第三話 闇の目覚め


「全く!どうかしちゃってるわよっ!!」
 あかねの鼻息はすこぶる荒い。

 そう言いながら、市瀬紗江を見上げた。

「ほんと、ごめんね。余計な手間ばっかりかけちゃって。」
 溜息交じりで乱馬を見返した。

「張りぼてだってわかってたけど、力入れたらつい壊しちまって…。」
 さすがの乱馬も苦笑しながら受け答えしていた。

 昼休み、演劇の練習中に、小道具の「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」を壊してしまったのだ。

「あんたねえ…。小道具係の人が懸命に作ってくれたもの壊したんだから、もっとちゃんと謝りなさいよっ!」
 じろっと鋭い目が突き刺してくる。
 うぐっとなりつつも、乱馬は頭を垂れるだけ。

「いいわよ…。明日の本番は、赤間先生に家の蔵にある本物っぽいの借りるつもりだったから。」
 紗江はちらっと乱馬を振り返りながら言った。
「ええ?赤間先生に古美術品借りるの?」
 あかねが驚いたように声を上げた。
「本気?そんな貴重な物、壊れでもしたら…。」

「心配ないよ、天道さん。」
 赤間がひょいっと顔を出した。
「古物と言ったって張りぼてに近いものだからね…。まあ、刃なんか使い物にはならない贋物の剣だよ。この前蔵を整理していたらたまたま、それっぽいのを見つけたんだ。」
 赤間が笑いながら言った。
「でも、乱馬ったら、粗忽者だから、その剣だってボロボロにしてしまうかもしれませんよ、先生。」
「ああ、かまわないよ。うちの蔵にあるのは全部が貴重なものではないし、大方それも、大爺様あたりが節句用に買っていた玩具みたいな感じの剣だから。第一、鞘(さや)からも抜けないし。」
「鞘から抜けない剣なんか使っても…。」
 乱馬が口を挟むと、赤間は気さくに答えた。
「それは中身の代用品を傍に置いておけばいいさ。切りつける場面だけ、その剣を使えば良いよ。何、僕が持ってくるのは腰から下げてで雰囲気が出るさ。古びた宝剣だから草薙の剣という感じだけは出てるぞ。」

「有難くお借りします。赤間先生。」
「ああ、今日の放課後にでも取りに来ると良いよ。それを言いに来たんだ。」
 赤間はにこっと笑うと生徒会室を後にした。

「たく…。赤間先生の剣を壊さないでよ。あんたは粗忽なんだから。」
 赤間が出た後、あかねが乱馬に念を押した。
「おめえに粗忽者なんて言われたかねえよっ!てめえよりはましだよっ!」
「ぬあんですってえっ!!」
 腕をたくし上げるあかねを紗江はなだめながら言った。
「もう、あんたたちって、仲が良いのか悪いのか…。それより早乙女君。」
「あん?」
「明日までに台詞、しっかり全部覚えて来なさいよっ!いい?」
「だいたい覚えたぞ!」
「あのねえっ、明日は本番なのっ!アドリブが多い劇だとは言え、今のままじゃあ舞台は成立しないわ。覚えられなかったら、主役交代してもらうわよ。」
「けっ!望むところでいっ!元々やりたくて受けた役じゃねえしようっ!」
 乱馬は鼻息荒く言い放った。

「いいのかあ?乱馬…。そんなこと言ってよう。」
 横から大介がにゅっと顔を出した。
「んだ、んだ。相手役があかねだったら、やりたいって言う男子は数多居るぜ…。それに、キスシーンまであんだろ?…どさくさに紛れてあかねとっていうのもありだしな。」
 ひろしも同調し始める。
「俺もだいたい台詞は覚えてるから。もっとしっかり今夜で覚えて、あかねの相手役に立候補しようかなあ…。」
「そだな…。乱馬君なきあとの主役は、是非、俺…なんちゃって。」

