第五話 危機との遭遇


 乱馬は制多迦を抱え込んだまま、日常生活を送り始める。
 勿論、寝るときもご飯の時も、風呂もトイレも一緒だ。

 フェンスの上で前を行くあかねを見ながら、脳内で二人会話していた。
『これから学校とかいうところへ行くのか?乱馬よ。」
「たく…。思い出したように語り掛けてくる奴だなあ…てめえは。ああ、そうだよ。」
『何しに行くんだ?』
「勉強だよ…。勉強。」
 面倒くさそうに乱馬が答えた。
『その勉強って奴は楽しくないのか?しけた面しやがってよう。』
「ああ、退屈だ。だけど、仕方がねえ部分もあるからなあ…。この国では。」
『乱馬は勉強が好きではないのか…。』
「ほっとけよっ!」
『まあ、彼女の護衛に行っているようなものなんだな。きっと。』
「いちいちうるせえんだよっ!!」
『はっはっは。でも、現世も悪くはないな。…あかねも可愛らしいし…。金加羅が傍に居るみたいだぜ。』
 前を行くあかねのお尻あたりが揺れるのを見ながら制多迦は言った。
「あかねをてめえに呼び捨てにされる筋合いはねえぞ!」
『いいじゃねえか。おめえだって金加羅のこと呼び棄ててるだろ?お相子様だ。でも、見れば見るほどあかねは金加羅そっくりだ…。おめえも彼女の尻に引かれてるようだしな…。』
「ばっ!馬鹿言うなっ!誰があかねの尻になんか…。」
『そうかな…。まだ喧嘩は続いてるようだが、それなり気を遣ってるじゃねえか。』
「だからそれは全部てめえのせいだろがっ!たく、人の恋路の間に割り込んできやがって。で、金加羅の気配は読めたのか?」
『全然!』
「何力入れて言ってやがる…。今夜は満月だぜ。」
『頑張って気を張り巡らせてるんだが、一向に読めない。現世に開いた異次元空間へ捕らわれてるんだろうと思うんだが…。』
「異次元空間?」
『ああ、異次元空間だ。この世でもあの世でも神界でもない特殊な空間だ。現世に直接降臨できないからな、俺も金加羅も。金加羅は直接神界から身体ごと持っていかれちまったからな。』
「そうか…直接降臨できるんなら、俺の身体を乗っ取らなくてもいいって訳か。」
『依代になりそうなあかねには、金加羅が入ってる気配もないし…。神界から連れ出されたってことは…。』
「異次元空間に捕らわれている可能性が高いってわけか。」
『そういうことだ。誰かが操る異次元空間へ連れ込まれたって線が濃厚だな。で…きっと人間界に異次元空間の裂け目は存在する筈だ。今夜、満月になれば明らかになると思うぜ…。』
「アバウトな奴だなあ。もし、その時空間の裂け目が全然違うところにあったらどうする気なんだ?現世ってたって、地球は広いんだぜ。海の向こうの外国だったりしたら…。」
『いいや、この近辺に開いてることだけは確実なんだ。じゃねえと、不動明王様がおまえに憑依しろなんて言い出すわけねえしな。』
「ふうん…。」
『それより…。もし異空間が開いたら、それを閉じるのにこのお札が必要になるかもしれん。これを持っておけ、乱馬。』
「お札?」
『ああ、異空間にはどんな化け物が居るかわからんからな。まあ、こんな小さな札だけで防ぎきれるものではないが、一次凌ぎくらいにはなるだろうからな。』
 すいっと目の前に何枚かが組まれた「お札」が出現する。
「わかった…。預かっとく。」
 乱馬はそれを鷲掴みにすると、上着のポケットへと入れた。


「早く、急がないと遅刻よっ!乱馬っ!」
 随分先へ行ってしまったあかねが後ろを振り返って叫んだ。
「お、おうっ!もうそんな時間かようっ!!」
 乱馬はだっと駆け出した。
『遅刻?』
「ああ、いいから黙って俺の中に鎮座してろっ!遅れるわけにはいかねえんだからよっ!!」

