◇制多迦と金加羅  参の章  制多迦再臨


第一話 招かれざる客、再び



 天はうららかな春、卯月。
 世はまさに春爛漫。

 この季節の麗らかさは、現世も神界も同じようだ。
 ここ、不動明王界でも春が到来し、梅桃桜、一斉に美しき咲き乱れる。散る花びらと花の香の下、手枕を背に、春を満喫する青年が居た。名を制多迦(せいたか)童子と言う。
 薄い朱色の絹衣を身にまとい、胸には瓔珞(ようらく)と呼ばれる胸飾りを付けている。少し黒みがかった肌色の逞しい胸板。それを見るだけでも相当鍛えこんでいるのがわかる。頭髪は一つのおさげを編みあげている。そう、彼の容姿は、早乙女乱馬と写したようにそっくり同じであった。違うところをあげるなら、乱馬よりも若干肌の色が黒いといったことと、水を浴びても女に変身しないことくらいだろうか。
 この制多迦、似ているのは容姿だけではない。持って生まれた性格もほぼ、乱馬と似通っていた。
 彼のこの世界での楽しみは、激しく動いた後のささやかな惰眠。決まって陽の一番高い頃になると、岩場でゴロンと横になり、空を見上げながら、泡沫(うたかた)の眠りを貪る。

 制多迦はこの日も、いつものように岩場に寝転がると、天を仰ぎながら、心地良い春の昼寝を楽しんでいた。


「制多迦ーっ!!」

 どこか遠くで声がした。

「制多迦っー!!」

 また声がした。
 だが、彼はお構い無しに惰眠を続ける。
 単に起き上がるのが面倒臭かったこともあるが、声の主がわかっていたから、捨て置いても良かろうとの判断からだった。

「制多迦っ!!」
 今度は耳元で大きな声が轟き、一緒にバシャンっと水が降って来た。

「つ、冷たいっ!!こら、金加羅っ!何しやがるんでいっ!!」
 百年の眠りも覚めてしまい、がばっと制多迦は起き上がった。

「たくっ!何が冷たいよ!こっちはさっきからずっと呼んでいるっていうのにっ!!何で返事しないのよ!馬鹿っ!!」
 見上げたところに浮かんだ金加羅の顔は、はっしと睨み据えている。かなりおかんむりのようだった。
「何だよ…。今、俺は眠いの…。話なら昼寝の時間が終わってからにしてくれよぅ!!」
 あふふと欠伸(あくび)をすると、制多迦はまた横になろうとした。

 と、ゴゴゴと地鳴りをあげながら、金加羅が制多迦を睨み付けた。背中に迦楼羅の炎が立ち上がる。

「あんたっ!いい根性してるわね…。不動明王様がお呼びだったから、わざわざ呼びに来てあげたのにのに…。それとも不動明王様の事を無視するつもりかしら?」
 制多迦の条帛(じょうはく)を胸倉辺りでぐっと掴むと、あかねはにっと笑って見せた。
「ふ、不動明王様が?…お呼びだって?」
 制多迦は胸倉を掴まれて、苦しそうに金加羅を見上げる。眠気はどこかへ吹っ飛んだ。
「ええ、そうよ…。知らないわよ…。何かやらかしたのかしらぁ?制多迦ぁ。」
「い、いや、心当たりはねえ…。」
 ブンブンブンと頭を横に振った。
「でも、ちゃんと行かないと、お怒りに触れても知らないわよぉ…。あたし。」

 その声に、制多迦はさっと起き上がると、
「さて、ぐすぐすしてねえで、不動明王様のところへ行くぞ!!金加羅っ!!」
 と土埃を払った。
 それから媚びるような目で金加羅をじっと見る。
「何よ…その目。」
 金加羅は怪訝な顔を制多迦に差し向けた。
「不動明王様を待たしちゃいけねえしな…。ほれ。」
 そう言いながら、制多迦は金加羅の肩をぐっと引き寄せる。
「だからっ、何のつもりなのよ?」
「もう、わからねえやつだな!飛翔しようって言ってるの。だから、ほら早く…。熱いくちづけをだな俺と…。」

