第七話 似たものカップルの帰還
制多迦の解き放った飛流昇天破は、倶利迦羅龍を貫き、そして彼の戦意を喪失させ、遂には大人しいただの龍へと変化させてしまった。
さっきまで燃えるような赤い色合いをしていた火龍は、めっきり大人しくなってその場へと静まってしまった。
『終わったぜ…。もうこいつから邪気は抜け落ちた…。再び、不動明王様の眷属へと戻ったんだ。…。さあ、蘇曽。今度はてめえの番だ。』
制多迦はそう言って蘇曽の方を見て凄んだ。
「くっ!こうなっては!!」
蘇曽はだっと駆け出した。逃げようと思ったのだろう。
『させるかっ!!』
制多迦は動かない足をぐっと踏ん張って、パンっと両手を叩いた。と、その手にどこからともなく「金剛棒」が現われた。
『おまえは逃がしはしないっ!!』
制多迦は金剛棒を握り締めると、逃げ惑う蘇曽の背中目掛けて、思いっきり投げつけた。
金剛棒は黄金の光を放ちながら、すうっと引き寄せられるように蘇曽の背中へ命中した。
「わああああああっ!!」
金剛棒に貫かれた蘇曽は、大きく一度天を仰ぐと、そのままどおっと倒れ伏した。
「無念…。もう少しだったのに…。もう少しであいつを…呼び戻せたものを!!」
五寸釘の身体から、何か赤黒い気が這い上がった。その気はふうっと上空へ舞い上がると、いつしか見えなくなった。
と、同時に、制多迦を捕らえていた地面の呪縛がふっと解けた。身体に再び自由が戻る。いつの間にか、金加羅を襲っていた月の光が途切れて、彼女も苦しみから解放されていた。
制多迦は迷うことなく、金加羅の方へと歩みを進める。彼女の上にあった髑髏からも邪気が消えていた。上に掲げられていた赤いロウソクの火も消えて、ただの頭蓋骨(しゃれこうべ)に戻ったのか、ポツンと置き去りにされたようにそこに鎮座していた。
『金加羅…。』
鎖を外してやると、力なく金加羅は制多迦の腕に倒れこんだ。立つこともままならぬほど、憔悴しているのがわかった。
制多迦の問い掛けに、ただひとつ、ふっと微笑みかける。
「くおらっ!いつまでてめえは、俺を意識の下に押し込めてやがんだっ!!で、何、人の身体使って雰囲気出してやがるっ!!何とか言えっ!このすっとこどっこいっ!!」
乱馬の意識が浮上してきた。
『たく…。良い場面だというのに…。デリカシーのない野郎だな、てめえは。』
はああっと制多迦が溜息を吐き出した。
『ま、仕方ないか。宿主優先だからな。だが、ちゃんと金加羅を連れて行けよ、相棒!』
「誰が相棒だ、誰がっ!!」
制多迦は金加羅に微笑を一つ返すと、すうっと乱馬の意識の下へと再び沈下していった。
彼が乱馬と交代してしまうと、五寸釘を貫いた金剛棒は、そのまま空へと同化するように消えていった。
『おまえ、その少年と金加羅と二人担いで、結界を越えろよ。』
「えええ…。二人もかあ?」
乱馬は嫌々とした声をあげた。
『当たり前だ…。早くしろよ。ここの主が滅びたんだ。この世界ももうじき崩壊…。』
その声に呼応するように、地面が微かに振動し始める。
『ほら、急げっ!ここで野垂れ死にたくねえだろう?』
「わた、わかった!」
始めは緩やかだった振動がだんだんと大きくなる。
乱馬は制多迦に言われたように、金加羅と五寸釘の二人を両脇に抱えて、急いでその場から立ち去った。
彼が結界を越えると、壁、天井。全てが音をたてながら崩れていくのが後ろで見えた。そして、やがて、空間は、そこから剥げ落ちるように、消えてなくなっていくのが見えた。
「闇が閉じる…。」
乱馬は消え行く空間を見ながらふっと声を落とした。
『終わったな…。乱馬。』
「ああ、終わった…。」
見渡すと、そこは五寸釘の部屋のようだった。
さっきまで気が付かなかったベッドや書架、机が目に入ってくる。どうやら、元の世界に無事生還できたようだった。
『まだ、若干やらねえといけないことが残ってる…。』
そう言うと、制多迦は乱馬の中で何か呪文を唱えた。
「お、おい…。」
