第四話 危ない二人


 淡い春の宵。
 朧月が天から地上を照らし出す。桜はもうすっかり散ってしまったが、まだ窓を開けたままにするには肌寒い季節だ。
 外へ目を転じると、まだ乱馬の部屋からは明りが漏れている。さっき部屋の前を通った時は、ぶつぶつと台詞を言っている声が聞こえた。どうやら真面目に明日の本番を前に台詞と向き合っているようだった。

「はあ…。不気味なくらい静かよねえ…。」

 誰に言うわけでもなく、あかねはぽつんと吐き出した。
 この家が静かだったためしなど殆どないからだ。別に騒々しいとまではいかないが、今日は隣りの部屋のなびきも留守だし、かすみも居ない。
 父親たちはつい小一時間ほど前にほろ酔い状態で帰宅した。さっき、茶の間を覗いたら、二人とも折り重なるように上機嫌で眠りかけていたから、大慌てで起して、それぞれの部屋に運んで寝床へ並べてきたところだ。
 あと、この宵闇を起きているのは乱馬と自分だけということになる。
 時計を覗くと、そろそろ日付変更線に差し掛かっている。
 朝早く起き上がってロードワークに出ることが多いあかねにとって、十二時といえば深夜に属する。あまり夜更かしをするタイプではないのだ。
 そろそろ寝ないと明日に差し支えるだろう。

 パジャマに着替えて、電気を消す。目覚ましもセットした。ふわあっと欠伸をひとつすると、ベッドへと身を横たえた。
 普段なら、目を閉じてしまうと、すぐに眠りに入れるのに、この日に限ってなかなか寝付けなかった。あまりに家の中が静か過ぎたせいかもしれない。

「もう…。なびきお姉ちゃんが変なことを言うから…。」

 何度も寝返りを打ち、はあっと溜息を吐く。羊を数えてみようかとも思ったが、それも集中できないで居た。なびきの言葉が耳元で響いたからだ。

『乱馬君さあ…何か悪い物にでも憑依されてるか、それか、そろそろ潮時って思ってるか…どっちかだと思うのよねえ。』
『憑依されてるって?』
『ああいう体質だからねえ…。今までにも何度かあったでしょう?変な霊に乗り移られたりとかさあ…。化け猫ってのも居るような町内だから。ここは。』
『化け猫、魔猫鈴ねえ…。』
『まあ、あたしは後者じゃないかと思うんだけれど…。』
『後者?』
『そう…そろそろあかねとの結婚を本気で考える時期にさしかかってるってことよ。十八歳ったら法律上では結婚できる年になるんだし…。それに、ここ一年くらいで進路を決めなくちゃいけないでしょう。無差別格闘を継承してあんたと所帯を持つって腹を括るとでもいうのかしらねえ…。そろそろ一線を越えても良いって本気で考えてるのかもしれないわよ。』
『まさか…。』
『お父さんたちもそれを望んでいるわけだし…。その意思表示みたいなのを、ここんところあんたに投げつけてるんじゃないのかしらねえ。キスの事だってそうだし、この前の熱い抱擁もね…。あのままあたしやお父さんたちが乱入しなかったら、あんたどうしてたのかしらん?』

 なびきはあかねにそんなことを言い置いたのだ。


「もう、お姉ちゃんったら他人事だと思ってえっ!」

 眠れないままにあかねは薄暗い天井を見上げながら溜息と共にそう吐き出した。
『あのままあたしやお父さんたちが乱入しなかったら、あんたどうしてたのかしらん?』
 その命題はあかねにとっては辛辣だった。
 あの時、乱馬は今までにしたことのないような行動に出た。柔らかく抱きしめてくれただけではなく、その左手は確かにあかねの気持ちを確かめるように耳元を愛撫したのだ。一瞬だったが、我を忘れかけた。ぞくっとするような快感。今まで味わったことのない感覚が身体を突き抜けていった。
 あのまま乱馬に愛撫されていれば、我慢出来ずに甘い吐息を吐きつけていたかもしれない。そう思うと、心がぎゅうっと締め付けられた。
 何だか悪いことをしているような、そんな罪悪感のようなものさえも感じる。
 きっと一線を越えるということは、こんな感じに苛まれるのかもしれない。
 薄らぼんやりと思った。

