第六部 漂泊編

第二十八話 海の巫女島

一、

 翌日は朝から雨が降り注いでいた。
 海の男、玄馬の予想通り、天から落ちてくる冷たい水は、船で行き来する者たちを容赦なく足止めにしたのである。

 邇磨に来た、日向(ひむか)の国の猛者たちも、あかねたち大和の船団も、逗留を余儀なくされた。しとしとと降り注ぐだけの降雨ではなく、時に、激しく局地的に降り込める、梅雨末期の特徴が出ていたからだ。
 

「直人よ、岩麻呂たちが、見えぬようだが。」
 玄馬は起き抜けに声をかけた。
 昨夜は日向の国の猛者たちと共に酒宴になり、玄馬もいささか酔いしれた。邇磨の男は宴会好きだ。本をただせば、人懐っこい海の男たちばかりなので、珍しい客人をもてなすのに、総出で飲めや歌えの宴となった。
「そういえば、昨夜から岩麻呂たちの顔を見ていませぬ。」
 直人がポツンと玄馬に告げた。
 岩麻呂はこういった宴には、一番に顔を出すような男だ。宴に顔を出して酒を喰らい、文句を垂れては、また酒を煽り、しまいには暴れだす。そんな迷惑な男でもあった。
 その彼が、この場に居ないことは確かに奇妙なことではあった。

 この時代、酒は今ほど頻繁に口に出来るものではない。酒は神からの賜り物、つまり、ハレの場で神と共に饗する大切な飲料であった。
 いくら邇磨の男たちが宴会好きと言えど、このような大宴会は一年に何度もないだろう。
 それだけに、日向の客人をどれだけ丁寧にもてなしたかわかると言うものだ。
 玄馬と狗留須猛は古くからの付き合いであった。それぞれ自他も認める勇猛果敢な男で、大和朝廷に対して一物持っている物同士、気があった。
 日向の国は大和朝廷に渋々従っていた。圧倒的な武力によって、大和朝廷に支配されていたのである。
 そして、大和朝廷から要求される「租税」として、日向の産物を遠く都まで届ける。その途中、都への船旅の停留地として、邇磨の海賊と仲良くなるのも、在り得る話だろう。
 大和への途中に立ち寄るついでに、邇磨と日向はそれぞれ私的に交易などもしていたのである。
 というのも、塩飽諸島はサヌカイトの原産地が近かったし、古代から製塩も盛んであった。
 塩は言うに及ばず、貴重な調味料だ。
 サヌカイトとは火成岩である古銅輝石安山岩の一種で、その磨きやすさから石器時代より、石槍、石鏃、石斧の原材料として広く使われていた。また、「カカン石」という別名がある如く、叩くと美しい独特な音色を出し、祭祀楽器としても活躍していたかもしれない。
 青銅や鉄の精製技術が広まってきた古墳時代以降は、石よりも固い金属に、武器や道具の原材料としてのとしての主役を譲り渡しつつあったが、まだまだサヌカイトは様々な利用価値がある、特殊な石には違いなかった。
 日向の国の猛たちは、塩やサヌカイトを手に入れるため、大和への朝貢の途中寄航し、わざわざ別口でこの辺りの島々にまで足を延ばしてくる。
 また、邇磨の民は民で、南方の島産の貝の装飾品や、古代の甘味料、甘葛煎(あまずらせん)などを手に入れるのに好都合なので、日向の国の船を快く迎え入れたのだ。

「まあ、あいつがいないならいないで、余計な気遣いをしなくても良いですからね…。大方、どこか近くの陸の村里にまた、女でも見つけて通っているのかもしれませぬ。」
 直人はそう言って気にも留めなかった。あっさりしたものだ。
「確かにそうだな。それに、客人は日向の国も猛者たちじゃし…。。」
「ええ、下手に岩麻呂と鉢合わせると、また、要らぬ騒動の元かもしれませぬ。」
「まあ、良いか…。今夜は岩麻呂が抜け出たことも不問にしておくか。」
 玄馬も思わず苦笑いした。
 玄馬も直人も、岩麻呂がこっそりと配下の者を連れて、海へ出たなどとは夢にも思わなかったのである。

