後篇


「わかった…。それでおまえの気がすむっていうんなら…。勝負してやる。」

 乱馬の顔をした制多迦童子ははっしと目の前の少女を睨み付けた。手には金剛棒を握り締めている。
 対する金加羅童女はあかねの顔をしている。彼女の手には独鈷が握り締められている。

「生意気言うんじゃないわよ。第八童子のあんたが第七童女のあたしに敵うわけないでしょう。」

 それぞれ間合いを詰めながらはっしと睨み合う。


「第八童子だから第七童女のおめえに敵わないってことはないぜ。確かに不動明王様の元へ弟子入りした頃の俺はおまえよりも劣っていたかもしれねえが…。そんなのガキの頃の話だ。今の俺の力を甘く見てもらっちゃ困るな、金加羅。」
 制多迦は金加羅を見据えた。
「八番目のあんたはいつまでも八番目よ。いつもぐうたらしているあんたと私じゃあ力の差が歴然としているわよ。」
「前置きは良いから、掛かってきなよ、金加羅。」
「いいわ、行くわよっ!」


「あいつ…。かなり強いな。」
 乱馬は制多迦の方を見て声を出した。
「制多迦様がか?ダメだよ、金加羅様の方が強いんだ。かかか、まあ、おまえさんの運命を握ってるのは制多迦様の方だから肩入れしたい気持ちもわからんでもないけど。」
 迦楼羅は乱馬を気の毒そうに答えた。何が起こるかわからないので地上は危険と判断した迦楼羅は、そのまま乱馬を背に乗せて、上空へと飛び上がっていた。
「いや…。あいつ、さっきのやりとりは気を押さえ込んでいたが…。今はそれを解放している。」
 乱馬は呟くように言った。制多迦の気が一回り大きくなったのを、この格闘の寵児は的確に見抜いていたのだった。


「でやああっ!」
 金加羅が先に動いた。力任せに持っていた独鈷を振りかざした。

 ズドン!

 さっきの数倍の威力の波動が地面を強襲した。ぼっこりと穴が開く。
 だが、それより一瞬早く制多迦が動いた。
 逃さないと言わんばかりに、金加羅は制多迦の動きを追いながら、独鈷を振りかざす。
 身軽にひょいっひょいっとと避ける制多迦。彼の動きを追うように、独鈷の波動で地面へ穴ぼこが開いていく。
「卑怯者!逃げてばかりいないで勝負なさいっ!」
 と、激しい言の葉が金加羅から飛び出す。

「あいつ…。」
 上空の乱馬の目が鋭く光った。
「どうした?小娘。」
「いや、何か意味があって動き回ってるように見えたんだよ…。」
「そうか?俺には制多迦様が押されているとしか見えないが。」
 迦楼羅が不思議そうに下を見下ろした。


「でやーっ!」
 金加羅が渾身の力をこめて、独鈷を振り下ろしたとき、にやっと制多迦が笑った。
「爆流点穴!」
 そう叫ぶと、持っていた金剛杖をくるりとさかさに持ち返ると、そのまま地面へと突き刺した。

「きゃっ!」
 金加羅の悲鳴と共に、はじけ飛ぶ地面。
 ゴボゴボと音をたてて、地面が盛り上がっていく。
 その勢いに、金加羅は足を取られてよろめいた。
「くっ!」
 彼女もまた、そのままでは転ばない。体制を空で整えると、独鈷を翳して反撃に出た。
「鼓動雷破っ!」
 と、今度は盛り上がった土を一気に突き崩しに掛かった。
 バラバラと音がして、土塊が制多迦を襲った。
「何のっ!爆砕激流!」
 制多迦は叫ぶと、今度は金剛杖を前から横へと薙ぎ倒すように振り回した。
 制多迦目掛けて襲ってきた土塊はそのまま舞い上がるように散らばった。
「うぐっ!」
 思わず金加羅は目を閉じて手を十文字に前に翳して、結界を張り、土塊の強襲から身を守った。


「すっげえ…。何て迫力なんだ。」
 乱馬は思わず上空から叫んでいた。
「小娘、おまえ、怖くないのか?普通人間の女の子だったら、あんな桁はずれた闘い見せ付けられたら震えが止らないものだろう?」
 迦楼羅はいとも不思議そうに乱馬へと声を掛けた。
「怖い?あんな楽しい闘い。へへっ!体中の血が凍るどころか沸き立ってきやがらあっ!」
「変わった奴だな。」
 乱馬が本当は格闘好きな少年だと言うことを知らない迦楼羅には不思議に映っても仕方がなかったろう。


