◇ANGEL SEED   天使と悪魔


前篇

一、


 月が天上に白く浮かび上がる。
 吹き抜ける風は凍えるように冷たい。街道の木々はすっかりその葉を落とし、天に向かって枯れ枝を晒している。
 向かい風に思わず肩をすぼめながら、少女は早足で道を急いでいた。

「お嬢さん、こんな夜更けにどこへ行こうってんだい?」

 枯れ木の上から男の乾いた声が響いた。
 だが、少女は足も止めずに、そのまま先を急ぐ。

「なあ、そんなに急いだって仕方がねえだろ?どうだ?今夜はここで泊まって行かないか?」
 違った声が背後でする。
「へへへ、どうせ、先は長くはないんだ。」
「俺たちと遊ぼうぜ。なあ…。」
 順々に浮かび上がる魔物の声。

 少女は己に浴びせかけられる誘いの声に、耳を貸すことも無く、ただ、黙って足を動かし続ける。

「つれないなあ…。そんなに俺たちの相手が嫌なのかい?」
「だったら、せめて、その可憐な魂を俺たちに差し出せよ。」

 ざざざざっと風がざわめき立つ。

『逃しはしないさ…。久々の獲物はな!』

 複数の声が重なり、何かが蠢く気が逆巻いた。
 上空を照らしていた月は雲間にさっと隠れて、その光を失う。辺りは闇に包まれ行く。



「聖斬!(セイント・ソード!)」
 俯いた少女の身体から、白光の輝きが飛び出した。

「うわああああっ!」
「こ、これは…。浄化の気!」
「た、助けてくれえっ!!旦那様っ!!」

 三つの黒い霧が闇の中から浮かび上がった。ほうほうの体で逃げていく。
 彼らが向かう先には一人の男が立っていた。
 廃れた雰囲気から、一目で「異形の者」とわかる。
 三つの黒い気はそれぞれ大慌てで、その男の後ろ側へと回りこんだ。

「正体現したわねっ!こんの、魔物使い!」
 少女は着ていたマントを剥ぎ取ると、持っていた剣の切っ先をその男に差し向けた。
「ほお…。貴様、魔物狩人(モンスターハンター)か。面白い。丁度、退屈したいたところだ。相手してやっても良いぞ。」
 男は髭がぼうぼうのあごをなで上げると、にっと笑った。
「うるさいっ!雑魚はとっととくたばりなさいっ!!」
 少女は大きく振りかぶると、持っていた剣を一気に男目掛けて振り下ろした。

 ガガガガッと音がして、剣は男の眉間の手前で止った。

「くっ!」
 少女は止った剣を振り下ろそうと力を入れる。

「無駄だよ…。お譲さん。私の結界は女の細腕でくらいでは斬られはしない。どれだけおまえさんが、優秀な狩人だったとしてもな…。ふふふ、どうだ?ワシのこれにならぬか?」
 男は結界の中でにやっと笑いながら小指を立てた。
「久々に遭遇した、可愛い狩人さんだ。せいぜい可愛がってやるがのう…。この身体で。」

「ぐっ!!」
 更に少女は剣へと力を入れる。歯を食いしばり、力任せで斬ろうと踏ん張って。

「たく、諦めの悪い狩人のお嬢さんだぜ。ならば、おまえをその力ごと喰らってやろうかのう…。」
 男は結界の中でべろっと舌なめずりをした。異様に長い舌は、ピンク色の嫌な色を闇に浮かび上がらせる。
 と、男の身体の周りから黒い瘴気が流れ始めた。
「この黒い瘴気を浴びれば貴様は私の操り人形になる…。」
 そう言いながら霧状の瘴気を少女へと差し向けた。

「くっ!」
 少女ははっしと男を睨み付けた。
「無駄だよ、その剣は動くまい。斬ることも、鞘におさめることも…いや、その可愛らしい手を剣から離すこともできないのだよ…。ワシの結界の力でな。」
 すいいっと黒い正気は少女の周りを、取り巻くように流れ始めた。
「さあ、この黒いワシの瘴気に捕らわれて、その身体と心を私に捧げるんだ。そうすれば、おまえは私の物…。」

