第九話  皇祖母尊




一、


 その日、大海人皇子は荒れていた。


 乱馬は夜遅くまで彼を待って、邸宅へと連れ帰ったのであるが、泥酔激しく、彼が困惑するほどに千鳥足であった。


「たく…。兄上めっ!何を考えておるのやらっ!!」
 真っ赤になりながらも、憤慨している。酒臭い息を吐き出しながら、乱馬に肩を抱きかかえられる。
「大海人皇子様。しっかりなさいませ。」
 乱馬は酔っ払いの相手をしながら、夜道を行く。吐き出す息は真っ白い。ちらちらと雪が天上から降り下りてくる。


 あの後、何があったのだろうか。
 

 長い間、板の間に待たされて、乱馬も体が芯から冷えていた。だが、この主はもっと心が冷えているらしかった。
 大海人皇子は岡本宮からそう遠くない宮里に居を構えていた。清涼な木造の家である。広くもなく狭くもない。皇子として丁度良い広さだ。
 彼が帰宅すると俄かに表が賑やかになる。
 従事の女たちがバタバタと世話をしに群がってくる。燭台が頼りなく灯され、中へと導く。


「飲みなおしじゃっ!酒を持てっ!」


 平常の彼からは考えられぬほど、今夜は荒れている。まだ仕えて数週間しか経たなかったが、今夜のような様子は初めてだった。


「大海人様、そんなに飲んでは身体に障ります。」
 乱馬は脇から抱えながらつい咎める。
「何おうっ!舎人の分際で生意気を申すなっ!」
 吐き出される息が熱い。
「風邪をお召しになっては大変です。今夜はどうかご自重なさって…。」
「ばか者っ!こんな夜に飲まずにおれるものかあっ!」


 乱馬の後ろから千文が顔を覗かせる。
「こうなっちまったら仕方がないですよ。」とでも言いたげに。
 侍従の者が大慌てで酒の入った高杯を持ってくる。


「乱馬殿、とにかく、大海人皇子様の傍に居てさしあげなされ。人間、かように荒れているときは「孤独」なものです。」
 砺波の爺さんもそう言って乱馬にこそっと耳打ちする。


 乱馬は諦め顔で大海人皇子に付き合うことにした。このまま朝まで杯を重ねなければならないのか。乱馬はあまり酒を嗜まない。全く下戸ではなかったが、どうもあの甘苦い汁は苦手だった。少し飲んだだけで顔も赤らむ。元々酒には弱い体質だったのかもしれない。
 荒れていた大海人皇子も、宮に帰ってからは少し落ち着いたようだ。
「妃のところへおいでなされてはいかがですか。」
 と、この家を取り仕切る侍従に言われたが、
「今宵はこのまま静かに飲みたい。そうだな。乱馬、相手いたせ。」
 と断った。
 この頃の大海人皇子の妃は、大田(おおた)皇女と鵜野讃良(うのさらら)皇女が添い寝の主をしめていた。何故、今宵に限ってこの二人の妃、いずれのところへも行かなかったのか、乱馬には何となく理由がわかっていた。
 大田皇女と鵜野讃良皇女は同母姉妹であった。父は葛城皇子、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智郎女(とおちのいらつめ)。鵜野讃良皇女は後の持統女帝である。
 二人の姉妹妃は葛城皇子の皇女であった。そう、どうも、今夜の大海人の荒れ方は葛城皇子に要因があるようなので、その血縁に繋がる若き妃たちの元へは行きたくないというのが皇子の心情なのだろう。
 女の夜伽(よとぎ)よりも子飼いの舎人と飲み明かすことを選んだ。そんなところか。
 実のところ乱馬は大海人皇子の酒の相手をさせられるのは初めてであった。響の里に暮らしていた頃は、良く、父親の雲斎や爺様の八宝斎の相手をさせられてはいたが、高貴な相手と差し向かうのはこれが初めてだった。


 乱馬は何も言わずに、静かに大海人皇子と向き合った。
 皇子は未だ憤慨収まらぬ様子である。
「兄上め。何故に年老いた皇祖母尊(すめみおやのみこと)を戦に同行させようとするのだっ!」
 杯を手に、大海人皇子はぐちぐちと思うところを言い始めた。


 皇祖母尊とは皇統上の当主の祖母以上や女首長を表す普通名詞であった。この老女帝を皆は「皇祖母尊」と親しみを込めてそう呼んでいたようだ。日本書紀も斉明女帝のことをこう呼び習わしている。彼女が老女帝であったことを受けての表現なのだろう。