 地面では乱馬をわくわくさせるような激しい戦いが繰り広げられていた。
 確かに、地面は何処に居ても安心な場所はなかろう。互いの大技に、平らだった土地が凹凸激しい荒野へと変貌を遂げていく。

「なかなか腕をあげたじゃないの、制多迦っ!」
「まだまだ行くぜっ!」

 激しい技の応酬は、数十分にわたって繰り広げられていた。

「凄え…。確かに制多迦様、腕を上げられたぜ。」
 迦楼羅が目を丸くした。
「今の力量は女より野郎の方が数段上だな。」
 乱馬はわくわくと目を輝かせながら、二人の闘いに見入っていた。ただ単に強い者同士が闘っているからこそ楽しかったわけではない。見覚えのある懐かしい心情に駆られるのだ。それは不思議な感覚であった。
 特に、制多迦の方に何故か激しく心は反応した。彼のわくわくするような目つきが楽しくて仕様が無い。目の前に居る勝気な少女と相対することへの喜びが、彼の波動からビンビンと伝わってくるのである。決して本気で叩きのめそうとは思って居ないらしく、制多迦には幾分か手加減する余裕がある。乱馬はそう睨んでいた。

 だが、闘いをいつまでも続けるわけにはいかないだろう。

「そろそろ決着をつけようじゃないのっ!制多迦っ!」
 先に誘ったのは女の金加羅の方だった。
「そうだな…。あんまり長引かせるわけにはいかねえからな。日没も近いし。」

 二人してにらみ合いながら間合いを取って身構えた。

「次の技で勝敗が決まるな。」
 乱馬も納得したようにそう呟いていた。
 互いに物凄い気のエネルギーを体内へと押し込んでいるのが手に取るようにわかる。その気を一気に爆発させ、破壊力へと変えるのだ。
 先にけしかけたのはあかね顔の金加羅だった。
 独鈷を振りかざして、己の体内の気を増幅させながら一気に制多迦目掛けて解き放った。
 カカアッと光が地面を多い尽くす。多大なエネルギーが交錯している証拠だ。
 制多迦も負けじと気を放出させていく。じわじわと力をこめながら、だんだんとそのボリュームを上げていく。

「決まったな…。」
 乱馬は呟くように言った。
「男のほうが、まだ力を余分に蓄えてやがる…。」
 そうだった。金加羅はここまでに既に己の持てる力を使い果たしていたようで、だんだんと先細りの気技となっている、一方で、制多迦の方は力を抑えていたようで、まだまだ底から湧き出すように力が気に乗って流れている。気の流れが制多迦の方が美しく力があった。
 いつしか金加羅の気力が尽きた。ふつんと気を使い果たし、勢いを失ったのだ。それに乗じるように延び上がる制多迦の気。金加羅諸共、飲み込んでいく。


 ゴオオオオオオッ!


 激しく地を揺るがす音がして、気が一気に荒野を通り抜けて行った。

「金加羅様ーっ!」
 乱馬を乗せて空を舞う迦楼羅の悲鳴が轟く。制多迦が解き放った青い気に彼女が飲み込まれていったのを目の当たりにしたからだ。
「大丈夫…。彼女は無事だ。」
 乱馬は狼狽して焦る迦楼羅をなだめに入った。
「あいつはそんな、非情な奴じゃねえよ…。ちゃんと、考えて行動してるみたいだぜ。」

 大地を制多迦が放った気が通り抜けて、再び静寂を取り戻した時、迦楼羅は慌てて空から地面へと舞い降りた。
 と、そこに立っていたのは、金加羅を優しく抱き上げる制多迦の勇姿だった。
「終わったな、金加羅。ほら、俺の方がおまえより、ずっと強くなったろう?」
 彼は息も切らさずに、余裕綽々で金加羅を抱き上げて嬉しそうに笑っていた。
「負けたわ…。制多迦。本当に強くなったのね。」
 ふっと微笑む金加羅にも笑みが零れ落ちた。
 女と言う生き物は強い男が好きらしい。倒されたとはいえ、悔いている顔ではなかった。
「このじゃじゃ馬。さて、約束どおり、彼女の現玉は返してやってくれよ。」
 制多迦はそう声を掛けた。
「やっぱり、あんたはあの女の子のこと…。」
「アホ!さらさらそんな気はねえよ。この娘をいつまでもこの世界へ留めておくわけにはいくまいよ。この子には帰るべき世界があるんだからな。まだ命の焔を燃やしきるには若すぎる。冥土へ行くには早すぎるだろ?それに…。俺にはおまえが居れば他に女は要らねえさ。」
 最後の一言は歯切れが悪く、ぼそぼそとしたものになった。が、金加羅はその言葉に満足したらしく、それ以上制多迦を責めることはしなかった。

