巻五 斎宮

一、

「そは誠でございますか?」

 あかね姫に仕えるお婆は使いの者の顔をじっと眺めて震え戦慄いた。
「嘘偽りはございませぬ。あかね姫の病状も回復成されたとのこと・・・。御参内し、改めて勅命(ちょくめい)を賜りますよう。」
 使いの者はそれだけを言い置くとそそくさと帰って行った。

(遂に、恐れていた事が現実になられやったか・・・。)
 お婆はへなへなとその場へ腰を落とした。

 あかね姫の宮家へやってきたその勅使は、姫が「斎宮(いつきのみや)」に卜占されたことを知らせてきた。天皇の命令である勅命である、
 斎宮とは未婚の内親王の中から占いで選ばれる天皇家の巫女であった。天皇が即位するごとに新しい斎宮が立てられる習しになっている。そして天照大神の御杖代として遠く伊勢の地へと下向してゆくのである。
 「日本書紀」によれば、崇神(すじん)天皇の御世に豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が初めて斎宮に立てられ、続いて倭姫命(やまとひめのみこと)が初めて遠く伊勢まで下向し、現在の伊勢神宮の基盤を作ったと伝承されている。真意の程はまだ確認されていないが、この伊勢神宮の祭祀に奉仕する内親王を斎宮と呼び、後にその居住地を現在の明和町の斎宮地跡へと遷された。この制度が整備され確立されたのは七世紀末、天武天皇の時代の斎宮、大来(おおく)皇女の頃である。
 斎宮は古来、未婚の皇女が勤めてきた。それも多くの場合は卜占で選ばれた。
 斎宮に選ばれることは栄誉でもあったが、同時に「女」であることを捨てることも意味していた。
 専ら清めて神に仕える身の上。結婚はおろか恋をすることも許されない。勿論、斎宮が住まわれる斎宮寮の内院は男子禁制である。
 斎宮の解任は、天皇が交代することと、身内が没して喪に入ること、又は自ら男と密通し斎宮としての資格を失うこと。これ以外に手立てはなかった。
 あかね姫の場合、母はもうとっくに逝去しており、父は天皇。そう、斎宮に立たれた後は父である天皇が逝去されぬ限り任を解かれる望みもないだろう。
 勿論あかね姫も卜占で選ばれたのであるが、その後ろに後宮の陰謀が多々張り巡らされていても不思議はない。今回の卜占も八方翁が担当したに相違なかった。
 花の盛りの十代後半。無下にも斎宮寮で美しき花をひっそりと咲かせなければならないのだ。

「異存はございませぬ。それが御勅命でございますれば、身を清めて全うするのみ。」

 知らせを受けたあかね姫は淡々としていた。
 その美しさはますます磨きが係り、誰もが伊勢下向を惜しまれる。そんな気高い美しさを称えていた。
 あの日から恋はしないと決めていた。
 そう、早乙女の君が炎の中に消えた春の宵から。
 告げることなく終わった初恋は、とっくに胸の奥へと沈めていた。
 誰もが聞き疑った早乙女の君の宮家炎上。噂によると、盗賊集団「疾風」の仕業だと言う。あかね姫は耳を疑った。 
(乱馬がそんなことをする筈が無い。)
 ずっとそう思って夏まで過ごしてきた。
 季節は春から夏に移ろい、梅雨のじめじめした毎日が宮中を重苦しく締め付ける。
 乱馬は、あの日、あかね姫へ薬草を口移しで飲ませてくれたあの夜からぷっつりと音信を絶ってしまった。乱馬と早乙女の君が重なったあの夜。あかねはまだ忘れられずに胸へと抱いていた。
 あれは幻だったのか。
 あれだけ出していた高熱はあの薬のお陰でぱったりと下がった。心に広がっていたもやもやも消えた。 
 見舞いにやってきた人々や看病をしていたお婆が驚くほど順調に回復した。
 だが、闘病の途中に知った、早乙女の君の災厄。
 死体は終ぞ見つからずであったという。母君と共に、立ち昇る炎に焼き尽くされてしまったのだろうと人々は行方知らずになった君を惜しんだ。

