◇ANGEL SEED   天使と悪魔


後篇

一、

 溜め込んでいた気を、乱馬はその指先に集中させて解き放った。

「それ、もう一発!」
 乱馬はもう一発、連続して気を解き放った。同じ方向へと、気は真っ直ぐに飛ぶ。


 二つの青白い光の道は、そのまま突き進んで空を飛び越えていく。

「な、何だとっ!」
 教会の屋根の上に居た、ゾロとデロは、その光を認めた。
「やばいっ!飛び降りろっ!デロっ!」
 魔物たちは慌てて、そこから飛び降りた。と同時に乱馬の放った気が着弾した。

 彼の撃ちこんだ気は、教会の鐘へと直撃した。
 教会の鐘は乱馬の放った最初の気で、空へと舞い上がる。
 鐘が弧を描いて大空に舞い上がった時だった。
 遅れて放たれた気がその鐘を見事に貫いた。

 ガランゴロン!!

 鐘は断末魔の音のように、金属製の音を上げると、空へと砕け散る。

「ちっ!術を解きやがったか。」
 ゾロは忌々しげに砕け散った鐘を見上げて唇を噛んだ。
「しかし、これだけ離れた場所から、あの鐘を見事に打ち砕くとは…。一端引くぞっ!デロ!」
「えええ?おいらの可愛い子ちゃんは?」
「もうちょっと我慢しろっ!必ず食わせてやるっ!」
 そう言うと二人は気配を絶った。


 鐘の崩壊と共に、人々の目に光が戻った。
 ある者は手にしていた武器を見上げながら、ある者は倒れこんだ石畳から身体を起こしながら、自分の身に起きていたことを振り返ろうとする。
 人心地が村人に戻ったのである。

「ふう…。魔物は逃げやがったか。逃げ足の速い奴だぜ。」
 乱馬は突き刺した杖を地面から抜いた。

「す、凄い…。こんな距離から、ターゲットを打ち抜くなんて…。」
 あかねはまざまざと乱馬を見返した。
「魔物はどんな汚い手でも使ってきやがるからな。できるだけ、操心術の核(コア)となってた、教会の鐘から村人たちを引き離したかったんだ。」
「教会の鐘が?核(コア)だったの?」
「ああ…。あの鐘の音に乗せて、村人に念を送ってたんだ。俺たちを襲わせるためにな。」
「良く気が付いたわね。それに、何で地面にその杖を突き立てたの?」
「ああ、あれか?地の聖霊の力を借りた。聖なる杖を突き立てることで地の力を吸いあげて、己の中で増力させたんだ。」
「なるほど…。地の聖霊かあ…。あんた、なかなかやるじゃん。」
「まあな。おめえとは格が違うさ。」
「何よ、それ!だったら、あんたの階級は何なのよ。確かあんたのお父さんはドミニオンって言ってたわよね。それ以上?」
「親父が?ドミニオン…。たく、ふざけやがって。」
「あら?違うの?」
「確かに力はそのくらいあるかもしれねえがな…。…俺は一介の「アークエンジェル」だよ。」
「アークエンジェルかあ…。あたしは最下級のエンジェルだもの。」
「だったら何だよ。階級なんざ、天界から降りると意味をなさねえさ。実力と底力は違うしな…。」


「あなたたち、ありがとうございました。」
「テグの村へ救援を求めてよかったよ。」
「いやあ…。一時はどうなるかと思いましたがな。」
「折角、ラグ村へいらっしゃったんだ。今夜はゆっくり身体を休めていかれるが良い。」