「皇祖母尊様を戦にですか?」
 乱馬は思わず目を丸くして問いかけた。
「そうだ。此度(こたび)の百済遠征に、皇祖母尊じきじきにお出ましいただくように、兄上は取り計らうというのだ。」
 憮然とした表情を浮かべながら大海人は吐き出すように言った。
「それは…。尋常ではありませんね…。」
 乱馬もこそっと吐き出した。
「なあ?おぬしもそう思うだろう?何故に、お年を召したわが母をわざわざ筑紫国まで連れて行かねばならぬ?そんな無茶な話がどこにあるのかっ!!」


 この時代、遠国へ旅すると言うことはとても大変なことであった。時々、近隣の温泉地へ保養を求めて天皇が御行することはあったようだが、大和から筑紫国となると、その容易ならざる道程は、述べるまでもないだろう。今の世でも、博多まで、新大阪から新幹線で数時間はかかろうかというもの。それを人の足で動くのだ。かかる日数も半端ではない。しかも、斉明女帝はもうそろそろ六十も過ぎようという老齢である。
 今の世ならば、まだ六十は若い年であったが、医療などない古代においては、かなりの長老の部類に入る。
 老女帝の出陣は準備だけでも膨大な財源が必要となろう。
「たく、兄上は何を考えておいでだ。いくら、わが国と百済は親密な関係にあるとはいえ、そこまで義理立てする必要があろうものか!」
 大海人皇子の愚痴もわかるような気がした。いつの世も戦争には人力と金が必要となる。それは、古代においても同じことであった。大王まで移動するとなると、それにかかる費用はいかほどか。想像を絶することになろう。
「しかも、兄上め。もう既に、駿河国に軍船を造らしめたというではないか。」
 大海人は酒が入っているという環境に気が大きくなっているのか、はたまた、わが住処へ戻ったという安堵感からか、いつもと違って饒舌であった。普段はさほど、愚痴を言う人となりではないのに、珍しいことだった。そのくらい、兄、葛城皇子への不満が腹に溜まりこんでいるのだろう。乱馬はただ、相槌を打ちつつ、聴き手に回った。


「それもお笑いでのう…。駿河の軍船は続麻郊(おみの)まで来た時、夜中突然何の前触れもなく船の舳先(へさき)が反り返ってしまったというではないか。これを不吉と言わんで何と言おうぞっ。」


 酔っ払いはかくもしつこく、そして、普段溜め込んでいた心根を一気に吐き出す。
 乱馬は思った。大海人皇子は本当は孤独な人なのではないかと。取り巻く家人や役人たちは多いようだが、その誰一人にも心を許してはいないような気がした。たとえそれが妃であろうとも。
 ここへ至るまでは、都に住まう皇子は、とても良い暮らし向きで、悩みなどないと思っていた。だが、こうやって身近に仕えてみると、同じ人間なのだということが、身にしみてわかってくる。
 天皇は現人神。それに繋がる皇孫も同等にある。だから、仕える大海人皇子も、現人神の子息として畏敬の対象であるべきなのだ。だが、彼は案外弱い部分も持っているのだ。
 何だか安堵ともいえぬ不思議な気持ちになった。
 乱馬はじっと大海人皇子の相手をしながら夜を過ごす。
 ある程度乱馬に、心の内を吐き出して、少し気分的にも楽になったのだろうか。
 と、大海人皇子が突然乱馬に言った。


「少し、この先行きを占ってみようかのう。」


 乱馬は何事かと耳をそばだてた。この主は今から巫女でも呼んで卜占を行うとでも言うのだろうかと。


「よし、そうしてみよう。」
 大海人皇子はすっくと立ち上がると、傍にあった木箱の中から、なにやら板を後生大事そうに取り出した。
 乱馬は取り出されたものをじっと眺めると何が始まるのか好奇心に満ちた目で皇子を見返した。
「これはな、五行を示した物じゃよ。」
 そう説明した。
「五行ですか?」
 聴きなれぬ言葉に乱馬は戸惑った。この時代の占いは、凡そはそれ専門の神官や巫女が行うと相場が決まっていた。神に仕える神職のみが知りえる秘儀だと思っていたのだ。それをこの皇子自らが行おうというのか。
「この世の中には「陰陽道」という不思議な占いがある。それを少しだけ私はかじっている。おまえも昼間見ただろう?兄上の作らせた漏刻を。あれも、元は陰陽に通じる暦の道なのだよ。暦を知ることは、天の真意を知ることになる。それを統べる者が帝王だ。」
 大海人皇子は大真面目に話し出した。