 乱馬の顔が一瞬険しくなった。

「そういうこと。あんたの代わりならたくさん居るから、真面目に台詞覚えてくれないなら、おりてもらうけど…。」

「わーったよっ!本番までに完璧に覚えてくりゃあいいんだろうがっ!!」

 どうやら、主役を、あかねの相手役を、他の男に譲る気はないらしい。




 その日の放課後、あかねは紗江たちと共に、赤間の家まで、くだんの剣を取りに寄った。
 例によって乱馬もくっついて来たがったが、台詞を覚えるのが先でしょうと紗江に辛辣に言われ、すごすごと引き下がった。

「本当にあかねのこと、心配なんだね。早乙女君は。」
 紗江がにっこりとあかねに話しかけた。
「そんなんじゃないわよっ!」
「あら、照れることないでしょう?いいなあ…。本当に。あんな素敵な許婚が居てさあ。」
「だからあ、あんないい加減な奴のどこが素敵なのよ。」
「ふふふ、早乙女君ってルックスも悪くはないわよ、いえ、むしろ、並みの男の子たちより抜きん出ていて、何より、格闘技やってるだけあって、身体は申し分ないじゃないの。」
「そうかしらねえ…。」
「背だって高いほうだし、見るからにマッチョって訳でもないからさあ、引き締まった身体にどんな格好でも似合いそうじゃないの。」
「でも、服のセンスはないわよ。いくら言ってもチャイナ服やめようとしないし、ほっておいたら泥だらけでも平気で家の中歩くんだから…。」
「世話のし甲斐あるじゃないの。奥さんがしっかりすればいいことよ。」
「誰があんな奴の…。」
「とか何とか言って…本当はかなりなところまで進展してるんじゃないの?」
「冗談やめてよっ!」
「やだ、本当にキスまでしかしてないの?許婚なのに…。」
 紗江の好奇心にあかねははあっと溜息を吐き出した。
「許婚ったって、親が勝手に決めたことだからね。」
 見上げる空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。

「ここよ…。赤間って表札が出てる。」
「わあ…。本当。鎌倉時代からあるっていうお寺さんだけあって、風情があるわあ。」

 あの第二次世界大戦の空襲からも焼け残ったのか、古びた本堂とそれに続く雰囲気のある建物が幾つか並ぶ場所へとあかねたちはたどり着いた。凡そ、都会の真ん中には似つかわしくないような風情がある。

「あ、待ってたよ。蔵はこっちだ。」
 赤間がひょいっと門戸から出てきて二人を手招いた。
 きょろきょろと辺りを見回しながらも、二人は赤間の後をついて、蔵のほうへと歩いていった。
 大きな蔵独特の開き戸を開くと、プンっとかび臭い匂いが漂った。
「お邪魔しまあす…。」

 蔵の中は思った以上に整然と整理されていた。
 どうやら赤間がここを管理しているらしく、そこここの棚にそれらしい桐の箱やら段ボール箱が整列して置いてあった。時々手入れもしているらしく、埃もない。さすがに古美術にゆかりがあるだけあって、物も大切にしまわれているようだった。
「えっと…ここら辺に置いてあったと思ったんだがなあ…。」
 がさがさと赤間は奥の方をあさっていた。
 と、コトンっとその脇で何か物音がしたように思った。
「え?…。」
 あかねは思わず視線を巡らせた先に、見覚えのある箱を見つけた。
 赤間が先学期に学校へ持ってきた蒔絵の箱だった。それは棚の奥へとひっそりと置かれていた。だが、何故かあかねの視界へひたっと入ってきのだ。