「ところで、狗留須殿たちは、何をしにこの邇磨まで来たのでしょうか。」
 少し不安げに直人が玄馬に尋ねてきた。
「まあ、奴らにもいろいろな事情があるのだろう。或いは、交易ついでに我らの動向を確かめに来たのかもしれぬ。」
「我ら、邇磨の動向をですか?」
 直人の視線が険しくなった。
「ああ…。乱馬殿と対峙してから、我らは大和朝廷側へついたも同然だからな。日向の猛者も確かめに来ずにはいられなかったのだろうさ。」
「ということは、やはり、あの日向の者たちは大和朝廷に謀反をとでも思っているのでしょうか。」
「さあな…。まあ、あやつらに限らず、大和朝廷へ謀反を起こしたいと思っている民はそこいら中におろうて。元々日向国も我ら邇磨も大和朝廷とは対立する一勢力だったからな。狗留須が怪訝に思って訪ねて来るのも、不思議なことではあるまいよ。」
「それで、我らが邇磨の様子を見にやってきたと?」
「まあ、そういうことさな。」
 そう切羽詰っていないのか、玄馬は別に臆することなく直人に答えた。
「近いうちに争乱を起こすつもりなのでしょうか?日向は…。」
 心配げな直人に玄馬は静かに言った。
「それは天のみぞ知るところかもしれぬな…。このまま百済援助が呼び水になって、再び倭国内が動乱の時代へと突入するかもしれぬし、何事もないかもしれぬ。まあ、狗留須猛は勇猛果敢なだけではなく、洞察力も鋭い奴じゃから、危ない橋は渡らぬとは思うが…奴の腹の中までは、ワシにもわからんわい。」
 玄馬はもやがかる海を眺めながら言った。
「もっとも、今回、この邇磨に来たのも、判断材料の一つにでもしたいと思うたのかもしれぬしな…。まあ、他にも用はあると言っておったな。」
「他の用…ですか?」
「大方、武器の原材料になるカンカン石を買い付けに来たのかもしれぬな。」
「カンカン石…。とういうことはやはり…。」
「そこまでは穿ちすぎかもしれぬがな…。だが、いざ、朝廷と事を構えるならば、少しでも武器の材料は確保しなければならないだろう。今のうちに集めておけるものは集めておこうと思うのも自然な流れであろうな。世の中の情勢は我らが思っている以上に激しく動こうとしているのかもしれぬな…。」



 雨は対岸の多度津(たどつ)でも降り続いていた。
 あかねも良牙も多度津で足止めを喰らっていたのだ。
 
 流れてくる風はじめっとした湿気を孕んでいる。身体にかいた汗が乾かない状態で、じっと昼間を過ごす。
 熟田津のように温泉地でも有れば、慰みにもなろうが、全面に広がる海以外は何もない多度津だ。
 良牙もその配下や同列の武人たちも、詰まらなさそうに湊や船の中で一日を潰した。

「二、三日は降り続くかもしれないなあ…。」
 ここら辺りの海路に詳しい水夫たちが、恨めしそうに空を見上げる。瀬戸内の海は外海ほど波は高くはないが、それでも、まとまった雨が降れば、波風も高い。ましてや、人力に頼って航行しなければならない時代だ。ある程度の天候の回復を待たねば、ならなかった。そう急ぎの船団でもなかったので、のらりくらりとしていたということもある。

 夜になっても、雨はまだ降りやまず、時には激しく、水を打ち付けてくる。
 あかねはその日、船の中に居た。船倉の部屋で浅い眠りを取っていたのだ。勿論、近くには良牙も居た。

 と、ゴツンっと何かが当たって、大きく船が左右にゆり動いた。

「何事?」

 寝入っていた良牙たち武人が、物音に気付いて一斉に飛び起きる。

 と再び、ゴツンっと横っ腹に激しい音がした。
 明らかに何かぶつかった。

 バタバタと男たちが起き出し、甲板へと出て行く。
 彼らは音の下方向を見て驚いた。
 そこには、真っ黒な軍船が横付けされていたからである。突然それは現われたように思った。

「なっ!どこの船団の船だ?」
 良牙がかなりたてながら刀を取った。辺りは靄(もや)がかかっていて、他の船が見えない。
 雨がそぼ降る暗闇であったので良く見えないのかと思ったが、違った。目を凝らして海面を見て、船内に動揺が走った。
 良牙たちの船は、碇を外されて、ゆらゆと船着場からすっかり離れていたのである。すぐ真横に行く軍船が自分たちの船を曳航しているではないか。
「い、いつの間にか多度津の湊から、離れているでやないか!」
「陸はどこだ?陸はっ!」
 真っ青になる水夫たち。
「誰も気がつかなかったのか?見張りはっ、何をやっていたっ!!」
 良牙が叫びつけた。
「おりませぬ。まさか、船ごと湊から連れ去られるとは思いもよりませんでしたので皆、船底で休んでおりました。それに、他の船の武人たちも、同じように雨の中、ぐっすりと今までの疲れを癒すように眠りに入っていたようです。」
「他の船は?あいつらに曳航されているのは、俺たちだけなのか?」
「多分、この船だけかと。」
「ちっ!!ここでじっとしていても埒が明かない。」
 良牙は船倉へ戻って武器を携えた。弓や刀剣を手に無我夢中であかねの元へと走った。
 相手の目的がわからない以上、できるだけ守りに徹するのが得策と考えたのだ。

「良牙殿?どうなされました?」
 血相を変えて飛び込んで来た良牙にあかねが飛び起きて声をかけた。
「いや、どうやら、海賊に襲われたようです。」
 良牙はその問いに答えた。
「海賊ですか?」
 あかねの顔が一瞬強張った。
「ええ、この辺りには時々海賊が出るのだそうです。…邇磨の玄馬を抑えていたので、安心しきっていたのですが…。恐らくは金目当ての小さな海賊でしょう。何、大丈夫、私が蹴散らして、お守りします。」