 迦楼羅から預けた巾着袋を返してもらうと、金加羅は中から小さな透明な玉を掌に乗せた。

「えっと…。あんたのはどれかしらねえ。」

 掌には三つの玉が乗っかっていた。一つは小さく、他の二つは似たような輝きを放っている。

「ちょっと待てっ!金加羅…。玉が三つってことは…。」
 横から制多迦が声をあげた。
「そうよ…。結界を突き破ってきたのは三つの魂よ。」
「なっ!…。ってえことは、乱馬のほかにも二人結界を越えてきた奴が居るのかようっ!!訊いてねえぞ!そんなこと。」
「そりゃそうよ、あたし言ってないもの。」
「何じゃそりゃあっ!」
「とにかく…。ほら、あんたのはこっちかこっちのどっちかよ。この小さいのは大きさからして人間のじゃないからね。どう見ても小動物のものみたいだし。」
 あんぐりと口を開けたまま呆けている制多迦を他所に、乱馬はじっと玉を見比べた。
「こっちが男の子でこっちが女の子の色してるから…。あんたのはこっちの赤いほうね。だからこっちを飲み込めば…。ってあんた、何やってるのよ。」
 金加羅が焦って乱馬を見返した。
 乱馬は迷わずに青い玉を口に放り込んでいるではないか。
「こらっ!それは男の子のよ、間違えて飲んだら大変よ。あんたは女の子だからこっちが正解なの!さっさと今飲んだの吐き出してっ!。」
 金加羅が乱馬へと掴みかかったときだった。
 上空が俄かに暗くなった。

「え…。あれは…。地獄鳥。」
「地獄鳥?」
 乱馬ははっとして見上げた。迦楼羅の数倍もあろうかという大きな黒い塊が上空を飛ぶのが見えた。
「地獄鳥…。地の魔物の使い魔だ。ちぇっ!もうそんな時間になってたのかっ。」
 制多迦がそう言ったときだった。
「制多迦、あれ。」
 金加羅が鳥の足を指差した。
「あれは…。人間の女の子とウサギ?」

 上空を悠々と飛ぶ地獄鳥の足にしっかりとつかまれた少女とウサギが確かに見えたのだ。

「あかね…。」
 乱馬の口がそう象った。そう、青い現玉を飲んで、記憶が正常に作動し始めたのだ。
「あかねーっ!」

「不味いぞ。地獄鳥め、火の山へとあの子を連れて行く気だな。火の山は地への扉が開いてるからな。」

「おい、制多迦!どうすればいいんだ?あのまま放っておいたら、あかねが連れて行かれちまうっ!」
 息せき切って乱馬は制多迦へと食って掛かった。
「打ち落とせば良いんだろうが、悪いな、さっきの金加羅との闘いで、俺にはもう殆ど気が残ってねえ。」
 すまなさそうに制多迦が言った。
「打ち落とせばいいんだな。わかった。」
 乱馬はざっと身構えた。
「打ち落とすって、あんた…。」

「ええい。一か八かだ。」
 乱馬は迦楼羅に言い放った。
「迦楼羅だったかな。頼む少しでもあいつの近くへと飛んでくれっ!!その間に俺は気を溜め込んで、そしてあいつのどてっぱらに一発ぶちかましてやる!」
「あんた、そりゃあ、無茶だぜ。人間にそんな離れ業。」
「俺も少しは気砲を撃てるんだ。頼むっ!」
 その真摯な瞳に制多迦は頷いた。
「わかった、迦楼羅。言うことを訊いてやれ。俺が責任を持つ。」
 迦楼羅に向かって制多迦は激を飛ばした。
「でも、制多迦の旦那…。」
「お願い、迦楼羅。一か八かよ。彼女のやりたいようにさせてあげてっ!制多迦が責任持つだろうし。」
「急いでやれっ!火の山に投げ込まれたら終わりだ。」