 やっと心が戻った村人たちは、何が起こっていたのか理解したようで、村の恩人である二人を歓迎してくれた。

「どうする?」
「当然、今夜はここで泊まるさ。魔物が諦めたとは思えないんでな。」
「それもそうね…。まだ本体をやっつけたわけじゃないし。」

 二人は村へと宿を取ることにしたのだった。




「畜生!天使どもの力を見くびりすぎていたな。」
 ゾロが悔しそうに吐き出した。
「俺はもう、腹ペコだぜ。ずっと人間を食うのも我慢してたんだ。天使を喰らうまではってよう。」
「そんな情けの無い声をあげるな。今夜は必ず腹一杯食わせてやる。」
「まだやるてえのかい?」
「ああ…。このまま手を引いたなら、アスタロトの名が廃るってもんだ。俺にだって魔界の中級クラスの魔物としての誇りがあらあ。」
「誇りじゃあ腹は膨れねえぜ。兄貴。」
「黙ってろ!畜生、忌々しいあの天使の小僧には一泡吹かせてやるさ。ふふふ…。地の聖霊の力を借りやがって…。」
「地の聖霊だって?」
「ああ、この地を納める「産土神(うぶすなのかみ)」だよ。」
「そんなことがわかるのか?兄貴には。」
「下級のてめえと一緒にするな。俺はアスタロト、中級魔族なんだぜ。まあ、いい。地の聖霊の力は半端では無いからな。睨んだところ、あの男、そんなに上の階級の天使じゃなさそうだったからな。今頃あの天使の身体にボロが来てる頃だろうさ、だから、今夜奇襲をかけてやる。」
「今夜だって?今夜にはあの娘っ子、喰らえるのか?」
 ずるっとよだれを垂らすデロに
「ああ、だから夜まで力を蓄えておけ。今夜は月の魔力が増す、満月だからな。…ふふふ、みてるがいい。二つの魂とも、俺が喰らってやる。そして、アスタロトからバルベリスへと魔階級を上げてやるんだ。」
「でも、どうやって?」
「なあに…。風が運んできた奴の匂いを嗅げばわかるさ。俺はアスタロトなんでな。奴は悪魔の呪いを受けている。」
「悪魔の呪い?」
「ああ…。どっかでしくじっちまったんだろう。奴に殺されそうになった悪魔が奴に呪いをかけた。呪いの匂いがぶんぶんしやがるぜ。ふふふ。」
「ってことは?」
「奴は変化する…。」
「変化するって?」
「ああ、もうすぐ魔の力が奴に満ちてくるはずさ。くくく。今夜は満月だからな、足掻いても防ぎようはない。それを利用してやればいい。まあ、見てろ。」
 ゾロは不敵な笑みを浮かべてデロを見返した。



二、

 迫り来る夕暮れを前に、乱馬がうつらうつらとやり始めた。

「どうしたの?もう疲れちゃったの?」
 あかねは朦朧とし始めた乱馬に声をかけた。
「ん…。ああ、ごめん。そろそろ限界が来てるみてえだ。」

 そういい終わらないうちに、乱馬はしゅうしゅうと音を立てて縮み始める。
「ちょっと乱馬…。」
 慌てて彼を揺する。
「こんなところで不用心に変化なんかすると、怪しまれるわよっ!って…。もう遅いか。」
 食事を運んできた女中の顔がみるみる変わった。
 それはそうだ。一人の人間が、目の前で大人から子供へと転じたのだ。驚かない筈は無い。

「ば、化物…。」

 案の定、村は大騒ぎになった。
 給仕の女中から、乱馬の変化のことを聞きつけ、村人たちが宿へと押しかけてくる。

「あんたら、化物の仲間だな。」
「わしらを騙そうとしてっ!!」
「出て来いっ!こらしめてやるっ!!」

 連日の化物騒ぎに神経質になっている村人たちに加えて、乱馬の変化だ。これでは言い訳する機会も与えられないだろう。
 下手に外に出ては、ぼこぼこにされるのがおちだ。

「もう、どうするのよ…。乱馬…。」
「適当にあしらってくれよ…。俺は眠い…。昼間、地の聖霊の力を借りるのに、精力を使いすぎちまった。それに今日は満月だし…。」

 と、その時だった。
 俄かに宿の外が騒がしくなる。
「何?」
 こそっと窓辺から覗き込むと、一人の男が村人を押し分けて入ってくるのが見えた。

「ちょっと、何よあいつ…。」
 あかねは窓辺から覗き込みながら、男を見詰め、聞き耳を立てた。


「静まれ!村の者よ。私こそが、テグの村から派遣された本物の魔物狩人(モンスターハンター)だ。」
 そう言いながら男は颯爽と前に進み出る。
 そして、ざわめく人々に言い放った。
「ここだな。魔物が騙そうとして泊り込んでいるのは。」
 男の言葉に、村長と思われる老人が進み出てきた。
「昼間、魔物を退治してくれたように見せかけられたものだから、ここへ宿を取らせたんじゃ。」
「若い女と男だったけど、さっき、正体を現しやがった。」
「あたし見たのよ、男が小さな坊やに変化するところを!」
「大方、狐狸の類よ。きっと、あの女が母親でその息子なのよ。」
 村人は口々に勝手に物を言う。