「一線を越える。」

 それは今まで考えもしないことだった。
 それが、あの突然の熱いキスと熱い抱擁と愛撫で、急に現実味を帯び始めたのだ。
 今日の帰り道、乱馬の様子はいつもと違った。制多迦が体内に憑依しているせいであったが、無論あかねはそんなことを知る由も無かった。何か言いたげで、それでいて、だんまりで、いつもの不器用さで…。
 彼から手を繋いできた。今まで殆どそんなことは無かった。それもつかんだ時、ぎゅっと握り締められた。強く、まるで、あかねの気持ちを確かめるかのようにだ。
 大きな手だった。包み込まれている安心感を感じる手だった。
 
 彼に求められたら、どこまでも許してしまいそうな自分がここに居る。繋がることを望まれたら、己の中に彼の全てを受け止めてしまいそうな…。

「何か変よね…。今日のあたしは…。」

 目を閉じると、そのまままどろみ始めた。静かに降りてくる睡魔にはそれでも太刀打ちはできなかったのだ。






「いいか、昨晩みてえに、俺が眠ってる間に絶対に妙な真似するんじゃねえぞっ!」

 乱馬は台本をパタンと閉じると、畳の上に布団を敷いて転がった。
 母親までもが天道家にお世話になるようになってから、父と共にしていた部屋を分かれた。物置だった二階の奥の間の荷物を片してもらい、そこが今の乱馬の居城になっていた。小さな四畳半の部屋だが、それでも充分だった。
 座卓と教科書類が入った本棚。そして押入れにある衣服類など。男の子の部屋らしく雑然としていたが、物の絶対数が少ない分、煩雑でもなかった。

 手元まで伸びた、蛍光灯の紐を引っ張ると、ふっと明りが消えた。 
 闇が辺りを包み込む。
 
 ほおおっと大きな深呼吸をすると、布団を頭から引っかぶった。別段変わったことではない。

「たく…。こいつと知り合ってからろくなことがねえな…。」
 制多迦は諦めたのか、それとも眠ってしまったのか反応がない。
「とっとと用事すませて帰って貰いたいもんだぜ…。演劇会が終わったら、俺も本腰入れて、探し物を手伝ってやった方がいいんだろうなあ…。はああ…。たく、面倒臭えぜ…。」
 ぶつぶつ言いながら目を閉じる。
 すうっと引き込まれていく心地良い睡眠。春の宵は寝心地も良い。



 月がすうっと雲間に隠れた。
 
 むっくりと起き上がる影一つ。

「やっと熟睡しやがったか…。」
 制多迦乱馬はそう吐き出すと、自由に動く手足を眺めた。宿主の乱馬は意識の下で眠っている。多少の振動では起きないだろう。
「昨晩は家族の気配がビンビンに張り詰めていたからなあ…。そのランジャリー(ランジェリーのこと)たらいうのを掠め取るしかできなかったけど…。今夜こそは…。こいつの本懐を遂げさせてやらねえとな。」
 要らぬお節介とはわかってはいたが、どうも、乱馬の不器用ななりを見ると、手出しせずにはいられなかった。
「俺と金加羅みてえに、禁欲しなけりゃならねえって訳でもねえしな…。たく、何だかほっておけねえんだよな…。」

 シンと静まり返った廊下。ひんやりと足の裏は冷たい。

 息を潜めてあかねの部屋のドアノブを握り締める。
 すうっと開くドア。その向こう側から、違う空気が流れ込んでくるような気がした。あかねの甘い香。
 そっとベッドの脇に立って、あかねの寝顔を見下ろしてみる。疲れきっているのだろうか。昨日のようにどたんばたんと激しい寝返りもない。
 制多迦乱馬は枕元のルームライトのスイッチを灯してみた。
 仄かに明かりに照らし出されるあかねの寝顔。