 キンコンカンコンと始業を告げる鐘の音が鳴り始めた。

「げっ!悠々と制多迦の相手してたら、本鈴が…。」

「早乙女乱馬くんっ!遅刻っ!!」
 教室へ飛び込んだ乱馬にひなちゃん先生が開口一番、吐き付けた。
「遅刻するような悪い子には特別課題を差し上げますっ!!」

「そ、そんな…。」
 乱馬はその場で脱力する。
「あかねは先に教室に入って来てセーフだったのに、乱馬は何ちんたらやってたんだようっ!」
 と野次が飛ぶ。
 くすくすと笑うクラスメイトたちの中、あかね一人が怪訝な視線を乱馬へと手向けていた。





「こら制多迦…てめえのせいで。要らぬ用事、受けちまったじゃねえかっ!!」
 放課後、ぶつぶつ言いながら歩く乱馬の姿がそこにあった。今にも泣き出しそうな曇り空の元、早足になる。
『んなことは知らないぜ。遅刻ってのをしたのはてめえだろ?』
「だから、ちんたらてめえと駆けてたから遅刻しちまったんだろがっ!!」
『そんなこと…。朝もう少し早く起き上がっていれば良かったんだろうが…。』
「てめえをずっと相手してたから、疲れ切ってて、目覚めが悪かったんでいっ!」
『武道家は己の失敗を他人のせいにはしないものだぞ。』
「たく…。勝手なことばっか言いやがって。にしても…。こっちの方向だっけ?五寸釘の家は…。」
 きょろきょろと乱馬は当たりを見回した。
『で、その五寸釘とかいう奴とは仲が良いのか?』
「な、何訊くんだよ。んなことは絶対にねえぞっ!」
『じゃあ、何でそいつの家へわざわざ…。』
「だから、てめえのせいだっつーってるだろがっ!遅刻したからって担任のひなちゃん先生が俺に五寸釘の家に行って様子を見て来いって…。たく、そんなのは担任の仕事じゃねえのか?ガキが宿題とか課題届けに行くんじゃねえっつーってんのにようっ!」
『何で五寸釘とかいう奴の家になんか行けとあの娘御は。』
「知るかよ。ここんところ暫く五寸釘が休んでるからじゃねえのか。」

 つい、一人だとガードが緩んで、口に出しながらすたすたと歩く乱馬。その少し後ろを、気配を絶ちながらあかねがつけていたことなど、全く気付かなかった。
「やっぱり、変…。あの様子。まるで誰かと喋ってるみたいな感じだわ。」

『おい、おまえの探してる家ってえのは、ここのことか?』
 制多迦が視線を促した。
「お、そうだそうだ。ここだ。」
 どんよりと曇った空の下、目立たないようにひっそりと構える一軒家の表札が目に入った。確かに「五寸釘」と読める。
 と、上空から冷たい水滴が滴り落ちてきた。
「やべえっ!雨だっ!」
 冬の天気は変わり易い。雪になるには気温が足りないのだろう。
 哀れ乱馬はそぼ降る雨に打たれ、みるみる男から女へと変身を遂げた。
「くそおっ!傘を持ってねえ時に限って雨だ!」
『やっぱり呪泉の泉の呪いにかかってやがるのか。てめえは。』
「うっせえよっ!俺だって好きで女溺泉に落ちたんじゃねえやっ!」
『ドジな野郎だな。』
「てめえ、追い出すぞっ!」
 
 だが、それに対して返答はなかった。
 一瞬だが、制多迦の気の流れが変わった。そんな気がした。
「どうした?制多迦…。」
 乱馬は急に黙り込んだ制多迦へと言葉を手向けた。

「ねえ制多迦って誰よ。」
 そこへひょいっとあかねが後ろから覗き込んで来た。
「げ、あかね…。てめえ何しに来た?」

「あんたさあ、ひなちゃん先生に言われて五寸釘君のところに来たんでしょう?」
「お、おめえには関係ねえことだろうが…。」
 乱馬は急に現われた彼女に焦りながら言った。
「もお、それでこれ、忘れたでしょうが。」
 あかねはやれやれと言わんばかりに何か大きな封筒を乱馬に差し出した。
「あん?」
「これ、持って行けって言ってたの忘れるんだからあ。…本当に、この頃の乱馬どうにかしてるわよっ!独り言多いしさあ。何か変な霊にでも憑依されてるんじゃないの?狐つきとかさあ。」

