をぐり  第一段


一、 

「たくう・・・。皆、勝手なんだから!」
 あかねは一人、ブツブツと言いながら図書室へと続く廊下を歩いていた。
 ちょっと古い旧館の木造の廊下。
 風林館高校が出来た頃からある校舎だという。
 戦前に立てられたらしく、木造校舎特有のワックスの匂いが鼻に突く薄暗い空間。ギシギシと軋む廊下をズンズンと歩いてゆくあかね。
「あら、天道さん、当番だったっけ?」
 ギシギシと鳴る観音開きのドアを開けると、司書教諭の本田が不思議そうにあかねを見やった。本田は補助教諭で時々現代国語を教えている三十代前後の女性教諭であった。
「あ・・・、はい、まあ。」
 あかねはバツが悪そうに口篭る。
「そう、ま、いいわ。早速手伝って貰おうかしら。」

 部屋の中には放課後をここで過ごす受験生や本好きたちが、ポツンポツンと座席に座って、静かに本を見開いていた。
 あかねは本田の横に促されて腰を下ろした。
 図書室の貸し出し業務を手伝うのである。他にも何人かの図書当番が居て、同じようにカウンターの中に腰を下ろして本を広げていた。
 あかねは返却カウンターに陣取らされた。
 返されてくる本のチェックをここで行い、前に据えられたワゴンに本が溜まると、分類に従って書架へと戻して回る役割である。高校生くらいともなると、レポート提出といった特別な課題でも無い限り、あまり縁がないのがこの「図書室」であろうか。自然、よく見かける顔は決まってくる。余程の本好きしか、こういう平日の放課後の空間には現れない。
 それでも四時半までの一時間は、毎日開けてある。
 勿論、業務も一人の司書教諭だけでは持て余すものなので、こうやって当番制で何人かの生徒たちが昼休みと放課後、ここに座るのであった。

「あら、あかね・・・。この前もここに座ってなかったっけ?」
 隣りのクラスの亜由美が返却する本を片手にやって来て話し掛けた。
「え、あ、まあね・・・。」
 あかねは亜由美のカードの日付を確認して判子を押しながらもぞもぞと答えた。つい先頃の昼休み、あかねは亜由美と一緒にこのカウンターに座ったところだったのだ。
「あ、そっか。もしかして彼の代わりかな?」
 亜由美はにこっと笑ってあかねを見返した。
「彼って早乙女君?」
 本田があかねをちらりと見やりながら答えた。
 あかねはちょっと顔を曇らせたが、こくんと怒ったように首を縦に垂れた。
 実のところ、今日は乱馬の代わりにここへ座らされているのである。
 新学期に決めた委員会活動の役割。体育委員や保健委員と適材適所な委員会はあったのだが、結局は二人して押し付けられた形になった。昼休みや放課後の役割分担があるために、図書委員は部活動をしているものからは敬遠される傾向にある。従って、帰宅部の生徒たちへと押し付けられることが多い委員会の一つでもあった。
 二週間に一度の決まった委員会活動の他に、こうやって昼休みと放課後の当番で貸し出しカウンターに座る活動。平穏と言ってしまえばそれまでであったが、これが結構、面倒でもあったりする。
 案の上、乱馬はサボりを決め込んだ。
 他に二人、五寸釘とゆかが図書委員に抜擢されていたが、五寸釘は珍しく用があるらしく、今日は代われないと行って帰ってしまった。また、ゆかはゆかで「許婚の仕事よ。」と連れない返事。結局あかねは乱馬の尻拭いをさせられにここに座らされたという訳だ。
 図書館の中は静かな空間である。少しの話し声も案外響いてしまうもの。あかねは亜由美と一言、二言、言葉を交わしただけで、また、静けさの中へと立ち戻った。他の委員たちは、本好きが多く、ここへ座る時は、某(なにがし)、本を抱えてきて、読み耽って時間を過ごすことが多い。皆一様に本の世界へと没頭している様子が、あかねには羨ましく思えた。
 身体を動かすことに長けているあかねは、子供の頃から本に熱中するといった思慮深さには欠けている。決して全く読書をしないわけではなかったが、すすんでたくさんの本を読むということはしない。時々思い出したように、ここへ来て、パラパラと調べ物をしたり、興味が惹かれた本を何冊か抱えて借りて帰るくらいである。
 乱馬もまた、身体を動かすことに長けている武道バカ。
 己ですら退屈を持て余すのであるから、乱馬にはもっとこの空間は耐えられないのだろう。
 あかねは不機嫌ながらも納得した。逃げ出す気持ちがなんとなくわかるのだ。