「誰が狐狸なのよ。だれがこいつの母親なのよっ!!」
 聞き耳を立てていたあかねの表情が怒りへと燃え始める。


「私に任せてもらおう…。村の者。魔物が出てきたら取り押さえろ。宜しいかな。」
 そう言うと、男は何やら怪しげな呪文を唱え始めた。

「何をやらかそうっていうの…。」
 傍らの乱馬は眠り込んでしまった。健やかな寝息があかねの耳に届く。
「もう…。肝心な時に役にたたないんだからあ…。こいつは!」
 背負って逃げるにもこいつは重い。それは昨晩、体感済みだ。

「火炎流!」

 呪文を唱え終わった男は、あかねたちが泊まった宿に向けて気を放った。

「え?」

 炎の輪が宿屋目掛けて飛び掛る。

「何て強引な奴なのっ!!いきなり炎を浴びせかけてくるなんてっ!」
 
 みるみる炎は宿の建物へと燃え広がる。
 あかねたちの居る部屋のガラスが割れて、炎が部屋の中へ浸入してきた。めらめらと音を立てながら、カーテンや調度品へと火柱が上がる。

「このままじゃ、不味いわっ!水流波!」
 あかねは持ちうる呪文を駆使して、炎を消そうと水を浴びせかけた。まずは燃え広がった火を消そうと思ったのだ。

「ふん、その行動も計算済みよ!」
 魔物狩人と言った男はにやっと笑った。それから、後ろ側へと合図を送り込む。と、合図と共に、別の炎が小屋目掛けて飛び掛った。青白い炎だ。

「な…。あれは、魔炎?」
 あかねは焦った。
 もう一本飛んできた火は明らかに最初に飛ばされたものとは違うタイプのものだったからだ。
 魔炎は水の力では消えない。いや、消えるどころか、かえって激しさを増すのである。
 案の定、魔炎は水の力を借りて、一気に燃え広がった。
 ケホケホっと煙が喉へと入り込む。魔炎によって表れた煙が、襲い来て、あかねの力を吸い上げていく。
「う…。力が…。抜ける…。しまった、あいつら、魔物…。それも中級クラスの…。」
 最初から魔炎が飛んでくるとわかっていれば、結界を貼れたのであるが、相手の方が一枚上手だった。普通の魔物狩人だと思って油断したのだ。
 結界を貼ることもできず、あかねはどおっと床に倒れこんだ。

「乱馬…。」
 最後の力を振り絞って、あかねは乱馬を飛ばした。
 薄れいく意識の中で、無我夢中、眠りに入った彼を小屋から転送したのである。
「ごめん…。今のあたしにはこれが精一杯なの…。」
 ふうっと乱馬の気配がそこから消える。と同時にあかねの意識も暗転していった。



三、

 冷たい感触に思わず目が覚めた。
 頭から水を浴びせかけられたのだ。
「う…ん…。」
 
「お目覚めですか。」
 傍で冷たい男の声がした。
 はっと頭を上げると、魔物狩人と称して魔炎を浴びせかけてきた男が、そこへ立っていた。
「あんた…。」
 飛び掛ろうとしてはっとした。身体が鎖で固定されている。いや、それだけではない。魔十字の結界が張られているではないか。これでは術も使えない。
「あんた。魔族ね…。」
 あかねはきびっとそいつを見上げた。
「ふふふ。だったらどうだというのかな?天使の小娘。」
「あんたが魔物狩人だなんて笑わせるわ…。人間に良く化けられたわね。」
「人間に化けることなど造作も無いことだ。私はアスタロトだからな…。くくく…。」
「アスタロト…。中級クラスの魔人。でも、そっちのでくの坊は違うみたいね…。むき出しの魔物の気配がビンビンに伝わってくるわ。」

