◇マジカル★まじかる 第三章「迷える森」編


第四話 正しい魔法書の使い方



 乱馬と沐絲の戦いは終わった。乱馬に軍配が上がった形で終結を迎えたのである。
 
 沐絲が乱馬に放った爆裂魔法は、乱馬によって、逆に返されたのだ。
 沐絲が深手を負っただけですんだのか、それとも息絶えたのか、あかねはその目で直接、確認することはできなかった。
「畜生!オラは…オラは諦めないだっ!必ず、乱馬、おまえを倒して、南の魔国の大魔王になるだああっ!」
 沐絲の言葉が耳に残っている刹那、いきなり、目の前の空間がゆがみ始め、何か見えざる力に身体ごと、ぐいっと引っ張られた感に襲われたのだ。

「え?」
 と思う暇も無く、辺りの風景が一変した。
 暗い森の風景は、目の前から消えてなくなる。すぐ傍に居た、良牙の気配さえも感じられなかった。
「な?何?この感じ。」
 無重力の空間に投げ出されたようなこの感覚。足元から、世界が崩れ去り、遠ざかる。そんな違和感を覚えたのだ。
 と、その時だった。ふわっと、誰かが腕をつかんだ。 
「あかねっ!」
 見覚えのある顔がそこにあった。そのまま、そいつは、あかねの身体を引き寄せると、安堵した表情を浮かべる。柔らかで暖かい笑顔だった。
「乱馬…。無事だったの?」
 あかねの顔も和んだ。乱馬が無事だったことに、心底、ホッとしたのだ。
「ねえ、一体何が起こってるの?」
 と、間髪入れずに問い質した。
「迷える森が新たなフォレストマスターとして沐絲を選んだんだ。俺もおまえも解放されたんだよ。あの森の呪縛から。」
「そ、そうなの?」
「ああ、あの森は戦いに負けた者を呪縛する魔の森だからな。良牙が共同戦線を張るって、宣言したから、森がそれを許諾したんだろうよ。戦いの敗者として、沐絲を取り込んだようだぜ。」
「じゃあ、良牙君は?」
「良牙も今頃は、俺たちと同じように、この結界の空間の中からどこかの国へ飛ばされているだろうさ…。」
「じゃあ、あんたは?」
「俺か?…おまえは俺が傍についててやらねーと、危なっかしくっていけねーからな…。だから、気をまさぐって、何とか、俺の元へと手繰り寄せたんだ。残されたわずかな魔力を使ってな…。」
 そう言った乱馬の顔が、少し歪んだ。
「そういえば、あんた、怪我は大丈夫なの?楓の毒は?」
 あかねは、そう問いかけようとしてはっとした。満身創痍の上に、顔に血の気がなかったからだ。
「悪い、あんまり、大丈夫じゃねーな…。結界へ放り出された時、残ったわずかな力を使って、おまえを俺の元へ引き寄せるのが精一杯だった。」
 乱馬はだんだんに、顔をゆがめ、ハアハアと、呼吸が荒くなり始めた。
「すまねえ…あかね。結界を通り抜けて、地上へ降りたら介抱してくれ…。介護法は俺の巾着袋の中の魔法書があるから、そいつの封印を解いて、自力で、何とか…して…くれ。」
「ちょっと、しっかりしなさいよ!あんたらしくもない!」
 あかねが喝を入れようとしたが、そんなもので、快方へ向かうような甘い状況ではなかった。
「悪い…な…。力使いすぎて、起きてもいられねえや…。毒が体中を駆け巡ってるみてえだ…。ごめん…あかね…あとは頼む!」
 乱馬は、そのまま、精魂が尽き果ててしまったようだ。それだけ言い置くと、意識を混濁させてしまった。

「乱馬っ!しっかりなさいよ!こらっ!乱馬っ!」
 あかねは慌てて、乱馬の身体を支えにかかった。
 乱馬はがっくりと、あかねに身体を預ける。無防備な魔法使いの身体をあかねに晒したのだ。
 乱馬の力が抜けて行くのが、身体越しに伝わってくる。

