◇君よ知るや南の楽園


 第一話 漂着



 何処間でも続く広い海原。空の青さを照らし出して輝く。
 ここは太陽は衰えることを知らぬ常夏の島国。
 いくつかの島が海の中に浮かび、その周りを美しき珊瑚礁の棚が周りを取り囲む。人が住んでいる島もあれば、無人のままに手をつけられない聖域の島もある。
 俺たちが住んでいるのは、周囲が七キロほどのこじんまりとした島。その中に、いくつかの集落があり、数百人ほどの一族が肩を寄せ合って暮らしている。
 小さくも無く、大きすぎも無く。丁度いい具合の共同体だ。
 俺の名は乱馬。
 村の長老に言わせたら「生意気盛りな青二才」。
 青二才ならまだましな形容の方かもしれねえ。勿論、若いということは俺だって自覚しているさ。これから「成年式」を迎える、青年としてはまだ一番最下層のガキだ。
 そうなんだ。
 俺たちにとっては、「成年式」を迎えるということが即ち、「大人」として認められるということだった。身体の発達だけではなく、精神的にも認められる年齢に達っしたと見なされる。それが十六歳。
 また、「成年式」は俺たちの社会にあっては年に一度の一大イベントだ。近隣の小さな島から成人となる男たちが集まってきて、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎ。この日のために命を燃やし尽くすような奴も居るから、決して侮れない。
 他の社会から見たら、目を背けたくなるような「奇行」「風習」があるのだろうが、海に生きる俺たちの社会にあっては、必要不可欠な儀式となっている。長い年月を経て積み上げられてきた「しきたり」は、なかなか崩せたものではない。
 別に男尊女卑の社会ではないのだが、この島国の「成年式」の主役は俺たち男となる。
 この時節になると、俺と同じく成年式に臨む男連中は、何かと浮き足立ってくる。男としてひとり立ちを認められるということは、「嫁」を娶れるということにも繋がる。嫁を娶るという行為は、同時に、子孫を伝えてゆくという生物学的にも重要な役目も担えるということだから、それぞれ力が入ろうというもの。中には幼馴染みと口約束していて、成年式を迎えた途端、結婚という純愛一直線カップルも居ないではないが、そういうのは僅かな例にしか過ぎない。殆どがまだ見ぬ恋の相手に想いを馳せる。
 いくつかの島がある中で、毎年、成年式の中央会場となる場所は変わる。まあ、人が殆ど居ないような小さな島は別として、だいたいは数百人の単位で適当な島に住んでいるから、毎年順番で「世話役」みたいな「当番」を巡回させているのだ。この辺りは十幾つかのそこそこの大きさの島が点在しているから、その数分だけの年数を経て回ってくる計算だ。
 今回の世話役は俺の生まれ育ったこの「早乙女島」だ。
 まあ、結婚するにも、同じ島の人間同士だと、すぐに血縁関係が濃くなるから、こうやって会場を回すことにも意味が或る。島の若い娘っ子たちも、成年式の日は浮き足だってくる。勿論、他の島からも、今回こそと思う娘たちは、カヌーを漕ぎ出して集まってくる。成年式を迎えるいい男を射止めようという魂胆も絡んでくる。
 そんなこんなで、その日は島中が、いや、この島国一帯が大騒ぎになるって具合だ。
 俺たちの社会では「結婚」はかなり自由だが、「成年式」の聖なる夜に結ばれる男と女は幸せになるという一種の言い伝え」みてえのがあるから、始めて交わりと持とうとする男と女にとって「成年式」の晩は特別な意味を持つことになる。

 俺か?まあ、ぼちぼちだな。
 無論、全然興味がねえってわけじゃない。その辺りは健康的な男児ではあった。
 が、好きな奴も今は特に居ねえ。

 女の場合は、月のものが始まる頃合が成年として認められることになる。それは各人それぞれに時期が違うので、俺たち男の「成年式」のようなドンちゃん騒ぎにはならない。ごく個々の家庭や一族単位で祝われることが多いのだ。
 成年式が近づくと、年頃の女の方も、少しづつ色づいてきやがる。そろそろ子供を産める年齢に達した女たちは、しきりに気に入った男連中に色目を送る奴も居る。
 この社会、何人もの女を侍らせる強い男も居ないではなく、一夫多妻も認められていることではあったが、俺としては、最初の女こそ、生涯の唯一の伴侶と何となく決めていた。
 だから、ゆっくりと選ぶつもりだ。
 何しろ、俺の子孫を後世に伝えてもらう重要な役割を持たせるんだ。普通の玉じゃあ面白くも何ともねえし、ほら、せめて互いに熱く愛し合える奴と結ばれたいじゃねえか。
 村の長老たちに言わせれば、そんな考え方こそ青いと言うのだろう。が、どうせなら生涯とおして愛せる奴を嫁にしてえ。
 だから、成年式の夜だからと言って、特別視する気持ちはてんで持ち合わせていなかった。