「あかね姫・・・。」
 勅命を受けた後、内裏から下がるときに声を掛けられた。
 九能皇子であった。
「何か・・・。」 
 あかね姫はきっと彼を見詰めて言った。
「この度はおめでとうございます。」
 満身の皮肉を込めて九能皇子は言い放った。
「ありがとうございます。これで何の惜しむらく私も生まれ変わることができまする。」
 あかね姫はきりっと言い放った。
「何・・・。ほんの数年、いや数ヶ月の辛抱でありましょうぞ・・・。」
 声を落として九能皇子が言った。
「な・・・。」
 あかね姫は血相を変えて九能皇子を見詰めた。
「姫が都へ戻られる頃には、全ての物が我の手に収められておりましょうぞ・・・。」
 九能皇子はゆっくりと言葉を滑らせた。
「なんと恐れ多いことを・・・。」
 あかね姫は震えながら言葉を継いだ。
「既に政敵いや恋敵になりそうな邪魔者は消えました・・・。今また、他の虫が近寄らぬように、後宮の華は斎宮に・・・。くく。これで後は皇位が私へと移ろえば・・・。せいぜいお身体に気をつけて任務を果たされるがよい・・・。私は狙った獲物は逃がしませぬ。皇位も后も。ふふふ・・・。」
 不気味な笑みをあかねに手向けた。舐めるような視線であかね姫の身体を見つめた。
 斎宮の任を解かれた姫を后に迎えた例もあった。母の喪に服するために任を解かれた「徽子(きし)女王」などの史実もある。彼女は請われて村上天皇の女御になった。後に紫式部が彼女をモデルに「源氏物語」の梅壷を書いたのは有名な話である。
 あかね姫は身の毛がよだつのを隠せないで居た。この九能皇子ならやりかねないと思ったのだ。彼の後ろには母の正妃がついている。権力好きなこの正妃は、夫たる今上天皇を蹴落としてまでも牛耳りやすい九能皇子を皇位に据えるというのか。政の中央は血塗られどす黒く汚れきっているというのだろうか。
 九能皇子は言いたいことを言ってしまったのだろう。扇をで風を送りながらくるりと背を向けて上機嫌で行ってしまった。
 その後姿をあかね姫は激しい憎悪と共に見送った。
 或いは、恋い慕った早乙女の君に手を下したのも、九能皇子なのではないかという猜疑心が湧き上がってくる。
 もしそうだとしたら、乱馬も或いは。

 盗賊たちは都から姿を消した。
 あの炎上の日を境に、都を我が物顔で荒らしまわっていた「疾風」は行方を閉ざした。人々の噂によれば、「疾風」たちが巣食っていたと見られる都の南の集落はもぬけの殻になっており、検非違使たちが踏み込んだ時、人っ子一人見当たらなかったと言う。
 あの早乙女の君の館の炎上と共に消えた盗賊集団。噂好きな都の人々は口々に「疾風」の仕業と囁きあった。
 たとえその噂の真意がどうであれ、早乙女の君はもう存命しては居まい。
 九能皇子は愉快そうにそう笑っていたと言う。
 炎上したのははからずしも異母弟の君の館なのにである。

「ねえ、乱馬・・・。あなたは言ったわよね。常にわらわの傍に有る。そして守ると・・・。生きているの、それとももう・・・。」
 あかね姫は乱馬が残したたった一つの形見を手に取った。それは、彼女が助けたお礼にと持ってきたあかね草を干して作った煎じ薬の入った巾着。その中には茜色に輝く小石も一緒に入れてある。乱馬から貰った美しい石だ。
 それをぎゅっと握り締めて居なくなった友と愛した人の幻影を追うのであった。


二、

 斎宮となった姫の家では、四方に木綿と賢木を飾った。お婆はそれを眺めながら脱力したように肩を落としていた。
 間もなくあかね姫は宮中へ立てられた初斎院へとその身を遷し、そこで身を清めながら斎宮としての教育を受ける。もう、俗世間の姫とは違っていた。
 そうして季節は巡り、また春へと移ろう。
 勿論、宮中の奥深い初斎院へ半ば幽閉されたような生活をしている。周りから男たちは完全に排除され、簡単には近づけない。その後姿すら、殆ど人目に曝すことはなかった。
 それはそれでいいとあかね姫は思っていた。 
 流石にあの九能皇子すら近寄れない。
 幾久しく、この静かな日々が続けばいいと思っていたのである。
 もう、あの乱馬との楽しい日々や恋した日々はずっと大昔の思い出になっていた。だが、青い空に棚引く雲や飛び行く鳥たちを見るごとに、自由への惜別を思わずにはいられなかった。

