◇マジカル★まじかる 第四章「南の国の魔女」編
第三話 囚われの王子様
異変は、丑三つ時、唐突にやってきた。
チリン!
耳元で大きな鈴の音が、鳴り響いたのだ。
「な、何?今の鈴の音…。」
あかねはガバッと起き上がった。
と、乱馬の向こう側の壁面を見て、ギョッとした。
薄暗い壁に、蠢く物体。
そいつはろうそくの暗い灯り越しに見えた。
目を凝らすと、大きな鈴だった。
人の身体よりもでかい大きさだった。鈍い金色に光り輝いている。
まるで意志を持ってそこに現れた如く、不気味にゆらゆらと空に浮き上がり揺れている。
「なっ…。何?こいつ!」
尋常ではない物を感じ取ったあかねは、グッと態勢を取って身構えた。
チリン!
再び、鈴が鳴り響く。
と、今度は、傍らのベッドで眠っていた乱馬に異変が起こった。
すうっと、横たわったまま、空へと浮き上がったのだ。そして、乱馬の身体は、吸い寄せられるように鈴の方へとなびいた。乱馬は起き上がることなく、目を閉じたままだ。
「何?何が起こってるの?」
あかねが戸惑っていると、すかさず、また、鈴の音が鳴った。
チリン!
それを合図に、鈴の下側が、口のように、バックリと開いた。鈴はそのまま開いた口で、乱馬の躯体を飲み込んだ。
「ら、乱馬?」
何かしら、不測の事態が目の前で起こっていることは理解できた。が、残念ながら、それに対する術など、あかねにはわかる余地もない。鈴の動きは、あかねの理解の範疇を凌駕していたのである。
チリン!
最後に一際大きな音を鳴り響かせると、鈴はスッと跡形も無く消え失せてしまった。
「ちょっと、乱馬っ!乱馬ぁっ!」
慌てたあかねは、鈴が消え去った辺りへと、手を伸ばした。
鈴が乱馬を拉致していった。彼女が理解できたのは、それだけだった。
誰が何の為に。
そう思った途端、何故か、珊璞の不敵な笑いが浮かんだような気がした。
「ま、まさか、あの子が乱馬を?」
と、鈴が居た辺りから、ヒラヒラと何やら紙切れが、舞い落ちてきた。そして、乱馬が横たわっていた辺りに、ふわっと落ちた。
「こ、これは…手紙?」
それをわしづかみに手に持つと、目の前に広げる。そこには、メッセージが書かれてあった。
『東の国のへっぽこ魔女さんへ
南の魔女国の婿殿して乱馬殿は貰いうけたある。若しその事に異議あらば、すぐに宮殿へ来るよろし。
但し、東のへっぽこ魔女さんが、簡単に辿りつけるかどうかは甚だ疑問ある。来るなら命、無くなる事、覚悟するよろし。
もし、朝日が登り切るまでに宮殿に辿りつかねば、乱馬は私の婿殿として貰い受けるある。
南の魔女国の次期王女、珊璞より。』
東の国の文字で、たどたどしくそう記されてあった。
あかねの手はわなわなと震え始める。
ゴゴゴと音をたてるが如く、怒りが心底から込み上げてきた。
「何…。このふざけたメッセージ!…乱馬を婿にするですってえ?冗談じゃないわ!誰に断って、そんなこと決めてんのよ!」
鼻息荒く、バリバリとメッセージが書かれた紙を、引き千切った。そして、乱暴に地面へと叩きつける。
「行ってやろーじゃん!その挑戦、受けて立つわ!」
あかねは傍らに置いてあった、乱馬の革袋を自分の革袋と共に腰へと結わえつけると、勢い良く宿屋を飛び出した。
夜の帳は下りたままだ。人っ子一人居ない路地を、宮殿へ向かって、ひたすらに駆ける。
夜明けまでどのくらい時間があるかは不明だったが、あまり猶予はないと思った。
「へっぽこって何よ!バカにしてっ!」
あかねは、文頭からへっぽこ呼ばわりされて、頭にきていた。
「そりゃあ…あたしはへっぽこ魔女かもしんないけど…。乱馬ならともかく、珊璞(あんた)に言われる筋合いはないわよ!見てらっしゃい!東の魔女の実力を、とくと見せ付けてあげるんだから!」
タッタッタッ、と軽やかに夜道を懸命に走り続ける。
タッタッタッ、タッタッタッ。
規則正しく、左右の足を繰り出す。
走りには自信があった。魔力には劣るが、体力や腕力には引けを取らない。そう自負していたあかねだ。
物の数分も駆ければ、宮殿に辿り着ける。そう高をくくっていた。だが、実際はそうではなかった。
「あれ?宮殿って宿屋からそんなに遠くないって思ってたけど…。」
