第四話  捕らわれの金加羅



「ここは…。」

 金加羅の意識がふっと浮き上がった。薄暗い建物の中。ふっと匂うカビ臭い匂い。
 じゃらっと音がして、体の自由がきかないことに気が付く。鎖に繋がれて床に放り出されていた。

「やあ、気が付いたかい。」
 すぐ傍で声がした。
「あんたは誰っ!この仕打ちは何なのよ。あたしを誰だかわかっていてこんな仕打ち…。」
「当然だぜ、不動明王の眷属、金加羅童女さん。」
 ゆらゆらと目の前を影が揺り動いた。簾が下りているためにはっきりとした姿は見えないが、誰かがそこに居るのはわかった。
「姿を見せなさいな。そんな御簾で身体を隠さないで。」
 金加羅はきっと影を見上げて言った。
「ふん…。おまえに指図なんかされくないな…。」
 影はゆらりゆらりと御簾の向こう側で揺れた。
 その後ろに、もう一つ、巨大な影が揺れていた。
「何…。その大きな物。そこに居るのはあんただけじゃないの?」
 金加羅が言った。
「ああ、こいつか…。こいつは倶利迦羅龍(くりからりゅう)だ。」
「倶利迦羅龍?」
「おまえ、倶利迦羅龍を知らないのか…。くくく、こいつは迦楼羅鳥と同じく、不動明王様の従者だぜ。だけど、今は俺様の使い魔だ。従順なな。おまえを神界からさらって来いという命令も素直に訊いたぞ。金加羅。」
 影は笑った。
「何よそれ、どういうことよ!」
 金加羅はきつい声を張り上げて影を見上げた。そう言う言葉の裏で、金加羅は鎖で縛られた身体の下から、独鈷を取り出した。彼女の武器でもあり呪具でもある独鈷だ。それを静かに握り締める。鎖に宛がって切ろうとしたが、何で出来ているのか、独鈷の鋭い先では切り取ることができない。普通の金属ならば、簡単に千切ることが出来るのにだ。
(何、この鎖…。何か秘術でも張り巡らされてるのかしら…。ま、いいわ、解くのは後で考えるとして…。)

「まあ、そう慌てるな。追々俺様の目的もわかってくるだろうさ。それまで大人しくしていることだ。くくくく…。大丈夫。命まで取るつもりはない。安心して鎖に繋がれておけよ。」
 声の主は愉快そうに笑った。

「そう大人しく捕まってるのはあたしの主義に反するのよっ!そこの影法師さん!」
 金加羅は、気を独鈷へと溜め込むと、くるっと御簾の方向へと突き出した。
「えいっ!!」
 気合を込めて、独鈷の先を御簾へと手向けた。
 独鈷が赤く光、そこから激しいエネルギーの波動が飛び出した。

 ゴオオオッ!!

 独鈷から発せられた気は、御簾を貫いて引き千切った。それだけではなく、影の方向へと手向けられた。

「でやああっ!!」
 上半身を縛られたままで、金加羅は影に向かって突進を仕掛けた。奇襲を仕掛けてこの場を逃れる。それが彼女の当初の目的だった。
 後ろで倶利迦羅龍が暴れだした。金加羅の放った気に驚いたのだろう。いくら魔の使い魔に貶められていても、所詮は「獣」の類だ。
「たく、おいたが過ぎるじゃじゃ馬めっ!」

「え?」

 目の前の影がひらりと翻った。そして、何か印を結ぶと、金加羅に向かって解き放った。

「きゃあっ!」
 金加羅はそのままもんどりうって床へと倒れこんだ。床の何かに引き付けられるように鎖から引き寄せられる。仰向けに転がった金加羅は、そのまま激しく床に打ち付けられた。コロコロと独鈷が転がり落ちる。