(まあ、霊よりももっと厄介な奴が己の体内に寄生してるんだけれどよ。)

 そう言いたいのは山々だったが、ぐっと堪えた。あかねに悟られるなと体内の制多迦が牽制をかけたことにも関係があった。それに、金加羅と言う「制多迦の彼女」が行方不明になっているのだ。金加羅に似たあかねが危険に晒されることだって在り得る話だった。

「で、「制多迦」って何?」
「あん?」
 わざと大声ですっとぼける。
「さっき「せいたか」って話しかけてたじゃないの。」
「ああ、あれか、…あれねえ。…それは何だ。俺の身長は雨が降ると女になるから縮むだろ?でも、ちょっと成長したのか、背が高くなったかなあって。背い高…なんちゃって。」
「面白くないボケね…。」
 しらっとした顔をあかねは手向けた。

「あのう…。」
 その時だった。背後からぼそぼそっと話しかけてくる声があった。
「わっ!」「きゃっ!」
 急に声をかけられたので、二人は思わず叫び声を出す。

「うちの前で何でしょうか?何か御用でも…。」
 そうとがめたのは女性だった。何かしら暗い雰囲気が漂っている。
「五寸釘君のお母さんですよね…。」
「あいつのオフクロ以外にねえぞ。よく似てらあ…。」
 乱馬も声を上げた。
 そう、五寸釘家は家族揃って同じような顔をしていた。それぞれ目にくまが入り、必要以上に暗く見えるのである。
「そうですが…。」
「あの、あたしたち、五寸釘君と同じクラスなんです。今日は担任の先生からこれを預かって来たんです。」
「まあ、お友達が光のためにわざわざ…。それも、こんなに可愛らしいお嬢さんが二人も。やっと、あの子にもやっとガールフレンドが…。」
 五寸釘の母はよよよっと目頭に手を当てた。
「俺は女じゃねえぞ。それに、あかねだってガールフレンドなんかじゃねえっ!」
「いいからあんたは黙ってて!」
 あかねはきつく乱馬を見返した。
「で、五寸釘君は?病気か何かですか?それで今日は欠席したのでしょうか。」
 あかねは愛想笑いを浮かべて、五寸釘の母に尋ねた。

「ええ…。何となく、この連休前から様子がおかしかったんですが…。体調がすこぶる悪いから今日は休ませてくれと朝方に言ったっきり、部屋にずっと閉じこもりっぱなしなんですよ。ご飯もろくに食べずに。部屋へ入ると、雨戸は閉めっぱなしで、シンとしてるんです。」
「病気で寝てるんじゃないんですかあ?」
 あかねはきょとんと声を荒げた。
「さあ…。医者へ行こうと言ったら拒否するんですよ。僕は大丈夫だからって。寝ていれば治るからって…。今まではそんなことが無かったのにですよ。」 
 ぼそぼそと歯切れの悪い口調で、五寸釘の母は愚痴のように乱馬たちに説明してくれた。

「とにかく立ち話も何ですから、どうぞ…。」
 五寸釘の母に中へと通された。

「へえ、中は普通の家かあ…。」
 開口一番、乱馬がそう言いはなった。
「あのねえ…。そういう物の言い方はないでしょうっ!」
「で、いってえ…。」
 あかねにスリッパの上から思い切り足を踏んづけられた。
「いてててて…。たく、凶暴な奴だなあ。五寸釘の家だから、玄関先からいろんなものがあると思ってただけでいっ!」
「彼の嗜好がそのまま全家族にってことはないのっ!」

「あ、光の部屋は二階です。どうぞ…。後でお茶でも持って行きますから。」
「お構いなく、おばさま。」
 あかねは乱馬に手向けていた怒った表情を、いっぺんに緩めて五寸釘の母を見返した。