 この大海人皇子、後に天武天皇として即位し、初めて宮廷に「陰陽寮」という役職を作った。この陰陽という占いを、国家で管理し始めたのは天武帝が起源と言われているのである。
 「陰陽五行」は百済を経由して、大陸から仏教とともに伝わってきたと言われている。五経博士、暦博士、易博士といった専門学者が伝えたり、渡来僧が仏教を広めるついでに伝えたり。様々な方面からもたらされた新しい卜占術であった。
 後に、ここ、陰陽寮からは、後に、安倍清明などの著名な陰陽師が出ている。また、天武自ら、占星術などの占いをしたという記述も「日本書紀」には克明に記されている。今となっては彼がどのような方法を用いて占いを行ったのかはわからない。
 また、更に「天皇(てんのう)」という言葉は、天武帝から始まると言われている。それまで天皇は「おおきみ」「すめらみこと」などと呼ばれていた。「天皇(てんのう)」は、北極星を神格化した「天皇大帝(てんこうたいてい)」から取った称号であり、天皇を神格化するために天武が使い始めたというのが定説になっている。
 まだ、渡来人であった五行博士たちからの聞きかじり程度の知識であったと言えようが、大海人皇子はもともとの好奇心の強さから、乱馬と相対したこの頃には、陰陽五行や占星術にのめりこみ始めていたのである。


「陰陽を知ることは、自ずとこれから向かう道を知ることになる。人の運命もまた、陰陽道の上にあるのだよ。」


「そういうものでしょうか。」


 乱馬は卜占などというものには懐疑的だ。そんな占いによって己の運命が左右されるなどということを考えたくはなかった。


「まあ、良い、試しにおまえのことを占ってみてやろう。確か、氏名(うじな)は響であったな。響乱馬。生年月日は。」
「知りませぬ。生まれた日も月も、わが里には暦をきちんと知り得ることもありませんでしたから。」
 半分本当で半分は嘘だ。暦を気にしなかったのは本当であるが、誕生日を知らないのは、今にして思えば、育ての父母と実父母が違うことを如実に物語る事実であった。
「齢くらいはわかるだろう?」
「二十歳…にございます。」
「二十歳…いい響きだ。まだ若いのう。」
 何かごそごそと板を見ながら大海人は集中し始めた。乱馬はじっと結果の出るのを待った。


「ふうむ…。おまえにはいろいろと己も知らぬことがあるようだな。例えば出生の秘密など…。なかなか複雑な星の元、産み落とされたとこの占い板は言っておる。」


 えっ、と思った。


「おまえ、まだ独身…いや、正確には決めた妃が一人。遠い国へ残してきたと出た。なかなか隅に置けぬのう。板は美姫(びき)だと言っておる。」
「ま、まさかっ!そんなことまで。」
 わかるのですかと言いかけてはっとした。大海人皇子の顔がからかうときのような瞳に転じていたからだ。
「ほう…。なかなかの美姫を本当に国元へ残しておるのか…。わっはっは。」
 しまった、担がれたかと思った。
 乱馬は真っ赤に熟れていた。胸に輝く青い勾玉がふっと笑ったように光ったような気がする。
「おまえ、その姫を愛しておるのだな…。姫もおまえが恋しいらしいぞ。」
「は、はあ…。」
 ふっと浮かんだ茜郎女の横顔。
「だが、この姫と添い遂げるには、いろいろ問題も多いようじゃな。かなわぬ恋とまではいかぬが、この姫と再び逢う時、おまえの運命は大きく変わると板は言っておる。まあ、この姫に逢ったこと事態がおまえの人生の転機になったのかもしれぬがな。」
 あかねと出会い、確かに運命の流れは大きく変わった。今、ここ後岡本宮に居るのも、彼女に左右された部分が大きい。
 大海人皇子の言葉に何となくしみじみとしてくる。夜の帳がなせる業なのだろうか。
「おまえ、命を狙われているな…。これも女が絡んでおる。」
「はあ?女に命ですか?心当たりはございませぬなあ。」
 乱馬は小首を傾げた。
「これから何度か命を賭した修羅場に遭遇すると板は警告をもしておるぞ。心してかかれ。強き心を保てば、必ず困難は打ち破られる。強運も呼びこめるだろう。」
 大海人皇子はそう告げると板を閉じた。
「この後はまた、いずれ、占ってやろう。…余り先が見え過ぎても面白くなかろう?」
 と笑って見せた。やっと、荒ぶっていた心が和んできたようだ。いつもの笑顔が皇子に戻り始めている。
 正直ほっとした。


「ありがとうございました。」
 乱馬は礼を言った。


「この占いの結果を信じようと信じまいと、それはおまえの勝手だ。全てが万全とは言いがたいのかもしれぬが、それでも、人にはそれぞれその領分に応じた生きる道や生きる意味があると、私は思っている。」
 大海人の目は再び輝き始めた。
「乱馬よ、私と共に来い。私も皇祖母尊と共に、大和を離れねばならぬ。おまえは優れた武人になる。阿部比羅夫や中臣鎌足を凌ぐほどのな。板がそう指し示している。おまえの未来、この国のために尽くせ。」
 じっと見据えてくる真摯な瞳。
「勿論、そのつもりで、大和へ参ったのですから。」
 そう言って大海人皇子を見返した。