乱馬が声をかけようとしたときだ。ふうっと身体が浮き上がったような錯覚に捕らわれた。眩いばかりの光が五寸釘の部屋を点滅した。
『さあ、ドアを開けるんだ。これで終わった。』
制多迦が言った。
「ああ…。」
彼に促されて乱馬は五寸釘の部屋のドアをゆっくりと開け放った。
「で、何でおめえはまだ俺の中に居るんだ?」
乱馬は制多迦に語りかけた。
傍らにはあかねがにこにこと微笑みかけながら、おてんとうさまの元を歩いている。学生鞄に不器用な手製のマスコットが揺れている。
『仕方がないだろう?帰るのには儀式が必要なんだから…。』
「儀式ねえ…。でもよう…。」
乱馬は前を歩くあかねに向かって、怪訝そうな瞳を差し向けた。
「何で、金加羅までくっついて来たんだ?ええ?」
『仕方がねえだろう?おまえたちの世界では俺たち神界の眷属はその身を置くことができない決まりになってんだから…。』
「だからって、何であかねの中に放り込みやがった!!」
乱馬は荒い息を吐きつけた。
『大丈夫よ、乱馬。幸いあかねさんは気を失っていたから…。あたしが憑依したことを知らないわよ。』
「そういう問題じゃねえっ!!」
『じゃあ、どういう問題なのよ?』
がくっと乱馬は肩を落とした。
こいつらに何を言っても始まらないと思ったのである。
そう、五寸釘の部屋を出る前に、制多迦が施したこと。それは五寸釘の部屋の修復と、五寸釘と外でおろおろしていた彼の母親の記憶操作。二人の記憶から要らない部分を消し去った。
そして、あかねの体内へと金加羅を憑依させたのだ。独鈷を使って。
気を失っていたので、あかねの体内へはすんなりと入ってしまったようだ。二人に寄ると、あかねは恐らく、憑依されたこともわかっていないという。
だから、今、乱馬の前を歩いているあかねは、あかねではない。つまり、あかねに憑依した金加羅が意識体を全て操作しているのである。
人間界は初めてなのだろう。心なしか金加羅が浮き足立って見えるのは気のせいだろうか。
「で、てめえらはいつまで人間界に居るつもりなんでいっ?」
やれやれと溜息を吐きながら乱馬が問いかけた。
『大丈夫、今夜にでも立つから。』
金加羅が言った。
『そうだな…。満月の夜の力は微弱な力でも増幅するし…。』
「とっとと帰りやがれっ!」
悪態を吐き出したが、内心ホッとした。正直、いつまでも居られると身が持たないし、あかねが気になったからだ。
『ねえ、乱馬…。制多迦と意識交代してくれると嬉しいな…。』
ぴとっと金加羅が乱馬の真横に立った。
「あん?」
『せっかくの人間界だもの…。制多迦と闊歩したいなあ…なんて。』
うるうるな瞳が乱馬を見詰める。
「ダメだっ!絶対にやだっ!!てめえらを自由にしてると、どんな騒動になるか知ったもんじゃねえっ!!」
『ケチ…。』
「ダメダメダメっ!制多迦、さっきみたいなことは絶対にするなよっ!勝手に変わったら承知しねえぞっ!!」
『へいへい…。』
彼らが平和な会話を交わしているその上を、ゆらゆらと浮上した一つの黒い霧。憎々しげに乱馬とあかね(金加羅)を見下ろしていた。
(くっ…。もう少しで完全に紫獅(しし)の意識が蘇生できたものを!制多迦め…。)
黒い霧は意思を持っているようで、そう吐き出した。そして乱馬たちの遥か上空を揺らめくと、すいっと飲み込まれるように一軒のひなびた寺続きの家の蔵へと消えて行く。
家の表札には「赤間」と書かれている。
蔵に置かれていたのは、蒔絵の箱。そして、一本の仏画の巻物。その前ですっと止った。
(まあ良い…。思ったよりも金加羅の気が集ったからな。どら…。)
霧は蒔絵箱を持ち上げると、そっと箱蓋を持ち上げる。
カタンと音がして、中にはどす黒い液体が満ちていた。
霧は箱を持つと、それを飲み干す動作をした。
と、どうだろう、みるみる霧は人型へと変形し始めた。
(紫獅の奴を呼びものすほどの気は集らなかったが……。)
ふうっと飲み干すと人型は吐き出した。
(俺様の幽体を取り戻すには充分な量だったか…。まあこれで今回は良しとするか。)