 いつしか桜が咲き乱れ、その花を美しく散した。柳は一斉に芽ぶき、新緑を迎え、そしてしとしとと雨が降りこめる季節となった。

 葉月。

 あかね姫は宮中の初斎院から野宮へと遷ることになった。この野宮で来年の八月まで身を清めながら更に斎宮としての心得などを学んでゆくことになるのだ。
 あかね姫の野宮は嵯峨野の小倉山の近くへと定められた。あの有名な小倉百人一首の勅撰をした場所。その小倉山を背に受け、静かな隠遁の生活は続いてゆく。
 山が赤く紅葉し、そしてまた、新しい年を迎え、水ぬるむ春が来た。
 あかね姫は、十七歳になっていた。当時は数え年を使うので、勿論今でいうなら十五歳といったところだが、彼女の美しさはますます磨きがかかり、神々しい姫君へと転身を遂げていた。時々であったが人々の噂の端々に上るようになっていた。

「もうぼちぼちいいのではないか?八方翁。」
 ある夜、九能皇子は母と共に、宮の奥深く八方翁をこっそりと招き寄せた。
「おまえの言いつけ通り、二年の月日が過ぎ去ったぞ・・・。そろそろ我はあの気高く美しいあかね姫をこの腕に抱きたい。」
「九能皇子、余程あの姫君がお気に入りのご様子でございますな。」
 にんやりと八方翁が笑った。
「まあ、それも無理らしからぬこと。かの姫の美しさは、斎宮になられてますます光輝いておられまするでな。ほーっほっほっほ。」
 八方翁は愉快そうに笑った。
「八方翁。このままではかの姫は八月には伊勢へと下向してしまうぞ・・・。そうなると、やいそれと呼び戻すのも面倒じゃ。もう一つの企ての方は如何になっておろうか?」
 正妃もちらりと八方翁を見やった。
「何・・・。着々と進行中でございますれば・・・。ぼちぼち症状も現れてきましょう。我が今し君にお飲ませいたしております妙薬は、じわじわと身体を浸透し、汚してゆくのでございますれば・・・。」
「あと如何ほどかかるのや?」
 正妃の問いに、八方翁は答えた。
「そうでございますなあ・・・。桜が散りぬる頃までには・・・。すっかりと・・・。」
「もう少し急いでくれぬか?」
 九能皇子は身を乗り出した。
「・・・・・・。急いては事を仕損じまするぞ・・・。」
 八方翁はじっと九能皇子を見返した。
「おまえほどの陰陽師だ。半月ほど早めてもたいした影響はなかろうて・・・。おまえの野望も叶えてやろうというものを・・・。」
 九能皇子はくくっと笑った。
「我の野望・・・。この都大路に我が崇める邪神さまの仏閣楼を建てることでござろうかな?」
「ああ・・・。そうじゃ。場所も決めておるぞ。あの憎き早乙女の君を焼き滅ぼした宮跡じゃ。どうだ?痛快であろう・・・。」
 八方翁はにやりと笑った。
「かの地なれば、我が願い事も叶ったと同じ、邪念が染み付きやすき土地。早乙女の君の魂も浮遊しておろう。」
「そうじゃ・・・。お主とて、この都に邪神さまをお招きし、我と新たな立国をせしという野心、早く達成したいだろう・・・。どうじゃ?」
 九能皇子は身を乗り出した。
「天皇は九能の君に。そして、その正妃は汚された天照の巫女、斎宮。そして、邪神を崇めるのは早乙女の君の絶命したる土地・・・。これは愉快じゃ・・・。」
 八方翁の目は妖しく光り輝いた。
「天皇を呪詛し、そして一気にこの世界を我が手に握る。そして、一気にあの斎宮へ雪崩れ込み、清められた乙女をかき抱き天地を支配する。おもしろいではないか・・・。」
 九能皇子は舌なめずりをすると、杯を八方翁へと差し出した。
「清められた斎宮をその手にしたとき、我が野望も共に果たせまする・・・。天地鬼神すべてがワシに平伏し崇める。ほほほ・・・。」
「では、八方翁。」
 正妃がにやっと笑って振り返った。
「三日後・・・。月の力が満天に輝く満月の夜に・・・。如何ですかな?」
「そは愉快。」
「くれぐれも気取られませぬように・・・。」
「なあに、都大路広けれども、我が呪詛を跳ね返せる霊力者など居らぬわ。」
 八方翁は高らかに笑った。

