マジカル★まじかる

前編 魔法と修業とおさげの少女


 やあーっ!!

 深遠とした森の奥深くで木霊する高い声。

 たあーっ!!

 息も尽かさずに彼女は手を差し伸べる。その指先から迸(ほとばし)る光る輪。その輪は目の前の木立に体当たりするとガキュンと弾けた。

「あーあ…。やっぱりダメだ。威力が足りないのね…。」
 少女はどっかりと腰を下ろした。
 碧なす短い黒髪。身に纏うのは魔女見習の証の紺色のマント。
「あたし…。やっぱり才能ないのかなあ…。」
 溜息と共に手を付いて、後ろの草むらへどっかと倒れこむ。淡い春の太陽が木立から覗いてゆらゆらと揺れた。
「もうじき十六歳の誕生日を迎えちゃうっていうのに…。」
 そう考えるだけで気が重くなる。
 魔女は十六歳になると自立する。誰が言い出したのか知らないが、一応そういう決まりになっている。十六歳になるとテストを受け、そして婚約させられる。そういうことになっていた。
「あーあ。嫌だな。大人になんかなりたくないっ!!」
 木立へとそう言い放ってみた。

「そんなこと言ったって、時は魔法じゃ止められねえんだ。仕方ないだろ。」

 傍で声がした。

「誰?」
 
 あかねは身構えながら後ろを振り返った。

「やあっ!」

 後ろにはいつ来たのか、少女が一人ぽつんと立っていた。年のころはあかねと同じくらい。十代の半ばだろうか。あかねより少しだけ小柄に見えた。ちょっと赤味掛かった髪の毛は後ろに一つに束ねられ、おさげを編みこんでいる。よくよく見ると彼女もまた紺色のマントを纏っている。あかねと同じ魔女見習だ。

「あんた誰?」
 あかねは不思議そうに振り返った。見かけたことのない顔だ。あかねの住む魔女の里の娘ではない。
「通りがかりの魔女見習ってところかな…。」
 にやにやしながら少女が答えた。
「何か用?」
 あかねは少しムッとして答えた。
「別に…。魔法の迸(ほとばし)る音がしたからちょっと気になって覗いてみたんだ。でもさ、おめえ…。下手だな。」
「な?」
 何て失礼な少女だろう。あかねは返す言葉を失いつつもきっと見返した。
「そんな怖い顔すんなよ…。あの魔法はこうやって出すんだぜ。」
 そう言うと、少女は右手をたっと前へ出した。
「やっ!!」
 軽くお腹から声を出すと、少女は、はす向かいに立っている木の幹を狙った。

 ドンっ!

 一つ音がして、光が弾けた。と、途端、木はばっさりと向こう側に倒れた。

「すごい…。」
 あかねは目を見張った。自分より数段上手い。
「こんなので感心してちゃ、まだまだってところだな…。」
 少女はにやっと笑うと、今度は見てろと云わんばかりに右手を上に上げた。と、差し上げられた人差し指から無数の光の輪が飛んだ。
 
 パシャ、パシャ、パシャ
 カシャ、カシャ、カシャ

 飛び散る音がして、続いて今度は

 ドンドンドン、バンバンバン

 森中に、魔法の音がこだまする。

「え…。」

 あっという間に視野が開けてしまった。木が薙ぎ倒されて、青空がぽっかりと浮かんでいた。

「まだまだ…。」

 少女は今度は左手を上げた。
 今度は赤い輪が全体へと広がって空気を振動し始めた。

「な…?」

 さっき倒れた木が再び継ぎ合わさると、今度はにょっと立ち並び始めた。
 また頭に覆い被さる木々の小枝。
 少女が手を下ろすと、何事も無かったように元通りの森に戻った。そう、修復魔法だ。

「すごいっ!あんた、天才魔法使い?」
 あかねは少女を振り返って絶賛の言葉を浴びせた。
「こんなの、訳ねえよ…。」
 少女はにっと笑った。呼吸は全く乱れていない。普通このくらいの大きな魔法を使うと、体力を著しく消耗するものだが全然平気そうだった。高等な魔法を出すときは、呪文の一つも唱えるものなのだが、彼女はそれすらしなかった。かなりの腕だ。見習でここまで出来る魔女はそうそう居ない。
「凄いわっ!…ねえ、あんた名前はなんていうの?あたしはあかね。よろしくね…。」
 そう言って差し出す右手。
「乱馬。」
 少女は差し出された手を握り返してそう答えた。
「ねえ、乱馬…お願い。あたしに魔法教えてくれない?あたし…。どうやっても上手くならないの。才能が無くって…。」
 あかねは目を輝かせてそう言った。目の前で大技を見せられたのだ。すっかりと魅了されていた。少しでも誕生日までに上手くなっておきたかったから、コーチを懇願した。
「…。別にいいけど…。でも、俺の指導は厳しいぜ…。」
「あたし、どんなだってやり遂げるわ。ね、お願い。」
 あかねは両手を合わせて擦り合わせる。
「ひょっとして、おめえも、もうじき十六歳の誕生日迎えるのか?」
「うん。そうなの…。ひと月後ね。でも、全然ダメ。このままじゃ魔女失格の烙印押されそうなの…。」
 十六歳の誕生日に行われる魔女テストに失格の烙印を押されると、この世界を出て行かなければならない。そう安住の地を失うことになる。魔女としての素質がないと見なされるのだ。魔女の里を放り出されたら最後、地の底の世界を一人で彷徨わなければならなくなるのだ。ある意味それは「死」を賜るのと同じくらいの恐怖があった。
「ちょっと魔法出してみな。そうだな…。あの木、倒してみろ。」
 乱馬はあかねに言った。軽く実力を見てやろうとでもいうのだろう。
「いいわ…。やってみる。」
 あかねは気を右の指先へと集中させた。
「やあっ!」
 弾け飛んだ光の輪。