(不思議だ…。この青年は。)
 大海人皇子は乱馬の中に自分と通じるものがあるのを、そこはかとなく気がついたのである。板は示していた。それを乱馬には直接告げなかったが。同じ血を受けた青年であると。
 それがどういうことなのか、大海人皇子には俄かには理解できなかった。
 強い瞳の輝きの中に、自分がとうに置き去りにした「希望」が満ち溢れている。まだ二十歳と若い青年の折に、自分も持っていた筈の輝きだ。それがずいっと差し迫ってくる。
 まさか、彼が己と同じ皇祖母尊から受ける血が流れていることなど、予想だにできなかったのであるが。大海人皇子は斉明女帝の子、乱馬は斉明女帝の孫。
 その血が引き合っていることなど、二人には知る由もなかった。








二、


「これ、乱馬殿よ、起きよ。朝参の時間ぞっ!」
 耳元で砺波の爺が囁いた。
「ほら、起きろーっ!兄貴っ!!」
 と潜った布団を引き剥がしにかかる千文。


「う…。ん。もう朝なのかあ?」
 頭はずきずきとする。どうやら昨夜は大海人皇子のところで飲みすぎたらしい。普段飲みつけない酒。二日酔いだろう。


「ほれ、しゃきっといたせっ!皇子様の舎人としての職務、果たされよっ!遅刻するぞっ!!」
「わ、わかったから、そんなに耳元で叫ばねえでくれっ!」
 もさもさになった頭。ぐっと起き上がって着替えを取る。
「朝餉はできてるからね…。」
 千文がくすくすと笑った。ここへ来てからというもの、乱馬は主に大海人皇子のすぐ傍に舎人として仕え、その乱馬に爺さんと千文が仕えて世話を焼く。そういった構図がすっかり出来上がっていた。


 気合で起き上がって、朝餉を胃袋に流し込み、いつものように夜明けと共に大海人皇子の寝屋へ行く。乱馬たちが暮らす宿舎から大海人皇子の寝屋まではそう遠くはないから、まだ良かったかもしれない。


 大海人皇子の所へ行って見ると、昨夜あれだけ遅くまで杯を重ねていたのに、皇子はしゃんと起き上がっていた。


「おお、乱馬よ。今朝はいつもより数刻遅いぞ。二日酔いか?」 
 などと皮肉っぽく笑う。
 化け物並の回復力があると、乱馬は目を見張った。あれだけ昨夜は乱れていた御仁が、今朝は一転して、さっぱりした顔つきで座っている。
 この辺りが、酒に強い皇子とまだ酒に飲まれている乱馬の違いなのであろうか。


「ほら、庭先の手水で顔でも洗って来いっ!」


 言われて中庭の水桶に手を突っ込んでみた。
「冷たいっ!」
 よく見ると手水には氷が張っている。
「どうだ?目が覚めたか?」
 後ろで皇子が笑っていた。


「さて、目が覚めたところで、おまえに折り入って頼んでおきたいことがある。」


 皇子は真顔になった。


「こっちへ来い。」


 言われて皇子の部屋へ上がった。


「あれから、五行博士のところへ行って、改めて卦を占ってもらった。」


 また占いの話かと乱馬は思った。昨晩の酒席での占いを思い出す。


「その結果が余りかんばしくなかったのでな。」
 そう言いながら大海人皇子は難しい顔つきをした。
「五行博士によると、この度の御行は皇祖母尊にとって、あまり良い卦が出ないそうなのだ。どのような角度から調べてみても、どの占いからも、不吉な卦は免れぬらしい。すまぬが乱馬。おまえの勇猛果敢な若い力を、皇祖母尊のために使ってはくれぬか?」


 いきなり言われて、話が見えず、乱馬はきょとんと皇子を見返した。


「皇祖母尊は年内にも飛鳥を発って、まずは難波の宮へ向かわれるそうだ。」


「難波京にございますか。」


「そうだ。難波だ。先の大王が兄上と決裂したのち、憤死した忌まわしき宮だ。」


 斉明女帝の前の天皇は孝徳帝。名を軽皇子(かるのみこ)と言った。孝徳帝は斉明女帝の同母弟であった。敏達天皇の第一皇子、押坂彦人大兄皇子の孫になる。押坂彦人大兄皇子は大兄称号を持ちながらも、即位することなく没した。敏達帝は推古女帝の夫でもあったが、押坂彦人大兄皇子は推古の嫡子ではなく、広姫皇后の嫡子であった。従って、押坂彦人系の皇子たちは、権力の外へと追い遣られていた。
 舒明帝の皇后であった姉の斉明が、夫の没後、皇極帝として即位したが、大化の改新で、蘇我入鹿が殺されるのを目の当たりにし、弟、軽皇子へと皇位を譲る形で譲位したのだ。
 女帝の弟。その続きの血も「押坂彦人皇子」、「敏達帝」へと辿れる。軽皇子は血を重んじる大和朝廷にあって、決して悪い血筋ではない。大王として担ぎ出すには持って来いの皇子であったのだ。
 意気揚々と即位したであろう、孝徳帝。だが、晩年、その、主観の違いから、実際、当時の実権を握っていた斉明の嫡子、葛城皇子と、遷都を巡って対立を深め、孤独のうちに難波宮で没したと日本史の通説は言う。




