第七部 追憶編

第三十五話 大海人皇子の回想




一、

 人の気配がたつと、乱馬と鎌足は、身を引き締めて、座り直した。

 ゆっくりと人影は御簾の向こう側に腰を鎮めた。
 臥してはおられないようだったが、脇息(きょうそく・ひじ掛けのこと)に手をついて、くつろいだ姿勢を取っておられる様子だった。

 と、背後から、額田王が戻って来た。そして、一礼して御簾のすぐ脇に、陣を取って座した。乱馬たちを正面から見据える形だ。
 彼女の位置からは、御簾の裏側に居る大王の姿が良く見えるようになっている。
 その脇に、背後から入って来た侍女たちが数名、回りこむように座した。皆、一様に大きな団扇を持っている。一礼をすると、侍女たちはその大きな団扇を扇ぎ始めた。風を女帝に送り続けるつもりなのだろう。いわば、手動扇風機だ。
 額田王の目配せを合図に、鎌足が深々と床に頭を垂れて平伏した。乱馬も慌てて、それに従った。
 御簾が揺れて、ぼそぼそと小さな声が漏れた。その一言一句を逃さず、傍に座す額田王が聞き取り、その言葉を、乱馬たちに伝える。
 大王は神と同位。従って姿だけではなく、声も直接聴くことが出来る者は、ごく限られているのだ。

「今日は朕のために、参内してもらい、大儀である。ごゆるりとしていかれよ。」
 と、いうよな堅苦しい挨拶の言葉が、額田王の口を借りて述べられる。
 その言葉に、中臣鎌足は、「ははあ。」と深く頭を下げた。それに習って、乱馬も慌てて、頭を床に擦り付けんばかりに平伏す。

「そう、固くなられず、面を上げられよ。」
 と額田王がまた、声をかける。

 その声に、ゆっくりと頭を上げる、鎌足と乱馬。
 この場に、鎌足が同席してくれて、乱馬はホッとしていた。己一人では、到底、謁見など望めまい。そう思ったほどだ。
 こんな、堅苦しい場は生まれて初めてだったし、宮廷の右も左もわからぬ田舎武人だ。
 大王は若い武人の乱馬に興味を持ったようで、額田王を介して、様々な事柄を尋ねて来た。

「そなたの故郷はどこじゃ?」との問いかけに「常陸の国です。」と答える。と「常陸の国はどのような所じゃ?」と、続けて問われる。

 大王と言えど、住んでいる世界は狭い。広い領土を持していても、その隅々に至るまで出かけることができるわけではないからだ。
 大和人にとって、常陸国は見果てぬ遠隔地。その風土や人々の生活が、どのような物なのか、大和の人々との相違は何か、興味は尽きない。
 乱馬は問われるままに、己の育った筑波山の麓の湿地帯の村里の事を、とうとうと話した。
 幼少時を奔放に過ごした「響の里」。成人した男は狩りを、女は大地を耕すことで、日々の糧を得て暮らしていた素朴な人々の邑。
 優しかった母、銀英。逞しく育ててくれた父、雲斎。良牙や他の幼馴染みの顔が浮かんでは消えて行く。

 額田王を介して、女帝に問われるままに、懸命に答えた。
 
 久しく忘れていた「故郷」だ。
 大和へ旅立ち、激流に流されるように、己の世界が急転した。
 ここに居るのは、にう、響の里の若人ではない。大海人皇子の舎人、早乙女造乱馬。その存在すら気にも留めなかった大和朝廷の大王の御前に座している。

 今在る人生は、本当は壮大な夢の中なのではないか…。

 そんな、感傷にも似た気持ちが己を覆い始めている。
 
 何故、己はここへ座しているのか。そして、女帝と対峙しているのか。

(全て夢なのかもしれねえ…。)

 とうとうと己の半生を女帝に語りながら、ふっと、そのまま、遠い過去へと意識が飛びかけ、ハッとした。

(こら!何を古き感傷に浸っているんだ?俺は…。)

 目の前に焚かれた香の匂いが、過去から現在へと己を引き戻した。

「どうされた?乱馬殿。」
 その様子に、額田王が思わず問いかけた。

「あ…いえ。あまりに緊張いたしておりましたので…。」
 咄嗟に己を取り繕っていた。
「女帝がただいま、そなたに命じられた事をお聞きではなかったご様子ですね。」
 額田王が少しきつめに問いかけてきた。
「あ…はい。つい、聞き逃してしまいました。」
 乱馬は真っ直ぐに己が非礼を詫びた。
「申し訳ございませぬが、もう一度、お願いいたします。」
 と恐縮しながら額田王に頼んだ。
「良くおききなさい、皇祖母尊様は、近くもう一度、そなたを召したいとお申し出です。」

「も、もう一度でございますか?」
 乱馬は驚いて声を上げた。
 謁見は今回一度限りではなく、また参内せよと言う事だ。

 驚いていたのは、乱馬だけではない。隣に座していた鎌足も、驚愕の視線を御簾の方向へと手向けていた。
 何故という疑問の顔が、二人、同時に浮かんだ。

「次回の参内は、そなた一人でと皇祖母尊様は申されております。」
 その驚愕が静まらぬうちに、再び、額田王の口が開いた。

「恐れながら…。早乙女造殿は大海人皇子様の舎人。その彼が一人だけで参内するというのは…。」
 鎌足が間髪を入れずに口を挟んできた。内臣としては当然の言だろう。

「勿論、異例中の異例。それはわかっておりますが。これは皇祖母尊様の勅でございまする。」
 額田王がきりっと言葉を返した。

「しかし…。葛城皇子様や大海人皇子様が何とおっしゃられるか…。それをお聞きせぬと…。」
 鎌足は懸念を隠せない。
 乱馬は黙って二人のやりとりを聴いていた。
 己が口出しできる事項でないことだけは、確かだからだ。
 内臣の鎌足が言うように、二人の皇子を出し抜くわけにはいかないだろう。