「二階ねえ…。」

 真っ直ぐに伸びる階段を見上げて、ふっと乱馬が言葉を途切れさせた。
 階段の上にある天窓は雨戸がさされているのか、上に向かうほど暗い。どよどよと陰気な空気が上から降りてくるようなそんな雰囲気だった。
「足元暗すぎるな…。」
 乱馬は脇にあった電灯のスイッチを押した。
 カチッと音がして、ふっと乳発色の蛍光灯が灯る。
「あんまり変わんねえな…。全然明るくねえぞ。」
 いや、それだけではない。玉切れしかかっているのか、バチバチッと音をたてながら点滅する。いわゆる「お化け電灯」という奴だ。

「奴らしい家だな…やっぱり。」
 乱馬は苦笑した。

「良いから、文句ばっか言ってないで、さっさと用事を済ませて帰りましょうよ。」
「お、おう…。でも、何でてめえまでくっ付いて来たんだよ。」
「そんなこと、どうでもいいから。」

 トントントンと階段を踏みしめながら上がっていく。あかねにしてみれば、乱馬のことが気になって仕方がなかったのだ。彼女なりに乱馬の異変を嗅ぎ取った結果が、付いてくるという行動に現われたと言っても過言ではない。

「落っこちるなよ。」
 先に上がりながら乱馬が声をかけた。
「誰に向かって言ってるのよ。」

 八分がた上がったところで、すっと足が止った。
 五寸釘の部屋のドアが見えたところでだ。
 どうしたものか、急に足が自然に止った。
 はっとして乱馬は体内の制多迦へと問いかける。

(おい、どうした?制多迦、てめえが俺の足を止めたのか?)
 そう心で問いかける。だが、それに対して何も答えがなかった。
(さっきから、なんで返事しねえんだ?)
 制多迦の気が体内から消えたわけではなかったが、何故か無反応だった。いつもなら、うるさいくらいあれこれと脳内に話しかけてくるのにだ。

(いつから黙りこくるようになった?そういえば、ここの家に入ってから、いや、入る前に音信が途切れたんだっけ。)

「ねえ、どうしたの?乱馬…。」
 怪訝な顔であかねが覗き込んだ。

(もしかしたら、制多迦の奴、俺が女に変身している間は、浮上して来られねえのかもしれねえぞ…。)
 乱馬はそんな結論を導いていた。
 制多迦と音信が途切れたのは、確かに、雨に打たれて変身を遂げてからだった。
 どういったカラクリがあるのかは知らなかったが、「女」という生き物に変身した途端、気の流れが変わり、制多迦が反応できなくなった。そう考えるのが妥当な気がしたのだ。

「ねえ、乱馬っ!乱馬ったらっ!!」
「あ、あん?」
「何ぼけっとしてるのよ。早く上がりきっちゃいなさいよ。こんな階段の途中で止らないで。」
「そうだな…。」

 再び階段に足をかけると、今度はそのまま一気に登りつめた。

「うへっ!真っ暗だな。」
 乱馬は辺りを一瞥すると、ぼそっと吐き出した。
「で、五寸釘の部屋は…。」
 木製の一枚ドアが目に入った。勿論、閉じられているようだ。暗がりにドアにかけられた妖しげな人面の掛け物が、暗がりに浮き上がって見えた。
「あそこか…。」
「何だか雰囲気があるお面ねえ…。それ。」

 目を凝らすと、いろいろなお札がぺたぺたと貼られているのにも目が移った。

「何か妖しげな雰囲気だな…。」
 あかねが後ろにヒタリとくっ付いてきた。
「どうしたんだ?」
「ち、ちょっとね…。」
「ははーん、おめえ怖いとか。」
「べ、別にそんなんじゃないけど…。」
「入るぜ。とっとと五寸釘にこれを渡して帰ろう。ずっとこんな陰気なところに居たんじゃ、こっちまで暗くなってしまいそうだからな。」

