◇マジカル★まじかる 第四章「南の国の魔女」編

第二話 ヤキモチ



「すっごーい!お祭の屋台がそこここに並んでいるみたい!」
 あかねが目を輝かせた。

 今日は、南の国の王女様のお誕生日会。土壁に桧皮葺き屋根がのせられた低層階の建物が建ち並ぶ、南国風の宮殿の中庭に設えられた、野外会場のそこここで、御馳走を配る屋台が立ち並んでいた。屋台は掘立柱にトタン屋根という簡単な作りだが、そこここで良い香りを舞い上げる料理は、一級品だった。
 焼き鳥だの、焼き魚だのくすぶる煙が、食欲を誘う。
 メインは串刺しにしたブタを、そのまま火にくべて焼き焦がす、丸焼き。

 勿論、メインの魚介や肉だけではなく、昼間、市場で見た色とりどりな鮮やかなフルーツを使ったスイーツも盛りだくさん。また、大鍋で煮込まれたスープもあちこちで美味しそうな湯気を上げている。

「こらこら、そんなにがっつくなよ!こっちが恥ずかしいぜ。」
 と乱馬が苦笑するほど、あかねは目うつり放題、お皿に盛り上げていく。
「ねえ、あんた、さっきから一口も食べてないわねー。」
 口いっぱいに頬張りながら、あかねは乱馬の皿を見る。
「遠慮なんて、あんたらしくないわよ。もっとどんどん食べなさいよ。この肉、美味しいわよ。」
 とフォークを差し出してきた。
「んー…。何か、昼過ぎから、腹の具合が良くねーんだ。脂っこいのはやめとく。」
「お腹を下してるの?何か、悪い物でも食べたわけ?それとも水が合わないとか?鉄の胃袋してそうな、あんたが、そんなヤワなこと言うなんて、よっぽどなのね。」
 そう言い終わらないうちに、乱馬が食さないならと、ぽいっと自分の口に放り込んで味わっている。
「別に、食当たりとかじゃねーと思うぜ…。てか、おまえ、本当に良く食うな。ドカ食いは太るもとだぜ。」
「だって、旅の道すがらは、保存食とか、雑草とかろくな物食べてなかったし…。また、旅の食事に戻れば、ダイエットになって痩せるから気にしないわ。」
「たく…。体重計乗って、卒倒してもしらねーぞ。俺は…。」
「太めのぽっちゃり娘は嫌いかしら?だったら、もっと太ってみましょうか?」
「いーや、痩身の女の子より、少し太めの方が好みかもな…。ま、俺と結婚したら、太らせる暇もないくらい…夜はハードだぜ。保障してやる。」
「何、大ボケこいてんのよっ!」


 と、辺りのライトが急に落ちて、音楽が鳴り響いた。
 
「紳士淑女の皆様。お食事はお楽しみいただいていますでしょうか?さて、これからは王女様を伴っての、ダンスタイムとなります。お集まりの国賓の皆様、どうか、今宵の主役、王女様と共に、お楽しみください。」

 おおおっという歓声と共に、広場の中央辺りが俄かに湧き立った。
 と、ボンと音と煙がはじけ飛び、綺麗に着飾った娘が一人、浮きあがった。そして、観衆にゆっくりと手を振り始める。

「あれが、この国の王女様なのね。」
「珊璞とか言ったっけかな…。」
「ふーん…。名前を知ってるの?」
「おまえなあ…おふくろから送られてきた招待状に名前も書いてあったろーが!見なかったのか?」
「うん…。特に気にしてなかった。」
 あっさりとあかねが言い捨てた。

 珊璞はフラダンス風のスローテンポな音楽に合わせながら、ゆっくりと腰をくねらせて、順々に手を差し伸べて、招かれた男たちと踊り始めた。
 
「へええ…。なかなか可愛らしい王女様ね。」
 その動きの優雅さに、あかねが感心しながら、口を動かす。
「たく…。食うか見るかのどっちかにしろよな…。」
 乱馬もチラッと珊璞の方を見やった。