 彼女に出会うまでは。



 俺が彼女に出合ったのは、島の端っこにある、海岸だ。
 ここらには原生林もなく、透き通るような白い砂浜が数百メートル続くなだらかな波打ち際だった。
 たまたま、その日の夕方、俺はその浜辺を通りかかったのだ。手にはモリを持ち、遊泳しながら夕食のおかずを獲って帰るつもりだった。普段は気ままな自給自足の生活。それがこの島の営みでもある。
 ポツンと一人、浜辺を歩いていたら、人が倒れているのが見えた。
 波は穏やかで、ここ暫く雨らしい雨も降っていない。船やカヌーが座礁するような天候でもなかった。
 怪訝な顔を向けながら、俺はそいつの倒れこんでいる場所を目指す。
 砂浜に倒れ伏していたのは、若い女だった。全身ずぶ濡れになっている。乾いた砂粒が体中にまぶされるようにくっ付いているところを見ると、どこからか流されて波打ち際に打ち上げられたのだろう。
 俺は上からこわごわと覗き込んだ。
 たまに、潮の加減で、ここの浜へは土左衛門が打ち上げられることがある。何らかの事故にあって海に沈んだ人間が、何日か経て流れ着く場所であったのだ。俺もガキの頃から何度かこの浜へ打ち上げられた土左衛門を拝んでいる。
 この女ももしかして、流れ着いた土左衛門か。まず最初に浮かんだのはそれである。
 打ち上げられた身体は、みずみずしい輝きに満ちていて、今にも動き出しそうだった。見たこともない綺麗な装飾品が身体を色どっている。
「生きてるかな。」
 触れてみると柔らかい体に微かに熱があった。身体に耳を近づけると、微かに心臓の鼓動がするのが聞こえた。鼻先に手を当てると微かな息が漏れてくる。

(大丈夫そうだな。)

 そのまま打ちやっておくわけにもいかず、俺はそいつをひょいっと抱え上げた。
 軽い。
 ふっと覗き込む顔。閉じだれたまつ毛は長く、ピンク色に揺れた唇は形も良く。髪はショート。耳飾が耳元で揺れている。
 歳の頃合もだいたい同じだろう。まだ独身である証の白い腕輪が眩かった。

(こいつ、可愛いや。)

 彼女を見たときの率直な俺の感想。
 俺の腕の中にすっぽりと収まっている。

 とにかくこのままじゃいけねえ。

 そう思った俺は、とりあえず、俺の寝屋に連れ帰ることにした。
 俺の寝屋はこの浜の少し先。そんなに遠い場所ではねえ。
 親父と二人の暢気な島暮らしだった。この親父、ガタイが良く、この島でも指折りの猛者として知れ渡ってはいたが、結構スチャラカでいい加減な生活をしていた。そう、放浪癖があって、ひとところに長くは居られない性質。数ヶ月前から行方知れずだ。
 まあ、居なければ居ないで、気ままな生活だったから、俺にとっては親父の不在など、どうでも良かった。
 そろそろ成年式が近いから、何処からとも無く帰って来るとは思う。大好きな酒が飲めるし、一応俺も成年式を迎えるからな。

 岬の先の小さな洞窟が、俺の寝屋だ。
 中に集めた木々を敷き詰め、それなりに快適な作りにはしてある。
 常夏の島とは言え、夜ともなれば、少しばかり冷えてくる。普通に生活する分には暖をとる必要もないのだろうが、連れ帰った女は海水に浸って冷え切っているのだろう。身体が冷たかった。
 このままでは体温をとられてしまう。
 俺は火を焚き、薄衣をかぶせて暖めてやった。
 それから、精の付く食べ物も必要だろう。幸い、昼間に炊き込んでいた、ごった煮が鍋にくべてある。そいつを温めなおす。男とはいえ、一人暮らしは板についている。食事の準備は一通りできる。自分で言うのも何だが、手馴れたものだ。
 溺れて水も飲んでいる風もないし、こいつを引き上げて帰ってくるときに、カヌーが流されているのが見えたから、きっと、それに乗ってどっか他の島からこの海を渡って来て、力尽きて砂浜に倒れこんだのだろう。何があって砂浜に打ち上げられたいたかは知らないが、命には別状なさそうだった。

