◇ANGEL SEED   天使と悪魔


中篇

一、

 テグの村では、あかねたちの帰りは大歓迎で迎え入れられた。
 この村の周辺を悩ませていた「魔物」を退治したのだ。あかねの活躍は、多少オーバーであったが、玄馬がきちんと皆に流布してくれたので、一躍彼女は有名な「魔物狩人(モンスターハンター)」ということに相成ってしまったほどだ。
 尤も、あかねはまだ人間界では駆け出しの「魔物狩人」であったので、玄馬の流布は後々役に立つに違いなかった。腕の立つ魔物狩人には退治の依頼が増える。口コミで噂は広がり、彼女の腕に縋ろうとする人々が、わんさかと依頼を持ち込んで来るだろう。そうなると、自ずと魔物と対峙することも増えるだろうし、魔物を退治するごとに彼女の求める「玉」を手に入れることができるからだ。

 村人たちは魔物に憑依されていた男を、殆ど皆、知っていた。元は「正直太郎」と呼び習わされていた、この村の外れに住むさえない青年だったという。勿論、彼には魔物に憑依されていた記憶は欠落しているらしく、村に帰り着いても、訳がわからずきょとんとしていたほどだ。彼の老いた母は涙して彼の帰還を喜んだし、村人たちも大喜びであった。

「でも、何で魔物なんかに憑依されてしまったのかしらね…。あんなに真面目で母親思いなのに。」
 あかねが吐き出すのを聞いて、玄馬が答えた。
「だからこそ、魔物にはうってつけの獲物じゃったのだよ。下等な魔物ほど、真っ正直に生きている人間に憑依するんじゃよ。自分より力の弱い人間をな。真面目であればあるほど、魔物の術に溺れやすい。魔物は人間の僅かな心の隙間を狙って入り込むのだよ。」
「そういうものかしらね。」
「まだまだ、あかね殿は若いのう…。まあ、これからもせいぜい頑張るが良い。一端(いっぱし)の「魔物狩人」になるためにな。はっはっは。」
 そう言って玄馬は差し出された酒を煽った。
「本当、僧形のクセにおじさんはお酒を煽るなんて…。生臭坊主ね。」
「良いから、良いから。」
 さすがにあかねは酒は呑まなかったが、出されたご馳走はたらふく食べた。人間界の料理は天界とは違って、心が和む味がした。
 魔物狩人の仕事の後は、たいていこうやって料理を振舞われる。これもあかねには楽しみの一つになっていた。
 勿論、天使である己の本当の姿を人間に晒すことはない。「魔物狩人」の多くは天界から降りてきた天使であったが、中には本物の人間もたくさん居た。
 天界から降りたときに考えた己の人間としての経歴を作り話にして話しながら、あかねは宴を楽しんでいた。
 人間と言う生き物は、こういう宴が大好きなものらしい。魔物が居なくなったことへの返礼を返す目的とは言え、ちゃっかり己たちも楽しんでいた。
「あかね殿はお酒を好まれぬか?」
 玄馬がにっと笑って見返してきた。
「まだ、酒を楽しむという年齢ではないですからね。」
 とやんわり断りを入れる。
 天界では酒の年齢制限はなかったが、それでも年端の行かぬ者は控えるのが通常であった。
「まあ、どうです?一杯だけでも。」
 そう言って赤い葡萄酒を差し出した。神の祝福を受けるときに飲むワインだ。
「でも…。」
「一口だけでも。縁起のものですからな。」
 玄馬はしつこく食い下がった。
「なら、一口だけよ。」
 そう言うとあかねはワイングラスを受け取った。なみなみと注がれた酒。赤い色が仄かに揺れる。
 そっと口に当ててみた。
 葡萄酒独特のすっぱい匂いがする。液体をゆらゆらと揺らめかしながら香を楽しむと、あかねは口へと流し入れた。
 結構アルコール度がきついらしく、胃がきゅっと縮んだように思えた。甘いこくと香。
 グラス一杯も飲まないのに、ほんのりと頬に赤みが差し始めた。
「緊張感も一気に緩みましたかのう?」
 玄馬はからからと笑い転げた。
「本当に…。気持ち良い。」
 火照った頬を撫でながら、あかねは天にも浮き上がる心地に酔っていた。酔いは酒の量が問題ではないのだろう。普段飲みつけない酒だから余計に酔いが回るのが早かったのかもしれない。
 そこで記憶の糸が途切れた。