 ギュンッ!

 勢いの良い音だけはしたが、見事な空振り。木は倒れるどころか、平然と枝葉を天へ差し上げていた。


「やあっ!やあっ!やあっ!」

 連続して打った。
 
 ヒュン、ヒュン、ヒュン。

 一つも当たらないで空へと抜けた。

「確かに…下手すぎるぜ…。」
 乱馬は苦笑いして少女を見詰めた。
 あかねは肩で息をしている。かなり気力を使ったのだ。
「あーあ…。力なら誰にだって負けないのになあ…。」
 と呟くように言った。
「力?腕力は強いのか?おめえ…。」
「うん!自信ある。」
 そう言うとあかねは目の前の木に向かって突進した。

「でやあっ!!」

 足を振り上げて前へと体当たりする。

 バギッ!

 木が根元から揺すられてボッキリと折れた。幹が一抱えあろうと思われる結構大きな木がである。

「ひょおっ!やるじゃねえか。」
 乱馬は口笛を吹いて絶賛する。
「でも…。魔法が使えないんじゃあ、ダメよね…。失格よ。」
 あかねは肩を落とす。
「よっし…。面倒見てやるよ。明日から太陽が真上に上ったら日没まで付き合ってやらあ…。」
 乱馬はにっと笑って返答した。
「ほんと?」
 あかねの顔に笑顔が差した。
「ああ…。任せとけ…。誕生日のテスト、切り抜けさせてやるよ。」
 そう言ってドンと叩く胸。
「ありがとう。」


 こうして、あかねは乱馬という少女の個人教授を得て、魔法の特訓を始めたのである。
 来るべき誕生日に向けて。




「あかね、最近、毎日、特訓の森へ出掛けて行くわね。」
 なびきがかすみに問い掛けた。
「何でも、とってもいいお友達が出来て、練習に付き合ってもらってるんですって。たまたま森を通りがかった隣の里の女の子だそうよ…。確か、乱馬ちゃんとか言ってたかしら…。」
「ふうん…。物好きな子が居たものね…。で、毎日、日暮れまで精を出してるのね。でも、大丈夫なのかしら…。」
「何が?」
「あかねって物凄っく不器用じゃない。今までだって散々いろんな人のコーチ受けたけど、長続きしなかったじゃない。ほら、先月まで習ってた…。」
「ああ、ひな子先生ね。」
「そう…あの先生ですら途中で逃げ出したくらいの不器用さよ…。」
「だからと言ってこのまま放って置く訳にもいかないでしょ?地の底の国へ追い遣る訳にもいかないじゃない。可愛い末の妹を…。」
 かすみは洗濯を干す手を止めてすぐ下の妹、なびきを見詰めた。
「ま、それはそうなんだけどね…。」
「兎に角、地の底へさえ行かなければ、いいんじゃないの?」
「あの子、それだけで納得するのかしらね…。」
「納得って何かしら?」
「婚約よ…。あの様子じゃ、多分、とんでもないお婿さん宛がわれると相場が決まってるじゃない。貰いそびれの親父魔族とかさあ、とんでもない醜い魔族とかさあ…。」
「時の運ね。それは。大魔王さまの占い次第でしょ?」
「ま、そりゃそうだけど…。大魔王様に宛がわれるお婿さんを拒否するには、第二テストにも受からなきゃならないじゃん…。あの子にそれだけの才能は無いだろうし…。」
「なるようになるわ…。悩んだって仕方がないわよ。ね。」
 とにっこりとかすみは笑った。
「そうね…。まずは第一テストに合格しなきゃ始まらないか…。大変ね。あの子も…。」
「でも、どうしてあんなに不器用なのかしらね?腕力だけはあるのに…。」
「かすみお姉ちゃん…。それ。フォローになってないわよ…。」

 二人の姉たちはふっと溜息を吐いた。
 森の方からはドンドンとさっきから魔法を打つ音が響いてくる。派手にやっているようだ。


「ほらっ!もっと狙えっ!集中力が足りねえんだよっ!あかねはっ!!」
「えいっ!!」
「まだまだっ!ここだって言ってるだろ?ターゲットは。おめえ、気は充分に出てるんだ。後は当てるだけだ。ほら、もう一回!!」
 乱馬の叱咤が飛ぶ。
「やあーっ!!」
「間伐いれずに、ここだっ!ここぉっ!!」
「はあーっ!!」