 ややあって、岩麻呂たちの配下の海賊たちが、剣を片手に入ってきた。

「ワシらはこの海一体を仕切っている海賊じゃ!抵抗すれば容赦なく切り捨てる。」
 そう言いながら、まず一人、傍に剣を携えて立っていた大和の武人を切りつけた。血飛沫が飛んで、男がどおっと船の床に倒れた。

「こうなりたくなければ、大人しく言うことを聞けっ!!」
 元々は荒くれた海賊たち。脅し文句も手馴れたものである。転がった死体を見て、すっかりと戦意を失った男たちは、ざわめきはじめる。逃げるためにわれ先にと海へ飛び込む奴も居た。

「貴様たちの目的は物品か?それとも農作物か?」
 良牙は先頭に立って、船倉から上がってきた。そして、岩麻呂の配下たちにむかって言葉を投げつけた。

「いずれでもないわっ!」
 岩麻呂がそれを受けて良牙の前に立ちふさがった。

「物や農作物ではないというなら、何を求めてきたっ!!」

「この船の女を出せ。」
 にいっと岩麻呂が笑った。

「お、女だとっ?」
 良牙は軽蔑して言った。

「わかってるんだ…。この船には大和朝廷の巫女として出仕する女が幾人か乗っておろう?」

 良牙の後ろで大和の武人や役人たちが騒ぎ始めた。

「巫女を求めて何とするのだ?」
 良牙はきっと厳しい目を手向けた。
「そんなこと、おまえには関係がないだろう!」
 岩麻呂が良牙目掛けて、剣を凪ぎ下ろした。ビュッと空を切る音がした。
 すんでのところで良牙はその切っ先を避けた。彼の髪の毛がはらっと落とされた。

「おまえたちは、巫女たちを守れっ!!」
 良牙は夢中で、そう叫んでいた。


二、


「者ども、かかれっ!!」
 岩麻呂が後ろに武器を持って控える配下に命令した。

 うおおおっと怒号が上がり、船の上は修羅場と化していく。
 良牙も負けじと剣を振るった。


「さて…。そろそろわしらの出番のようじゃなあ…。珊璞よ。」

 男たちの攻め合いを見ながら、可崘がそう話しかけた。
「風向き宜し…。」 
 珊璞は手を上に翳すと、持っていた香炉を船の上へと投げつけた。
 ボンッと何かが弾ける音がして、香炉が壊れた。そして、その衝撃で、香炉の中にあった香の粉末が当たり一面に飛び散った。

「なっ!何だこれはっ!!」

 その粉末を浴びて、良牙たちが叫んだ。喉を突き刺すような異様な臭いが、瞬く間に船上へと充満した。中には咳き込むものも居たほどだ。
 ややあって、体の感覚が麻痺し始めるのがわかった。

「しまった…。毒の粉…。」

 そう叫んだ時は既に手遅れだった。
 良牙もその他の武人たちも、がくっろ膝を折ってその場へと崩れ落ちた。

「ふん、他愛のないものよ…。」
 岩麻呂がそれを愉快そうに見下ろしている。

「畜生…。卑怯者…。」
 良牙が苦しそうに呻きながら叫んだ。

「ふふふ…。戦いは勝てば良いのだ。行けっ!」
 岩麻呂は配下へと目配せした。



「一体、上では何事が…。」
 一所に集められた女たちの中にあって、あかねは心配げに上の気配を伺っていた。そこそこ、武人として武芸のたしなみがあったあかねは、外の様子が気になって仕方がなかった。
 船倉の中では、女たちが不安げに抱き合いながら、震えていた。得も言えぬ緊張感が当たり一面に張り付いている。
 バタバタと音がして、乱暴に船倉の木戸が開いた。
 雪崩れ込んできたのは、見たことがない格好をした海の民、岩麻呂の配下たちだった。

「こっちだ!たくさん居るぜ!女がよう!」

 その声と形相に、中に居た女たちはいっせいに悲鳴を上げた。


「何事っ!」
 あかねがきびっと海賊たちを見据えた。逃げ惑う女ばかりの中で、彼女だけは凛とした態度を崩さない。さすがに武人の娘としての肝が据わっていた。

「ふふふ…。女は全て無抵抗と思っていたが、抗おうという奴も居たのか。面白い。」
 岩麻呂が不敵な笑みを浮かべて、身構えるあかねを見下ろした。
「女、名を名乗ってみろ。」
 高飛車な態度に出た。
「おまえのような不逞の輩に名乗る名などはないわっ!」
 あかねは激しい気性で言葉を投げつける。
 名前を相手に告げるということは、相手を認めたことになる。そんな呪術的な考えが強かった古代だ。問われても、易々と名乗る人間は居ない。
「面白い、腕ずくで、名前を言わせてやろうかっ!!」
 岩麻呂があかねに襲い掛かった。