『あかね、頼まあっ!!』
 乱馬はそう言い残して逃げた。
 追いかけようとした時には、もう既に一目散。
「天道さん、彼の代わりをお願いね。」
 担任のひなちゃん先生も、仕方がないかという顔をあかねに差し向けたのであった。

(こんないいお天気の日は、乱馬でなくったって、ここでじっとしてたくないわよねえ。)
 あかねはふうっと溜息を吐きながら目の前に積みあがった本を返却棚へと置いた。
「天道さん、そろそろ本を整理してきてくれる。」
 ある程度溜まってきた返却本の山を見て、司書教諭の本田が指示をしてくれた。あかねが持て余しているのを察知したのだろう。
「はい。」
 水を得た魚のようにあかねは返却ワゴンへと手を伸ばす。
 背表紙に貼られた分類ラベルを見て、所定の場所へと本を戻してゆくのだ。

 図書館では概ね「日本十進分類法」という三桁の分類方法に準拠して本を管理しているところが多い。「000総記」「100哲学(170以下宗教)」「200歴史(290地理)」「300社会科学」「400自然科学」「500技術・工学・工業」「600産業」「700芸術」「800言語」「900文学」と分類し、更に二桁目を各々のジャンルによって分けるやり方である。例えば日本文学なら「910」となる。
 更に小数点第一位、第二位を使って細分するところもある。
 ラベルは三段に別れている。上段に「日本十進分類法(NDC)」、中段には著者のアルファベットである「著者記号」、下段に「冊子番号」。風林館高校の図書室も、こういうオーソドックスな分類がなされていた。
 勿論、あかねにはそんな知識など皆無であるので、本を返却するにも、時間を相当費やすのである。
 公立の図書館などでは、月末日を整理日として、棚卸よろしく、煩雑になっている書を一通り整理しなおすことが多いのも、あかねのような不慣れな利用者が好き勝手に書架へ返却するせいもあるのだ。

「結構力が要るものなのね・・・。」

 あかねは不慣れな手つきで、一つ一つ書架を走り回って本を返却してゆく。高い棚にあったり、低い棚にあったり、重い本があったり。図書一つの整理でも力を使うことがある。
 変なことに感心しながらも、不器用な手つきで仕事をこなしてゆく。
 と、一冊の本に目がいった。
『おとぎばなし集』。説話文学の児童版だ。
「へえ・・・。高校なのに、児童書があるのかな?」
 あかねは手に取って見た。
「わあ、きれいだ。」
 めくってみて驚いた。
 大きな字はともかくも、児童書と侮れない見事な挿絵。色とりどりの描画にすっかりと魅せられた。
 鬼や化け物、十二単の女性など。どこかで見たこと聞いたことがある物語ばかり。
「一寸法師かあ・・・。」
 お椀の舟に箸の櫂(かい)。針の刀。鬼退治の定番だ。桃太郎も居る。鉢かずきもぶんぶく茶釜も。
「子供の頃、お母さんが絵本片手に読み聞かせてくれたっけ・・・。」
 ふと思い出したのは母の面影。
 ふと見開いたのは一人の武将の挿絵であった。
「わあ・・・。若武者か。戦国時代くらいかな。」
 栗毛色の馬にまたがり颯爽と駆ける若者の姿が鮮やかに目に入った。
「小栗判官(おぐりはんがん)・・・。」
 絵の上に出典の物語りの名前が書いてあった。
「昔、お母さんが読み聞かせてくれたっけ・・・。」
 サボってばかりも居られぬと思ったあかねはパタンと本を閉じる。また作業に戻るためだ。