 あかねが振り返った方向に、もう一人、魔族が居た。でぶっちょの魔人デロだ。

「よりにもよって、悪魔が教会の中で…。何をしようというの。」
「そりゃあ、決まってるさ。魔物退治の儀式だよ。お嬢さん。」
 にいっと笑ってあかねを見下ろした。
「勿論、魔物は君さ。この村の連中はコロッと騙されてくれたよ。あの少年のおかげでね。」
 そう言って彼は傍らを見た。

「ら、乱馬…。」

 眠りこける少年が一人。乱馬であった。
 彼もまた魔十字の結界の上に縛られたまま、だらしなく眠り続けている。

「こいつを捕まえることなど、簡単だったぜ。気を失う前にこいつを転送させたようだが、村人が見つけ出してくれたよ。」
「乱馬…。」
 呼んでみたが返事は無い。ただ、寝息が響いてくるだけであった。

「大事な時に眠りに落ちるなんて、つくづく間抜けな小僧だぜ。…。昼間はしてやられたがな。」
「昼間の騒動もあんたたちの仕業だったってわけね。」
「ああ、そうだ。こっちも油断していたがな。でも…。こいつが中途半端で助かったぜ。」
「中途半端ですって?」
「ああ、そうだろ?満月の光を浴びて眠りこける。これは俺たちサタン一族の呪いを穿たれた証拠。地の聖霊の力を借りたこいつは、消耗が激しかった。聖なる力を使い果たすと、魔の力に取り込まれ眠りに就く。それが呪いを穿たれた者の試練。それに今夜は満月だ。…月が沈むまでこいつは目覚めることもない。いくら強くても眠っていれば成すがままだ。」
 ごろんと乱馬を転げると、ゾロはにっと笑った。
「だからこいつは当てにはできねえぜ。お嬢さん。」
 ゾロはちらっとデロを見やった。早くしろと言わんばかりにデロはよだれをたらしながらあかねを見つめている。
「そうせかすな。今食わせてやるからよ。」
「食わせるって…。まさか。」

「ああ、おまえもその男も、俺たちが食ってやる。」
「なっ、何ですって!」
「聞いたことがあるだろう?俺たち魔人は天使を喰らうことによって、魔力を増幅させられるんだ。俺はおまえたち二人の天使の魂を、こいつは身体を狙ってたのさ。だからわざわざ回りくどい方法を使ってでもおまえたちを生きたまま捕まえたかった。天使の力を取り込むには、生きたまま喰らうのが一番だからな。」
「兄貴ぃ、早くしてくれよう!腹が減ってよう…。」
 デロが情け無い声を出した。
「待ってろと言ってるだろう…。先に俺がこいつの魂を喰らってからだ…。」
 胡散(うさん)臭そうにゾロはデロを見やった。
 ゾロの魔手があかねの身体に伸びた。ぐっと手と足を掴まれて、そのまま床に押し倒される。
「じ、冗談じゃないわっ!!」
 足掻こうとしたが、魔十字の上。ぴたりと床に張り付いて動くこともかなわない。

「村人たちには魔物を天に帰す儀式をするから朝まで教会(ここ)へは近づくなと言ってある。尤も、人間が来たところで、どうにもならんだろうがな…。」
 ゾロはだんだんと人間の姿から、醜い魔物の姿へと変化を遂げ始める。手も足もどす黒く、ウロコが現われる。尻には大きな尻尾が突き出してくる。先は三角に尖っている。デーモンの本性を現したのだ。
「何人かの天使を喰らってきたが、てめえのように綺麗なのは初めてだ…。へへへ。さぞかし俺の魔力も上がるだろうな。一気に喰らうか。それとも、少しずつ口から魂を吸い出してやるか。」
「兄貴…。早くしてくれ…。腹が減って腹が減って…。」
 後ろでデロがぼとぼととよだれを床にたらしている。我慢がならなかったのか、べろっとあかねの足を舐めた。
「いやっ!」
 思わず身をくゆらせ、すり寄ってきたデロを蹴り上げた。
 後ろに弾き飛ばされながらも、むくっと起き上がってデロは言った。
「美味え…。」
 なおも近寄ってきてあかねの足首を捕まえる。
「いいぞ…。そうやって押さえ込んでおけ。デロ。俺がこいつの魂に食いついたら、足から食べてもいいぜ。」