さすがのあかねも、違和感を覚えた。
そこで、あかねは、走りを緩めて歩き出した。
遥か先、ぽっかりと夜空に浮かび上がる宮殿の屋根。かなり駆けて来た筈なのに、距離が全然縮まっていないように感じた。
「気のせいかしら…。」
再び駆け始める。
今度は距離を意識しながら、走りだす。
だが、駆けても駆けても、息が上がるだけで、一向に宮殿へ辿りつける様子がない。
「おかしいわ…。」
駆けても、駆けても、宮殿との距離は縮まらない。
「やっぱり、何かおかしいわ!」
鈍感なあかねも、さすがに変だと気がついた。
『おめー、もうちょっと、冷静になることを覚えた方が良いぜー。』
脳裏を、ダウンタウンで通り雨を待つ間に、たたみかけられた乱馬の言葉が通過した。
「冷静になる…。」
乱馬の発した言葉を思い出し、駆けていた足を止めて、その場へと立ち止まる。
それから、ふうっと一つ大きな息を吐き出し、静かに目を閉じた。
『頭に血が昇ったら、まず目を閉じて呼吸を整えてみるとかさー。』
続けて、乱馬の放った言葉が脳裏に浮かんだからだ。
「えっと、頭に血が昇ったら、まず目を閉じて…呼吸と整えて、五感を研ぎ澄ます…。」
まずは荒らいだ息を整えるのが先決だ。あかねは鼻から大きく息を、スウーッと吸い込むと、お腹へ入れ、フウウーッと静かに口から吐き出した。
それを繰り返すこと、数回。
五感を研ぎ澄ますのは、簡単なようで難しい。あかねのように、直感的に生きてきた魔女にとっては、容易いことではない。
が、あかねは深呼吸を繰り返すことで、無意識に、その力を引き出したのである。乱馬に言われたことをヒントに。
深淵の夜の闇。何も考えないで、静かに己の五感を研ぎ澄ます。
何故だろう、次第に心が落ち着き始めた。ピンと張りつめた糸を辿るように、ゆっくりと、辺りの気をまさぐった。
シンと、辺りは静まり返り、物音ひとつだにしない。人の流れも気脈も感じられない。たとえ町が眠っていても、何かしら人や生き物の気配は感じる筈なのに、全くそれが無いのだ。
まさに、空っぽの世界。その中心に己が立っている感覚をはっきりと掴んだ。
「そっか……。これはまさしく亜空間。どこかの誰かが作り出した偽りの南の街!」
あかねはゆっくりと目を見開いた。
「あたし、いつの間にか、作られた世界へと引き入れられたのね…。それならば、一か八か!」
くわっと目を見開いて、右手を差し上げ、人差し指と中指を立てて振り下ろす。
「幻想魔法攻撃破(マジカルイリュージョン★アタック)!」
クワンと鈍い音が鳴り響き、目の前の世界が一瞬、歪んで見えた。
と、バラバラと、辺りの風景が壁から剥がれ落ちるように、砕けて落下し始めた。
「やっぱり…あたしは、亜空間を彷徨っていたのね。」
じっと前を見据えると、目の前の暗闇に浮き上がる桧皮葺きの宮殿。まさに、剥ぎ取られた世界のすぐ傍に広がる、現実の世界であった。
「あたし、宮殿の前まで来ていたんだわ。」
あかねはキッと、真正面を見据えた。桧皮葺きの南国風の宮殿。迫り出したその大きな合掌造りのような屋根の下辺りに向かって、声を張り上げた。
「ねえ、言われたとおり、ここまで来たわよ!隠れてないで出てらっしゃいよ!そこに居るのはわかってるのよ。珊璞!」
凛とした声を張り上げると、じっと、屋根の下辺りを見据えた。
「へええ…。ワシが作り出した幻現世界を突き破って出て来るとは…、なかなかやるではないか、あかね殿とやら。」
しゃがれた声が響いた。そこに居たのは、珊璞ではなく、彼女のひい婆さん、可崘だ。
「あったりまえよ!さあ、ここまで入ったんだから、乱馬を返してくださいな!」
あかねは可崘に向けて、吐き出した。
そのあかねの様子を、あざ笑うがの如く、可崘が言った。
「それはできぬ、相談じゃのう。」
可崘は、大きく首を横に振った。
「ど、どうしてよ!」
あかねのきつい言葉が打ち返されると、
「ふふふ、乱馬殿は既に、珊璞の部屋におるからのう。」
「なっ、何ですってええ?」
聞き捨てなら無い言葉だった。
「そら、この向こう側じゃ。」
可崘婆さんは、部屋の奥に向かって、杖を指し示した。そこに、人影がぼんやりと見えた。