「ば、馬鹿ーっ!!」

 ドバチーンと響き渡る張り手一発。

「たく、何考えてるのよっ!!あんたはっ!!」
 金加羅は肩で息をしながら、殴りつけた制多迦を見返した。
「飛翔するにはおめえと唇を合わせなきゃできねえだろうが!この凶暴女っ!!」
「だから、何であたしがわざわざあんたと接吻までして飛翔しなきゃならないのよっ!!」
「不動明王様を待たせないためだよっ!決まってんだろがっ!!」
「だったら…。さっさと一人で飛んで行けーっ!!」
 金加羅は思いっきり制多迦の尻を蹴り上げた。

「うわああーっ!!」

 案の定、制多迦はその勢いで空へと飛び出した。

「たく…。乙女の純情を何だと思ってるのよ!!制多迦はっ!!」


 この二人、お互いの唇を合わせることにより、自由に目的地まで瞬時に飛翔することが出来る。制多迦はその秘術をやろうとして、金加羅に蹴り飛ばされたのだ。



『やれやれ…。制多迦よ、おまえは修行するためにこの不動明王界へ居るのであろうが…。』
 岩場から太い声が響き渡る。岩の合間から大きな目が制多迦を睨み付けた。人間の三倍くらいはあろうかという大きな赤い色をした石像が制多迦を見下ろしていた。
 彼こそが不動明王である。
 彼は、常はこの岩場へ座禅を組み、じっと瞑想しながら人間界や神界へと想いを巡らせていた。殆ど動じないで、その場へと座す。「不動」という名前の如く、寝ているのか起きているのかもわからない。ただじっとこの場所へと鎮座していた。彼がここを動く時は、大日如来様の用事をしに立ち上がるか、何か異変が起きた時くらいであろう。

「は、はい…。でも、不動明王様を待たせたらいけねえと思って…。」
 ぼりぼりと頭を掻きながら制多迦が言った。その横では腕組みしながら金加羅がむすっと彼を見据えていた。

『全く困ったやつだな…。おまえは…。』
 不動明王は制多迦を苦笑いしながら見下ろした。

『まあ、良い。実はおまえをここへ呼んだのも、ちょっと頼まれ事を引き受けて貰いたいたいからだ。』
 
「良かった…。俺また何かやらかして、明王様のお怒りでも買ったかと思ったぜ…。」
 それを聴くと制多迦の口からつい、そんな言葉が漏れた。

「おまえは粗忽者だからな。制多迦よ。おまえが不動明王様に呼ばれると言ったら、お小言を頂くことくらいしかないのも、尤もな話だがな。」
 脇から別の声がした。
「慧喜(えき)童子…。」
 制多迦の顔つきが険しくなった。
 慧喜童子。不動明王の第二童子で、制多迦と金加羅たちの兄弟子に当たる。制多迦より少し背が高く、すらっとした身なりに、切れ長の細い目。そして高飛車そうな鼻。肌の色も幾分か白い。
「久しぶりだな、制多迦よ。」
 慧喜童子はそう言うとにっと笑った。

「てめえ…。何しに来やがった。」
 思わず制多迦は身構えた。

『これこれ、制多迦!慧喜童子はワシが呼んだのじゃよ。』
 不動明王が制多迦を咎めた。
「そういうことだ。制多迦童子。」
 慧喜童子は見下すような目を制多迦に手向けた。
 制多迦童子は慧喜童子が嫌いであった。何故嫌いなのか、理屈などなかった。あえて言うなら、「生理的に受け付けない」とでも言うのだろうか。武勇秀でた肉体派の制多迦童子には、人を小馬鹿にするようなところがある、慧喜童子のインテリぶった感じが、どうにも我慢がならなかったのである。