「あぶないえ、あぶない…。宿主の身体を引き千切られたら、一貫の終わりだったよ。」
 目の前を一人の少年がすっくと立ち上がった。白い直衣を着た青白い少年だった。
「に、人間?」
 金加羅は倒れてもなお、前を睨み付けた。
 少年はそのままつかつかと金加羅の元へ歩み出し、傍らにひざまずくと、ぐいっと金加羅のあごを上向きに掴み上げた。
「この勝気さ…。ふふふ、ますます気に入ったぞ、金加羅よ。」
 にいっと笑う少年。その背後にどす黒い浮遊体の気配を金加羅は感じ取っていた。
「あんた何者なの?その人間に憑依してるのね!」
「俺様の名は蘇曽(そそ)。俺様の「身体」はまだ復活してねえからな…。身体が蘇るまで、この「五寸釘光」とかいう小僧の身体を借りたって訳だ。へへへ…。こいつ、弱い上に邪な考えに覆い尽くされているからな。宿主にするにはもってこいだったぜ。腕力は弱いが、負のエネルギーだけは一級だ。」
「目的は何なのよっ!何のために人間になんか憑依して…。」
「目的?そんなの簡単だ。魔多羅神を蘇らせる…。これが魔多羅神の眷属としての俺様の最大の使命なんでな。」
「魔多羅神の眷属…。破壊の神っていうあの…。」
「ほお、一応魔多羅神の名前だけは知ってるのか。おまえのようなか弱い女でも。」
「魔多羅神を蘇らせてどうするのよ!」
 か弱いなどと嘲られたことにカチンと来た金加羅は、きっと蘇曽が憑依した五寸釘を睨み上げた。
「その後は魔多羅神がお決めなさることだ。まあ、最初に不動明王と大日如来を滅することだけは確かだろうがな…。」
 憎々しげに蘇曽が言った。
「それより…。俺様が復活するために、おまえには「贄」となってもらう。」
「贄?」
「ああ、そうだ。俺たち魔多羅神様の眷属の身体を取り戻すためには、それ相応の「儀式」が必要なんでな。だからおまえを不動明王界から絡め取って来させたんだ。この倶利迦羅龍を送り込んでな。おまえはあいつが身体を取り戻すための大切な「贄」になるんだからな。」
「あいつ?」
 金加羅はそう切り替えしたが、それに対する答えは無かった。
「まあ、暫くは生かしておいてやるから安心しな。それから、おまえの力の源であるこの独鈷は俺様が預かっておくぜ。」
 そう言うと、蘇曽は独鈷を手に取った。
「それから、さっきみたいな変な真似もできねえように、おまえには金縛りの秘術を施しておくか。念のためにな。」
 再び蘇曽は金加羅の顔へ己の顔を近づけた。至近距離で見る金加羅の強い瞳の光。
「今にも噛み付きそうな勢いだな…。ふふ、面白い。」
 その目の前でにっと一つ、不敵な笑いを浮かべる。
「できるものならやってみなさいよっ!あんたの秘術があたしに通用するかどうか。絶対、あんたの術なんかあたしはかからない!」
 そう言いながら蘇曽の瞳を真っ直ぐに睨み返した。蘇曽の瞳に金加羅の姿が映る。
 いや、違う。己の姿に見入ったのではなかった。

 蘇曽は鋭い眼光を金加羅へと差し向けた。金加羅には、己に向けられた蘇曽の瞳に赤い焔が灯ったように見えた。

「え…?制多迦…?」

 その焔は揺らめいて、制多迦の顔へと転じる。そう、の瞳の中に懐かしい制多迦の顔が浮かんだように見えたのだ。


「セイラマイジュ・ダット・ハンッ!」

 そう唱えられた呪文と共に、金加羅の瞳が呼応するように赤く光り始めた。

『我におまえの心、全てを預けよ…。金加羅。』
 蘇曽は一瞬、制多迦の声色を真似て、言葉を吐きかけた。
「う…。」
 金加羅の口から呻き声が漏れた。
『心のタガを外して、我の負のエネルギーを受け入れるのだ…。金加羅。』
「はい…。」
『目を閉じろ。』
 その声にすいっと閉じられていく金加羅の瞳。
『そのまま心を無垢にして、縄に付け。金加羅よ…。』
 がくりと金加羅の肩から超力が抜け落ちた。