 乱馬はすっとドアの前に立った。

「ん…?」

 ドアの隙間から、何か異様な煙が立ち昇るのが見えた。

「お香の香り?」
 あかねも気が付いたらしく、そんなことを吐き出した。
 煙と共に吐き出される一種独特な匂い。何だか今まで嗅いだこともないような異様な匂いだった。
 一瞬、気後れしたが、乱馬は思い切ってドアを叩いた。

「おいっ!五寸釘!」
 トントンと軽く二つノックをする。
 だが、返事はない。
「こらっ!五寸釘っ!!」
 やはり返事がない。
「ねえ、もしかすると、寝てるんじゃないかしら。」
 あかねが乱馬を見ながら言った。
「しゃあねえな…。このまま渡さずに帰ったら、明日、ひなちゃん先生に何言われるかわからねえし。…枕元にでも置いて、さっさと立ち去るか。」
「それがいいかもね。」

 乱馬はゆっくりとドアノブに手をかけた。

「入るぞ…。」
 すいっと息を一つ吸い込んで、前で止めると、手にしたノブをゆっくりと前に押し出した。
 
 キイ…。

 木のきしむ音がしてドアがゆっくりと開け放たれる。
 中は真っ暗闇だった。暗がりに目が慣れていたにも関わらず、閉ざされる闇に、何も映らない。
 ごくんと唾を一つ飲み込むと、乱馬はゆっくりとドアの内側へと侵入した。音を極力たてないように、つま先からゆっくりと部屋に足を踏み入れる。

 ぞくっと背中で何かが戦慄いたような気がした。身体の内側に居る制多迦が動いた。中の気に反応してざわざわろ色めき立つ。そんな感じがした。勿論、彼からのコンタクトはない。
 とぎゅっとあかねが乱馬へとしがみついてきた。気の強い彼女は怖がりでもあるのだ。真っ暗闇の部屋が不気味に感じたのだろう。
 真っ暗闇の先に何か赤い光が漏れているのに乱馬は気が付いた。そこだけが薄らぼんやりと照らされている、そんな感じだった。
「ねえ、さっさとその袋、置いて出ましょうよ…。乱馬。」
 あかねはこそっと声を上げた。

 とその時だった。

「誰だ?」

 先で少年の声が響いた。
「きゃ…。」
 あかねが再び乱馬の背後でぎゅっと彼の衣服へとしがみついた。
「俺だよ、五寸釘…。おまえが休んだんで、ひなちゃん先生からこれを預かってきた。」
 乱馬は物怖じせずに、暗がりの主に向かって言葉を吐き出した。
「そうか…。ならそれをここへ置いてさっさと帰ってくれ!」
 五寸釘が暗がりの先で囁くように言った。いつもにも増して交戦的な口調だった。
「ああ、言われなくてもそのつもりだ。」
 ちょっとむっとして乱馬が言った。そして、言われたとおり持って来たものをその場に置こうとして、はっと目が固まった。
 ぼんやりと浮かび上がる薄赤い光に気が付いたのだ。
「光…?」
 乱馬は目を落として床を見た。と、今まで何もなかった床にすらすらっと何か絵文字のような物が次々に浮かび上がってきた。
「な、何だこれ…。」
 その光に誘導されるように乱馬は光の先を見詰める。さっき、前方で見えていた赤い光が一斉にこちらを睨んだような気がした。煙が上がるようにゆらゆらと立ち上る光。その向こう側にある鋭い赤い目とかちあったのである。
 目の主はじっと乱馬を睨み据えていた。
「り、龍?」
 乱馬ははっとしてそいつを見た。
 と、みるみる龍の姿が暗がりから浮き上がってくるではないか。

「乱馬?どうしたの?何かあるの?」
 あかねには見えないのだろう。すぐ後ろから声をかけてきた。

 と、龍のすぐ傍で人影が動いた。
「ご、五寸釘…。おまえその格好…。」
 乱馬は五寸釘の装束を見て言葉を漏らした。赤い直衣を羽織り烏帽子を被った彼がそこに立っていた。