 あかねは咄嗟にその巨体の下をすり抜けた。そして、でぶっちょの腹へ一発、裙をまくしあげて蹴りをお見舞いした。

「痛っ!」

 岩麻呂は思わぬあかねの攻撃に、怯んだ。
「てめえ、女だと思って、手加減してやったらっ!今度は容赦せぬぞっ!」
 顔を真っ赤にして怒り始めた。
「女と思って舐めていたら、大怪我するわよっ!さっさとここから立ち去りなさいっ!」
 あかねも負けじと言い返す。
 出会ったときに乱馬にいきなり戦いを挑んだだけあって、その気の強さは健在であった。
「言わせておけばっ!」
 岩麻呂ははっしと睨み返すと、あかね目掛けて襲い掛かる。

「くっ!」

 あかねはするりとその巨体を抜ける。身軽な分、攻撃に破壊力はないが、それでも、岩麻呂の背後に回って蹴りを何発かお見舞いした。

「すげえ!この女、やるじゃねえかっ!」

 体よく岩麻呂があしらわれているのを見て、彼のは以下の者たちが囃し立てる。

 と、岩麻呂のすぐ後ろで男の悲鳴が上がった。
「うわあああっ!」
 彼はそう雄叫びを上げると、どおっと船倉へと倒れこんだ。
 あかね以外の女たちは恐怖で震える顔を背けた。

「あかね殿っ!」
 
 そう声がして後ろから男が切りつけてきた。良牙だ。
 毒の粉末を浴びて、痺れた身体を奮起し、気力を振り絞ってここまで辿りついたようだった。

「良牙殿っ!」
 あかねがその声に反応すると、岩麻呂はにっと笑った。
「あかねだと?そうか…。貴様が茜郎女か…。」

「だったら、何だって言うのよっ!」
 あかねははしっと睨み返した。

「俺たちと共に来てもらおうっ!」

「させるかっ!!」
 良牙が飛び込んで来たが、毒薬で犯された身体では、岩麻呂を倒すことは出来なかった。岩麻呂は良牙目掛けて、一発、素手でカウンターパンチを食らわせた。

「うっ!」

 鈍い音がして、良牙が床に倒れ付した。

「他の奴には用はねえ。俺たちが用があるのは、てめえ、茜郎女だけだ。」
 そう言うと、岩麻呂は、懐から再び、毒の粉を出して、あかねの鼻先へと撒き散らした。

 げほっ、ごほっ。
 その粉をまともに浴びて、あかねが咳き込んだ。
 粉を吸い込んで動きが鈍ったあかねを、岩麻呂は容赦なく攻めたのだ。
「しまった…。体が動かない…。」
 そう思った時、鳩尾(みぞおち)に一発、岩麻呂の拳が入った。
「うっ…。」
 あかねはそう吐きつけると、すっと体から力が抜けていくのを感じた。
「無念…。」

 滑り落ちたあかねの身体を、がっしりと岩麻呂の太い腕が掴み取っていた。

「あかねは確保した。長居は無用!者ども、引き上げだっ!」
 岩麻呂の声に、おおっと雄叫びを上げると、海の男たちは、潮が引くように、すっと横付けていた船へと戻る。そして、瞬く間に接岸していた軍船から離れ去った。

「畜生…。茜郎女殿…。」
 倒された床に這いつくばったまま、良牙が虚しく言葉を吐きつけていた。




三、

 あかねを襲った男たちは、あかねを捕獲すると、さっさと自分たちの乗ってきた船に引き上げた。そして、大急ぎで遠ざかる。そろそろ喧騒を聞きつけて、他の船団がざわつき始める頃だ。ポツポツと暗がりに松明が灯され始めていた。
 湊では騒ぎ始めていたが、時は既に遅く、まんまと岩麻呂たちは、あかねを掻っ攫うという目的を達成してしまったのだ。
 この辺りの海についてはやたらに詳しい彼らは、夜陰に紛れて漕ぎ出すことなど、朝飯前だった。
 島影も多いこの辺り。彼ら邇磨の海賊にとっては、庭先みたいなものだった。
 岩麻呂はその一つへと、船を滑らせて行く。
 多度津からそう遠くない、瀬戸内の島の一つへと、彼らは船を漕いだ。これも予定の行動だった。
 周囲が一キロもない小さな島へ、彼らはあかねを連れたまま、接岸した。

「婆さん、この娘で良かったのか?」
 岩麻呂は捕らえてきたあかねを可崘の前に差し出すと、問いかけた。

「おお、そうじゃ。この娘じゃ。九能の館で見たことがある。」
 可崘は目を細めて笑った。
「こいつが、乱馬の思い人…。」
 珊璞が憎々しげに上から覗き込んだ。捕らわれてあかねはその場に気を失っていた。
「なかなか気の強い女だったぞ。てこずったわい!」
 岩麻呂はあかねに蹴られた足をさすりながら言った。
「で、この娘にどんな用があるというのだ?」
 興味深々でめぐらせて来た顔を、可崘は押し退けるように言い放った。
「まあ、見ておれ…。面白い物を見せてやろう。」
 そう言うと可崘はまだ明やらぬ真っ暗な闇の中、着岸した島へと彼女を下ろすように促した。
 夜明けまでにはまだかなり時間がありそうだった。ずっと降り続いていた雨は、ようやく上がったのか、雲が切れ始めているのがわかる。月明かりが不気味に辺りを照らし始めた。
 松明を片手に島の中ほどへ入っていく。