 恐ろしきは陰謀。
 
 そんな悪しき思いが世にはびこっていることなど露知らず、あかね姫は今日も野宮での平穏な清き生活を終えていた。
 空には満月に近い月が美しく赤く輝いている。
「そう・・・。あれから、もうすぐ二年になるのね・・・。早乙女の君と乱馬が消えてから。」
 もうすっかりと忘れかけていた亡き人々の横顔が月へと浮かんでは消える。
 流す涙はとうの昔に枯れ果てた。
「想いはいつしか色褪せてゆくものなのかしら・・・。それとも・・・。」
 長い溜息が口を吐いて流れる。
 また巡り来る春の訪れにあかね姫はその身を持て余していた。時間はあまりに悠久に流れる。



 その頃同じ月を見上げて感慨にふける一人の若者が居た。

「帰って来たぜ・・・。やっと・・・。」

 若者はこっそっと呟いた。
「長かった二年・・・。決して無駄な年月だったとは思いませぬ。さあ、存分に暴れなされ。」
 その傍でにっと笑う上背の男。
「ああ・・・。そのつもりだ。奴らの陰謀を砕き、今度はこの腕に彼女を掴み捕る。誰のためにでもなく、そう、己自身と、明日のために・・・。」
 男は長いおさげをゆらゆらと垂らしながら、遥かに懐かしき都を見下ろした。