 ドンドンっと音がはじけて目の前の大木が揺らいで倒れた。

 はあはあと肩で息をしながらあかねが汗を拭った。
「やっとここまでできるようになったか…。ま、あかねにしちゃ進歩だな。」
 乱馬が笑った。
「やっとね…。これで第一テストは合格できるかな…。」
 にっこりとあかねが笑う。
「第一テストって…。おまえまさか第二テストも受けるなんて無謀なこと…。」
「あら、当然よ…。」
 あかねは汗を拭きながらそう言った。
「おい…。」
 乱馬はきょとんと見返した。
「おめえ…。それで第二テストまで受かろうっていうんじゃ…。」
「受かる気よ…。だって…。婚約なんて嫌だもん。」
 あかねはそう言って声を落とした。
「何で?魔法使いは十六歳になったら婚約者決めて貰って二十歳で結婚って相場決まってるじゃねえか…。」
「うん…わかってる。でも、それ凄く嫌なのよ…。」
「どうしてさ。」
 不思議そうに乱馬は見返した。
「だってさ…。どんな相手のところへ嫁げって言われるかわからないじゃない。かすみお姉ちゃんやなびきお姉ちゃんみたいに人間仕様の魔族って限らないじゃない。魔族って言ったっていろんな種族が居るんでしょ?」
「選んでくださるのは大魔王様だぜ…。いいじゃねえか…。」
「何がいいもんですか…。大王様の占いで決められるっていうじゃない。そんなの嫌っ!」
 わからないなあという表情で乱馬はあかねを見返した。
「なら聞くけど、乱馬どんな男の人のところにでもお嫁に行けるの?」
 あかねはきっと乱馬を見上げた。
「自分の相手くらい、自分で選びたいじゃない…。何処の誰かも分からないような男の人を宛がわれてそれで、はいはいってお嫁にいくなんて…。」
「おめえには姉さんが居るって言ってたろ?姉さんたちはどうなんだよ…。」
「お姉ちゃんたちは抵抗なく受け入れられたみたいね…。聞いたら第二テストは自ら望まなかったって言ってたわ。かすみお姉ちゃんもなびきおねえちゃんも、相手はそれ相応、似合った相手だったもの。」
「そらみろ…。占いだって何だって大魔王様はそれなり似合った相手を持ってこられるじゃねえか…。姉さんたちは満足してるんだろ?」
「お姉ちゃんたちはね…。でも、あたしは味噌っかすだもの…。どんな相手持って来られるかわかったもんじゃないわ。人間仕様かどうかもわからないじゃない。野獣仕様や化け物仕様だったら絶対嫌よ。それに、もっと自由に生きたいわ。二十歳で結婚して魔女や魔族を産み育てていくだけの人生なんて…。」
 ぎゅっと握り締める拳。
「あたし、天界へも行ってみたいの。魔界だけじゃ面白くないもの。地の底へだって一度はね…。」
 あかねは夢みる口調で言った。

「だから、あたしも強くなりたいのよ…。」
「そっか…。」
 少し寂しげに眺める乱馬の深い瞳。
 だが、こくんとあかねは頷いて答えた。
「乱馬はさあ、強いから望めば第二テストも楽勝で通って、それでもっと自由に生きられるじゃない…。乱馬はどうするの?あなたもそろそろ誕生日なんでしょ?」
「あ、ああ…。俺ももうじき十六だな。」
「テスト受けるんでしょ?」
「まあな…。」
「第二テストも?」
 あかねの目は輝きながら彼女の瞳を捕えた。
「……。」
 それに対しての即答は無かった。
「受けないの?」
 あかねはどうしてと云わんばかりに覗き込んだ。
「ま、いろいろ事情があるからな…。俺には…。」
 そう言って吐き出す溜息。
「それって親や大魔王様の言いなりになるってこと?」
「さあてな…。まだ何にも決めてねえよ。」
 面倒臭そうにそう告げた。
「なあ…。」
 乱馬はあかねを見返した。
「第二テストは召喚獣で戦うんだろ?」
「そう言われてるわね…。」
「おめえの召喚獣は何だ?」
 乱馬はあかねを見返した。
「一角獣。」
「ふうん…。ユニコーンか…。」
「出そうか?」
 あかねはにっこりと笑った。
「いや…いいよ。召喚獣は使い手の力次第だからな…。」
「乱馬は?」
「内緒だよ…。」
「あ、ずるいっ!!隠さなくてもいいじゃない。教えてよ…。」
「そのうちな…。」
 乱馬はさらりとかわした。
「さてと、休憩終わりっと。次行くぜっ!!まだまだ覚えなきゃならないことあるだろ?」
 そう言って立ち上がる。
「あー。誤魔化したな…。ま、いいわ。どうせあたしたちが、闘うことなんて無いだろうから。」
 あかねも同調して立ち上がった。

 また始まる魔法特訓。
 あかねは懸命に乱馬のしごきに耐えた。もっと強くなりたいという一心で。

 あたし…強くなりたいの。
 自分の足で生きるために。

 彼女の拳はそう言っていた。


(c)2003 Ichinose Keiko