 その言に、背後から声が聞こえた。

「かまわぬ…。わらわの希望じゃ。二人の皇子には関係の無いこと。本日の謁見で、今年の六月十二日はこの者と過ごすことに決めたのじゃ。」
 女帝の声が凛と響いた。
 はっきりと物申される女帝。
 これもまた、異例中の異例だった。
 大王自らが臣下に直接声を賜るなどということは、皆無に等しい時代だった。大王は神にしませば…という言葉があるように、神と同等の崇高な御方だったからだ。
 その声に、おののいたように鎌足は平伏した。それにつられて、乱馬も深く頭を床に押し付ける。

「ということじゃ。鎌足殿。ご苦労であるが、そのように手配してたもれ。葛城皇子様とと大海人皇子様には、私の方から礼を尽くしてお伝えいたしまする。」
 額田王が女帝の言葉を補助するごとく、告げる。

「わかりました…。大王様がそこまで申されるなら…。」
 女帝からの直接の申し出を断ることはできない。鎌足は、渋々、その異例な勅を了承した。





 女帝の異例な勅は、衝撃を持って、宮中の者たちへと伝わっていく。
 勿論、葛城皇子や大海人皇子のところへも、すぐさま、伝えられた。



「兄貴…。そんな勅を請合って大丈夫なのかあ?」
 女帝の元から帰館した乱馬を出迎えながら、千文が尋ねた。
 帰宅早々、千文と砺波の爺さんを前に、困ったことになったと、告げたのだ。
「んなこと言ったって、皇祖母尊様直々に命じられては、受け流すわけにはいくまい?」
 窮屈な朝服を脱ぎながら、乱馬は答えた。明らか、彼も困惑したようだった。
「たく、兄貴は皇祖母尊様の心を惑わしちまったのかあ?」
「ほっほっほ、皇祖母尊様もお目が高い。逞しき我が主に、懸想(けそう)かのう。」
 千文と砺波はゲラゲラ笑い転げた。二人して、乱馬をからかう。
「くぉらっ!いい加減にしろよ!てめえらっ!」
 どうしたものかと怒鳴った先から、「はあ…。」と溜息が漏れる

「乱馬よ、そなた、再び参内を乞われそうじゃな。」

 バタバタと物音がしたかと思うと、大海人皇子が乱馬の元へとやって来た。大海人皇子の居所と近いとはいえ、皇子自ら己の舎人の元やってくるのは、これまた異例だろう。が、この大海人皇子、己の舎人たちの居所に、気軽に出入りしている。
 その中でも、乱馬の元へ真っ先に渡ってくることが、最近は増えているようだ。乱馬の物怖じせぬ真っ直ぐな性格と、何より、女人が居ない。千文と砺波の爺さんそれから配下が数名。勿論、全員男だ。そんな男所帯の気安さから、居心地が良いのだろう。
 堅物で通っている葛城皇子からみれば、配下の邸宅へ出入りしている大海人皇子はいただけなかったかもしれない。葛城皇子は決して配下の元へなど足を運ばないだろう。
 配下の邸宅へも、気楽に出入りし、気遣う。そんな大海人皇子の行動に、下々の人々が親しみを抱いているのも事実だった。
 今日も、乱馬たちの元へ、大海人皇子は一人で現れた。
 通常、皇子でも数名の従者がぞろぞろと従ってくるものだが、彼は配下の元へやってくると、警護について来た舎人は帰宅させてしまう。
 舎人同士に気を遣わせるのも、気の毒だと思っている節がある。
 大胆なようで、仔細を気遣うことも忘れない大海人皇子だった。

「ふっふっふ、母君の心を捉えるとは!おぬしも隅には置けぬよなあ…。」
 と明らか、からかい気味に登場する。
「大海人皇子様までそのような戯言を…。」
 勘弁してくださいとよ言いたげな瞳を、主に手向けた乱馬だった。また、溜息が漏れる。

「いや、戯言でもないぞ。昔から、皇祖母尊様はこの季節が来る度に、気持ちが深くお沈みになられるのだ。今年はどのように六月十二日の夜をお過ごしになられるかと思いきや…。そなたを夜伽話の相手に召し上げられるとはなあ。」
 意味深な言葉を大海人皇子は投げかけてくる。

「夜伽って…皇祖母尊様って、そっちはまだお盛んなのですか?」
 千文が歯に衣着せず、尋ねた。
「こらっ!何を失礼なことを尋ねているのだっ!おまえはっ!」
 乱馬は千文の頭を押さえつけた。いくらなんでも、無礼な問いかけだと思ったからだ。大海人皇子でなければ、首が飛ぶかもしれない言動だった。

「はははは、いくらなんでもそちらはとっくに上がっておられるわ!母君とて、そこまで若くはないぞよ!」
 と大海人皇子は笑いながら即答した。
「夜伽話とは、寂しき夜に、話し相手を求めることじゃ。この時期は急に蒸し暑くなってくるからなあ…。なかなか寝付けず、ご苦労なさっておられるのだよ、皇祖母尊様は。
 年を召してくると、夜は無性に長くなると言うしな…。」
 と補足した。

「そうじゃよ。人間、年を重ねてくると、夜を過ごすのが苦痛になってくるものなのじゃ。じっと床に居ても、汗ばむ季節になってきたからのう…。大方、皇祖母尊様は、寂しき永い夜を一緒に過ごす相手が欲しいと、乱馬殿を召されたのじゃろうて。」
 砺波の爺さんがしきりに頷いていた。

「それに、皇祖母尊様にとって、六月十二日は特別な日だからな…。」
 大海人皇子がポツリと言った。
 また、六月十二日という言葉が出た。
 この日に何か意味がある、というのだろうか。
 不思議に思った乱馬が、率直に尋ねた。
「確かに、召されたのは六月十二日の夜でございますが…。その日に、何か意味があるのですか?」
 