 いつしか宴の宵は更けて行く。

 たくさん食べれば後はゆっくりと休眠を取るだけ。



 あかねが背負って来た少年は、終ぞ宴の中でも目覚めることはなく、ずっとベッドの上で眠り続けていた。まだ幼いから仕方がないかと思いながらふっと、すこやかな寝顔を見る。
 この少年の父親はまだ酒を酌み交わし続けている。
「ここのところ、あたしもなれない人間界で気を張り通しだったからね…。」
 ふわあっと欠伸(あくび)をしながら、あかねはまだ続く大人たちの饗宴を子守唄に、いつの間にか少年の傍らで眠り始める。
 温かく柔らかいベッドも久しぶりだった。お腹はいっぱい。
 ささやかな幸せを感じながら、あかねはすうっと眠りの淵へと落ちて行った。



 気が付くと、朝。
 太陽はすっかり昇りきったようで、窓辺から真新しい光が差し込んでくる。
 飲みつけない酒を飲んだ翌日にしては、頭痛もない。すっきりと目覚めたように思えた。
 すぐ隣りに人の気配を感じる。
 背負ってきた玄馬の息子の少年がまだ眠っているようだった。
「本当…。寝る子は育つっていうけれど…。まだ寝てるのね、この子ったら。」
 そう言いながら毛布をめくり上げる。

「えっ?」
 そこで手が固まった。

 毛布に包まっていたのは、どう見ても、子供の大きさではない。
 手に触れたおさげがゆらっと動いた。それから眩しそうに目を開く。
「おはよう…。」
 そいつは、あかねを見上げると、ふっとなずむように微笑みかけた。上半身は裸である。胸板は厚い。少年の姿はどこにもなく、凛々しい青年の姿がそこにあったからたまらない。

「き…きゃああああああっ!!」

 耳をつんざく叫び声が部屋中に響き渡り、あかねは思わず、目の前の男の頬を思いっきり引っ叩いていた。

「いやん!あんた。人のベッドの上で…何やってたのよーっ!!」
 真っ赤になって、枕までぶつける。

「お…おいっ!!」
 青年は枕を器用に避けると、すっくとあかねの手首を握り締めた。
「こら、落ち着けっ!」
「やん!あんた一体何なのよっ!」
 はあはあと息を上げながらあかねがはっしと青年を睨み付けた。
「それは、こっちが聞きてえよっ!あんなあ。俺、今目が覚めたばかりなんだぜ。第一、ここはどこなんだよっ!親父がテグに入って、それから化け物退治に付き合うとは聞いてたけどよっ!なあ、ここはテグの村か?おめえ、ここの村娘なのかようっ!!」
 青年はあかねを押さえ込むと一気にまくしたてた。頬はあかねの掌の形のあざが残っている。
「親父と一緒に化け物退治って…。」
 あかねの言葉がそこで止まった。
「まさかと思うけど、あんたの父親の名前って…。」
「玄馬ってんだ。」
 そう勢い良く答えが帰ってきた。
「う、嘘よっ!玄馬さんの息子さんって、もっと小さくて、十歳くらいで…。」
 
「そっか…。あんた、ゆうべの俺の格好見てたのか。」
 青年はぱっとあかねの手を離した。それからぼりぼりと頭を掻き始める。
「ゆうべの俺の姿って…。」
「十歳くれえの少年が居たんじゃねえか?」
「ええ、居たわよ。確か名前は…。」
「乱馬だ。」
 青年はにっと笑った。
「え、えええっ!ま、まさか。あんたがあの子供…。」