「この蒔絵箱は…。」
 あかねはすっとそれへ吸い寄せられるように見入った。
 真っ黒な漆が不気味に蛍光灯の光を受けてそこへ浮き上がるように見えた。

「ああ、この前、君が守ってくれた蒔絵箱だよ。」
 赤間は眼鏡を手に持ちながら答えた。

 あかねは勿論、乱馬とこの蒔絵箱との間にあった経緯は知らされていない。
 五寸釘の家で起こった魔物との戦いも、結局は「五寸釘がやってた変なまじないの臭気にやられておまえ長いことおばさんと伸びてたからなあ…。俺もあの匂いは驚いたが、まあ、何とか五寸釘をあの部屋から救い出したんだぜ。」と乱馬に説明されていた。
 どこか納得がいかない説明ではあったが、とうの五寸釘もその母もそれで納得していたので、深くは追求しなかったのだ。
 だから、蒔絵の箱に巣食った魔物のことも当然知らない。

「おっ、ないと思ったらこんなところにあったか。」
 その蒔絵箱の横にさりげに置いてあった長い箱を見て、赤間がにっこりと微笑んだ。
「これだこれ…。」
 そう言って嬉しそうに箱を開いた。

「わあ…。」

 中からは、雰囲気のある金属製の剣が出てきた。真っ直ぐに伸び上がった刃は、時代劇などで使う日本刀とは違う趣がある。
「多分、どこかの古墳なんかで埋葬されていた古代の太刀を写して作られた贋物だと思うんだ。」
 そう言いながら素手で赤間はそれを持ち上げた。
「へえ…。紛い物かあ…。にしても良く出来てますねえ、先生。」
 紗江が目を輝かせて言った。
「だろう?でも、銘もないし、刀剣に詳しい兄貴にきいても、百パーセント後世の写しだって言うんだよ。それに、この剣、鞘からは抜けないんだ。ほら。」
 と引っ張って見せたが、確かに鞘と一体化していて、剣は抜けない。
「くっ付いているというよりは、レプリカとして刃の方は始めからないんだろうよ…。うちの古い蔵の品書きの中にも見当たらなかったし、大爺さんあたりがどっかの骨董品屋か玩具屋で見つけたものだろうって結論になったんだ。あの人、刀剣マニアでねえ、プラスチックのちゃんばら刀まで後生大事に取ってたような人だからなあ。」
「へええ…。ちりも積もればって奴ですね。」
「たとえが悪いがな。…どうだ?こいつなら雰囲気出せそうだろ。草薙の剣の。」
「もう、ばっちりです!早乙女君に腰からさげてもらえるだけで、草薙の剣ですよ、どこから見ても。ねえ、あかね…。」
 紗江ははしゃいでいる。
 だが、何故かあかねは気が散漫になっていた。どうも、さっきから誰かにじろじろと見られているような違和感を覚えていたのだ。


「あかねってばあっ!」
 紗江が反応の遅いあかねに相槌を求めてきた。
「え、ええ、そうね。乱馬に似合うかもね。」
「もう、似合うかどうかなんて言ってないでしょうに…。あかねったら。」

(何だろう…。この陰気な空気…。)

 あかねも一角の武道家だ。魔物が見えなくても感じていたのかもしれない。

(くくくく…。あの制多迦を憑依させていた乱馬とかいう小僧が、この不動の剣を使うだと?…こいつはいい。しかも、確かにこやつは、金加羅と瓜二つの人間ではないか…。飛んで火に居る夏の虫…向こうから獲物が飛び込んで来たというわけだ。私が細工をするまでもなく…。手繰り寄せた魔多羅神の蜘蛛の糸がこやつらを我が修法へと引き寄せ始めたか…。面白い。暫くは高みの見物といこうか…我が魔力が再び満ちる明日まで…くくくく。)
 その視線は鋭くあかねを見下ろしていた。蔵の奥から浮かび上がった魔の気は、すうっと消えるように蒔絵の箱へと戻っていった。勿論、誰に気付かれるまでも無く。