「ああ、おおありじゃな。それも大きな意味がな…。」
 大海人皇子は乱馬に答えた。
「乱馬よ、おまえは常陸の国育ちだから、十六年前のその日に何があったか、すんなりとは思い出せぬか…。」
 と言葉を区切った。
 
「生憎、十六年前といったら、まだ常陸の国の野山を遊びまわっておりましたゆえ、何があったのか、とんと思いもつきませぬ。」
 と乱馬は首を横に振りながら答えた。
 二十歳過ぎたばかりの彼にとって、十六年前といったら、まだ年端も行かぬ子供だった。その上、大和から遥か離れた東の国に居たのだ。大人たちは騒いでいたのかもしれないが、無邪気な子供には理解する術もなかった筈だ。
「そうじゃなあ…十六年前といえば、乱馬、おまえは毛も生えぬ子供だったかよなあ…。このワシでも、十代後半じゃったからのう。
 が、そこの爺様は何があったか、だいたいは想像がつくじゃろう?」

 大海人皇子は砺波の爺さんを振り返った。

「十六年前の六月と言いますと…乙巳(いっし)の変、ですかな。」
 問われて砺波はすぐさま答えた。

「乙巳の変…。耳にしたことがありまする。確か、大王が交代するまでに至った、大きな政変の名前がそんなだったかと…。」
 さすがに、その言葉に思い当たったらしく、乱馬も顔を上げた。

「ほう、その事変はおまえも耳にしたことがあるか。そうじゃ。乙巳の変が起こったのが、十六年前の六月十二日だったのだよ。」
 大海人皇子は遠い瞳を手向けた。
「乙巳の変とは即ち、それまで権勢を誇った蘇我本宗家が滅された「大事変」のことだよ。ワシもまだ前髪を下ろした少年だったゆえ、渦中にはおらなんだが…。」

 乙巳の変。俗に言う「大化の改新」。西暦六四五年の大事変である。
 この年の干支が乙巳であったので、「乙巳年の変」とも呼ばれた。
 具体的に何があったかというと、権勢を欲しいままにしていた、蘇我蝦夷、入鹿親子を誅殺した事に始まる。
 斉明女帝が皇極帝として始めて帝位にあった時に起こった事変であった。その後、日を経ずして、女帝は退位し、その同母弟、孝謙天皇が大王に就いた。
 と、共に、この事変を機に、若き葛城皇子と中臣鎌足が、一気に政治の表舞台へと躍り出たのである。

「あの惨劇はなあ…。天下しろしめす大王、即ち、皇祖母尊様の目前で行われたのだよ。
 母君は目の当たりにしてしまわれたのだ。蘇我入鹿が血を流して斃れるのをな…。」

 その大海人皇子の言に、乱馬は言葉を失った。
 政変の事は大人になってから聞いたが、まさか、そのような血の惨劇が、女帝のすぐ目の前で行われていた事に、衝撃が走った。
 血生臭い事変からは、できるだけ女子供は排除して然るべき。常陸の国の響の親父殿は、事あるごとに、そんな事を言っていたのを、ふっと思い出した。

「六月十二日が来る度に、皇祖母尊様はあの惨劇のことを思い出されるのだろう。ゆえに、その日だけは、一人になりたがられぬのだ。誰彼と、思い立った者を宮中へ招き入れて、一夜を明かされるのを常とされているのだ。
 ここ近年は、額田王がそのお相手を勤めていたと聞いたが…。
 そうか、今年は乱馬、おまえにその相手を命じたのか。」

 そんな事情があったとは、、ここに居る大海人皇子以外の人間には、思いもよらなかった。
「へえええ…。天上高きところにおはします皇祖母尊様も、俺たちの知らねえところで、いろいろと複雑な事情を抱え込んでおられるんだなあ…。」
 千文が、しみじみと吐き出した。

「人の世は、思い通りにはならぬものだ。たとえ、それが大王様でもな。」
 大海人皇子が、千文の言を受けて、言葉を返した。
 そして、そのまま黙り込む。

「その、申し出、お断りしなくても良かったのでしょうか?」
 乱馬は恐る恐る、大海人皇子に尋ねた。

「皇祖母尊様が、一度言い出されたことは覆らんよ。たとえ、兄上が阻止にかかっても…な。」

「本当にそうでしょうか…。葛城皇子様は今回のことに関して、何かおっしゃってはいませんでしたか?」
 
「勿論、愉快だとは思っておられぬだろうな。だが、兄上とて、皇祖母尊様をお止めすることはできぬだろうさ…。何故なら、あの惨劇は、兄上と鎌足の手引きで行われたに等しいからな。兄上も口出しは出来ぬだろうさ。」

「あの…。やはり、乙巳の変は、葛城皇子様と中臣鎌足様が中心となって推し進められたというのは、本当のことだったのですか?」
 乱馬は、躊躇しながらも、大海人皇子に尋ねた。
 事変のことは、噂としてしか耳にしておらず、実際は誰の手によって、どのようなことが、どう行われたのか、全く、知らなかった。

「そうか、おまえは知らぬのか…。で?訊きたいのかよ?乱馬。」
 にっと大海人皇子は笑った。
「ええ…。田舎者には何もわかりませぬゆえ…知っておきたいと思います。」
 乱馬は頷く。
「ならば、酒と肴を用意してくれるかのう?」
 と声をかけた。
 どうやら、大海人皇子は、ここで一夜を明かしていく魂胆のようだった。だから、とっととお付で来たほかの舎人たちを、先に帰してしまったようだ。

「ほら、今の、聞こえたろう?千文、酒の用意だ。」
 乱馬が命じた。
「ちぇっ!酒の用意は、俺にやらせるのかよ…。」
「当たり前だろう?おまえの主は俺なんだぞ、千文。」
 と乱馬は苦笑する。
「わかったよ…。ほら、爺さんも、一緒に準備だぜ。もう、他の奴らは下がって眠っちまっているだろうからな。」
 そう言いながら、千文は砺波の爺様の袖も引っ張った。