 と、その視線が合った途端、にっこりと珊璞が乱馬に微笑みかけた。

「えっと、そこに居るのは、東の国の王子様とお見受けするね。一曲、私と踊るね。」
 その言葉に、おおおっとまた、歓声が上がる。

 珊璞の申し出に、一瞬、乱馬の顔が、へっとなった。と、返す言葉で、こそっとあかねに耳打ちした。
「良いかな?踊っても…。」
「良いも悪いも、今夜のこの場の主賓の申し出を断ったら、国際問題になるかもしれないんでしょ?別にあたしはかまわないから、踊ってきたら。」
 と素っ気なく答えた。
「あんまり乗り気がしねーけど…。ま、いいか。」
 乱馬はあかねから離れると、珊璞の方へと歩み寄って手を差し伸べた。

 珊璞はすっと乱馬の傍に寄り、すかさず彼の身体へと自分の身体を密着させた。そして、乱馬の瞳をまっすぐに見上げた。
「では、一曲、ご一緒に。」

 と、音楽が再び代わり、たおやかなメロディーが流れ始めた。
 

 女のあかねが見てもうっとりとするくらいの美しいボディーラインを持った美少女と、釣り合うくらい美しい筋肉を誇る乱馬とのツーショット。衆人の目を惹かぬ訳はない。乱馬も慣れたもので、美しいステップを踏み始める。
 流れるように、二人は身体を密着させて、会場狭しと、踊り始める。

 おおおっと再び、拍手と手拍子が流れる。

「お似合いのカップルですこと。」
「本当だね。ああいう方が王女様のハートを射止められるのではないのかね?」
 あかねの傍で、口々に、二人への称賛が囁かれる。
 その言葉に何故か、あかねの心は、グッと締め付けられた。いつもは己に求愛を惜しまない乱馬が、目の前で別の娘と踊っていることに、得も言えぬ不安…否、嫉妬めいたものを感じ取っていた。

(何?この感じ…。もしかして…。あたしあの娘に嫉妬してる?)
 乾いた喉に、グッとジュースを流し込む。

 やがて曲は優雅に盛り上がり、目の前の二人は一糸乱れず、美しいステップを踏み続け、ラストへと到達する。と、どこからともなく、歓声と拍手が沸き起こり、麗しい若いカップルに賞賛を送っていた。

 珊璞はチラッとあかねを見やってから、乱馬に微笑みかけた。その視線があかねとかち合ったとき、何故か脳天をガツンとやられたような不快な感覚があかねを急襲していた。

「ありがとうあるね。東の王子様、とてもリードがお上手ね。私、惚れてしまいそうある。」
 と、ぎゅっと乱馬の手を握った。

「あ、いや…。そんなに褒められたら…あはは、照れるぜ…。」
 乱馬は照れながら、握られなかった方の手で頭をボリボリと掻いた。
「ぜひ、お名前をきかせて欲しいある。今宵の思い出にするある。」
 珊璞は熱っぽい瞳を乱馬に手向けた。
「えっと、俺の名前は、乱馬だ。」
 乱馬はどもりながら、名乗った。
「乱馬…。良き名前ね。しっかりとこの胸に覚え込ませるね。」
 にっこりと最上の微笑みを乱馬へと珊璞は手向けた。

 チリン…。
 と、あかねには鈴の音が珊璞の周りで聞こえたような気がした。

 一呼吸あって、珊璞はゆっくりと会釈すると、乱馬の傍を離れた。
 そして、再び奏でられ始めた新しい楽曲に乗って、今度はまた別の紳士の元へと流れて行く。まるで、美しい蝶が新しい花を求めて舞い上がったような美しさ。傍に居た一同ならずも、乱馬も少し心惹かれたのか、珊璞が流れ去った方向を暫し、その瞳で追っていた。