 その帰り道、すっかり真っ暗になった街角に、乱馬は立っていた。
 あかねの帰りが遅いと、自ら迎えを買って出たのだろうか。いや、この不器用な少年が家族にそう告げて出てきたとは思えなかった。
 向こう側からあかねがとぼとぼと歩く姿を見つけると、ほおっと長く溜息を一つ吐いた。
『たく、本当にてめえは不器用だな。乱馬。』
 脳内の制多迦が笑いながら語りかけてきた。
「うるせーよっ!いちいち突っかかってくるな。」
 そう振り切る。
 それから、ぶすっとしたまま、あかねへと視線を流す。

「乱馬?」

 あかねは驚いたと同時に安堵する己を見つけてはっとした。
 そうなのだ。この少年は、何かにつけ自分をちゃんと見守ってくれているのだ。こうやってさりげなく迎えに出てきたり、寄り添うように遠巻きから見詰めていたり。

「遅かったな…。夕方のトレーニングのついで似迎えに来てやった。」
 ただ、一言、不器用な言葉を投げる。

 本当はトレーニングなどは二の次だ。あかねもそれは理解していた。

 と、また制多迦がそこでお節介を焼いた。乱馬の手を動かせて、あかねの手へと握らせたのだ。

(こ、こらっ!てめえ、またお節介…。)
 と心の中で吐きつける。
『だから、おまえは不器用なんだよっ!こんくらい気を回してやれって。女は喜ぶんだから。』
 脳内で制多迦が笑っている。乱馬の差し出した右手にあかねの細い手をぎゅっと握らせる。ぎしっと筋肉が全身固まっていくのを感じながら、一気に緊張する。
『たく…手を一つ繋ぐのも、まともにできねえのか?うぶな奴だな。』
(うっせえやいっ!俺はてめえと違って、こういうのに慣れてねえだけだっ!)

「さっきからどうしたの?」
 乱馬の様子が変なのに気付いたあかねが問いかける。
「あ、いや、何でもねえよ…。か、帰るぜ。」
 そう言って先に立って歩き出す。勿論手はしっかりと握られたままだ。
「う、うん…。」
 あかねはにっこりと微笑みかけた。

『かわいいなあ…。あかねちゃんも。』
(わたっ!急に話しかけるなっ!いいところなんだからようっ!)
『へいへい…。』

「乱馬?」
 ちょっといつもと違う違和感を感じたあかねが乱馬を振り返ったが、彼は顔を真っ赤にして俯いたままだった。相当照れているのだろうか。それとも何かを言いかけてやめたのだろうか。
 こうして黙って手を繋いで歩く、家路までの道のりは、いつもよりも、ずっと短いもののように感じられたあかねだった。






「何か、乱馬君…。変なのよねえ…。あんたさあ、何か心当たりない?」
 なびきはあかねの部屋に入ると、あかねに問いかけてきた。
「変なのは今に始まったことじゃないわっ!」
 あかねはドライヤーで髪の毛を乾かしながら鏡越しに姉を見返した。
「この前の、あの玄関先でのあんたへの愛撫なんて…。普段の彼からは考えられないことだし…。」
 なびきはちらっとあかねを見やった。
「たく、大方、ふざけてやったんでしょうよっ!思い出しただけでもムカムカするわっ!!」
 水気を熱風で飛ばしながらあかねが言い放った。
「あの、奥手な乱馬君が、あんなところでふざけるのかしらねえ…。」