 程なくして、二人の手で、酒と肴が運ばれて来た。
 濁り酒に玄界灘で取れた魚の干物を焼いたもの。そして、塩だ。ありきたりではあったが、十分、ご馳走だった。料理に腕の立つ、砺波の爺様が作ったものだった。



二、

 大海人皇子は、乙巳の変を詳しく知らない乱馬のために、宴席を設けて、「乙巳の変」について、語り始めた。


「ワシもまだ紅顔の美少年と謳われた頃なので、後から家臣に訊いた事である…ということを、まずは理解しておいてくれよ。」
 と大海人皇子の前置きが入る。

 高坏に入れられた酒を、ちびりちびりとやりながら、大海人皇子は話し始めた。

「乙巳の変を語る前には、まずは、何故、兄上が蘇我本宗家の親子を誅さねばならなかったか…そこから話さねばなるまい。」
 ぽつぽつと話し出す。

「今を去ること、五十年ほど前も、女の大王が治める世の中だったのは知っておるかな?」
「ええ。確か厩戸皇子様の時代でございますね?」
「そうだ。額田部の女帝。贈り名は確…豊御食炊屋姫大王(とよみけかしやきひめのすめらみこと)、通称を炊屋姫(かしやきひめ)と呼ばれた。
 大王は女帝だったが、その政務に寄り添っていたのは、大和にこの人ありと称えられた厩戸皇子様だった。厩戸皇子様は別名を豊聡耳(とよとみみ)皇子様と言わしめるほどの英知を持っていた。政務を良くし、国富に努めた。
 厩戸皇子が大王になればもっと良かったのかもしれぬが、それを阻止し続けた男が居たのだ。それが、蘇我馬子、蝦夷親子だった。」

「蘇我馬子、蝦夷親子は何で、厩戸皇子様を大王にするのを、嫌がったんだい?」
 千文が声を挟んだ。

「それは、厩戸皇子様が英知に富んだ賢(さか)しき過ぎる皇子様だったからだよ。賢し過ぎて、蘇我氏と一線を画してしまった、そんなところかな…。
 当時の政の実権は、蘇我氏本宗家が一手に担っていたといっても過言ではない。
 大陸からの帰化人や、耕地の技術力の高さなどから、抜きん出ていた蘇我氏は、己の娘を嫁がせた皇子やその子孫に、大王の位を与えて甘い蜜を吸っていたのだよ。
 実際、当時の大王は、殆どが蘇我氏の傀儡の皇統ばかりだった。
 炊屋姫を大王に据えたのも、馬子、蝦夷親子の思惑が強く関わっていると言われている。炊屋姫の母、堅塩媛(きたしひめ)は蘇我稲目の娘であり、馬子の実父でもあったからな。
 蘇我氏は一族の繁栄のために、己が思うままに動いてくれる、大王が欲しかったのだ。
 が、蘇我氏一点張りになっていた倭国の事情に、危機感を抱いた皇族が少なからずは居た。その代表格が厩戸皇子だった。
 厩戸皇子様も元を糺せば、蘇我本宗家と繋がりが濃密ではあった。両親共に蘇我氏と血の繋がりを持っていた。だから、当然、蘇我氏のために尽力してくれるもの、と馬子もその子蝦夷も期待していた筈だ。
 だが、賢しき厩戸皇子様はこのままでは倭国は堕落する一方だとお考えになったのだ。
 だんだんに蘇我馬子、蝦夷親子とは、距離を置き始めたのだよ。」

「なあ、何で、厩戸皇子様が蘇我氏と距離を置くようになった…なんて、そんな事がわかるんだ?」
 千文が尋ねた。

「厩戸皇子様は己の居を飛鳥ではなく、遠く斑鳩(いかるが)の地にお求めになった。そこから馬で単身、飛鳥宮まで通っていらっしゃったのだ。蘇我氏の本拠地でもあった飛鳥を離れて居を構えたのが、距離を置くようになった証拠にならないかね?」
「斑鳩かあ…。確かに、飛鳥からは、ちょっと距離があるな。」
 千文が頷く。大和の海石榴市を塒(ねぐら)としていた千文には、その距離感が手に取るようにわかった。
「斑鳩とは、斑鳩寺があったという里ですよね…。飛鳥からはどのくらい遠いのです?」
 乱馬が尋ねた。この田舎育ちの若者に、斑鳩と飛鳥の距離など、推し量れるはずも無い。
「馬を飛ばして、何とか飛鳥の宮に毎日、日参できるくらいの距離だな。歩くと結構遠いぞ。」
 と大海人皇子が言った。
「何だってそんな遠くへ居を構えられたのです?厩戸皇子様は。」
 乱馬が首を傾げる。参内するためには大王の内裏に近い方が楽に決まっている。それを敢えて、距離を取った厩戸皇子の考えが、不思議でならなかった。
「飛鳥とは違う政の礎を作って、蘇我氏の影響下から逃れたかったというのが、一番の理由だろうな。それに、斑鳩から馬を飛ばして飛鳥に通うのは、物を考えるのにとても良い距離だったとも言う。
 実際、厩戸皇子様は斑鳩の里に、蘇我氏の影響下から独立した新しき理想郷を造ろうとされていたようだ。
 だが、皇子の理想は志半ばにして倒れた。決して幼年ではなかったが、五十の声を聞く前に、身罷られた。 
 もう少し、厩戸皇子様が長く生きておられたら、或いは、倭国はもっと違う国になっていたかもしれぬ、そう言われておるわ。」