妖しげに浮かび上がる身体。実体ではなくまだ霧状の身体だった。だが、その姿は、ある人物と瓜二つだった。
(忌々しい制多迦めっ!今回は破れたが、今度こそ、この蘇曽様が紫獅(しし)を復活させてやる…。ククク。この人間界には金加羅と同じ気を持つあかねとかいう少女が居る。それに、ここには制多迦と同じ気を持つ乱馬という少年も居ることだしな…。彼ら二人を使えば、紫獅(しし)もじきに復活させることができよう。勿論、我が主、魔多羅神もな…。ふふふ、面白くなってきたぞ。)
浮き上がった影はにっと笑った。その背中にはおさげがゆらゆらと揺れている。鋭い眼光と筋肉質な身体。そう、蘇曽もまた、制多迦と同じように乱馬と生き写しだったのである。
(今はまだ時期尚早だ。まだまだ力を蓄えて、それから、紫獅を復活させてやる。彼女さえ復活させられれば、魔多羅神を呼び覚ますことなど造作ない。…。それまで、束の間の平和を味わっておくが良い、制多迦と金加羅、そして乱馬とあかねよ…。貴様らを必ずこの手に落としてやる。魔多羅神の贄としてな…。)
蘇曽はにやりと笑うと、すいっと蒔絵箱へと消えて行った。
月が天上に昇りきった頃、道場の片隅で乱馬はあかねと向き合っていた。
いや、正確にはあかねに憑依した金加羅と向き合っていたのだ。
『そろそろ帰るわ、乱馬。』
あかねはそう象った。
結局のところ、五寸釘の家で彼女、金加羅が憑依して以来、あかねはその意識の下で眠り続けているのだという。
「ああ、とっとと帰れっ!この疫病神め。」
『そういう言い方ないでしょう?ほんと、あんたって制多迦同様「ガキ」なんだから。』
「なっ!!」
『さて、悪いけど、また制多迦と入れ替わってもらわないとね。』
金加羅は楽しそうに言った。
「ば、馬鹿っ!制多迦と入れ替わるのは金輪際、絶対に嫌だって言ったろう?」
『じゃあ、あんたがあたしにキスしてくれるのね?』
悪戯な瞳が乱馬を捉えた。
「はああ?」
突然何と言い出すと言わんばかりに乱馬は金加羅を見た。
『あたしと制多迦は口付けを交わすことで飛翔できるの。まだ、一人では異世界を越えることはできないのよ。』
「な、何だとお?」
『まだ修行中の身の上なんでな。二人で互いの気を交換しないとできない真言呪文なんだ。特に次元を越えて飛翔することはよう。』
制多迦も乱馬へと吐き出した。
『まあ、意識は金加羅だが、身体はあかねさんだからな…。てめえが金加羅にキスすること、我慢してやるから、さっさとやっちまえっ!』
制多迦が吐き出すように言った。少し機嫌が悪い。意地悪な言い方だった。
「キ、キス…だとお?」
乱馬はそう言ったまま固まった。目の前であかねに憑依した金加羅が楽しそうに笑っている。
『そうよ、あたしと唇を合わせてくれればいいのよ、そうしたら、あたしも制多迦も、ここから神界へと飛べるわ。』
「ほ、他に方法はねえのか?」
『あるにはあるが…。』
制多迦が言った。
「なら。そっちにしとけっ!」
乱馬の強い要請に、制多迦は首を振った。
『慧喜童子に頼むなんてことだけは、絶対にいやだな…。奴に頼んで飛ばしてもらうくらいなら、おまえに頼んだ方がまだ良いやっ!』
『ふふふ、そうね。制多迦は慧喜童子が大嫌いだもんね。』
「何なんだ、それはっ!」
『慧喜童子に頼むってことは、おまえが一番嫌いな奴に土下座するのと同じようなことだからな…。だったら、まだ、俺と同じ気を持ったおまえと金加羅がキスするほうがまだ耐えられるってもんだ…。それが嫌なら、さっさと俺と交代して、金加羅とキスさせろっ!』
にいっと制多迦が笑いかけてくるのが乱馬にはわかった。
「って、言ったって…今の金加羅はあかねに憑依してるんだろ?」
『たく…。おまえと俺が交代すれば、身体はおまえとあかね、意識は俺と金加羅ってことになって、すんなり決まるじゃねえか。』
「良くわからないが、まあ、そういうことにはなるけどな…。でえっ!でも、あかねとおまえがキスするなんて。俺は嫌だ。」