「おまえは知らぬかもしれぬが、先の大王は兄上に殺されたに等しいのだ。叔父上は兄上に見限られて、妃であった姉上からも見放された。難波宮に固執し、遂に、その宮で憤死なされたのだ。孤独のうちにな。」
 大海人皇子は厳しい顔をした。


 そう、葛城皇子と大海人皇子兄弟の間に、間人皇女という皇女が居たが、孝徳帝の正妃として嫁していた。だが子どもは遂に生まれなかったようだ。年の差が三十近くあったと言うから仕方のないことだったかもしれない。
 飛鳥遷都を執拗に勧めた葛城皇子の言を要れず、孝徳帝は難波宮に居続けた。后妃、間人皇女(はしひとこうじょ、葛城皇子の同母妹、、従って母は斉明、父は舒明)や宮中の臣下の殆どが葛城皇子と共に飛鳥に去り、その後間もなくして約六十年という生涯を閉じたと「日本書紀」には記されている。


「兄上(葛城皇子)は叔父上(孝徳帝)の死後、その嫡男、有間皇子までも、巧みに謀殺されている。有間は自分の政の害になるのは、目に見えていたからな。…兄上は狡猾だ。…己の政敵となる皇子や家臣は尽く潰しにかかられる。おっと…これはあまり大きな声では言えないがな。」


 孝徳帝の嫡子、有間皇子は人望も厚く、孝徳帝の後継者として、注目された皇子でもあった。だが、孝徳の死後、葛城皇子の謀略に掛かり、僅か十九歳という命を散らせた。世に言う「有間皇子の変」である。


「で、ここからが本題だ。」
 大海人皇子は乱馬をじっと見据えた。強い瞳の光が、ますます輝きを増す。ぎらぎらと音が聞こえてきそうな眼であった。
「難波宮はわが一族にとって、曰く付きの土地なのだ。兄上は敵を多く作りすぎている。その要に居た大王や皇子たちは誅殺されて、存命していないが、それを「恨み」として持っている人々はたくさん居る。」
 ゆっくりと言葉を選びながら大海人は言った。
「どうも、兄上を敵と思う奴らは、これを機に復讐をしようとしているらしい。」


 乱馬はゴクンと生唾を飲み込んだ。「復讐」という言葉に異常な響を感じたからだ。
「兄上に復讐しようという者たちは、標的を兄上ではなく、年老いた我が母上、皇祖母尊を付け狙っているというのだ。」
 乱馬は言葉が継げなかった。まさか、そんなことが。そう思いをめぐらせたとき、大海人皇子が静かに言った。
「それに、悪いことに、わが国へ唐国から術者が数名紛れ込んだという。」


「術者にございますか?」
「そうだ。道士だということだ。」
「道士…。」
「不逞の輩は道士に皇祖母尊暗殺を依頼したというのだ。」


 聴き慣れぬ言葉に乱馬は困惑した。


「唐国の妖しい術を使う者たちのことだよ。奴らは虎視眈々と大和朝廷の要人暗殺を企てようと目論んでいるらしいのだ。勿論、水面下で秘密裏にな。」
 大海人皇子は大きく息を吐き出し、そして言った。
「だからこそ、あまり表立って動くわけにはいかぬのだ。皇祖母尊が気になさるのでな。さりげなく、皇祖母尊に寄り添って、周辺を警護にあたって欲しいのだ。」


「皇子様の命令とあらば、私は一向に構いませぬが。」


 乱馬はそう返答した。武人である限りは、貴人の警護は主たる任務になる。それに関しては異存はないし、何より、その唐国の道士という言葉に興味を生じたのだ。


「道士とは強いのでございましょうか。」


 率直に訊いてみた。


「さあ…。妖の術を巧みに使い、人を陥れていくというやつらだ。武人としては片隅にも置けぬ輩と、私は思うが…。しかし、術を使う分、剣や弓矢の名人よりは一癖も二癖もあろう。決して弱くはなかろうな。」
 大海人はそう吐き出すように言った。