 島内には人が手を加えた石垣やら、木の建物が点在している。足元を良く見ると土器などの欠けた物や引き千切れた注連縄などが落ちているのがわかった。
 
「ほお…。なかなか立派な建物があるではないか。人の気配はないのに、面妖な。」
 可崘婆さんが目を見開きながら言った。
「ここは、海の民の神の島、斎島だ。」
 岩麻呂は答えた。

「斎島って何あるか?」
 珊璞が興味深げにきびすを返した。
「ここはこの辺りの海の民に昔から使われている祭祀場なんだよ。毎年、新しい年が明けるとすぐ、選ばれた漁夫の邑から生娘を一人、卜占で選んで、ここへ連れてくるのさ。そしてその年の御調として綿津見の神へと捧げるのだ。ここはそんな島なんだ。」
 そう言って岩麻呂が笑った。
「つまり、生贄を捧げる島あるか?」
 珊璞が問い質した。
「まあ、そんなところだな。ここへ連れて来られた娘は、決して他へは渡っては行けぬ。一年間、この地に居て、海の神に航海の無事を祈り続けるのだ。」
「何だ、任期一年の女官みたいなものか。」
 珊璞が呟く。
「そんなに甘っちょろいものじゃないらしいぜ。ここの生活はよう。次の年まで生き延びた巫女は皆無に近いと聞く。まあ、連れて来られる季節が季節だからな。真冬の寒さに春まで持たないのだろうよ…。食べ物もないしな。魚介を獲るにしても、女の細腕ではなかななかできることではない。おまけに、ここら辺りは結構渦も立つから、抜け出すこともできない。飢えて死ぬか、耐え切れずに入水するか。まあ、そんなところなんだろうな。」
 岩麻呂は冷たく笑った。
「へえ…。それで人気が全くないあるか。」
「ああ…。恐らく今年の初めもここへ巫女が捧げられただろうがな。大方、春まで生きながらえられなかったんだろうさ。ほら。」
 岩麻呂は少し先を指差した。そこには何と、頭蓋骨が並べられていた。中には髪の毛が長々と残っているものもある。あまり小気味の良い眺めではなかった。
「ここで朽ち果てた娘の成れの果てさ。巫女が交代する年の初め、遺体を見つければ、ここへこうやって並べるんだとよ。へへへ。」
 だが、珊璞は無感動だった。並の神経の女であれば、悲鳴を上げたり怖がったりするのだろうが、さすがに唐国の道士だけあって、こういう風景には慣れっこになっているに違いない。
「ちぇっ!怖がりもしないか…。可愛げがない…。」
 つい、岩麻呂がそう吐き出したほどだ。
 
「でも、女を囲うには格好の島だぜ。」
 岩麻呂が降りながら笑った。
「確かにそうじゃな。雨露凌げる建物はあるし、他に人も来ない…。」
 可崘婆さんが意味深に笑った。
「ああ、そうだ。おまえたちの用事が済めば、この女は俺が貰う。そういう約束だった。貰い受けたら後は俺様の自由よ。ここに囲って可愛がってやるのよ。」
 と岩麻呂はいやらしげに笑った。
「神の島で女を囲う…罰当たらないのか?」
 珊璞が驚いたように問いかけた。
「ああ、邇磨には連れて行けねえからな。暫くここへ囲って、後のことは先で決めるさ。子を産むなら別の島に渡って行って苫屋を営んで生ませれば良いし…。死んだら死んだでここの巫女たちと一緒に躯を置けば、お咎めもない。」
 ぺろりと赤黒い舌先で乾いた口を舐める。
「こいつは間違いなく上物の女だ。地元の女とは気品が違う。しかも、勝気ときている。そんな女を余すまで甚振るのも面白そうだ。こやつがあの憎き乱馬の妹背とあらば、なおのことよ。」
 ふうっと大きく溜息を吐き出し、可崘が言った。岩麻呂の周到さに半ば呆れたのだろう。
「…まあ良いわ。岩麻呂、水場を探してくれぬかのう…。できれば地下水でも水溜りでも、真水が湧き出でる場所だとありがたいのじゃが…。」
 可崘婆さんが岩麻呂に指図した。

「おい、てめえら!水場を探せ!」
 先に解き放った仲間に、岩麻呂が声をかけた。

「兄貴っ!岩麻呂の兄貴っ!こっちにあるぜ。清めの水場だ。」
 その声に導かれて、一向はあかねを運ぶ。



「手っ取り早く、やってしまうかのう…。夜が明けてしまっては厄介じゃ。」
 島の中ほどにある水溜りを見つけると可崘はその傍へとあかねを下ろさせた。

「う…ん…。」
 その衝撃で閉じられていたあかねの目が開いた。
「ここは…。」
 辺りの様子を伺いながら、岩麻呂と可崘たちの姿を認めて、はっしと睨み付けた。
「目覚めたか…。」
 可崘がにっと笑った。

「そなたたち…。何者?何のつもりで、私を…。」
 後ろ手にきつく縄で縛られているので、あかねは動くことさえも叶わなかった。だが、瞳だけは射るように己をさらった連中に向けられていた。