「ふふふ…。これでおまえは動けまい。後はこの異空間に満月が昇るのを待つだけだ。これでまずはあいつの身体を復活させることができる。俺様の復活はその後だ。こんなチンケな人間の身体ともおさらばできるというわけだ。ふふふ、はっはっはっは。」




 さて、こちらは人間界。
「乱馬の馬鹿っ!!」
 あかねは下着をたたみながらふっと言葉が漏れた。

 組み手の途中で制多迦が現われてからこの方、あかねは乱馬とは口をきいていない。
 互いの気をおさめるために道場で組んだ。道場は二人にとっては「聖地」のような場所。いくら早乙女流が修行場所を選ばず、道場を必要としない流派であろうとも、対戦の場である「道場」の神聖さは他流と言えども変わるものではない。
 強さを競うことによって己を鍛錬する。それは格闘技を要(かなめ)とするカップルにとっては、他に比べることができないほど神聖な行為である。「おふざけ」で組み手をすることは、絶対に許されるべきことではないのだ。
 しかし、乱馬は。
 あかねを力で組み伏せた後、「素直になれ!」と吐き出した。
 あの場では、乱馬の強さに圧倒され、つい、気を許してしまった己。乱馬の強さに敬服を表す意味でも、望まれるままに口付けた。
 だが、乱馬は「冗談半分」だったのか、途中で素っ頓狂な声を上げた。
 あかねにしてみれば、乱馬の体内に起こった「異変」など知る由もなかったので、途中で乱馬の気がそげてしまったことが腹立たしくって仕様がなかったのだ。
 真面目なキスを途中で放棄されたのだ。彼女が烈火のごとく怒るのも仕方のないことであろう。



「ねえ、乱馬君とあんた、本格的にどうかしちゃったの?」
 
 なびきが唐突にあかねに訊いて来た。

「別にぃ、何にもないわよ。あんな奴とは!」
 あかねはうざったいというような目を乱馬に手向けた。
「そうかしら…。山篭りの後、少し距離が近くなったと思ったのは気のせいかしらねえ…。」
「気のせいよ!」

 あかねの語気は荒い。
 さっき思いっきり乱馬を引っ叩いてきた余韻がまだ彼女に残っている。そう、別件で乱馬と、ひと悶着、ひと騒動あったのである。

「で、やっぱり、下着事件は乱馬君の仕業だったの?」
 姉の好奇心が妹を見下ろす。

「さあねっ!本人は俺じゃねえってしらばっくれてたけどね!」
 あかねはまだ怒りが収まらない様子だった。
「ふうん…。乱馬君はやってないって言ったの。」
「そうなのよっ!ちゃんと証拠があるっていうのにさあっ!!」
「で、引っ叩いたって訳、あんたは。」
「悪い?…たく、夜中あたしの部屋に忍び込んで、下着を漁って行くなんて。最低よっ!サイテーッ!!」