「とにかく、まずは下に無事に降りなきゃ。」
 乱馬を抱きかかえながら、あかねはじっと、身体を研ぎ澄ませる。着地に失敗すれば、乱馬ともども、大怪我は免れまい。今までは乱馬が上手く導いてくれたが、今はそうはいかない。乱馬は気を失っている。
「今度は、あたしが、頑張らなきゃ!」
 あかねなりに必死だった。
 着地の失敗は許されない。乱馬は気を失っている。地面へこのまま激突すれば、生死に関わるのは目に見えていた。魔法使いとて、不死身ではない。
 散々、考えた結果、迷いの森へ不時着したときに、乱馬が使った魔法、「気包幕(バルーナー)」を放って、降りようと決めた。落下の衝撃を和らげるために、風船を開かせる魔法だ。初歩の初歩魔法であるが、いかんせん、落ちこぼれ魔女のレッテルを貼られているあかねだ。いざとなると緊張した。

「気包幕(バルーナー)!」
 見計らって、あかねは呪文を唱えた。が、反応はない。
「え?あれ?開かない?何でっ!集中のさせ方が不味かったかしらっ!こらっ!開けっ!気包幕(バルーナー)!」
 と、大げさに呪文を唱えてやってみるが、なかなか、成功しなかった。
「お願いっ!開いてよっ!気包幕(バルーナー)!」

 地面へ激突…という間際で、何とか、バルーンがボンッと開いた。それも、慌てて開いたような感じ。

 そのせいか、着地した瞬間、ドスンと衝撃が来た。
「痛ったたたた…。」
 背中がゴツンと、風船越しに土に触れたような気がする。が、乱馬は放さなかった。無我夢中で彼の身体を、己の身体で支えたのだ。
「ふう…。何とか、降りられたわ。」
 多少難はあったが、何とか無事に着地できて、ほっと胸をなでおろす。
 乱馬を支えながら、仰向けに、着地したのだ。
「ここはどこかしら?」
 ゆっくりと、風船から身を乗り出して、辺りを見回す。と、鬱蒼とした緑の森が開けていた。今まで居た「迷いの森」や「東の国の境界線の森」とは一味違う景色が広がっていた。そう、ここは、南国の情緒が漂う、ソテツや椰子の木が主流の暖かな森だったのだ。
 心なしか、体感気温も高い。
「南の国に近いことだけは、確かなようね…。」
 思わず、着込んでいた上着を一枚脱いだ。こう気温が高いと、上着は無用の長物だ。乱馬の上着のボタンも、少し外して緩めてあげた。彼は一向に目を開かない。かなり苦しいのか、額に脂汗も浮き上がっている。荒い息が口元から漏れていた。

「このままじゃあ、不味いわ。どこか、乱馬を休ませるところはないかしら?」
 きょろきょろ辺りを見回してみた。
「おあつらえ向きに洞窟がある。」
 あかねは、乱馬を、背負い込むと、その洞窟へと歩み始める。
 腕力だけは人よりも強い。案外、見かけよりも筋肉質なのか、乱馬は重かった。
 だが、何とか背負って、洞窟へと運び遂せた。自ら脱いだ上着をシーツの代わりにして、乱馬をその上に、静かに横たえる。
「えっと…。乱馬の魔法書を探さなきゃ。」
 あかねは、乱馬をおろすと、早速、彼の腰に結わえてある巾着から、魔法書を探した。あれだけ、器用に魔法をこなす乱馬の「魔法書」がどんなものか、少しばかり興味があった。
 魔法使いの能力に合わせて、呪文が上書きされるのが「魔法書」だ。
 魔法が不得意なあかねの持つ魔法書はせいぜい、中級魔法までしか羅列がない。
 ゆえに、あかねの魔法書に、乱馬の毒を抜けるほどの、「回復魔法」が網羅されているかどうか、疑わしい部分があった。いや、実際、記述はないだろう。
 その点、乱馬の「魔法書」なら、かなりの高等魔法まで、記述されている事が期待できる。乱馬の魔法書を開いて、記述どおりに使いこなせるかどうかは、はっきり言って自信は無かった。が、今は、乱馬の魔法書に頼るしか、方法は無かった。このままでは、乱馬の命に関わる。