「人間には寿命があるからなあ…。で?皇子様の死後はどうなったんです?」
 千文が興味津々で大海人皇子に尋ねた。

「厩戸皇子様を頂点とする一族を「上宮家(かみつみやけ)」と呼んで、皇子様亡き後は、嫡子、山背皇子様が父の意思を受け継いだよ。そして、斑鳩の里を地盤に、着々と勢力を固めていったのだが…。
 炊屋姫大王様が亡くなられ、蘇我蝦夷の移行で田村皇子様が大王に即位された頃から、不穏な空気が流れ始めたんだよ。」

「田村皇子様?」
「三代前の大王様の名前じゃよ。皇祖母尊様の夫であらせられた御方じゃ。即ち、大海人皇子様の御父であられる。」
 千文の問いかけに、砺波の爺さんが答えた。あまり変な事をずけずけと訊くな、とけん制したつもりなのだろう。

「ああ、田村皇子様はまさしく、我が父だ。そして、兄上、葛城皇子の父でもある。
 のう、爺様、父君が即位した時、巷ではどんなことが言われておった?」
 今度は大海人皇子が砺波に問いかけてきた。一瞬、砺波の表情がこわばった。それを見逃さないように、
「かまわぬ。不問にするから、はっきりと申してみよ。」
と真っ直ぐな瞳が砺波を射抜いてくる。
「当時のことですかな?…誠に申し上げにくいですが、それはいろいろ、噂は絶えませんでしたな。…田村皇子様ではなく、山背皇子様が即位すべきだと申す庶子も巷にはたくさん居もうした。」
 と砺波の爺さんが歯切れ悪く、口を開いた。
「そうだろうなあ…。そのように言う、庶子も多かったのもわかるわい。父君は山背皇子様のように、才覚にも際立ったところがなく、地味な御方だったからのう。」
 大海人皇子が砺波の爺さんの言を受けて、頷いた。

「なあ、じゃあ、何で、山背皇子様じゃなくて、田村皇子様が大王になられたんだ?」
 千文が問いかける。

「それはな、田村皇子様の即位に、実力者、蘇我一族の思惑が強く絡んでいたからだよ。
 実際、田村皇子と山背皇子は共に、皇位を巡って互いに火花を散らせていたそうだ。わしらはそのように聞かされておる。」
 大海人皇子はゆっくりとした口調で千文の疑問に答え始めた。
「山背皇子様の母は蘇我馬子の娘、刀自古郎女(とじこのいらつめ)だったのだが…、炊屋姫が亡くなった当時、既に、上宮王家と蘇我一族の溝は、もはや埋め戻すことができぬくらい、深くなっておったそうだ。
 そのこともあって、蘇我蝦夷は、蘇我氏にとって有益に働く、より御しやすい田村皇子を擁立したのだよ。
 大王に推挙してやるから、我ら氏に良きようにはからえ、とでも言って、蘇我氏は田村皇子側と裏で取引したのだろうな…。
 結局、争いごとを嫌った山背皇子が皇位を諦め、田村皇子様が即位して決着を見たのだ。」
「ふーん…山背皇子様は自ら大王の座を、諦められたのか…。」
 千文が呟く。
「ああ、山背皇子様は聡明な方だった。大和朝廷が大王の位取りを巡って、二分してしまうのを恐れられたんだよ。
 大君の座を巡って、内乱が起こってもおかしくない状況にまで、逼迫した空気に包まれていたそうだ。
 山背皇子様が身を引かれると、我が父君は皇祖母尊、すなわち我が母君を適妻として立后させ、大王になったのだ。 
 父君が存命している間は、上辺は平穏に政は過ぎていったようだ。
 父君は約束どおり、蘇我蝦夷、入鹿親子に逆らわず彼らの権勢を欲しいままにさせた…。それはそれで、比較的穏やかな治世だったそうだ。」

 ふううっと、大海人皇子は溜息を吐き出した。話しながら、ちびちびと飲んでいる酒が、そろそろ回り始めた様子で、饒舌になってきていた。

「だが、父君が亡くなってから、一気に内側に溜まっていた鬱憤が噴出したのだよ。
 父君が崩御すると、蘇我親子は母君を大王の位に就けた。一番、御しやすい女帝を皇位に就け、更に、蘇我氏の傀儡として利用しにかかったのだろう。
 だが、一方で、蘇我氏の栄華を妬んでいた皇族や豪族もたくさん居た。
 彼らは蘇我氏を滅ぼそうと、さまざまな企てを考えた。そして、古人皇子を中心とする一派が、権勢を己の方向へ引き寄せるため、山背皇子を捨石として有効に使ったのだよ。」

 厩戸皇子という聡明な摂政が女帝について摂政を行っていたという歴史的事実は、東国に居た乱馬でも聞き知ったことであったが、彼の系譜が悉く滅ぼされていたことまでは知らなかった。常陸国の野山を駆け巡っていた彼には、飛鳥の政変など、絵空事の遠国の出来事であった。
 乱馬はただ、黙って、己の知らぬ、大和朝廷の血の歴史に耳をすませていた。