「確かに、下着泥棒が彼の所業だったらね。」

「だから、あいつに決まってるわよ!わざわざ証拠品も落として行ってるし。ほら。」
 あかねはすっとなびきに証拠品を差し出した。それは、彼が髪の毛を結ぶのに遣っているゴムひもだった。
「今朝方、あいつが起きてきたところ、お姉ちゃんも見たでしょう?」
「おさげがほどけてた…ってあれね。」
「そうよっ!夜中に忍び込んで落としたよ!あの変態男っ!!それに、乱馬の布団の下からあたしの無くなった下着の一部が出てきたじゃない。ああ、もう、思い出しただけでむかつくわっ!!」
「ふふふ、あかねの鼻息も荒いわね…。でも、さあ、本当に乱馬君の仕業かしらね。」
「彼じゃなかったら一体誰がやるって言うのよっ!証拠品もざっくざっくで。」
「証拠品がざくざくあるから変なのよね。そうは思わないのかしら?あかねは。」
 なびきが黒い円らな瞳をあかねに手向けた。
「どういうこと?」
「よく考えて御覧なさいな。わざわざ落とされていた乱馬君のゴムひも。それから、あんたの下着の一部が乱馬君の部屋から出てきたってさあ…。こういうことも考えられないかな。」
「どういうことよ。」
 あかねは手をふと止めてなびきの意見を聞きだした。
「誰かがあんたの部屋に忍び込んで、あんたの下着を漁った後に、乱馬君の物に似せたゴムひもをわざと落とす。…で、それから、乱馬君の部屋へ忍び込んで、彼のお下げを解いた。それからこれ見よがしに下着の一部を置いて出て行った…。どう?こういう推理も成り立たない?」
「まさか…。」
「それに、あんたさあ、もう一つ、大切なこと忘れてない?」
「大切なこと?」
「我が家には八宝斎のおじいちゃんっていうエロ妖怪も時々巣食ってるってこと。いつも寝泊りしている訳じゃないけど、思い出したように帰ってくる…。」
「あ…。」
「そっちの線だって無きにしもあらずってね…。」

 あかねは何となく姉の言うことにも信憑性があると思った。
 
「まあ、乱馬君が昨日の晩、夢遊病みたいに家の中をうろついてたっていう証言もあるんだけど…。」
「何よ、それ。」
「あたし、見かけちゃったのよね…。夜中にさあ、家の中うろついてるの。トイレかなって最初は見てたんだけど…。そうでもなかったみたい。」
「じゃあ、やっぱりあたしの部屋に侵入したのは…。」
「さあね。あんたの部屋に立ち寄ったかどうかまではあたしも知らないし…。でも、何だか、乱馬君さあ、最近ちょっと変だしね。」
 なびきはちらりと妹を見やった。
「変なのは昔からよっ!!」
 吐き出したあかねを無視してなびきは続けた。
「最近、独り言が多くなったしね。…。何か悩み事でもあるとか…。」
「悩みなんかあるわけないでしょう!あんなデリカシーのない奴に!あたしなんか、キスを途中で…。」
 あかねははっとして言葉を止めた。
「キスをなあに?」
 なびきは笑いながら聞き耳を立てる。
「何でもないわよっ!!」
 失言したあかねはそのまま黙ってしまった。まさか、自分の怒りの主原因が「キスを途中で投げ出された」などとは言えるわけがなかろう。
 
「ま、これはあたしの直感だけど、あんたもそうプンスカばかりしてないで、乱馬君の様子をきちんと観察して把握しておいた方が良いわよ。悪い物の怪に取り憑かれてるかもしれないし。」
「悪い物の怪?まさか。」
「例えばの話よ。それに、…他のライバルたちに「恋人」という地位を明け渡したくなかったらね。」
 この超現実主義の姉はそれだけのことを口にすると、あかねの下を立ち去った。一応、それなりの忠告とアドバイスはしたからねと言わんばかりに。
 
「あんなデリカシーのない奴に「異変」なんてあるわけないじゃないのっ!!物の怪なんて非現実的な!」
 ふと、窓の外へ目を転じると、庭先で乱馬が一人、木の棒を相手に打ち込みをしているのが見えた。


「せいやーっ!!」
 乱馬は棒目掛けて拳を突き出した。

『ふうん…。おまえも結構身体を鍛えてるんだな。』
 制多迦の意識が浮き上がってきた。
「うっせえっ!修行中は出てくるなって言ってるだろうがっ!」
 乱馬は拳を止めて、制多迦に語りかけた。