「え?」

 と、わが目を疑った。

 傍を小さな子供が走り抜けたからだ。
 かすりの着物を着て、おかっぱ頭で。手には風車を持っている。
「早く、早く・・・。」
 男の子なのだろうか。元気良く図書館の中を走り回る。
(こんなところに子供?)
 あかねは周りを見回した。誰もその子に気がつく様子もなく、もくもくと調べ物をしたり読書に耽っている。
「ねえ坊や、走り回ってはダメよ。」
 あかねは思い余って声をかけてみる。
「ここは学校の図書室。生徒以外は入られない筈なのに、ねえ、君、どこから来たの?」
 そう声をかけた瞬間だった。
「オラが見えるのか?」
 子供が不思議そうな表情を手向けた。
「見えるって?」
 あかねは子供の言っている意図がつかみきれず、思わず返事をしていた。
「そうか・・・。おまえもオラが見えるだか。丁度いいや。付いて来や。」
 子供はにっと笑って、風車を持たない手であかねをぐいっと引っ張った。



二、

「な・・・?」

 物凄い力だった。子供とは思えぬくらいの強靭な馬鹿力。流石のあかねも引き返すことが出来なかった。

「ええ?」

 周りの世界が一瞬歪んだ。男の子の風車が勢い良く回り始めた。

「なあ、暫く、小栗さまを助けてやってくれ。悪いようにはせんから。」
 傍で男の子が話し掛けた。
「小栗さまって・・・?」
「来たらわかるぞな。」

 ふっと風が吹いて、ドスンと地面へ投げ出された。

「痛ぁいっ!」
 受け身を取ったが衝撃が軽くあかねに伝わった。
「あれ?」
 さっき手を引っ張っていた子供の姿は見当たらなかった。
「ちょっと、坊や?何処へ行ったの?」
 辺りを見回して驚いた。
 緑茂れる木々の木立。せせらぐ小川と眩い光。
「何よここ・・・。」
 あかねは暫く呆然と立ち尽くした。
 と、背後で人の声がした。
「誰じゃ、この禁断の原を汚す奴は。」
 振り返って再びギョッとした。身体には甲冑を、頭は丁髷を結った中年の男性がそこへ槍を構えていたからだ。
 あかねは言葉なく暫しそこへと立ち尽くした。
「ほお・・・。これは珍しい着物を着たおなごじゃのう・・・。」
 にやっと笑ってあかねを見た。
「じろじろ見ないでよっ!!」
 あかねはきっと睨み返した。言葉は通じているようだ。
「何をっ!勝手に横山様の野へ入っておいて・・・。今、城は上を下をの大騒ぎになっておるというのに・・・。怪しい奴めっ!妖怪魔物の類か?出あえっ!者どもっ!」
 ピューピーッと口笛を吹いて合図すると、来るわ来るわ。同じような井手達の侍もどきたちが。
 多勢に無勢。
 あかねは瞬く間に捕まってしまった。
「狐狸の類かも知れぬぞ・・・。」
「妖術を使うやもしれん。」
 ごそごそと男どもはあかねを見やった。
「ちょっと、手荒な真似はしないでよねっ!!」
 あかねは後ろ手に縛られて喚いた。流石の彼女も抵抗ままならず、引きずられるようにして屋形に連れて来られた。
 そして、珍しいもの見たさに集まってきた屋形の人たちの前に曝される。