「乱馬の巾着ってあんまり物が入ってないわね…。あんまり、ごちゃごちゃ持ち物を持ち歩かない主義なんだ。乱馬って。」
 魔王の御曹司だから、たくさん、持ち物を持っていると思っていた。邸宅が建てられそうなくらい、巾着袋に繋がる、亜空間に入れて持ち歩いていると思っていたが、そうでもないようだった。ゆえに、簡単に目的の、乱馬の「魔法書」を取り出すことができた。

「すっごい、これが、こいつの魔法書…。」
 取り出した、乱馬の魔法書は、かなりの重量があり、かつ、分厚かった。数十センチはあろうかという、背表紙だ。
 魔法書は、使い手でもある魔法使いの能力に応じて、その分厚さが決まってくる。つまり、魔法使いの能力が上がればあがるほど、魔法書は分厚く、重くなるのだ。
 使える魔法が増えれば、それに関する記述で頁が増えていくのである。
「あたしの薄っぺらな魔法書とは、比べ物にはなんないわ。」
 ほとほと感嘆した。あかねの家に伝わる、古伝の秘法魔法書よりも数倍も分厚いかもしれない。「大魔法辞典」と呼べそうなくらい、どっしりした魔法書があかねの手元に置かれた。

 あれから乱馬は、意識を混濁させたまま、目も開かない。息をしているのかどうか、心配になるほどに静かに横たわっている。毒が身体中を巡ってしまっているのだろうか。身体も冷たく感じた。
「不味いわ。早く手当てしないと。…えっと魔法書を開封する呪文、呪文。」
 まずは、取り出した、乱馬の魔法書を開かなければならない。
 魔法書は他人に容易く開けるようにはなっていない。魔法書に魔法で問いかけ、かつ、魔法書が認めた相手にしか、開封することができないのである。つまり、開封魔法をかけて、かつ、魔法書が認めないと、魔法書を自由に見ることすら出来ない。

「『エテラン・アテラン・持ち主、乱馬の許諾によって、あかねが命ず。開け、魔法書!』」
 そう唱えたが、乱馬の魔法書に反応は見られなかった。
「あれえっ?呪文が違ったかな…。」
 うろ覚えの開封魔法だ。
「駄目だわ…。このままじゃあ、永遠に開けないかも…。えっと、あたしの魔法書…。」
 あかねは己の巾着袋から、自分の魔法書を取り出す。
 乱馬の魔法書と比べると、全く別物としか思えないような、薄っぺらい魔法書が出現した。
「この違い…。何か、癇に障るわね…。」
 そう、御託を並べながらも、魔法書の頁を繰った。乱馬の物が「大魔法辞典」なら、己のは覚書ノート。その位、雲泥の差があった。

「他人の魔法書を開封させる、魔法はっと…。あった、あったわ。ええっと、やっぱ、違ってたか…。呪文は…。」
 手で手繰りながら、目を見開く。


「『ヒテラン・ラルラン・ケルラン、持ち主、乱馬の許諾によって、あかねが命ず。開け、魔法書!」
 今度は魔法書に記載されているままを、大きな声で唱えた。

 だが、乱馬の魔法書は、無しのつぶてだ。うんともすんとも、反応がない。

「何でよう!ちゃんと、呪文もあってるじゃないのっ!」

 そうこうしているうちにも、乱馬の波動が弱くなり始めている。
「このままじゃあ、持ち主の乱馬が死んじゃうわ!もう一度!
『ヒテラン・ラルラン・ケルラン、汝が持ち主、乱馬の許諾によって、あかねが命ず。開け、魔法書!』」
 何度も唱えてみるが、一向に反応しない。
「もう!持ち主に似て、ひねくれてるのかしらん!ああん!開けっ!魔法書!」

(ずっと、昔にもこんなことが、あったわね。確か…。)
 アクセクしているあかねは、ふっと、過去に似たような体験をしたことを思い浮かべた。
(あれは、まだ、子供の頃…。)

 魔法学校の初等科に通い始めた頃、魔法書を開封する魔法の課題を、家で練習していたことがあった。先生が渡した魔法書を開いてくるのが、その日、あかねに課せられた宿題だったのだ。何度、呪文を唱えても全然反応がない。魔法書を開くことができないで、半べそをかいていたあかねを、近くで見守っていた長姉のかすみが優しく諭してくれたことを、何故か、思い出していた。