 黒い瘴気が少女の身体へと触れた途端だった。

「かかったわね。モンスター!」
にっと少女は男に向かって微笑みかけた。

「な、何っ?」
 男の身体が激しく鳴動し始める。
「か、身体が動かない…。」
 余裕があった男の声が焦りに変わった。
 黒い霧を引っこめ、身体を動かそうと足掻き始める。だが、男の身体から自由は奪われていた。

「あたしの力を甘く見るんじゃないわよっ!!でやあああっ!!」

 少女は一気に刀へと全身の闘気を集めた。

「うわあ。やめろーっ!!そんなことをしたら、ワシは…。」
 男の目は驚愕と恐怖に彩られ始める。
「天にまします御神よ、大天使ガブリエルの名の元に、悪に染まった魂をお返しします。…」
 少女は呪文のように御言葉を述べた。


「いやだっ!やめろーっ!!」
 その叫び声と共に、少女は持っていた剣へと気合を入れた。

 ぱああっと光が辺りの辺り闇を照らし出し、男の身体が暴発し、砕け飛んだように見えた。
 黒い塵がガラスの破片のように砕け、ぱらぱらと舞い落ちる。そして、次々に地面へと飲まれるように消えていく。
 残ったのは、冴えない若い男。よれよれになって気を失って倒れ込んでいた。

「たく…。あたしを舐めるんじゃないわよ!」
 少女はふうっと汗を拭うと、ちらっと倒れた男の傍らを見た。それからそこに落ちていた小さな丸い塊をそっと持ち上げる。どす黒い石炭のような玉だった。
「はあ…。やっぱり、下級クラスの魔物じゃあ、たかだか玉の価値もしれてるか。これじゃあ、先は長いわねえ。」
 ほおおっと溜息を吐くと、彼女はその玉を持っていた剣へと差し向けた。と、玉は剣の切っ先に触れると、乳発色に光り輝き、すうっとその剣先に飲み込まれるように消えていった。気配が消えてしまったのを確認すると、彼女はさっと一度だけ振って、それから腰の鞘へと納め入れた。チンっと剣が鞘に納まる音がすると、そのまま空気に飲まれるように剣が見えなくなった。
 それからくるりと背後を振り返った。怯えるように見る六つの瞳がそこへと蹲っている。主をやられた「使い魔」のようだった。
「ほら、あんたたちを縛っていた魔物(モンスター)は退治してあげたから。」
 少女はそういうと、にこっと笑った。
「月の光を浴びれば変化は解けるわ。」
 天上を覆っていた雲が、その声に呼応するようにすっと晴れ渡る。
 と、隠れていた月が雲間から覗き、怯える瞳の者たちを照らし出した。すると三つの黒い塊はそのまますうっと獣へと転化していくではないか。小さな黒い塊、狐へと変化が解ける。まだどこかあどけなさを残す子狐であった。
「もう大丈夫よ…。元の姿に戻れたわ。さ、お行きなさいな。人間や魔物の手に二度とかからないようにね。」
 少女の言葉に、子狐たちは各々、「ケン!」と声を上げると、さっと森の奥の方へと消えて行った。