「そなたか、館の禁野へ勝手に侵入してきたという、変なおなごというのは・・・。」
 小太りの男があかねを舐めるように見た。
 あかねはまだ己の置かれた立場を理解できず、キョロキョロと辺りを見回した。
(ひょっとして、あたし・・・。さっきの子のせいで本の世界にでも引き込まれたのかな。)
 鮮やかな空の色と山の緑。
「答えよ!」
 あかねがあまりに呆けているので、男は業を煮やしたようだ。
「待て。伊助っ!!」
 後ろから声がした。
「これはこれは、お館さま。」
 あかねは振り返り、驚いた。お館さまと呼ばれた男は、父、天道早雲とこれまたそっくりだったからである。
 お館さまと呼ばれたところをみると、この父に似た男がどうやらここの館の主らしい。あかねはじっと聞き入った。
「この娘、ワシの末娘、照手姫に似ておる。そうは思わんか?」
 そう言って小太りの男を見返した。
 人々はあかねの顔を食い入るように覗き込む。
「ほお・・・。どうら。」
 くんとあかねのアゴを掴んで舐めるように視線を走らせた。
「ほんに、似ておられまするなあ・・・。髪はこのような断髪ではありませぬが。」
 小太りの男は感心したようにじろりとあかねを見やった。
「丁度良いではないか。今日は小栗から迎えが来ようという日。その迷い込んできたおなご。照手姫の代わりに人質として差し出してしまえば・・・。」
(照手姫?)
 あかねは小首を傾げた。聞いたことがあるような名前だったからだ。
「おお、それは妙案な!さすがは、お館さま。」
 小太りの男はにんまりと笑った。
「ほんに、これも冥府大王さまのお導きやもしれぬ。こやつを照手姫の代わりに、奴らへ差し出そう。そして、やつらを滅ぼす手がかりにするのだ・・・ふふふ。」
 にんまりと早雲に似た男は笑った。

(この人、お父さんに似てるけど、違う。こんな卑劣なことはお父さんは考えないもの。)
 あかねは黙って父親似のお館さまを見上げた。

 何がなんだか状況を把握しないうちに、あかねは館の奥へ連れ込まれ、着ていた制服を剥ぎ取られると、着物装束に着替えさせられた。
「なかなか似合っておるではないか・・・。」
 お館がニヤニヤしながらあかねを見た。
「そんなにじろじろ見ないでよ。いったい全体何なのよ・・・。」
 あかねはすっかり困惑して、己の着物を見ながら言い返した。
「本来なら、すぐにでも打ち首になろうところを助けてやったのだぞ・・・。折角迷い込んで来たのじゃ。我が一族の役に立ってもらおうか。」
「一族とか、人質とか・・・。穏やかな話じゃないわね・・・。」
 逃げようと思えば逃げられるかもしれないが、外には弓や槍を持った武人たちがウロウロとして警備している。また、逃げようにも何処へ行けばよいかも分からずにあかねは、暫く、このまま時の流れに身を任せようと肝を据えていた。
「我が横山氏は敵対する小栗氏と休戦の手を打つのじゃ。それで、小栗の嫡男に我が娘を嫁に差し出せと言われた。じゃが、我らは小栗と手など打つ気は毛頭ない。小栗は末の照手姫を寄越せと言って来た。照手姫はいずれは冥府大王様に差し出そうと手塩にかけて育て上げてきた姫君じゃ。易々と手放せるわけはなかろう?そこへ、おまえのような娘が迷い込んでこようとは・・・。好都合じゃ。ふふふ・・・。」
「小栗氏を騙すというのね・・・。」
 あかねはきっと彼女を見返した。
「なかなか物分りが良いではないか・・・。今宵だけでも謀ればそれで良いのじゃ。明日には軍勢ごと小栗を討ち取って、この辺り一体は我が横山氏の領土に統一できるというもの。さすれば、冥府大王様への忠義も叶うというもの。」
「冥府大王?」
 あかねは聞き返した。
「おまえは知らぬでもいいことじゃ。いずれこの世界へ君臨される、大魔王さま、とでも言っておこうかのう・・・。」
 お館はにっと笑った。その笑みにあかねは空寒いものを覚えた。
(この人、何かに取り憑かれている?)
 そんな予感が過ぎったのだ
「とにかく、嫌とは言わせぬでな。小娘。」
 そう言い置くと、お館は別室へ消えていった。