『実はな…。例年の如く、この不動界でも、宝物(ほうもつ)の天日干しをしておったのじゃが…。』

「ああ、この前から金加羅が一所懸命にやってるあれか?」
 制多迦は、少し先の岩場を眺め見た。そこには、いくつかの巻物や宝物が、さんさんと照らす太陽に向けて天日干しされていた。こうやって春と秋の好天が続く折に、カビが繁殖しないように宝物殿から順番に出された宝物を風に晒して湿気を取るのである。
 金加羅は今年もこの「天日干し」を手伝って、この前からごそごそと不動明王界の宝物を取り出しては広げ、乾いたら取り込むという作業をしている。
「あんたは、いくら言ったって手伝わないものね…。」
 金加羅はぶすっと制多迦へ目を転じた。

『こらこら金加羅。口を挟むな。なかなか話が前に進まぬだろうが。』
 不動明王は困った奴らだと言わんばかりに言葉を切った。

『まあ、良い。その天日干しをしている中でわかったのじゃが…。どうも宝剣の一つが行方不明になっておるようなのじゃよ。』

「へ?」

 制多迦は不思議そうに不動明王を見上げた。

「行方不明だってえ?何でまた…。この世界に盗人なんか現われねえぞ…。宝剣が一人勝手に歩くわけじゃあねえし、数え間違いか何かなのじゃねえのか?勘違いとかよう…。」

「馬鹿者!不動明王様とおまえを一緒にするな!制多迦よ。」
 慧喜童子が嗜めた。
「そうよ、制多迦!手伝いもしないあんたが、どんな宝物があるかわからないのはさておき、明王様は何がどこにしまわれて、どんな保存状態かまできっちり管理なさっていらっしゃるんだから!」
 金加羅がその言葉に重ねた。

『確かに半年前の秋の天日干しの時はきちんと全部の宝物がしまわれてあったのを確認しておったのじゃがな…。一本だけ刀剣が、どこへ行ったのか見当たらぬのじゃよ。』

「刀剣が一本ねえ…。おい、金加羅、おめえ過ってどっかへ落っことしちまったとか、力任せに壊しちまったとかいうことねえのか?今のうちに吐き出したらどうだ?ええ?」
「馬鹿っ!!」
 金加羅は思いっきり制多迦の足を踏んだ。
「い、いってえなっ!例えばの話だろうが!!この凶暴女っ!!」
「全然天日干しを手伝わないあんたに、そんな失礼なこと言われたかないわよ!!」
 金加羅の鼻息は荒い。

「こらこら、二人とも、ちゃんと不動明王様の話を最後まで聞け!」
 慧喜童子が睨み合う二人を引き離しにかかった。

『実は、物がなくなったのはこの不動明王界だけではないのだよ…。制多迦。』
「あん?」
 金加羅に突っかかられて、ドタドタしていた制多迦は、はっとしてそのまま不動明王を見た。

『愛染(あいぜん)明王のところからは曼荼羅(まんだら)が、降三世(こうざんせ)明王のところからは香水(こうずい)がそれぞれ一つ、忽然と消えておったのだそうだ…。』
「曼荼羅に香水に剣がねえ…。忽然と消えるものか?そんな物、いったい誰が何に使うんだよ!」
 制多迦の声に慧喜童子が言った。
「…曼荼羅に香水ときたら、誰かが秘宝祈祷でも行うと考えることもできようが…。」
「あ、なるほど…。」
「たく、馬鹿はいいよな。気楽で。」
「誰が馬鹿なんだよ!」
「おまえだっ!」

『これ、慧喜童子まで制多迦をたき付けるのではないわ!まあ、そういう危惧もあるから、宝物を早急に探しに行って貰おうと思ってな…。それで制多迦、おまえを呼んだのじゃ。』