「さてと…。」
 少女はすうっと立ち上がった。そして、狐たちが消えたのとは逆の方向へと目を転じた。


「ねえ、そろそろ出てきたらどうかしら?」
 と声をかける。そして、厳しい顔つきに変わる。
「あたしにはわかってるのよ。あなたがそこに居るっていうことは。」

 再び、張り詰めた冷たい空気が、彼女へと下りてくる。



二、

「どうするの?安穏無事で居たいなら、さっさとあたしの目の前に姿を現しなさい。それとも、さっきの魔物のように、この剣で退治されたいのかしらん?」

 少女は閉ざされた闇の向こう側を睨みすえて吐き出した。


「やはり、ばれておりましたか。そうまで言われては、出ざるを得ませんなあ…。はっはっは。」

 そう言って傍の茂みから現われたのは一人の中年男性であった。黒い装束。手には十字架を握っている。剃髪しているらしく、頭からは僧侶の頭巾をすっぽりと被っていた。
 少女はさっと身構えた。
「そう、釈迦力になって身構えなさるな。私は決して怪しい者ではありまぬから。」
 そう言って男はにっと笑った。
「どうだか…。この世で信じられないのは生臭坊主と怪しくないと言い切る人間よ。下級魔物の方がましってこともあるくらいだからね。」
「これはこれは、手厳しい。」
「そりゃあそうよ!あんた、ずっとテグの村からあたしのこと探るようにつけて来てたでしょう!」
 少女の目には怒気が宿る。
「ほお、そこまでお見通しでしたか。」
「お見通しも何も、気配を絶たずに、くっついてくるなんて、馬鹿にされたものだわ。」

「そう声を荒立てなさるな。これがワシの仕事でしたから。」
「仕事?」
 少女はきょとんと中年男性を見返した。
「申し遅れました。私は玄馬というしがない旅の修行僧。実は、先ほど、そなたさまが受けた魔物退治の依頼、本当に信じることができるものかどうか、村人たちに頼まれましてなあ…。見届けに参った次第でございますれば。…。」
「何ですって?テグの村人たちに頼まれてあたしを監視するのに付いて来てたんですってえ?」
 少女の目が変わった。
「いやあ、あの村人たちも、今まで散々にさっきの魔物に食い物にされて来たのでしょうなあ。もしかするとあなたがあの魔物とつるんでいるんじゃないかとか、このまま手付金だけ取って逃げてしまうんじゃないかと疑っておりましてなあ。そこで、丁度通りかかったワシにあなた様を見張るように依頼されたというわけですわ。あかね殿。」
 語尾に付けられた己の名前を呼ばれて、少女は、きっ、と玄馬を睨み付けた。
「あんた…。どこであたしの名前…。」

「何だ、ビンゴですかな。」

 玄馬はにっと笑って見せた。

「ビンゴって…。ひょっとして、鎌をかけたの?」
 あかねは更に厳しく問い質した。
「まあまあまあ…。私もこう見えて、一応「堕ちて来た天使」なんでね。私が降りる直前にも一人、若い天使が堕ちたってそれは天界でも評判でしたから。」
「あんたも「降天使」だとでも言うの?」 
 あかねは更に厳しく睨みすえた。
「天使にはそれぞれ、事情があって天界から人間界へと降りて来ますからね。あなたもそうなんでしょう?あかね殿。」
「え、ええまあね…。で、あなたが本当に天使だという証明は?」
「これですよ。ほら。」
 そう言って玄馬は腕をたくし上げると、すっと月明かりへと差し上げた。そこへ浮かび上がってくるのは「天使の証」でもある「刻印」。確かに「ドミニオン」の刻印があった。
「へえ、おじさん、ドミニオンなんだ…。」
 あかねは目を細めてその刻印へ見入った。
 天使にも身分階級はある。その力に応じて、九段階の階級に分けられている。
 ドミニオンとは上級の最下位。つまり、上から三番目の階級にあたる天使に与えられる称号だった。
「まあ、長年天使をやっておりましたら、このくらいの天使など、珍しいものではありませぬからなあ。はっはっは。」
 奢る風でもなく、人懐っこい笑顔を手向ける。
 月明かりは魔物や聖なる者たちの正体を明らかにする「聖なる光」が宿るとされている。だから、この明かりにかざされた「刻印」を偽造するのは、並大抵な魔力では行えない。だから、ある程度信頼もおける。
「でも、何であたしの名前まで知ってるのよ。」
 あかねは穿った瞳を玄馬へと差し向ける。
「おじさん、お父様とお知り合いなのかしら?」
 そう吐き出した。
「あははは…。鋭い方ですなあ、あかね殿は。貴殿の父、早雲殿とは確かに旧知でございますよ。」
「やっぱり…。父上の差し金で、あたしを連れ戻しに来たのかしらね。おじさんはっ!!」
 あかねの表情がだんだんと険しくなる。
「めっそうもない。早雲殿とは本当に大昔に知り合っただけの仲でございまするから。お連れ戻しになるなら、もっと強肩な方をお寄越しになりますよ。まあ、私がたまたま、降り立ったテグの近郊で「魔物狩人」をしている娘さんの名前が「あかね」と言いましたんで、もしやと思ってお尋ねしたまでのことです。そうお気になさいますな。」
 玄馬はそんな風に言い訳をした。
「それより、仕事が終わったのでしたら、さっさとテグの村へ帰りましょう。夜は冷えまする。それに、折角、魔物を退治したのですから、お互いに「駄賃」を頂かぬことには、この先の旅も続けられませぬぞ。」
「それもそうね…。」
 何だか上手く丸められたような気もしたが、あかねはこの場は玄馬という僧形の男のことを信じることにした。