『あかねちゃん、他人の魔法書を開くためにはね、許諾したその人の「気脈」が必要なのよ。 この魔法書の現在の持ち主は先生だから、先生の「気脈」が必要なの。あかねは「気脈」となる物を、先生から預かって来なかったのかしら?」
 と微笑みながら問いかけてくれた。
『先生は、魔法書とそれから、これを渡してくれたよ。』
 そう言いながら、己は通学カバンの中から「小石」を取り出す。かすみに言われるまで、その存在すら忘れていた、小さな小石。
『これよ、あかねちゃん。この小石には「先生の気脈」がしみ込ませてあるんじゃないかしら…。今度は、この小石をその本に乗せて、呪文を唱えて御覧なさいな。きっと上手くいくんじゃないかしら?』
 姉の進言どおりに、やってみると、びくとも開かなかった魔法書が、ふわっと開いた。

「気脈…。そうか、気脈。でも、乱馬は意識を失ってるし…。こんな重装備の魔法書が、子供の頃の宿題のように、乱馬の持ち物を置くだけで開くとは思えないわ。持ち物はあくまでも持ち物で、意識していない限り、気脈なんかしみ込ませないだろうし…。困ったわ。」
 どうしようかと思いあぐねたあかねは、意を決すると、乱馬の手を魔法書へ直接添えた。こうやれば、魔法書へ、直接、倒れている乱馬の、危機迫る気脈を魔法書に伝えることができるのではないか。魔法書とて、持ち主が瀕死の状態ならば、開封してくれるのではないか。そんな事を思いついたのだ。
「さっきよりも、乱馬の手が、冷たくなってる。急がなきゃ。」
 乱馬の手を握り締めると、そのまま、固く閉じた魔法書へと宛がった。
 乱馬の手を表紙に乗せたかったが、いかんせん、分厚すぎて、表紙には届かない。仕方がないので、背表紙に、己の手も添えて、一緒に触れさせた。

「乱馬の魔法書さん…。聞こえる?乱馬の弱った鼓動が…。このままじゃあ、あなたの主である、乱馬が危ないわ。だから、あたしが助けなきゃならないの。お願い…。開いて。開いて、あたしに、解毒魔法のかけ方を教えて。お願い!」
 そう呟きかけてから、もう一度、呪文を唱えた。
『ヒテラン・ラルラン・ケルラン、汝が持ち主、乱馬の許諾によって、あかねが命ず。開け、魔法書!』。」

 呪文を唱えても、反応がすぐには現れなかった。

「やっぱり駄目なの?魔法書さん、お願い、開封して、…楓毒を解毒する力を要する魔法、あたしに教えて頂戴。あたし、未熟な魔法使いだけど、あなたを使って、死に掛けている、乱馬を助けたいのっ!
『ヒテラン・ラルラン・ケルラン、汝が持ち主、乱馬の許諾によって、あかねが命ず。開け、魔法書!』」

 あかねは、諦めずに、何度も問いかける。
 
 と、あかねの呪文に、魔法書が反応し始めた。
 まばゆいばかりの光が一瞬、煌くと、一気に、乱馬の魔法書を包み込んだのだ。
 それは、まさに、あかねの必死の呼びかけに、乱馬の魔法書が反応し、封印が解けた瞬間だった。あかねを、乱馬の代行者として、認めてくれたのだ。

 ぶわっと風のような空気の流れが、魔法書から湧き上がった。何か、暖かい気が乱馬の魔法書から飛び出してくるような感じだった。
 そして、ぱらぱらと頁が独りでにめくれていく。まるで、どこかの頁を探しているかのようにだ。
 そして、ぴたっ、とある頁で、静止した。

「この頁に、目的の魔法の処方があるのね。」
 あかねは無我夢中で魔法書へと目を落とす。
「回生(リフレクト)の簡易措置法」
 そう、魔文字で書かれた頁だった。
「何々…。次に示す、方法を用いれば、回生(リフレクト)を使いこなせない、マヌケな魔法使い見習いでも、簡単に処方できる。
 ……なんか、高飛車な書き方してあるわね…。」
 あかねは少しムッとした表情になった。まるで、己に向けて書かれたような、高慢ちきな文章に思えたのだ。