「ああ、そういうことになるな。」

「嘘…。何でどうして…。一晩でこんなに育つなんて…。」

 狐につままれたような顔を手向けるあかねに、青年は歯切れ悪く説明し始めた。

「ガキの俺も今の俺も、両方俺なんだよ。…。ちと厄介な呪いを穿(うが)たれちまったもんでな。」

「呪い…。そう言えば、玄馬さん、そんなこと言ってたっけ。」
 あかねは、化物退治の帰り道、玄馬が「息子の呪いを解きたい」と言っていたことを思い出したのだ。
「ねえ、あんたのその姿…。呪いなの?」
 あかねはぼそっと吐き出した。
「うんにゃ。昨日の晩の姿、つまり、ガキの方が呪いの姿だよ。で、今の俺が本当の姿だ。」
 乱馬はそう言って立ち上がった。

「なっ!」
 あかねはぱっと顔を背けた。
 何しろ乱馬と来たら、素っ裸同然でそこに立っていたからだ。腰辺りに簡単な布きれを一枚巻いただけ。下手をすれば見えるのではないかと思えるほどだ。勿論、上半身は裸。分厚い胸板に思わず視線を吸い寄せられる。
 だが、男性の生の胸板を見るのは始めてだった少女は視線のやり場に当然戸惑った。

「ふ、服着なさいよっ!!あんたっ!紛いなりにも「乙女」の前よっ!!」
 そう言って思わず毛布を投げつけた。
「乙女?…乙女ねえ…。」
 乱馬はにんまりと笑った。
「何よっ!あたしが女に見えないとでも…。」
 きっと表情を立てたあかねに乱馬は笑いながら言った。
「見えますよ…。ああ、見えてますとも…。その、豊満な胸の谷間とか…。」

「えっ。あ、きゃああーっ!」
 あかねは思わず、悩ましげに肌蹴た胸元を毛布で隠した。寝ている間にどうやら上着がずれたらしい。
「バカーッ!!」
 どすんっと再び枕を投げつけた。

「と、とにかく。服っ!!」
 あかねはきっと乱馬を見据えた。
「へいへい…。」
 乱馬は無駄口を叩くこと無く、大人しくあかねの命に従った。



二、

「あれ…。」
 乱馬は着替えを終えると、素っ頓狂な声を張り上げた。

「何、どうしたの?」
 あかねは思わず乱馬に聞き返していた。
 それに答えず、乱馬は何やら紙を一枚、目の前で広げて読み耽っていた。

「お、親父の野郎…。」
 わなわなと背中が震えだす。
「どうしたのよ…。」
 あかねは思わず後ろから覗き込んだ。

「畜生っ!はめられたっ!」
 そう言ってバンっと机を叩いた。それから後ろを向いたままあかねに尋ねて来た。
「なあ、あんたさあ、名前は何て言うんだ?」
 着替えを終えると乱馬は聞いてきた。
「あかねよ。」
 すんなりとあかねは答えた。
「あかね…。天道あかねか。」
 乱馬はふっと言葉を吐き出した。
「何で上の名前まで知ってるのよ。一体全体何なのよ…。あんたは。」
 怒声混じりの声が乱馬の背後で響く。

「おめえがこの天道あかねさんだったら、これを見たら冷静じゃ居られなくなると思うぜ。」
 そう言って乱馬は持っていた紙をあかねに差し出した。手はわなわなと震えている。

「これ、契約書?」
 あかねは怪訝な瞳を差し向けた。
「ほら、こいつさ…。ご丁寧にサインがしてある。これ、あんたの字だろ?」
 そう言って乱馬は黄ばんだ紙をあかねに見せた。