「可愛らしい王女様だったわよねー…。」
 つかつかつかっとあかねが歩み寄って、珊璞を目で追っていた乱馬の目の前にすっくと立った。その、様子に、乱馬はハッと我に返った。
「お…おう…。」
 焦った口調でそれに応えた。
「踊りも上手だったわねー…。知らなかった、乱馬があんなに踊れるなんて。」
「あ、いや、あの子のおかげ…だな、あのステップは。」
「またまた、謙遜しちゃって!」
 あかねの口元は笑っていたが、目はかなりきつく釣り上がっていた。あかねとしては、あまり面白くない、といった様子が見て取れる。
「っつーより、俺の方が、踊らされてたっていうか、何というか…。」
「はあ?」
「ほら、見ろよ。」
 乱馬はあかねに別のおじさんと踊り始めた珊璞の方へと視線を促した。
「あの太っちょなおっさんも、不器用ながら、きれいに珊璞と踊ってるじゃん。あのおっさん、踊りをやってるようにはどう見ても見えないぜ。」
「まー、そうだけど…。」
「あれは、あの娘が魔力を使ってリードしてるんだよ。」
「魔力?」
 あかねが目を見張った。
「ああ…。足元を見てみろ。魔動波を感じねーか?」
 促されてあかねはじっと眼を凝らしてみた。と、珊璞の華麗なステップのたもとで、微かだが、陽炎のような揺らめきを感じ取った。
「あの魔動波に誘導されるように、ステップが勝手に動きだすんだ。」
「へええ…。」
「あの珊璞っていうお姫様、かなりの魔力の持ち主だぜ…。」
 そう言って、乱馬はじっと珊璞を見た。と、珊璞の瞳が再び乱馬とかち合った。彼女は軽く乱馬へと会釈し、極上の笑顔で微笑み返す。
 その可愛らしい微笑みに、ズキンとあかねの心がまた、締め付けられるように痛んだ。

「えーえー、あたしにはあの娘ほどの魔力は存在しませんから!」
 そう言って、ツンと乱馬から、いや珊璞の視線からフェードアウトした。

「どーした?機嫌悪いのかあ?…あー、もしかして、あかねちゃん、ヤキモチ?」
 乱馬の瞳が大きくあかねの方へと見開かれる。
「違います!うぬぼれないで!」
「あー、そーか、そーか、ヤキモチ妬いてくれてんだー!ちょっと嬉しいかもな!」
「だから、違うって!」
 あかねはそう言い放つと、お皿を持って珊璞とは反対の方向の屋台へと、さっさと移動し始めた。


 そんな、乱馬とあかねの様子を、ちらちらと眺めながら、珊璞は方々で男たちと踊り続けていた。

(うふふ…。狙った獲物は逃がさないね…。乱馬、私の投げた術糸にかかったあるね…。)
 珊璞はふふっと小さく微笑んだ。そして、すっと、宮殿の方を見上げた。

 宮殿の張り出した大きな屋根に開いた窓から、可崘婆さんがじいっと珊璞へと視線を送っていた。大きくゆっくりと頷き返す。
(大丈夫じゃ、珊璞。後は、ワシに任せておけ。)と。


 その夜は、何事もなく、平穏に過ぎて行き、パーティーもそこそこ盛り上がって、宵のうちには終了した。
 あれっきり珊璞は乱馬に話しかけることもなく。
 パーティーの主役であったから、一人を特別にもてなすという訳にはいかなかったのだろう。
 が、話しかけはしなかったが、乱馬への視線は四六時中感じていた。
 当の乱馬はそれに反応だにしなかったが、乱馬の傍に居たあかねは、思い出したように時々己の頭越しに射抜いて来る珊璞の視線に、得も言えぬ「不快感」を感じていた。
 一言も乱馬へと声をかけずに、視線だけ送る、珊璞のその行為に、返って気味の悪さを感じた程だ。
 また、珊璞が送っていたのは乱馬への熱い視線ばかりではなかった。あかねと視線がかち合うと、何故か、不敵な笑みを微笑み返してくる。
 まるで、乱馬様にあなたは相応しくないわよ、と名指しされているような気がして、落ち付かなかった。