「ふふふ…。貴様のその姿形をこの娘に写すためにさらったのだ。」
 可崘がそれに答えた。
「私の姿をこの娘に?」
 何を言っているのか分からずに、あかねは聞き返した。
「ああ…。そうだ。おまえの姿と声とをそっくりそのまま、いただくためにな…。」
 可崘は真顔で答えた。
「何なのです?その戯言は!そのようなこと、神でもないのに出来るとでも?」
 あかねは激しい瞳で睨み返した。
「出来ぬと言いたいのだろう?ふふふ、だがそれが出来るのだよ。この秘水を使えばな…。」
 可崘が懐から大事そうに小瓶を取り出した。この時代にはまだ珍しかったガラスの小瓶だった。しっかりと口が閉じられていて、幾重にも布が巻き付けてある。
「これはなあ、我が一族の暮らす里に湧き出でる不思議な泉の水なのじゃ。我らはその泉の里を「呪泉の水」と呼んでおる。」
 そう言いながら、可崘はガラス瓶の中に揺らめく液体を振って見せた。
「これを使えば、たちどころに、誰でもおまえに変化することができるのじゃよ。ほっほっほ。」

 怪しげに可崘の目が輝いた。
 そして、可崘はガラス瓶の蓋を開けると、中の水を、目の前の水溜りへと滴らせた。
 とぽとぽと音がして、水溜まりの中へと中身が注がれていく。その水面が怪しげに灯した松明を写して揺れた。

「珊璞っ。」

 水を入れ終わると可崘は後ろに立っていた珊璞を傍らに呼んだ。
 珊璞は無言で後ろからあかねを見詰めている。不敵な微笑を浮かべていた。

「この娘に私の姿を写すとでも?」
 あかねはきっと珊璞を見据えた。

「いかにも…。この娘がおまえの姿形を借り受ける。」
 可崘がにんまりと笑った。
「何のために?何故、私の姿形が必要なのです?」
 あかねは食い入るような瞳を差し向けた。

「おまえの代わりに、乱馬へ嫁ぐためある。」
 珊璞の澄んだ声が刺すようにあかねへと差し向けられた。
 にんまりと口元が笑っていた。
 唐突にこぼれた愛しい人の名前に、あかねははっとして珊璞を見上げた。
「乱馬に嫁ぐですって?ど、どういうこと?何であなたたちが乱馬を知っているの?」
 声が震えた。

「乱馬、おまえ愛している。だから、私、おまえと入れ替わる。そうすれば、乱馬、私を愛してくれる。」
 怪しげに珊璞の瞳が揺れた。
「何のこと?何言ってるか、理解できないわ!」
 あかねはきびっと珊璞を見上げた。

「ほほほ、それだけでは何のことかわからぬな。わしが補足してやろう。」
 可崘が前にしゃしゃり出た。そして、ゆっくりと語りだした。
「我々は唐国から来た道士じゃ。」
「唐国の道士ですって?」
 あかねの瞳が驚きで見開いた。
「ああ、そうじゃ。我々は戦いの中でおまえの妹背、早乙女乱馬を見出した。その並外れた戦いぶりに翻弄されると同時に、心惹かれたのじゃ。乱馬殿は強い。見事な益荒男じゃ。
 その男ぶりを見込んで、この孫娘の婿にしようと思ったのじゃ。」
 可崘は珊璞を一瞥した。
「ふふふ、一族に優秀な子孫を残すためには、えし男と交わる必要があるからのう…。おまえの妹背、早乙女乱馬は我らの目に叶った素晴らしき男…。今までも何度も、交接を試みようとしたが…拒絶された。それは、おまえという妹背が居たからじゃ。おまえという存在が乱馬殿の心に住んでいるのなら、いっそのこと、おまえと珊璞が入れ替われば良いと思うてなあ…。」
 可崘が低い声で答えた。

「な…、何てことを。」

「乱馬と珊璞を娶わせようと企んだが、尽く失敗した。だから、乱馬が愛しているおまえの姿を借りたいのだ。ふふふ…。嫌だとは言わせぬ。」

 可崘はさっと持っていた杖を翻した。

「きゃっ!!」

 彼女の杖に突き飛ばされる形で、あかねは目の前の水溜りへと落ちた。
 水飛沫がバッシャと立ち上がる。

「そうれ…。水よ、この娘の姿を捉えよ。」
 可崘はそう言いながら、あかねの身体を杖で沈めた。
 後ろ手に縛られたまま、水の中へと放り投げられたあかねは、苦しそうに中でもがいた。溺れて気を失いそうになったとき、可崘は杖の先で彼女の身体をついっと釣り上げるように引き上げた。
 あかねは水から上げられるとその場にうずくまった。
 ゴホゴホとむせる声が苦しそうに響く。