「女、おまえ、結界と我らの姿が見えるのか…。」

 五寸釘は乱馬を鋭い視線で見返してきた。
 それと共に揺れる背後の赤い龍。

「ほお…。人間の中にも我を見られる者が居るとはのう…。くくく…。ならば、おまえたちは帰すわけには行かぬ。」

「おまえ…。五寸釘じゃねえな。俺のこと「女」って言ったもんな。俺のこと知ってる五寸釘がそんなことを言うわけねえもんなっ!」
 乱馬はびしっと視線を送った。

「乱馬?」
 あかねは何が起こっているのかわからず、乱馬へと声を上げた。

「あかねっ!てめえは来るなっ!!」
 そう言って乱馬はあかねを後ろへと突き飛ばそうとした。

「逃さないっ!!」
 
 五寸釘の鋭い声がして、すいっと右手を高く翳した。

「きゃあ、何これっ!!」
 すぐ脇であかねが悲鳴を上げた。身体に何か黒い物体がべっとりと巻きついてくる。それは床から這い上がるように湧き出していた。
「あかねっ!!」
 乱馬はだっと動いてあかねの身体に絡みついた黒い物体を薙ぎ払った。

「ほおお…。これは面妖な。この女、金加羅と瓜二つではないか。」
 五寸釘があかねを正面から見て、そう声を上げた。

「金加羅だって?」
 乱馬の表情が変わった。
 制多迦が探し求めている金加羅童子の名前を、こんなところで聞けるとは思わなかったからだ。体内の制多迦も激しく動揺したようだった。

「丁度良い。こやつを繋ぎにすれば、あいつの復活も手早く成せるというもの。」
 五寸釘の目が妖しく光った。と床下から再び粘ついた物体があかね目掛けて襲いかかってきた。
「いやあああっ!!」
 あかねの身体がみるみる液体に包み込まれた。
 

「くっ!させるかあっ!!」
 乱馬はあかねに巻きついた物体に向けて、気砲を解き放った。
 彼の手先から発光体が飛び出し、あかねを包み込む。
 と、バラバラとその物体が空で分解し、床下へと投げ出された。一緒にあかねも倒れこむ。
 乱馬は崩れ落ちるあかねへダイビングし、抱え込む。今の衝撃波であかねは気を失ったのか、ぐったりと崩れるように乱馬に身を預けた。
「とにかく、部屋の外だっ!!」
 一目散に五寸釘の部屋の出口へと駆け出した。
「逃しはせぬっ!!」
 中から五寸釘が怒鳴る。
「くっ!」
 延び上がる魔物と龍を尻目に、乱馬はあかねを抱えて出口へと突っ走った。たかだか六畳の部屋だと思っていたのに、いつの間にか開けたどでかい空間。その出口目掛けて懸命に走る。
 しゅるしゅると伸びてくる闇の物体。それらがあかねを飲み込もうとするよりも一瞬早く、乱馬はドアの外へ飛び出した。

 はあはあと息が上がる。

「どうしたの?あなたたち。」
 と、丁度その時、五寸釘の母親がお茶を携えて階段を上ってきた。
「きゃああ…。何それっ!!」
 ふうっと五寸釘の母親が部屋の異変に気が付いて叫んだ。
「おばさんっ!丁度良いやっ!」
 乱馬は彼女が持って上がって来たポットへと手を伸ばした。それから五寸釘の母親に向かって言った。
「おばさん、俺が入ったらここのドアを閉めて、このお札をしっかりと貼り付けておいてくれ。そうしたら結界が貼れて、少しでも奴らの侵入を防ぐことができるだろう…。それから、あかねをよろしく頼む。ただ、気を失っているだけだから。部屋の中の五寸釘は俺が何とかするから。頼むぜっ!!」

 乱馬はポットを手にすると、再びドアへ向かって飛び込んだ。
「おばさん!ドアを閉めてっ!はやくっ!!」
 乱馬は振り向き様にそう言った。

「いったい、全体…。何がどうなってるの?」
 パニックになりながらも、五寸釘の母は乱馬に言われたとおり、五寸釘の母は懸命に手を伸ばすと、言われたとおり、部屋のドアを閉めた。そして、返す手で、乱馬が手渡した「お札」をドアへとぺたっと貼った。
 その傍であかねは気を失ったまま、床へと倒れ付していた。



つづく



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