いてくる。真っ赤な顔をしているのだろうか。乱馬は黙々と階段を下りてゆく。
 そのまま春風に揺られながら、あかねは眠りへと誘われてゆく・・・。小さな思い出の花とそして、恋する人の柔らかなぬくもりを胸いっぱいに感じながら。
「早く、風邪治せよ・・・。」
 乱馬は真っ赤に頬を染めながら、背中で眠ってしまった許婚に声をかけた。ふっとなずむ空にはぽっかりと白い雲が浮かんでいた。青空が一緒に笑っている。

 明日は彼岸の入り。
 きっと冬の寒さもこの日まで。桜の季節はもうすぐそこに。








暗いのは当時の私がかなり「ウツ」状態に入っていたせいです。多分。



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