「は?探しに行くぅ?俺がかあ?」
『ああ、おまえが一番適任なのだ。』
「探すって言ってもよう…当たりがついてるってえのかよ、不動明王様。」
 制多迦は思わず明王を見上げた。
「だから、馬鹿は気楽なんだよ!」
「な、何い?」
「もう、やめなさいっ!慧喜童子様もよ!こんな馬鹿相手にしてたら、慧喜童子様にまで制多迦の馬鹿がうつるわ。」
「何だとおっ!金加羅!!」

『いい加減にしろっ!!』

 とうとう不動明王が顔を真っ赤にして怒った。
 と途端、ドンっと大きな雷が晴天から轟き渡る。
 その音たるや、四方八方まで響き渡った。
 思わず縮こまって、三人の童子たちは不動明王を見上げた。

『心して聞け!不動明王の眷属の童子らよ!どうやらその三つの宝物が流れて行った先は同じ所らしい。人間界だ。そこから曼荼羅と香水と宝剣の気が漂ってくる。神界の宝物だからな。人間界に置けばそれなりに気を放つ。ワシはそれを探り当てたのだ。…そこでだ、制多迦童子。』
 不動明王は座したまま、ぎょろっと制多迦を見詰めた。
『おまえに命を下す。おまえは人間界へ行き、その三つの宝物を探して持って帰れっ!』

「えええ?人間界へ…ですかあ?」

 思わず制多迦は叫んでいた。

「な、何で俺なんです?慧喜童子や金加羅童子は?」
 立て続けに問い質す。
「ふん、今は猫の手も借りたいくらい、どこの神界も天日干しと宝物整理で忙しいからな…。それに関わっていないおまえが行くのが一番妥当なんだよ!」
 と慧喜童子が言った。
「そうよ…。今、あたしはこの世界を離れるわけにはいかないの。まだ、宝物殿の半分しか天日干しできてないんだからあっ!!」
 金加羅も慧喜童子に同調する。
『そういうことだ…。おまえ、昼寝している暇があったろう?それに…。人間界のほぼ同じ場所から三つの宝物の気配がするのだ。誰かが意図的に持ち出したのか、それとも勝手に宝物が飛び去ったのか…。この前の金加羅童子を襲った物の怪の事など、少し気になることもあるのでな。』
 不動明王が呟くように言った。
「金加羅を襲った奴かあ…。確かに、滅ぼしたことは滅ぼしたと思うけれど…。って…明王様、まさか?その三つの宝物の気配って…。」

「ほお、馬鹿でも少しは感が働くらしいな。」
 慧喜童子が言った。

『おうよ、おまえがこの前飛んだ場所だよ。』
 不動明王はにっと笑った。

「ということは…。やっぱり…。」
 制多迦はゴクンと唾を飲んだ。
『そういうことだ。早乙女乱馬とかいう男に協力してもらって、早急に見つけ出して来て欲しいのだ。制多迦よ。』

「あいつのところか…。だったら、いいか。金加羅に似た可愛い子も居るし…。あいつらがどうなったか、気にもなってるし…。」
 思わずぽろりと言葉がこぼれた。
「何ですってえ?あたしに似た可愛い子がどうだってえ?」
 
「あ、いや何でもねえ…詞(ことば)のあやだよ。不動明王様の命とあっては、断れねえかなあー…なんてよ。」
 慌てて制多迦は言葉を濁した。
「ふうん…。まあいいわ。乱馬のところなら。何かあったらあたしもあかねって子の中へ飛べるし…。」
「いや、おめえはいいよ、来なくても。ここの天日干しの作業もまだたくさん残ってるだろう?」
「あんた、まさか、あかねちゃんに手を出そうなんて不埒(ふらち)なこと思ってないでしょうねっ!!」
「思わねえ、思わねえって…。あかねちゃんには乱馬が居るしよう…。」
「どうだか…。ああ、何だか急に心配になってきたわ!」
「第一、変なことしてみろっ!依代になる乱馬が黙っちゃいないだろうが…。」
 じっと睨みつけていた金加羅は、その視線を外した。