 太陽が完全に沈みきって、星が天上をさざめき渡るころ、彼女はふっつりと目を開いた。

 俺はにっと笑って見せる。
 いわゆる、愛想笑いって奴だな。
 そうしたら、こいつも微笑んで…と密かに期待していたわけだが、とんでもない。

「きゃあーっ!いやあっ!こっち来ないでっ!!」

 いきなりだ。いきなりそう叫んで、俺の頬を平手打ちでパパンと引っ叩きやがった。
 それだけじゃない、何を誤解してるのか、涙目になって俺を睨んでやがる。
 俺は呆然。そりゃそうだろう。好意でここまで連れて来て看病してやったんだぜ。いきなり平手打ちなんて惨い仕打ちじゃねえか。

「こらっ!てめえっ!いきなり何しやがんでいっ!!俺が何したってーんだよっ!」

 大概、俺も気が短けえから、そう怒鳴ってやったさ。

「あんた、あたしを襲ったんじゃないの?」

 怒った目がこっちへ向けられる。まだ鼻息が荒いぞ。

「ああん?」

 俺は思いっきり目を瞬かせてやった。何言ってやがるって顔をしてだ。

「だって、こんな洞窟へあたしを連れ込んで…。」

「こんな洞窟で悪かったな。ここは俺の寝屋なんでな。それに…。俺は浜辺に倒れこんでたおめえを助けてやったんだぞ。あのまま浜へ打ちやったら、今頃潮が満ちてきて、おめえ、海の中へさらわれてたぜ。礼を言われたっていいくれえだ。それを、いきなり平手打ちとは何でいっ!」
 俺はプンスカと頬を膨らませて一気にまくし立ててやった。

 そしたら、そいつ、じっと俺の方を見据えやがった。

 そんなに睨むなよ。可愛い顔台無しだぜ。たく…。
 
 あ、勿論、これは声には出さなかったぜ。また平手打ち食らわされたくなかったんでな。
 暫くそいつは俺をじっと眺めた後で言いやがった。

「ホント?ホントにあたしを助けてくれたの?」

 半信半疑の目を差し向けてきやがった。

「あんなあ、嘘ついてどうすんだよ。」

「例えば、これから襲おうとしてたとか…。」

 何なんだ?この女は。もしかして俺をたき付けてやがんのか?襲って欲しいのかよ!

 そう言いたかったのをぐっと飲み込んで、俺は答えてやったぜ。

「おとぼけも休み休み言えよ。あんなあ、俺はおめえが思ってるような男じゃねえ。それに、ほれ、これを見ろよ。」
 俺はさっと胸をはだけて、首からつら下がる首飾りを見せてやった。
「それって…。」
 そいつが目を上げたときに、俺はコクンと頷いてやった。

「そういうこと。俺はまだ成年式を終えてねえんだ。だから、勝手に嫁は貰えねえ。当然、おめえをたらしこむなんてこともできねーんだよ。」
 じっと俺と未成年の証でもある白い首飾りを見比べる真摯な瞳。それから彼女はほおおっと大きな溜息を吐きやがった。
「そっか…。まだ未成年なんだ。あんた。あたしはてっきり…。」
 そう言って彼女は言葉を止めた。
 
 てっきり何だ?俺がおまえを襲うためにここに連れ込んだとでも言いたかったのかよ。こいつは。

 俺たちの一族は、身に着けている飾りで、いろいろな区別がなされる。今俺がこいつに見せた首飾りもその一つ。十歳を過ぎると、成年式を済ませるまで、俺たち少年には白い貝殻でできた首飾りを吊り下げることになっている。成年式の時に、新しい首飾りに挿げ替えられるまで、女とは交わってはいけない。そう決められている。もし、違反すれば、成年式を一年後にずらされることになる。そうなるとバツが悪いぜ。村中の晒し者になるって訳。ただでさえ狭い世間だ。不名誉極まりないことになるのである。
 だから、俺たち成年式を控えた若者は、我慢を重ねるわけだ。
 彼女もまた、独身を示す印を身につけている。最初に目が行った、あの「白い腕輪」である。
 白は俺たちの一族にとっては、まだ何色にも染まらぬことを言い表している。だから、「独身」または「乙女」の証となるのである。