「珊璞よ…。水はこの娘の姿を写した。さあ、今度はおまえがこの水の中へと入るのだ。」

 珊璞は一度大きく頷くと、可崘の指図したとおりに、足先からゆっくりと、あかねを放り込んだ水へと入っていった。胸辺りまでが水に浸ったところで、思い切ったように珊璞はザブンと水の中へと頭ごと潜った。
 ぶくぶくと大きな泡が水溜りから上がってくる。
 あかねはようやく落ち着いた息を整えると、珊璞が入った水面を見詰めた。
 ややあって、水面から珊璞が上がった。いや、上がって来たのは珊璞ではなかった。
 寸分と変わらぬあかねが、確かに水の中から上がって来たのだ。

「おお!」
 黙って女たちの動向を見守っていた、岩麻呂たち海の男のどよめきが周りから起こった。
「これは…。奇跡だ!」
「まさに、茜郎女とかいう娘が二人に!!」
 どよめきが湧き起こる。

「成功あるか?」
 珊璞がにっと笑いながら問いかけてきた。

「凄いぜ!声色までそっくりだ!!」
 岩麻呂も思わず感嘆の声を上げたほどだ。

「ふふふ…。上々じゃ。姿形はもとより、声色も髪の毛の色も黒子(ほくろ)の位置までもが、寸分違わぬ。これで完璧におまえは茜郎女と入れ替わることが出来る。」
 可崘がにんまりと珊璞を見て満足げに頷いた。

「そ…そんな…。」
 あかねは衝撃で言葉さえ継げなかった。

「ふふふ、抜かりはない。後は海賊にさらわれそうになっていたこの娘をお救い申したと小舟で多度津の大和船へと戻れば良いのじゃ。誰も入れ替わったことに気が付くまいよ…。たとえ、乱馬殿でもな。」

「茜郎女…。おまえに成り代わってこの私が、乱馬様の寵愛を受けてやるね。安心して、乱馬のこと、私に任せるよろし。ふふふ、おまえの代わりに乱馬と結ばれて彼の子供産んでやる。」
 珊璞は勝ち誇ったようにあかねを見下ろしていた。
「さて、珊璞…。」
 可崘は後ろを振り返った。
 珊璞はあかねの顔のまま、にんまりと笑った。
「さて、急ごうかのう。夜が明けては奴ら、この辺りまでこの娘を捜索しに来るかも知れぬ。少しでも早く多度津へ帰るのだ。茜郎女としてな…。」
「そうあるね…。」
「船ならあの松の木の下にある。それを使うと良いぞ。」
 岩麻呂は松明を手渡しながら声をかけた。
「おぬしにしては用意がいいな。」
 可崘が笑った。
「なあに、さっき、ここへ来る途中、あっちの浜に繋いでおいた。…あ、心配はいらぬ…。ちゃんと使えるぞ。櫓も置いてあるぞ。」
 そう言って岩麻呂はにっと笑った。
「世話になったな…。岩麻呂よ。世話ついでにおまえの船に所望していた「薬」を置いておいた。」
「薬?」
「ああ…。おまえが沐絲に貰っていたあの快楽の薬じゃよ。」
 可崘はにっと笑った。可崘は前に岩麻呂が使っていた「麻薬」のことを言っているらしかった。岩麻呂の目が妖しく光った。
「飲むと気持ちが良くなるあれか…。ありがたい。沐絲が乱馬にやられてからは、手に入らぬで困っておったのでな。」
「そう思ったでな…。何、ほんのお礼の印じゃ。存分に使うが良い。…それから…。もう、その娘は用済みじゃ。後は好きにしろ。」
 可崘はまだ放心したままのあかねへと視線を流して、にっと笑った。




四、

(あかね…。茜郎女!しっかりしろ!)
 胸の奥の何処かでそう声が響いてきたように思えた。懐かしい声。
「乱馬…。」

 はっとして瞳を上げる。
 と、男たちの好奇の目がいっせいにこちらを向いているのと出くわした。
 見るとそこは、朽ちかけた蔀屋の中のようだった。祭祀場のようで、注連縄や土師器が、辺りの床一面に散乱しているのが目に入った。部屋の真ん中に燭台があり、そこに松明が掲げられて怪しく揺れていた。まだ、辺りは夜が支配しているのだろう。松明の明りの範疇外は真っ暗だった。
 ひんやりと冷たい空気が何処からともなく漂ってくる。磯の香も混じっている。

「何だ、正気に戻ったか…。」
 一番大きな男がにっと笑いながらあかねを見やった。
 己は台の上に寝かされている。幾つもの鋭い視線がこちらを向いている。
「へへへ…。大和の巫女を抱けるのか。」
「綺麗な顔してるなあ…。」
「あの、乱馬の妹背になるはずの乙女だって?」
 口々に男たちが好き勝手に問いかけてくる。
「待て!まずは岩麻呂様が先じゃ!」
 岩麻呂は他の男を、手で打ち払った。
「兄貴、ずるいぜ!」
「おこぼれは皆で頂戴するものじゃないのか?」
 口々に不満が漏れてくる。
「貴様ら?何か文句でもあるのか?」
 岩麻呂がブンッと太刀を払った。ヒュッと音がして、傍の草原の葉が落ちる。
 その様子に、後ずさる男たち。
「わかったよ。一番は譲るからよ…。」
「俺たちにも順番に抱かせてくれよ!」
 と口々に吐き出した。
 