 抵抗しようにも、どうやって抵抗してよいやも分からず、結局あかねは、御輿に乗せられて、その夜のうちにこの館から移されて行った。


三、

「なあ、横山の照手姫さまがお輿入れだとよ・・・。」
 かがり火が燃え盛る中を御輿はゆっくりと担がれて行った。
 中には花嫁装束なのだろうか、着飾りたくられたあかねが鎮座させられていた。逃げないように足かせと手かせをさせられて、まるで奴隷扱いだ。思ったよりも御輿の乗り心地は悪かった。砂利道を走る車よりも気分が悪くなる。
 こそっと横山の手の者は、あかねの手と足に絡み付いていた縄を切った。流石に縛られたまま差し出すと、小栗の館のものが身代わりを立てたことに気がついてしまうとでも思ったのだろう。
「良いか、今宵一晩で良いから、照手姫の真似事をしてもらう。もし、それが嫌と言うのなら、この館に忍ばせた我が手の者に命じて、そなたを殺してしまうでな・・・。ゆめゆめ変な気は起こさぬように上手く立ち居振舞うことじゃな。」
 一緒に着いて来た婆さんがあかねに耳打ちした。
(コロン婆さんに雰囲気、似てるわね・・・。)
 あかねは老婆を見やって思った。長く白い白髪。そして、ぎょろっとした目。声もコロンに似ていると思った。

「おお、到着されたか・・・。これはこれは。」
 御簾が開いて顔を出したのは、早乙女玄馬と見まごうような中年親父であった。
「おじさま?」
 あかねは思わずそう問いかけようとしたほどだ。だが、すぐに別人だと分かった。何故なら、黒々と髪の毛が生えていたからだ。
(確か、乱馬のお父さんって毛がなかったわよね・・・。)
 あかねは笑いを堪えながらそこに鎮座した。
 彼がどうも小栗家のお館様のようだった。
「馬鹿息子も待ちかねておろうぞ・・・。ほうら、嫁御の到着じゃ。皆のもの宴会の準備をせいっ!!」

 大賑わいの屋敷だった。
 酒が樽ごとドンドン運ばれて、かがり火の中、武人も家人もドンちゃん騒ぎに酔いしれる。
 あかねは主役として上座に上げられて、その様子をじっと見ていた。
「ところで、こちらのご嫡男さまは?」
 コロン婆さんが髪の毛がある玄馬に向かって問い掛けた。
「さてのう・・・。あやつはぶしつけ者じゃから。このような宴会ごとは苦手と見えて、どこかその辺で弓矢でもつがえておるのだろうよ。何、そのうち、嫁御を見に現れるじゃろうて。あいつから、貰うのは横山の乙姫、照手さまが良いと言い出したくらいじゃから・・・。さあさ、ばばさまも今宵は無礼講じゃ。」
 上機嫌で酔っ払っている。
(この人たち、あたしが照手姫だって思い込んでいるのね・・・。)
 あかねは少し気の毒になった。
(さて、どうしたものかな・・・。隙があれは逃げ出せるんだけど・・・。)
 辺りを見回した。と、酒を飲む素振りをしながらも、鋭い目付きの武人たちが数人見張っている。鋭い殺気を持った視線を、そこいら中に、びんびんと感じていた。あかねはこれでも武道家の卵だ。人の殺気は肌を通して伝わってくる。
(あそことあそこ・・・。それから多分、あの物陰・・・。ざっと数えただけで十人くらい居るわね・・・。きっとあの横山の狸親父の差し金に違いないわ・・・。それから、あたしの横には・・・。)
 コロン婆さんがしっかりと付いていた。
 恐らく彼女も相当の使い手だろう。あかねはそう睨んでいた。
(やっぱり一筋縄じゃいかない・・・か。)
 諦めモードに近かった。
(ま、でも、周りを探っておくのも一案ね。ようし・・・。)
 あかねはそっと立ち上がった。
「何処へ行かれる?」
 ギロッと目を向いてコロン婆さんが問いを投げてきた。
「トイレよトイレっ!!」
「トイレ?何じゃそれは・・・?」
 と訝しい視線を投げられた。
(そっか・・・この世界ではトイレとは言わないか。流石に・・・。)
 気を取り直して叫んだ。
「厠よ、厠っ!!」
「用足しにか・・・。たく、世話が焼けるのう・・・。」
 あかねに続いてコロンは一緒に立ち上がった。やはり一緒に付いて来る気だろう。
「一人で良いわよ。見られてするもんじゃなしっ!!」
 あかねはじろっとコロンを睨んだ。
「逃げられても困るでな・・・。」
 子憎たらしげに言い放つ。
 渋々、あかねはコロンの同席を許すしかなかった。何人かにコロンは目配せをしている。