 自然、あかねの機嫌は、パーティが終わっても回復しなかった。

「おめーさあ、何、ツンケンドンしてんだよ。」
 と乱馬がいぶかしがるほどであった。
「別に!」
 と、短い言葉を叩きつける。
「俺が王女様と踊ってから、変なんだよなー。やっぱ、ヤキモチ妬いてんだろ?」
 と畳みかけてくる。
「違うったら違うわよ!ヤキモチなんて妬いてないんだから!」
 宿屋へと帰る道すがら、そんな、かみ合わない会話が続く。
 天上には、さめざめと星が降り注いでいた。月影は無い。

 と、ゴーン、ゴーンと、宮殿の方から重い鐘の音が漂い始める。
 
「何?こんな夜更けに…。」
 真夜中に鳴り響く、鐘の音に驚いて、あかねが宮殿を見返した。
「時の鐘だろーよ。」
「こんな真夜中に、時の鐘なんか鳴らすの?」
 あかねが訝しがって尋ねた。
「多分、日付変更線を告げる合図の鐘なんだろーよ。時を正確に知りたがる魔女ってーのも、たくさん居るからなー。特に、ここ南の国の住民は、正確に時を知りたがるって有名だから、時を告げる鐘は、案外、重要な役目を果たしてるんじゃねーのか?」
「そんな、勤勉な国には見えないんだけど…。」
「魔法によっては、時間で作動するものもあるだろ?例えば、操術魔法とかさあ…。」
「操術魔法?」
「たーく、これだからなー。おめーは。魔法学校で学んだことがあるだろう?人の躯体や心を意のままに操る魔法だよ。」
「ああ、あの何だっけ?人形(ひとがた)や錦糸を使う奴ね?」
「そうだよ。おめーはその施術法を知ってるか?……。」
 そう言いかけて、乱馬はふっと笑った。
「知ってる訳ねーか。結構難しいもんなー。」
「し、失礼ね!ま、まあ…そもそも、人心を操るせこい魔法は大嫌いだから、やってみたいと思ったこともないわ。」
「まー、そんなところだろうなあ…。おめーの魔法は真っ直ぐだから。」
 と、乱馬が笑った。
「真っ直ぐって何よ!」
「文字通りだよ、そういう、小手先でかけるせこい魔法はおめーの性分には合わないよなあ…。けっこう、細かい神経使うしな…操術系の魔法は…。」
「無神経で単純で悪かったわね!」
「悪いとは言ってねーだろ?魔法は施術者の性格によって、同じ魔法でも変化するのが常なんだから。…それよか…。いけねー、眠くなってきやがった…。」
 乱馬の動きが急に鈍くなった。
「ちょっと、乱馬!悪ふざけは止しなさい!」
 あかねが怒声を張り上げた。
「悪ふざけじゃねーさ…。ちぇっ!思ったより早く、急激にきやがったな…。」
 そう言ったまま、動けなくなった。ドサッと地面へと跪く。

「こらっ!乱馬!何やってんのよ!」

 悪ふざけにしては様子が変だ。
 焦ったあかねが乱馬を揺り動かすと、
「悪い、あかね。朔の影響で、宿へ帰りつく前に力尽きちまった。」
「朔?」
 またしてもこぼれた言葉にきびすを返すあかね。
「このまま宿屋まで、背負って連れ帰ってくれ。そのまま、ベッドへ寝かせてくれたら良いからよー…。別に身体に異常がきたとか、そーいうんじゃねーから…。俺の魔法書に俺の朔の事をおまえ用に書いてある。すまねえ…それ読んで対処してくれ…。くそっ!もうちょっと、もつと思ってたけど…限界だ…あかね…。肩…貸して…くれ。」
 と言いながら、沈み込んだ。