「いやーっ!」

 あかねの絶唱が教会中に響き渡る。魔物二人にのしかかられて、絶体絶命。
 その時、教会の窓辺から満月が見えた。さあっと翳っていた雲間から、まん丸の形を現したのだ。

「たく…。うるさくて眠ってられねえや。」

 満月の光を背中に浴びながら、魔物たちの傍らにすっくと一人の青年が立ち上がった。いつの間にか縛っていた鎖は引き千切られている。
 
 今まさに食いつかれようとしていたあかねを見下ろして、そいつはにっと笑った。

「ら、乱馬…。」
 思わずあかねは声を上げた。

「どけよ。」
 そう言うと、乱馬はあかねの足元に喰らい付いていたデロの太っちょ腹を蹴り上げた。
 ぼよんと音がしてデロがあかねから引き離された。

「何故、起き上がれた?そこには魔十字の結界が張ってあったはずだ。」
 ゾロが驚いて乱馬を見上げる。

「ああ、この落書きのことか?こんなの俺様には効かねえぞ。」
 そう言ってにいっと笑っている。
「馬鹿な…。くそっ!」
 ゾロはあかねを抱えると、すっと教会の上空へと飛び上がった。バサバサと魔物の羽が羽ばたく。
「デロっ!おまえはそいつをやっちまえ。それまでエサはおあずけだ!」

 その言葉にデロの表情が変わった。
「おあずけだってえ?何でだっ!こんなに腹が減ってるのに。」
 ぶよぶよと醜い腹を突き出して、デロが言い放った。
「そいつを倒せ。そいつがおまえの食事の邪魔をしたんだ。怒りをぶつけるんだ。」
 その声に呼応するようにデロが身体の色を黒から赤に変えた。体中の血が怒りで沸き立っている。そんな風に見えた。

「畜生!おれにおあずけを喰らわせやがってーっ!!」
 怒りを顕にしたデロが、乱馬目掛けて突進する。
 
「ふっ!とんだ邪魔が入ったが…。少しだけおまえの寿命が延びた程度だ。お前を縛っておいて良かったよ。」
 あかねを抱えて上に飛んだゾロはにっと笑った。
「何よ!乱馬はあんなデブの化物に負けはしないわ。」
 あかねはきっと見据える。
「そんなことはどうでもいい。あいつがおまえの仲間の相手をしている間に、俺がおまえの魂を喰らってしまえば良いんだ。」
「な、何ですって?」
「だから言ったろう?俺たち魔族は天使を喰らうごとに強くなる。そう、おまえの魂を喰らってその力を俺の物にすれば、あんな奴一撃で…。だから、今度は逃さん。」
 そう言ってあかねの口元をぐいっと自分に引き寄せに掛る。
「足掻いても無駄だ。あいつはデロと闘っている。食事を邪魔され、怒りまくったデロはそう簡単には倒せない。」

 確かに乱馬は苦戦していた。
 怒り狂ったデロは、激しく乱馬を攻撃し始める。
 まるで綱が切れた猛牛が襲い掛かる様子に見えた。

「くそっ!あいつ…あかねを先に喰らうつもりだな。」
 乱馬は上空を見上げた。
「ちぇっ!こいつも結構強いぞ。このままじゃ勝てねえ…。ぐずぐずしていたらあかねがあいつの毒牙にかかっちまう。どうする…。」
 激しい攻撃をかわしながら、乱馬は考えをめぐらせていた。
「超力(ちから)、解放しちまうか…。」
 そう吐き出すと、乱馬は襲い来るデロに向かって、一撃、気弾を浴びせた。

「ふん。あれぐらいの気弾でデロはくたばらん…。さあ、その間に私はおまえの魂を喰らい尽くしてやろう。」
 そう言いながらあかねの首元へと牙を突き立てる。
「う…。」
 あかねの身体がびくっと震えた。喉元から赤い血が流れ出す。
「美味い血だ。さぞかし魂も美味しかろう。」
 あかねの血をなめずりながら、ゾロはにっと笑った。