 その会話に、思わず身が強張った。
「そなたたちは、何を!」
 本性の勝気さが戻ったあかねは、きびっと男たちを見返して言った。

「ほお、気が強い女だ。この状況下でも、うろたえもしないで反撃しようとするとはな。」
 岩麻呂が笑った。
「何をするのかって?そんなの決まってらあ…。ここで俺たちの慰み者になってもらう。嫌だって言ったところで、ここは絶海の孤島だ。助けなんて来やしない。」
 ゆっくりと岩麻呂があかねに近づく。
「今頃あんたに成りすました、さっきの唐国の女が、大和の船へと帰り着いているだろうからな…。当然、捜索の船も出やしない。おとなしく、俺たちの言うことを聞くんだな。そうすれば、命まで取ろうとは思わない。尤もおまえはこれからは俺たちの女だ。そうだな、具合によっては、この岩麻呂様の妻に迎えてやってもいいぞ。」

「何を勝手なことを。」

 あかねはきびっと鋭い視線を投げ返した。

「えへへ…。まずは俺と睦み合おうぜ。」
 がっしとのびてくる男の顔へとあかねは思いっきり舌から唾を吐きつけた。
「私は斎くために巫女として選ばれて西海を渡りし娘。おまえたちに捧げる身体などない!」
 そう、力強く叫んだ。
「ちっちっ!おまえの命は俺たちが握っていることを忘れて貰ってはいけないな。おまえの意思などここには介在しない。おまえは俺の思うが侭になるしかないのだ。」
 確かに、縛られた手足では、反撃もできない。
「恐怖を感じるのは最初だけだ…。すぐに気持ち良くしてやる。俺の五体全部を使ってな。」
 すっと、あかねの着物の襟元に手がかかる。
 既に、上着は脱ぎ去って、分厚い岩のような肉の塊が目の前に覆いかぶさって来た。
 振り払おうにも、手は固く縄で縛られていて、微動だにしない。
「さて、その神々しい身体を、俺様に捧げて貰おうか。」
 既に荒くなり始めた岩麻呂の吐息が近づいてくる。
 そんな岩麻呂をあかねははっしと下から睨み上げた。

「私は巫女になるためにここまで来た女。それに手出しをするということは、神罰が下るに等しいということ。おまえたちにはその覚悟ができているとでも。」
 それでも負けじとあかねは言い返した。
「ふわっはっはっは。何を言い出すかと思えば…。」
 それを聞いて、岩麻呂は腹を抱えて笑い始めた。
 そして、乱暴に腰元で結んでいた帯紐を解きだす。
「へへへ…。良い身体してんじゃねえか。」
 
 貪られるくらいなら、いっそのこと、舌を噛み切ろうかと、弱気な考えがよぎる。と、それを見通したのか、岩麻呂があざ笑った。
「おっと、舌を噛み切られちゃあ面白くねえ。」
 そう言って、岩麻呂はあかねの口中へ布切れを押し込む。布の圧迫で、歯を噛みあわすことができなくなった。舌は喉の奥の方へと追いやられ、苦しい。
 岩麻呂は解いたばかりの腰紐で、布切れごとあかねに猿轡をした。
「う…ぐ…。」
 あかねのくぐもった声が漏れる。これでは舌も噛み切れない。
 再び、乱暴な手で、その場へと転がされた。

「観念しな。」
 そう言いながらぐいっと迫り出してきた巨体。
 上半身は縄で縛られているので、抵抗しようにも身動きできない。
 岩麻呂は、あかねの上に馬乗りになる。胴体ごと割り込んで、ぐいっと足を閉じれぬように開脚させた。すっと、あかねの白い肢体が、暗がりに浮かぶように白く浮き上がる。その艶かしさに、思わず、岩麻呂の口元が緩んだ。
 これから、この美しい媛が己の愛玩物となる。そう思っただけで、体中の血がゾクゾクと昂ぶった。
「痛いのは最初だけだ。後は、気持ちよくなってくる。いや、俺様が気持ちよくしてやらあ!」
 勝ち誇った瞳をあかねに手向けながら言った。

「ここに神様なんて来ねえよ!居ねえ神に罰など当てられるわけもねえんだ。はっはっは、当てられるものなら当ててみろってんだ!その罰ってものをな!」
 そう言いながら、あかねの肢体へと手を伸ばす。
 
 もう、駄目っ!

 ぐっと閉じた目から、悔し涙がこぼれそうになった時だった。

『ならば、神罰当ててやろうか?』

 近くで嫗(おうな)の声がした。




 第二十九話「急転」へつづく




 古代の交易については、さまざまな資料からの想像です。実際、九州南部の古代遺跡からは、沖縄や奄美辺りで獲れる貝を原料とした腕輪などの装飾品を加工する施設などの遺跡も残っているそうです。(鹿児島県高橋貝塚遺跡)また、塩飽諸島周辺は古代から製塩が盛んだったそうです。
 斎島も一之瀬の勝手な設定ですが、或いは、こんな聖域の島もあったのではないかと思います。

(C)2008 Ichinose Keiko