「ま、いいわ…。確かにそうよね。あんたの依代は相当、あかねちゃんに「ほの字」のようだし…。あかねちゃんは、あたしたちの存在なんて全く知らないしね…。」

『ならば、快く行ってくれるな?制多迦よ…。』

「ああ、この中じゃあ、俺が行くのが一番妥当だろうな…。何せ、依代とは初対面じゃねえし、憑依だってしやすいってもんだ。」
 こくんと揺れる頭一つ。

「じゃ、金加羅…。そういうことだから。」
 すいっと伸ばされる制多迦の手。
「そういうことって?」
「だから…。飛翔真言…。」

「馬鹿あっ!!」
 にっと笑う制多迦に、また思いっきりビンタを浴びせかける金加羅。

「何だよう!キスして人間界まで飛ばしてくれるんじゃあねえのかよぅ!!」
 思わず飛ぶ、唾。

「あんねえっ!あんた、あたしまで一緒に飛ばす気なのおっ?あんたとキスなんかしたら、あたしまで一緒に人間界へ飛んじゃうでしょうがあっ!!」
「あ、そっか…。」

「たく…。馬鹿に塗る薬はないな…。呆れてこれ以上、突っ込む気にもならんわ!」
 慧喜童子がはああっと溜息を吐く。
「おまえを一人飛ばすために、第二童子の私が呼ばれたというのに…。さてと…。どうやって制多迦を人間界へ転送しようかなあ…。」
 そう言いながら持っていた摩尼宝珠(まにほうじゅ)を日の光へと晒しだした。
 そこに映ったのは人間界の乱馬の姿。
「お…。一緒にいるか…好都合だな。」
 慧喜童子は思わず吐き出した。
「あん?何が好都合なんだ?」
 耳聡く、制多迦が聞きつけて、慧喜童子を振り返った。
「まあ、見てろ…。私が制多迦、おまえだけをきっちりと人間界へ転送してやるから。」
 そう言って慧喜童子はにっと笑った。








 神界が姦しい丁度その頃、人間界では…。


「えっと…。やあやあやあ!ここにおわすを誰やと思わん。我こそは、須佐之男の尊なり!」

「だめだめっ!!そんな棒読みじゃあ、下手も下手。誰も感動なんてしないわよっ!!」
 台本をバンバンとしばきながら、一人の眼鏡少女が乱馬へと唾を飛ばしていた。

「もお…下手くそ!」
 その傍であかねがぽそっと言葉を吐き出した。

「はあ…。たくう…。何で俺がそこまで言われなきゃなんねーんだようっ!!」 
 ぶうっと膨れっ面を手向けると、乱馬は眼鏡少女へと不平不満をぶつけた。

「仕方がないでしょう!自由に女になったり男になったりできるの、早乙女君しか居ないんだから。」
 眼鏡の少女が乱馬を睨んだ。
「好きでこんな体質やってるわけじゃねえやいっ!!」
「はいはいはいはい…。文句は後で聞いてあげるから、とにかく、先に進めないと、もう新入生歓迎会までそう日数が無いんだからあっ!!」
 眼鏡少女は乱馬へ言葉を差し向けた。
「そうよ、乱馬。あたしも一緒に付き合って、演劇に出てあげてるんだから、文句言わないの。」
 あかねがはあっと溜息を吐きつけながら乱馬を見上げた。
「だから、それが余計だっつーのっ!!何で俺が須佐之男(すさのお)でおめえが櫛名田比売(くしなだひめ)なんだよう、えええ?」
「ホント、しつこいんだからあっ!仕方がないでしょう?生徒会長の紗江さんじきじきに頼んで来たんだし…。新入生にあんたの体質を見せて驚かせようっていう企画演劇なんだからあっ!」
「何が企画演劇なんだっ!たく、俺は人寄せパンダじゃねえぞっ!!」
「文句言わないのっ!!あんたがこの前の体育の授業で、演劇部のトップの男の子を怪我させちゃったのがそもそもの原因になったんでしょうがっ!!」
 あかねがいいいっと乱馬を睨みすえた。
「あれは事故だっ!たまたま、俺の進路へあいつが立ってただけで…。」
「でも、生徒会と演劇部の共同企画があのせいでピンチになったんだから!で、あんたの出番になったわけで…。引き受けた以上は、男らしく全うしなさいよっ!!男らしくっ!」
「うぐっ…。」
 理詰めであかねに言い寄られると、さすがの乱馬も気負けする。確かに、出会い頭の事故とはいえ、演劇部の主役を張っていた男子部員に怪我させてしまったのは自分であった。全治二週間。彼は今も松葉杖をついている。これでは舞台に立てない。
 ということで、急遽、脚本は生徒会長の紗江じきじきに手直しされ、「ヤマタノオロチ退治大作戦」と言う名前で乱馬主演で演じられることになった。勿論、須佐之男の相手役、櫛名田比売はあかねということでだ。元々あかねは演劇センスがあったし、目だった少女だったので、生徒会や演劇部の連中も二つ返事で変更に応じたというわけだ。
 その練習を、連日、放課後になると、体育館の舞台上で繰り広げていたのである。