「畜生!あいつめ、あかねに喰らい付きやがったな。ええい、一か八かだ。あとはどうなってもいい!超力を解放してやらあっ!!」

 乱馬はそう言うと、さっと両手を後頭部へと差し上げた。そして、はらりとおさげを結んでいた紐を解く。

 と、一瞬、空間がわなないた。
 乱馬を取り巻くように、激しい気が渦巻き始める。やがてそれは炎のようにゴオゴオと音をたてて、舞い上がりだした。

 ゾロもあかねに喰らい付いた口元を、思わず離したほどだった。

「な、何っ?」
 あかねから口を離し、異変の起きた方へと顔を差し向けた。
 激しい気の渦がそこにあった。
 デロも何が起きたのかと、目を丸くしてその気の渦へと目を凝らしていた。

「あ、あれは…。」

 ゾロもデロもあかねも、ただ呆然と、その気に視線を吸い寄せられる。
 やがて、渦から気炎が解け、中から一人の青年がそこへと現われた。ちび乱馬でもない青年の乱馬でもない。そいつは青白い光を解き放ちながら、そこに立っていた。半開きになった瞳は冷たい月の光と同じ色を解き放つ。
 耳は尖り、頭には一対の角。背中には黒い羽。そして、立派な尻尾(しっぽ)がつら下がっている。
「デーモン…。」
 思わずぞくっと、あかねの背中に戦慄が走った。
 そいつはただ、そこに立っていただけだが、得もいえぬ恐々とした気を放ち続けている。

 はっと我に返ったデロが、そいつ目掛けて闘いを挑んだ。
 そう、何も考えずに、闘争心だけで立ち向かっていったのだった。

 ビシュっ!
 
 目にも見えない速さで、そいつは手を薙ぎ下ろした。
 悲鳴を上げる間もなく、デロの醜い体が空へと投げ出されると、そのまま、ボンッと音を立てて破裂した。
 どぼどぼと音をたてながらどす黒い血のりがはじけ飛ぶ。
 思わず目を覆いたくなる光景だった。

 やがて、そいつは、そのまま静かにあかねたちの方を睨み付けた。

「あかねを放せ…。」
 そいつは静止したまま、冷たい声で言い放った。

「ら、乱馬?」
 その声は確かに乱馬であった。だが、今までとは違う凄みがある声だった。
 ゾロは震え始めていた。とてつもない奴を敵に回した後悔が彼を覆い始めていたのだ。
「う…うう…。」
 恐怖が彼を支配し始めている。

「あかねを放せと言っている…。」
 そいつは羽ばたきもしないで、すうっとあかねの捕らわれている上空へと上がって来た。一線上に並ぶ。

「おまえは罪を犯したな…。俺のあかねを傷つけた…。」
 鋭い視線がゾロを捕らえる。
 さっき喰らい付かれた首元からあかねの赤い血が滴り落ちている。
「俺の契約者を傷つける行為は万死に値する。罪はその命を持って贖(あがな)え。」

 冷たい笑いだった。

「い、嫌だあ…。ゆ、許してくれ…。た、頼む。同じ悪魔同士じゃないかあ…。」
 やっとのことでゾロはそれだけを言った 
 あかねははっとして乱馬を見やった。確かに彼からは天使の気が感じられない。それどころか、禍々しい「悪魔」の気が充満している。

「同じ悪魔だと?ふん、おまえ如きの下級魔族、この「ルシファー様」と一緒にするな。」

 乱馬は冷たく言い放った。

「乱馬…あんた…。」
 あかねの口が何かを象(かたど)ろうとしたときだ。
 乱馬の手から氷の刃が伸びた。

「あかねは俺のものだ。だからそれに触れたてめえは、この俺が淘汰してやるっ!!」
 それは冷たい声だった。凍れる声。乱馬の声であって、そうではない。優しさの欠片が微塵にも感じられない叫び声。

「乱馬ぁーっ!!」
 あかねの怒声と共に、砕け散る、ゾロの身体。
 一瞬だった。避ける間も無く、ゾロの身体は砕け飛ぶ。断末魔の叫び声すら上げることなく。
 ゾロが抱えていたあかねは、そのまま空へと投げ出された。天使とて人間界では羽はない。そのまま聖堂へと落下する。
 だが、地面すれすれで抱え込まれた。
「え…。」
 見上げると、乱馬の瞳がそこにあった。月の光がステンドグラスを仄かに照らし出す。
 そっと合わされる唇。いきなりの口付けだった。
 何が何だかわからない。あかねの頭は真っ白に塗りこめられていく。