「わかりました。お受けいたしましょう。」


「おお、そうか、受けてくれるか。」


 大海人皇子が浮き足立った。


「受けると言った以上、どのような命にも耐えてくれるかの?」
 にんまりと笑う。
「私も武士(もののふ)の端くれでありますから。」


 まさか、大海人皇子の命じる任が、とんでもない事態へと繋がっていこうとは、この時、まだ乱馬には予想だにできなかった。








三、


「じ、冗談じゃねえっ!」


 乱馬は思わず声を荒げた。


 大海人皇子が命じてきた任。斉明女帝を影から警護するという大任だ。任務そのものに不満はなかったのだが、その手法にかなりの問題が露出していた。


「兄貴がこれをつけれは、相当滑稽なことになると思うけどなあ。」
 くすくすと千文が笑う。
「千文、落ち着いておる場合ではないぞ。おまえも当然乱馬殿と同行せねばならぬでな。」
「えっ?おいらもかよう!」
「ぬしならば、乱馬殿よりは女子(おなご)に見えるじゃろうが?」
「砺波の爺さんはどうなんだ?ええ?」
「わしゃあこの年じゃけえなあ。このままでも…。」
「そう言う訳にはいくかようっ!あそこは女しか入れないんだぜ。当然爺さんも…。」
 そう言うと、千文は大声で笑い出した。乱馬の格好を見てしまったからだ。
 光沢のある美しい絹の上衣と足元に広がる裙(も)。肩へは茜郎女が歌垣の折に寄越した頒布をかけていた。どこから見ても風変わりな女官だ。


「何がおかしいっ!」
 乱馬は真っ赤に顔をしかめさせて叫んだ。


「これこれ、女はそのように声は荒げませぬ。」
 そう言いながら、大海人皇子が寄越した着付けの女官が咎めた。


 大海人皇子は乱馬たちに女装をさせて斉明女帝の傍へ侍らせようと言う計画だったようだ。斉明女帝のごく近くには、男の武官は近寄れなかった。神を斎く立場にもあった、皇祖母尊だったので、その周りは采女や後宮女官たちが固めていた。それを逆手にとって、乱馬たちを女装させて潜らせようというのだ。


「たく。てめえら、千文も砺波爺もとっととそこにある衣に着替えろっ!じゃねえと、俺だけが馬鹿みてえじゃねえかっ!」
 頭を結われながら乱馬が言い放った。


「たく…。こんなのあからさまじゃねえか。第一、こんな上背のある女がこの国に居るのかようっ!」
 平均身長が低い時代とは言え、男と女とでは根本的に体格が違う。


「宦官(かんがん・去勢した男子)の方が楽かえ?」


 乱馬の言葉を受けて、一人の女性が颯爽と現われた。
 乱馬たちを身づくろいさせていた女官がさっと礼をした。かなり身分の高い女性と一目瞭然だ。


「いや、宦官は真っ平御免蒙りたい!」
 乱馬は唾を飛ばした。
「ならば、仕方あるまい?」
 女性はそう言ってふくよかな頬で笑った。


「ほう、やっとるな…。なかなか似合っておるではないか。」
 その女性の背後から大海人皇子がすっと覗いた。


「たく、冗談かと思いましたよ。皇子様。」
 乱馬は困惑気味に顔を巡らせる。
「冗談でこのようなことをやれとは言っておらぬ。…にしても、確かに、上背がありすぎて目立つな。」
「目立つどころじゃありませんよ、こんなの、男だってことがあからさまじゃないですか。」
 乱馬はふくれっ面だ。


「大丈夫。私に任せておきなされ。ちゃんとどこから見ても女に見えるように化粧も施させましょう。」


「化粧?」
 更に乱馬が声を荒げた。
「頬紅や口紅をさすのか?」


 それを聞いて、更に千文は笑いを堪え、肩を震わせていた。


「女が着飾り化粧(けわい)を施すのはあたりまえのこと。ましてや皇祖母尊の御前に出られるのでございますからなあ。」
 ほほほと女性は笑った。
「万事、この額田王(ぬかたのおおきみ)へ任せておけば良い。額田は宮廷でも皇祖母尊の寵愛が一番の女官なのでな。」
 大海人皇子はこともなくご満悦だった。
「髪を結い上げて、化粧を施せば、それなりに女性に見えるというもの。ここから先は私が配慮してそなたたちをさりげなく皇祖母尊様の元へ侍らせましょう。何卒ご安心を、皇子様。」
 たおやかな笑みを額田王は大海人へと切り替えした。


 額田王。
 斉明女帝の後宮の管理人として、その寵愛を受けながら出仕していた女官だ。身分も高い。
 大海人皇子の最初の夫人であり、十市皇女を儲けている。だが、今は大海人皇子とはその関係を断ち、女帝自らに請われて女官の頭を勤め上げていた。才色兼備であり、元々、巫女的力も強い女性であった。