「えっと、何々…。私は早乙女乱馬と共に、魔物狩人としてその任務に当たりながら、最終目的地である天の大門まで共に力を合わせて旅を続けますうっ?」
 その契約書をがさがさと折り畳むと、叫んだ。
「な、何よ…。この契約書。こんなのにサインした覚えなんかないわよっ!!」
 あかねはわめき散らした。
「記憶にねえのか?」
 乱馬はあかねに瞳を手向けた。
「うん、全然。こんなふざけた契約書にサインなんか…。」
「でも、これ、確かにおめえのサインなんだろ?」
 黒いペンで書き入れられたサインを指差して乱馬が尋ねた。
「うん…。間違いなくあたしのサインね…。」
「記憶にないのにサインだけ…か。親父の野郎、はめやがったな。…。」
「はめられたって…?」
「おめえさあ、例えば昨日の晩、朦朧と眠りかけてる時に、親父の野郎に名前を書いてくれとか言われて書いたとかさあ、そんな記憶残ってねえか?」
「う…。そういえば…。」
 あかねは腕組みしながら答えた。
「お酒にちょっと酔っ払って、気分が良いときに、玄馬さんが近寄ってきて…。記念に君の名前をここへ書いてくれないかって…言ってたような、言わなかったような…。」
 記憶がさっと駆け巡る。

「そ、それだな…。ちぇっ!親父め。狡猾におめえを酔わせて、天の契約書にサインさせやがったんだ。」

「て、天の契約書ですってえっ!!?」
 あかねは再び声を荒げた。
「おめえ、天の契約書知らないのか?天使のクセに…。」
「当然、存在は知ってるわよ、けど、実際に見たことは無いわ。…で、あんた、何であたしが天使ってわかるのよ。」
「答えるか質問するかどっちかにしろよ。ややこしい奴だな。…。「天の契約書」は人間には読めないようにできてる。それが読めるってことは、おまえも天使だっつーこと。それに、ここにある刻印。これは大天使ガブリエル様のものだ。ほれ。」
 指さされた朱印には確かに大天使様の使う紋章が使われていた。
「へえ…。あたし、天の契約書って始めて見るんだあ…って見惚れてる場合じゃないわっ!これって一体どういうことなのよっ!」
「おめえさあ、天の大門へ行くなんて話、親父にしなかったろうな…。」
「した。身の上話をちょっとしたときに、天の大門へ行きたいから玉集めしてるって…。」
「それだっ!」
「それがこの契約書にどう関係があるのよ。」
「だから、読んで字の如くだよ。親父、体よく俺をおめえに押し付けやがったんだっ!自分が一緒に天の大門へ行くのが面倒になったんだろうな…。畜生っ!親父め!」

「はあ…。じゃあ、これからどうなるのよ。」
「おめえと二人行脚ってことになるんだろうよ。天の大門までの道のりをようっ!」
「そ、そんなの嫌だわよっ!訳のわからないあんたみたいな男と一緒に旅だなんて。」
「あんなあ、それはこっちだって同じだよ。でも、天の契約書は最優先だろう。…だったら、一緒にとっとと天の大門へ行くしかねえんじゃねえか?」

 思わず二人はああっと大きな溜息が漏れた。
 互いに天の一族であらん限り、天の契約書の前には絶対服従である。破れば天界を追われることになる。それは即ち、天使としての身分剥奪だけではなく、死刑宣告と同等であるのは言うまでも無い。

「でも、何であんたの親父さんは、あたしにそんな役目押し付けたんでしょうね…。」
「あん?おまえ知らないのか?」
 乱馬は何かを言いたげに、あかねへときびすを返した。
「何がよ…。」