「あ…かね…。あかね。早く、俺に封印を。」

 はっとして見上げると、再びダークグレイの輝きが戻っている。

「頼むっ!俺にまだ天使の心が残ってるうちに。この竜の髭で髪を束ねてくれ。」

 訳がわからなかったが、逼迫している状況だということだけは飲み込めた。乱馬の手から紐状のものを取り上げると、あかねはざざっと彼の乱れた髪の毛を束ね、とにかく大慌てで結びこんだ。
 ポニーテール。
「サンキュ…。あかね。」
 ふわっと彼はあかねに身を預けた。どんどんと背が縮み始める。
「ちょっと、乱馬っ!?乱馬ったらっ!」
 髪の毛を結われてしまうと、彼は気力が削げたのか、そのまま雪崩れ込むようにあかねの胸へとすっぽりとおさまってしまった。



四、

 翌朝、その村を立つ二人の姿があった。

 結局、村人には、魔物は自分たちではなく、ゾロとデロであったことを延々と説明させられた。なかなか村人たちは最初は信じてくれなかったが、朝日を浴びて元に戻っていた乱馬を見て、渋々、認めざるをえなかった。
 聖堂の中にはおびただしい魔物の血。
「あたしたちも危なかったのだけれど、聖堂の生母様に助けられました。」
 この場は仕方が無いかと、あかねは「作り話の奇跡」を口にした。
「魔物は生母様によって姿を暴かれて、私の術で退治できたんです。」
 信心深い人々は、あかねの作り話を真に受けた。と同時に、自分たちの聖堂の聖像を口々に賞賛し始める。
 

 乱馬はというと、朝日が昇ると共に、再び元の姿へと戻っていた。

「おまえも、よくぞまあ、あれだけの作り話をべらべらと。」
 乱馬は傍らを歩きながらあかねを見下ろす。
「仕方ないじゃないのっ!奇跡のせいにでもしないと、人間には説明つかないでしょうが。ましてやあたしたちが天使だなんて言えるわけもないし。」
 あかねはそう言いながら乱馬を睨む。
「でもね…。乱馬。あんたのあの格好、一体何だったのよ。この先、天の大門まで一緒に行くんだから、あたしには知る権利あるでしょう?」
「ああ、魔物を倒した時のあの姿か?…。あれは俺の中に巣食う「ルシファー」だ。」
「ルシファーって、…あの堕天使、大悪魔の?」
「ああ、正確にはその心の片鱗なんだけどよ。」

「ちょっと、何でそんな大悪魔が天使のあんたに巣食ってるのよ!」

「親父のせいなんだ。ちょっとしたアクシデントでさ。…気が付いたら俺の体の中に入り込んでたんだ。」

「ちょっとしたアクシデント、とか気が付いたらって、そんな悠長なことで済ませられる問題じゃないでしょうがっ!」
 つい声が荒くなる。
「だって仕方がねえだろ?入っちまったもんはようっ!」
「で、何であの時、ルシファーが出てきたのよ。」
「……思わず、封印を解いちまった。」
「封印?」
「ああ…。この髪の毛を止めている「竜の髭」だよ。この二つで奴の行動を制限してるんだ…。でも、おかげで俺は、自分の力を使い果たした状態で月の光を浴びちまうと、ガキに変身しちまうんだけどな。」
 鬱陶しそうに空を見上げた。
「厄介な身体だぜ。ったく…。」
「ホント、悪魔を身体に巣食わせてる天使なんてはじめて訊いたわよ。で、それで天の大門に用があるのね。」
「まあな…。」