「とにかく、この者は先に阿部比羅夫(あべのひらふ)が蝦夷から連れ帰った女官ということで、上申いたしまする。さすれば、多少上背があり、格好が妙でも気になりますまい。」
 額田王は自分の案を進言する。
「確かに、蝦夷の者ということにすれば良いな。」
 大海人皇子も悦に入っている。その傍で乱馬だけが浮かぬ顔をしていた。
「都よりも遥か遠い、東国の蝦夷の出自であることは嘘偽りではないし…。」
 にやりと皇子は乱馬を見た。
「まあ、声も女とは性質が違うから、言葉も通じぬという素振りでやり遂せれば良いな。…。乱馬よ。」
「はっ。」
「できるかぎりおまえは喋るな。勿論、皇祖母尊の目前だけではなく、他の女人とも。できるだけ喋らず押し通せ。」
「わかりました。」
 渋々承知せざるを得ないだろう。
「おまえは今から暫くは響乱馬ではなく、そうだな、響郎女でよかろう。」
 大海人皇子はそう言って笑った。


 にしても、かなり強引な計略である。
 ここまでして、女帝を護る必要があるのかどうか、乱馬には理解しがたいことではあった。だが、武人として、一度承知した以上は、後へは引けまい。


 こうして、乱馬は斉明女帝の難波御幸へ同行することになったのだ。


 乱馬を蝦夷から連れ帰ったということにしてもらうのに、当然、帰郷したばかりの将軍、阿倍比羅夫にも引き合わされる。


「なるほど、それで大海人皇子殿は皇祖母尊様を近くで警護しようとなさるのですな。唐国の道士のことは私もちらりと聞き及んでおります。まだ、奴らと直接やりあったことはございませぬが。何でも妖で人を惑わすのが得意なそうで。その長ははかなりの老齢と聞き及びます。水の術、火の術、傀儡の術。者によっては死体をも操ると言われておりまなあ。」


 死体を操る。


 その言葉に傍らで耳を傾けていた乱馬ははっとした。
 大海人皇子と引き合うことになったあの事件を思い出したのだ。千文を取り戻そうと鷹麻呂が差し向けた雑魚ども。死体となった後も動き始めたというあの信じられぬ光景。
(もしかして、あれにも唐国の道士が絡んでいたのか?)


 いずれにしても胡散臭いものを背後に感じていた。


「では、乱馬殿、いや響郎女でしたな…。郎女殿、女帝の前に参りましょうか。」
 わざと、丁寧な言い方で大海人皇子が乱馬に指図した。

 乱馬は浮かぬ顔で、大海人皇子の傍に控えた。
 これから暫くは「女」として立ち居振舞わなければならない。
 宮中のしきたりや女性の動きのアドバイスは、額田王が差し向けた宮中の女官によってある程度は伝えられた。女としての立ち居振る舞いも数日間でみっちりと教え込まれた。
 勿論、己の好みとするところではなかったが、これが大切な任となれば、仕方がないと半ば諦めていた。いずれにしても、斉明女帝を無事に難波に送り届け、そして、そこから娜の大津へ向けて出航させるまで、そこまで護らねばならぬのだ。


「響郎女か…。ぬしはもしかして、常陸の国の響里の生まれかな?」
 阿倍比羅夫は待ち時間の間にふと声をかけてきた。ここには他に誰も居ない。二人きりの空間であった。斉明帝に伺うまでの数時間をここの間で待つのだ。朝参は何も彼らだけではないので、順番がまわってくるまで各々小部屋に通される。
 乱馬は声を落として話した。誰が聴いているかわからないので回りに聞こえぬくらい小さな声で、しかも女言葉でだ。
 さした口紅が何となく妖艶さをかもし出す。男でも、顔立ちの良い者は化粧栄えする。そう大海人皇子に言わしめたほどの妖艶さだった。


「はい…。そこは生国でございます。」


「そうか…。懐かしいのう。」
 思わず阿倍比羅夫から言葉が漏れた。
「懐かしい?比羅夫殿は我が里を御存知か?」
「ああ、あれはいつのことだったかのう。蝦夷への援軍の折に何度か訪れたことがある。九能氏や響氏。名だる武将があの辺り一円を治めていたからのう。」
 久々に聞く懐かしい名前だった。大和へ出立してから無我夢中で駆けてきただけに、つい数ヶ月前が懐かしく思い出される。そろそろ里を出て三ヶ月近くだ。その間にかなりのこと、境遇が変わっている。その変化の早さに、己自信も戸惑いを隠せていない。


「響という名前を持つのだ。おまえもその氏の出身か?」
「はい。響の邑里の者でございます。」


「雲斎殿…。お元気であろうか?」


 一瞬の空間があった後、乱馬は言った。


「ついこの前、身罷りました。」


「そうか…雲斎殿は亡くなられたか。面白い武人であったなあ。」


「父を御存知でしたか。」
「父?雲斎殿はおまえの父なのか?」
 比羅夫ははっとして乱馬を見返した。
「はい。育ての父でございます。」
 互いに向き合う瞳。乱馬は比羅夫の瞳の輝きが変わったことまでは気付かなかった。