「ふふふ、覗いてみるかえ?」
可崘婆さんは、杖をくるりと一回しすると、窓にかかっていたカーテンが開いて、中の様子がくっきりと浮かび上がった。
そこに映し出されていたのは、薄桃色の透明なネグリジェを羽織った珊璞。その下はパンティだけのランジェリー。上半身には何もつけていない。胸元が薄っすらと透けていて、とてもエロチックなネグリジェだった。
胸はどちらかといえばでかく、お尻もプリンとしていて、腰もくっきりとくびれている。ボンキュッポンの、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
どこか、少女らしい雰囲気が残る顔立ちには、不似合いなほど肉付きの良い女体だった。
恐らく、世の男共は、こういう身体を手に入れたいと思うのではないか。
少し嫌悪感と敗北感を覚えながら、見据えたあかねの瞳が、険しくなった。
薄い微笑を彼女が投げた先に、大きな天蓋つきベッドがあり、その上にヤツが寝そべっているではないか。おさげの青年。
既に衣服は脱いでいて、逞しい上半身があかねの瞳に映し出される。
しかも、彼は、あかねではなく、珊璞を見て微笑んでいる。
「ら、乱馬っ!」
思わず叫んでしまった。
「さあ、これから契りが始まる。どうじゃ?これでも婿殿を譲らぬか?」
可崘が、あかねに向かって、たたみかけてきた。
「……。」
あかねが返答に困っていると、壁の向こう側の乱馬の腕が、珊璞へと伸びてきた。会話は全く聞こえないが、口は「こっちへおいで。」とかたどっているように見えた。
一瞬、はにかんだ表情を浮かべた珊璞だったが、乱馬の腕にグイッと引き寄せられて、そのままベッドへと誘導された。
ふわりとバウンドして、倒れこんだ珊璞を、待っていましたといわんばかりに、乱馬は下から珊璞を抱きとめる。そして、珊璞は俯きに、乱馬は仰向けに、じっと見詰め合う二人。
勿論、それだけで収まる筈はない。
乱馬は珊璞をぎゅっと下から抱きしめる。シルエット越しに、男女の睦み合いが、手に取るように映し出される。
「ああ、いいね、乱馬。もっと奥へ来るよろし…。」
「ちょっと、何よ、これっ!」
そう吐き出した、あかねの手足が、ふるふると震え始めた。
「お婆さん、乱馬に何をしたの?」
キッと可崘を見上げた。
「ふふふ、柔和で瑞々しい身体を目の前にしたら、据え膳を喰らわずには居られまい?ちょっと、魔法でいじくってやれば、ほれ、簡単にわが孫娘の手に落ちただけのこと。」
「まさか、傀儡魔法?」
卑劣だといわんばかりに、あかねが可崘に言葉を荒らげた。
「傀儡でも何でも、ワシらには、乱馬殿の種が必要なのじゃからな。」
「乱馬の種ですって?」
「ああ。我らが南の国の王族は、代々、優れた男子の種を貰って、そして、未来永劫、反映するのだよ。今、この世で一番高く取り沙汰されるであろう、優秀な魔法使い、乱馬殿の種。
どこぞのへっぽこ魔法使いには、乱馬殿は不釣合いな高嶺の花じゃ、ほっほっほ。」
「じっ、冗談じゃないわっ!誰が、へっぽこ魔法使いですってえっ?」
元来、瞬間湯沸かし器系の性質をしているあかねだ。可崘婆さんのひと言に、だんだんに、胸がくしゃくしゃしてきて、腸(はらわた)が煮えくり返り始めた。
「ほっほっほ、へっぽこ魔女とは、おまえさんのことじゃ。乱馬殿は珊璞に寄越せ。さもないと、ここから生きて出られまい。」
「何よ、それ!あたしを脅しているの?」
「優秀な種は優秀な女に与えられて然るべき。違うかの?」
「そんな、即物的な考え…。冗談じゃないわっ!恋愛は力じゃない、心でするものよ!」
ぎゅううっと拳を握り締める。
「いずれにしても、もう、遅きに喫しておるわ。乱馬殿は珊璞の物じゃ。ほっほっほ。」
その可崘の言葉と笑い声は、あかねの琴線に触れた。
「乱馬は…乱馬は…、物じゃないわっー!」
ミシッと音がして、空間が弾け飛んだ。
無意識にあかねが、強大な魔力を放出させた瞬間だった。
壁がバラバラと、音をたてながら崩れ落ちた。
いや、壁だと思っていたが、実際は亜空間の中に捕えられていたようだった。それが証拠に、向こう側の珊璞の部屋は、窓諸共に消え去り、ぽっかりと別の空間が浮かび上がる。