「で、あんたの父親は何であたしをお供に選んだのよ。たまたま行き会ったあたしに出会い頭で押し付けたって訳なの?」

「ははは、そっちへ戻るかやっぱ。」
「あったりまえでしょう!許婚のことだけでも厄介なのに…。」
「それだよ…それ。」
「あん?」
「だから…許婚。」
 乱馬はじっとあかねを見詰めた。
「何よ、藪から棒に。あたしの許婚のことはあんたには関係ないでしょうが…。」
「だから、大有りなんだってば。…たく…。おめえ、父親から許婚の名前くらい訊いたことないのかよ。」
「ない、聞く必要なんかなかったから。」
 あかねは鼻息を飛ばしながら答えた。
「おまえの父ちゃん、早雲って名前だろ?」
「ええ、そうよ。それがあんたとどういう関係があるってのよ。」
「これだもんなあ…。俺なんだよ。」
「はあ?」
 思わず足を止めてあかねは乱馬を見上げた。
「たく…。鈍いなあ…。ここまで訊いたらピンと来るだろうが。おまえの許婚ってえのは、この俺なんだよ。あかね。」
 乱馬の親指が自分を指し示す。

「え、えええええーーっ!!?」

 あかねは大声を張り上げていた。


「そうなんだ。だから親父の奴、許婚のおまえを探し出して、とっとと俺のこと押し付けて、逃げやがった。」
 乱馬は吐き出すように言った。
「あんた、知ってたの?あたしがあんたの許婚だってこと…。」
「当然だろ。許婚って言ったら、己の嫁になるんだから。」
 にんまりと鼻先で笑った。
「だから、あの時…キスなんか…。」
 わなわなと身体が震えだす。
「いけなかった?」
 にっと笑ってあかねの顔を覗き込む。と、あかねの顔が真っ赤に蒸れた。不可抗力とはいえ、あれはあかねのファーストキスだったからだ。
 それからわなわなと震え始めた。

「あ、あたし…あたし、絶対に、天の大門へ行くわっ!そして、このふざけた契約を破棄してやるのよっ!!」
 そう破棄捨てると、ずたずたと先に歩き出した。
「おっ、俺の呪われた身体元に戻してくれるのに頑張ってくれるのか?」
 乱馬は後ろから笑いかけた。
「違うーっ!絶対、あんたとの婚約は破棄してやるわっ!!」
「俺はおまえが許婚でも、別にかまわないけど…。」
「あたしは御免よっ!!」
 思いっきり叫んだあかねを乱馬は笑いながら見詰めた。
「ま、先は長いからな。…気が変わることもあるかもしれねえし。」
「変わらないっ!!ぜーったい変わらないっ!!」

「さて、先を急ごうぜ。夕暮れて月が昇れば、また俺、ガキになるかもしれねえし。おたおたしてたら置いてくぜ。」
 ほおっとあかねの身体から力が抜け落ちた。
「あん、待ってようっ!!」
 あかねは大慌てで、先を行く乱馬の後を追った。







「あれでよかったんだろうか…天道君。」
「あれでいいんだよ、早乙女君。二人のことは二人に任せておけば。自然の成り行きだよ。我々が契約を与えなくても、運命には抗えない。乱馬がルシファーを抱え込んでしまったことも、こうやって君の娘と旅行くことになったことも…。」
「そうだね…。あとは、あかねの心が、どれだけ彼に打ち解けられるかどうか…。」
「きっと上手くいくさ。そう信じていれば。だから、ミカエル様がお許しになられた。」
「そうだね…。あの二人なら。きっと…。」

「さて、そろそろ天界へ帰ろうか。」
「そうだね…。帰ろう。」
 二人を見守る目は、くるりと旋回すると天へと昇っていった。

 その遥か下では、乱馬とあかね。見知らぬ世界へ向かって歩き始めたばかりだ。



 完




一之瀬的戯言
 天使のあかねと悪魔の乱馬。
 再三言いますが、この乱馬のキャラにはクロノが入ってます(笑
「あかねは俺のものだ!俺のあかねに手を出すな!」
 そう言わせてみたかったので書いたような作品。
 子供になったら寝倒す乱馬クン。あかねちゃんの母性をどこまでくすぐりますか。で、彼の中に巣食った大悪魔ルシファーとは…。
 この先はプロットができたら、またお目にかけることもあるかもしれません。単発で終わる可能性も高いのですが…。
(だって、全く筋だって作品を考えてない。行き当たりばったりの創作。)
 後は脳内妄想の赴くままに(こらこら)。



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