「ま、良いわ。乱馬から毒を抜くのが先決だわ。」
 あかねは、次へ、読み進める。

「えっと…。呪文は「回生(リフレクト)」…まんまね。で、これを心で念じながら、目を閉じ、直接、息を吹き込むように、マウス・トゥー・マウスで、気を送り込むですってえええ?」
 思わず、後の方は、声が大きくなった。
「な…。マウス・トゥー・マウス…。これって…。まんま、キッスじゃないのーっ!」
 思わず、カタンと肩を落とした。当たり前だろう。
 気を宛がうのに一番有効な方法は、確かにマウス・トゥー・マウスに勝る伝授法はあるまいが、花も恥らう乙女には、きつい手法だった。
 ふっと、目を閉じたままの乱馬を見やる。
 顔がさっきよりも、青ざめているような気もする。固く閉ざされた目元も、唇も真っ青だ。
「毒抜きしたげなきゃならないのはわかってる…でも…。マウス・トゥー・マウスだなんてえ…。」
 躊躇うな、という方が土台無理な話した。実行に移すには、それなりの「決意」というものが必要な方法だ。
 グルグルと思考が回る。

 このまま放置すれば、乱馬がはどうなるか。二度と目を開かないかもしれない。

「ええいっ!わかったわよっ!あたしも魔法使いの端くれよっ!マウス・トゥー・マウス!やったろーじゃん!」
 力んで言った。
「乱馬は眠ってるし…。黙っときゃわからないわよね。」
 と、一人、言い訳をしてみる。
 恐る恐る、乱馬の方へと身を乗り出す。
 しげしげと、乱馬を眺めるのは、これが始めてだ。眠れる王子様が、そこに居た。
「こいつ…。結構、綺麗な顔立ちしてるんだ…。」
 何故かそう思うと、顔が熱くなった。それだけではない。心臓の鼓動も早打ちし始めた。
「やだ…。あたし…。何、緊張して、赤くなってるのよ…。」
 ぶんぶんぶんと頭を横に振る。
「これは…。単なる回復魔法なんだから!キスじゃないの。キスじゃあ…。ただのマウス・トゥー・マウスなの。あかねっ!しっかりなさい。乱馬を助けるのがあたしの使命なんだから…。」
 どのくらい、その場で右往左往したろうか。
 
「もうっ!乱馬!これで毒が抜けなかったら、あんたとあんたのその魔法書を恨むからねっ!」
 そう言うと、あかねは乱馬の顔に近づいた。
「回生(リフレクト)!」
 そう、唱えると、閉ざされた乱馬の唇に、己の桜色の唇を宛がった。

 不思議な感触だった。
 生まれて味わう感触。
 濡れた冷たい唇の感触。それでいて、柔らかく、甘酸っぱい。 
 無我夢中という言葉は、きっと、このような状況のことを示すのではなかろうか。
 
(乱馬…。お願い!目を覚まして!乱馬っ!)
 乱馬の回復を強く願いにこめて、合わせた唇。

(え?)
 っと思った。

 突然、すいっと、乱馬の腕が、あかねを手繰り寄せるように、引っ張ったからだ。
(なっ?)
 いや、それだけではない。
 唇を合わせたまま、ぐっと、引っ張られる。
(ちょっと!)
 焦って、唇を離そうともがいたが、離れるどころか、ぐいぐい、押し付けられてくるような感覚だった。
 目を見開きたくても見開けない。完全に身体は、凝固していた。
 どのくらい、その状態を続けていたのだろうか。

 息がこれ以上続かない。そう思った瞬間、やっと、乱馬の唇が己から放された。

「ちょっと!あんたっ!何すんのよーっ!」
 真っ赤になって、下に寝そべっている乱馬の顔を覗き込んだ。
 明らか、乱馬に意識が戻っている。そう判断したのだ。

「へっへっへ。あかねちゃんの柔らかい唇、貰いーっ!」
 乱馬がにっと笑っている。
「猛毒にやられて瀕死だった王子様は、お姫様の無我夢中の熱いくちづけで、無事生還したのでありました。めでたし、めでたし。」
 と屈託ない言葉がかけられる。
「あんた…ひょっとして、謀ったわね…。あたしが、本気で、心配して…。あたしは、あんたが死ぬかと思って…。」
 ふるふるとあかねの肩が震え始める。今にも泣き出しそうな声になっていた。
「いや…。別に謀った訳じゃねえよ。事実、さっきまで、瀕死状態だったのは演技じゃねえぞ。」
 乱馬が慌てて説明し始める。
「おまえが魔法書を開封して、魔法書の中から直接、「回生(リフレクト)魔法」を飛ばしてくれなかったら、本当にやばかったんだぜ。」