 あれ以来、制多迦は乱馬の中に居ついてしまった。
 始めは半信半疑で、脳内に浮き上がる制多迦を牽制していたが、時間が経つに連れて、彼も制多迦の扱いに慣れてきた。
 制多迦自身は、乱馬を取り巻く連中ほど「聞かん坊」ではなかったし、ある程度の良識を持って憑依している様子は伺えたが、それでも「厄介な客人」には違いなかった。
 普段は大人しく乱馬の身体内に潜んでいるのだが、どうも、彼は人間界が珍しいらしく、何かにつけて意識ごとふっと表面に浮き上がってくるのだ。
 まだ、脳内に語りかけるのに慣れない乱馬は、無意識のうちに声に出して言葉を返してしまうことも多い。それが周囲には「不気味な独り言」に聞こえるのだ。制多迦の声は乱馬以外には聞こえないらしく、乱馬自身が吐き出した言葉が回りの耳に入る。

「なあ、てめえさあ…。」
『あん?』
「あかねの部屋に入ってランジェリーなんか盗まなかったよな?」
『ランジェリー?』
「パンティーとかブラジャーだよ…。さっきあいつに思いっきり引っ叩かれたろう。」
『ああ、かなり怒り心頭だったな。何があったかは知らないが。』
「…。おめえ夕べはどうしてた?幽体離脱なんかしてねえよな。」
『どうしてたって、貴様と一緒に寝てたぞ…。俺は現世(こっち)へ居る間は、依代であるおまえの身体から離れることは出来ないんだから。幽体離脱だってできねえよ。』
「だよな…。離れられねえんだよな…。俺が寝てたらおめえも寝てるか…だったらいいや。」

 気を取り直して乱馬は再び、修行へと立ち向かう。

『おい、乱馬。もっと、気を最大限に溜める修練をした方が良いぞ。空拳を何度も打ち付けていたって、たかが修練はしれている。それより、気を溜め込む練習をした方が効果的だぜ。』
「知った風なことを言うな!何事も基本がないと上達はないだろうが。拳や蹴りは型の基本だぞ!」
『勿論、おろそかにする必要はないが…。何より、気技の基本になるのは「丹田」への気の溜め方とそれを支える腰じゃないのか?おまえ、丹田の位置を知ってるよな?』
「あったりめえだっ!ヘソから指二本分くらい下方へ行った中心部分だ。ここで帯を締めるのが道着の基本でもあるしなっ!」
『でも、その下に突き抜ける肛門の位置も体の力を有効に使うには必要な場所だってこと、意識してるか?』
「あん?」
『腰を据えるときは、丹田にばかり気を取られていたら、下半身が疎かになるぜ。右手を前にして中段に構えてみろっ!』
「こうか?」
『そうだ…。で、息を思い切り吸い込め。』
「はああ…。」
『で、その息を丹田へ吐き出して溜めてみろ。』
「はああ…。」
『その時に肛門を意識してみろよ。丹田だけを意識するよりも尻(けつ)の穴が引き締まって、気が溜まるだろう?そして一気に溜めた気を掌から発散させてみろ。もっと気弾の効力が上がるはずだぜ。』
 本気で打ち込むと、天道家を壊しかねないので、乱馬は軽く掌を前に構えて気を解き放った。
 ボンッと音がして、赤い気柱が前にあがった。
『どうだ?』
「ううむ…。なるほど。前より威力を増してやがる…。」


 その様子を階上から見下ろしていたあかねは、ふっと息を吐き出した。
「確かに…。お姉ちゃんが言うとおり、何か乱馬、変よね…。今もぼそぼそと誰かと喋ってるみたいにも見えるわ…。」
 何を言っているのかはわからないが、もぞもぞと一人で口を動かしているのがはっきりと見えたのである。
「うん…。ここ二三日、確かに独り言が多くなったみたいね。やっぱり…。変よね。乱馬。」
 あかねはそんな彼を見て、小首を傾げた。


『今度は気を差し出すタイミングだな…。おまえ、手を突き出しきった時に差し出してるだろ?違うか?』
「ううん…。そうかなあ。」
 乱馬は己の掌を見詰めながら首を傾げた。
『気は押し出し切る少し前に解き放った方がより遠くへ飛ぶぜ。勿論、威力も上がる筈だ。』
「あん?」
『つまりだな、槍だとか石を投げる時の要領と同じなんだよ。気は体内からはじき出される武器なんだ。』
「武器?」
『ああ。気体って思わないで物体って思った方が良いんだぜ?試してみるか?』
「どら…。」
『さっきみたいな要領で気を溜めて、そして、遠くへ玉を投げ出すような感じで放出させてみろよ。』