(この青年…。まさか。)


 比羅夫の中にある懐疑が芽生えたのである。
 今日出逢ったばかりの青年。女装はしているが、大海人皇子が見込んだだけの武人としての才覚がある。その瞳の輝きは己に畏怖を抱かせるほど強靭で真っ直ぐだ。本物の証だと比羅夫は直感したくらいだ。


「どうかされましたか?比羅夫殿。」
 思わず言葉に詰まった比羅夫に乱馬は言葉をかけた。


「あ、いや…。そなたに、雲斎殿の面影を追っておったでな。」


 いや実は違う。乱馬の中に他の人物の面影を無意識に追っていたのだ。漢皇子。そう、乱馬の実父である。

(この雰囲気、漢皇子殿に似ているやもしれぬ…。としたら、あのときの赤子がこのように…。そして、再び大和へ舞い戻って来たというのか。)

 もし己が思ったことが的を射ているとしたら、運命の女神の差し金は皮肉だと思った。
 乱馬を遠国遠征時に連れ込んで響雲斎に引き渡したのは、ほかならぬ阿部比羅夫自身だったからだ。
 比羅夫は当然知っていたのだ。何故、乱馬が遠国へ流されたのか。それはまがいもなく、葛城皇子の差し金であったことをもだ。
 葛城皇子は漢皇子が乱馬の母、長閑郎女に想いを寄せていたことも知った上で舒明帝へ彼女を差し出させた。その策略に、長閑郎女の父、蘇我蝦夷の計算も勿論あったのだろう。が、漢皇子と長閑郎女の純愛は結果的に「不義密通」という悲恋へと発展してしまった。
 その記憶が巡る。
 葛城皇子は漢皇子の性格を知り尽くした上で、長閑郎女を父親へと差し向けた。そして、思うに負かせ激情を貫いた異母兄は長閑郎女に不義の子を身篭らせた。
 いくら当時の恋愛が大らかであったとしても、天皇の妃を身篭らせたのだ。断罪は免れない。漢皇子は失脚させられた。勿論、それを分かった上での決死の恋愛であったことは否めまい。
 結果的に漢皇子は失脚し、行方をくらませた。生死もはっきりとはしない。また、鎌足によって生母からも赤子は取り上げられた。 
 そして幼子は流されることに決まった。本当はその小さな命とて風前の灯であったのだ。比羅夫に発せられた命には適当なところで赤子を殺してもかまわぬとあった。だが、必死で生きようと泣く赤子に比羅夫自身、手をかけることはできなかった。赤子に罪はない。丁度己が侍らせていた娘に子があったが、急逝したので、代わりに赤子に乳を与えさせながら遠征に出た。
 戦いは常に悲劇を産む。政略とて同じだ。比羅夫自身、それは身を持って知る身だった。それでも時には己の感情を奥に秘め、国のために戦わねばならぬときがある。たとえそれが大量の殺戮に繋がろうとも。
 そう、乱馬は雲斎を「育ての父」と言った。それが全てを物語るのではないか。
 
 躊躇する間にも、皇祖母尊との面会の案内が告げられた。

「阿部比羅夫殿、皇祖母尊がお待ちでございます。」


 二人の上に緊張が走った。




第十話  難波宮 につづく






阿部比羅夫(あべのひらふ)
 実在の将軍です。大和朝廷の東征の折に、活躍したと言われています。記紀にも彼の活躍は明記されています。




天皇の名前について
 記紀時代の天皇には和風現在使われている天皇の名は、和風諡号(国風諡号)と漢風諡号があります。一般に広く使われているのは「漢風諡号」のほうです。諡号(しごう)とはおくり名のことで、特に和風諡号は天皇の死後にその功績などによって付けられた名前と理解するのが良いかと思います。
「記紀」の天皇には漢風諡号と和風諡号の両方が記載されています。
 たとえば、斉明天皇の和風諡号は「天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめすめらみこと)」です。斉明帝は「宝皇女」という皇女名がありました。
 また、現在広く用いられている、神武天皇から元明天皇までの漢風諡号は「続日本紀(しょくにほんぎ)」や「懐風藻(かいふうそう)」を編纂した淡海御船(おうみみふね)と言う人がつけたといわれています。
 厳密な意味から言えば、実は「漢風諡号」で呼ばれた天皇は少なかったそうです。村上天皇以降は、江戸期に復活するまでは漢風諡号ではなく「院号」でおくり名されていたそうです。
 なお、現在、通常に使われている「○○天皇」という諡号は大正期に大日本帝国政府によって統一されたものです。
 また明治天皇以降は元号が諡号として使われています。
 本作品の「皇祖母尊」は「日本書紀」に明記された斉明女帝の呼び名から引っ張ってきました。




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