 と、そこで二人の会話は途切れた。
 誰かが部屋をノックしたからだ。

 そして、咳き込んでくるように、村人が雪崩れ込んできた。



三、

「た、大変です。魔物狩人のあかね様」
 顔色を変えて飛び込んできた青年は、乱馬を見て後ろに下がった。

「し、失礼しました…。もしかして、お取り込み中…。」

「んなっ!」
「そ、そんなわけ、無いでしょうっ!!」
 思わず顔を真っ赤にして怒鳴った。

 村人にしてみれば、若い男女がベッドルームに居るのだ。何かやっていると勝手に思い込むのも当たり前だろう。

「いいから、何があったのか、話して御覧なさいな。」
 あかねはまだ真っ赤に熟れた顔を手向けながら、そう勢い込んで言い放った。

「あの…。隣村でまた魔物騒ぎがありまして…。そこで、あかね様にまた退治をお願いしたいと…。」

「いいわ、引き受けてあげるわ。」

「お、おい、詳細聴かずに承知しちまっていいのかよ。」
 乱馬は苦笑いしながら言った。
「仕方が無いじゃないの。魔物に困ってる人間が居たら、それを助けるのが天使の…。」
 と言いかけてはっとした。傍には村人が居るのだ。天使の身分を明かすわけにはいかない。
「えっと、魔物狩人の仕事じゃないの。…それに、ちょっとでも早く目的地へ行きたいしね。」

 随分短絡的な気はしたが、こうやってあかねは魔物狩人の仕事を引き受けることにした。
 詳細は隣村へ行ってからだと村人は言った。




「で、隣村ってどこなんだよ…。」
 乱馬は道を歩きながら、ぶつぶつとあかねへ声をかけた。
 歩けども歩けども、人家らしいところは見えてこない。
 それどころかますます山が深くなる。そんな様子だった。
「道、あってるんだろうな…。」
 乱馬は苛付いた言葉をあかねに投げかけた。
「うるさいわねっ!あんた、いちいち。」
 あかねは地図を広げながら、そう吐き付けた。
「あっちが西でこっちが南だから…。こっちでいいのよ。こっちで。」
 あかねは再び歩き始める。
「たく、俺に荷物全部押し付けやがって。気楽なもんだな、てめえはっ!」
 まだ乱馬はぶつぶつ言っていた。
「仕方がないでしょう!女の子の荷物は男の子が持つのが当たり前なんだし。」
「誰が決めたんだよ。そんなくだらねえこと!」
「それに、昨日の晩、あたしはあんたを村まで負ぶさって運んであげたのよっ!!あんた、メチャクチャ体重あるでしょう。何食べてたらあんな身体になるってーのよ。」
「へえ…。おまえ、一人で持ち上げたのか。俺を…。それはそれは、馬鹿力だなあ。」
「ぬ、ぬあんですってえっ!」

 何だか知らないが、道すがら、あかねは喧嘩腰になる。原因は乱馬の口の利き方が横柄なのと、人をからかうような口調に問題があるのだろうが。
 
「にしても、何であんたは天の大門へ行きたいのよ…。」
 あかねは道すがら乱馬に素朴な疑問を投げかけた。
「あんたの親父さんによれば、呪いってのを穿たれたそうだけど…。」
「畜生。親父の奴め。口が軽いや。」
「あら、今朝方、あんたも自分で言ってたじゃない。昨夜の子供の姿は呪いの姿だって…。」
「ああ、そうだよ。昨日は昼間に力を使いすぎたんだ。親父のせいでよ。」
「力?」
「ああ、天使の力だよ。それに、昨日は満月に近い月夜だったしな。俺、天使の力が不足してるとき、月の強い光を浴びるのはダメなんだ。」
「へえ…。変わった体質してるのねえ。」
「身体に穿たれた呪いのせいで、力を使い果たすと、小さくなっちまうんだ。昨日の晩みたいにな。」
「ふーん。」
「それだけじゃないぜ。ガキになると、やたら眠くなるんだ。まあ、ガキの身体と大人の精神のバランスが上手く取れねえせいだと思うんだけどよ。俺、昨夜は起きることなく寝こけてたんじゃねえか?」
「ええ、確かに、揺すっても起きなかったし…。」
「あーあ、我ながら、情けねえなあ。なあんも知らずに眠ってただけってよう…。」
「あたしの背中でずっと眠り続けてたんだから…。」
「はあ…。おめえの背中ねえ…。」
「何よ。その視線。何か文句でもあるわけ?」
「いや…。おめえ相当力持ちなんだな。…普通の女じゃあ、多分俺の身体は負ぶされねえだろうしな…。」
「まあね。あんたの親父さんにまんまと騙されて…。魔物に取り付かれていた男の方が、ずっと楽で軽かったわよ。」
「たく…。親父の野郎…。今度会ったらただじゃおかねえっ!お往復ビンタ、一発二発くらいですむと思うなよ。」
「あたしも殴りたい気分だわ…。」
 互いの顔をつき合わせて、玄馬への悪口をたたきつけふふっと思わず笑いたくなった時だった。