「とにかく、日数もあんまりないんだから、いい加減腹括って真面目に演じなさいよねっ!早乙女君。」
 不気味に紗江の眼鏡が光った。
「わ、わかったよ…。やりゃあいいんだろ?やりゃあっ!」
 乱馬は再び気を取り直すと、台本片手に台詞を棒読みした。

 ヤマタノオロチに見立てた机を乗り越えて、退治よろしく暴れまわる。勿論、途中で須佐之男が櫛名田比売に化けるところは、水を浴びせられて女になりきるという設定もある。
 オロチの首はそれぞれ八人の演劇部員が演じ、乱馬へと襲い掛かる仕掛けが用意されているという。

 乱馬は演劇部の小道具係が作った張りぼての刀剣を持って、えいやあっと切りかかる。

「さすがに、格闘シーンになると、俄然、動きも演技も良くなるわねえ…。」
 台本片手に、総監督の生徒会長、市瀬紗江がにんまりと笑った。

「さて、オロチを退治したら、回り込んで、今度はお待ちかねのラブシーンよっ!!」

「な、何だってえっ?そんなの聞いてねえぞっ!!」
 乱馬が顔を紅潮させて紗江に食って掛かった。
「そ、そうよっ!!ラブシーンがあるなんて全然聞いてないわよ!第一、貰った脚本にはそんなシーンなかったじゃないのぉっ!!!」
 あかねも真っ赤な顔を手向けて紗江に言った。
「だから、書き加えたのよ。早乙女君とあかねに演じてもらうって…折角だからラブシーンを取り入れたのよ…。それに、何今更照れてるのよ。あんたたち、許婚同士じゃないの。」
 紗江がにやにやしながら二人を見比べた。
「んだ、んだ…。」
「さっさと演じるべえ!」
 オロチの首をやっていた、ひろしと大介がひょっこりと顔を出した。
「だ、だから、何で人前で…。」
 乱馬が抵抗すると、ひろしと大介が口を揃えた。
「じゃあ、人前じゃなかったら、ぎゅううっとかぶちゅううっとか平気でやっとるのか?乱馬はよう…。」
「ばっ、ばかなこと言うんじゃねえっ!!」

「ちっちっち!だから、これは演技なのっ!今の早乙女君は須佐之男、あかねは櫛名田比売!とにかく…。本当のキスは本番でやってもらうとして…。」
「やらねえっ!」
「いいから、今は真似だけで、さっさと演じなさい。ほら、これが新しい台本っ!!」
 そう言いながら紗江は書き足した脚本を二人に渡した。
「でも…。」
 まだ反論しようとするあかねに紗江は言った。
「とにかく、やらないと今日の練習終わらないんだから。さっさとやるのっ!」
「んだ!とっととやらないと、俺たちも帰れねえじゃねえか!」
 じろっと出演者と見守る演劇部員、生徒会役員に睨まれると、どうにもこうにも、演じないわけにはいかなかった。