「あ…れ?」
自分が何をしでかしたかもわからぬあかねは、キョトンと辺りを見回した。
「ほ…う…、何と、ワシが作った二重空間を、再度、弾き飛ばしてしまうとは…。どうやら、おぬしの魔力を甘く見すぎていたようじゃわい。」
可崘が目を見開いた。
「このまま、見過すと、わが南の国にも禍する力かもしれぬな…。まだ、未熟でへっぽこだが…。」
「へっぽこ、へっぽこって、いい加減にしてよね!」
あかねがはっしと、可崘をにらみつけた。
「でも、私に劣るのは明らかね。へっぽこ魔女!」
珊璞の強い声が、可崘の向こう側から湧き上がった。
「珊璞…。」
キッと彼女を見据えるあかね。へっぽこの連呼に、相当頭に血が上っていた。
不敵に珊璞は笑っている。ネグリジェ姿でもドレス姿でもなかった。要所を防具で固めた、ピンクのバトル用の衣服に身を固めていた。上半身は胴着のような固い金属鎧、そして、小手や脇を守る防具も装着している。手には長い槍状の武器を握っていた。闘う気満々で、あかねを睨みつけている。
「あかねっ!乱馬、かけて私と勝負するよろしっ!」
そう、たたみかけてきた。
「望むところよ!」
売られた喧嘩は、買わねばなるまい。あかねも、鼻息が荒く、それに答えた。
「まあ、元々、闘うつもりで、珊璞も待ち構えていたからのう…。良かろう、ワシとそれから…乱馬殿がこの闘いに立ち会おう。」
可崘がそう告げると、ゆらゆらともう一つの空間が開いた。
「ら、乱馬っ!」
あかねの声が響き渡った。
ぽっかりと自分たちの目の前に、新たな空間が開け、そこに、大型の鳥の籠檻が現れたのだ。その中に、乱馬が居た。
「あかね…。」
ふらふらと、おぼつかない身体で、鉄格子の向こう側で、ぺたんと座り込んでいる。あかねに声をかけてきた。まだ、魔力は戻っていないのは明らかだった。
「ほう…。目覚めたかえ?婿殿。」
可崘が杖を器用に使って、乱馬の空間へと、トンッと飛び移った。そして、鳥かごを見上げて乱馬に言った。
「まだ、目覚めるには、少しばかり早いのう…。ワシの魔力が緩んだかのう…。」
小首を傾げながら、可崘が乱馬を見返していた。
「へっ!やっぱり、何か仕掛けやがったな…。街中で急激に魔力が無くなるなんて、おかしいと思ったんだ。いつもの朔と様子が違うてっな…。おまえたちが仕組んだんだな?」
乱馬が力なく吐き出した。ペタンと鳥かごの床に、腰を下ろしたままだ。手をついて立ち上がる元気も無いようだ。
「ほっほっほ、まだ、その檻の中から、抜け出るほどの魔力は蘇ってはおらぬようじゃな。」
可崘婆さんの言葉に、乱馬は
「ちぇっ!しらばっくれるな。この檻に監禁魔法を施してあるんだろう?でなけりゃ、魔力を失っているとはいえ、俺がこんなチンケな檻の中に閉じ込められる筈がねー。」
あからさまに不機嫌な顔を手向けた。
「ふふふ。さすがだのう…婿殿。感じるか?監禁魔法の波動を…。」
「ああ…。ビリビリに不快な魔力が、この檻全体に張り巡らされてやがる。」
まだ、魔力が安定しないのだろう。声を荒げるのもたどたどしい程、乱馬は衰弱しているようだった。
「乱馬、大丈夫?」
彼の様子に、あかねは心配げに声をかけた。
「あかね!俺のことなら、心配いらねえ!こいつらの目的は俺自身だから、俺を傷つけることはしねーはずだ…。だから…思う存分、おまえの力を試せっ!」
乱馬は真っ直ぐな瞳をあかねに向けて下ろした。
「もとより、そのつもりよ!こーんな、ふざけた事、許してたまるもんですか!」
あかねは吐きつけながら、身構えた。
「ま、頑張るんじゃな…。思う存分、闘えるように、ワシらはちっとの間、脇へ退いておるかのう…。せいぜい、我が孫娘に殺されぬように、な…。」
そう言い放つと、あかねの視界から乱馬と婆さんの姿が、フッツリと消えた。
「ええ、頑張るわ!絶対、負けないんだから!」
あかねははっしと、珊璞を睨みあげた。
乱馬を巡る、女同士の熱き戦いの幕が、切って落とされようとしていた。
つづく
お約束の、決闘です。その行方やいかに?
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