「じゃあ、何?お姉ちゃんは乱馬が本気だったとでも。」

 あかねはくるりと振り返ると、なびきを見返した。

「さあ…。少なくともあの時のあんたを見つめる瞳には嘘偽りはなかったんでしょうけど…。今日だって珍しく手なんか繋いで帰って来たでしょう?」
「み、見てたの?お姉ちゃん。」
 あかねは慌てて言葉をかけた。
「まあね…。偶然にだけどね…それに、この前の学校でのこと聞いたわよ。」
 意味深に笑みを浮かべた姉に、あかねの肩はピクンと動いた。
「が、学校でのことって?お姉ちゃん、もう風林館高校は卒業したじゃない。」
 自分に言い聞かせるようにあかねが対した。
「あら、とぼけても無駄よ。あたしの情報網は完璧だもの。卒業しようが何しようが、あんたたちのことは筒抜けよ。」
 とにんまり笑って見せた。
「乱馬君、新入生歓迎会行事の呼び物の演劇の練習中にあんたにキスしたんだって?」
 しっかり姉に放課後の出来事を把握されている。
「だから、あれは、演出上の…。」
「嘘。あの奥手がいくら演技だからってそこまでやるのかしらねえ…。」
 なびきはふっと笑いかけた。
「まあ、考えられることは二つほどあるわね。」
 なびきはあかねを見返して言った。
「考えられることって?」
 そう聞いたところでなびきがさっと右掌を出した。何某の駄賃の要求であろう。
 思わず姉のペースにはまりこんでしまった哀れな妹。
「もう…。がめついんだからあ…お姉ちゃんは。」
 あかねは立ち上がると、机の引き出しの小銭入れから百円玉を二枚取った。
「ごめん。まだ今月分のお小遣いお父さんから貰ってないから…。」
「あら、気持ちだけで十分よ。可愛い妹から搾り取るほど邪悪じゃないわ。」

「だったら請求しないでよ。」
 思わずボソッと声がこぼれた。

「何か言った?」
「ううん、何にも。」
 あかねはにこっと笑顔を手向けた。
「ま、いいわ。耳貸して御覧なさいな。」
 なびきはあかねの寄せた耳へ、ぼそぼそと情報から分析した自分の考えを聞かせた。

「まさか…。そんなこと。」
 聴き終わったあと、あかねは顔を紅潮させた。
「まあ、半分以上はあたしの分析だから…。想像の域を出ないんだけど…。でも、どっちかだと思うわよ…。どう転ぶかは、注意深く彼を観察していたらわかるわよ。ま、乱馬君ももうすぐ十八歳。一応、法律上では結婚できる年齢になるんだからね。あんたの方もそろそろ、自分の意思というのを決めておきなさいよ。覚悟も含めてね。じゃないと、大切な瞬間で彼を逃してしまうことにもなりかねないわよ…。乱馬君を狙ってるのは何も三人娘だけじゃないってこと。結構、後輩たちの中にも居るって噂よ。ま、紗江さんはそれを見越して、入学してくる新入生にあんたと乱馬君の仲を印象付けるためにも公衆の面前でキスさせてやろうって、脚本書いたっていう話もあるくらいだからね…。」
 なびきが後で付け加えた事は、殆どあかねの耳には入らなかったようだ。
 ただ、呆然と姉の分析した事へと想いをめぐらせる。

「ま、もしかすると夜陰に紛れて、具体的な行動を取ってくるかもね…。今夜辺りにでも。」
「まさか…。」
「いいこと?あかね。乱馬君も健康な青年ってこと、忘れないように…。あ、それからあたし、今夜は友人のところに泊まる約束があるから、留守するからね…。」
 なびきは言いたいことを言えるだけ言って、妹から二百円を巻き上げて、揚々とあかねの部屋から出て行った。最後は何か含み笑いするような笑みを浮かべて。

「あの乱馬がまさか…。そんなこと考えてるなんて…。」
 ぶんぶんっと首を横に振る。
 と、なびきが立ち去ったドアの向こう側から、乱馬となびきの会話が漏れ聞こえてきた。