「たく…。面倒くせえ…。あかね、やるぞっ!言っとくがあくまでも演技だからな、演技っ!!」
「わかってるわよっ!」
「いいな、キスはしねえぞ!」
「あったりまえでしょうっ!もうっ!!」
「絶対しえねぞっ!」
「もう、しつこいっ!!」

 この二人、当人たちは気がついていないが、こと、こういう「熱いシチュエーション」にはめっぽう弱いのだ。二人きりでもキスしようとなると、一騒動なのに、いわんや大衆の面前だと、途端動きは硬化する。
 面白いほど、互いの想いが顔に出るのだ。

「さあ、櫛名田比売、約束どおり、そなたを我が妻と迎えん…。」
「ああ、須佐之男の尊さま…。」

 互いにどこか空々しく照れながら、台詞を棒読みにする。

「キスはいいから、ちゃんとふりの演技だけでもしなさいよっ!」
 紗江の声に押し出されるように、乱馬はぎしぎししなる右手をあかねの肩にそっと置いた。




「ガナハチイ・ビナヤカ!」
 摩尼宝珠で人間界の二人の様子を覗き見ていた慧喜童子はその時を逃さず呪文を唱え、そして、空に種字を切った。
「てめえ、また歓喜天の波動を送り込んだのかようっ!!」
 制多迦が叫んだ。




 と、その時だった。

 乱馬の手がぐいっとあかねを引き寄せた。
「え…?」
 あかねの動きが一瞬止まった。
「あかね…。」
 近寄ってくる熱い眼差し。溶けるような熱を帯びる。
「ん…。」
 熱い吐息が漏れ、そのまま乱馬の唇があかねの桜色の唇へと重ねられた。




「行けっ!制多迦っ!」
 摩尼宝珠が唸った。
 と、制多迦の姿がそれへと飲み込まれて行く。




 乱馬の熱い唇があかねへと重ねられる。
 その場に居た誰もが、演技以上に熱い乱馬の突然の行動に、あんぐりと口を開き、目を見開いた。
 ぐっと乱馬の右手に力が入る。あかねを抱き沈めようと左腕も回した途端だった。


「ぐえっ!!」

 脳天を勝ち割られたような衝動が脳天を貫いた。
 眩いばかりの光が己の上を燦然と輝いたようにも思う。とその瞬間、意識が一瞬、混濁した。

 この感覚、前にも一度、味わったことがある。

 混濁する意識の中で、彼はそんなことを思った。

『よう…。久しぶりっ!』
 そいつは頭の中で、頭の中でそう語りかけてきた。
(て、てめえ…。まさか…。)
 その声に思わず反応してしまった。
『そうだ、制多迦だ。またしばらくおめえの中に厄介にならあっ!!』
 あかねと唇をあわせたままの乱馬の脳内で、そいつは確かにそう叫んでいた。



つづく





ミニ知識
仏たちの装飾品

瓔珞(ようらく)
 仏像や仏画などをみていただくと、首から胸にかけてだらりと胸飾りをつけているものが多いですね。あの飾りを瓔珞(ようらく)と呼ぶそうです。
 元々、仏教はインドという亜熱帯気候の土地で生まれています。その辺りでは、体を冷やすために宝石や金属で加工した瓔珞をすすんで身に付けていたそうです。


腕釧(わんせん)と臂釧(ひせん)
 腕輪のことです。
 腕釧は手首に臂釧は肘から上につけるものを言います。これも単なる飾りではなく、腕や手を怪我したとき動脈を止血する位置に装着するのだそうです。(知らなかった…)
 

 仏様たちの装飾も、いろいろ意味があって付けられているそうで、奥の深さを感じます。仏像や仏画を見る折には是非チェックしてみてくださいませ。(私もしてみよう…。)


(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。