「それは巧みに仕組んだ謀だった。
 古人皇子たちは、山背皇子が謀反を企てているから滅せよと、それらしく蘇我入鹿に進言し焚きつけたのさ。
 蘇我氏にとって、上宮一族は目の上のたんこぶ。滅ぼす機会を伺っていた相手。蘇我入鹿は、その進言をいともあっさりと信じ受け入れた。
 入鹿は、皇位を狙う不敬の輩として斑鳩の山背皇子を糾弾するため、斑鳩の居城を巨勢徳太(こせのとこだ)たちに襲撃させた。
 不穏な動きを事前に察知した山背皇子様は、自ら火を放ち、一度は命からがら斑鳩の里から逃れたそうだ。
 だが、山背皇子様は伝手を辿って、そこから遠国へ高飛びすることも可能だったのに、敢えて「死」を選ばれたのだ。
 騒乱の翌日、斑鳩の地へ立ち戻り、自害して果てたそうだ。
 争い事を諌めた仏の教え、いや、厩戸皇子の遺言に従ったと言われている。己のために、国を分かつ内乱に発展させたくなかったのやもしれぬ…。
 後に斑鳩の里に立ち入った者が言っておったが、そこはまさに阿鼻地獄だったそうだ。山背皇子様だけではなく、その妃も嬪も子供たちも、全て首に縄をかけ、自害して果てていたそうだ。折り重なるように、一族の死体が、前の晩に焼き尽くされた里の残骸の上に、鮮やかに血に彩られて、斃れていたそうだ。
 今でも、山背皇子様の御魂(みたま)が漂っていると言われておって、斑鳩の里には近寄りたくない…と申す者がたくさんいるそうだ。
 のう、爺さん。おまえも大和に居たなら、噂で聞いたことがあろう?斑鳩の地には今も上宮家の者たちの人影が浮かぶと…。」
「ああ、私も聞き及びました。廃れた中に時折、寂しげな人影がたくさん浮かび上がると…。巷では様々に言われておりましたなあ…。」
 唯一、その時代に遭遇していた砺波の爺様が、大海人皇子の言に頷く。幽霊という言葉すらない古代。それでも、祟りから端を発する怪奇現象は、大いに人々に畏敬を与えて居た筈だ。
 頷く砺波の爺さんの横から、大海人皇子の爆弾発言が飛び出した。
「ふふふ。じゃが、上宮王家を追い落とした陰謀の渦の中に、兄君が居たと、誰も口にしなかったろう?爺さんよ。」
「ええ、そうですな。」
「あの事変は兄、葛城皇子が起こしたものだと、誰も想像だにできぬだろうよ。」
「何をおっしゃいまする。あの事変が起こった折、葛城皇子様は、まだ少年の紅顔が残る年頃だったのではありませぬか?」
 大海人皇子の言に、砺波の爺さんが驚きの声を張り上げた。乱馬には爺さんの所作が、少しわざとっぽく思えた。が、黙ったまま爺さんと大海人皇子を見比べていた。

「ああ、兄者は年端の行かぬ少年だった。だが、我々が思うておる以上に、兄者は聡明で早熟だったのだよ。爺さん。」
 批判めいた口調で、乱馬たちに、大海人皇子は話し始めた。酒がタガを外し去ったのかもしれない。

「兄は、ずっと「皇位」を夢見ていたのよ。年端も行かぬ少年の頃からな。」
 大海人皇子は淡々と続けた。
「父は田村皇子、母は宝皇女。共に、大王の位に就いた経験者。とはいえ、両者とも蘇我氏の傀儡。それを見て育っていた兄者は、傀儡大王になるのは耐えられなかった。大王になる以上は己の意志で政を動かせるようにならねばと、念じていたに違いない。
 それに、大王の位は黙って見ているだけでは手に入らぬ。
 兄者が皇位を手にするには、目の上の好敵手たちを、一人ひとり、根気良くだが、確実に取り除かねばならぬことも、少年期から悟っていたのだろうさ。
 そう、兄者にとって、己が中央に躍り出るために、障害となる山背皇子のような御方は、まずは、早々に排除しておきたかったのだよ。」

「まさか…。葛城皇子様がそこまで考えて、行動なさっておられたとは…。」
 言葉を区切る砺波の爺さん。
「それって本当なのですかな?」
 砺波の爺さんはゆっくりと大海人皇子に向き合った。
「殆どの者は山背皇子の暗殺事件に兄者が絡んでいるとは、思ってはおるまいよ。 
 後に、鎌足から直接聞いたのだが、現実に兄者は山背皇子暗殺事件には一役買っているんだそうだ。
 山背皇子を殺す考えは、蘇我の頭領の蝦夷にはなかったそうだ。
 だが、田村大王の周りは日ましに、いずれ、山背皇子が大王に牙をむくとして、山背皇子を葬り去ろうとする動きが出始めていたそうだ。その中心に、古人皇子がいた。」
「古人皇子?」
 乱馬が尋ねた。初めて聞く名前だった。
「ああ、古人皇子。我らの異母兄となる御方だ。古人皇子の母親は馬子の娘だったから、蘇我氏から見れば、御しやすい一族の血を受けた皇子でもあった。
 鎌足が言うには、蘇我入鹿に、山背皇子を殺せと、強く薦めたのが古人皇子なら、その古人皇子を上手くたきつけたのは兄者だったそうだ。
 もっとも、ワシはほんの子供の頃だったから、どこまでが虚構でどこからが真実なのかは明らかではないが、あの兄上なら、やりかねぬ…鎌足の話を聞きながらそう思うたわい。
 しかもだ、山背皇子、それに続いて、蘇我親子。上手い具合にこの二大勢力を滅した刃の血が乾かぬうち、謀反を企て世を乱そうとしたと難癖つけて、古人皇子まで処刑してしまったのだよ。」
 大海人皇子は、ぐびっと酒を飲み干した。
 空になった高坏に、再び、酒をなみなみと注ぎながら、千文が尋ねた。

「なあ大海人皇子様、山背皇子様が殺された時って、葛城皇子様は、いったい何歳だったんだ?」
 乱馬も同じ問いをしたかったが、遠慮が働いて尋ねられなかったのに、千文はかまわず、積極的に問いかけた。
「山背皇子の事変の時は、十七歳だったかな。」
「じ、十七歳だって?」
 千文がびっくりして、酒を注ぐ手を止めた。そして、酒の入った容器を床にトンと置くと、両手を折って数えてみる。
「俺がえっと十五歳だから…二歳しか違わないぜ。そんな若いのに…。」
 空恐ろしくなったのだろうか。千文が指を折りながら考え込む。そして言った。
「大王という位を手にするために、山背皇子や蘇我一族、果ては古人皇子まで殺しちまうとは…。恐ろしい人だよな…。葛城皇子は…。」
 と変に感心している。