 乱馬は言われたとおり構えた。
『いいか…。俺の波動に合わせて打ってみろ。』
『はああああっ!』「はああああっ!」
『でいやーっ!』「でいやーっ!」


「え?」
 一瞬だったが、乱馬の影が二つに分かれたように見えた。彼の背中にもう一人の乱馬、いや、影がふうっと浮き上がったように思えたのである。
 それだけではない。彼の中にもう一つ別の気があるように見えた。ほんの一瞬、気を打ち出すときに、肌で感じたのだ。
 思わず背中がぞくっとした。
「今、確かに、乱馬が二人に分かれて見えた。」
 現実主義に凝り固まっている彼女なら、目の錯覚と一笑に付すような感じではあった。だが、相手は乱馬である。呪泉郷の呪いのせいで水と湯で女と男へ変身が自在だという信じられない体質を引き摺っている。

 
 あかねの熱っぽい視線など気が付かぬ乱馬は、制多迦にいろいろと尋ねに掛かっていた。

「でもよ、何でそんなにおめえは親切に俺にアドバイスしたがるんだ?」
『今のところおまえとは一心同体だからな…。金加羅を助け出すのに、少しでもおまえが強くなっていて貰えると、利用できるだろう?』
「何だよ、それはっ!!」
『ま、人の好意は素直に受け取れ!』
「ちぇっ!たく…。店子(たなこ)のクセに偉そうに…。肝心な、金加羅の気配だけど、どうだ?感じることができたのか?」
『いや…。でも、恐らく、近いうちに金加羅をさらった奴が行動を起こすだろうさ…。もうすぐ満月なんだろ?』
「さあ、いつが満月だなんて、意識なんかしねえからな。中秋の名月ならいざ知らず。」
『どっちにしたって、焦ったところで始まらねえし…。』
「俺から見れば、とっとと金加羅を見つけ出して俺から出て行って貰いたいんだけどよ…。」
『あ、俺に気にせずに、あかねと上手いことやってくれても構わないぜ。』
「あのなあ…。てめえのせいで、俺は…。あかねを怒らせちまったんだ…。その修復も出来てねえのに、どうやってあかねと…。」
『接吻の一つでも贈ってやれば、機嫌を直すんじゃないのか?』
「あほっ!そのキスの最中にてめえが雪崩れ込んで来たから気まずくなってんじゃねえかっ!降臨してくるにも、時と場合を選びやがれっ!」
『仕方がないだろ?おまえたちのキスのエネルギーのおかげで俺はこっちへ飛ぶことができたんだから。』
「何なんだよ、それは。」
『文句は慧喜童子に言ってくれ。』
「誰だよ、それはっ!」
『不動明王界の第二童子だ。』
「知るかよ、んな奴っ!」
『まあ、互いに気の強い女には苦労するな…。はああ…。俺も金加羅の扱いには憔悴しきることがあるからなあ…。』
「おまえも苦労してるのか?まあ、あかねと瓜二つの女だったからなあ…。金加羅も相当気が強いだろ。」
『想像に任せるよ。』

 はあああっと互いの口から溜息が漏れた。


 結局乱馬から別の気を感じたのはその時一度きりだったが、はっきり見えた。
「やっぱり、彼の中に誰かもう一人入ってるのかもしれないわ…。」
 あかねはじっと彼を見据えていた。独り言が多くなった乱馬と何か関係があるだろうと睨んだのだ。
 不思議と邪悪な気配は感じなかったが、確実に何かある。そう思った。
「確かめる必要はあるかもしれないわね。」
 あかねは意を決すると、以降、乱馬に気付かれないように、彼への尾行を開始した。



つづく



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