「可愛い顔してやがるなあ…。」

 ふっと頬が崩れた。

「見れば見るほど、金加羅にそっくりだぜ…。」

 己の脳裏に、不動明王界に居る金加羅の顔がぽつんと浮かんできた。そして、今より遥か昔に睦みあった彼女との思い出も同時に。
「記憶を封印されたあいつはとっくに忘れちまったことだろうが…。」
 一瞬寂しげな表情を浮かべた制多迦乱馬は、ゆっくりとあかねの眠るベッドへと腰を沈めた。
「金加羅…。」
 つい制多迦はその名前を口にした。
「おっと…。いけねえや、この子はあかねだったんだっけ。にしても、無防備な寝顔だぜ。こいつ(乱馬)が愛しく思うのも無理はねえか。」
 ぐっと乱馬の心臓の前に手を握ってみた。乱馬は己の身体に憑依した制多迦が、またしてもあかねの部屋に浸入したことなど、知る由も無く熟睡している。
「頃合見計らって、眠ってるこいつ(乱馬)を叩き起して入れ替わればいいか…。この期に及んでこいつに全部任せてしまうと、しくじりそうだしな…。この子に絡んで逃げられなくすれば、腹括る気になるだろう。」
 そう思いながらにっと笑った。
 眠っている乱馬にとっては大迷惑なお節介だ。だが、制多迦は悪びれる風も無く、すうっとあかねの方へと乱馬の顔を差し向けた。それから、眠るあかねの頬へ左手を滑らせると、掌全体でその頬を優しく撫で上げた。
 その気配に、熟睡に堕ちていたあかねの目がゆっくりと開く。
 
 目の前に飛び込んできた乱馬の顔を認めると、はっとした表情を浮かべた。勿論、身体にも力が入る。
 制多迦乱馬はその身体を、のしかかった自分の身体の重みでぐっとベッドへと沈めた。

「ら、乱馬…。」

 驚いたように口走るあかねに対して、しっと己の唇へ、立てた人差し指を当てる。それから軽くウインクする。悪戯っぽい瞳をあかねに差し向ける。
 ゴクンっとあかねの喉が動いた。突き飛ばそうにも、しっかりと寝技をかけられたように身体は布団で押さえつけられて動かない。
 あかねの心音がだんだんと高鳴ってくるのがわかる。
 乱馬よりも制多迦の方が、女性の扱いに慣れているようだ。男としての経験が豊富な分、それは当然のことだったかもしれない。だが、制多迦の存在を知らないあかねにとっては、それがかえって恐怖に思えているかもしれない。
 今、己の身体の上に居るのは、己が知っている乱馬ではなく、別の人格のように感じているのだろうか。ぐっと身構えて身体を硬直させたようだ。
 だが、女のそういった防御本能からくる仕草は、かえって男の攻撃本能をくすぐる。これも、また、一つの条理でもあった。

(か、かわいい…。)

 己が乱馬に憑依した制多迦であり、目の前に居るのが金加羅ではなくあかねだという事実を忘れてしまうほどに、あかねのちょっと困った表情は、制多迦の心を刺激したものだからたまらない。いや、正確にはかつて、金加羅と睦みあったとき、彼女が丁度こんな表情を浮かべたのを思い出したのだ。
 制多迦乱馬はぎゅうっとあかねの身体を自分の方へ引き寄せるように抱きしめていた。
「きゃっ!」
 とその力に、思わず小さな声を上げるところまで、金加羅とそっくりだ。

(そろそろ、乱馬を起して交代してやんねえとな…。)

 慌てて自分の「使命」を思い出した。このままだと、乱馬に乗り移ったまま、あかねを貪ってしまいそうだったからだ。そんなことをすれば、乱馬が激怒するのは目に見えている。宿主とゴタゴタを起すのはさすがに気が引けた。

 制多迦が意識の上から乱馬を起そうとしたその時であった。
 あかねが制多迦乱馬の両手をぎゅっと掴んだ。

「制多迦あ…。」
 あかねの口が己の名前を象(かたど)る。
「え?」

 ズゴゴゴゴと布団下から地響きみたいなのが聞こえてくる。

「ま、まさか…。」

 制多迦乱馬ははっとして、腹の下のあかねを覗き込んだ。

「制多迦、あんたねえ…。こんなところで何やってるの?」
 静かだが、腸に染み渡るほどの怒りの声。
「お、おまえ、ま、まさか…金加羅か?」
 こそっと吐き出した制多迦乱馬に、腹の下のあかねは大きくこくんと頷いてみせた。それから彼女は腹筋で起き上がった。