「その前に…。」
 あかねは目の前に倒れ付している、魔物男をひょいっと担ぎ上げた。軽々とだ。
「一応、このままここへおっぽってく訳にもいかないし…。隙があったにせよ、魔物に憑依されていただけで、この人間には罪はないからね。一緒にテグの村へ連れて行きましょうか。って…。おじさん?」
 あかねは傍らに居た、玄馬の姿がないのに気が付いて慌てた。

「私ならこちらです。」
 ちょっと先の茂みの中から声がした。
「おじさん?」
 あかねは男を担ぎ上げたまま、ふいっと除いた。
「へ?…男の子?」
 玄馬はそこへ寝ていた少年に向かって声をかけた。
「こら!乱馬っ!さっさと起きろっ!置いていくぞ!!」

「んあ…?」
 少年は眠そうな目を擦りながらむっくりと起き上がった。だが、すぐにまた深い眠りに入る。
 年の頃合は十歳前後だろうか。
「仕方がない奴じゃなあ…。叩き起こすしか…。」
 そう吐き出した玄馬にあかねは言った。
「ねえ、おじさん。その子疲れ切って寝ているんでしょう?起こしたら可哀想よ。負ぶってあげたら?」
 当然な方法を提案する。
「なら、こうしましょう。そっちの男はワシが、あんたが息子を背負ってくれるのでしたら…。」
「お安い御用よ。」
 あかねは背中に背負っていた、魔物憑かれの男を玄馬に預けた。普通に考えても、大人の男よりも子供の方が軽いと思ったからだ。
 だが、それは「普通」の場合で、どうも今回は違うようであった。

「な、何よ…。この子。」
 気絶している男とは比べ物にならないほど重いではないか。
(もしかして…。このおじさん、始めっからあたしに背負わせるつもりで…。)
 そう思ってはみたが、後の祭りだ。
 玄馬に「負ぶう」と言った以上は、背負って歩かなければ成らない。責任感だけは人一倍強いあかねであった。
「大丈夫ですかいのう?」
 玄馬は含み笑いを浮かべてあかねを見返した。
「だ、大丈夫、このくらい、平気よ。」
 うんこらしょっとあかねは少年を背負った。
「でも、おじさん。何でこの子、こんなに重いのよ…。」
 ぐぐぐっと前に歩きながらあかねが問いかけた。
「まあ、あれですがな。わしら天使は人間とは違って、それぞれの力に応じて重さも変わるといわれていますじゃろう?それですよ、それ。わっはっは。」
 気楽なものである。


三、

 あかねは月の輝く夜道を、玄馬と二人、それぞれ背中に荷物の如く人間と天使の子供を背負って歩いていた。
 村までは数キロといった距離であろうか。半時間も歩けば着くであろう。そこへ到着さえすれば、温かい食事と寝屋にありつけるはずだ。
 重いのを我慢しながらあかねは少年を背負って歩みを進めた。
「ねえ、おじさん。どうして、こんな男の子と二人で人間界で旅をしているの?見たところ、修行僧の親子に見えはするけれど。「ドミニオン」なら人間界で修行を積まなくってもいいじゃないの。」
 退屈しのぎにあかねは玄馬に語りかけた。
「人間界へ降臨する天使にはいろいろな理由がありますからな…。まあ、あれですな。あかねさんも何か事情があって、天界から降下して来られたんでしょう?見ましたぞ。さっき…。魔物の玉をその剣へ取り入れなさった。」
 玄馬は自分への問いをそのままあかねに投げ返した。