 乱馬がいきなり厳しい顔を手向けた。

「どうしたの?」
「しっ!…感じねえか。」
 乱馬は辺りの気を探っているようだ。言われてあかねも足を止め、全神経を研ぎ澄ます。

「な、何…この気の乱れ。」
「あっちの方角から流れ込んでくるな。」
「もしかして…。隣村?」
「かもしれねえ。急ごうっ!」
 乱馬は先に立って小走りになった。
「待って!」
 あかねも遅れまじと後に続いた。



「ふふふ、まずは第一段階と行こうか。お二人さん。」
 その様子を高い木の上から見ていた魔物が、にんまりと笑った。



四、

 乱馬とあかねは先を急いだ。
 おびただしい邪気が二人に流れ込んでくる。

「ちぇっ!魔物め。村を襲いやがったな。」
 乱馬の顔が途端、厳しくなった。
「みたいね…。じゃないと、この数は異常だわよ。」
 あかねも頷いた。
 先を急ぐ二人。
 谷の向こう側に集落を認めた。

「あれが隣りの村かな。」
「きっとそうよ、あそこから大量の邪気が流れ込んでくるわっ!」
「これは最初っから、ハードに飛ばしていかなきゃならねえかもな。」
 こくんと揺れるあかねの頭。

 彼らが予想したとおり、村の中は、騒然としていた。
 そこここから煙や火の手が上がっている。
 人々はと目を凝らすと、逃げ惑うものあり、放心するものもあり。
「もうちょっと急ぎ足で来るべきだったかな。」
 乱馬は傍らのあかねに言い放った。
「そのようね…。」
「そら、あっちから出てくるぞっ!」
 乱馬は視界の向こう側の大きなに建物に目を転じた。
「あれは教会ね…。」
 大きなクロスを認めるとあかねが吐き出した。

 と、リンゴン、リンゴンと教会の鐘の音が一斉に鳴り響き始めた。
 ゴゴゴゴっと音がして、逃げ惑う村人たちの表情が変わった。

「な、何っ!?」
 とその時だった。乱馬の横を逃げ惑っていた村人が、突然乱馬とあかねに対して飛び掛ってきたではないか。
「きゃっ!」
 あかねは思わずバランスを崩した。
「くっ!」
 乱馬は襲ってきた村人をさっと交わすと、転びかけたあかねの上体をぐっと捕まえて横へと飛び移った。
「一体、何が…。」
 あかねがそう躊躇している間もなく、今度は別の村人が二人に襲い掛かって来た。いや、それだけではない。今まで逃げ惑っていた人々の表情から恐怖が消え、代わりに激しい「憎悪」の表情へと転じ始める。

「何か変よ。村人たちがまるで何かに操られているみたいに、襲ってくるっ!」

 互いに背中合わせになり、二人は襲ってくる村人を素手で倒した。相手が魔物に憑依された人間とわかっているならば、武器や激しい術を使うわけにはいかない。
 仕方なく、当て身を食らわせることで、敵の動きを止めるしかない。
 その分、リスクが高い。

「結構やるじゃねえかっ!」
「話しかけないでっ!気が散るわっ!」
「へいへい。」

 二人で何人もの老若男女を薙ぎ倒していく。だが、敵は憑依された人間。倒れても起き上がり、再び襲い掛かってくる。

「畜生、これじゃあ埒(らち)があかないぜっ!」
 さすがの二人も、ゾンビの如く立ち上がる村人たちの相手には限界がある。
「本体を絶たなきゃダメってことねっ!」
 あかねも同意した。
「でもどうやって見つけるの?」