「な、どうして…。てめえがここに…。」

 寝首をかかれた間男のように、制多迦乱馬は動揺しはじめた。

「ふっ!…今までの行状、ぜえんぶ、慧喜童子の摩尼宝珠(まにほうじゅ)で見せてもらってたわ…。」
 不動明王の憤怒のような行状をはっしと送りつけてくる金加羅あかねがそこに居る。
「って、ことは、おめえ…。」
「ええ、あんまり腹が立ったから、慧喜童子に頼み込んでここまで飛ばして貰ったのよ。あんた、何のために人間界へ飛んで来たのよ…。」
「はは、あははは…。不動明王様の命令で…。神界の宝物を探しに…。」
「だったら、横道にそれないでとっととその命令完遂して来いって明王様からの伝達事項もあるのよねえ…。」
 ギロリと差し向けられる鋭い視線。思わず外したくなるのをぐっと堪えて、制多迦は言い訳しようとした。
「いや、俺はただ、乱馬をだな…。あんまりこいつが奥手だからだな…。」
「だから、それが余計だっつーのよっ!!この子達のことはこの子達に任せればいいでしょうが…。それとも何?あんたやっぱり、あかねちゃんの寝込みを襲おうと思って…。」
「ば、馬鹿っ!そんなことはこれっぽっちも思ってねえ…。」

『たく、どうしようもない奴だなあ…。制多迦は。』
 金加羅の持っていた独鈷から声が聞こえてくる。
「わたっ!慧喜童子、てめえ…。」
 制多迦の表情が険しくなった。
『私の超力を忘れてはいまいか?私の真言で飛ばした者は全てこの摩尼宝珠の力で追跡できるんだよ…。制多迦。』
「ってことは、全部、出歯亀してやがったのか?てめえ…。」
『ふん!あきれ果てて物が言えんなあ…。』
「あたしはまだ天日干しの作業が残ってるから、これで今回は帰ってあげるけど…。」
 じろりと金加羅あかねの目が制多迦乱馬を捕らえた。
「わ、わかったよ…。真面目にやればいいんだろう?真面目に…。」
「そうよ…。それから、どうやらこの子、探し物の宝剣と遭遇したらしいわよ。」

「な、何っ?」

 制多迦乱馬の顔が真顔に戻った。

『はあ、これだからなあ…。まだまだ修行が足りないって言われるんだよ、制多迦。』
 慧喜童子の声がまたした。
『おまえ、気がつかなかったか?このあかねという娘から、微かだが魔のと接触した臭気が残っているのを…。』
「え?そっかあ?」
 制多迦はクンクンと乱馬の鼻を動かしてみた。
「あ、本当だ。微かだが魔の香がしてやがる…。」

「もう、しっかりしなさいよっ!それからこれ。」
 金加羅あかねは手の中に握り締めていた小さな独鈷を制多迦乱馬に手渡した。
「何だ?」
「これ、あんたに渡しておくわ。あたしの独鈷の超力を封じ込めた小独鈷よ。多分、何かの役にたつと思うわ。あんた頼りないからこれを預けようと思って本当は飛ばしてもらったんだけどね…。」
「あ、ありがとよ…。」
 制多迦乱馬は金加羅の独鈷を己の掌の中へとすっと取り込んだ。魂で仏具を握り締めたのだ。
「いい…ちゃんと宿主とこの子を守りながら、宝剣を見つけて帰ってくるのよ。この子たちの周りに浮遊する魔物がきっと持ってるわ。何の目的で持っているのかはわからないけれど…。」
「ああ…。フンドシ締めてかからあ。」
「そういうこと…。」