「ちょっと、乱馬っ!乱馬ったら!」
 乱馬を揺り動かすが、すやすやと心地の良い寝息が彼の口からこぼれ始める。
「眠っちゃった…?何なのよー、急にっ!」
 南国の夜道に、ぽつねんと放り出されたあかねは、すっかり困惑していた。他に人影もない。昼間は賑やかだった往来も、閑散としている。

「もー、しょうが無いんだからー。」
 仕方なく、乱馬を、どっこらしょと、背負い上げた。だらんと垂れる彼の二の腕。ずしりと重い。
 が、あかねは、力だけは男と引けを取らないと自負しているだけあって、軽々と彼を背負い上げると、そのまま、宿屋へ向かって歩きだす。
 幸い、ほとんど、宿屋とは目と鼻の先の距離だった。あかねはそのまま、彼を背負い上げると、ホテルの部屋まで連れて行く。

 ドサッと彼の部屋のベッドへとおろして寝かせた。そして、すぐさま、隣の己の部屋へ引き上げようとした…。だが、このまま放っておいてよいものかどうか、正直迷ってしまった。
(本人は大丈夫だ…って言っていたけど…。やっぱ、急に眠りこけるなんて、尋常じゃないわよねー…。朔のことも気になるし…。)

 一大決心をしたあかねは、
「えっと…、ベッドをもう一つ出す魔法は…。っと…。」
 おもむろに、アンチョコ本をくって、どうやるのか確認し始めた。
 乱馬の様子が心配なので、今夜はこの部屋で休む事に決めたのだった。
 さすがに同じベッドへもぐりこむのは気が引けたので、別に己用のベッドを出そうと奮闘し始めたのだった。

「えっと、出したい物を念じて…。やあっ!…っと、ベッドじゃなくって、イスだわ…。
 もういっかい、やあっ!…今度はポット…。」
 こうやって、全然別の品物を出し続けること数回。
 数分後、何とかベッドを出すことができた。
 成せば成る…。まあ、そんなやっとの思いで、己の寝床は確保できたのであった。

「もう一つ、寝る前にやっとかなきゃ…。」
 ベッドが落ち着くと、今度は乱馬の巾着をごそごそとやり出した。
 乱馬が眠る前にあかねに託した事。朔の対処の仕方を調べようとし始めた。
 取り出すのは、乱馬の巾着の中に納められてる、あの、分厚い魔法書だ。癪に障るほど、内容が詰まった魔法書だ。
「っと!」
 あかねは魔法書を床にぶちまけた。バンッと音がして、魔法書が巾着の中から現れた。
「えっと…開封呪文は何だっけ…。っと…『ヒテラン・ラルラン・ケルラン、汝が持ち主、乱馬の許諾によって、あかねが命ず。開け、魔法書!』」
 記憶をまさぐりながら、あかねは乱馬の魔法書に開封魔法をかけた。

 この前は物凄く苦労したが、今回は、すっと開いた。一度この前、開封したおかげなのだろうか?

「今回は、やけに…簡単に開いたわね。」
 猜疑心の瞳を巡らせながら、あかねは乱馬の魔法書を見つめた。
「ま、いいか。」
 ペラペラとめくりながら、目的のページを探し始めた。乱馬があかね用に書いたという朔の対処について調べている。
「さく、さく、さく…。えっと…。朔…あったこれだわ。」
 予め、ひき易く施されていたのか、見つけ出すのは簡単だった。
「朔…月と太陽が同じ方向にあり、地が翳る日のこと。つまり新月の日。
 転じて、魔法使いが固有の日に魔力を失う日のことを指す。魔法使いによって、朔の日は多種多様だが、魔力が大きい者ほど、魔法が滞り、激しい睡魔に襲われるなどの劇的変化を来たす。
 早乙女乱馬も例外に漏れず、強大な魔力を有するが故に天から与えられた一種の苦難の日で、彼の朔の日は一年に二晩ある。
 対処法…。できるだけ、無駄な体力は使わない、また、安全な場所で睡眠を摂ることが一番有効。……
 そっか…。魔力が著しく低下する災厄の日があるんだ…乱馬って。」
 あかねくらいの魔法力の魔法使いには、通常、朔などない。いや、どんな魔法使いにも存在するのだが、あかねくらいの実力だったら、気にならないほど簡単にすり抜ける。朔があるということは、かなりの高級魔法使いだという証でもある。一説には、強大な魔力を蓄える魔法使いには、年に数回の抜きの日がないと、蓄えた魔力に押しつぶされる可能性が高いという。そのための朔だという解釈がある。