「いや、兄が大王になるために、最初になされた謀略は、それが始めではないのだよ。千文よ。」
 大海人皇子は酒に口をつけながら言った。

「あん?それが最初じゃねえって?ってことは、もっと前に何かしたのかよう。」
 千文が畳み掛けた。この際だから、全部聞きたいと、正座して耳を手向ける。

「ああ…。それより遡ること、三年ほどまえに、同腹の兄を一人、追い落としている。」
 と大海人皇子は答えた。その答えに、微かだが、砺波の眉間が動いたことを、その場の誰も悟れなかった。

「己の兄?ちょっと待ってくれよ、葛城皇子様が皇祖母尊様の嫡子じゃねえのか?それからすると、もう一人、兄が居たことになるぞ。聞き捨てならねえぜ…。」
 千文は身を乗り出した。
「実は母上は田村大王様(父上)の正妃に立つ前に降嫁されていた高向王との間に、一人、男子をもうけていたのだよ。前に言わなかったかな?」
 大海人皇子が乱馬たちを見渡した。
「あ…。そういや前に聞いたよな…。高向王って、前に大海人皇子様が教えてくれた人だっけ?」
 千文が反芻した。
「ああ、前に教えたろう?高向王は大和きっての武人だったそうだ。勇猛果敢で、類なき武人と謳われた方だ。」
「でもさあ…。前に訊いたときも不思議に思ったんだが…。田村大王様は前夫がいらっしゃることを知っていて、皇祖母尊様を皇后にお迎えになったってことだよな?それって別にかまわないのか?後に残された前夫の立場ってのはどうなるんだ?」
 当然だ。一度他の男に降嫁したことがある女性を大王が娶るのか、しかも、いくら血統が良いからと言って、皇后に据えるのか、理解に苦しんだのだ。
「男と女の情は、王家も庶子も変わるものではないぞよ。古には大王が家臣の妻を強奪することもあったと言う。
 まあ、そこまで強引ではなかったが、父上、田村大王様は母上をかなり前から見初めていたそうだからな。
 それに、父上に降嫁することが決まった時には既に、高向王は夭逝されていたのだよ。勇猛果敢な武人も、病気には勝てなかったらしい。あっという間に煩われて、そのまま、巨星が堕つ如く身罷られたそうだ。
 そこで、父大王は先夫に先立たれ、悲しき中にあった母君を、喪があけるとその息子と共に、後宮へ招き入れた。
 どうだ?それだったら、際立って不思議なことではあるまい?」
「え、ええ…まあ、そうですが…。で?葛城皇子様はその、父違いの兄上様も謀殺なさったので?」

「こら!千文、そのくらいにせぬと…。」
 その千文の言を、いい加減にしろと言いたげに、再び、乱馬は止めに入った。その様子を、砺波の爺さんは、黙って見つめている。
「いいじゃんかよう。おいらだって、知りたいことは知りたいんだ!」
 千文が口を尖らせる。

「ははは。千文は若いのう…。聞きづらいことも、平然と尋ねてきよる。乱馬よ、そう目くじらを立てるな。かまわぬ。皇祖母尊様と再びお目通りするのだ。ちゃんと、話しておく。皇祖母尊様のところへ行くならば、おまえも知っておく必要がある話だ。」
 大海人皇子は酒に程よく酔っていたのか、機嫌を損ねることなく、上機嫌で話を続けた。

「皇祖母尊様の御子は四人。葛城皇子兄上、間人皇女(はしひとのひめみこ)、そしてこのわし。それから、前夫との間の嫡子「漢皇子(あやのおうじ)」だ。
 勇猛果敢と謳われた、高向王の血を引いた漢皇子は、際立った武の腕を持つ将来を嘱望された武士(もののふ)だったのだ。子供のワシが見ていても、惚れ惚れとする筋骨隆々。しかも、素手や剣、槍、弓矢…どれを取っても右に出るものは居ないと謳われたほど、武に秀でた皇子だったのだよ。
 久しく大和朝廷には武に秀でた大王は誕生していなかった。どちらかと言うと、智を持って政を進める文官的大王が台頭していたのだ。
 我が父、田村皇子も武道からは遠かったし、その前の炊屋姫も女性だったからなあ。その前の長谷部大王(はつせべのおおきみ・崇峻(すしゅん)帝)もその前の池辺大王(いけべのおおきみ・用命帝)も、その前の訳語田大王(おさだのおおきみ)も、武帝肌ではなく文帝肌だったそうだ…。
 ともあれ、漢皇子は、文帝に物足りなさと傀儡帝の限界を感じ始めていた若い家臣たちには、評判の皇子だったことは確かだった。
 葛城の兄上は、この異父兄が、いずれは大きな政敵となって立ちはだかることを、弱冠十四歳で既に見抜いておられたのだよ。
 そして、ある姦計をもって、この兄上を見事に追い落としたのだ。大王争いに浮上してくる前にな…。」

「ある姦計?どんな手を使ったんです?」
 千文の問いかけに、大海人皇子は言った。

「色仕掛けだよ。古来このような武人は情に熱い。かねてから漢皇子が想いを通わせていた蘇我馬子の深窓の媛に目をつけた兄上は、馬子を通じて、田村大王に目通しさせた。美しき女に目敏かった父上は、兄上の思惑通り、その娘を気に入った。
 田村大王は馬子へ頼み込み、その娘を嬪としてお迎えする予定だった。
 だが、漢皇子は、その娘と先に、密通してしまったのだ。しかも、ことはそれだけには終わらなかった。あろうことか、一夜限りの契りで、その娘は懐妊。
 烈火の如く怒った父上、田村大王は、漢皇子の皇位を剥奪して切ろうとなされた。
 母上はそれを阻止しようと、尽力されたらしい。皇子のために、何度も父上に許しを乞われたそうだが、認められようはずはない。
 処刑しようとした矢先、漢皇子は行方をくらませ消息を絶たれてしまったのだよ。忽然と牢獄から身を消されたのだ。もっとも、武人として秀でておられた漢皇子にとって、脱獄など、簡単なことだったかもしれぬがな。
 そして、馬子の娘が身ごもった漢皇子の子は恐らく、家臣の手によって闇に葬られただろう。切られたか、奴婢に貶められたか…。また、馬子の娘もどこか大和よりも遥かに遠国へ流されたと伝え聞く。
 兄上はここに見事に、己の最初の謀を完結されたのだよ。空恐ろしいとは思わぬか?まだ、乙女の肌を知らぬ年の少年が、実父を使って異父兄を陥れたのだ。平然と、顔色一つ変えぬままでな。」