『もう、物分りが悪いんだから…。キスするのは制多迦と金加羅、身体を借りるだけよ…。それに、あんただってあかねさんとキスすることは別に抵抗ないんでしょう?男だったら、さっさとあたしとキスするか、制多迦と交代するか、決めちゃいなさいっ!あんたって制多迦よりも優柔不断なの?』
「わかったよ!そこまで言うんだったら、交代してやらあ!とっとと浮き上がりやがれっ、制多迦っ!」
『了解!』
その言葉を待っていたかのように、制多迦は乱馬の意識を下に追いやって表面へと浮き上がった。
『腕ずくで浮き上がることもできたけどな…やっぱ、それじゃあ寝覚めが悪いんでな…。悪く思うなよ、乱馬。』
『ふふふ、制多迦らしいんだから。』
乱馬から交代した制多迦がふっと頬を緩めた。
『乱馬よりも俺の方が良いんだろ?おまえはさ…。』
『あたしは別にどっちでもいいわよ。』
『へっ!素直じゃないな…相変わらず…。』
すいっと伸びる乱馬の手。あかねの頬にそっと添えられた。
『帰ろうか…。金加羅。』
『そうね…いつまでもここに居たんじゃ、この二人にも気の毒だから。』
にっこりと微笑み合う。
肉体は乱馬とあかねのものだったが、意識は完全に制多迦と金加羅のものだった。
月明かりが雲間からさあっと漏れてきた。今夜は満月。真冬の望月は幾分、凍った光を照らしつけてくるように思えた。
『目を閉じろ…。金加羅。』
『ん…。でも、その前に…折角だから…。』
金加羅は悪戯な瞳を差し向けた。
『おめえ、悪女だな…。』
『だって…この二人、あたしたちよりも素直じゃなくて、ウブそうなんだもの…。ね?』
そう言うと金加羅は道場の床へと仰向けに寝そべった。制多迦を見上げながら、手を翳して誘う。
『じゃ、遠慮なく…。』
制多迦は上からにっと笑うと、金加羅の手をぎゅっと握り締めた。
『もう、ちゃんとムード出しなさいよっ!それって、物凄く「即物的」で「本能」剥き出しよ!』
『いいの、男なんか神族でも人間でも一緒なんだから…。』
嬉しそうに笑う。
『このままおまえと繋がりたいけどな…。』
『もう…。制多迦ったら…。宿主に悪いわよ。そこまでやったら。』
うふふと金加羅が笑った。
『やんねえよ…。第一、俺たちはまだ修行中の身の上だしな…。飛ぶぜ…。金加羅。』
『いいわよ…。制多迦。』
折り重なるように、制多迦は上から金加羅を抱きしめ、そっと唇を合わせた。
『じゃあな、乱馬…。』
『あとは上手くやんなさいよ…。』
去り際にそんな声を、浮き上がってくる乱馬の意識の中に残した。
「もう来るなよ!制多迦、金加羅…。」
乱馬はそう思いながら、ふっと意識を表面へと押し上げた。
感じるのはあかねの極上の柔らかと温かい唇と。
と、その時だった。
「乱馬のバカーッ!!」
思いっきり下から左頬へとビンタが飛んできた。
「へ?」
あかねの思わぬ急襲に乱馬ははっと我に返った。
「へっじゃないわよっ!あんた一体、何やってるのよーっ!!」
真っ赤に熟れたあかねの顔が、自分の身体の下にあった。
良く見ると、己はあかねを押し倒しているように見える。…いや、実際に押し倒していた。そして、柔らかな唇を合わせていたのだった。
「あ…。いや、これはだな…。制多迦と金加羅の奴がだな仕組んだことで…。俺にはその…。」
「何訳のわからない言い訳してるのよー!乱馬の馬鹿ーっ!!」
再び襲い来るあかねの激しい怒りのビンタ。
「畜生ーっ!何て格好でキスしやがったんでいっ!もう、絶対に、俺に憑依なんかさせてやんねーぞ!制多迦のすっとこどっこいー!!」
「訳のわからないこと、口走るなーっ!この色情魔あっ!!」
『たく…。上手くやれって言ったのに…。』
『ほんと、不器用なんだから!』
その影で制多迦と金加羅の笑い声が聞こえたような気がした。
月がさめざめと現世の二人を照らし出す。
何事も無く平和に夜の帳は降りて来る。
不器用な二人の恋純情を見詰めながら、満天の月は仄かに笑ったように見えた。
完
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