「たあく…。鳥使いが荒いんだから。わかったよ。ほら、乗りな。娘っ子。」

 と、迦楼羅の背中に乱馬が飛び乗る。それとほぼ同時に制多迦も金加羅も乗り込んだ。

「ぐえっ!金加羅様、制多迦様まで乗っかるんですかいっ!」
「つべこべ言うな。人間一人だといろいろと心配だからな。」
「そうよ、不動明王に結界を破って来た人間の処遇はあたしが任されてるの、いくら制多迦が責任を持つって言っても、最後まで見届けないとね。」
「ほら、早く飛べっ!迦楼羅。」
「ひえええ…。あとでちゃんとこの分の駄賃、弾んでくださいよ。お二人とも。」
 そう言うと迦楼羅は上空へと飛び上がった。そして力強く羽ばたいた。
 乱馬は右掌に気を集中し始めた。

(俺の気弾がこの世界でどのくらい通用するかわからねえけど…。俺はこの一発に全てを賭ける。あかねは絶対に俺が助けるっ!)

 ムラムラと沸き立つ闘志。
 全ての記憶を取り戻した乱馬は、ただ、あかねをさらって飛ぶ地獄鳥を撃ち貫くことだけを考えていた。
「飛ばしますぜ、旦那方。」
 迦楼羅は半ばやけくそで、三人を背中に乗せて羽ばたいた。ビュンビュンと風が頬を掠めていく。と、目の前に湯柱が何本も立ち上がるのが見えた。
「あれは…。」
「この火の山の地から湧く、間欠泉だ。」
 制多迦が言った。
「間欠泉…。ってことは湯か。しめたっ!迦楼羅、頼む、どの柱でも良いから、一本、湯柱へこのまま突入してくれっ!」
「な、何を突然に。」
 迦楼羅が目を丸くした。
「頼むっ!間欠泉を俺に浴びせかけてくれっ!」
 乱馬の必死の呼びかけに
「迦楼羅、俺からも頼む。何かこいつに考えがあるんだろうよ。」
 と、制多迦も後押ししてくれた。
「わかりましたよ。何が嬉しゅうて間欠泉なんかに…。せいぜい振り落とされないようにしてくださいよっ!」
 迦楼羅は投げやりに言葉を吐き出すと、そのまま上がりたての湯柱の一本へ、突入していった。


 ゴオオオオオ!


 地の底から湧き上がる湯柱。迦楼羅はその一本へと頭から突っ込んだ。
 バシャッと音がして、一瞬のうちに湯が乱馬たちの身体へと浴びせかけられた。

「乱馬…。おまえ…。」
「あんた…。その姿…。」

 湯柱を通り抜けたとき、思わず制多迦も金加羅も驚愕の声を張り上げていた。

 そう。彼らの目の前には、少女ではなく、少年の乱馬がすっくと姿を現したからだ。

「制多迦そっくり…。」
 金加羅は熱っぽい視線を向けた。

「これが、俺の…。俺の本当の姿なんだ。現玉のおかげで全部思い出した。ここへ来たいきさつも全て。俺のこのふざけた体質のことも。俺は早乙女乱馬、男だ!」
 間の前を地獄鳥が悠々と飛ぶ姿が見えた。
「へっ!面白い。乱馬。おまえに降魔下ろしの迦楼羅炎の呪文を教えてやる。俺と一緒に唱えるんだ。」
 制多迦が乱馬に言った。
「無茶よ、制多迦、人間にあの技が打てるわけないわ…。」
「そうですぜ、制多迦の旦那。おまけにためしうちなしの一発勝負でしょう?」
 迦楼羅もクチバシを尖らせた。
「いや、乱馬なら打てる。俺と同じ顔をしたてめえなら、きっと撃てる。」
「ああ、やってみる。」
 乱馬も力強く頷いた。
「行くぜ…。俺に合わせて三回唱えてから気を撃て。ナウマク・サマンダハザラダン・カン、ナウマク・サマンダハザラダン・カン…。」
「ナウマク・サマンダハザラダン・カン、ナウマク・サマンダハザラダン・カン…。」
 乱馬は真似ながら呪文を必死で唱えた。
「ナウマク・サマンダハザラダン・カン、いっけええ、俺の気砲っ!!」

 呪文を唱えた後、乱馬の解き放った拳から、火炎が競りあがるように空を真っ直ぐに駆け抜けた。
 轟々と燃え上がる赤い焔だった。
 一気に前を飛ぶ地獄鳥の胴体を貫いていく。


 グエエエエ!