「まあね…。多分、おじさんと同じよ。目的はね。」
「では「契約の破棄」を申し出るために?」
 こくんとあかねの頭が縦に揺れた。
「見たところ、何不自由ない娘さんに見えますがなあ…。どんな契約を破棄するために、わざわざ。」

「結婚の約束よ…。それを破棄するために。」

 投げ捨てるようにあかねは言った。

「結婚?あんれまあ、そんな若いみぎりでもう、決まったお方が居て…。不良天使か何かですか?性格の不一致とか…。」

 あかねの顔が一瞬ひきつった。苦笑いがこぼれたのだ。
「違います…。まだ結婚はしていません!」
「ほお…。では、ご両親の代わりに離婚届でもご提出に?」
「それも違います…。正確には「婚約の破棄」になるのかしらね。」
「婚約…ですかな?」
「ええ、婚約。父親が勝手に決めた婚約の契約を破棄してもらうために、どうしてもミカエル様のところへ行かなければならないの。」
「ミカエル様のもとへですかな?」
「そうなのよ!お父様ったら、何を血迷ったのか、ミカエル様に「契約書」を預けてしまわれたんですもの!!」
「たかだか娘御の結婚に、ミカエル様に申し出をですかな?」
 玄馬の目が大きく見開かれた。
「ホント、親馬鹿なんだから。相手の親も親なのよね!ミカエル様にお目通りしたときに、直々に契約書を受理していただいて祝福まで受けたみたいで…。」
 だんだんとあかねの鼻息が荒くなってきた。
 背中の少年が重かったせいもあるかもしれないが、旅の目的を思い出しただけで「ムカムカ」と来たのだろう。
「そんなに親の決めた結婚に従うのは嫌なので?」
 玄馬の問いにあかねは大声で答えた。
「嫌よ!嫌に決まってるじゃないのっ!!」
「あかねさんはその相手に会われたことは?」
「あるわけないでしょうっ!!会いたくも無いわっ!!何が親の決めた結婚相手よ!そんなの絶対に打ち破って見せるんだから!何年かかっても!!」
「親が決めた相手というのはそんなにも嫌なものなのですかねえ…。」
 玄馬がちらっとあかねを見上げた。
「本当!親の考え無しの身勝手な契約破棄のために、何であたしが巻き込まれなきゃならないのよ!迷惑な!!」
「なるほど、それで、「天の大門」を開くために、その剣に魔物の魂を浄化させていく必要性があるのですかな。」
「まあ、そういうことね。私たち下級の天使が、天の大門を開く方法はただひとつ。人間界に出没する魔界の者を浄化し、その清められた魂を剣に集めて蓄え、それを持って大門を打ち破る。それしかないでしょう。」
「だから、人間界に降りて来なすったと…。」
「そういうことよ。」
「で、おじさんは?親子で人間界なんて珍しいわね。」
 あかねはちらっと玄馬を見やった。
「私たちも、ミカエル様にお会いするのに天の大門を開かねばならぬことがありましてな。」
「やっぱり契約関係?」
「私の場合は契約関係ではないんですがな…この息子のことです。」
「息子さんねえ…。」
 背中でこくんと少年が揺れた。すやすやと健やかな吐息があかねの耳元に吹きかかる。
「不注意から悪魔の呪いを受けてしまったんですよ…。この息子がね。だからどうしてもそれを解いてもらわねばならず。」
「へえ、悪魔の呪いをねえ…。」
「ワシの力だけではままならず。そういうこともあって、「天の大門」を開く力を蓄えるために、こうして旅を続けておるわけですわ。」
「なるほどね…。で、どんな呪いを受けたの?」
「まあ、そのうちわかりますよ。それより…。ほら、村の明かりが。」
 玄馬は前方を指差した。
 暗い街道筋の先に、確かに人家の明かりが複数、見え隠れしている。
「よっし、あとちょっとね!」
 あかねは俄然馬力を上げて歩き出した。背中の少年は何も知らずに眠り続ける。