三、

 男たちがまず向かったのは都大路の南の果て。
 もぬけの殻にしたまま後にした懐かしき盗賊たちの住処だった。
 二年の月日はこの集落をすっかり砂塵へと変えていた。が、まだそこここに痕跡はある。というより、どこから流れてきたのか、乞食(こつじき)たちが住み着いていた。
「殺風景なのは変わらねえな・・・。」
 おさげの男は相棒へ告げた。
「まずは・・・。女へ変化なされよ。その顔では面が割れてしまう。油断しているとはいえ、奴らの結界に触れると気を悟られますぞ・・・。早乙女の君。」
 上背の男はにやっと笑った。
「その名はもう捨てたと言ったろう?いや、奴は火に焼かれて死んだのだ。俺は乱馬・・・。そう、早乙女乱馬と今日から名乗る。」
 にっと笑って男が相棒を嗜めた。
「どうぞお好きに・・・。それより、ほらあそこ・・・。」 
 指差す方向に、二人の大男が横並びに寝そべっていた。
「玄馬っ!早雲っ!久しぶりだな。」
 東風はその塊ににじり寄った。
「おお、東風殿?やっと帰って来られたか・・・。」
「そちらの若い輩は?新しい弟子かの?」
 口々に二人は東風へ問い掛けた。
「いや弟子などではない・・。我らがお頭じゃ。玄馬。」
 東風はにっと笑って二人を見返した。
「お、お頭だあ?へっ!ワシらのお頭は女子(おなご)じゃ。男(おのこ)ではないぞよ。」
 と二人ともてんで取り合わない。
「くおらっ!玄馬っ!よっく見やがれっ!」
 乱馬は彼の禿げ上がったあたまを鷲づかみして顔を向けた。
「何処から見ても、女子じゃが・・・。」
「なら、これでどうだっ!!」
 乱馬は傍らにあった井戸へ駆け寄ると、中から水を汲み上げてざんぶと被った。
 そして、女へと変化を遂げる。
「はっ!お、お頭っ!!」
「こ、これは・・・!!」
 玄馬と早雲、双方の顔色がさっと変わった。当然だ。今まで偉そうに侍っていた男がいきなり女に変化したのだ。驚いて後ろへと倒れこんだ。言うまでもあるまい。
「お・・・、お頭。その格好。」
「お、お頭。いつ男へ変化なされましてでご、ござりまする?」
 口をパクパクとさせて見入った。
「今まで隠してきたが、俺は本当は男だ。八方翁に呪詛されて呪いを穿たれ、変化する身体になってはいるがな・・・。そうれっ!」
 乱馬は火にくべてあった煮え立つ湯を少し井戸水で差してさますと、ざんぶと頭から被りなおした。
「お・・・。お見事・・・。」
 二人の手下は腰をぬかしながら乱馬を見上げた。
「今日から俺は、元の男で行動する。名は、早乙女乱馬だ。覚えておけっ!玄馬、早雲っ!」
「は、ははっ!!」
 大慌てで平伏する。
「乱馬・・・。いいのか?その姿に戻って・・・。」
 東風がにっと笑って振り返った。
「ああ・・・。いい。俺はもう、前の自分は捨てたって言ったろ?これからは元通りの姿で、それで堂々と生きる。その為に修業した。違うか?」
 東風を見返す。
「強くなったな・・・。それでこそ、本当の天皇(すめらみこと)の血統を引きし皇子だ。ははははは・・・。で、早雲、玄馬。宮中の動きはどうだ?」
 東風は早速情報を収集し始めた。策士らしい心配りだ。まずは、都の、いや、敵の動向を知ることは戦術を企てる第一歩に違いあるまい。
「今は、八方翁が都中の陰陽師を終結させて何やら興国の護摩焚きをするとか言って昨日辺りから宮中、町屋と騒がしいことこの上なくですな・・・。」
「興国の護摩焚き?」
 聴き慣れぬ言葉を東風が目を光らせて問い正した。
「明日は、宮様が斎宮へと上がられる清き日だとも伺っております。」
 玄馬が言い足した。
「変な動きだな・・・。斎宮へ参内される日に護摩焚き・・・。ま、まさか。」
 乱馬は東風のしかめっ面を横から仰ぎ見た。
「ああ・・・。多分、呪詛する気だな・・・。折りしも明後日は陰の呪力が最高に高まる満月だ。」
 東風は腕を組み上げながらそう吐き出した。
「良かった・・・。奴らの企てに間に合うように戻ってきて・・・。」
 乱馬は苦々しく言い放った。
「これからどうするので?お頭・・・。」
 早雲が乱馬を見詰めた。今しがたの変身を見せ付けられてもまだ、信じ難いと言うような顔つきだ。
「とにかく、奴らの企てを阻止することが第一だな・・・。奴め邪神の本性を現しやがった。」
「邪神か・・・。この世を妖しき力で妖魔を繰り出す世界にしたいらしいな・・・。」
 乱馬は東風に同調した。
「奴の狙いは清き巫女をその手で汚すことにある。おそらく、九能皇子はあかね姫を手にすることはないはずだ。あの翁、あかね姫を喰らうつもりかも知れぬ。」
 東風は静かに言い放つ。
「喰らう?」
 玄馬と早雲がきょとんと見上げた。
「ああ・・・。斎宮と言えばこの国随一の清き魂を持つことになる。まだ、不完全ではあるが、彼女にはその気力が充分すぎるほど備わっている。邪神の狙いはそう斎宮だ。その清らかな魂を食らうことによってその邪心を増殖しようとしているのだ。九能皇子はその横恋慕を利用されているだけに他ならないだろう・・・。」
「我々には難しすぎてさっぱりと・・・。で、斎宮さまが喰らわれるとこの世はどうなりますので?」
 玄馬がおずおずと尋ねた。
「この世は魑魅魍魎で溢れかえる。奴は邪神たちをこの世へと導きたがっているんだよ・・・。奴、八方翁の考えそうなことだ。」
 東風は苦虫を潰したように言い放った。
 乱馬には良く分からなかったが、どうやら、この東風と八方翁には何か経緯(いきさつ)があるようであった。乱馬に掛けられた呪詛を跳ね返したのも彼ならば、今回の気の乱れを察知したのも彼である。
「それで、早乙女の君・・・。いや乱馬、あなたはこれからどうします?」
 東風は細い目をぎらぎらと輝かせながら乱馬を見返した。

「そんなこと、決まってる・・・。」

 きっと前を静かに見詰めた。低い声は乱れも無く涼やかであったが、凛とした決意と闘志が感じられた。

「八方翁と真っ向から対決なさるのですな・・・。斎宮・・・いや、あかね姫を守るために・・・。」

 それには返事をせずに、乱馬はじっと燃え盛る炎を眺めていた。



つづく




「斎宮」=いつきのみや 又は さいぐう と読みます。
個人的には前者の「いつきのみや」の方が好みなので、この作品ではそう読ませております。


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