 地獄鳥は一声、断末魔の叫びを発すると、はばたきを止めた。そして、そのまま下へと落下し始めた。
 あかねとウサギはその反動で、空へと投げ出された。

「あかねーっ!!」
 乱馬はそのまま身を乗り出すと、両手を広げて飛び出した。無我夢中で自分も一緒に落下していくことなど忘れて。
「あかねーっ!」
 地面へと落下するあかねに向かって、必死で手を伸ばす。
 息も出来ないほどの速さで落下していく。
「あかね…。」
 遠くなる意識の中で、ぎゅうっとあかねの身体を抱きしめた。

「いけないっ!迦楼羅っ!あのままじゃ地面に激突するわっ!」
「任せとけっ!」
 金加羅の叫びに反応してギュンと迦楼羅は下方へと向きを変えると、落下する乱馬たち目掛けて急降下し始めた。

 だんだんと迫り来る地面。

「ダメだっ!間に合わないっ!」
 迦楼羅の背中で金加羅が叫んだときだった。


『オン・バザラダト・バンッ!!』

 天から響き渡る呪文と共に、一縷の光が乱馬たちを包み込んだ。
 と、地面から僅か数メートルのところで、ふわりと乱馬たちの身体が浮き上がった。
 そしてゆっくりと地面へと下りていく。

「不動明王様。」
 制多迦ははっとして光が発してきた天を仰いだ。
『まだまだ修行が足りぬぞ、制多迦、金加羅。』
 不動明王の声が響き渡った。
『一切衆生。…もっと精進して力を付けよ。にしても…。奇怪な二人じゃわい。この人間たちは。』

「奇怪…ですか?」
 制多迦がきょとんと見上げた時、金加羅がそのまま気を失って折り重なる乱馬とあかねを指差して言った。
「見て!制多迦。」
「あん?」
「この二人の顔。」

 指差されて制多迦が覗き込む。

「わ、何だ?こいつら!」
 制多迦もその場で固まった。

「どらどら…。ひゃはっ!この人間二人、制多迦と金加羅と瓜二つだ。こりゃあ、愉快。」
 迦楼羅がクチバシを上に差し上げて笑い出した。
「世には三人、同じ顔をしている人間が居ると言われてるが、この二人、ペアで制多迦と金加羅とそっくりじゃねえか。それに、どうやら、この二人も愛し合ってるようだしな。」
「何でそんなことがわかるのよ!」
 金加羅が真っ赤に熟れた顔を迦楼羅に手向けた。
「だって…。この乱馬とかいう男、自分の命を投げ打ってでも助けようと、上空から飛び出したんだぜ。この娘っ子に惚れてるんだろうよ…。それに、見ろよ、しっかとこの娘っ子を抱きしめて離そうとしないじゃねえか。」
 迦楼羅が指摘したように、乱馬はあかねを抱きしめて離そうとはしない。気を失っているにも関わらず。
「まあ、こいつも制多迦みたいに金加羅と同じ顔をした少女の尻に引かれているかもしれないけどな。カカカ。」

『とにかく、人間をこの世界にいつまでもとどめておくわけにもいかぬでな。現世へと帰してやれ。制多迦、金加羅。後はおまえたちに任せたぞ。』
 声がそれだけを告げると、天の光は再び何事もなかったかのように静まり返った。

「同じ顔の人間が迷い込んで来るなんて…。確かに奇怪だよな。」
「この二人にいろいろ訊いてみたいような気もするけど…。」
「そうだな、気を取り戻すと、何かとややっこしいから…。」
「このまま現世へ帰してあげましょうか。」
「それがいいや。」
 制多迦と金加羅は頷きあって持っていた金剛棒と独鈷をそれぞれ眠る乱馬とあかねにかざした。

「我ら大日如来の真言を持ちて、この者たちの魂を元居た世界へと転生せしむ…。」
「魂よ、元居た世界へと戻れ…。」

『オン・バザラダト・バン。』

 制多迦の声に金加羅の声が重なる。

 乱馬とあかね、そして子ウサギの身体が光り始め、やがて虹色に輝くと、いつしか見えなくなってしまった。

「ふう…。終わったか。」
「終わったわね。」
 にっこりと微笑む制多迦と金加羅。
「さてと…。腹も減ったし帰るか、金加羅。」
「迦楼羅、あたしたちを乗せて…って居ないわ。」
「あん?」
 きょろきょろと辺りを見回すと、すいっと上空で羽ばたいている迦楼羅が目に映った。