 彼らのすぐ近く、枯れ木の上でひそひそとささやき声が漏れる。人影とも獣とも鳥とも言えぬ、異形の人間が二人そこに立っていた。一人はでぶっちょで一人は痩身の魔物だった。
「なあ、ゾロ、あの女か?ガロを殺った奴ってよう。」
「ああ、そうだ。デロ。良く鼻を効かせてみろ。あの女の衣服から、ガロが今際に流した黒い血の匂いが漂ってくるだろう?」
 ゾロと呼ばれたそいつはそう言いながら目を光らせた。
 デロは言われてクンクンと鼻を動かしてみた。
「本当だ。ガロの悔し涙の匂いまで漂ってきやがるぜ。で、あの娘が「天使」だっていうのも確かなんだろうな。」
「ああ、それもさっき、確かめた。人間の形をしてはいるが、鼻持ちならねえ天使の匂いは完全に隠しとおせるものではないからな。羽は見えないが、天界の甘ったるい匂いがする。」
 にいいっとデロが笑った。
「そいつはいいや。天使を喰らったら、どれだけ魔力が増大するか…。こいつは試す価値がおおありだな。うまく行けば、階層がひとつあがるかもしんねえ。」
「相変わらず、食いしん坊だな、デロは。…肉体はてめえにくれてやるが、魂は俺がいただくぜ。」
「おお、いいとも。魂なんか、軽くて腹が満たせねえからな。おいらはあのふっくらとした胸や尻に喰らいつくほうがいいぜ。せいぜい恐怖で怯えさせて、肉を引き締めて…。いけねえ。もうよだれが出てきやがった。」
「ふん。おまえは質よりも量か。まあ良かろう。ワシは魂の方が好物なんでな。」
「で、いつ殺るんだ?」
 デロが逸る気を抑えて尋ねて来た。
「明日の晩だな…。もう一人、怪しげな僧侶の天使が居るからな。あいつがあの娘と別れてからで良かろう。天使二人を相手するのはさすがの俺様でもきついからな。」
「でも、あの親父天使…。これからずっと一緒に行動するなんてことは…。」
「ないな。」
 ゾロは吐き捨てるように言った。
「何でわかる?」
「人間界を表労している天使は、それぞれ仲間のようであって、そうではないんだ。お互い、一人でも多くの魔族を倒して魂を浄化するのが目的なんでな。競り合うことになるから、つるんで動くことはまず無いと言って良かろう。」
「へ?」
「頭悪いなあ、てめえは…。だから、魔族の魂を奪い合うライバルってことになるんだぜ。天使は無駄な争いはしたがらねえからな。だから、別々に行動するようになるさ。」
「なるほど、そういうものかねえ。」
「そういうものだよ。」
「で、どうやってあの子を襲うんだ?」
「まあ見てろ。俺に考えがある。そのとおりやって、天使の力を封じてやれば、簡単に倒せるってもんだ。」
「兄貴の知恵には期待してるぜ。」
「おまえも手伝えよ。」

 そう言うと陰はすっとその場から消えうせた。



つづく




「クロノクルセイド」からかなり影響を受けてます(笑
乱馬がクロノ風。すなわち、一之瀬の好みなんです(笑
一度は書いてみたかった「天使あかねと悪魔乱馬」。妄想が広がるとこんな作品に・・・という見本。
シリーズで書く予定は今のところないんですが・・・。はあ、妄想癖。

なお、この作品を仕込むに当たって、息子(当時・高2)からプロットアイデアを貰いました。ありがと、息子ちゃん。


(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。