「「回生(リフレクト)魔法」を飛ばす…ですってえ?…それってどういう意味よ!あたしは、回生(リフレクト)魔法を、その…マウス・トゥー・マウスで、あんたにかけたんじゃなかったの?」
 あかねが乱馬の言葉尻を捕まえたとき、乱馬の顔が「しまった!」という表情になった。
「説明しなさいよ!乱馬っ!」
 グググッと迫ってくるあかねには、いつもにない「気迫」が感じられた。

「お、落ち着いて聴けよ…。その…。魔法書は他人が開いても、使えないように、「特別な魔封印」をほどこしてあることは知ってるよな?」
「ええ。他人の魔法書を開くためには、呪文とその持ち主の気脈が必要ってことは知ってるわ。己の器以上の魔法を使うと、魔法が失敗するだけじゃなくって、さまざまな悪影響が出るから、そいう「一種の封印」でもある処置をするんでしょう?」
「そうだよ。…そもそも、それを極力避けるために、魔法書は、勝手に他人が開いてしまわねえように、封印が施されているのは言うまでもねえ。拾った魔法書をほいほい使われると、とんでもねえ事態を引き起こされかねねーからな。
 で、それぞれ、魔法書には「封印」が施されている。」
「ええ、だから、あたしは開封魔法をあんたの魔法書に施したんだけど…。」
「魔法書が気脈を通じて、開封者を認めなければ開かないように施法してあるのは言うまでも無いが…。俺くらいのクラスの魔法使いになると、もう一歩突っ込んで「特別な施法」を施すんだよ。」
「高い特別な施法?」
「ああ。超高等魔法を素人が下手に使うと、大変なことにもなりかねねーからな。ただ、開封しただけでは使えないように出来ている…。が、主が危機に瀕すると、そう悠長なことも言ってられねえ。だから…。その、魔法書が開いた途端、主が要する魔法をいくつか施法できるように、あらかじめ、魔法がしくんであったりするんだ…。わかるか?」

 それを聴いて、だんだんにあかねの顔が険しくなっていった。

「ひょっとして…。魔法書が開いた瞬間、あんた…に回生(リフレクト)魔法が作動して、毒が抜けた…ってことが言いたいんじゃあ…。」
 厳しい瞳が、乱馬を刺した。

「あはは…。そのとおり…。良く理解してるじゃねえか…、あかねちゃん。」
 乱馬がぼりぼりと頭を掻きながら答える。

「つまり何…。あたしが口から息吹を吹き込むまでもなく…。魔法書が作動して、あんたの身体から猛毒は抜け去っていたってことなのよねえ…?」

「ということになるかな。」

「何、あっさりと、答えてるのよーっ!ばかーっ!あたしは、てっきり、マウス・トゥー・マウスで施法しないと、あんたの毒が抜けないって思って…。」
 あかねの怒りの声が辺りに響き渡った。

「だからあ、魔法書に書いてある記述を読まなかったのかあ?おめえ…。」
 乱馬がひょいっと、あかねの攻撃を避けながら、魔法書を指差す。
「読んだわよ!回生魔法のかけ方…。必死こいて、あんたを助けようと思って…って…。」
 はっと思い当たったあかねは、動きを止めて、魔法書へと目を落とす。
「そういえば…。あの魔法書の文章…。ずいぶん、砕けてたような…。」

「だから、ちゃんと、最後まで読んだのか?」
 乱馬がにっと笑っていた。

 魔法の施法の後に、朱色で後付が書かれていた。
「どれどれ、『というのは真っ赤な嘘で、もう、この本の主、乱馬は毒気が抜かれて、蘇っているので、マウス・トゥー・マウスを実践する必要はありません…』ですってええっ?」
 かああっ、とあかねの顔が真っ赤に染まった。
「あたし…。かつがれてたの?」