「迦楼羅ーっ!こら、俺たちも乗せて行けーっ!」
 制多迦は迦楼羅に向けて怒鳴った。

「やなこった…。俺は疲れてるし…。それに、良い雰囲気の二人の邪魔はしたくはねえ!仲良く二人で帰りなよ、またな!」
 くるくると上空を旋回すると迦楼羅はすいっと西の空へと消えて行った。
「たく、迦楼羅め。仕方がねえか。」
 制多迦は金加羅へと目を転じた。
「ほら。」
 そう言って差し出す右手。
「何よ…。」
「俺たちの真言を合わせて飛べばいいだろう?それとも、歩いて帰るか?」
 遥か西方に見える不動の山。
「わかったわよ…。一回だけよ。」
「本当に一回だけか?」
「何が言いたいの?」
「素直になれよ。もっと自分自身にさ。」
 制多迦がくすくすと笑った。
「もう、制多迦ったらっ!」
「目、閉じろ…。帰ろうぜ。」
 すいっと差し出された手に金加羅ははにかむように目を閉じた。そっと触れる、柔らかな唇。
 合わさった瞬間に、二人の身体は空へと舞い上がり、消えた。キスすることで飛ぶ。それが二人の真言だった。
 


「あーあ…。たく…。独り者には酷な眺めだぜ。」
 その様子を遥か上空から見詰めていた迦楼羅は、バサバサと羽を羽ばたかせると、遥か西方目掛けて飛び去った。
 天から夜の帳が静かに降りて来る。再び神界に静けさが戻った。













「乱馬、乱馬ったら。」

 どこかで聞き覚えのある声がする。

「う…ん…。」
 ゆっくりと開く瞳に、心配げに見詰める少女の顔が映った。
 身体は濡れていて、何となく冷たい。真冬の水面に落ちたのだ。それはそれで当然だろう。見れば傍には焚き火が燃え上がっていた。
「良かった…。乱馬。」
 傍であかねが安堵の溜息を吐く。
「俺…。確か滝壺に落ちたおまえを助けようと必死で手を伸ばして…。…。ひょっとして、俺も滝壺へと落ちたか?」

 こくんと揺れる頭。

「あんた、あたしを庇って受身を取って、滝壺へ投げ出されたのよ。でも、幸い、あたしもあんたも沈まずに、岸辺へとそのまま打ち上げられたの。でも、あんたは気を失ったままで…。」
「じゃあ、さっきのは夢…。制多迦も金加羅も…。迦楼羅鳥も。」
 そう言いながら起き上がった彼の胸に縋るようにあかねが抱きついてきた。

「お、おい…。あかねっ!」

「ずっと今まで目を開かなかったから、あたし、あんたがどうにかなったかって思って…。心配したんだからあっ!乱馬のバカーッ!」

 目の前で泣かれることには慣れてはいない。でも、今回ばかりは何故だろう、嬉しかった。
 
『素直になれ!もっと自分自身にさ…。』
 制多迦の声が聞こえたような気がした。
「そうだな…。少しは素直になってみるか。」
 ふっと浮かぶ微笑。

 そっと震える肩に手を伸ばしてみた。それから、ゆっくりと両手で、泣きじゃくるあかねの身体を包み込むように抱きしめていく。



「雨降って地固まるか…。天道君。」
「ああ、そうだね、早乙女君。」
「じっと覗いているのも照れるから…。」
「ここは退散と決め込むかね。」
 四つの好奇心の瞳が、茂みから覗き込んでいた。
「にしても…。お不動さんのご利益かねえ…。」
 二人は滝壺の向こう側の石仏をじっと見やった。
「かもしれないね…。乱馬君もあかねも無傷だったし。自然な流れとはいえ、そう、上手い具合に岸辺に流れ着きはしないだろうよ。」
「霊験あらたかな修験者の守り神…不動尊か。」
「縁結びの霊験もあらたかかもしれんがのう…。」





 不動尊。その脇には制多迦と金加羅の二童子が、それぞれ従順につき従う。不動尊の仏像や仏絵には、この二童子が一緒に従っていることが多い。彼らは不動尊の手足となって、衆生を救う役目があると言われている。
 制多迦と金加羅。彼らの顔が乱馬とあかねに似ていたのかどうかは、誰も知らない。







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