「お、なびき、その格好と荷物。どっか行くのか?こんな時間に…。」
「ええ、大学の履修科目をどうするか、高校時代の友達と打ち合わせするってことになっててね…。先輩を一人呼んであるのよ。だから、今夜は帰らないわよ。」
「いいのか?外真っ暗だぜ。」
「大丈夫。ちゃんと用心棒に九能ちゃん呼んであるんだから。」
「九能をねえ…。さすがに手が早いや…。」
「ふふふ…。おさげの女の生写真をあげるって言ったら喜んで引き受けてくれたわ。」
「おまえなあ…。人の写真を九能のダシにするなよっ!」
「いいじゃない。家族なんだしぃ…。とにかく。おばさまはお花のお稽古であっちの家に行ってるんでしょう?かすみおねえちゃんもお友達と旅行に行ってるし、お父さんたちも町内会の寄り合いで今日は飲んでくるみたいだし…今夜は静かよお、だから何しても万事OKよ。」
「何だそりゃ。」
「別に、深い意味はないわ。ま、せいぜいがんばんなさいな。」
「訳わからねえこと言ってねえで、とっとと行けっ!」
「じゃあね…。」



「お姉ちゃん…わざわざ乱馬をたきつけるようなこと言わなくっても良いのに…。」
 あかねは部屋のドアに向かってぼそっと言葉を吐きだした。
 いや、どう見ても面白がって乱馬をたき付けているとしか考えられない。




『なあ、チャンスなんじゃねえのか?乱馬よう…。』
 脳内に巣食う制多迦が乱馬へと語りかけた。

「うるさいっ!!少しは黙っておけっ!集中できねえじゃねえかっ!」
 乱馬は脚本を広げると、ぶつぶつと台詞を覚え始めた。明日の本番までにとにかく、暗記して来いという、市瀬紗江の命令だった。覚えてこないと、他の男に役をなげるという脅しつきだった。
 自分で演じるのも嫌な役立ったが、他の野郎に役を奪われることだけは何としても阻止しなければならないと思ったからだ。何しろ、あかねとのキスシーンがある。自分以外の野郎とあかねの濡れ場なぞ、到底許せるものではなかったからだ。

『たく…。素直じゃねえな。相変わらず。……。』

「あのなあ、さっきから、何かと言えば、今夜あかねの部屋へ行けだって?…あのなあ、何しにあかねの部屋へ行くんだよっ!」
『理由なんて適当でいいじゃねえか。例えば、その、劇とかいうやつの練習をしようとかよう…。』
「だあっ!だから、何であいつと一緒に練習なんかしなきゃなんねーんだと聞いてるんだっ!」
『別に練習なんかしなくてもいいじゃねえか…。あの、一癖ありそうな姉貴が今夜はいねえんだろ?家族も殆ど留守か酔いつぶれてるってことじゃねえか。そしたら、チャンスなんじゃねえのか?』
「チャンスって何のだよっ!!」
『もう少し、二人の距離を縮められるんじゃねえかと、言ってやってるんじゃあねえか。にぶちん!』
「だから、それが余計だっつーってんだろがっ!距離縮めるって、何させよってんだ?てめえはっ!」
『わからねえ野郎だなあ…。たく…。そんなだから、いつまでたっても童貞なままなんだよ。てめえは。』
「なっ!!」
『ほら、契ってねえってことはまだ童貞なんだろ?もう十八っちゃあ、一人前の男の年齢だぞ。乱馬。』
「たく、何言い出すかと思ったら。あのなあ、いいか、俺はまだ、あいつを抱きたくはねえんだっ!」
『何でだ?』
「うっせえっ!俺とあかねをてめえと金加羅と一緒(ごっちゃ)にするなっつーってんだっ!良いか、とにかく、下手に焚き付けたりすんなよっ!大人しくしてろっ!絶対に俺の意識と入れ替わって、出張ってくるなよっ!このすっとこどっこい!」

『はいはい…。分かりましたよ…。おまえにその意思がねえんなら。もう、俺は先に休む。ああ…。ふあああ…。何だか疲れちまったしな。』

「おう。とっとと寝やがれっ!この出歯亀野郎!」


 外からいびつな形の月が煌々と部屋を照らし込んできた。
 天道家の夜は静かに更けていった。



つづく





 出歯亀制多迦を書くのもまた楽しいかもしんない(苦笑…次の話は、乱馬さんが大変です…。


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