 乱馬の寝顔をチラッと一瞥すると、あかねは続きを読んだ。
「何々…っと、意識を途中で失って眠りこけるという症状が現れたときは、何かの禍を成す魔力がかかっていることが予見される。故に、眠っている間にその魔力を消す必要がある。…その対処は…愛する女性の柔らかい気を吹き込むのが一番有効…ですってええ?この場合、口移しという方法が最も理想的である…。」
 ふるふると魔法書を持つ手が震え始めた。
 つい、この前、迷える森から開放されたとき、だまし討ちのように、ファーストキッスを乱馬に捧げさせられたばかりである。その時の記憶が脳内を駆け巡った。
「お、同じ手を喰らうもんですかっ!」
 と鼻息を荒げた。この助平オトコは、こんな記述で、再び、あかねの唇を奪おうというのだろうか。
「その手には乗らないんだから…。」
 ぷくっと膨れっ面をしてみせる。
「本当は起きてるんじゃないの?」
 じっと乱馬の寝顔を覗きこむ。
 が、一向に、乱馬は起きる気配が無い。こちらまで引き入れられそうな、まったりとした寝息が、口から漏れてくるだけだった。
「わき腹、蹴って起こしてやろうかしら!」
 腕を組みながら、あかねはチラ見をしたが、全く目を見開く様子も無かった。
 謀っている様子は微塵も感じられなかった。魔力の漏れも微塵も感じられない。
「……、どうやら、朔の影響を受けていることは、本当のようね。」
 得も言えぬ不安が過ぎった。さっき、あの、お姫様が己に対して向けた、不敵な笑顔が脳裏に蘇ったのである。じっと見据えて、あざ笑ったような微笑。乱馬は私のものと言わんばかりの鋭い瞳で、あかねに対してきた。
 転じて、乱馬の顔を見る。何の悩みも無い、安らいだ顔で、眠っている乱馬。

「たく…何よ、この気持ち…。」
 キュンと何か、熱いものが胸へと去来し始めたのだった。
「気を送り込むのかあ…。気は掌からだって、送れたわよね…確か。」
 あかねは乱馬の胸に、そっと右手を置いてみた。トクン、トクンとゆっくりと呼吸する肺。この下に心臓がある。
 あかねが手を当てると、それに応じて、乱馬の鼓動が掌へ伝わってくるような錯覚を覚えた。
「あったかい…。」
 ふっと頬を緩める自分がそこに居た。
 そして、軽く目を閉じ、あかねは乱馬へと、口を宛がった。そっと触れる唇。

「……。特別サービスなんだから…。」
 独り言のように、照れ隠しをすると、すっと乱馬の唇から唇を離した。
「やだ、あたしまで、顔が熱いわ。」
 慌てて、乱馬のベッドから立ち上がった。

「あたしも寝よう…。疲れたわー…。」
 あかねは、ショートスカートドレスを脱ぎ去ると、そのまま、ドサッと己の作ったベッドへと雪崩れ込んだ。
 ふかふか、ほわほわ…とまではいかなかったが、何とか眠れる代物に仕上がっていた。
 ベッドへ身を沈めること、数分。あかねの寝息も部屋へと響いていた。

南の国の夜は深々と更けていく。

 乱馬の左耳に装着されていた、ブラッドストーンのピアスが、鈍く光り始めたのに、気づく事もなく…。



つづく



ま、そんなこんなで、珊璞登場です。


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