「たく…。普通、知らない魔法を施術するときは、最後まで読むもんだろ?」
 乱馬がまた、笑った。
「でも、まあ良いや。おかげで、あかねちゃんのファーストキッス、俺が貰えたしぃ♪」
 ご機嫌で乱馬が、はやし立てる。

「ファースト…キッス…。」
 あかねの、動きが、また、止まった。
 それから、ふるふると全身が怒りで震え始める。

「乱馬っ!あんたねえっ!乙女の純情を…何だと思ってるのよーっ!」
 手を振り上げたあかねから、乱馬はひょいっと逃げた。

「いいじゃん!俺はおめーに惚れてるんだからよう。キスくらいしてくれても!それ以上を欲した訳じゃねーんだから…。それに、最後まで記述を読まずに突っ走った、おめーが悪い!」
「うんうん、ってもっともらしく頷くんじゃないのっ!…あんたさあ…もういっぺん、死の淵を見せてあげましょうかあ?」
「もういっぺん、キスしてよみがえらせてくれるのかあ?」
「バカーッ!」
 あかねの絶唱が、辺りに響き渡った。


 南の大門はすぐそこにある。
 その大門の向こう側に広がる、陰謀のことは、二人とも知る由もなかった。
 





 


言い訳
 久しぶりの「まじかる★ワールド」。楽しんでいただけましたでしょうか?
 いただく感想メールや同人誌通販時のお手紙でも、再開のリクエストがダントツに多いのが、このパラレル乱あ作品なのであります。待っていてくださった方もいらしゃるかと…。
 書き出したら早いとは思っていたのですが、ところがどっこい、久々の魔法使い乱馬、一筋縄ではいきませんでした。前作からは実に四年ぶり。どう展開させるつもりであったか、脳内プロットがあやふやになっておりました。(「忘れた」とも言う。)
 話の大まかな筋は決めていますが、プロットを書き留めていません。脳内発進です。
 白状しますと、本当は「西の魔女国編」を続きで書き飛ばすつもりだったのですが、書き出す前に、挫折しました。絶対に六周年には間に合わんと思って、第三章を独立させて書くと決めたのであります。
 先に、良牙君を登場させるのも良いかな…。珊璞の話に移る前に沐絲も登場させておこう…。という、心遣いといえば、示しがつきますが、「行き当たりばったり!」というのが真相です。
 次章の第四章「南の魔女国編」は、ご想像の通り、珊璞や可崘が絡んで、結構長い話になりそうです。原作の持ち味でもある、あかねちゃんのやきもちを炸裂させて描きたいというもくろみだけは持っております。
 
 今回挿入した話は、風邪で熱にうかされていたときに、急に思いついた話なので、展開もかなり強引ですが…。まじかる乱馬も書いていて楽しいので好きです。
 ダークエンジェル的乱馬も相当ですが、このまじかる乱馬もスケベだと思います。制多迦乱馬も相当ですが…。
 私の考える「パラレル的乱馬」は一様に相当なスケベだ!
 原作の乱馬も相当(むっつり)スケベな部分があるので、パラレル化したら、こうなるのかもしれません。
 ついでに、「ハロゥイン」にてファーストキッスと書いておりますが、時間的経過からみて、こっちの方が彼のファーストキッスになるかと思います。ということで、ご勘弁くださいませ。(キスさせていたこともすっかり忘れていた私…。)

 で、次章の公開はいつになるか、今のところ全く、不明です。
 もしかすると、また、このまま長い間止まってしまうかも…。
 決めていた話の大筋も、忘れかけているので、練り直しは必至です。
 そろそろ年末に差し掛かり、創作やってるどころじゃない…。上に、約束物(某所貢ぎR作品)がまだ仕上がっていないので、こちらを最優先に、と思っております。

 なお、まじかる★ワールドはらんま的キャラクターをふんだんに取り入れて、これでもかというほど膨らませて創作するつもりであります。
 原作のキャラクターがどうストーリーに絡んでいくのか、作者の私も、楽しみつつ、書いていきたいと思っております。
 ここで改めてお断りしますが、原作のキャラクターは使いますが、まじかる風味に味付けしなおして描きますので、原作と弱冠違った性格の原作キャラが登場することも、ままありますことを、ご了承くださいませ。
 また、続きが書きあがりましたら、御目文字させていただきますので、お待ちくださいませ。

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