 一同は、水を打ったように静まり返る。
 今語られたのが、己の出生の秘話だということに、目の前の乱馬は気付く筈もなく、ただ、黙って、恐ろしき葛城皇子の行状に、言葉をなくしていたのだ。

「その後も、兄上の謀略は留まるところを知らなかったのだよ。
 漢皇子に始まった、己の壁となる有力者の排斥は、一つ一つ、根気良く続けられたのだ。
 漢皇子、山背皇子および上宮一族、そして、蘇我入鹿・蝦夷親子。それだけに留まらずだ。
 山背皇子を共に排斥に走らせた古人皇子も謀反の疑いをかけ切ったし、先帝の母上の同母弟の軽大王(かるのおおきみ)も兄上が殺したようなものだ。そして、勿論、軽大王の嫡子、有間皇子も掌の上で躍らせて殺してしまわれた。
 兄上の手は数々の政敵の血で汚れておるのだ。」

 いつもの如く兄である葛城皇子批判が、大海人皇子の口から零れ落ちる。酒のせいで、気弱にもなっていたのか、だんだんと悲壮感も漂い始める。

「兄上はいつかこの私すら、殺そうとなさるやもしれぬ。怖い御方よ、葛城皇子様は…。
 おまえも気をつけろよ、乱馬。兄上に睨まれると殺されるやもしれぬ。さんざん利用された暁に、ぽいっとな。」

 そう結んだかと思うと、大海人皇子は眠りに落ちていかれた。

 その寝顔を拝見しながら、乱馬はふと、思い出していた。
 朝倉宮の遷宮の儀の時、唐国の道士から皇祖母尊様をお守りしたとき、耳元で囁かれたその名前、それが「高向王」だったことを。

『高向王様…。そなたは変わらずに若いままに…。時じくの香の木の実の下で、逢瀬を重ねたあの頃のままにお変わりなく…。』
 確かに、女帝は己の耳にそう呟いた。
 何故、自分をその先夫と間違われたのか。意識が混濁していたからなのか。あれから、妙に心に引っかかっている。

(高向王様にその息子、漢皇子様か…。)
 
 その夜、この二人の名前と、追憶を、乱馬はしっかりと胸に焼き付けたのだった。


つづく


 

乙巳の変
「日本書紀」を元に、自説を踏まえながら多少脚色、歪曲して描いております…。こういう見方があるんだ…という一説で書かせていただいておりますので、ご了承を。


推古女帝
欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘、堅塩媛(キタシヒメ)。名は額田部(ヌカタベ)、諡名は豊御食炊屋姫天皇(トヨミケカシキヤヒメノスメラミコト)、通称、推古天皇。敏達天皇の皇后でもありました。推古天皇は近世以降につけられた諡号のため、本作では通称を略した「炊屋姫(かしやきひめ)」と表記しています。

山背皇子
通称は山背大兄皇子。厩戸皇子(聖徳太子)の息子。
641年、蘇我蝦夷に追い込まれ、斑鳩宮にて自害。その時、聖徳太子の築いた「上宮王家」は滅亡しました。
大兄称号は皇子名から除外して「山背皇子」と表記しています。

古人皇子
通称は古人大兄皇子。
645年9月、大化の改新後、翻意有りと葛城皇子によって刺客が差し向けられ、隠棲していた吉野にて殺害されたと言われています。

軽皇子
孝徳帝の本名。斉明女帝の同母弟。正妃は葛城皇子と大海人皇子の間に居た同母の「間人皇女」。
葛城皇子と対立し、難波宮にて逝去されました。

有間皇子
孝徳帝の皇子。
658年、謀反計画が暴露され捕縛ののちに紀伊国藤白坂にて刑死。その折、詠まれた歌は「万葉集」でも著名な悲劇の皇子です。
彼の誅殺には、葛城皇子の意向が強く働いていたと言われています。


「大兄皇子」考
 通称の中に「大兄(おおえ)」の称号を用いられた皇子は、政治的、血統的に有力な皇子につけられた呼称であったと考えられています。
 一方で、「皇位継承者」としての認識が高かった皇子だったとも考えられます。
 橘豊日大兄皇子(用命帝)、押坂彦人皇子、山背皇子、古人皇子に「大兄」がつけられていました。勿論、葛城皇子にもつけられていましたが、彼の場合は「中大兄皇子」が通称でした。彼に「中」がつけられたのは、同時代に古人大兄皇子が存在していたからという説もありますが定かではありません。
 教科書表記では「中大兄皇子」で記されているので、通常は「葛城皇子」ではなく、中大兄皇子を使います。(中大兄皇子と葛城皇子は別人という説もありますが、現時点では同一人物というのが通説になっています。)
 本作ではあえて、「古人大兄皇子」も皇子名の中にある「大兄」の表記を飛ばして書かせていただいたのでご了承ください。
 また、前にも書いていますが、通称に使われる天皇名は近代になって呼び習わされるようになった「諡号(しごう・贈り名)なので、作中は「皇子名」または「皇女名」で書いております。
 無い頭でいろいろ考えて書いております(笑


 
 
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