 ふっと微笑んだ金加羅に制多迦は言った。

「なあ、もうちょっとの間だけ、ここ(人間界)へ居てくれよ…。」
「えっ?」
「せっかく来たんだ…。この先危ない橋を渡らねえといけねえかもしれねえ。おまえの胎内の超力…少しだけでいい、預かった独鈷と共に俺の中に託してくれよ。」
「もう…。しょうがないわねえ…。いいかな?慧喜童子。」

『まあ、制多迦一人じゃあ確かに不安だからな…。おまえの超力、貸してやれ。…俺は席を外してやるよ…。戻りは数分後に設定した。修行中の身だからほどほどにな…。』
 慧喜童子は気を利かせたらしい。それからふっつりと気配を断った。

「じゃあ、遠慮なく…。」

 制多迦乱馬はにっと笑うと、金加羅あかねをぎゅっと己の方へ抱き寄せる。それからゆっくりと目を閉じた。気を同調させながら、金加羅の胎内に満ちる超力を己の中へと誘導させはじめた。温かい気が乱馬の身体を通して制多迦の方へ流れてくるのがわかる。

『なあ、金加羅…。』
『何?…。』
『こいつら、乱馬とあかね、結ばれてくれるといいな…。』
『突然、何言い出すのよ…』
『似てるんだよ…。俺たちにな…。姿形だけじゃなくって…。』
『大丈夫よ…。引き合う魂は交配するわ。それが…人間なんだから。』
『そうだな…。』
『あたし、そろそろ行くわよ…。』
『ああ…。俺もとっとと命令を全うさせてそっちへ帰らあ…。』
『待ってるわよ。』

『さてと…。俺も眠るか…。何だか疲れちまったぜ…。』







 眩いばかりの日差しがカーテン越しに差し込んでくる。
 チュンチュンとスズメたちがかしましく、朝の挨拶を交わしているのが耳元に聞こえる。
 久々に満ち足りた深い睡眠を味わったような気がする。ずっと温かい柔らかな気が自分を包んでいてくれたような。そんな満ち足りた充足感を感じながらあかねは目を開いた。
「う…ん。」

 だが、その充足感は、目に飛び込んできた物体と共に、木っ端微塵に砕け飛んだ。

「え…。何…胸板?」

 柔らかで温かい気と思っていたのは人肌の温もり。そう、自分のすぐ隣りで寝息をたてている乱馬を見つけてしまったのだ。パジャマが乱れて、胸元の逞しい胸板が痛いほどあかねの視線を刺した。さりげに腕も己の肩に回されている。いや、正確には乱馬の腕を枕に己が眠っていたのだ。

「き…。きゃああああっ!!!」

 次に来る刹那、あかねは思いっきり悲鳴を上げ、拳を突き出していた。

 ずごっと鈍い音がして、乱馬がベッドから投げ出されて、床へと叩き付けられた。

「な、何だ?何だ?何なんだ?」

 床に這いつくばりながら、目覚める乱馬。この期に及んでもまだ開かない寝ぼけ眼を回転させて背後を見た。
 ゴゴゴゴゴ。
 そこには迦楼羅炎を背負ったような不動明王のような形相のあかねがこちらを睨みつけているのが見えた。
「あ、あかね…。おはよ…。」

 まだ回らない頭でそう挨拶した。彼にしてみれば、自分があかねの部屋で寝ていたことなど、考えも及ばなかったのである。

「乱馬ぁっ、あんたは、いったい、ここで、何してたのよーっ!!!」

 勢い余ってあかねのドアの外まで投げ飛ばされた。

 ドドドドドッと廊下の板間に滑っていく音。

「ま、待てっ!俺は、何もしてねえっ!」
 ふんぬっと竹刀を持って睨みつけるあかねに乱馬は手を翳して言い訳した。
「だから…。俺は…。何も知らねえーっ!!」

「嘘つけーっ!!夜這いしに来たのねっ!!」

「うっわあーっ!!畜生っ!制多迦だっ!俺の意思じゃねえっ!!」

「何訳のわからないこと言ってるのよーっ!!」

「俺は無実だああっ!!」


 乱馬にとっては最低最悪の朝の訪れだった。
 まるでこの日の、とんでもない舞台の前触れであるかのように。



つづく



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