(鬱陶しいな・・・。)
 あかねは厠まで付いて来るコロン婆さんを見ながら眉をひそめた。
 厠というのは、蔀屋とも言えぬ、館の裏側の粗末な小屋であった。下にはちょろちょろと小川が流れている。
(ひえ・・・。予想はしてたけど、こんなところで用足ししなきゃならないの?)
 衛生などとんと疎い時代の話だ。これでもまだ厠の体裁を取っているだけましというものだろう。あかねは気分を害しながらも仕方なくそこへ入ろうとした。

「照手か?」
 
 背後から声をかけられた。
 振り向くと、一人の甲冑をつけた若者がこちらを見ていた。
「おお、照手か。良く来たな。」
 にこにこと笑っている。
「誰?」
 つい声が出た。
 暫しその若者はあかねの顔をじろりと見つめていた。
「そっか・・・。なるほど・・・。」
 そう言いながら感心している。
「何よ・・・。あんた。」
 暗がりでよく顔が見えない。だが、その声の響きには聞き覚えがあった。
「よっし、こっちへ来い。」
 あかねの手をぐいんと引っ張る。
「何奴?」
 傍に控えていたコロン婆さんが若者を牽制する。
「オババつきか・・・。ご苦労なことだな。オババは来なくていい。姫は私が連れてゆく。」
 きっと睨んだコロンへ、若者は吐き出した。
「姫さまを何処へ?」
 そう言って更に声を荒げるオババ。
「あのなあ・・・。姫は輿入れしてきたのだろう?今宵から姫は俺の妻だぜ。」
「ということは、あなたさまは・・・。小次郎さまで?」
 オババは目を丸くしながら問い掛ける。
「そうだ・・・。俺が小栗判官、小次郎助重だ。」
 鋭い声が響く。
「これはこれは、失礼をば・・・。しかし、姫さまとはまだ固めの杯も交わさずで・・・。」
「後で良い。姫と話があるでな。後でそちらへ行くからおまえは下がっておってよいぞ。」
「はは。わかりましてございまする。」

 こうしてあかねはコロン婆さんの束縛から逃れることが叶ったのである。

「さ、姫・・・。こちらへ。」
 若者はそう言うと、たっとあかねを抱き上げた。
「な・・・。」
 慌てたのはあかね。軽々と持ち上げるこの若者の腕に、有無も言えずに固まった。
(逃げなきゃっ!!)
 何をされるかわかったものではない。だが、この若者、かなりの手だれと見えて、がしっと掴んだ手はあかねの身動きを見事に封じ込めている。
「そう、固くなることはないさ。何も取って食おうという訳ではないのだから。」 
 若者はくすっと笑って見せた。
 頭上にあった月はすっかりと雲間に隠れてしまって、彼の表情を窺い知ることはできなかった。
(どうしよう・・・。)
 あかねは心臓が波打ち始めるのを感じずにはいられなかった。






根底にある作品は説経節の「小栗判官」。
卒論で取り上げたほど、私には思いいれがある作品です。
この作品、物凄く乱あ的だと思うのは私だけかな・・・(汗
また、私、学生時代、司書と司書教諭の資格も同時に取り、図書館でのバイト経験もあります。

尚、「小栗判官」をかなり歪曲して書いておりますことを先にお断りしておきます。
底本にした「小栗半官」の原文とストーリー、キャラクター共に全然違いますのでご了承を・・・。
好き勝手一之瀬ワールドです。



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