「あらかた予想はついてるんだ。付いて来いっ!」
「あ、待ってっ!」

 ひらりと身を翻して、襲い掛かってくる村人たちを薙ぎ倒しながら、走り出した乱馬をあかねは必死で追いかけ始めた。
 その間にも村人たちは、二人を襲ってくる。


「ふん!見当違いもいいところだな。所詮あの男も下級天使か。」
 ゾロが教会の鐘の上からせせら笑った。
「俺たちに操られた村人が溢れ出る教会から遠くへ行きたいだけなんだろう。なあ…。そろそろ俺はあの女の子の天使を食いたい。」
 そう言ってデロが舌なめずりをする。
「もうちょっと待ってろ。とにかく、下級天使とはいえ、二人ってのは気に食わない。昨夜のあの親父天使よりは霊力は弱いが、あのおさげの男の力を先にもぎ取らなきゃならねえみたいだな。」
「ちぇっ!面倒臭いな。」
「まあ、ご馳走を食べるにはそれなりの「仕込み」が大切だってことだろ?確実に獲物を仕留めるには、回りくどい方法を取らなきゃならねえこともあるさ。」
「わかったよっ!」



 乱馬たちは村人たちの奇襲を抜け、市場の外れにある広場へと突き進む。
 教会の屋根が遠巻きに見えた。

「あんたさあ、何なのよ。どうしてこんな場所へ?」
 あかねは息を切らせながらも、乱馬の後に従ってここまでやってきた。
「さてと…。悪いな。あかね。俺が力を解放するまで、ここで村人たちを食い止めておいてくれっ!」
 そう言うと乱馬はトンっと持っていた杖を広場の中央に立てた。
「え?」
 あかねは彼の行動を見守ろうとしたが、その時、追ってきた村人たちが、大勢雪崩れ込んでくるのが見えた。
「軽くぶっ飛ばしてやってもいいぜ。但し、力は加減しろよ。あかね。人間を殺しちゃ不味いからな。」
「何余裕ぶってるのよっ!」
「さっさとやらねえと、こっちがやられちまうぜ。」

 村人たちの目は魔物に魅入られた目に変わっていた。それぞれ手にスキやクワなどの武器を手に持ち、こちらへとじりじり近づいてくる。確かに、このままではやばい。
「もう、何が何だかわかんないけど、いくわよっ!」
 自暴自棄気味になったあかねは、もぞもぞと呪文を唱えた。
 それから、目をくわっと見開き、雪崩れ込んでくる村人たちに向かって術を解き放った。

「爆流波っ!」

 あかねの手先から飛び出した気は、爆風となって村人たちへと襲い掛かる。爆風で彼らを後ろへと突き飛ばしたのだ。生身の人間に使う術としては、ここらあたりが限界だろう。

「何やるのかしらないけど、とっとと済ませちゃってよねっ!!あんたっ!」

「あんたじゃねえっ!乱馬だっ!任せておけ。狙いは絶対外さねえっ!」
 乱馬は持っていた杖へ手をかけると、一心不乱に気を手中させていった。

(凄い、気…。こいつ一体何やるつもりなの。)

 あかねは村人たちへと爆風を放ちながらも、後ろの乱馬へと意識を飛ばす。やがて足元が雷同し始める。

「何…これ…。」

 とその時だった。乱馬が杖へと手をかけると、一気に教会へと気を打ち込んだ。
 彼の右の人差し指から解き放たれて行く。鋭い光は一筋の道のように、真っ直ぐに教会の方向へと飛び出して行った。



つづく




一之瀬的戯言
子供の乱馬と大人の乱馬・・・このプロットのソースは「クロノクルセイド」から頂いてます。脳内イメージは「ちびクロノ」と「悪魔クロノ」
あかねちゃんはロゼットに近いのかなあ・・・


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