「ま、俺は次の満月の夜には成年式を迎えるから、それからだったら、どうしてたかはわかんねーけどよっ!」
 俺は意地悪を一つ言ってやった。勿論彼女の表情がきつくなるのを見越してだ。

「たく…。そう真顔になるなって。冗談だよ。」

「意地悪。」
「どっちがだ。いきなり平手打ち食らわされた身にもなりやがれ。」
 俺って案外根に持つタイプなんだな。

「ま、そういうわけだから、おめえと交わる気持ちはねえ。だから、安心しときな。」

「そうね。次の満月までは大丈夫ってことね。」

 こいつ、なかなか気が強いと俺は内心舌を巻いた。

「わかったら、ほれ。腹減ってるだろ?」

 俺は火にくべていた食べ物の入った椀をそいつに差し出してやった。
 彼女はまだ気を緩めていなかったが、俺から椀を受け取ると
「いただくわ…。」
 と一言言い置いて箸をつけ始めた。
 それから無言で椀の中の汁を飲み始める。俺も自分の椀を取って、食い始める。
「魚も焼いてやろうか?」
 一応訊いた。
「いらない…。何だか固形物は喉を通りそうに無いから。」
「そだな…。どのくらい飯にありついてねえのか知らねえが、空腹にたくさんかっ込むと、かえって身体に毒だからな。」
 
 女と差し向かいでとる夕食なんて、初めてだ。
 それなのに「わくわく」や「色気」の一つもねえ。
 だが、目の前の女のことが何故か気になる変な気持ちが俺には芽生え始めていた。

『好きな女には優しくなれるもんだ。』

 いつだったか親父が俺にそんなことを言ったことがある。
 そんな言葉がふっと脳裏に浮かんだ。

 無言の時は過ぎてゆく。
 腹がいっぱいになると、あとは眠って体力を回復させるだけ。明日の太陽が昇ってから、こいつの処遇は考えればいいさ。
 

「満腹になったら休めよ…。あ、俺は、あっちの方で寝てやらあ。傍に居ると気が安まらねえだろ…。こっからそっちへは入らねえから、安心して寝な。」
 俺は最大限に気を遣ってやったつもりだ。傍にあった棒切れで、結界よろしく、線を引いてやった。

「ありがと…。」

 おっ、初めて礼を言う気になったか。

 闇の中で良く見えなかったが、さっきまでビンビンに感じていた彼女の鋭い警戒の気配はすっかりこそげ落ちていた。

 俺は自分のブランケットを取ると、さっさと寝床の上に横になった。
 いつも使ってるふかふかの草寝床は彼女の下。だから、少しゴツゴツしていたが、寝られないわけじゃねえ。横になれれば御の字だ。
 穏やかになった彼女の気を、まさぐりながら、落ち着かない気持ちで仰向けに転がる。
 ジジジと洞窟を灯している小さな燭台からロウソクのか細い炎が燃えている。それも、後数分で真っ暗になるだろう。

「ねえ、あんた、名前は何て言うの?」

 部屋の反対側から彼女の透き通った声が俺に問いかけてきた。

「乱馬。」

 そう答えてやると

「乱馬…。そう、乱馬って言うんだ。」
 
 俺の名前を反芻してる。ちょっと照れくさくなった。

「あたしは、あかね。…。おやすみなさい。」

 彼女はそう言うと、あっち向きに寝返りを打った。それからまた静寂が降りてくる。

(あかね…。か。いい名前だな。)

 俺は気取られないように、一人微笑むと、すっと目を閉じた。
 警戒心バリバリだった彼女の口から名前をきけた。それだけで天にも昇るような気分。
 それから俺は、柔らかな眠りの淵へと誘われていった。



つづく




一之瀬的戯言
当初は前後編くらいで軽く書くはずだったのに、長くなってしまった夏妄想。
珍しく、全く、プロットも組まず、気の赴くままに創作展開。
この作品の乱馬は、書き手の好みであります。


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